参考資料

ここでは「資本論」の理解のために参考になる資料のうち、絶版になっているものなど、手に入れにくい著作の抄録をいくつか紹介していきます。
 

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『経済学批判・序言』(全集版)

『経済学批判 序言』 1859年 (全集版)より

【P5】私はブルジョア経済の体制をこういう順序で、すなわち、資本・土地所有・賃労働・国家・外国貿易・世界市場という順序で考察する。はじめの三項目では、私は近代ブルジョア社会が分かれている三つの大きな階級の経済的諸生活条件を研究する。その他の三項目の間の関連は一見して明らかである。第一部は資本を論じるが、その第一篇は次の諸章から成り立っている。(1)商品、(2)貨幣または単純流通、(3)資本一般。はじめの2章がこの分冊の内容をなしている。材料全部は個別論文の形で私の手もとにあるが、それらは長い間隔をおいたいくつかの時期に、自分のために問題を解明する目的で書きとめられたもので、印刷するために書かれたものではない。そしてそれらを前述の計画にしたがって関連のあるものに仕上げることは、外部的な諸事情しだいであろう。
まえにざっと書いておいた一般的序説は、これをさしひかえることにする。というのは、よく考えなおしてみると、これから証明されるべき諸結果を事前に示すことは、妨げになるように思われるからであり、およそ私についてこようとする読者は、個別的なものから一般的なものへのぼっていく覚悟をもたねばならないからである。その代りに、私自身の経済学研究の歩みについて2、3述べておくには、ここが適当であろうかと思う。
私の専攻は法律学の研究であったが、しかし私は哲学と歴史を研究するかたわら2次的な学科として法律学を学んだにすぎない。1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえないという困惑状態におちいった。木材窃盗および土地所有の分割に関するライン州議会の議事、当時のライン州知事フォン・シャーパー氏がモーゼル地方の農民の状態について『ライン新聞』を相手にして起こした公の論争、最後に自由貿易と保護関税とに関する討論、以上が私に経済問題にたずさわる最初のきっかけをあたえた。他方では、「さらに前進しよう」という善良な意志が事実的知識よりもずっと重きをなしていたその当時には、フランスの社会主義および共産主義の淡【P6】く哲学めいて潤色された反響が『ライン新聞』においても聞かれるようになっていた。私はこの生半可にたいして反対を表明したが、しかし同時に、アウグスブルクの『アルゲマイネ・ツァイトゥング』との一論争で、私のそれまでの研究では、フランスの諸思潮の内容自体についてなんらかの判断をあえてくだすことはできないことを、率直に認めた。そこで私は、紙面の論調をやわらげることによって『ライン新聞』にくだされた死刑の宣告を取り消させうると信じていた同紙の経営者たちの幻想をむしろよろこんで利用して、公の舞台から書斎に退いたわけである。
私を悩ませた疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった。すなわち、法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解され得るものではなく、むしろ物質的な諸生活諸関係に根ざしているものであって、これらの諸生活関係の総体をヘーゲルは、18世紀のイギリス人およびフランス人の先例にならって「市民社会」という名の下に総括しているのであるが、しかしこの市民社会の解剖学は経済学の内に求められなければならない、ということであった。パリで始めた経済学の研究を私はブリュッセルでつづけた。ギゾー氏の追放命令の結果、同地へ私は移ったのであった。私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単に言えば次のように定式化することが出来る。@
人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえたち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動して来た既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化と共に、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる。このような諸変革の考察に当たっては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に確認できる変革と、それで人間がこの衝突を意識するようになり、これと闘って決着をつけるところの(岩波文庫版……決戦する場となる)法律的な、政治的な、宗教的な、芸術的または哲学的な諸形態、簡単に言えばイデオロギー諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人が何であるかをその個人が自分自身を何と考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断する事はできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係との間に現存する衝突から説明しなければならない。一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地を持ち、この生産諸力が全て発展し切るまでは(岩波文庫版……全ての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは)、決して没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されてしまうまでは、決して古いものに取って代わる事はない。それだから、人間は常に、自分が解決し得る課題だけを自分に提起する。なぜならば、もっと詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件が既に存在しているか、または少なくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、常に見られるであろうからだ。大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期として表示され得る。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をも作り出す。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる。
私は、フリードリッヒ・エンゲルスとは経済学的諸範疇の批判のための彼の天才的な概説が(『独仏年誌』に)現われて以来、たえず手紙で考えをとりかわしつづけてきたが、彼は別の道筋を経て(彼の『イギリスにおける労働者階級の状態』を参照)、私と同じ結果に達していた。そして1845年の春、彼もまたブリュッセルに腰をおちつけたときに、われわれは、ドイツ哲学のイデオロギー的見解に対する我々の見解の対立を共同して作りあげること、事実上は我々の以前の哲学的意識を清算することを決意した。この企てはヘーゲル以後の哲学の批判という形で実行された。部厚い8折版2冊の原稿がヴェ【P8】ストファーレンにある出版所にとどいてからかなりあとになって、われわれは、事情が変わったので出版できないという知らせを受け取った。われわれはすでに自分のために問題を解明するという主な目的を達していたので、それだけに快く原稿を鼠どもがかじって批判するままにさせた。当時われわれがあれこれの方面でわれわれの見解を世間に問うたばらばらの仕事のうちからは、私はエンゲルスと私が共同で仕上げた『共産党宣言』と、私が公表した『自由貿易論』とだけをあげるにとどめる。われわれの見解の決定的な諸点は、1847年に刊行されたプルードンに反対した私の著書『哲学の貧困』の中で、たんに論争の形ではあったが、はじめて科学的に示された。「賃労働」についてドイツ語で書かれた1論文は、私がこの題目についてブリュッセルのドイツ人労働者協会でおこなった講演をまとめたものであるが、2月革命と、その後起こった私のベルギーからの強制退去とによって、その印刷は中断されてしまった。
1848年と1849年の『新ライン新聞』の発行と、その後に起こった諸事件とは、私の経済学研究を中断させ、ようやく1850年になってロンドンで私はふたたび経済学研究にとりかかることができた。大英博物館に積み上げられている経済学の歴史にかんする膨大な資料、ブルジョア社会の観察にたいしてロンドンがあたえている好都合な位置、最後にカリフォルニアおよびオーストラリアの金の発見とともにブルジョア社会がはいりこむようにみえた新たな発展段階、これらのことが、全然はじめからやりなおして、新しい材料を批判的に研究しつくそうと私に決意させた。これらの研究は、一部は外見上まったく縁のないような諸学科にまでおのずからはいりこむこととなり、私はこれらの学科に多かれ少なかれ時間をつぶさなければなら【P9】なかった。しかし、とりわけ私の自由になる時間は、生活費を得るために働かねばならぬというのっぴきならない必要によって削られた。アメリカ第一流の英語新聞『ニューヨーク・トリビューン』への私の寄稿はすでに8年になるが、この寄稿は、本来の新聞通信には私は例外としてたずさわるだけなので、研究のはなはだしい分散を余儀なくさせた。とはいっても、イギリスおよび大陸における顕著な経済的諸事件に関する論説が私の寄稿の重要な部分をなしていたので、私は、経済学という本来の科学の領域外にある実際上の詳細事にも精通せざるをえなくなった。
経済学の分野における私の研究の道筋についての以上の略述は、ただ私の見解が、これを人がどのように論評しようとも、またそれが支配階級の利己的な偏見とどれほど一致しないとしても、良心的な、長年にわたる研究の成果であることを示そうとするものにすぎない。しかし科学の入口には、地獄の入口と同じように、次の要求がかかげられなければならない。
ここにいっさいの疑いを捨てなければならぬ。
いっさいの怯惰はここに死ぬがよい。<ダンテ『神曲』、地獄篇より>
ロンドン、1859年1月  カール・マルクス

2017年5月22日

『経済学批判』(全集版)の抄訳の1

経済学批判 全集版抄訳 ( <>内や@は、レポータのものです)

【P13】 第1篇 資本一般

第1章 商品

一見したところでは、ブルジョア的富は一つの巨大な商品の集まりとして現われ、個々の商品はこの富の元素的定在として現われる。ところがそれぞれの商品は、使用価値と交換価値という二重の観点のもとに自己をあらわしている。(*)

(*)アリストテレス政治学(……)「なぜならば、物のいずれにも二つの用<用途……岩波文庫版>があるからである……一方の用は物に固有のものだが、他方の用は固有ではない。たとえば靴には、一方では靴としてはくという用と、他方では交換品としての用とがある。両方とも靴の使用価値である。というのは、靴を自分の持たないもの、たとえば食物と交換する人でも、やはり靴を靴として用いるのだから。といっても、それは靴の固有の用い方ではない。なぜならば、靴は交換のために存在するにいたったものではないからである。他のものについても同じことが言える。」(……)

商品はまず、イギリスの経済学者の言い方で言うと、「生活にとって必要な、役にたち、または快適ななんらかの物」であり、人間の欲望の対象であり、もっとも広い意味での生活手段である。使用価値としての商品のこういう定在と、その商品の自然的な、手でつかめるような存在とは一致する。たとえば小麦は、綿花、ガラス、紙などの使用価値とは区別された一つの特殊な使用価値である。使用価値は使用のための価値をもつだけで、消費の過程でだけ自分を実現する。同じ使用価値はいろいろに利用されうる。けれども、そのおよそ可能な利用のしかたの全体は、一定の諸性質をもつ物としてのその定在のうちに総括されている。さらに使用価値は質的に規定されているだけではなく、量的にも規定されている。さまざまな使用価値は、それらの自然的な特性に応じて、たとえば小麦何シェッフル、紙何帖、リンネル何エレなどのように、さまざまな尺度をもっている。
富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、【P14】使用価値はつねに、このような形態にたいしてはさしあたり無関係な富の内容をなしている。小麦を味わっても、だれがそれをつくったのか、ロシアの農奴がつくったのか<年貢として>、フランスの分割地農民がつくったのか<自己需要品として>、それともイギリスの資本家がつくったのか<交換価値=商品として>は、わからない。使用価値は、たとえ社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的関連のなかにあるとはいえ、どのような社会的生産関係をも表現するものではない。使用価値としてのこの商品が、たとえば一個のダイヤモンドであるとしよう。ダイヤモンドを見ても、それが商品であることは識別できない。それが美的にあるいは機械的に、娼婦の胸であるいはガラス切り工の手中で、使用価値として役立っている場合には、それはダイヤモンドであって、商品ではない。使用価値であるということは、商品にとって必要な前提であると思われるが、商品であるということは、使用価値にとって無関係な規定であるように思われる。経済的形態規定にたいしてこのように無関係な場合の使用価値は、すなわち使用価値としての使用価値は、経済学の考察範囲外にある。(*)使用価値がこの範囲内にはいってくるのは、使用価値そのものが形態規定である場合だけである。直接には使用価値は、一定の経済的関係である交換価値があらわされる素材的土台である。

(*)これこそ、ドイツの書物の切り張り屋連が「財」という名称のもとに固定された使用価値をこのんで論じるのはなぜかという理由である。たとえばL・シュタイン『国家学体系』第1巻、「財」にかんする篇を見よ。「財」にかんする知識は「商品学指針」のうちに求めなければならない。

交換価値はさしあたり、使用価値が交互に交換されうる量的関係として現われる。このような関係では、諸使用価値は同一の交換量をなしている。こうしてプロペルティウス詩集1巻と嗅ぎたばこ8オンスとは、たばこと悲歌というまったく違った使用価値であるにもかかわらず、同一の交換価値であることもありうる。交換価値としては、一つの使用価値は、それが正しい割合で存在していさえすれば、他の使用価値とちょうど同じ値うちがある。一つの宮殿の交換価値は、一定数の靴墨の缶で表現することができる。ロンドンの靴墨製造業者たちは、その反対に彼らのたくさんの靴墨缶の交換価値をいくつかの宮殿で表現してきた。だから諸商品は、それらの自然的な存在のしかたとはまったく無関係に、またそれらが使用価値として満足させる欲望の独特の性質にもかかわりなく、一定の量においてはたがいに一致し、交換で互いに置き換わりあい、等価物として通用し、こうしてその雑多な外観にもかかわらず、同じひとつのものをあらわしている。
使用価値は直接には生活手段である。だが逆に、これらの【P15】生活手段そのものは、社会的生活の生産物であり、支出された人間生命力の結果であり、対象化された労働である。社会的労働の物質化したものとしては、すべての商品は、同じひとつのものの結晶である。この同じひとつのもの、すなわち交換価値であらわされる労働の一定の性格が、今度は考察されなければならない。
1オンスの金、1トンの鉄、1クォーターの小麦、20エレの絹が、等しい大きさの交換価値であるとしよう。これらの使用価値は、その質的区別を抹消したこのような等価物としては、同じ労働の等しい量をあらわしている。これらに一様に対象化されている労働は、それ自体、一様な、無差別な、単純な労働でなければならない。この労働にとっては、それが金、鉄、小麦、絹のうちどれに現われるかはどうでもよいことであって、それはちょうど酸素にとって、それが鉄の錆、大気、ブドウ汁または人間の血液のうちのどこに存在するかが、どうでもよいことであるのと同じである。しかし、金を掘ること、鉄を鉱山から採掘すること、小麦をつくること、絹を織ることは、互いに質的に異なった労働の種類である。じっさい、物的に使用価値の差別として現われるものが、過程においては使用価値をつくりだす活動の差別として現われるのである。だから交換価値を生みだす労働は、使用価値の特殊な素材にたいして無関係であるのと同様に、労働そのものの特殊な形態にたいしても無関係である。さらにまたさまざまな使用価値は、さまざまな個人の活動の生産物であり、したがって個人的に異なる労働の結果である。しかし交換価値としては、それらは同等な、無差別な労働を、すなわち労働する者の個性が抹消されている労働をあらわしている。だから交換価値を生みだす労働は、抽象的一般的労働である。
もし1オンスの金、1トンの鉄、1クォーターの小麦、20エレの絹が、等しい大きさの交換価値、つまり等価物であるとすれば、1オンスの金、2分の1トンの鉄、3ブッシェルの小麦、5エレの絹は、まったく違った大きさの交換価値である。しかもこの量的区別こそ、交換価値としてのそれらがおよそもちうる唯一の区別である。違った大きさの交換価値としては、それらは、あるものの多量または小量を、交換価値の実体を形成する単純な、一様な、抽象的一般的労働のより大きなまたはより小さな量をあらわしている。これらの量をどうして測るかが問題になる。あるいはむしろ、こういう労働そのものの量的定在はなんであるかが問題になる。なぜならば、交換価値としての諸商品の大きさの区別は、ただそれらのうちに対象化されている労働の大きさの区別にすぎないからである。運動の量的定在が時間であるように、労働の量的定在は労働時間であ【P16】る。労働の質をあたえられたものとして前提すると、労働そのものの継続時間の差異が労働のもちうる唯一の区別である。労働は労働時間としては、時間、日、週等々の自然的な時間尺度をその度量標準としている。労働時間は、労働の形態、内容、個性にたいして無関係な、労働の生きた定在である。それは、同時に内在的尺度をもそなえた量的定在としての労働の生きた定在である。諸商品の使用価値に対象化された労働時間は、これらの使用価値を交換価値とし、したがって商品とする実体であるとともに、諸商品の一定の価値の大きさを測る。同一の労働時間が対象化されているいろいろな使用価値の相関的な諸量は等価物である。言いかえれば、すべての使用価値は、それに同一の労働時間がついやされ、対象化されてふくまれている比率で存在すれば、等価物である。交換価値としては、すべての商品が、凝固した労働時間の特定の量にほかならない。 @  交換価値が労働時間によって規定されていることを理解するためには、次の主要な諸観点をしっかりつかまなければならない。すなわち、<a>単純な、いわば質をもたない労働への諸労働の還元、<b>交換価値を生みだす、したがって商品を生産する労働が社会的労働をなしている独特の様式、<c>最後に、使用価値に結果するかぎりでの労働と、交換価値に結果するかぎりでの労働との区別。
<a>諸商品の交換価値をそのうちにふくまれている労働時間で測るためには、さまざまな労働そのものが、無差別な、一様な、単純な労働に、要するに質的には同一で、したがって量的にだけ区別される労働に還元されなければならない。  この還元はひとつの抽象として現われるが、しかしそれは、社会的生産過程で日々行なわれている抽象である。すべての商品を労働時間に分解することは、すべての有機体を気体に分解すること以上の抽象ではないが、しかしまた同時にそれより現実性の乏しい抽象でもない。このように時間によって測られる労働は、実際にはいろいろな主体の労働としては現われないで、労働するさまざまな個人のほうが、むしろ労働そのもののたんなる諸器官として現われるのである。言いかえれば、交換価値であらわされる労働は、一般的人間的労働として表現されうるであろう。一般的人間的労働というこの抽象は、あるあたえられた社会のそれぞれの平均的な個人がなしうる平均労働、人間の筋肉、神経、脳等々のある一定の生産的支出のうちに実在している。それはすべての平均的個人が慣れればおこなうことのできる、そして彼らがなんらかの形態でおこなわざるをえない単純労働(*)なのである。この平均労働の性格は、国が違い文化段階が違うにしたがって異なるとはいえ、ある既存の社会ではあたえられたものとして現われる。単純労働は、【P17】あらゆる統計から確かめられるように、ブルジョア社会のすべての労働の圧倒的な大量をなしている。Aが6時間のあいだ鉄を、そして6時間のあいだリンネルを生産し、Bもまた同様に6時間のあいだ鉄を、そして6時間のあいだリンネルを生産しようとも、あるいはまたAが12時間のあいだ鉄を、Bが12時間のあいだリンネルを生産しようとも、それらは明らかに同一の労働時間のたんなる異なった利用として現われる。しかしより高い活動力を持ち、より大きな比重をもつ労働として平均水準をこえている複雑労働の場合はどうなのか? この種の労働は、複合された単純労働、数乗された単純労働に帰着するのであり、したがってたとえば1複雑労働日は3単純労働日に等しいのである。この還元を規制する諸法則は、まだここでの問題ではない。しかし、この還元がおこなわれていることは、明らかである。なぜならば、交換価値としては、最も複雑な労働の生産物も、一定の比率で単純な平均労働の生産物にたいする等価物であり、したがってこの単純労働の一定量に等置されているからである。

(*)イギリスの経済学者たちは、これを「不熟練労働」とよんでいる。

交換価値が労働時間によって規定されるということは、さらに一定の商品、たとえば1トンの鉄のなかには、それがAの労働であるかまたはBの労働であるかにかかわりなく、等しい量の労働が対象化されているということ、言いかえれば、同一の、質と量とが特定された使用価値を生産するために、相異なる個人が等しい大きさの労働時間を用いるということを前提している。言いかえれば、ある商品にふくまれている労働時間とは、それの生産に必要な労働時間、すなわちあたえられた一般的生産諸条件のもとで、同じ商品を新たにもう1個生産するために必要な労働時間である、ということが前提されている。
<b>交換価値を生みだす労働の諸条件は、交換価値の分析から明らかなように、労働の社会的諸規定または社会的労働の諸規定であるが、社会的といっても一般に社会的だというのではなく、特殊なあり方での社会的である。<①>まず第一に、労働の無差別な単純性とは、さまざまな個人の労働の同等性であり、彼らの労働が同等のものとして、しかもすべての労働が同質な労働に事実上還元されることによって相互に関係しあうことである。各個人の労働は、交換価値であらわされるかぎり、同等性というこの社会的性格をもち、それが同等な労働として他のすべての個人の労働と関係させられているかぎりでだけ、この労働は交換価値であらわされる。
<②>さらにまた交換価値のうちには、個々の個人の労働時間【P18】が直接に一般的労働時間として現われ、個別化された労働のこの一般的性格がその労働の社会的性格として現われる。交換価値であらわされる労働時間は、個々人の労働時間であるが、他の個々人とは区別されない個々人の、同等な労働をおこなっているかぎりでのすべての個々人の労働時間であり、したがってある一人が一定の商品の生産のために必要とする労働時間は、ほかのだれもが同じ商品の生産のためについやすであろう必要労働時間である。それは個々人の労働時間であり、彼の労働時間であるが、しかしそれはすべての個々人に共通な労働時間としてだけそうなのであって、したがってこの労働時間にとっては、それがどの個々人の労働時間であるかはどうでもよいのである。それは一般的労働時間として、ある一般的生産物、ある一般的等価物、対象化された労働時間の一定量であらわされるが、この一般的生産物は、ある個人の生産物として直接に現われる使用価値の特定の形態にはかかわりなく、他の各人の生産物としてあらわされる他のどんな使用価値形態にでも任意に置き換えられうるものである。それはただ、このような一般的な大きさとしてだけ社会的な大きさである。個々人の労働が交換価値に結果するためには、ひとつの一般的等価物に、すなわち個々人の労働時間の一般的労働時間としての表示に、または一般的労働時間の個々人の労働時間としての表示に結果しなければならない。それはちょうど、さまざまな個人が彼らの労働時間をよせあつめ、彼らが共同で自由にできる労働時間のさまざまな量をさまざまな使用価値であらわしたようなものである。こういうわけで、個々人の労働時間は事実上、一定の使用価値の生産のために、すなわち一定の欲望の充足のために、社会が必要とする労働時間なのである。@ <③>しかしここで問題なのは、労働が社会的性格を受け取る場合の特殊な形態だけである。紡績工の一定の労働時間が、たとえば100ポンドの亜麻糸に対象化されるとしよう。織布工の生産物である100エレのリンネルもまた、等しい量の生産物をあらわすものとしよう。これら二つの生産物が一般的労働時間の等しい大きさの量をあらわしており、したがって等量の労働時間をふくんでいるどの使用価値にたいしても等価物であるかぎりでは、それらは互いに等価物である。<生産物の全面的な交換を前提するかぎり>紡績工の労働時間と織布工の労働時間とが一般的労働時間として、したがって彼らの生産物が<一般的労働時間の対象化であるところの>一般的等価物としてあらわされることによってだけ、いまの場合は、織布工の労働は紡績工のための、紡績工の労働は織布工のための、一方の労働は他方のための労働となり、つまり彼らの労働が両者のための社会的定在となる。これに反して、紡ぎ手も織り手も同じ屋根の下に住んでいて、いわば自家需要のために、家族の【P19】うちの女たちは紡ぎ、男たちは織っていた家父長制的農村工業においては、家族の限界内で糸とリンネルとは社会的生産物であり、紡績労働と織布労働とは<その相異なる具体的な姿そのままで>社会的労働であった。けれどもそれらの社会的性格は、一般的等価物としての糸が一般的等価物としてのリンネルと交換されること、つまり両者が同じ一般的労働時間のどちらでもよい、同じ意味の表現として互いに交換されることにあったのではない。むしろ原生的な分業をもつ家族関連が、労働の生産物に<社会的なすなわち共同の生産物という>その固有な社会的極印を押したのである。あるいはまた、中世の賦役と現物給付をとってみよう。ここでは現物形態にある個々人の一定の労働が、労働の一般性ではなくて特殊性が、社会的紐帯をなしている。あるいはまた最後に、すべての文化民族の歴史の入り口で見られるような、原生的形態にある共同労働をとってみよう(*)。ここでは労働の社会的性格は、明らかに個々人の労働が一般性という抽象的形態をとることによって、つまり彼の生産物がひとつの一般的等価物の形態をとることによって媒介されているのではない。個々人の労働が私的労働となることを妨げ、彼の生産物が私的生産物となることを妨げ、むしろ個々の労働を直接に社会有機体の一肢体の機能として現わさせるものは、生産の前提となっている共同体である。交換価値で現わされる労働は、個別化された個々人の労働に前提をもっている。それが社会的となるのは、それがその正反対の形態、抽象的一般性の形態をとることによってである。

(*)原生的な共有の形態は、とくにスラブ的な、しかももっぱらロシア的な形態だというのは、近ごろひろまっている笑うべき偏見である。それは、われわれがローマ人、ゲルマン人、ケルト人のあいだで指摘することのできる原初形態であるが、これについては、さまざまな見本をそなえたりっぱな見本帳が、いまでもなお、一部分は廃墟としてであるとはいえ、インド人のあいだに見られる。アジア的な、ことにインド的な諸共有形態のいっそう詳しい研究は、原生的共有の種々の形態からどのようにしてその崩壊の種々の形態が出てくるかを示すであろう。こうして、たとえばローマ的およびゲルマン的私有の種々の原型が、インド的共有の種々の形態からみちびきだされるのである。

<4>最後に、交換価値を生みだす労働を特徴づけるものは、人と人との社会的関係が、いわば逆さまに、つまり物と物との社会的関係としてあらわされることである。一つの使用価値が交換価値として他の使用価値に関係するかぎりでだけ、いろいろな人間の労働は同等な一般的な労働として互いに関係させられる。したがって交換価値とは人と人とのあいだの関係である(*)、というのが正しいとしても、物の外被の下に隠された関係ということをつけくわえなければ【P20】ならない。1ポンドの鉄と1ポンドの金とが、その物理的、化学的性質が違っているにもかかわらず、同一の量の重さをあらわしているように、同一の労働時間をふくんでいる二つの商品の使用価値は、同一の交換価値をあらわしている。こうして交換価値は、使用価値の社会的な自然規定性として、物としての使用価値に属する一つの規定性として現われる。そしてその結果として、諸使用価値は、交換過程において一定の量的関係で互いに置き換えられ、等価物を形成するが、それはちょうど、単純な化学元素が一定の量的関係で化合して、化学当量を形成するのと同じことである。社会的生産関係が対象の形をとり、そのために労働における人と人との関係がむしろ物相互の関係および物の人にたいする関係としてあらわされること、このことをあたりまえのこと、自明のことのように思わせるのは、ただ日常生活の習慣にほかならない。商品では、この神秘化はまだきわめて単純である。交換価値としての諸商品の関係は、むしろ人々の彼らの相互の生産的活動にたいする関係であるという考えが、多かれ少なかれ、すべての人の頭にある。もっと高度の生産諸関係では、単純性というこの外観は消えうせてしまう。重金主義のすべての錯覚は、貨幣(*)は一つの社会的生産関係を、しかも一定の性質をもつ自然物という形態であらわすということを貨幣から察知しなかった点に由来する。重金主義の錯覚を見下して嘲り笑う現代の経済学者にあっても、彼らがもっと高度の経済学的諸範疇、たとえば資本を取り扱うことになると、たちまち同じ錯覚が暴露される。彼らが不器用に物としてやっとつかまえたと思ったものが、たちまち社会関係として現われ、そして彼らがようやく社会関係として固定してしまったものが、今度は物として彼らを愚弄する場合に、彼らの素朴な驚嘆の告白のうちに、この錯覚が突然現われるのである。

(*)「富は二人の人のあいだの関係である」ガリアーニ……

<c>諸商品の交換価値は、じつは同等で一般的な労働としての個々人の労働相互の関係にほかならず、労働の独特な社会的形態の対象的表現にほかならないのであるから、労働は交換価値の、したがってまた富が交換価値から成りたつかぎりでは富の唯一の源泉である、と言うのは同義反復である。自然素材そのものは労働をふくまないから交換価値をふくまず(*)、また交換価値そのものは自然素材をふくんでいないということも、同じ同義反復である。しかしウィリ【P21】アム・ペティが「労働は富の父であり、大地はその母である」と言い、あるいはバークリ主教が「4元素とそのなかにふくまれる人間の労働が富の真の源泉ではないか?(**)」と問うたとき、あるいはまたアメリカ人Th・クーパーが「試みに一塊のパンからそれについやされた労働を、パン屋、粉挽き屋、小作農等々の労働をとりさってみなさい、あとにいったいなにが残るか? ひとつかみの、野生の、どんな人間にとっても使いものにならない雑草だけだ(***)とわかりやすく説明したとき、これらすべての見方で問題とされているのは、交換価値の源泉である抽象的労働ではなく、素材的富の一源泉としての具体的労働、つまり使用価値をつくりだすかぎりでの労働である。商品の使用価値が前提されているのだから、商品についやされた労働の特殊な有用性、一定の合目的性が前提されているわけであるが、商品の立場からすれば、これでもって同時に有用労働としての労働にたいするすべての関心は尽きている。使用価値としてのパンにわれわれの関心を起こさせるのは、食料品としてのそれの諸性質であって、小作農、粉挽き屋、パン屋等々の労働ではない。もしなんらかの発明によってこれらの労働の20分の19がはぶかれたとしても、一塊のパンはそれまでと同じ役を果たすであろう。もしもパンができあがったものとして天から降ってきたところで、その使用価値の一片をも失わないであろう。交換価値を生みだす労働は、一般的等価物としての諸商品の同等性のうちに実現されるのにたいして、合目的的な生産的活動としての労働は、諸商品の使用価値の無限の多様性のうちに実現される。交換価値を生みだす労働は抽象的な、一般的な、同等の労働であるのにたいして、使用価値を生みだす労働は、形態と素材に応じて際限なくさまざまな労働様式に分かれる具体的な労働である。

(*)「その自然状態においては、物質はつねに価値をもたない」マカロック……。マカロックのような者さえ、「物質」やその他半ダースものがらくたを価値の要素だと宣言するドイツの「思想家ども」の物神崇拝よりもどれほどすぐれているかがわかる。たとえばL・シュタイン、前掲書……参照。
(**)バークリー『質問者』……
(***)Th・クーパー『経済学綱要講義』……

使用価値をつくりだすかぎりでの労働については、労働がそれによってつくりだされた富、すなわち素材的な富の唯【P22】一の源泉であると言うのは誤りである。この労働は素材的なものをあれやこれやの目的に充用する活動であるから、それは前提として素材を必要とする。いろいろな使用価値では、労働と自然素材との割合は非常に異なっているが、しかし使用価値はいつも自然的基礎をふくんでいる。自然なものをなんらかの形態で取得するための合目的的活動としては、労働は人間存在の自然条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝の、すべての社会的形態から独立した一条件である。これに反して、交換価値を生みだす労働は、労働の独特な社会的一形態である。たとえば裁縫労働は、特殊な生産活動としてのその素材的規定性では上着を生産するが、しかし上着の交換価値は生産しない。裁縫労働が上着の交換価値を生産するのは、裁縫労働としてではなくて、抽象的一般的労働としてであり、そしてこの抽象的一般的労働は、裁縫師が縫いあげたのではない一つの社会的関連に属する。だから古代の家内工業では、女子は上着の交換価値を生産することなく、上着を生産した。素材的富の一源泉としての労働は、税関吏アダム・スミスにわかっていたのと同じように、立法者モーセにもわかっていたのである(*)。

(*)F・リストは有用物、つまり使用価値を創造するのを助けるかぎりでの労働と、富の特定の社会的形態、つまり交換価値を創造する労働とのあいだの区別をついに理解することができなかった。それというのは、総じて理解するということは、彼の打算的で実際的な頭にとっては縁の遠いことだったからである。それだから彼は、イギリスの現代の経済学者たちをエジプトのモーセのたんなる剽窃者としか見なかったのである。

さて次にわれわれは、交換価値を労働時間に帰着させることから生じる二、三のもっと詳細な規定を考察しよう。  使用価値としては、商品は原因として作用する。たとえば小麦は食料として作用する。機械は一定の事情の下で労働にとって代わる。商品のこの作用、それによってだけ商品は使用価値であり、消費の対象であるのだが、この作用は、商品の役だち、商品が使用価値としておこなう役だちとよんでよかろう。ところが交換価値としては、商品はいつでも結果の観点からだけ考察される。問題になるのは、商品がおこなう役立ちではなくて、商品の生産にあたって商品そのものにたいしてなされた役だちである(*)それだから、たとえばある機械の交換価値は、その機械によって置き換えられる労働時間の量によって規定されるのではなくて、その機械自体に支出されている、したがって同じ種類の新しい機械を生産するのに必要な労働時間の量によって規定されるのである。

【P23】(*)「役だち」という範疇が、J・B・セーやF・バスティアのようなたぐいの経済学者たちにたいして、どんな「役だち」をなさざるをえないかが合点がゆく。すでにマルサスが正しく指摘したように、彼らの小理屈ふうの小ざかしさは、いたるところで経済的諸関係の独特な形態規定性を捨象するのである。

だから、もしも諸商品の生産に必要な労働量が不変のままならば、それらの交換価値は変わらないであろう。しかし生産の難易はたえず変化する。労働の生産力が増大すれば、労働は同じ使用価値をもっと短い時間で生産する。労働の生産力が低下すれば、同じ使用価値の生産にもっと多くの時間が必要となる。だから、一商品にふくまれている労働時間の大きさ、したがってその交換価値は、一つの変化する大きさであり、労働の生産力の向上と低下に反比例して増減する。労働の生産力は製造工業では事前にきめられている程度で用いられるが、農業と採取産業では、同時に、意のままにならない自然事情によっても制約されている。同じ労働でも、いろいろな金属の地殻内における賦存量が相対的に希少であるか豊富であるかにしたがって、これらの金属の産出量を多くしたり、少なくしたりするであろう。同じ労働でも、豊作の年には2ブッシェルの小麦に対象化され、凶作の年にはおそらくわずか1ブッシェルの小麦に対象化されるであろう。こういう場合には、自然事情としての希少または豊富が、特殊な現実の労働の、自然事情に結びつけられている生産力を規定するから、それが商品の交換価値を規定するように見えるのである。
いろいろな使用価値は、等しくない容積の中に同じ労働時間、すなわち同じ交換価値をふくんでいる。ある商品が一定量の労働時間を、その使用価値の、他の使用価値とくらべて小さい容積のなかにふくんでいればいるほど、その商品の交換価値比重は大きい。はるかに時を隔てたいろいろな文化段階において、ある種の諸使用価値がそのあいだで交換価値比重の順列を形成し、それらの交換価値がたとえば金、銀、銅、鉄、または小麦、ライ麦、大麦、燕麦のように、正確に同じ数的関係でないにしても、相互のあいだで上位下位の一般的関係をたもっていることがわかったとしても、そこから結論されるのは、社会的生産諸力の前進的発展は、これらのいろいろな商品の生産に必要な労働時間にたいして、一様にまたはほぼ一様に作用しているということだけである。
一商品の交換価値は、その商品自身の使用価値にはあらわれない。けれども一般的社会的労働時間の対象化として、一商品の使用価値は、他の諸商品の使用価値と関係づけられる。こうしてある一商品の交換価値は、他の諸商品の使【P24】用価値で自己をあらわす。等価物とは、じつは他の一商品の使用価値で表現された一商品の交換価値である。たとえば1エレのリンネルは2ポンドのコーヒーに値すると言えば、リンネルの交換価値はコーヒーの使用価値で、しかもこの使用価値の一定量で表現される。この比率があたえられていれば、どんな量のリンネルの価値もコーヒーで表現できる。一商品、たとえばリンネルの交換価値は、他の特殊な一商品、たとえばコーヒーがその等価物をなす場合の比率ですべて表現つくされているわけではない。1エレのリンネルであらわされている一般的労働時間の量は、同時に他のすべての商品の使用価値の限りなく様々な容積のうちに実現されている。他のそれぞれの商品の使用価値は、それが同じ大きさの労働時間をあらわす比率で、1エレのリンネルにたいする等価物をなす。だから、この個別的商品の交換価値は、他のすべての商品の使用価値がその商品の等価物をなす限りなく多数の等式で、はじめてあますところなく表現される。これらの等式の総和でだけ、言いかえれば、一商品が他のそれぞれの商品と交換されうるいろいろな比率の総体でだけ、この商品は一般的等価物としてあますところなく表現される。たとえば一系列の等式
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー
1エレのリンネル=8ポンドのパン
1エレのリンネル=6エレのキャラコ
は、次のように表示できる。
1エレのリンネル=1/8ポンドの茶+1/2ポンドのコーヒー+2ポンドのパン+1・1/2エレのキャラコ
それだから、もしわれわれが1エレのリンネルの価値があますところなく表現されている諸等式の総和全体を知っているならば、われわれはリンネルの交換価値を一つの系列であらわすことができよう。実際にはこの系列は、商品の範囲がけっして最終的に完結しているわけではなく、たえずひろげられるのであるから、無限である。だがこうして一商品はその交換価値を他のすべての商品の使用価値ではかると同時に、逆に他のすべての商品の交換価値は、それらによって測られているこの一商品の使用価値で測られる(*)。1エレのリンネルの交換価値が、2分の1ポンドの茶、または2ポンドのコーヒー、または6エレのキャラコ、または8ポンドのパン等々で表現されるとすれば、その結果として、コーヒー、茶、キャラコ、パン等々は、それらが第三者であるリンネルに等しい割合で互いに等しく、したがってリンネルは、それらの交換価値の共通の尺度として役だつ、ということになる。対象化された一般的労働時間、すなわち一般的労働時間の一定量として各商品は、その交【P25】換価値を順ぐりに他のすべての商品の使用価値の一定量で表現し、そして他のすべての商品の交換価値は、逆にこの排他的な商品の使用価値で測られる。だが交換価値としては、それぞれの商品は、他のすべての商品の交換価値の共通の尺度として役だつ排他的な商品であるとともに、他方では、他のそれぞれの商品が多くの商品の全範囲でその交換価値を直接にあらわす場合の、その多くの商品のうちの一つにすぎない

(*)「尺度が、測られるものがあるしかたで測るものの尺度になるという関係を、測られるものにたいしてもつということも、尺度の一つの特質である。」モンタナーリ……。

一商品の価値の大きさは、その商品以外に他の種類の商品が少ししか存在しないか、それともたくさん存在するか、ということによっては影響されない。だが、この商品の交換価値が実現される諸等式の系列が長いか短いかは、他の諸商品の多様性の多少しだいである。たとえばコーヒーの価値があらわされる諸等式の系列は、コーヒーの交換されうる範囲、コーヒーが交換価値として機能する限界を表現する。一般的社会的労働時間の対象化としての一商品の交換価値には、無限に違った諸使用価値によるその等価の表現が対応している。
すでに見たように、一商品の交換価値は、直接にその商品そのものにふくまれている労働時間の量とともに変動する。同様に、一商品の実現された交換価値、すなわち他の諸商品の使用価値で表現された交換価値は、他のすべての商品の生産に用いられる労働時間の変動する割合によっても左右されざるを得ない。たとえば、1シェッフルの小麦の生産に必要な労働時間が同じままであるにしても、他のすべての商品の生産に必要な労働時間が2倍になったとすれば、小麦の等価物で表現された1シェッフルの小麦の交換価値は半減するであろう。この結果は、1シェッフルの小麦の生産に必要な労働時間が半減し、他のすべての商品の生産に必要な労働時間が変わらないままであるのと、実際上は同じことであろう。諸商品の価値は、それらが同じ労働時間で生産されうる比率によって規定される。この比率がうけることのありうる変動を見るために、われわれは二つの商品AとBとを考えてみよう。第一は、Bの生産に必要な労働時間は変わらないままの場合。この場合には、Bで表現されたAの交換価値は、Aの生産に必要な労働時間の増減に正比例して増減する。第二は、Aの生産に必要な労働時間が変わらないままの場合。Bで表現されたAの交換価値は、Bの生産に必要な労働時間の増減に反比例して増減する。第三は、AとBとの生産に必要な労働時【P26】間が等しい比率で増減する場合。この場合には、BによるAの等価の表現は、変わらぬままである。もしもなんらかの事情ですべての労働の生産力が同じ程度で減少し、その結果、すべての商品が等しい比率でその生産にもっと多くの労働時間を必要とするようになったとすれば、すべての商品の価値は増加するであろうが、それらの交換価値の現実の表現は変わらぬままであろうし、社会の現実の富は減少してしまったことになろう。なぜなら、この社会は、同一量の使用価値をつくりだすために、より多くの労働時間を必要とするだろうからである。第四は、AとBとの生産に必要な労働時間は、どちらも増加または減少するが、しかしその程度が等しくない場合、またはA[の生産]に必要な労働時間は増加するのに、Bに必要なそれが減少する場合、あるいはこの反対の場合。これらすべての場合は、簡単に、一商品の生産に必要な労働時間は変わらないままであるのに、他の諸商品の生産に必要な労働時間が増減する場合に還元することができる。
どの商品の交換価値も、他のどの商品の使用価値ででも、その使用価値を整数倍したもの{その全体……猪俣訳}によってであろうと、その一部分によってであろうと、表現される。交換価値としては、どの商品も、それに対象化されている労働時間そのものと同様に分割可能である。諸商品の等価性が使用価値としてのそれらの物理的分割可能性と無関係なのは、諸商品の交換価値の和が、それらの諸商品が一つの新しい商品につくりかえられるさいにそれらの使用価値がどんな現実的な形態転換を経ようとも、これにたいして無関係なのと、まったく同様である。
いままで商品は、二重の観点で、使用価値として、また交換価値として、いつでも一面的に考察された。けれども商品は、商品としては直接に使用価値と交換価値との統一である。同時にそれは、他の諸商品にたいする関係でだけ商品である。諸商品相互の現実的関連は、それらの交換過程である。それは互いに独立した人間がはいりこむ社会的過程であるが、しかし彼らは、商品所有者としてだけこれにはいりこむ。彼らのお互いどうしのための相互的定在は、彼らの諸商品の定在であり、こうして彼らは、実際上は交換過程の意識的な担い手としてだけあらわれるのである。
商品は、使用価値、小麦、リンネル、ダイヤモンド、機械等々であるが、しかし商品としては、同時にまた使用価値でない。もしそれがその所有者にとって使用価値であるならば、すなわち直接に彼自身の欲望を満足させるための手段であるならば、それは商品ではないであろう。彼にとっては、それはむしろ非使用価値であり、すなわち、交換価値のたんなる素材的な担い手、またはたんなる交換手段【P27】である。交換価値の能動的な担い手として、使用価値は交換手段となる。その所有者にとっては、商品は交換価値としてだけ使用価値なのである(*)。だから、使用価値としては、それはこれから生成しなければならないのである。しかもまずもって他の人々にとっての使用価値としてである。商品はそれ自身の所有者にとっての使用価値ではないのであるから、他の商品の所有者の使用価値である。そうでないとすれば、彼の労働は無用な労働であったし、したがってその成果は商品ではなかったわけである。他方では、商品は所有者自身にとっての使用価値にならなければならない。なぜならば、彼の生活手段は、この商品の外に、他人の諸商品の使用価値として存在しているからである。使用価値として生成するためには、商品は自分が充足の対象であるような特種の欲望と出会わなければならない。だから諸商品の使用価値は、商品が全面的に位置を転換し、それが交換手段である人の手から、それを使用対象とする人の手に移ることによって、使用価値として生成するのである。諸商品のこのような全面的外化{譲渡……猪俣、脱却……岩波}によってはじめて、それにふくまれている労働は有用労働となる。使用価値としての諸商品相互のこのような過程的関係においては、諸商品はなんら新しい経済的形態規定性をうけない。それどころか、商品を商品として特徴づけた形態規定性が消え去る。たとえばパンは、パン屋の手から消費者の手に移っても、パンとしてのその定在を変えない。反対に、それがパン屋の手中では一つの経済的関係の担い手であり、一つの感覚的でしかも超感覚的なものであったのに、消費者がはじめて、使用価値としての、こうした一定の食料品としてのパンに関係するのである。だから、諸商品が使用価値としてその生成中にはいりこむ唯一の形態転換は、それがその所有者にとって非使用価値、その非所有者にとって使用価値であった、その形態的定在の揚棄{止揚……猪俣}である。諸商品の使用価値としての生成は、その全面的外化、その交換過程へはいることを予想しているが、しかし交換のための商品の定在は、交換価値としてのその定在である。したがって、使用価値として自己を実現するには、商品は交換価値として自己を実現しなければならない。

(*)アリストテレス(本章の冒頭に引用した個所を参照)が交換価値を把握したのは、この規定性においてであった。

【P28】個々の商品は、使用価値の観点のもとでは、本来独立したものとしてあらわれたが、これに反して交換価値としては、はじめから他のすべての商品との関係で考察された。けれどもこの関係は、ただ理論的な、思考上の一関係にすぎなかった。この関係が実際に証明されるのは、ただ交換過程においてだけである。他方では、たしかに商品は、一定量の労働時間がそれについやされており、したがってそれが対象化された労働時間であるかぎり、交換価値である。しかしそれは、直接そのままでは、特殊な内容の対象化された個人的労働時間であるにすぎず、一般的労働時間ではない。だからそれは、直接そのままでは交換価値ではなく、これからそれにならなければならない。まず商品は、一定の有用なしかたで用いられた、したがってある使用価値にふくまれた労働時間をあらわすかぎりでだけ、一般的労働時間の対象化でありうる。商品にふくまれた労働時間が、一般的社会的労働時間として前提されたのは、こういう素材的条件のもとだけであった。だから商品は、交換価値として実現されることによってはじめて使用価値として生成しうるのだが、他方ではその外化{譲渡}において使用価値としての実を示すことによってはじめて交換価値として実現されうるのである。一商品は、それがその人にとって使用価値、すなわち特殊の欲望の対象であるような人にだけ使用価値として譲渡されうる。他方では、一商品は他の一商品と引き換えにだけ譲渡される。あるいは他の商品の所有者の立場に立てば、彼もまた、自分の商品をそれが対象となっている特殊な欲望と接触させることによってだけ、それを譲渡、すなわち実現することができる。だから使用価値としての諸商品の全面的外化{譲渡}においては、諸商品は、その特有の諸性質によって特殊の欲望を充足する特殊な物としてのその素材的相違において、互いに関係づけられる。しかしこのようなたんなる使用価値としては、諸商品は相互にとってどうでもよい存在であり、むしろ無関係である。それらは、特殊の欲望との関係でだけ交換されうるにすぎない。だがそれらが交換されうるのは、ただ等価物としてだけであり、しかもそれらが等価物であるのは、ただ対象化された労働時間の等しい量としてだけであるから、使用価値としての商品の自然的諸性質への顧慮は、いっさい消え去っている。一商品が交換価値であることを実際に示すのは、むしろそれが、他の商品の所有者にとって使用価値であるかどうかにかかわりなく、等価物として他のどんな商品の一定量とでも任意に置き換わることによ【P29】ってである。しかしその商品は、他の商品の所有者にとっては、それが彼にとって使用価値であるかぎりでだけ商品となり、そしてその商品自体の所有者にとっては、それが他人にとって商品であるかぎりでだけ交換価値となる。だから同じ関係が、本質的に等しく、ただ量的にだけ違う大きさとしての諸商品の関係でなければならず、一般的労働時間の物質化した物としての諸商品の等置でなければならず、それと同時にまた、質的に違う物としての、特殊な欲望にたいする特殊な使用価値としての諸商品の関係、つまり諸商品を現実の諸使用価値として[互いに]区別する関係でなければならない。しかしこの等置と非等置とは互いに排斥しあう。こうして一方の解決が他方の解決を前提することによって、たんに問題の悪循環が現われるだけでなく、一つの条件の充足がその反対の条件の充足と直接に結びついていることによって、相矛盾する要求の一全体が現われる。
諸商品の交換過程は、これらの矛盾の展開であるとともに、解決でもなければならないが、しかしこれらの諸矛盾は、交換過程のなかではこういう単純な様式ではあらわされえない。われわれが見てきたのは、諸商品そのものが使用価値として相互にどのように関係しあうのか、すなわち諸商品は使用価値として交換過程の内部でどのようにして姿をあらわすのか、ということだけである。これにたいして交換価値は、いままで考察してきたところでは、たんにわれわれの抽象のなかに、いうなれば、使用価値としての商品は倉庫に、交換価値としての商品は意識のうちにしまっておく個々の商品所有者の抽象のなかに存在していたにすぎない。しかし諸商品そのものは、交換過程の内部では、相互にとって使用価値としてだけではなく、交換価値としても存在しなければならず、しかも諸商品のこういう定在は、それら自身の相互の関係として現われなければならない。われわれがまずはじめにつきあたった困難は、商品は自分を交換価値として、対象化された労働としてあらわすためには、あらかじめ使用価値として外化{譲渡}され、人手に渡っていなければならないのに、使用価値としてのその外化{譲渡}は、逆に交換価値としてのその定在を前提する、ということであった。とはいえ、この困難が解決されたものと仮定しよう。商品は、その特殊な使用価値をぬぎすて、その使用価値の外化{譲渡}によって、個々人の自分のための特殊な労働ではなく、社会的に有用な労働であるという素材的条件をみたしたものとしよう。その場合には、その商品は、交換過程で他の諸商品にたいして、交換価値、一般的等価物、対象化された一般的労働時間として生成し、こうしてもはやある特殊な一使用価値の限られた作用ではなく、その商【P30】品の等価物としてのすべての使用価値で自分をあらわす能力を得なければならない。ところで、どの商品も、このようにその特殊な使用価値の外化{譲渡}によって、一般的労働時間の直接的な物質化したものとして現われなければならない当の商品である。だが他方では、交換過程で対立するのは、特殊な諸商品だけであり、特殊な使用価値に体化された私的な諸個人の労働だけである。一般的労働時間そのものは一つの抽象であって、それはそういうものとしては諸商品にとって実在しないのである。
一商品の交換価値が現実に表現されている諸等式の総和、たとえば
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶
1エレのリンネル=8ポンドのパン、等々
を考察してみると、これらの等式は、たしかに等しい大きさの一般的社会的労働時間が、1エレのリンネル、2ポンドのコーヒー、2分の1ポンドの茶等々に対象化されていることを意味するにすぎない。しかし実際には、これらの特殊な使用価値であらわされている個人的労働が一般的な、そしてこの形態で社会的な労働になるのは、もっぱらこれらの使用価値が、それらのなかにふくまれている労働の継続時間に比例して、現実に互いに交換されることによってである。社会的労働時間は、これらの商品のなかにいわばただ潜在的に実在しているのであって、それらの商品の交換過程ではじめてその姿を現わすのである。出発点となるのは、共同労働としての個人の労働ではなくて、逆に私的個人の特殊な労働、交換過程ではじめてそれらの本来の性格を揚棄{止揚}することによって、一般的社会的労働という実を示す労働である。だから、一般的社会的労働とは、できあがった前提ではなくて、生成する結果なのである。こうしてまた、新たな困難が生じる。つまり、一方では商品は、対象化された一般的労働時間として交換過程にはいってゆかなければならないのに、他方では諸個人の労働時間の一般的労働時間としての対象化そのものは、交換過程の所産にほかならぬという困難である。
どの商品もその使用価値の、したがってその本来の存在の外化{譲渡}によってそれの交換価値としての対応する存在を受け取るべき筋合いである。だから商品は交換過程ではその存在を二重にしなければならない。他方では、交換価値としてのその第二の存在は、それ自体、他の一商品であるよりほかない。なぜなら、交換過程では諸商品だけが対立しあうからである。どういうふうにある特殊な商品が対象化【P31】された一般的労働時間として直接にあらわされるのか、あるいはまた同じことだが、ある特殊な商品に対象化されている個人的労働にどういうふうに直接に一般性という性格をあたえるのか? 一商品の交換価値の、すなわち一般的等価物としてのそれぞれの商品の交換価値の現実的表現は、つぎのような諸等式の無限の総和であらわされる。
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶
1エレのリンネル=8ポンドのパン
1エレのリンネル=6エレのキャラコ
1エレのリンネル=等々
商品が一定量の対象化された一般的労働時間としてただ考えられていたにすぎないあいだは、この表現は理論的であった。一般的等価物としての特殊な一商品の定在は、以上の諸等式の系列を単純に逆転することによって、たんなる抽象から交換過程そのものの社会的な結果となる。そこで、たとえば
2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル
1/2ポンドの茶=1エレのリンネル
8ポンドのパン=1エレのリンネル
6エレのキャラコ=1エレのリンネル
コーヒー、茶、パン、キャラコ、つまりすべての商品が、それら自体にふくまれている労働時間をリンネルで表現することによって、リンネルの交換価値は逆にリンネルの等価物としての他の諸商品のうちに自らを展開し、リンネルそのものに対象化されている労働時間は、他のすべての商品の様々な量で一様にあらわされる一般的労働時間に直接になる。リンネルはこの場合、他のすべての商品のリンネルへの全面的な働きかけによって一般的等価物となるのである。交換価値としては、どの商品も他のすべての商品の価値の尺度となっていた。ここでは逆に、すべての商品がその交換価値を特殊な一商品で測ることによって、この排除された商品が交換価値の十全な定在、一般的等価物としてのその定在となるのである。これにたいして、それぞれの商品の交換価値があらわされていた無限の一系列、つまり無限に多数の等式は、わずか二項からなるただ一つの等式に縮小する。2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル が、いまではコーヒーの交換価値の遺漏のない表現である。なぜならこの表現ではリンネルは、他のどの商品の一定量にたいしても直接に等価物として現われるからである。だが交換過程の内部では、いまでは諸商品はリンネルの形態をとった交換価値として互いに存在しあい、あるいは現われあうのである。すべての商品が交換価値としてはただ対象化された一般的労働時間の異なった量【P32】としてだけ互いに関係しあっているということは、いまやそれらの商品は交換価値としては、リンネルという同じ対象の異なった量だけをあらわすということとなって現われる。だから一般的労働時間のほうも、一つの特殊な物として、他のすべての商品とならんで、しかもそれらの外にある一商品としてあらわされる。しかし同時に、商品が商品にたいして交換価値としてあらわされる等式、たとえば2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル は、なおこれから実現されなければならない等置関係である。使用価値としての商品の譲渡は、商品が一つの欲望の対象であることを交換過程で実証するかいなかにかかっているのであるが、この譲渡によってはじめて商品は、コーヒーというその定在からリンネルというその定在に現実に転化し、こうして一般的等価物の形態をとり、現実に他のすべての商品にとっての交換価値となる。逆にすべての商品が使用価値として外化する{譲渡される}ことによってリンネルに転化されるから、これによってリンネルは他のすべての商品の転化された定在となり、しかも他のすべての商品のリンネルへのこのような転化の結果としてだけ、リンネルは直接に一般的労働時間の対象化、すなわち全面的外化{譲渡}の産物、個人的労働の揚棄{止揚}となる。諸商品が互いに交換価値として現われあうために、その存在をこのように二重化するとすれば、一般的等価物として排除された商品も、その使用価値を二重化する。特殊な使用価値としてのその特殊な使用価値のほかに、それは一つの一般的な使用価値をもつことになる。こういうその使用価値は、それ自体、形態規定性であり、すなわち他の諸商品がこの商品に交換過程で全面的に働きかけることによってこの商品が演じる独特の役割から生じるものである。ある特殊な欲望の対象としての各商品の使用価値は、異なる人の手では異なる価値をもち、たとえば、それを譲渡する人の手中ではそれを手に入れる人の手中にあるのとは異なった価値をもつ。一般的等価物として排除された商品は、いまや交換価値そのものから生じる一つの一般的欲望の対象であって、誰にとっても交換価値の担い手、一般的交換手段であるという同一の使用価値をもっている。こうしてこの一商品においては、商品が商品として内包する矛盾、特殊な使用価値であると同時に一般的等価物であり、したがって誰にとっても使用価値、一般的使用価値であるという矛盾が解決されている。だから他のすべての商品は、いまやまずそれらの交換価値をこの排他的な商品との観念的な、これから実現されなければならない等式としてあらわすのにたいして、この排他的な商品にあっては、その使用価値は実在的であるとしても、過程そのものにおいては、現実の使用価値への転化によってはじめて実現さ【P33】れるべき単なる形態的定在として現われるのである。もともとこの商品{この はない……猪俣訳}は、商品一般として、ある特殊な使用価値に対象化された一般的労働時間としてあらわされた。交換過程では、すべての商品は、商品一般としての、商品そのものとしての、特殊な一使用価値における一般的労働時間の定在としての排他的商品に関係する。だから諸商品は、特殊な諸商品として、一般的商品(*)としての特殊な一商品に対立して関係する。したがって商品所有者たちが一般的社会的労働としての彼らの労働に相互に関係しあうということは、彼らが交換価値としての彼らの商品に関係するということにあらわされ、交換過程における交換価値としての諸商品相互の関係は、諸商品の交換価値の十全な表現としての特殊な一商品にたいする諸商品の全面的な関係としてあらわされ、このことはまた逆に、この特殊な商品の他のすべての商品にたいする独特な関係として、それゆえにまたひとつの物の一定の、いわばもって生まれた社会的性格として現われる。このようにすべての商品の交換価値の十全な定在をあらわす特殊な商品、または特殊な排他的な一商品としての諸商品の交換価値──これが貨幣である。それは、諸商品が交換過程そのものにおいて形成する、諸商品の交換価値の結晶である。●だから諸商品はすべての形態規定性をぬぎすてて、その直接的な素材の姿で互いに関係しあうことによって、交換過程の内部で相互にとって使用価値となるのにたいして、交換価値として互いに現われあうためには、新しい規定性をとり、貨幣形成にまで進んでいかなければならない。商品としての使用価値の定在が象徴でないのと同じように、貨幣も象徴ではない。一つの社会的生産関係が諸個人の外部に存在する一対象としてあらわされ、また彼らがその社会生活の生産過程で結ぶ一定の諸関係が、ひとつの物の特有な諸性質としてあらわされるということ、このような転倒と、想像的ではなくて散文的で実在的な神秘化とが、交換価値を生みだす労働のすべての社会的形態を特徴づける。貨幣にあっては、それが商品の場合よりも、もっとはっきり現われているだけである。

(*)同じ表現はジェノヴェーシにもある。

すべての商品の貨幣存在が結晶すべき特殊な商品に必要な物理的諸性質は、それらが交換価値の本性から直接に生じるかぎりでは、任意に分割しうること、各部分が一様であること、この商品の一つ一つが無差別であることである。一般的労働時間の物質化したものとしては、それは同質の物質化したものでなければならず、たんに量的な区別だけをあらわしうるものでなければならない。もう一つの必要な性質は、その使用価値の耐久性である。なぜならば、それは交換過程の内部にとどまっていなけ【P34】ればならないからである。貴金属はこれらの性質を非常によくそなえている。貨幣は反省や申し合わせの産物ではなく、交換過程のなかで本能的に形成されるのであるから、きわめて多様な、多かれ少なかれ不適当な諸商品が、かわるがわる貨幣の機能を果たしてきた。交換過程の発展のある段階で、交換価値と使用価値の規定が諸商品のあいだに両極的に配分され、たとえば一つの商品は交換手段として機能するのに、他の商品は使用価値として譲渡されるようになる必然性にともなって、いたるところで最も一般的な使用価値をもっている一つまたはいくつかの商品が、さしあたり偶然に貨幣の役割を演じるようになる。これらの商品が当面の欲望の対象ではないにしても、素材の点で富の最も重要な構成部分であるというその定在が、それらに他の使用価値よりもいっそう一般的な性格を保証する。
交換過程の原生的形態である直接的交換取引[物々交換]は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。交換価値は自由な姿を得ておらず、まだ直接に使用価値に結びつけられている。このことは二重に示される。生産そのものは、その全構造において使用価値を目的とし、交換価値を目的としていない。だから使用価値がここで使用価値をやめて、交換の手段、商品になるのは、ただ生産が消費のために必要とされる限度をこえることによってだけである。他方では、諸使用価値は、たとえ両極に配分されているとしても、直接的な使用価値の範囲内でだけそれ自体商品となるのであって、したがって商品所有者たちによって交換される諸商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、ただし各商品は、その非所有者にとっての使用価値でなければならない。実際には、諸商品の交換過程は、もともと原生的な共同体の胎内に現われるものではなく(*)、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。だから、異なった共同体のあいだの交換取引で商品となる特殊な使用価値、たとえば奴隷、家畜、金属が、多くの場合、共同体そのものの内部での最初の貨幣を形成する。すでに見たように、一商品の交換価値は、その等価物の系列が長ければ長いほど、つまりその商品にとって交換の範囲が大きければ大きいほど、それだけますます高度に交換価値としてあらわされる。だから交換取引の漸次的拡大、交換の増大、交換取引にはいってくる商品の多様化は、商品を交換価値として発展させ、貨幣形成にまでおしすすめ、こうして、直接的交換取引に分解的な作用を及ぼす。経済学者たちは、【P35】拡大された交換取引がつきあたる外部的な諸困難から貨幣をみちびきだすのが例となっているが、そのさい彼らは、これらの困難は交換価値の発展、したがってまた一般的労働としての社会的労働の発展から生じるものだということを忘れている。たとえば、こうである。商品は使用価値としては任意に分割可能ではないが、交換価値としては任意に分割可能でなければならない、と。あるいは、商品所有者たちが互いに交換しようとする分割できない商品を等しくない価値比率で需要することがありうる、と。言いかえれば、経済学者たちは単純な交換取引を考察するという口実のもとに、じつは使用価値と交換価値との直接的統一としての商品の定在が包み隠している矛盾のいくつかの側面をみずからに具体的に示しているのである。ところが、他方、彼らは一貫して交換取引を商品の交換過程の十全な形態として固執し、それにはただいくつかの技術的不便が結びついているだけであり、この不便にたいしてたくみに考案された方便が貨幣である、というのである。このまったく浅薄な立場からすれば、イギリスの才知にあふれた一経済学者が、貨幣は船や蒸気機関のように一つのたんなる物質的な用具であって、社会的生産関係の表示ではなく、したがってまたなんらの経済学的範疇ではない、と主張したのももっともだったのである。だから実際に技術学となんの共通するものももたない経済学で貨幣が取り扱われているのは、まったく間違いだというのだ(**)。

(*)アリストテレスは最初の共同体としての私的家族について同じことを述べている。しかし家族の形態はそれ自体種族的家族であって、その歴史的分解からはじめて私的家族が発展するのである。「なぜならば、最初の共同社会(これが家族であるが)では、明らかにこれ(つまり交換)にたいする必要はすこしもなかった。」(前掲個所)
(**)「貨幣は実際には、売買をおこなうための用具にすぎないのであって、」(だが売買とは何のことですか?)「そして貨幣の考察が経済学の一部をなさないのは、船や蒸気機関、あるいはまた富の生産と分配を容易にするために用いられるその他のなんらかの用具の考察が、経済学の一部をなさないのと同じことである。」(トマス・ホジスキン……)

商品世界では、発展した分業が前提されている、あるいは発展した分業が、特殊な諸商品として対立しあっている諸使用価値の多様性、同様に多様な労働様式がふくまれている諸使用価値の多様性のうちに直接にあらわされている。すべての特殊な生産的な仕事の様式の総体としての分業は、その素材的な側面から、使用価値を生産する労働としてみた【P36】社会的労働の総姿態である。しかしそのようなものとして分業は、商品の立場からすれば、また交換過程の内部では、ただその結果のなかにだけ、諸商品そのものの分化のなかにだけ実在している。  諸商品の交換は、社会的物質代謝、すなわち私的な諸個人の特殊な生産物の交換が、同時に諸個人がこの物質代謝のなかで結ぶ一定の社会的生産諸関係の創出でもある過程である。諸商品相互の過程的諸関係は、一般的等価物の種々の規定として結晶し、こうして交換過程は同時に貨幣の形成過程でもある。さまざまな過程の一つの経過{流れ……岩波}としてあらわされるこの過程の全体が流通である。

A 商品の分析の史的考察

商品を二重の形態の労働に分析すること、使用価値を現実的労働または合目的的な生産活動に、交換価値を労働時間または同等な社会的労働に分析することは、イギリスではウィリアム・ペティに、フランスではボアギュベールに始まり(*)、イギリスではリカードに、フランスではシスモンディに終わる古典派経済学の一世紀半以上にわたる諸研究の批判的最終成果である。

(*)ペティとボアギュベールとの著作および性格の比較研究は、それが17世紀末および18世紀はじめのイギリスとフランスとの社会的対立を明瞭にするであろうという点は別としても、イギリスの経済学とフランスの経済学とのあいだの国民的な対照の発生的説明となるであろう。同じ対象は、リカードとシスモンディとにあっても、終結的にくりかえされている。

ペティは、労働の創造力が自然によって制約されているということについて思いちがいすることなしに、使用価値を労働に分解している。彼は現実的労働をただちにその社会的総姿態において、分業としてとらえた(*)。素材的富の源泉についてのこの見解は、たとえば彼の同時代人ホッブスの場合のように、多かれ少なかれ実を結ばずに終わることなく、彼をみちびいて、経済学が独立の科学として分離した最初の形態である政治算術に到達させた。けれども彼は、交換価値をそれが諸商品の交換過程で現象するままに、貨幣と解し、しかも貨幣そのものを実在する商品、つまり金銀と解した。彼は重金主義の表象にとらわれて、金銀を獲得する特殊な種類の現実的労働を、交換価値を生みだす労働だと説明した。実際上、彼はブルジョア的な労働が生産しなければならないのは、直接的な使用価値ではなく、商品であり、交換過程におけるその外化{譲渡}によって金銀として、すなわち貨幣として、すなわち交換価値として、すな【P37】わち対象化された一般的労働として自分をあらわすことのできる使用価値である、と考えた。それはとにかく、彼の例は、労働を素材的富の源泉と認識しても、それは決して労働が交換価値の源泉となっている一定の社会的形態についての誤解をとりのぞくものではない、ということを適切に示している。

(*)ペティは分業を生産力としても、しかもアダム・スミスよりももっと大規模な構想で展開した。『人類繁殖にかんする試論うんぬん』……参照。彼はこの書物のなかで、後にアダム・スミスがピンの製造についてやったように、生産にとっての分業の利益を懐中時計の製造について示しただけでなく、同時にまた一都市や一国全体を大工場施設という観点から考察することによっても示している。1711年11月26日付の『スペクテーター』は、この「すばらしいサー・ウィリアム・ペティの例証」に触れている。だからマカロックが『スペクテーター』はペティと40歳ほども若い一著述家とを混同している、と憶測したのはまちがいである(……)ペティは、自分を新しい一科学の創始者だと自覚していた。彼は、自分の方法は「ありきたりのものではない」といっている。自分は比較級や最上級のことばをならびたてて、思弁的な議論をつなぎあわせるかわりに、数や重量や尺度で語り、もっぱら感覚的な経験からみちびきだされた議論だけを用い、また自然のなかで目に見ることのできる基礎をもつような原因だけを考察しようと企てた。個々人の変化する考え、意見、嗜好、情熱に左右される諸原因は、これを他人の考察にゆだねる(……)と。彼の天才的な豪胆さは、たとえばアイルランドとスコットランド高地のすべての住民と動産を大ブリテンの他の地方に移そうという提案に現われている。そうすれば労働時間は節約され、労働の生産力は引き上げられ、そして「国王とその臣民はいっそう富強になるであろう」(『政治算術』……)。彼はまたその『政治算術』のある章で、オランダが商業国民としてなお重要な役割を演じており、フランスがまさに支配的な商業強国になりそうな時代において、イギリスの天職は世界市場の征服にあることを証明して、「イギリス国王の臣民は、全商業世界の取引をおこなうのに十分かつ適当な元手をもっている」(……)。【P38】「イギリスの偉大さを妨げているものは、ただ偶然的なものであり、とりのぞきうるものである」(……)と言っているが、ここにも彼の天才的な豪胆さが現われている。彼のすべての著作には独創的なユーモアが横溢している。たとえば彼は、今日イギリスが大陸の経済学者たちにとって模範国であるのとまったく同様に、当時イギリスの経済学者たちにとって模範国であったオランダが「ある人々によってオランダ人がもっているとされている天使のような機知と判断力もないのに<実際はもっていないのに……岩波文庫版>」(……)、世界市場を征服したのは自然の成行きであった、ということを指摘している。彼は信教の自由を商業の一条件として弁護する。「なぜなら、富をあまりもたないものが、とくに主として貧しいものに属する神の問題については、多くの知恵と理解力とをもっている、という考えを彼らに許しさえすれば、貧しいものは勤勉となり、労働と勤勉とを神にたいする義務と考えるようになるからである。」だから商業は「どれか一つの宗教と結びついているものではなく、むしろつねに全体のうちの異端的な部分と結びついているもの」(……)である。彼は無頼の徒を救済するための独特な公課を提唱しているが、そのわけは無頼の徒のために自分から進んで税を納める方が、無頼の徒自身から課税されるよりも公衆にとってはましだからである(……)。これとは反対に彼は、富を勤勉な人々の手から「食ったり、飲んだり、歌ったり、勝負事をしたり、踊ったり、形而上学にふけったりすることのほかはなにもしない」(……)人たちの手に移すような租税を非難している。ペティの著作はほとんどが本屋商売の稀覯本であって、粗悪な古版本で散在しているにとどまるが、このことは、ウィリアム・ペティがイギリスの経済学の父であるばかりでなく、同時にイギリスのウィッグ党の長老であるヘンリ・ペティ、別名ランズダウン候の祖先でもあるだけに、いっそう不思議なことである。だがランズダウン家は、ペティの全集を刊行しようとするなら、その冒頭に彼の伝記をかかげないわけにはいかないだろうが、この場合にもウィッグ党のたいていの名門の素性について言えるように、言わぬが花なのである。ペティは考えは大胆であったが、まったく浮薄な一外科軍医であって、クロムウェルの庇護のもとにアイルランドで略奪する一方で、またチャールズ2世にとりいって略奪に必要な従男爵の称号をかちえるのをはばからなかったほどであるから、こういう祖先の姿は、公に披露するにはてんでふさわしくないのである。おまけにペティは、生前に出版した【P39】たいていの著作のなかで、イギリスの全盛期はチャールズ2世の治世にあたることを証明しようとつとめているが、これは「名誉革命」のおかげでうまいことをしている子々孫々にとっては異端の見解である。

ボアギュベールのほうは、個々人の労働時間が特殊な諸産業部門に配分される正しい比率によって「真実価値」を規定し、そして自由競争をこの正しい比率をつくりだす社会的過程であると述べて、意識的にではないにしても、事実上、商品の交換価値を労働時間に分解している。しかし、それと同時に彼は、ペティとは反対に、その介入によって商品交換の自然的均衡または調和を攪乱し、すべての自然的富をいけにえとして要求する気まぐれなモロクである貨幣にたいして熱狂的にたたかった。ところで、貨幣にたいするこの論難は、一面では一定の歴史的諸事情と関連しており、ペティは黄金欲を、一国民を刺激して産業の発展と世界市場の征服とに駆りたてる強力な衝動であると賛美したのにたいして、ボアギュベールは、ルイ十四世の宮廷や彼の徴税請負人や彼の貴族のめくらめっぽうな破壊的黄金欲を攻撃したのだ(*)としても、だがここに同時に、純イギリス的な経済学と純フランス的な経済学(**)とのあいだの不断の対照としてくりかえされるいっそう深刻な原理上の対立が表面に現れでている。ボアギュベールは実際上は、ただ富の素材的内容、使用価値、享受(***)だけに注目して、労働のブルジョア的形態、商品としての使用価値の生産と商品の交換過程を、個人的労働がその目的を達する自然にかなった社会的形態だと見なしている。だから貨幣の場合のように、ブルジョア的富の特有な性格が彼のまえに現れると、彼は横奪的な異分子が侵入してきたのだと信じ、一つの形態のブルジョア的労働にたいして憤慨すると同時に、他方では他の形態のそれをユートピア主義者ふうに神聖視するのである(****)。ボアギュベールは、諸商品の交換価値に対象化され、時間によって測られる労働が、個人の直接の自然的活動と混同されながらも、労働時間は商品の価値の大きさの尺度として取り扱われうるという証拠をわれわれにあたえてくれる。

(*)当時の「財政の魔術」に反対して、ボアギュベールは言っている。「財政学とは農業と商業の利益についての深い知識にほかならない」(『フランス詳説』……)。
(**)ラテン系経済学ではない。なぜならば、イタリア人はナポリ学派とミラノ学派の両学派で、イギリス経済学とフランス経済学との対立をくりかえしており、他方で初期のスペイン人は、たんなる重商主義者か、ウスタリスのような修正重【P40】商主義者であるか、さもなければホベリャノスのように(……)、アダム・スミスと同じく「中庸」をまもっているか、そのどれかだからである。
(***)「真の富は……生活必需品だけでなく、贅沢品と官能を楽しませうるすべてのものの完全な享受である」(ボアギュベール……。)しかしペティが浮薄な、略奪欲にもえた、無節操な投機家であったのにたいして、ボアギュベールはルイ14世の地方総監のひとりであったにもかかわらず、思慮とこれにおとらぬ大胆さとで被圧迫階級の味方となったのである。
(****)プルードン型のフランス社会主義は、同じ国民的な世襲病にかかっている。
交換価値をはじめて意識的に、ほとんど平板なまでにはっきりと労働時間にまで分析したのは、ブルジョア的生産諸関係がその担い手たちと同時に輸入され、歴史的伝統の欠如をおぎなってなおあまりある沃土をもった地盤のうえに急速に成長した新世界の一人物である。その人とはベンジャミン・フランクリンであって、彼は1719年に印刷に付されたその青年時代の労作で、近代的経済学の根本法則を定式化した(*)。彼は貴金属以外に価値の尺度を求めることが必要だ、と断言する。これこそ労働だ、と言う。

(*)B・フランクリン『著作集』……所収、『紙幣の性質と必要についての小研究』。
「銀の価値も、他のすべてのものの価値と同様に、労働によって測ることができる。たとえば、ある人は穀物の生産に従事し、他の人は銀を採掘し精錬するものとしよう。一年の終わりかまたは他のある一定期間ののちに、穀物の全生産物と銀の全生産物とは、それぞれの自然価格である。そしてもし一方が20ブッシェルで、他方が20オンスだとすれば、1オンスの銀は1ブッシェルの穀物の生産に用いられた労働の値うちがある。だが、もしもっと近くの、もっと採掘しやすい、もっと豊饒な鉱山が発見されたために、ある人が以前に20オンスの銀を生産したのと同じくらい容易に、いまでは40オンスの銀を生産できるものとし、しかも20ブッシェルの穀物の生産にはやはり依然と同じだけの労働が必要だとすれば、2オンスの銀は1ブッシェルの穀物の生産に用いられるのと同じだけの労働以上の値うちはないであろうし、以前には1オンスの銀の値うちがあった1ブッシェルは、他の事情が同じならば、いまでは2【P41】オンスの銀の値うちがあるであろう。だから一国の富は、その国の住民が買うことのできる労働量によって評価されるべきである(* 前掲書……)。

フランクリンにあっては、労働時間は、経済学者流儀で一面的にただちに価値の尺度としてあらわされる。現実の生産物の交換価値への転化は自明のことであり、したがって問題は、その価値の大きさを測る尺度を発見することだけである。彼は言う。
「商業は一般に労働と労働との交換にほかならないから、すべてのものの価値は、労働によってもっとも正しく評価される(* 前掲書……)。
この場合、労働という言葉のかわりに、現実的労働ということばを置き換えるならば、一つの形態の労働と他の形態の労働とが混同されていることが、ただちに発見されるであろう。商業とは、たとえば靴屋の労働、鉱山労働、紡績労働、画家の労働等々の交換であるからといって、長靴の価値は画家の労働によってもっとも正しく評価されるであろうか? フランクリンは逆に、長靴、鉱産物、紡糸、絵画等々の価値は、なんら特殊な質をもたない、したがって単なる量によって測ることのできる抽象的労働によって規定される、と考えたのである(*)。しかし彼は、交換価値にふくまれている労働を、抽象的一般的労働、個人的労働の全面的外化{譲渡}から生じる社会的労働として展開しなかったから、必然的に、この外化した{譲渡される}労働の直接的存在形態である貨幣を誤解した。だから彼にとっては、貨幣と交換価値を生みだす労働とは、なんら内面的な関連をもたず、貨幣はむしろ、技術的な便宜のために交換のなかへ外からもちこまれた用具なのである(**)。フランクリンの交換価値の分析は、経済学の一般的歩みにたいしては直接の影響を与えないままにとどまった。なぜならば、彼はただ経済学の個々の問題を一定の実際の機会にさいして取り扱ったにすぎなかったからである。

(*)前掲書。『アメリカの紙幣にかんする論評と事実』……。
(**)『アメリカ政治論集』。……。

現実的有用労働と交換価値を生みだす労働とのあいだの【P42】対立は、どんな特殊な種類の現実的労働がブルジョア的富の源泉であるか、という問題のかたちで、18世紀中、ヨーロッパを騒がせた。だから使用価値に実現される、あるいは生産物を供給するどの労働も、ただそれだけの理由でただちに富をつくりだすものではない、ということが前提されていた。けれども重農主義者たちにとっては、その論敵にとってと同じく、焦眉の論点は、どのような労働が価値を創造するかということではなく、どのような労働が剰余価値を創造するかということである。だから、すべての科学の歴史上の歩みがいくたの紆余曲折を経てはじめて本当の出発点にいたるように、彼らは問題をその原初的形態で解決してしまうよりまえに、これを複雑な形態で論じたのである。科学は、他の建築師と違って、ただ空中楼閣を描くばかりでなく、建物の礎石を据えるまえに、住居となる一つ一つの階層を築くのである。われわれはここでは、これ以上重農主義者たちにとどまらないで、また多かれ少なかれ適切な思いつきで商品の正しい分析にふれている一連のイタリアの経済学者たちもすべて見おくって、ただちに、ブルジョア経済学の全体系をつくりあげた最初のイギリス人、サー・ジェームズ・スチュアートにむかおう(**)。彼にあっては、経済学の抽象的諸範疇は、まだその素材的内容から分離する過程にあり、したがってあいまいで動揺して現れているが、交換価値という範疇もそうである。ある個所では、彼は、現実価値を労働時間(一人の労働者が一日のうちになしうるもの)によって規定しているが、しかしこれとならんで賃金と原料とが一役を演じて混乱をまねいている(***)。他のある個所では、素材的内容との格闘がさらにはっきりと現れている。彼は、ある商品にふくまれている自然的材料、たとえば銀製の編み細工中の銀をその内在的価値とよび、他方では商品にふくまれている労働時間を使用価値とよんでいる。

(*)たとえばガリアーニ『貨幣について』。……彼は言う。「骨おり」「だけが物に価値をあたえる唯一のものである。」労働を<「骨おり」>とよぶのは、南国人の特徴である。
(**)スチュアートの著作『経済学原理の研究、……』は、1776年に4折版2冊でロンドンではじめて刊行されたが、アダム・スミスの『諸国民の富』の10年前であった。……
(***)スチュアート、前掲書……【P43】彼は言う。「前者はそれ自体で現実のものであるが、……これとは反対に使用価値は、それを生産するためについやされた労働にしたがって評価されなければならない。素材の変形に用いられる労働は、ある人の時間の一部分を代表している、うんぬん。」

スチュアートが彼の先行者や後継者よりぬきんでていた点は、交換価値にあらわされる独特な社会的労働と使用価値を目的とする現実的労働とをはっきり区別したことである。彼は言う。
「その譲渡によって一般的等価物を創造する労働を、私は勤労とよぶ。」
彼は、勤労としての労働を現実的労働から区別するだけでなく、労働の他の社会的形態からも区別する。彼にとっては、それは、労働の古代的および中世的形態に対立する労働のブルジョア的形態である。彼がとくに関心をよせたのは、ブルジョア的労働と封建的労働との対立であって、彼は、没落の段階にあるこの封建的労働を祖国スコットランドでも、また彼の広範囲の大陸旅行でも観察していた。もちろんスチュアートは、ブルジョア時代以前の時代でも生産物は商品の形態をとり、商品は貨幣の形態をとることをよく知っていたが、しかし彼は、富の元素的基礎形態としての商品と、取得の支配的形態としての譲渡とは、ブルジョア的生産時代にだけ属するものであり、したがって交換価値を生みだす労働の性格は、独特なブルジョア的なものであることを詳しく証明している(*)。

(*)だから彼は、土地保有者のために使用価値を創造することを直接の目的とする家父長制的な農業は、なるほどスパルタやローマでは、またアテナイでさえも「誤用」ではないが、18世紀の工業諸国では「誤用」である、と説明する。こういう「誤用された農業」は、「営業」ではなくて、「たんなる生計の手段」だという。ブルジョア的農業が土地から余分な人口を一掃するのと同じように、ブルジョア的製造工業は工場から余分な労働者を一掃する、と言うのである。

農業、製造工業、海運業、商業等々のような現実的労働の特殊な諸形態を、つぎつぎに富の真の源泉であると主張してから、アダム・スミスは、労働一般が、しかもその社会的総姿態での、分業としての労働一般が、素材的富つまり諸使用価値の唯一の源泉であると宣言した。そのさいに彼は自然要素をまったく見すごしたものだから、彼はもっぱら社会的な富の、交換価値の領域に追いこまれることと【P44】なった。たしかにアダムは、商品の価値をそれにふくまれている労働時間によって規定しはするが、そのあとでふたたびこの価値規定の現実性をアダム以前の時代へ追いもどしている。言いかえれば、彼にとって単純商品の立場では真実と思われることが、単純商品に代わって、資本、賃労働、地代等々のいっそう高度で複雑な諸形態が現れてくるやいなや、彼にははっきりしなくなるのである。このことを彼はこう表現する。すなわち、商品の価値がそれにふくまれている労働時間によって測られたのは、人間がまだ資本家、賃労働者、土地所有者、借地農業者、高利貸等々としてではなく、ただ単純な商品生産者および商品交換者として相対していたにすぎなかった市民階級の失われた楽園においてである、と。彼は、商品の価値がそれにふくまれている労働時間によって規定されているということを、商品の価値が労働の価値によって規定されるということとたえず混同し、詳細な論究ではいたるところで動揺しており、そして社会的過程が等しくない労働の間で強制的になしとげる客観的な均等化を、個人的労働の主観的同権化と誤認している(*)。彼は、現実的労働から交換価値を生みだす労働、すなわちブルジョア的労働の基本形態への移行を分業によってなしとげようと試みている。ところで、私的交換が分業を前提するというのは正しいが、分業が私的交換を前提するというのは誤りである。たとえばペルー人の間では、私的交換、商品としての生産物の交換は行われなかったが、、分業は極度に行われていたのである。

(*)たとえば、アダム・スミスはこう言っている。「労働の等しい量はいつでもどんなところでも、労働する者にとって等しい価値をもつと言ってよいであろう。健康、体力、気力が普通の状態にあり、熟練と技巧の程度が普通であれば、彼はいつも同一量の安息、自由、幸福を犠牲にしなければならない。彼が支払う価格は、彼が労働の報酬として受け取る商品の量がどれほどであろうと、いつも同一であるにちがいない。その労働が買うことのできる財貨は、実際のところ、あるときは多く、あるときは少ないであろうが、変動するのはそれらの財貨の価値であって、それらを買う労働の価値ではない。……だから労働だけがそれ自身の価値をけっして変えない。……だから労働は商品の真実価格である、うんぬん。」(『諸国民の富』……)。

アダム・スミスとは反対に、デーヴィッド・リカードは、労働時間による商品価値の規定を純粋に引き出し、この法則が、それと表面上最も矛盾するブルジョア的生産諸関係【P45】をも支配することを示した。リカードの研究は、もっぱら価値の大きさに限られていて、これにかんするかぎり、彼はこの法則の実現が一定の歴史的諸前提に依存していることに、すくなくとも感づいている。すなわち彼は、労働時間による価値の大きさの規定は、
「勤労によって任意に増加されうる、そしてそれらの生産が無制限な競争によって支配されている(*)。」
商品だけに妥当する、と言っている。

(*)デーヴィッド・リカード『経済学および課税の原理』……。

このことは事実上、価値法則はその完全な展開のためには、大工業生産と自由競争との社会、すなわち近代ブルジョア社会を前提する、ということを意味するものにほかならない。そのほかの点では、リカードは、労働のブルジョア的形態を社会的労働の永遠の自然形態だとみなしている。彼は原始的な漁夫と猟師にも、ただちに商品所有者として魚と獣とを、それらの交換価値に対象化されている労働時間に比例して交換させている。ここで彼は、原始的な漁夫と猟師とが、彼らの労働用具の計算のために、1817年にロンドン取引所で用いられる年賦償還表を参考にするという時代錯誤をおかしているのである。「オーエン氏の平行四辺形」は、ブルジョア的社会形態以外に彼の知っていた唯一の社会形態だったらしい。こういうブルジョア的視界に限られてはいたにせよ、リカードは、ブルーム卿が彼について
「リカード氏はまるで他の遊星から落ちてきた人のようだ」
と言いえたほどの理論的な鋭さで、底のほうでは表面に現れているものとはまったく別様の観を呈するブルジョア経済を解剖した。シスモンディは、リカードとの直接の論争で、交換価値を生む労働の独特の社会的性格を強調するとともに(*)、価値の大きさを必要労働時間に還元すること、
「全社会の需要とこの需要をみたすにたりる労働量とのあいだの割合(**)」
に還元することを、「われわれの経済的進歩の性格」とよんでいる。

(*)シスモンディ『経済学研究』……「商業はすべてのものを使用価値と交換価値との対立に帰着させた。」
(**)シスモンディ、前掲書……。

シスモンディはもはや、交換価値を生む労働が貨幣によって不純にされるというボアギュベールの考えにはとらわ【P46】れていないが、ボアギュベールが貨幣を非難したように、大産業資本を非難している。リカードにおいて、経済学が容赦することなくその最後の結論を引き出し、それでもって終わりをつげたとすれば、シスモンディは、経済学の自分自身にたいする疑惑を示すことによって、この終結を補完しているのである。
リカードは古典派経済学の完成者として、労働時間による交換価値の規定を最も純粋に定式化し展開したのであるから、経済学の側から起こされた論争は、当然彼に集中された。この論争から大部分ばかげている形態(*)を取り去ると、それは次の諸点に要約される。

(*)おそらく最もばかげたものは、コンスタンシオによるリカードのフランス語訳にJ・B・セーがつけた注釈であり、もっとも学者ぶって尊大なものは、マクラウド氏の最近刊行された『為替の理論』、……であろう。

第一。労働自体が交換価値をもっており、異なる労働は異なる交換価値をもっている。交換価値を交換価値の尺度にするのは悪循環である。なぜならば、測る交換価値自体がさらにまた尺度を必要とするのだから。この異論は、労働時間が交換価値の内在尺度としてあたえられていて、その基礎のうえで労賃を展開する、という問題に帰着する。賃労働の理論がこれに回答を与える。
第二。もしある生産物の交換価値がそれにふくまれている労働時間に等しいならば、一労働日の交換価値はその生産物に等しい。言いかえれば、労賃は労働の生産物に等しくなければならない(*)。ところが、事実は逆である。だから云々。この異論は、たんに労働時間だけによって規定される交換価値を基礎として、どうして生産から、労働の交換価値がその生産物の交換価値よりも小さいという結果が生まれるのか、という問題に帰着する。われわれは、この問題を資本を考察するさいに解決する。

(*)ブルジョア経済学の側からリカードにたいしてもちだされたこの異論は、のちに社会主義者の側からとりあげられた。この定式が理論的に正しいことを前提したうえで、実際が理論と矛盾している点が非難され、ブルジョア社会にたいし、その理論的原則からその推定上の帰結を実際に引き出すようにという要請がなされた。こういうやり方で少なくともイギリスの社会主義者たちは、リカードの交換価値の定式を逆用して、経済学を攻撃した。プルードン氏に残された仕事は、古い社会の基本原則を新しい社会の原則だと吹聴するだけでなく、同時にまた、自分こそは、リカードがイギリス古典派経済学の全成果を要約して示したこの定式の発見者だと吹聴することであった。プルードン氏がイギリス海峡のむこう側でリカードの定式を「発見した」ときには、イギリスではそのユートピア主義者流の解釈ですらすでに忘れ去られていた【P47】ことは、以前に証明しておいた。(私の著作『哲学の貧困、うんぬん』……「構成された価値」にかんする節を参照。……

第三。商品の市場価格は、需要と供給との関係が変動するにつれて、その交換価値以下に下がったり、それ以上にあがったりする。だから商品の交換価値は、需要と供給の関係によって規定されているのであって、それにふくまれている労働時間によって規定されているのではない。じっさい、この奇妙な推論では、交換価値の基礎のうえでそれと異なる市場価格がどうして展開されるのか、もっと正しく言えば、交換価値の法則はどうしてそれ自身の反対物でだけ表現されるのか、という問題が提起されるだけである。この問題は競争論で解決される。
第四。最後の反対論、しかももしいつものように奇妙な実例のかたちでもちだされさえしなければ、一見したところ最も痛烈な反対論は、もし交換価値が商品にふくまれている労働時間にほかならないとすれば、すこしも労働をふくまない商品はどうして交換価値をもつことができるか、言いかえるならば、たんなる自然力の交換価値はどこから生じるのか、というものである。この問題は地代論で解決される。

2017年5月22日

『ドイツ・イデオロギー』 第1章(抄訳)

『ドイツ・イデオロギー』(抄訳)  第1章(前半部分)

ナウカ社版(アドラツキー編集版 唯物論研究会訳 3版 1949年)より
<★★ここでは、草稿の順番は当初のものに復元されている合同版に合わせることにする。なお、合同版には「序言」やⅠへの編者注は載っていない。合同版や岩波文庫版の訳を利用した部分は<>で示した。≪≫内のものは、レポータの補足。また旧文語体はレポータの責任で書き換えた。合同版のページは[P]で、ナウカ社版のページは【P】で示した。なお、最後にナウカ社版にはないが、いわゆる『フォイエルバッハ・テーゼ』を加えた。>

目次……省略……

ドイツ・イデオロギー
フォイエルバッハ、ブルーノ・バウアーおよびシュティルナーを代表者とする最近のドイツ哲学の、ならびに種々の預言者たちに現われたドイツ社会主義の、批判

【P1】序言

人間は従来、人間自身について、すなわち、自分が何であるか、または何であるべきかに関して、誤った観念を抱いてきた。神、規範人等に関する彼らの観念にのっとって彼らは自分たちのいろんな関係を律してきた。彼らの頭脳の生み出したものが大きくなって、彼らの手に負えなくなった。彼らの作った物の前に、その創造者たる彼らが拝跪してきた。幻想、理念、独断、空想の産物のくびきの下にちぢこまっている彼らを、我々はそういうものから解放しよう。我々はかかる思想の支配にたいして反逆しよう。我々は彼らに教えるに、これらの空想を人間の本質にふさわしい思想と取り換えることをもってしよう、とある者が言うかと思えば、これらの空想に対して批判的な態度をとることを教えよう、と他の者は言い、これらのものを頭の外へ叩き出してしまうことを教えよう、と第三の者は言う。そうすれば──現存する現実は瓦解するであろう、というのが彼らの下心なのである。
ドイツにおいて世間から驚愕と畏敬とをもって迎えられているばかりでなく、哲学的英雄たち自身によっても、世界を覆滅する危険性や犯罪者的な無遠慮やのもったいぶった自覚をもって言い触らされているところの、最近の青年ヘーゲル派哲学の核心をなしているものはこういう罪のない子供じみた幻想なのである。本書第1巻の目的は、自分を狼だと考え、また世間からもそう考えられている羊どもの正体を暴露し、いかに彼らがドイツ市民の諸観念をただ哲学的に遠吠えしているにすぎないかということ、いかにこれらの哲学的注釈者たちの大言壮語が現実のドイツの諸状態のみじめさを反映しているにすぎないかということを示すことにある。
本書の目的とするところは、夢想家的で鈍感なドイ【P2】ツ国民のお気に召している、この現実の影を相手とする哲学的闘争の愚を暴露して、その信用を失墜せしめることである。

かつてあるけなげな男が、人間が水に溺れるのは重力の観念に憑かれているからだ、と考えた。彼の考えによれば、いわばこの思想は一個の迷信であり、一個の宗教的観念であると説明することによって、これを人間の頭から叩き出してしまえば、人間は水の危険をいっさい超克するだろう、というのである。一生涯かかってこの男は重力の幻想と戦った。その間、あらゆる統計はこの幻想が有害な結果をもたらすという多数の新しい証拠を彼に提供した。このけなげな男こそは新しいドイツの革命的な哲学者たちの典型であった。
<【P4】<編者注>Ⅰ フォイエルバッハ
1845年の秋から1846年の10月中旬ごろまでにブリュッセルで書かれたもの。未完
編者は原稿の個々の部分を同原稿中に含まれているマルクスの覚書にしたがって再編成した。その際参考となったのは原稿『3、聖マックス』その他におけるこの原稿に関係ある指示であった。これらから推定すれば、『1、フォイエルバッハ』は『ドイツ・イデオロギー』の二つの部分、すなわち『ライプチッヒ宗教会議』ならびに『真正社会主義』への緒論をなすものである>
[P19]【P3】Ⅰ フォイエルバッハ
唯物論的な見方と観念論的な見方との対立 (ドイツイデオロギー 第1章)
<ナウカ社版には、ここにも「1 フォイエルバッハ」の見出しがある>

[P21]【P5】ドイツのイデオローグたちの告げるところによれば、ドイツは最近数年間において一つの比類なき変革を経験した。シュトラウスをもってはじまったヘーゲル体系の腐敗過程は一つの世界的発酵にまで発展し、この渦中にいっさいの『過去の諸権力』が引きずり込まれるにいたった。この全般的な混沌のなかで、強力な王国がいくつとなく形成されたかと思えば、たちまちにして没落し、幾人もの英雄がたちどころに出現したかと思えば、より大胆な有力な競争者たちによってたちまち暗黒の中へ投げこまれた。まことにそれは一個の革命であった。これに比べればフランス革命も児戯に等しい。まことにそれは一つの世界的闘争であった。これの前ではディアドコスたち(アレキサンダー大王の後継将師たち──訳者)の闘争も貧弱に見える。前代未聞のめまぐるしさをもって諸原理が押しのけあい、思想の巨人たちが互いに組みあいほぐれあいした。こうして、普通なら3世紀以上もかかることが、[P22]ドイツでは1842年から1845年までの3年間に片づけられた。
これらすべてのことは純粋思考内で起こったと言われている。
もちろん事の中心は≪ヘーゲルの≫絶対精神の腐敗過程という興味深い一事件である。この残骸の種々な構成部分は、生命の最後の火花が消えたのち、分解して新しい結合を結び、新しい実体を形成した。従来絶対精神の搾取によって暮らしてきた哲学的産業家たちは今度は種々の新しい結合に熱中した。各自は自分に当たった分け前の販売をできる限りの勤勉ぶりをもって営んだ。これが競争なしに済むわけがなかった。その競争も最初のうちは、かなり市民的にかつ着実に行われた。後になってドイツの市場が供給過剰となり、あらゆる努力にもかかわらず世界市場でも商品の売れ行きが悪くなった時、≪思想の≫商【P6】売は例のドイツ流儀にしたがって、工場式生産および仮装生産、品質の劣悪化、原料のごまかし、商標の偽造、仮装売買<合同版では「空売買」>、不渡り手形の振り出しおよび全然現実的基礎を欠いた信用制度によって、堕落せしめられた。競争はついに激烈な闘争と化した。これこそが今世界史的な飛躍として、[P23]最も巨大な諸結果と諸成果の産出者として、我々に吹聴され構案されているものなのである。
正直なドイツ市民の胸中にさえ愛国心を喚起するこの哲学的誇大宣伝を正しく評価せんがためには、この全青年ヘーゲル派運動のみすぼらしさを、その地方的限局性を、なかでもこれらの英雄たちの現実の業績とこの業績に関する幻想との間の悲喜劇的コントラストを、明瞭ならしめんがためには、この全景をひとまずドイツ以外の立場から見渡すことが必要である。
[P25] <1> イデオロギー一般、特にドイツの
<★★以下、鍵カッコ内の数字等は合同版による節区分と、編集者による表題。なおナウカ社版では見出しはAとなっている>

【P6】ドイツ式批判はその最近の努力に至るまで哲学の地盤を離れなかった。その一般的・哲学的諸前提を吟味するどころか、その一切の問題さえもが、ヘーゲルの体系という特定の哲学的体系の地盤の上に生起したものであった。ひとりその解答のうちにばかりでなく、すでに問題そのもののうちに一つの神秘化が横たわっていた。これら最近の批判者たちがいずれもヘーゲルを超越していると主張していながら、ヘーゲルの体系の包括的な批判すらをも試みなかったのはなぜか、ということの理由は、ヘーゲルへのかかる依存にあるのである。彼らがヘーゲルに対し、また相互にたいする論争は、銘々がヘーゲル体系の一面を取り出してきて、これを全体系ならびに他の者が取り出した側面に対立させるという【P7】こと以上に一歩も出ていない。それも最初のうちは実体とか自己意識とかいうような、純粋な・まがい物でないヘーゲル的範疇を取り出していたが、[P26]しまいにはこれらの範疇が、種・唯一者・人間・等々といういっそう現世的な名称によって俗化されるようになった。
シュトラウスからシュティルナーに至るまでのドイツの哲学的批判全体は、宗教的諸観念の批判に限られている。彼らは現実の宗教および本来の神学から出発した。宗教的意識とは何であるか、宗教的表象とは何であるか、はその後の経過においていろいろに規定された。その際進歩のあった点といえば、表向き支配的な形而上学的・政治的・法律的・道徳的およびその他の諸表象を、宗教的ないし神学的諸表象の領域に包摂し、あわせて政治的・法律的・道徳的意識を宗教的ないし神学的意識であると説明し、。かつ政治的・法律的・道徳的人間、究極においては『人間なるもの』を、宗教的なものだと説明したことであった。宗教の支配ということが前提されていたのである。すべての支配的な関係はいちいち宗教関係であると説明され、そして礼拝に──法律の礼拝・国家の礼拝・等々に、転化された。いたるところで教義と教義にたいする信仰だけが問題にされた。世界の聖化はますます広範囲に伸び、ついにかの尊敬すべき聖マックスは、世界を一括して神聖であると託宣することによって、問題をいっぺんに片づけてしまったのである。
[P27]旧ヘーゲル派の人々はいっさいのものを、これがヘーゲルの論理的範疇の一つに還元されるや否や、理解した。青年ヘーゲル派の人々はいっさいのものを、これを宗教的表象とすりかえるか、あるいはこれを神学的であると説明することによって、批判した。青年ヘーゲル派の人々も、この現存世界における宗教・概念・普遍者・の支配にたいする信仰という点では、旧ヘーゲル派の人々と意見が一致している。違いといえばただ、後者が正当であるとして祝福するこの支配を、前者が簒奪であると言って攻撃する点だけである。
【P8】これら青年ヘーゲル派の人々のあいだで、表象・思想・概念が、一般には彼らによって独立化された意識の産物が、人間の本来的な桎梏だと見なされていることは、旧ヘーゲル派の人々のあいだでそれらが人間社会の真の紐帯だと声明されているのと、変わりがない。だからこそ青年ヘーゲル派の人々もまたこれらの意識の幻想だけを相手にして闘争しさえすればよいわけであった。[P28]彼らの空想にしたがえば、人間の諸関係・人間の全行動・人間のもろもろの桎梏および制限は、人間の意識の産物なのであるから、そこで青年ヘーゲル派の人々は、人間の現在の意識を、人間的な・批判的な・もしくは利己的な・意識と取り換え、もって人間の諸制限を除去せよ、という道徳的要請を首尾一貫したやり方で人間に課しているのである。意識を改変せよ、というこの要求はつまるところ、現存するものの解釈の仕方を変えよ、すなわちそれをほかの解釈によって承認せよ、という要求に他ならない。青年ヘーゲル派のイデオローグたちは彼らのいわゆる『世界震撼的』な言辞にもかかわらず、最もはなはだしい保守主義者である。彼らのなかでの最も少壮な連中が、自分たちは『言辞』にたいしてのみ闘うのだ、と主張するとき、それは彼らの活動を正しく言い表わしていたというものである。ただ彼らの忘れていたことは、彼らがこの言辞自身に言辞以外のなにものをも対立させないということ、および彼らが我々の世界の言辞だけを攻撃しているかぎり、彼らはけっして現実既存の世界を攻撃しているのではないということだ。この哲学的批判が達成しえた唯一の結果は、キリスト教に対するたかだか若干の、それも一面的な、宗教史的啓発でしかなかった。この批判のそれ以外の主張全体は、この取るに足らない啓発によって世界史的な諸発見を提供した[P29]という彼らの持説につけ加えられたほんの飾りにすぎない。
これらの哲学者は何人も、ドイツの哲学とドイツの現実との関連を、≪彼らの≫ドイツの哲学の批判と≪彼らの批判≫そのものの固有な物質的環境との関連を、問題とすることに思い至らなかった。
──
<2 唯物論的歴史観が立脚する諸前提>

【P9】我々の出発点である前提はけっして得手勝手なものでもなければ、独断でもない。<空想のなかでしか無視しえないような……合同版>現実的な諸前提である。それは現実的な諸個人・彼らの行動であり、ならびに彼らの前に所与として見出されるばかりでなく、彼ら自身の行動によっても産出されるところの、彼らの物質的な生活諸条件である。[P30]したがってこれら諸前提は純粋に経験的な仕方で確認されうるものである。
およそいっさいの人間史の第一次的な前提は言うまでもなく生きた人間としての諸個人の生存である。したがって確認されるべき第一次的な事態は、これらの個人の肉体的組織とこれによって与えられた、<それ以外の……同>自然に対する彼らの関係とである。我々はここではもちろん、人間自身の肉体的性質にも、人間に与えられた自然条件たる地質上・風土上・気象上・その他の・諸関係にも立ち入るわけにはいかない。むしろ一切の歴史的叙述は、これらの自然的基礎と、歴史の進行途上において人間の行動がこれらの自然的基礎を変更するという事実から出発しなければならぬ。
人間は意識により、宗教により、その他勝手なものによって、動物から区別されうる。だが人間自身は、彼らが生活手段を生産し始めるや否や、自分を動物から区別し始める。この生産は、人間の肉体的組織によって制約されている一行為である。人間は彼らの生活手段を生産することによって、間接に彼らの物質的生活自体を生産する。
人間が彼らの生活手段を生産する際にとる様式は、まず第一に、彼らの前に見出されるところの再生産されるべき生活手段の性状に依存する。@
[P31]生産のこの様式は、それが諸個人の肉体的生存の再生産である、という方面からだけ考察されるべきではない。むしろかえってそれは、これら個人の活動の一定様式であり、彼らの生活を表現する一定様式で【P10】ある。したがって彼らが何であるかは、彼らの生産、すなわち彼らが何を生産するか、ならびに彼らがいかに生産するか、ということと合致する。したがって諸個人が何であるかは、彼らの生産の物質的諸条件に依存する。
この生産は人口の増加とともにはじめて現れる。人口の増加はそれ自身また個人相互間の交通を前提する。この交通の形態はさらに生産によって制約されている。
<[P32] 3 生産と交通、分業と所有諸形態=部族的、古代的、封建的>

【P10】種々の国民相互の間の諸関係は、各国民がその生産諸力・分業・および国内交通・をどの程度まで発展させ終えているか、に依存する。この命題は一般に承認されている。しかしながら、各国民の生産と彼らの国内交通ならびに対外交通の発展段階に依存しているものは、ただ一国民の他国民にたいする関係ばかりでない。当該国民自体の内部編成の全体もそうである。一国民の生産諸力の発展程度をもっとも明瞭に示すものは、[P33]分業がどの程度に発展しているかということである。すべて新しい生産力は、従来の生産諸力のたんに量的な拡張(たとえば土地の開墾)でない限り、分業の新たな発展を結果するものである。
一国民内部における分業は、まず第一に、産業労働および商業労働を農耕労働から分離させ、これを都市と農村との分離ならびに両者の利害対立を発生させる。分業がより一層発展すれば、商業労働が産業労働から分離すると同時に、このような各種部門内部における分業によって、さらに、一定の労働のために協働する諸個人間に、各種の部類が発達してくる。このそれぞれの部類の相互の地位は、農耕労働・産業労働および商業労働の経営様式(家長制、奴隷制、諸身分、諸階級)によって制約されている。交通がより発展すると、同様の関係が諸国民相互の間にも現われてくる。
【P11】分業の発展段階がいろいろ異なるにしたがって、財産<合同版では「所有」>の形態もいろいろ異なってくる。すなわち、そのつどの分業の段階は、労働材料・労働用具および生産物との関係における個人相互間の諸関係をも規定するのである。
[P34]財産の最初の形態は種族<合同版では「部族」>財産である。それは、一民族が狩猟および漁労によって、牧畜によって、もしくはせいぜい農耕によって、暮らしを立てる場合である、生産の未発達段階に照応する。ことに農耕の場合には、これは大量の未開墾地を前提する。この段階にあっては、分業はまだごくわずかしか発展しておらず、家族内に存在していた自然発生的な分業のやや拡張されたものにとどまる。それゆえ社会的編成もまた、家族の拡張されたものにとどまっている。すなわち、家長的な種族の首長があり、その下に種族の成員がおり、最後に奴隷がいる、というふうである。家族のうちに伏在している奴隷制は、人口の増加と欲望の増大とにともない、また戦争とか交易のような対外交通の伸張にともなって、徐々に発展しはじめる。
第二の形態は古代の共同体財産および国家財産である。このものは、特に、契約または征服によって多数種族が一都市へ結集することから生ずるものであり、この場合にも依然として奴隷制は存続する。共同体財産とならんで、早くも動産的私有財産が発展し、さらに少しおくれて不動産的私有財産もまた発展する。しかしそれは、共同体財産にたいして<変則的な……合同版>従属的な形態としてである。国家公民はただ彼らの共同体のうちにあってのみ、彼らの労働奴隷に対する支配力を有しており、このために共同体財産の形態に拘束されている。この共同体財産なるものは、奴隷との対抗上こうした自然発生的な連合様式にとどまることを余儀なくされている活動的な[P35]国家公民の、共同の私有財産である。それゆえこれにもとづく社会の全編成およびそれとともに民族の勢力は、なかでも、不動産的私有財産が発展するのに平行して崩壊する。この場合、すでに分業は相当発展している。我々はすでに、都市と農村との対立を、後には都市の利害を代表する国家と農村【P12】の利害を代表する国家との対立を、そして諸都市そのものの内部においては工業と<海上貿易……合同版>との対立を、見いだす。市民と奴隷との階級関係は完全に発達している。@
<この次にナウカ社版では、合同版の〔Ⅳ、8〕部分が入る>

【P13】私有財産の発展にともない、ここにはじめて、近代的私有財産の場合により拡張された規模において再び見出されるものと同一な諸関係が出現する。一方、私有財産の集中がそれであって、これはローマにおいてはきわめてはやくから始まり(リキニウスの耕地法がその証左である)、内乱期以降、ことに皇帝の治下において、はなはだ急速に行われた。他方これと関連して行われた平民的小農のプロレタリアートへの転化がそれである。ただし後者は有産市民と奴隷との中間にある中途半端な地位のために、なんらの独立な発展を示すにいたらなかった。
[P36]第三の形態は封建的もしくは身分的財産である。古代が都市およびその小領域から出発したのにたいして、中世は農村から出発した。大面積の土地の上にまばらに散在していた既存の人口が征服者たちによってもなんらの著しい人口増加をこうむらなかったことが、出発点をこのように変化させた条件であった。それゆえに封建的発展は、ギリシャおよびローマとは反対に、ローマ人の諸征服と当初それらに結びついて行なわれた農業の普及とが準備した非常に広大な地盤の上で始まっている。没落しつつあるローマ帝国の最後の数世紀と未開人たちによるその征服そのものとが、大量の生産諸力を破壊した。農耕は衰微し、工業は販路の欠乏のために衰退し、商業は弛緩し、もしくは暴力的に途絶させられ、農村および都市の人口は減退した。このような既存の諸関係およびそれに制約された征服の諸方法は、ゲルマン人の兵制の影響を受けて、封建的財産を発展させた。封建的財産もまた一種の共同体を基礎としている点では、種族財産および共同体財産と変わりがなかったが、生産に直接たずさわる階級としてその共同体に対立するものは、古代共同体の場合のように、奴隷ではなくて、農奴的な小農であった。封建制の完全な発達にともなって、同時にもう一つ、諸都市にたいする対立が加わってくる。土地所有の<位階制的……合同版>編成およびこれと関連ある武装した家臣団は、[P37]農奴を支配する力を貴族にあたえた。この封建的編成は、古代の共同体財産と同様に、生産にたずさわる被支配階級にたいする連合に他なら【P14】なかった。ただ連合の形態と直接の生産者たちにたいする関係とが共同体の場合と違っていただけであった。というのはそこには違った生産諸条件が存在していたからである。
土地所有のこのような封建的編成に照応して、諸都市においては組合的財産、すなわち、手工業の封建的組織が存在した。財産はここでは主に各個人の労働であった。連合している強奪貴族に対抗しての団結の必要、工業家が同時に商人でもあった時代において当然起こる共同の市場家屋の必要、興隆しつつある諸都市へ流れ込んでくる逃散農奴たちの間の競争の増大、全土の封建的編成、これらのものは各種の同業組合を生じさせた。個々の手工業者の群小資本がしだいに貯蓄されたこと、ならびに彼らの数が人口の増加にかかわらず変動しなかったことが、職人および徒弟関係を発展させ、その結果として諸都市のうちにも、農村におけるのと類似の<位階制……合同版>が成立するにいたった。
こうして封建時代にあっては、主要財産は、一方、土地所有に縛りつけられた農奴労働を含めての土地所有からなり、他方、職人たちの労働を支配する[P38]小資本を含めての自己自身の労働からなっていた。両者の編成は、局限された生産諸関係──僅少な粗放な土地耕作および手工業的な工業──によって制約されていた。分業は封建制の開花期にはわずかしか行われなかった。いずれの国も自己のうちに都市と農村との対立をもち、身分制的編成はもとよりはなはだ鋭く浮き出ていたが、しかし農村における諸侯・貴族・僧侶および農民の差別、ならびに都市における親方・職人・徒弟および<やがて加わる……合同版>日雇賤民の差別のほかには、なんら重要な分化は行われなかった。分業は、農耕においては、農民たち自身の家内工業をともなったところの零細化的耕作によって困難となり、工業≪でも≫、個々の手工業そのものの内部においてはまったく行われず、ただきわめてまれに個々の手工業の相互間に行われることがあっただけだ。工業と商業との分化は比較的古い都市【P15】には前から存在していたが、比較的新しい都市においては、都市同士が関係を結ぶにいたった後になってはじめて発展した。
相当の大きさをもった諸国がいくつかの封建的王国に総括されるということは、土地貴族にとっても都市にとっても、等しく一個の必要事であった。このために支配階級すなわち貴族の組織は、どこのを見ても、頭に一人の君主をいただ[P39]いていた。
<4 唯物的歴史観の本質、社会的存在と社会的意識>

[P39]【P15】こうして事実はこうである、すなわち、一定の様式にしたがって生産的に活動している一定の諸個人は、上述のような一定の社会的および政治的諸関係を結ぶ。経済的観察は、それぞれの場合について社会的および政治的編成と生産との関連を、経験的にかついっさいの神秘化および思弁を交えることなしに、示さなければならない。社会的編成および国家はつねに一定の諸個人の生活過程から生まれる。ただしここに言う諸個人とは、彼ら自身のもしくは他人の表象に現われるようなものではなく、[P40]現実にあるがままの、すなわち、行動し物質的に生産しているところの、つまり一定の物質的なかつ彼らの恣意から独立な諸制限、諸前提および諸条件のもとで活動しているところの、諸個人なのである。
各種の理念、表象、意識の生産は、まず第一に、人間の物質的活動および現実生活の言葉である物質的交通のうちに直接に織り込まれている。人間の表象作用・思惟作用・精神的交通は・ここではなお、彼らの物質的行動の直接な流出として現われる。一般にある民族の政治・法律・道徳・宗教・形而上学・等々の言葉のうちに見られる精神的生産についても、同一なことが言える。人間は彼らの諸表象、諸理念、等々の生産者である。ただしここに言う人間とは、彼らの生産諸力とこれらに照応する交通(その最高の諸形態にいたるまでの)との一定の発展によって制約されているところの、現実的な行動しつつある人間のことなのである。意識とは意識的な存在以外の何ものでも断じてありえない。そして人間の存在とは彼らの現実的な生活過程のことである。【P16】あらゆるイデオロギーのうちにおいては、人間および彼らの諸関係がちょうどカメラの暗箱のなかでのように、逆立ちして現われる。この現象は、[P41]網膜の上における対象の倒立が人間の直接に物理的な生活過程から生ずるのとちょうど同じように、実は人間の歴史的な生活過程から生ずるのである。
[P42]天上から地上に降りてくるドイツ哲学とは全然反対に、ここでは我々は地上から天上へ昇るのだ。すなわち、我々は、人間が語り、空想し、考えるところのものから、または語られ・思惟され・構想され・表象された人間から出発して、やがて肉体をもった人間に到達するのではなく、現実に活動している人間から出発し、彼らの現実的な生活過程から始めて、この生活過程のイデオロギー的な各種の反映と反響との発展までを叙述するのである。人間の頭脳中における各種の<ぼんやりとした形象……合同版>もまた、彼らの物質的な・経験的に確かめられうる・かつ物質的諸前提に結びつけられている・生活過程の必然的な昇華物なのである。こうして道徳・宗教・形而上学その他・のイデオロギー、ならびにこれらに照応するもろもろの意識形態は、もはや独立性の外観を保持しない。それらのものは何らの歴史をもたないし、それらのものは何らの発展をもたなくて、むしろ、物質的生産と物質的交通とを発展させつつある人間が、彼らのこのような現実といっしょに、彼らの思惟や思惟の諸生産物を変更するのである。意識が生活を規定するのではなくて、かえって生活が意識を規定する。前のほうの見方においては、<生きた個人のかわりに……合同版>意識が出発点とされ、現実の生活に適応する<合同版では「一致する」>後のほうの見方においては、現実的な生きた諸個人そのものが出発点とされる。この際意識は[P43]彼らの意識としてのみ観察される。
このような見方は無前提ではない。それは現実的な諸前提から出発する、それはこれから瞬時も離れない。その諸前提とは、何らか空想的に封鎖され固定させられた状態にある人間ではなく、一定の諸条件のもとに経験的に直観されうる現実的な発展過程における人間である。このような活動的な生活過程が叙述されるや否や、彼ら自身も観念論者に【P17】劣らず抽象的である経験論者たちのように、歴史を死んだ事実の寄せ集めだとは考ええなくなる。あるいは、観念論者たちのように、歴史を空想された主観の空想された行動だと考えることはできなくなる。
こうして現実的な生活においては、思弁のやむところ、現実的な実証的な科学が始まる、人間の実践的な活動の、実践的な発展過程の、叙述が始まる。意識に関する空論はやみ、現実的な知識がそれに代わらねばならぬ。独立したものとしての哲学は、現実の叙述が行われるとともに、その存在の媒質を失なう。この哲学に代わりうるものは、たかだか、人間の歴史的発展の観察から抽象されうるところの最も一般な結論の総括ぐらいなものである。この抽象の結果得られるものも、それだけとしては、すなわち、現実の歴史から切り離されては、皆目何らの価値をももたない。それは、歴史的資料の整理を容易にしたり、[P44]各時代の順序を暗示したりすることに役だちうるだけである。しかしながらそれは哲学のように、それにさえしたがえば歴史上の諸時代を整理しうるというような処方箋または図式を与えるものではけっしてない。むしろ反対に、ある過去の時代のものであろうと、現代のものであろうとを問わず、我々が資料の観察および整理、すなわち現実的な叙述にたずさわるとき、はじめて困難が始まるのである。この困難を除去する方法は、ここでは指摘できないのであって、それは、各時代の個人の現実的な生活過程と行動との研究の結果をまってはじめて判明する諸前提によらねばならぬ。そこで、こうした抽象の若干を取り上げ、これをイデオロギーに向かって適用してみよう。そしてこれを歴史上の実例に照らして解明してみようと思う。

<[P45] Ⅱ  ナウカ社版ではここに〔Ⅰ〕歴史 の見出しが入る。合同版ではただの傍注の扱いとなっている>
<以下のパラグラフは新たに訳出されたもの。ナウカ社版にはないので合同版の訳文を引用>
<1 人間の現実的解放の諸条件>

<われわれは、わが賢明な哲学者たちを、次のようなことについて、すなわち、たとえかれら哲学者たちが哲学、神学、実体、その他すべてのこうしたがらくたを《自己意識》にとかしこみ、《人間》を、それが一度もそれに従属したことのなかったこれらの空文句の支配から、解放[P46]してやったところで、《人間》の《解放》はまだ一歩も前進したわけではないこと<傍注※1>、現実的解放は、現実世界のなかで、そして現実的な諸手段によって遂行することよりほかには不可能であること、奴隷制は蒸気機関と紡績機なしに、農奴制は農耕の改良なしに、けっして廃止しえないこと、一般に人々の解放は、彼らが衣食住を量質ともに十分に保証されえないあいだは、けっしてありえないこと、について啓蒙しようと骨折ったりなどはもちろんしないだろう。《解放》は歴史的事業であって思想の事業ではない。そして解放は、歴史的な諸関係によって、すなわち工業、商業、農業、交通……の状態によって実現される。それからもういちど、それら種々の発展段階に応じて、実体とか主体、自己意識、純粋批判といったたわごとを、まったく宗教的、神学的たわごととおなじに……、そしてそれらに十分な発展をとげさせたあとでふたたびそのたわごとをとりのぞく<傍注※2>。要するに、ドイツのようにまったくみじめな歴史的発展しかおこらない国では、こうした思想発展、この神々しくはあるが無力なルンペン性が、歴史的発展の欠如をおぎない、根を張っているのだ。こうしたものにはたたかいがいどまれねばならない。しかしそれは、局地的な意義のたたかいである<傍注※3>。>
<傍注※1 「哲学的解放と現実的解放」、「人間なるもの。唯一の。個人」、「地理的、水誌的等々の諸条件、人間的活動、要求と労働」 マルクス>
<傍注※2 「空文句と現実的運動、ドイツにとっての空文句の意義」 マルクス>
<傍注※3 「言語は現実性の言語である」 マルクス>
<[P47] 2 フォイエルバッハの唯物論の直観性と不徹底性への批判>
<この部分は、ナウカ社版では【P37】「Ⅱ 意識の生産」のなかに入れられている>

【P37】…<5ページ分欠落>…現実においては、そして実践的唯物論者、すなわち、共産主義者にとっては、[P48]現存する世界を変革し、既成の諸事物を実践的に攻撃し変更することが問題である。もっともフォイエルバッハにあっても時としてこの種の見解が見いだされることがないではないが、それらは個々ばらばらな思いつき以上にけっして出ず、彼の一般的な見方にたいしてきわめて影響が少ないので、それはここでは発展能力をもった萌芽として以外には考察の対象となりえないだろう。感性的世界についてのフォイエルバッハの『見解』は、一方ではそれのたんなる直観に局限され他方ではたんなる感覚に局限されており、彼は『現実的な歴史的な人間』のかわりに、『人間というもの』について語っている。この『人間というもの』は実は『ドイツ人』である。前者の場合である感性的世界の直観においては、彼は必然的に、彼の意識や彼の感情と矛盾する諸事物につきあたる。感性的世界のあらゆる部分、とくに人間と自然、について彼が前提している調和を妨げるような諸事物につきあたる(原注※)。そこでこのような事物を取り除くためには、彼は二重の直観に、『明白で手近なもの』を見てとる俗人的な直観と、諸事物の『真の本質』を見抜くところの・よりいっそう高く哲学的な直観とに、逃避しなければならない。彼は、彼をとりまく感性的世界が直接に永遠の昔から与えられたつねに自己同一的な事物ではなく、むしろ産業と社会状態の産物である[P49]ことを、理解しない。ことに、その世界が一個の歴史的産物であり、諸世代の全系列の活動の成果であって、かつこれらの諸世代はいづれも先行する諸世代を伝承し、その産業と交通とをさらに発達させ、その社会秩序を変化させられた新しい欲望にしたがって変更したのであるという意味を理解しない。もっとも単純な『感性的確実性』の対象であっても、社会的発展・産業と商業上の交通とによってはじめて彼に与えられたものである。さくらんぼの木は、たいていの果樹と同じに、周知のように、わずか数世紀前、商業によって我々の地帯に移植されたものにすぎない。それゆえこれは、一定の時代におけ【P38】る一定社会のこのような行動によってはじめて、フォイエルバッハの『感性的確実性』にまで与えられたのである。@

(原注※ フォイエルバッハが明白身近なもの、感性的仮象<合同版では「外見」>を、感性的事態のより精密な研究によって確かめられた感性的現実性に従属させることが誤謬であるのではなく、むしろ彼が究極において、感性を『眼』をもって、すなわち哲学者の『眼鏡』を通して眺めることなしには、感性を始末し得ないことが、誤謬なのである。)
<この原注はナウカ社版ではもう少しあとの【P40】に入っている>

とにかく、このように、事物をそれらがあるがままに、かつ成りきたった通りに、把握するやり方においては、[P50]後にいっそう明瞭に分かるように、いっさいの深遠な哲学的問題はまったく単純に一個の経験的事実に解消される。たとえば、人間対自然の関係に関する重大問題(またはブルーノのいわゆる『自然と歴史とにおける諸対立』──あたかも二つが互いに孤立した『物』であり、人間はけっして歴史的自然と自然的歴史とを<目撃するのではない……同>かのような口ぶり)、──これから『実体』や『自己意識』についてのいっさいの『測りがたいほど高遠な諸著作』が現われてきているのである、──は、あの大評判の『人間と自然との統一』は産業のうちにとっくの昔から成立しており、そしてまったく自然と人間との闘争と同様に、各時代ごとに産業の発展程度の大小に応じてことなった形で成立し、ついには適応する基礎の上における人間の生産諸力の発展にまで達してきたことを洞察すればおのずと崩壊する。産業と商業、すなわちもろもろの生活必需品の生産と交換とは、配分、すなわち種々な社会階級の編成を自分の側から制約するが、逆にまた、その<営み方……同>については、配分、すなわち種々なる社会階級の編成によって制約されるのである。──だからこそフォイエルバッハは、たとえば百年前なら糸車と手織機としかみられなかったマンチェスターに、[P51]今はただ工場と諸機械とを見、あるいはアウグストゥスの時代にはローマの資本家たちの数々の葡萄園と別荘とのほかには何ものも見出さなかったローマの平原で、ただ牧野と沼地とのみを発見するということにもなるのである。フォイエルバッハは、とくに自然科学の直観について語り、物理学者たちや化学者たちの目にのみ顕わになるもろもろの秘密について述べている。しかし産業と商業とがなくてどこに自然科学があるであろうか。この『純粋な』自然科学でさえ、実に、商業と産業とによって、人間の感性的活動によって、はじめてその目標<合同版では「目的」>と材料とを受けとるのである。この活動、このたえまない感性的【P39】な労働と創造、この生産こそがまったく、現に存在しているような全感性的世界の基礎なのであるから、もしそれがただの1年間でも中絶するならば、たんに自然界のうちに驚くほどの変化にを見出すだけではなく、全人間界および彼自身の直観能力を、いや、彼自身の生存さえをも、たちまちのうちにフォイエルバッハは失なうであろう。なるほどその際も、外的自然の先行性は依然として存在しているのであり、また言うまでもなくこのこといっさいは、無受精発生によって産まれた原生的な人間には、適用されない。しかし、この区別はただ、[P52]人間を自然から区別されたものとして見るかぎり、意味をもっているにすぎない。いずれにしろ、人間の歴史に先行するこの自然はけっして、フォイエルバッハが住んでいるような自然でもないし、新たに生成したオーストラリアの珊瑚孤島においてでもなければ、今日もはやどこにも存在せず、したがってまたフォイエルバッハにとっても存在しないような自然<なのである……合同版>。@
──もちろんフォイエルバッハは、『純粋』な唯物論者たちに比べて、どんなに人間もまた『感性的対象』であるかを洞察しているという点において、大いに優れている。しかし彼が人間をただ『感性的対象』としてのみとらえ、『感性的活動』としてとらえていない点を別にしても、依然彼の振る舞いは理論の限界にとどまり、人間をその与えられた社会的連関においてとらえず、人間を現存するものにまでつくり上げてきた生活諸条件のもとでとらえないから、彼はけっして現実に存在する活動的な人間に達することなく、むしろ『人間』という抽象物に立ち止まり、『現実的な個人的な肉体をもった人間』をたんに感覚において認めるということをなしとげただけであるにすぎない。すなわち[P53]彼は、性愛と友情と以外には、なんらほかの『人間の人間にたいする』『人間的関係』を知らず、しかもこれさえも<理想化……同>しているのである。現在の生活関係の批判は皆無である。それゆえに彼は、感性的世界を、それを形成している諸個人の生きた感性的な全活動として把握するまでにいたらず、したがって現在たとえば健全な人間のかわりに腺病質の過労し結核にかかった無数の飢餓貧困者を見るかぎり、彼は『より高【P40】い直観』や観念的に『ひとからげに人類を見てしまう』というやり方に逃避せざるをえないのであり、それゆえに、共産主義的唯物論者が、産業ならびに社会編成の変革の必然性とその条件とを見る場所に来るとフォイエルバッハは観念論に逆転せざるをえないのである。

フォイエルバッハが唯物論者であるかぎりでは、彼にとって歴史は存在しない、そして彼が歴史を考察の的にするかぎりでは、彼は少しも唯物論者ではない。彼にとっては唯物論と歴史とはまったく互いに離れ離れになっている、しかしこのことは、上に述べたことからすでに明らかである。
<[P54] 3 歴史の本源的関係、あるいは社会的活動の基本的側面、生活手段の生産、あたらしい要求の産出、人間の生産(家族)、交通、意識>

【P18】我々は前提を排するドイツ人<との関係上……同>(傍注※1)、いっさいの人間的存在、したがってまたいっさいの歴史の第一前提である『歴史を作りうる』ためには人間は<生きていることができねばならない……合同版>、という前提を確認することから始めなければならない。しかし<生きるために必要なものとは、なによりもまず……合同版>、食うことおよび飲むこと、住むこと、切ること、その他なお若干のこと等である。(※2)それゆえに第一次的な歴史的行為はこれらの[P55]欲望を充足するための手段の産出、すなわち、物質的生活そのものの生産である。しかもこのことは、人間が少なくとも生存するためには、今日でも数千年前と同様に日々刻々遂行されねばならぬ歴史的行為、つまりいっさいの歴史の根本条件なのである。聖ブルーノのように、感性を一本のステッキのような最小限のものに還元するときでさえ、その感性はこのステッキの生産の活動を前提にする。こうしてすべての歴史把握にさいして第一に着目すべきことは、このような根本的事実の広範な全意義を考察し、その占めるべき地位を正常に評価することである。ドイツ人は周知のごとく、いまだかつてこのことをなしたことがない。それゆえいまだかつて歴史の地上の基礎を考えたことがなく、それゆえいまだかつて一人の歴史家をも持ったことがない。フランス人やイギリス人は、この事実といわゆる歴史との関連をごく一面的に理解したにすぎなかったとはいえ──彼らは政治的イデオロギーにとらわれていた間はことにそうであった──、市民的社会、すなわち商業および工業の歴史を最初に書いたことによって、ともかくも歴史叙述に唯物論的な基礎を与える最初の試みを果たしたのである。──@
[P56]第二に着目すべきことは、充足された最初の欲望自体が、欲望充足の行動と既得の欲望充足用具とが、新たな欲望へ導くということである。──そして新たな欲望のこのような産【P19】出こそ第一次的な歴史的行為である。このような見方に照らすとき、ドイツ人の歴史的知恵がいかなる正体のものであるか、がたちどころに判明する。彼らは、実証的な資料が欠けていて、かつ神学的な・あるいは文学的な・<たわごとが語れないところでは……合同版>、歴史のかわりにたんに『前史時代』をつくりだすのであるが、しかもこの『前史』というナンセンスから、本当の歴史にはいるにはどうすればよいかについては、かれらは我々に何ら説明するところがない。──それにもかかわらず他方彼らの歴史的思弁はこの『前史』なるものにそれこそ熱中しきっているのである。というのは、そこでならば、かれらの歴史的思弁も『生の事実』からいろいろの干渉を受けずにすむと信じられているからであり、同時に彼らの歴史的思弁が、その思弁的衝動を思う存分駆けさせて仮説を幾千でも作ったり、壊したりすることができるからである。@
ここで歴史的発展のなかに、そもそものはじめから登場する第三の関係は、日々新たに自分たち自身の生活を造っていく人間が他の人間を造りはじめる、すなわち繁[P57]殖しはじめるという関係である。──夫と妻の関係、親と子の関係、すなわち家族がそれである。@
この家族なるものは、はじめのうちは唯一の社会的関係であるが、後になって、欲望の増大が新たな社会的諸関係を産み出し、人口の増加が新たな欲望を産出するようになると、一つの従属的な関係となる(ドイツ人は例外)。そのときには、ドイツ人がよくやるように『家族の概念』にしたがってではなく、実在する経験的な所与の事実にしたがって、これを展開しなければならない@
ところで社会的活動のこの3面は、三つの異なった段階として把握されるべきではなく、歴史の端緒以来、かつ最初の人間以来、同時的に存立してきて今日でもなお歴史のうちに厳存しつつあるところの3面として、あるいはドイツ人にわかるように書けば、三つの『契機』として、理解されなければならないのである。@
(傍注※1 「歴史」 マルクス)
(傍注※2 「ヘーゲル。 地質学的、水理学的等の諸関係。 各人の身体。欲望、労働。」 マルクス)
<これらの傍注はナウカ社版では、もう少し後の【P23】に入れられている>

[P58]そもそも生活の生産、すなわち、労働における自己の生活、ならびに生殖における他人の生活、の生産は、それ自体一個の二重の関係となって──一方では自然的な関係として、他方では社会的な関係として──現われる。ここに【P20】社会的というのは、いかなる条件のもとにあるものであろうと、いかなる様式においてのものであろうと、およびいかなる目的のものであろうとを問わず、ただ多数個人の協働を意味するにすぎない。このことから明らかになるように、一定の生産様式もしくは工業段階は、つねに協働の一定の様式もしくは一定の社会的段階に結びついており、かつこの協働の様式はそれ自体一種の『生産力』である。また人間が左右しうる生産諸力の<総体……同>は社会の状態を制約し、したがって『人間の歴史』はつねに産業および交換の歴史との関連において研究され論述されねばならぬ。同時に明瞭なことは、このような歴史を書くことがドイツではいかに不可能であるか、ということである。なぜならばドイツ人にはそのために必要な理解力や資料のみならず、『感覚的確実さ』が欠けているからであり、また、ラインの対岸ではもはや歴史がまったく進行していないために、歴史について何らの経験も持ちえないからである。こうして、人間相互[P59]の間には、欲望と生産の様式とによって制約させられた、かつ人間そのものとともに古いところの、唯物論的な関連とも言うべきものがあることが明らかとなる。──人間をとくにことさら結びつけるような何らかの政治的なもしくは宗教的なナンセンスが存在しなくとも、いつも新たな諸形態をとりながらいわゆる『歴史』を提供するところ連関がそれである。@
──根本的な歴史的諸関係の四つの契機、四つの側面、をすでに考察し終えたのち、はじめて我々は人間が『意識』をも有しているということを見出す(傍注※3)。だがそれも、もとより『純粋な』意識としてではない。『精神』は元来物質に『憑かれて』いるという呪われた運命を担っている。現に今、物質は、運動する空気層として、音という形をとって、要するに言語の形をとって現われる。言語は意識とその起源の時を同じくする。──言語とは他人にとっても私自身にとっても存在するところの実践的な現実的な意識であり、また、意識と同じく、他人との交通の欲望および必要から発生したものである。一個の関係<合同版では「応答関係」>が存在するという場合、それは私にとって存在する。ところが動物は何ものにたいしても『関係』しない【P21】し、およそ、関係というものをもたないのである。動物が他のものに対する関係は、動物にとっては[P60]関係として存在する<合同版では「顕在化する」>のではない。それゆえに意識は、元来一種の社会的産物であり、そしてこのことは、一般に人間が存在するかぎり変わらない。言うまでもなく意識は最初は、もっとも手じかな感性的な環境についての意識にすぎず、<自己を意識しつつある……合同版>個人の外部に横たわる他人や事物とのごく局限された関連の意識であるにすぎない。それは同時に自然についての意識である。(自然なるものは、人間に向かってはじめのうちはまったくとっつきにくい全能な侵しがたい力として対立し、したがって人間はこれに対して純動物的な関係におかれる。彼らはあたかも禽獣のように自然のまえに畏伏する。)したがってそれは、自然についての純動物的な意識(自然宗教)とも言うべきものである。@

(傍注※3 「人間が歴史をもつのは、彼らが彼らの生活を生産しなければならないからであり、しかも特定の様式でそうしなければならないからである。そしてこのことはかれらの身体的組織を通じて与えられなければならぬ、ちょうど彼らの意思と同様に。」 マルクス)
<この傍注もナウカ社版では【P23】に入れられている>

──ここでもただちにわかるように、この自然宗教あるいは自然に対する一定の関係は、社会形態によって制約されているとともに、またその逆でもある。いつでもそうであるが、[P61]ここでも一方の自然と人間との同一性、すなわち、自然がまだほとんど変更されていないために、自然に対する人間の局限された関係が彼ら相互の局限された関係を制約し、同時に他方、外部の諸個人との必然的な結合の意識、自分がともかく一個の社会のうちに生活しているのだという意識の端緒が、強く現われてくる。この意識の端緒は、この段階の社会生活自身と同様動物的である。それはたんなる群意識である。人間はこの場合、彼の意識が本能の代わりをしているということ、あるいは、彼の本能がいわば、意識的なものになっているということによって、わずかに羊から区別されるにすぎない。この羊意識あるいは種族意識は、生産性の増大と需要の増加、およびこの両者の根底に横たわるところの人口の増加によって、いっそう発展し発達する。これとともに分業は発展する。この分業というものは、本来は性行為における分業にほかならず、次には自然的素質(たとえば体力)・欲望・諸偶然・等々によっておのずから、すなわち、『自然発生的に』生じたところの分業とし【P22】て現われたものであった。分業は、物質的労働と、精神的労働との分化が[P62]出現する瞬間から、はじめて現実的に分業となる(傍注※5)。この瞬間から意識は、自分を現実の実践の意識以外の何ものかであるかのように想像し、また何ら現実的なものを表象することなしにしかも現実に現実に何ものかを表象しているかのように実際に想像しうる。──この瞬間から意識は、自分を世界から解放して『純粋理論』・神学・哲学・道徳・等々への構成へ移っていくことが可能となる。ところでこのような理論・神学・哲学・道徳・等々が現存の諸関係と矛盾に陥る場合があっても、それは現存する社会的諸関係が現存する生産力と矛盾に陥っている、ということのよってしか起こりえないのである。──もっとも、国民という特定の関係を入れてみれば矛盾がその国民の内部になくて、その国民の意識と他国民の実践との間にあるとき、すなわち、ある国民の国民的な意識と一般的意識との間に矛盾が横たわるとき、やはりおなじ現象が起こることがある(傍注※6)@
<以下の文章は、引き続いて、新しく合同版に入れられたもの……
(これは現在、ドイツで起こっていることだ。)しかし、この矛盾は、民族的意識の範囲内にのみ存在する矛盾として示されているのであるから、その場合、この民族にとっては、闘争もまた、こうした民族的いざこざに終始するものであるかに見えるだろう。>

[P63](傍注※5 「イデオローグの最初の形態はどこでも僧侶である。」 マルクス)
(傍注※6 「宗教 イデオロギーとしてのイデオロギーをもつドイツ人」 マルクス)
<これらの傍注もナウカ社版では【P24】に入れられている>

──それはともかくとして、意識がひとりで何をはじめようと、そんなことはまったくどうでもいいことだ。我々がこのような≪ただの意識の産物にすぎない≫全汚物のなかから得ようとするものは次のような結論だけだ。すなわちこの≪生活の生産の≫三つの契機である生産力・社会状態および意識が、互いに矛盾に陥ったり、また陥らざるをえなかったりするのは、分業の出現にともなって精神的労働と物質的労働とが(享楽と労働とが、生産と消費とが)別々の個人に帰属するという可能性、否、現実性、が与えられるからであり、そしてそれが矛盾に陥らなくなるような可能性は分業を再び廃止することのうちにしか存在しない、という結論なのだ。さらに、『幽霊』、『結縁』、『より高い存在』、『概念』、『不安』などが、孤立させられた個人の観念論的な僧侶的表現、明らかにそれの表象にすぎず、生活の生産様[P64]式ならびにこれと関連する交通形態を動かしているところのきわめて経験的な桎梏や制限についての表象であるにすぎない、ということも言うまでもなくあきらかなことである。
<ここにナウカ社版では、合同版の〔Ⅳ、6〕に移動された原注部分が入る>
<4 社会的分業とその諸結果=私的所有、国家、社会的活動の《疎外》>

[P64]【P24】これらいっさいの矛盾は分業のなかに与えられている。ところが分業は分業で、家族内における自然発生的な分業と、社会が相互に対立している諸家族へ分裂することとにもとづいている。──このような分業の出現と時を同じくして、分配もまた与えられる。しかも量的にも質的にも不平等な労働および労働生産物の分配、つまり財産、が与えられている。妻や子供たちが夫の奴隷であるところの家族のうちにすでにその萌芽を、その最初の形態を、もつところの財産がそうである。家族内におけるもとよりまだきわめて粗野で潜在的な奴隷制は最初の財産である。しかもこの場合すでに[P65]それは財産としても、財産をもって他人の労働力にたいする処分権であるとなすところの近代の経済学者たちの定義に完全に適している。要するに分業と私有財産とは同一のことを表現する言葉である。──ただ、同じことが前者においては活動との関係において言い表わされ、後者においては活動の生産物に関して言い表わされているのである。@
──さらに分業の出現と同時に、各個人もしくは各家族の利害と、相互に交通しあうすべての個人の共同利害との間における、矛盾が与えられる。しかもこの共同利害は、『一般的なもの<合同版では「普遍的なもの」>』としてたんに表象に存在するようなものではなく、分業を行なう諸個人の相互依存として、なによりもまず実際に存在するものである。@

<以下のエンゲルスによる二つの欄外にあるパラグラフは、ナウカ社版では少し後ろの【P25】の後半に入れられている。>
[P65]<まさにこの特殊利害と共同利害との矛盾から、共同の利害は国家として、現実的な──個別的でありまた総体的であるような──利害から切り離された自立した姿をとる。同時にそれは、幻想の上でだけ共同性の姿をとるのであって、実はいつも、各家族集団および部族集団のうちに現存するもろもろの絆、たとえば血と肉、言語、比較的大規模な分業と、その他の諸利害といった実在的な土台の上に立っており、ことに、後で述べようと思うが、分業によって既[P66]に作り出されている諸階級、すなわち各種の人間集団ごとに分かれて、そのうちの一つが他を支配するような、諸階級という実在的基礎の上に立っているのである……同>。このことから結論されることは、国家の内部におけるいっさいの闘【P26】争、すなわち、民主制・貴族制・君主制・の間の闘争、選挙権のための闘争等々は、階級相互間のいろいろの闘争が行なわれる際にとるところの幻想的な諸形態にほかならないということ(ドイツの理論家たちは、我々が『独仏年誌』や『聖家族』のなかで、この点にたいする手引きを十分に与えておいたにもかかわらず、ちっともわかっていない。)、そしてさらに、支配に向かって努力しつつあるすべての階級は、プロレタリアートの場合においてのように、当該階級の支配が旧い社会形態全体と支配一般との廃棄の条件となる場合でも、自己の利害を同時に一般的なものとして表現するためには、──いずれの階級も最初の瞬間においてはこうすることを余儀なくされる──まずもって政治権力を奪取せねばならないということ、これである。@
個人はただ、各自の特殊な<利害……同>を、すなわち共同利害と合致しないものを求めるからこそ、一般に一般的なものが共同性の幻想的な形態をとるのである。そしてこの一般的なものが彼らにとって『外的な』かつ彼らから『独立な』[P67]利害として、それ自身ふたたび特殊な、かつ独特な『一般』利害として主張されるのである。そうでなければ彼ら自身が、民主制のもとにおいてのように、このような分裂のなかにおいて互いに敵対しあわなければならない。他方において、共同のあるいは幻想上共同の諸利害にたいして、たえず現実的に対立しているところのこれら特殊利害は、国家としての幻想的な『一般』利害による実践的な干渉と制御とを、当然に必要とさせる。@

[P67]そして最後に、分業の出現と同時に我々に提【P25】供されるのは、人間が自然発生的な社会のうちにあるかぎり、したがって特殊利害と共同利害との間の分裂が存在するかぎり、したがって活動が自由でなく、自然発生的に分業化されているかぎり、人間自身の行為は彼にとって、いわば外的に対立する力となるということ、すなわち、彼が支配するのではなく、かえって彼が抑圧されるような力となるということの、最初の実例である、すなわち、労働が分配されはじめるや否や、各人は、容易に抜け出られないような一定の専門的な強制的な活動範囲≪すなわち“職業”≫をもつにいたる。つまり、各人は狩猟者であるか、漁労者であるか、ないしは牧人であるか、それとも批判的批判家であるかであり、かつ彼が生活のための手段を失なうことを欲しない以上、どこまでもそうしていなければならないのだ。[P68]──ところが各人が専門の活動範囲をもたずに、任意の部門の修業ができるような共産主義社会では、社会が全般の生産を統制するのである。そしてそうであるからこそ私は、今日はこれをし、明日はあれをし、朝には狩りをし、午後には漁をし、夕には牧畜をし、食後には批判するというふうに、私の気の向くままのことをして、けっして狩猟者・漁労者、牧人もしくは批判者となることがない。@
さきに述べたような社会的活動の固定化、我々の手におえない、我々の期待にはずれた、我々の計算を台無しにする・我々をおさえつける・物的強力へ、我々自身の生産物がこう着することは、従来の歴史的発展における主要契機の一つである。@
<ここにナウカ社版では先のエンゲルスの文章が入る>

【P26】社会的な力、すなわち、分業によって制約されいろいろの個人の協働から生ずる倍加された生産力は、この協働自体が自発的でなくて自然発生的であるために、これらの個人にとっては、彼ら自身の結合した力として現われずに、彼らの外に立つ、いわば外的な強力として現われるのである。しかもこの強力がどこから来てどこへ去るかは彼らの知るところではないから、したがってもはやそれを支配することができない。[P69]むしろかえって、今やそれ≪社会的な力≫は独特であり、人間の意欲と実行とから独立な、いや何よりさきにこの意欲と実行とを統制するような、一系列の様相と発展段階とを<通過……同>していくのである。@
<ナウカ社版ではここに〔Ⅱ、5〕の冒頭部分のパラグラフが入る>

【P27】そうでなければ、たとえば財産がおよそ歴史をもったり、いろいろの様式をとったりしえたであろうか。また、与えられた前提が異なるのに応じて、土地所有がフランスでは零細化から少数者の掌中への集中へ、【P28】イギリスでは少数者の掌中における集中から零細化へ推移する、といったふうな今日実際に見られる事情が、どうして起こりえたであろうか。あるいは、元来各種の個人および諸国の生産物の交換にほかならない商業が、需要供給の関係を通じて全世界を支配するというようなことが、どうして起こるであろうか。──そもそもこの需要供給の関係は、イギリスの一経済学者に言わせれば、地上を彷徨しつつ目に見えぬ手をもって幸福と不幸とを人間に割り当て、諸国や諸民族をあるいは興起させあるいは衰亡させるものである、あたかも古代の運命の神のように。──ところがその基礎である私有財産が廃止されるとともに、すなわちまた、生産が共産主義的に統制されることによって、人間が自分自身の生産物にたいして立つ疎外的関係が撲滅されるとともに、この需要供給の関係がもつ上述の力は無に帰する。こうして人間は交換・生産・という人間相互が[P70]関係しあう様式を、再び自分の権限にとりもどすようになる。
<[P70] 5 共産主義の物質的前提としての生産諸力の発展>

【P26】哲学者たちにわかりいい言葉を使【P27】えば、こうした『疎外』は、言うまでもなく二つの実践的前提のもとにおいてのみ廃棄されうる。<この疎外が、なにか『耐えがたい』力となるために、すなわち人が、それにこうして革命を起こさざるを得なくなるために、まず前提として必要なのは、それが、人類の大多数をまったく『無所有な』ものとして、また同時に、現存する富と教養──このいずれもが生産力の巨大な成長、それの高度な発展を前提とする──の世界に対立するものとして、産み出していることである……同>。そして他方、生産諸力のこのような発展(<これとともに[P71]まったく同時的に、人間の世界史的な在り方で経験される生活が局地的な在り方のそれに代わって生じてくる……同>)が、絶対に必要な実践的前提の一つである。というのは、生産諸力のこのような発展なしには、ただ欠乏が一般化されるだけであり、したがってたんに窮乏ばかりでなく、必需品のための闘争もまた、再開始されることになり、こうしていっさいの古い汚物がまたもや産出されねばならぬことになるからでもある。さらに、生産諸力のこのような普遍的な発展にともなってはじめて、人間の普遍的な交通が成立するのであるが、これは一方『無産』大衆という現象をいっさいの民族のうちに同時的に産出し(一般的競争)、そして各民族が他の民族における諸変革の影響を免れえないようにし、こうしてついに、世界史的な、経験的に普遍的な個人をもって、局地的な個人に代えたからである。そうでなければ、第一に、共産主義はたんに局地的なものとしてしか存在しえないだろうし、第二に、交通諸力自体が普遍的な、したがって耐えがたい力として発展しえず、いつまでも<田舎的─迷信的な『しきたり』……同>にとどまるであろう。第三に、交通が少しでも拡大すれば、このような地方的な共産主義は廃棄されてしまうであろう。共産主義は経験的には支配的な諸民族の行為として『一挙に』ないしは同時にでなければ可能でない。ところがこのことは生産力の普遍的な[P72]発展およびこれと関連する世界交通を前提している(傍注※1)。@
<ナウカ社版ではここにひとつ前の【P27】のパラグラフが入る>

【P28】ところで<ただ労働するしかない人々の大群──資本から、あるいはたとえどんなつつましいものではあっても、自己の要求の充足ということから断ち切られている大量の労働者勢力──は、またそれゆえ、確実な生活源としての(傍注※2)この労働そのものの、競争によるたんに一時的ではない喪失は、世界市場を前提している……同>。それゆえプロレタリアートはただ世界史的のみに存立しうる。ちょうど共産主義やその行動が、一般に『世界史的』な存在としてのみ存在しうるように。ここに個人の世界史的生存というのは、世界史と直接に結びついているところの諸個人の生存のことである。
我々にとって共産主義は、つくりだされるべき一つの状態、現実がそれにのっとるべき基準となるところの一つの理想ではない。我々が共産主義と名づけるものは、現在の状態を止揚するための現実的な運動である。そしてこの運動の諸条件は現に存在している前提から生ずる。
<ナウカ社版ではこの二つのパラグラフの後先が入れ替わっている>

(傍注※1 「共産主義」 マルクス)
(傍注※2 「まったくおぼつかない状態」 マルクス)

[P73]【P29】<傍注※>従来のいっさいの歴史的段階に存在した生産諸力から制約を受けるとともに、逆にそれを制約しているところの交通状態が、すなわち市民社会なのである。これは、上に述べたことからだけでもわかる通り、単一家族と複合家族、すなわちいわゆる種族制をその前提とし、基礎としているものであるが、このもののもっと詳しい規定は、すでに述べたところに含まれている。その部分だけによって見ても明らかなように、この市民社会こそがいっさいの歴史のかまどであり、舞台なのである。したがって、ものものしい君主や国家の行動ばかりを記載して、現実の諸関係を閑却している従来の歴史観が、いかに不合理なものであるかということは明らかである。@

<傍注※ 「交通と生産力」 ナウカ社版にはこの傍注はない>
<ナウカ社版では、次に合同版の〔Ⅳ、10〕にはいる文章が置かれている>

<以下は合同版による埋められていないページの断片>
<これまで我々は、主として人間活動の一方の面、すなわち人間による自然の加工だけを見てきた。もう一方の面、すなわち、人間による人間の加工……
国家の起源および国家の市民社会への関係……>
<[P74] 6 唯物論的歴史観の諸結論。歴史過程の継承性、歴史の世界史への転化、共産主義革命の必然性>

【P40】歴史とは、個々の世代の継起にほかならないのであって、これら諸世代はそれに先行するすべての世代から譲渡された材料・資本・生産力を利用し、したがって一方では<継承……同>された活動をまったく変化された環境のもとに継続し、他方ではまったく変化された活動によって、古い環境を改変するのである。ところが、このことが思弁的に曲解されて、後代の歴史は前代の歴史の目的と見なされれるようになる。たとえば、フランス革命の勃発を助成するという目的がアメリカ発見の基礎にな【P41】る<というように……同>。こうして歴史はそれ独特の目的をもつことによって『他のもろもろの人格』(『自己意識、批判、唯一者』等々がそれだ)[P75]と肩を並べるような一つの人格となるのである。しかし、前代の歴史の『使命』『目的』『萌芽』『理念』という言葉をもって示されるものは、後代の歴史からの一抽象物、前代の歴史が後代の歴史におよぼす能動的影響からの一抽象物以外の何ものでもないのである。@
──さて、このような発展の過程において、相互に働きかけあう集団が拡張されればされるほど、発達した生産方法・交通およびこれによって自然発生的に生じた諸国民の間の分業によって、個々の民族性の原始的な孤立がなくなればなくなるほど、ますます著しく歴史は世界史となるのである。そこでたとえば、イギリスである機械が発明され、それがインドやシナで無数の労働者を失業させて、その国々の存在形態全体を変革するような場合には、このような発明は一つの世界史的な事実となるのであり、あるいは19世紀において砂糖とコーヒーとが世界史的な意味を著しくするにいたったのは、ナポレオンの大陸<封鎖……同>政策によってこれらの生産物が欠乏した結果、ドイツ人がナポレオンにたいして反逆するにいたり、こうして1813年の光り輝く独立戦争の実在的な基礎ができたことによるのである<といった具合である……同>。このことから結論される通り、歴史の世界史へのこうした転化は、『自己意識』とか、[P76]世界精神とか、あるいはその他の形而上学的幽霊のたんなる抽象的な行為などではなくて、まったく物質的な経験的に実証されうる行為なのである。すなわち、歩いたり立ったり、食ったり飲んだり着たりするような、どんな人間でもが、見本を提供しているような行為なのである。

<ナウカ社版では次の【P29】の前に、「〔Ⅱ〕 意識の生産について」という見出しがついているが、合同版では[P76]で引き続く以下の文章の、ただの(傍注※1)の扱いとなっている。>
【P29】各個人は、その活動が世界史的なものに拡大するにつれて、彼らにとって外的な力のもとにますますはなはだしく隷属させられるようになったということは従来の歴史において、同じように確かに経験的な事実である。(彼らがこの力の圧迫を、いわゆる【P30】世界精神の<策謀……同>等として表象したのももっともだ)。ところで、この力はますます巨大となり、ついにそれは世界市場として現われるにいたる。また共産主義革命(これについてはさらに後に述べる)による現存社会状態の転覆とこれと同じことである私有財産の廃止とによって、ドイツの理論家たちにとって極めて神秘的に見える力が解消されるということ、そしてこののちに、歴史が世界史にまで完全に転化するにつれて各個人の解放が遂行されるということも、等しく経験的に確かなことである(傍注※1)。個人の現実の精神的富が完全に彼の現実的な[P77]諸関係の富に依存することは、上述のことから明瞭である。各個人は<この依存関係……同>によってはじめて、種々なる国民的および局地的制限から解放され、全世界の生産(また精神的生産も)との実践的関係のうちにおかれ、そして全地上界のこの全面的生産(人間の諸創造)にたいする享受能力を獲得しうる状態に置かれる。これら諸力の統制と意識的な支配とに転化される。≪分業における≫各個人の全面的な相互依存関係という、彼らのこの世界史的協働の自然発生的形態は、この共産主義革命により、これら諸力の統制と意識的な支配とに転化される。この諸力はすべての人間の相互的働きかけから産出されたにかかわらず、従来はまったく外的な力として彼らを威圧し、彼らを支配してきたものである。ところで、この考え方も、やはり思弁的・観念論的に、すなわち空想的に、『種の自己産出』(『主体としての社会』)として把握されうる。そしてこれによって、連関の関係におかれている諸個人の継起的な系列が、自己自身を産出するという秘法を行なう唯一の個人として表象されうる。ここに明らかなように、もろもろの個人はたしかに、肉体的にも精神的にも、相互につくりあうのであって、けっして自分で自分をつくりはしない。それは聖ブルーノのナンセンス≪無意味さ≫[P78]においても、または「唯一者」、「<でっちあげられた……同>」人の意味でもそうである。
【P71】最後に我々は、ここに展開された歴史観から次のような諸結論を得る。すなわち、(1)生産諸力が発展するにつれて、現存する諸関係のうちに、災害のみを引き起こしていかなる生産力ともならぬ破壊力(機械および貨幣)としての生産諸力および交通手段を作り出すような段階が現れる──そしてこれと連関して、何ら社会的利益を享受することなく、しかも社会のあらゆる重荷を負わねばならない一階級、社会から閉め出され・他のいっさいの階級に対するもっとも決定的な対立へ強制的に駆りたてられる一階級が、作り出される。この階級は、全社会成員の大多数から構成されるものであり、<この階級から、根本的革命の必然性についての自覚、共産主義的自覚が現れ出る……同>。この意識【P72】は、もちろん、この階級の地位を観察することによって、他の諸階級の間にもまた形成されることができるものである。(2)一定の生産諸力がその内部で利用されうる諸条件は、社会の一定の階級的支配のそれ≪諸条件≫である。<そしてその階級の社会的な力──それはその階級が財産を持つところから生ずるのだが──……同>は、その時々の国家形態においてこの階級の実践的=観念論的表現をもつ。このために[P79]あらゆる革命的闘争は従来の支配的階級に向かって立ちあがるのである<傍注※2>。(3)過去のあらゆる革命においては、社会活動の様式には手を付けず、たんにこの活動の分配の変更や、労働を別の人間へ新しく割り当てることだけが、問題であった。しかしながら、共産主義革命は活動の従来の様式に対抗するものであって、労働を除去し、かつあらゆる階級支配を階級そのものとともに止揚するものである。なぜなら、この革命は、社会におけるいかなる階級にも妥当せず、したがって階級とは認められない、すでに現在の社会内部においてすべての階級・民族性・等々の解消の表現になっている、一階級によって遂行されるからである。そして、(4)この共産主義者的意識の大量的産出、ならびに<目的とすることそのものの達成……同>のためには、人間の大量的な変化が必要であり、この変化はただ実践的運動においてのみ、革命においてのみ、進行することができるのである。したがって革命は、支配階級がいかなる他の方法によっても打倒され得ないという理由から、必要であるばかりでなく、さらに、打倒する階級が革命においてのみいっさいの古い桎梏の汚物を払いのけ、社会の新しい建設の能力を賦与されるに至りうるという理由から言っても、必要なのである。

([P80]傍注※1 「意識の生産について」 マルクス)
<傍注※2 「これらの人々は、生産の現状を維持することに関心を持っている」マルクス この傍注はナウカ社版にはない>
<ナウカ社版では、上記の文章に引き続いて、「C 共産主義」という見出しが置かれ、【P73】部分に続く>
<[P81] 7 唯物論的歴史観についてのまとめ>

【P30】それゆえに、この歴史観がよって立つ根拠は、現実の生産過程を、直接的な生活の物質的生産から出発して展開し、そ【P31】してこの生産様式と連関し、そこから産出される交通形態を、したがってまた種々の段階における市民社会を、歴史全体の基礎として把握し、[P82]そしてこの市民社会を国家としての活動において叙述し、ならびに意識の種々の理論的産出物と形態との全体である宗教・哲学・道徳等々を市民社会から説明し、それらの成立過程を市民社会の種々の段階から跡づけるということである。こうしてここにおいては当然、事態がその全体性においてもまた(そしてそれゆえに事物の諸側面の交互作用<合同版では「相互作用」>も)叙述されうることになる。この歴史観は、観念論的歴史観のように、各時代を通じてただ一つの範疇を探し求めることをしないで、あくまで常に現実的な歴史の地盤の上に立ちとどまるのであり、実践を観念から説明せず、諸観念形成物を物質的実践から説明するのであり、こうして、意識のいっさいの形態と所産とは精神的批判によってではなく、すなわち『自己意識』への解消、または『おばけ』『幽霊』『狂想』等への転化によってではなく、これらの観念的愚論が生み出される源である実在的な社会的諸関係を実践的に転覆することによってのみ解消されうるという結論に、──批判ではなくてむしろ革命が、歴史の、さらにまた、宗教、哲学およびその他の理論の、推進力であるという結論に、到達するのである。この歴史観の示すところは次のようである、──歴史は自己を『精神の精神』としての『自己意識』に解消することをもって終わるのではなく、歴史の各段階にあっては物質的成果が、生産諸力の総和が、自然にたいするおよび個人相互間の歴史的につくられた関係が、存在している。そしてこの総和はどの世代においても先行する時代から伝えられる。[P83]すなわち一方においては新時代によって改変させられながらも、他方においてはまた新世代の生活諸条件を規定して、それに一定の発展・一定の特殊な性格を与えるような生産諸力・諸資本および諸事情の一団が存在しているのである。──したがって人間が環境をつくると同様に、環境が人間をつくるのである。各個人と各世代にとって与えられたものとして現われる生産諸力・諸資本および社会的交通諸形態のこの総和は、哲学者たちが『実体』や『人間の本【P32】質』として表象し、神化し、そしてそれと闘争してきたところのものの実在的基礎である。それはこの哲学者たちが『自己意識』や『唯一者』としていかに反逆しても、人間の発展におよぼす作用と影響とは少しも妨げられることのないような一つの実在的基礎である。それぞれの世代のこの所与の生活諸条件はまた、歴史において周期的にくりかえす革命的動揺がいっさいの現存するものの基礎を転覆させるのに足りるほど強力であるか、否かをも決定する。そして総体的変革のこうした物質的諸要素である、一方では既得の生産諸力、他方では革命的大衆、すなわちたんに従来の社会の個々の諸条件にたいしてのみならず、従来の「生活の生産」そのものである・社会の基礎をなす・[P84]「全活動<合同版では「総体的活動」>」にたいして革命を遂行する大衆の形成、もしこの両者が存在していないならば、変革のこのような観念の百回目の宣言が下されようとも、実践的発展にとっては何にもならないことである、──まさしくそれは共産主義の歴史が証明するとおりである。
<[P84] 8 従来のすべての観念論的歴史観の破産、とくに──ドイツのヘーゲル以後の哲学の>

【P32】すべての従来の歴史観は、歴史のこの現実的基礎をまったく顧慮していないか、あるいはこれを歴史の過程とはまったく関連をもたない付随物としてしか考察していない。そこで歴史はつねに、それ以外に存在する基準にしたがって記述されねばならず、現実の生活の生産は前歴史的なものと考えられ、これに反して歴史的なものは普通の生活から離れた格別に超世間的なものと考えられるのである。こうして自然にたいする人間の関係が歴史から除外され、したがって自然と歴史との対立がつくりだされる。そこで、[P85]この従来の歴史観は、歴史のうちにただ君主や国家の政治活動と宗教的なならびに一般に理論的な諸闘争とを見ることができるだけであり、そしてとくに、どの歴史時代においても、その時代に特有な幻想を分かちもたねばならなかったのである。たとえば、『宗教』や『政治』は時代の現実的な諸動機のただの形式であるにすぎないにかかわらず、ある時代がこれを純粋に『政治的な』または『宗教的な』諸動機によって規定されていると想像す【P33】るとすれば、その時代の歴史家もまたこの意見を受けいれるのである。これら特定な人間の自分たち自身の現実的な実践に関する『想像』『表象』は転化されて、これらの人間の実践を支配し規定する唯一の決定的な能動的な力<とされる……同>。インド民族やエジプト民族に行われている粗野な分業の形態が、彼らの国家や宗教のうちでカースト制度をつくりだすとすれば、歴史家は、カースト制度がこのような粗野な社会形態を産出した力であると信ずるのである。フランス人やイギリス人は少なくとも、現実とまだしも近い政治的幻想<にとどまっている……同>のに、ドイツ人は『純粋精神』の領域にさまよい、宗教的な幻想を歴史の推進力と見なしている。ヘーゲルの歴史哲学は、現実的利害が政治的利害であろうとも問題とされず、むしろもろもろの純粋思想が問題とされるこの種のすべてのドイツの歴史叙述の最後のものであり、その『もっとも純粋な表現』[P86]にまでもたらされた帰結である。歴史叙述はさらに、聖ブルーノのもとにあってもまた、一つの思想が他の思想を養いつくしたあげくに『自己意識』(自覚)のなかに没落する、『諸思想』の一系列として現われねばならぬ。また、なお一層徹底しているのは、現実的な歴史についてはいっさい何も知らない聖マックス・シュティルナーで、彼によるとこの歴史過程はたんなる『騎士』の・盗賊の・そして幽霊の・歴史として現われなければならなかったのであり(傍注※)、こうした幻覚から自己を救うには、言うまでもなくただ『不信心』に頼るほかはないのである。このような見解は実際宗教的である。それは宗教的人間こそ、一切の歴史の出発点であるべき原人だと仮定し、そしてその想像のなかで、宗教的空想の生産を、生活手段や生活そのものの現実的な生産の代わりとする<のだから……同>。@

(傍注※ いわゆる客観的歴史叙述とは、歴史的諸関係を活動から切り離して把握しようとすることに他ならない。反動的性格。 マルクス)
<この傍注はナウカ社版ではもっと後の【P35】の末尾に入れられている>

この全歴史観は、<それの解決ととそれから生じる疑惑や躊躇もろとも……同>、ドイツ人のたんなる[P87]国民的関心事であって、ただ局地的興味のあるものであるにすぎない。たとえば、いかにして人は本来『神の国から人間の国に来たるか』というような、重要な近頃しきりに論議されている問題がそれである。あたかもこの『神の国』が想像のうち以外にいつかどこかに存在したことがあるかのように、また学者先生たち【P34】は、これまでずっと『人間の国』に生活していたのに気づかずに、これからわざわざそこにいたる道をさがさなければならぬとでも考えているかのように、──またあたかもこのような理論的な空中楼閣の珍現象を説明すべき科学的娯楽(というのはそれ以上のものではないから)は、まさに転倒されて、この空中楼閣の発生は現実的な地上的な諸関係から立証されることにあるのではないかのように、論じるのである。一般に、これらのドイツ人にとってはつねに、現存するナンセンスをなんらかの他の気まぐれにまで転化させることが、すなわち、この全ナンセンスが、とにかく探り出されるべきある独特な意味を持っていると前提することこそが、問題なのである。しかし本当は、このような理論的なもろもろの空語を、現存する現実的な諸関係から説明することこそが、問題なのである。[P88]これらの空語を現実的に実践的に解消すること、人間の意識からこれらの表象を除去することは、すでに述べたように、環境の変革によって成就されるのであって、理論的演繹によって成就されるのではない。人間大衆であるプロレタリアートにとっては、こうした理論的表象は存在しないから、したがってまたこれは彼らにとっては解消される必要もない。そして、もしこの大衆がかつて若干の理論的表象、たとえば宗教をもっていたとしても、これらのものは今ではすでにとっくに環境によって解消されている。@
──さらに、これらの問題と解決とが純粋に国民的であることを示していることは、これらの理論家が一生懸命に、『神人』とか『人間』とかなどのような妄想物が、歴史のそれぞれの時代を主宰しきったかのように信じていることのなかに見られる。──聖ブルーノなどはそれどころではなく、ただ『批判と批判家とが歴史をつくった』かのように主張するまでに至っている。──またこれは、彼らが自分自身で<歴史を構成する仕事……同>に従事する場合には、いっさいの以前のことを超特急で飛び越して、『蒙古人時代』からすぐに本当に『内容に充ちた』歴史へ、すなわちハレ年誌やドイツ年誌・そしてヘーゲル学派の一般的ないがみあいの解体・の歴史へ、と移っていくことのなかにも見られるのである。いっさいの他の諸国民、いっさいの現実【P35】的な諸事件は忘れられ、諸国風俗芝居のなかに出てくるものは、ライプチッヒの[P89]書籍市と、『批判』・『人間』・『唯一者』の相互の間の論争とに局限されている。ときに理論が現実的に歴史的なテーマ、たとえば18世紀を取り扱う場合にもこうしたテーマは、その基礎に横たわる諸事実および実践的な諸発展から切り離された、単なる諸表象の歴史を与えるにすぎない。しかもこの歴史も、この時代を真に歴史的な時代である1840年──44年のドイツ哲学者たちの闘争の時代の不完全な前段階として、それのまだ局限された先行期として、叙述しようという意図においてしか与えられないのである。ある一人の非歴史的人物と彼の空想との名声をいっそう光かがやかせるために、前代の歴史を書こうという目的にとっては、いっさいの現実的に歴史的な事件に言及せず、政治が歴史に加える現実的に歴史的な干渉にさえ言及せずに、研究の代わりに虚構や文学的な雑談にもとづいた物語を与えること──あたかも聖ブルーノが彼の、いまは忘れられてしまった『18世紀の歴史』においてやっているように──ぐらい適切なことはない。それゆえに、いっさいの国民的偏見からはるか無限に超越すると信じているこれらの気位の高い尊大な思想商人たちも、実践においては、ドイツの統一を夢見ている月並みの俗人たちよりさらにいっそう国民的なのである。彼らは他の諸国民の行為を[P90]歴史的だとはまったく認めない。彼らはドイツにおいて、ドイツによって、そしてドイツのために、生活する。彼らはラインの歌を讃美歌に変化させ、そしてフランス哲学をフランス国家の代わりに盗み、フランスの思想をフランス諸州の代わりにゲルマン化することによってアルザスやロートリンゲンを征服する。理論の世界支配をもってドイツの世界支配を宣言する聖ブルーノやマックスに比べては、ヴェネダイ氏などはまだまだコスモポリタンである。
<[P90] 9 フォイエルバッハへの、彼の観念論的歴史観への補足的批判>

【P36】以上の論述からまた明らかなことは、フォイエルバッハ[P91]が(ヴィーガント季刊誌、1845年、第2巻)、自分自身『一般人』という資格によって共産主義者だと宣言し、≪それによって≫自らを人間『なるもの』という述語に変化させ、したがって、現存の世界では特定の革命政党の所属者を示すところの共産主義者という言葉を、再びたんなる範疇に変化させることができると信じているのは、思い違いもはなはだしい、ということである。人間相互の関係に関するフォイエルバッハの全演繹は、人間が相互に必要としあい、そしてつねに必要としあってきたことを証明するだけのことに尽きている。彼はこの事実を確認しようと欲する。すなわち彼は他の理論家同様、たんに現存の事実についての正しい意識をつくりだすことを欲するにとどまる。しかし実際の共産主義者にとっては、この現存するものを転覆することが問題なのである。そうは言うものの我々も完全に認めるように、フォイエルバッハが他ならぬこの事実の意識を産出しようと努力することによって、一般に理論家が理論家であり、哲学者であることをやめることなしに行きうるかぎりのところにまで行っている。しかし注目すべきは、聖ブルーノとマックスとが共産主義についてのフォイエルバッハの観念を、すぐさま実際の共産主義と置きかえていることである。[P92]そして彼らがそうするのは、一つには、共産主義者にたいしても対等の敵として戦いうるためにこれを『精神の精神』とし、哲学的範疇としなければならないからでもあるが、聖ブルーノは、実際的な利害にも動かされてそうしたのである。フォイエルバッハが我々の敵となお共通に行っている現存するものの承認と、同時にまた誤認の例として、我々は『将来の哲学』の一個所を想起しよう。彼はそこで、事物または人間の存在は同時にそのものの本質であること、動物または人間の一個体の既成の生存関係・生活様式および活動は、その個体の『本質』がそのうちで満足を感じるものであることを述べている。ここでは明白に≪こうした本質からの≫いっさいの例外が不幸な偶然として、治しえない不具合として理解されている。それゆえに、もし数百万のプロレタリア【P37】が彼らの生活関係に少しも満足を感じない場合には、もし彼らの『存在』が彼らの
<以下は、新しく発表された合同版からの引用>
<『本質』にこれっぽっちも一致しないとしたら、上記の個所によれば、じっと耐えねばならぬということになる避けがたい不幸である。しかし、これら数百万のプロレタリア、あるいは共産主義者たちは、これとまったく違った考えをもつ。やがて彼らが、実践的に、革命によって自分の《存在》を自分の《本質》と一致[P93]させるであろうときに、それを示すだろう。だから、このような場合に、フォイエルバッハはけっして人間の世界のことを語らず、いつでも外的自然へ、しかもまだ人間の支配に服していないような自然なるものへと逃げこむ。しかし、新しい発見がなされるごとに、工業が一歩進むごとに、この領域から新たな一角が切りとられ、こうして上のようなフォイエルバッハ的諸命題のための例を育てる地盤がしだいに縮小しつつあるのである。一つの命題にかぎってみよう。魚の《本質》とは、それの《存在》、つまり水である。川魚の《本質》とは、川の水である。しかし、この川が工業に従属させられるようになるやいなや、それが染料その他の廃物によって汚染されるようになり、蒸気船がそこを通るようになり、その水が運河に引き込まれて、たんに送水をやめるだけで、魚から生存のための媒体を奪うことができるようになるやいなや、その水は魚の《本質》であることをやめ、魚の生存のためにはもはや適さない媒体となる。すべてこの種の矛盾を不可避的な例外だと断言することは、聖マックス・シュティルナーが、この矛盾はお前たち自身の矛盾、この窮状はお前たち自身の窮状である、だからお前たちはそれに甘んずることもできるし、自分自身の不満をそっとしておくこともできるし、あるいはまた、[P94]空想のなかでこの状態に反逆することもできるのだ、といって、不満な人々に与える慰めと本質的に変わるところがない。また同様に、このフォイエルバッハの考えは、聖ブルーノの叱責、すなわちこうした悲境は、不幸にとらえられた人々が《実体》の泥にはまり込んでいて、《絶対的自己意識》にまで達せず、この窮状を自己の精神と見なさなかったことから生ずるのだという叱責とほとんど変わりはしない。>
<以下、ナウカ社版では、ずっと前にある合同版の<Ⅱの2>の部分が続く>
<[P95] Ⅲ 1 支配階級と支配意識。歴史における精神の支配というヘーゲルの観念はどのようにしてできあがったか。>

【P41】支配階級の思想はいずれの時代においても支配的な思想である、すなわち、社会の支配的な物質的な力である階級が、同時にその支配的な精神的な力なのである。物質的生産の諸手段を支配している階級は、これによって同時に精神的生産の諸手段をも自由にする。こうしてそれによって同時に、[P96]精神的生産の諸手段を欠いている人々の思想は、【P42】概して、この支配階級に隷属させられるようになるのである。支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的な表現、すなわち思想としてとらえられた支配的な物質的な諸関係以外の何ものでもなく、したがってまさに一つの階級を支配的なものとする諸関係の観念的な表現以外の、したがってこの階級の支配の諸思想以外の、何ものでもない。支配階級を構成している個人は、とりわけ意識をも持っており、それゆえに思惟する。したがって彼らが階級として支配し、そして歴史上の一時代の全範囲を規定するかぎり、彼らはこれを<全分野において……同>実行するのであり、したがってとくに思惟する者としても諸思想の生産者としても支配し、彼らの時代の思想の生産および分配を統制する。これは明白なことだ。したがって彼らの思想がその時代の支配的な思想であるのも自明のことである。例えば、王権と貴族とブルジョアジーとが支配権を争う結果、支配権が分裂しているような<一定の時代と国では……同>、支配的な思想として権力分立の学説が現われ、これがやがて『永遠の法則』だと宣言される。……@
我々がすでに上で(【P21~25】[P15から18])従来の歴史の主要な力の一つとして見出したところの分業は、今やまた支配階級のもとにおいても精神的労働と物質的労働との分業として現われ、[P97]こうしてこの階級の内部においてのその一部分はこの階級の思想家として立ち現れる。(この階級が自分自身について抱く幻想を育成することを主要な生業としているところの、この階級のために、能動的に立案するところのイデオローグたちがそれである)。それなのに他の部分はこれらの思想や幻想に対してより多く受動的かつ受容的な態度をとる、なぜなら彼らは現実においてのこの階級の活動的な成員であって、自分自身についての諸々の幻想や思想を自分で作るだけ余裕をあまり持ち合わせはしないからである。この階級の内部では、階級分裂はある程度の対立や敵対関係にまでも発展しうるのであるが、しかしこの階級自身が危うくされるような実際的な衝突に際すれば、このような対立や敵対関係はいつでも、自然となくなるし、またこの際には、あたかも支配的な思想は支配階級の思想ではなくて、この階級の力とは別な他【P43】の力をもつかのような外観も実際消え失せるのである。一定の時代における革命的な諸思想の存在はすでに一つの革命的階級の存在を前提とする。後者の存在の諸前提についてはすでに上で(25~28頁)必要な限り述べておいた。
いまもし我々が歴史的過程の把握に際して、支配階級の諸思想を支配階級から切り離し、[P98]それを独立化し、これらの諸思想の生産諸条件やそれらの生産者たちについて顧慮することなしに、ある時代にはあれやこれやの思想が支配していたということ<で満足する……同>ならば、したがって思想の根底に横たわる個人たちや<当時の状況を捨象……同>してしまうならば、たとえば貴族が支配していた時代には名誉・忠節などの諸概念が、ブルジョアジーの支配の時には自由・平等などの諸概念が支配したということができる。支配階級は概してこういうふうに<幻想する……同>。とくに18世紀以来すべての歴史家に共通しているこのような歴史観は必然的に、たえずより抽象的な思想が、すなわち絶えずますます普遍性の形態をとっていく思想が、支配するという現象に突き当たるだろう。言いかえれば、以前に支配していた階級にとって代わるところの新しい階級はいずれも、本来自己の≪ための≫目的を貫徹するためには、自らの利害を社会のいっさいの成員に共同的な<合同版では「共通な」>利害として示すこと、すなわち観念的に言い表わせば、自己の思想に普遍性の形態を与え、その思想を唯一の合理的な普遍妥当的なものとして示すことを、余儀なくされる。革命を起こす階級は、<つねにある階級に対立しているはずなのに、最初から階級をではなく、全社会を代表するものだと称して登場する……同>。この階級は社会の全大衆として、[P99]唯一の支配階級に対立して現われる。(傍注※)<その階級がそうなしうるのは、その階級の利害が、従来の諸関係の圧力のために、特殊な階級の特殊な利害として自己の利害を展開できなかったからというよりは、むしろ台頭する際には、その階級の利害が、すべての他の被支配階級に共通の利害と結びついているからにほかならない……同>。それゆえに、この階級の勝利は他の支配的地位に上がらない諸階級の多数の個人にもまた利益になる。しかしこのことはただ、その勝利がこれらの個人を支配階級に高める能力を与えるかぎりにおいてである。フランスのブル【P44】ジョアジーが貴族の支配を転覆した時、これによってブルジョアジーは多数のプロレタリア自身をプロレタリアート以上に高めることを可能にした。しかしこれはただ、かれらプロレタリアがブルジョアとなったかぎりにおいてである。それゆえ、新興階級はいずれも、ただ従来支配した階級の基礎よりいっそう広い基礎の上に立ってのみ、自己の支配を成就する。その代り後にいたっては、今後の支配階級にたいする被支配階級の対立は、それだけますます先鋭かつ深刻に発展するのである。この二つの事柄によって規定されることは、この新しい支配階級にたいして行われる闘争は、いっさいの従来の支配の獲得に向かって努力した諸階級がなしえたよりさらに根本的に、[P100]従来の社会状態の否定のために努力するということである。
ある一定の階級の支配がただある種の思想の支配にすぎないかのような、<この仮象全体はおよそ階級の支配をもって社会秩序の形式となすこと自体がなくなるや否や、またそれゆえ、特殊な利害を普遍的な利害の形で、もしくは『普遍的なもの』を支配的なものという形で表わす必要がもはやなくなるや否や……同>、おのずからなくなる。
支配的な思想が、いったん支配的な個人たちから、およびとりわけ生産方法<合同版では「生産様式」>の与えられた段階から生ずる諸関係から分離され、こうして歴史においてはつねに思想が支配するという結論ができあがった後には、これらの種々異なった思想から、『思想というもの』、理念等を、歴史における支配的なものとして抽象し、それによってこれらすべての思想と概念とを歴史において発展する概念の『諸々の自己規定』としてとらえることは、きわめて容易である。このときには、人間のいっ【P45】さいの関係は、人間の概念、表象された人間、人間の本質、人間というもの、から導き出されうることもまた、当たり前なのである。<こういうふうにやったのが思弁哲学であった……同>。ヘーゲルは『歴史哲学』の終わりで、自分は『概念の進展のみを観察し』、[P101]そして歴史において『真の神義論』を叙述したと、告白している(446頁)。人々は、今やふたたび『概念』の生産者たち、理論家たち、イデオローグたちおよび哲学者たちにまで、さかのぼっていくことができるのであり、こうして哲学者たち、思索家たちがこのようなものとして、昔から歴史を支配してきたという結論に、──我々がみるとおり、すでにヘーゲルによって言明されたところの結論に、到達するのである。@
したがって歴史において精神の主権(シュティルナーにあっては位階制)を立証しようという芸当は、たかだか次のような三つの手練に帰着するだけである。
第一。人々は、経験的な根拠により経験的な条件のもとに物質的な個人として支配する支配者の思想を、この支配者自身から切り離し、こうして歴史における思想あるいは幻想の支配を承認しなければならない。
第二。人々は、この思想の支配のうちに一つの秩序をもたらさねばならない、すなわち継起する支配的な思想の間の神秘的な関連を立証せねばならない。これは、これらの思想が『概念のもろもろの自己規定』としてとらえられることによって成就されるのである。(これが可能であるのは、これらの思想が自らの経験的基礎の[P102]媒介によって現実に相互に関連しているからであり、これらの思想が単なる思想として<つかまれているかぎり、……同>思惟によってなされた諸々の差異・諸々の自己区別になるからである)。
第三。人々は、この『自己自身を規定(限定)する概念』という神秘的外見を取り除くために、その概念を、一つの人格に──『自己意識』(自覚)に──変える、あるいは大いに唯物論的に見せるために、<歴史のうちで……同>『概念』を代表するところの諸人格の一系列に、<すなわち……同>『思索家たち』、『哲学者たち』、イデオローグたちに変える。そのうえでこれらの人々【P46】が歴史の製造家として、『<警鐘を鳴らす物見……同>』として、支配者として把握されるのである。(傍注※※)こうして歴史から唯物論的要素をすっかり取り除いてしまい、そしていまや安んじて思弁の駒を思う存分疾駆させることができる。
ドイツにおいて支配したこの歴史の方法、そして殊にそれが、ドイツで支配した理由は、イデオローグたちたとえば法律家や政論家たち(また実際的政治家たちも含めて)の諸々の幻想との関連をもとにして、[P103]かれらの実際的な社会上の地位や彼らの職業及び分業からまったく簡単に説明される、この連中の独断的な妄想や歪曲をもとにして、展開されねばならぬものである。
日常生活においてはどんな商人でも、人が自ら称するところと、その人が現実にあるところとを、区別することを心得ているのに、わが国の歴史記述はいまだこの平凡な認識にさえも達していない。それはおのおのの時代が自己自身について語りかつ想像するものをその言葉通りに信じているからである。
<上の二つのパラグラフは、ナウカ社版では後先が逆となっている>

(傍注※……「普遍性は、(1)身分に対する階級に、(2)競争、世界交通等に、(3)支配階級の数が非常に多いことに、(4)共同的な利害の幻想に──最初はこの幻想は真実であった──、(5)イデオローグたちの欺瞞に、および分業に、照応している。」 マルクス)
(傍注※※ 「人間なるものとは『思惟する人間精神』に同じ」 マルクス)
<ナウカ社版ではこれらの傍注はそれぞれの文末におかれている>
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<★★以下、後半部分に続く>

『ドイツ・イデオロギー』(抄訳) 第1章(後半部分)

<ここにナウカ社版では、B〔3〕「自然発生的および文明的生産諸用具と財産諸形態」という見出しが入る>
<[P104] Ⅳ 1 生産手段と所有諸形態 >

【P66】……4頁分欠落……見いだされる。第一のことからは、発達した分業と拡大された商業との前提が生じ、第二のことからは、局地性が生ずる。第一の場合≪文明的な生産用具が前提の場合≫においては、諸個人は<ともに集められて……合同版>いなければならない、第二の場合≪自然発生的な生産用具が前提の場合≫においては、個人は所与の生産用具とならんで自らも生産用具として存在する。@
[P105]したがってここに、自然発生的な生産諸用具と文明によって創りだされた生産諸用具との区別が現われる。耕地(水、その他)は、自然発生的な生産用具と<見なされうる……同>。@
第一の場合、すなわち自然発生的な生産用具においては、個人は自然へ包摂<合同版では「服属」>され、第二の場合≪文明によってつくりだされた生産用具≫においては、≪諸個人は≫労働の生産物へ包摂される。それゆえに、第一の場合には、財産(土地所有)もまた直接的な、自然発生的な支配として現われ、第二の場合には、≪財産は≫労働の、特に蓄積された労働の、資本の、支配として現われる。第一の場合は、諸々の個人が、家族であれ、種族であれ、土地そのものであれ、なんらかの紐帯によって相互に結合していることを前提し、第二の場合は、彼らが、互いに独立していて、ただ交換によってのみ結合されていることを前提する。第一の場合においては、交換は主として人間と自【P67】然との交換、すなわちそこにおいて前者の労働が後者の生産物と交換されるような交換である。第二の場合においては、交換は主として人間相互間の交換である。第一の場合には、平均的な人智で事足り、肉体的活動と精神的活動とはまだ全然分離されていない、第二の場合には、すでに精神労働と肉体労働との分離が実践的に実現されていなければならない。第一の場合には、所有者の非所有者たちに対する支配は、人的諸関係に、一種の [P106]共同体に、基礎を置くことができる、第二の場合には、それはいわば第三のもの、すなわち貨幣において、一種の物的形態<合同版では「物的な姿態」>をとっていなければならない。第一の場合には、小産業<合同版では「小工業」、★★以下、産業はおおむね工業と訳す>は存在するけれども、それは自然発生的な生産諸用具の利用に<限定されて……同>おり、したがって、それは種々の個人への労働の分割≪すなわち社会的分業ということ≫なしに存在している。第二の場合には、工業はただ分業においてのみ、また分業によってのみ、存在している。
われわれは、これまで生産諸用具から出発した。そしてすでにこの場合、ある一定の工業的段階にとっての私有財産の必然性が示された。<(原始的)採取業……同>においては、まだ私有財産は労働とまったく合致している。小工業および従来のすべての農業においては、財産は既存の生産諸用具の必然的な結果である。大工業においてはじめて、≪社会的なものとなった≫生産諸用具と私的財産との矛盾が、大工業そのものの産物となる。この矛盾の産出のためには、大工業がすでに著しく発展していなければならない。したがって、私有財産制の廃止もまた、大工業とともにはじめて可能となるのである。
<以下、ナウカ社版では、合同版の<9 「大工業と自由競争の下での……矛盾……」>の部分が続く>
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<ナウカ社版では、ここに 「B イデオロギーの現実的基礎 〔1〕交通と生産力」というタイトルが入る>
< [P107] 2 物質的労働と精神的労働との分業、都市の農村からの分離、同職組合>

【P47】物質的労働と精神的労働との分化<合同版では「分業」>のなかで最大のものは都市と農村との分離である。都市と農村との対立は、未開から文明への、種族制度から国家への、地方割拠から民族への推移とともに始まり、それから今日(反穀物法同盟)にいたるまでの文明の全歴史を貫いている。@
──都市の出現とともに、同時に行政・警察・諸租税等の、要するに自治体制度≪【P48】のギルド的な「組織された自治体」参考のこと≫の、ならびにこれとともに政治一般の必然性が与えられた。まず第一にここ≪都市の出現≫に現われたのは、直接に分業と諸生産用具とに基づくところの・二大階級への人口の分化であった。都市は元来、人口・諸生産用具・資本・諸享楽・諸需要の集中の事実であるのに対して、農村はこれと正反対の事実、孤立と<分散……同>とを意味する。都市と農村との間の対立は、私有財産の内部においてのみ存続しうる。それは分業の下への、一定の強制的活動の下への個人の包摂の [P108]もっとも顕著な表現である。それは一方の者を局限された都市動物に、他方の者を局限された農村動物となし、そして両者の利害の対立を日々新たに生み出すところの包摂である。≪分業に基づく≫労働はここでもやはり諸個人を支配する力という要点であり、そしてこの≪諸個人を社会的分業の下に包摂する≫力が存続するかぎり、私有財産は存続するに違いない。都市と農村との対立の揚棄は、共同社会の第一次的諸条件の一つである。この条件はだれでも一瞥すればわかるように、さらに一団の物質的前提に依存し、かつたんなる意志だけでは充たされえないものである(これらの条件についてはもっと説明が必要である)。都市と農村との分離は、資本と土地所有との分離と【P48】しても、すなわち労働と交換とのなかにその基礎を有するところの財産である資本の・土地所有から独立した・存立および発展の端緒としても把握されうる。
中世において、従来の歴史から既定のものとして伝えられたのでなく、<自由民……同>になった農奴たちから新たに形成された諸都市では、各人独特の労働は、もっとも不可欠な手工業用具だけからなるとも言ってよい彼の小資本を除けば、彼の唯一の財産であった。逃散してひっきりなしに都市へ入りこんでくる農奴同士の競争、諸都市にたいする農村[P109]の絶え間なき戦争、それに伴う都市側における組織された兵力の必要、一定の労働に対する共同所有権という絆、手工業者が同時に商人であった時代に当然起こる商品の販売のための共同建築物の必要、ならびにこれとともに生ずる無資格者の諸建築物からの閉め出し、個々の手工業外の利害の対立、労苦をもって習得された労働の保護の必要および全土の封建的組織、これらのものが各手工業の労働者たちを諸同業組合へ団結させた原因であった。その後の歴史的諸発展によって招来された同業組合制度の様々な変遷にはここではこれ以上深く立ち入る必要はない。農奴の諸都市への逃げこみは全中世を通じて絶えず行われた。これら農奴たちは農村では領主たちから迫害されたので、ばらばらになって都市へ入りこんできたのであるが、都市では目の前に彼らが到底対抗できないような組織された自治体を見出し、彼らの労働にたいする需要と都市における組織された競争者たちの利害とが彼らに命ずる地位に甘んじなければならなかった。ばらばらになってやってくるこの労働者たちはいつまでたっても勢力を得るにいたらなかった。なぜなら、彼らの労働がもし修業を要する同業組合式のものであれば、[P110]同業組合の親方連が彼らを服属させつつ自分たちの利害に応じるように組織したし、もし彼らの労働が修業を要するものでなく、したがって同業組合式のものでなくて日雇労働であれば、彼らはけっして組織をもちえずに、いつまでも未組織の賤民層にとどまったからであった。諸都市におけ【P49】る日雇労働の必要は賤民層をつくった。@
──これらの都市は、都市の各成員の財産の保護のための、および彼らの生産手段と防衛手段とを倍増させるための配慮、という直接的必要から生み出された純然たる『結社』であった。これらの都市の賤民層はいっさいの勢力を奪われていたが、それは彼らが互いに見も知らぬ別々にやってきた個人からなっているからであり、かつこれらの個人を鵜の目鷹の目で監視している組織された戦闘準備を整えた勢力にたいして未組織のまま対立しなければならなかったためであった。職人と徒弟とは、いずれの手工業においても、もっともよく親方の利益にあうように組織されていた。彼らと親方たちとの間にあった家長制的関係は後者に二種の力を与えた。第一には、職人たちの生活全体におよぼす親方たちの直接的影響において、第二には、この家長制的関係が同一の親方の下で働いている職人たちを他の親方たちについていた職人たちに対して団結させ、彼らをこの相手方から分離させる[P111]ための現実的な絆であったという理由からである。そして最後に、職人たちは、自分自身が親方になるという彼らの既得の利益だけから言っても既成秩序に結びついていたのである。それゆえに、賤民層は都市秩序全体に対して少なくとも幾度かは暴動を起こした──ただしそれらは彼らの無力のためにいつも何の効を奏しなかったが──のに反して、職人たちの方はわずかに、それぞれの同業組合内で同業組合制度そのものの存立を危うくしないような程度の小さな反抗を幾度か起こしただけであった。中世における大規模の蜂起は、ことごとく農村から勃発したが、しかしこれもまた農民の分散状態とその結果として無訓練とのためにいつでもまったく不成功に終わった。
これらの都市における資本は自然発生的な資本であって、住居、手工業諸用具および自然発生的な世襲の顧客からなっており、かつ未発達の交通と不十分な流通とのために金に換えられえないものとして父から子へ相伝されざるを得なかった。この資本は近代の資本のように貨幣で評価されうるもの──これにあっては資本がどういう物の形をとって存在しているかは問うところではない──ではなく、その占有者の特定の労働と直接に関連していて、まったくそれから分離され難い、そのかぎりにおいて身分的な、資本であった。
[P112]分業は諸都市においては同業組合相互の間に行われていたが、まだ自然発生的であり、それぞれの同業組合自身のなかで個々の労働者の間に分業が行われるということは全くなかった。めいめいの労働者は各労働の全範囲に精通していなければならず、自分の道具で作られうるものなら、何でもこしらえ得なければならなかった。局限された交通と個々の都市【P50】間のわずかな連絡、人口の不足および需要の狭隘は、それ以上の分業を出現させず、したがって親方になろうと志すすべての者は自分の手工業の全体に通じていなければならなかった。それゆえ、中世の手工業者たちの間では彼らの専門の労働と熟練とに対する関心がまだ著しく、それが昂じて一種の偏狭な職人気質となっていたくらいであった。それゆえ自然と中世の各手工業者はまったく自分の労働に没頭し、それに対しては一種の居心地の良い隷属関係をさえ持っていた。そして自分の労働<に無関心な……同>近代的労働者たちよりもはるかに余計に労働に没頭せざるを得なかった。
<上の二つのパラグラフはナウカ社版では後先が逆となっている。>
<[P113] 3 よりすすんだ分業、生産からの商業の独立、種々の都市間の分業、マニュファクチュア>

【P50】≪都市と農村との分離に次ぐ≫分業の第二の伸張は、生産と交通との分離、≪つまり≫商人からなる特殊階級の形成であった。この分離は、歴史的伝統を有する諸都市では(特にユダヤ人とともに)前の世代から継承されたものの一つであり、新開の諸都市ではたちまちのうちに出現したものである。こうして隣接地域以外に及ぶ商業連絡の可能性が与えられた。しかしこの可能性の実現は、既存の諸交通手段に、政治的諸関係によって制約された農村における治安状態(全中世を通じて商人は武装した隊商を組んで遍歴したことは周知のとおりである)に、それから交通圏内にある地域のそのつどの文化段階によって制約された諸需要の発達程度の高低に、依存した。@
──商業の伸張とともに、特殊な階級によって担当された交通とともに、商人による都市の隣接地域外へ【P51】の商業の伸張と[P114]ともに、ただちに生産と交通の間の交互作用が現われる。諸都市は相互に連絡するようになり、諸々の新しい道具が一都市から他都市へもたらされる。こうして生産と交通との分離は、やがてそれぞれの都市の相互間における生産の新たな分化を喚起し、間もなくそれら各都市はそれぞれ優越した産業部門を開拓するようになる。当初見られた地方的制限はしだいに解消されはじめる。
<ここにナウカ社版では合同版での<6>の後半部分が入る>

【P52】一地方において獲得された諸生産力、ことに諸々の発明が、その後の発展を続けるか否かはひとえに交通の拡張いかんによる。近隣外に及ぶ交通がまだまったく存在しない限り、いかなる発明も地方地方で別々になされねばならず、したがって蛮族の侵入のような単なる偶然事が起こるか、または通常の戦争でも起こると、それだけでも、発展した諸生産力および諸需要を有した国土は、はじめからもう一遍出発しなおさなければならないようになることがある。歴史のはじめに当たっては、すべての発明は日々新たに、かつ各地方ごとに独立になされねばならなかった。要するにかなり著しく拡張をとげた商業の存在する場合においてすら、発達した諸生産力の全滅する危険がいかに多いかを実証しているのは、フェニキア人の発明の大部分が、商業からのこの国民の駆逐・アレクサンダーの征服およびその結果起こった衰微によって、長い間[P115]失われていたという事実である。中世においてはたとえばガラス画技術などがそうであった。交通が世界的となるにいたり、そして大工業に基礎を置き、それによって、すべての国民が競争戦に引き入れられるようになって初めて、獲得された【P53】諸生産力の持続が確保されるにいたった。
いろいろの都市の間における分業は、その直接的結果として、同業組合制度から生まれ出た生産部門である各種の工場制手工業(マニュファクチュア)を発生させた。各種の工場制手工業の最初の興隆──イタリアおよびのちにはフランドルにおける──は、外国の諸国民との交通をその歴史的前提としたのであった。他の諸国──たとえばイギリスおよびフランス──においては工場制手工業ははじめの間はもっぱら内国市場だけを相手とした。工場制手工業は、上述の諸前提のほかになお、人口──ことに農村における──の集中の発展と、一部分は同業組合法にもかかわらず諸同業組合内に、一部分は商人たちの間で、各個人の手に、集まりはじめた資本の集中の進展を前提とする。
たとえまだきわめて粗雑な形態であっても[P116]とにかく機械なるものを元々から前提していた労働は、最も発展力あるものであることが直ちに明らかになってきた。従来、農村で農民たちにより、彼らの必要な衣料を調達する≪つまり生活資料の生産≫ために片手間仕事に営まれてきた織物業こそは、交通の伸張に刺激されて発達をとげた最初の労働であった。織物業は工場制手工業のなかで最初のものであったばかりでなく、つねにもっとも主要なものであった。人口の増加とともに被服材料に対する高まった需要、促進させられた流通に基づく自然発生的資本の蓄積および動産化の開始、これによって喚起され、そして交通一般の漸進的拡張によって培われた奢侈品の需要、これらは量的ならびに質的に織物業へ刺激を与え、織物業はこの刺激によって従来の生産形態から<脱皮……同>したのであった。自家用のために織物業を営む農民たち──彼らはこののちも依然として存続して今日に及んでいる──とならんで、織物工という新たな一階級が諸都市に出現し、彼らの織った製品は全内国市【P54】場にたいして、およびその大部分は外国の諸市場に対しても、向けられた。@
──概してわずかの熟練しか要せず、かつ間もなく限りなく多数の部門に細分された労働である織物業は、その<全体の性質……同>の結果として同業組合の<締めつけに反発した……同>。それゆえ、自然に織物業はたいていの場合、同業組合的組織のない村落や市場地において経営され、そしてこれらの地域が[P117]しだいに都市となり、しかもたちまちにして各国でもっとも繁栄な都市となったのであった。@
──同業組合制に束縛されない工場制手工業の出現と同時に生産諸関係<合同版では「所有関係」>もまた変化した。自然発生的・身分的資本を踏み越える最初の進歩は商人の台頭によって果たされた。すなわち商人の資本はもともとから動産的であり、当時の諸関係を考慮に入れるかぎりにおいて、近代的意義における資本であった。第二の進歩は工場制手工業とともに生じた。すなわち後者が再び巨額の自然発生的資本を動産化し、かつ動産的資本の量を自然発生的資本のそれに対する割合において全般的に増加させたことによって。@
──同時に、工場制手工業は、農民を排斥しもしくは彼らに対する支払いぶりの悪い同業組合からの農民の避難所となった。ちょうどかつて同業組合都市が、農民たちにとって彼らを虐げる土地貴族からの避難所として役だったように。
工場制手工業の登場と時を同じくして浮浪者群の時期が始まった。この浮浪者群は<封建的家臣団の消滅……同>、封臣である諸侯に対抗した諸国王に奉仕するために寄せ集められた軍隊が解雇されたことによって、農業[P118]の改良と多数の耕地の牧場への転化とによって、発生したものであった。以上のことからだけでもわかることは、この浮浪者群が封建制度の解体といかに<密接に……同>関連しているかということである。すでに13世紀において、この時期がぽつぽつと始まっているが、全般的かつ永続的にこの浮浪者群が現われたのは15世紀の終わりおよび16世紀の初めごろからであった。これら浮浪者たち──それが非常に多数であったことは特にイギリスのヘンリー8世のように7万2千人もの浮浪者を絞首刑に処したことからも知られる──を就業させるには、最大級の困難が伴ったのであり、また、彼ら自身の極度の窮迫と長い反抗との【P55】あげくにはじめてそうなったのであった。すなわち工場制手工業の急激な興隆──ことにイギリスにおける──が彼らをしだいに吸収したのであった。@
かつて諸国民は彼らの間に連絡があった場合には、互いに平穏な交換を行っていたのであるが、工場制手工業がはじまるとともに、この国民は一個の競争関係に、商業戦に入ることになった。この戦いは、しばしば戦争・保護関税および輸入禁止等の形で決せられるようになった。商業はこれ以来政治的意義を帯びる。
[P119]工場制手工業の出現と同時に、労働者の雇用主に対する関係が変化し始めた。同業組合内では、職人と親方との間の家長制的関係が存続していた。工場制手工業においては、これに反して労働者と資本家との貨幣関係が登場した。この関係は、農村および小都市では依然として家長制的色彩を保有していたが、より大きな本来の工場制手工業都市ではとっくの昔からほとんどいっさいの家長制的色付けを喪失していた。
工場制手工業および一般に生産の<運動……同>はアメリカおよび東インド航路の発見によってもたらされた交通の拡大によって、巨大な飛躍をとげた。それらの地方から輸入された新しい生産物、ことに金および銀の大量──これらは流通に投ぜられるとともに、階級相互間の関係を総体的に変更し、封建的土地所有と労働者とに痛撃を与えた──、各地への探検隊、および特にこのころから可能となり、そして日増しに著しく達成されていった諸市場の世界市場への拡大、これらのことが歴史的発展の新局面を展開するにいたったが、ここではこれ以上その全般に立ち入ることは控える。新たに発見された国土への植民によって、[P120]各国民相互間の商業戦は新しい栄養分を得、それに応じてその範囲を伸張し、激烈さを加えた。
商業および工場制手工業の伸張は、動産的資本の蓄積を促進したが、一方同業組合内では、生産拡大のための刺激が小さいため、自然発生的資本は安定を保ったままであるか、もしくはかえって減少しさえした。商業と工場制手工業と【P56】は、大ブルジョアジーをつくったのに対し、同業組合内には小ブルジョアジー層が結集したが、彼らはこのころではもはや従来のように都市における支配的地位に立っておらず、むしろ大商人および≪大ブルジョアジーである≫工場制手工業者たちの支配の前にこうべを垂れなければならなかった<傍注※>。それゆえ同業組合は工場制手工業と接触するやいなや、没落しなければならなかった。@
<傍注※ 「小市民──中間層──大ブルジョアジー」 マルクス ……この傍注はナウカ社版にはない>

交通における諸国民相互の関係は、上述の時期の間に二つの違った姿態をとった。最初は金および銀の流通量の僅少なことのためにこの種の金属の輸出禁止が必要であった。増加していく都市の人口を就業させるために必要となり、かつたいていの場合外国から移植された産業は、種々の特権なしにはやっていけなかった。これらの特権はもちろん国内のみならず、むしろ主として外国に対する競争に備えるために、賦与された[P121]ものであった。地方的な同業組合特権は、<これら当初の……岩波文庫訳>貿易禁止の形において、全国民的規模へ拡大された。関税は、封建領主たちが彼らの領内を通過する商人たちに掠奪の代償として賦課した貢納金から生まれたものであった。この貢納金≪すなわち関税≫は、後になると諸都市によっても同様に賦課され、さらに近代的諸国家の出現に際しては、国庫が貨幣を得るためのもっとも恰好な手段となった。@
──アメリカ産の金および銀のヨーロッパ諸市場への出現、産業の漸次的発展、商業の急激な飛躍、およびこれによって呼び起された非同業組合的ブルジョアジーと貨幣との興隆は、上述の諸方策に従来とは違った意義を与えた。貨幣なしにはやっていけなくなった国家は、今度は財政的な諸見地から金および銀の輸出の禁止を<継続……合同版>した。新たに市場に投ぜられた大量の貨幣を巨利争奪の主要対象としたブルジョアはこの<継続……同>に完全に満足した。従来の諸特権は、政府の財源の一つとなり、金で売られるようになった。関税立法としては諸輸出税が現われてきたが、これは純財政的な目的をもっていたもので、産業にとってはいたずらに妨害となるだけであった。──
第二の時期は17世紀の中葉から始まり、そしてほとんど18世紀の末頃まで続いた。商業および<海運……同>は工場制手工業よ【P57】りも急激に伸張した。後者は第二次的な役割を演ずるにすぎなかった。諸々の植民地は[P122]有力な消費者となり始めた。各国民は、いくつかの長期にわたる戦争によって開け行く世界市場を分捕りした。この時期は、諸航海条例および諸植民地独占をもってはじまる。国民相互間の競争は、関税率・貿易禁止・条約によってできるだけ排除されたにもかかわらず、結局のところ競争戦は戦争(特に海戦)となって遂行され、決せられた。海上において最も強力な国民であるイギリス人は、商業および工場制手工業において優勢をたもった。ここでもすでに一か国への集中が見られる。@
──工場制手工業は、たえず内国市場においては保護関税により、植民地市場においては独占により、そして外国市場においてはできるかぎり差別関税によって保護されていた。自国産の原料の加工は奨励され(イギリスにおける羊毛およびリンネル、フランスにおける絹糸)、内国産の原料の輸出は禁止され(イギリスにおける羊毛)、輸入原料の輸出は放任されるかもしくは弾圧された(イギリスにおける綿花)。<海上貿易と植民地支配力……同>において優位に立つ国民は、自然、工場制手工業の最大限の量的ならびに質的伸張をも確保した。工場制手工業は、一般に保護なしにはやっていけなかった。なぜならばそれは他の諸国におこるほんのわずかな変化によってさえも自己の市場を喪失して没落するおそれがあるからである。工場制手工業は、いずれの国にもある程度の有利な[P123]諸条件が備われば、容易に移植されたが、その代わりまた容易に破壊されもした。同時にそれは、ことに18世紀の農村においてそれが経営されたような様式によって、多数個人の様々な<生活習慣……同>とからみあっているので、どの国も自由競争を許可することによって工場手工業の存立を賭けるわけにはいかなかった。それゆえに工場制手工業は、それが製品の輸出に進むまでの間は、まったく商業の拡張もしくは制限によって左右され、したがって商業に対してはまだきわめて微々たる反作用しか及ぼさなかった。@
18世紀において、工場制手工業が第二次的な意義しか持たなかったのに対して、商人が権威を振るったのは、このために他ならない。商人およびことに船主こそは他の何人にもまして国家的保護と各種【P58】の独占とを強要した当人であった。もとより工場制手工業者も保護を要求し、かつこれを獲得したものの、政治上の点にかけてはけっして商人に及ばなかった。諸工業都市、とくに海港都市はある程度まで開化されて、大ブルジョア的となったのに対し、小工業都市においては著しい小ブルジョア性が依然として存続していた。エイキンその他を参照せよ。18世紀は商業の時代であった。ピントーは、このことを明瞭に述べている。すなわち『商業は世紀の寵児となった。』[P124]また、『近来、商業・航海および海軍ほど人の口の端に上るものはない。』(原注)

(原注 資本の運動は著しく促進されたとはいえ、なお依然として緩慢であった。世界市場が≪諸植民地市場として≫離れ離れの部分へ分裂して、そのおのおのがそれぞれ別々の国民による搾取の対象となっていたこと、国民相互間の競争が排除されていたこと、生産自体が思うようにはかどらなかったこと、および貨幣制度は第一段階を脱して、やっと発展の緒についたばかりであったこと、これらの事情が流通をはなはだしく阻害した。その結果横行したのは、すべての商人と商業経営の全様式とに、いまだにこびりついていた・小売商人的な・汚いけちな根性であった。こういう型の商人は工場制手工業者と比較しては、したがってなおさら手工業者と比較しては、もちろん大市民であり、ブルジョアであったが、次期の商人や産業家に比較しては、やはり小市民にすぎない。アダム・スミス参照。──原注)

この時期の特徴としては、さらに、金および銀輸出が解禁されたこと、金融業が、銀行が、諸国債が、紙幣が、株式および公債投機が、<商品にかんする相場取り引き……同>が、ならびに貨幣制度一般の完成が、出現したことを挙げることができる。資本は自分に粘着していた自然発生的性質の大部分を<ここでもう一度払拭した……同>。
<[P125] 4 もっとも広範な分業、大工業>

【P58】17世紀において、商業および工場制手工業のイギリス一国への集中が制止し難い勢いで進んだ結果、イギリスにとってしだいに一個の相対的世界市場が、したがって同国の工場制手工業生産物に対する需要が、創出された。この需要は、従【P59】来の産業上の生産力によってはもはや充足されえない程度のものであった。諸生産力を追い抜いたこの需要こそは大工業──種々の産業目的のための自然力の応用・機械および最大限にまで拡張された分業──を生み出したことによって、中世以来の私有財産の第3期を創設した推進力であった。この新局面のその他の諸条件──一国民内部における競争の自由・理論力学の完成(ニュートンによって完成された力学は、18世紀を通じてフランスおよびイギリスでは最も<普及した……同>科学であった)等々は、イギリスにはこの時すでに存在していた。(一国民内部における自由競争は、どの国においても革命に[P126]よって獲得されねばならなかった。──イギリスにおいては1640年および1688年に、フランスにおいては1789年に)。@
競争は、やがて各国を、各々が自己の歴史的役割を保持しようと欲するかぎり、各自の工場制手工業を更新された諸関税策によって保護し(旧関税は、大産業<にとって……同>もはや効き目がなかった)、これにひきつづいて速やかに種々の保護関税の庇護のもとに、大工業を自国に移植することを余儀なくさせた。大工業はこのような保護手段にもかかわらず、競争を普遍化し(大工業は実際上の商業の自由を意味する。これに反して保護関税のようなものはその場しのぎの鎮痛剤であり、<商業の自由の内部での防衛手段……同>の一つでしかない)、交通手段と近代的世界市場とを創造して商業を征服し、いっさいの資本を産業資本に転化し、そしてそれとともに諸資本の迅速な流通(貨幣制度の完成)と集中とを生んだ。それ≪大工業≫は普遍的な競争を通じて、すべての個人<に全精力をふりしぼることを……同>強制した。それは、イデオロギー・宗教・道徳等々をできるだけ破壊し、これができない場合には、これが明白な虚妄であることをあばいた。それは、各文明国とその国の各個人とを、各自の欲望の充足を全世界に依存させ、それによって従来見られた[P127]自然発生的な個々の国々の排他性をなくしたかぎりにおいて、はじめて世界史を産出したのであった。それは、自然科学を資本へ従属させ、分業から自然発生的性質の最後の外観を奪った。それは、労働の内部において許されるかぎり、自然発生的【P60】性質を全般に消滅させ、そしていっさいの自然発生的関係を貨幣関係に解消した。それは、自然発生的な都市の代わりに近代的な大工業都市を一夜のうちにつくり上げた。それは、それが浸透した範囲において、手工業および一般に工業のすべての従来の段階を破壊した。それは、農村に対する商業都市の勝利を完成した。それの第一次的前提は、<自動機械装置……同>である。これ≪自動機械≫の発展は、大量の諸生産力を産出したが、私有財産制はこれらの生産力にとって、ちょうど同業組合が工場制手工業にとり、また小規模農業経営が発達しつつある手工業にとってそうであったように、桎梏となった。これらの生産力は、私有財産制の下ではたんに一面的な発展を維持するにとどまり、<大多数の人々には……同>破壊力と化し、かつこの生産力の夥しい量が私有財産制の内部においては全然利用される機会を得ない。大工業は、いたるところで社会階級間に同一の関係を産出し、それによって各国民圏に属する特殊性を抹消した。[P128]そして最後に、各国のブルジョアジーが依然として国民的な諸特殊利害を保持しているとき、他方において大工業は、国籍の相違にもかかわらず同一の利害を有し、かつすでに国民性が抹消されてしまっている階級を、全旧世界と現実的に無縁であると同時に、それに対立している一階級を創造した。大工業は、労働者にとって彼らの資本家に対する関係のみならず、労働そのものを耐えがたいものとする。
大工業が、一国内の各地方によって発展の高度を等しくしないことは言うまでもない。しかしこのことはプロレタリアートの階級的運動を抑制するものではない。なぜなら大工業によって産出されたプロレタリアはこの運動の先頭に立って全大衆をひっぱっていくからであり、また大工業から閉め出された労働者たちは、大工業そのものに属する労働者たちよりももっと悪い生活状態に突き落とされるからである。ちょうどそれと同じように、大工業が発達している諸国は、多少の差こそあれ概して工業の発達していない諸国に対して、後者が世界交通によって普遍的な競争戦の渦中へ引きずり込まれるかぎり、前記の労働者の場合と同様な影響を及ぼす。
<ここにナウカ社版では、合同版の<6 諸個人の競争と諸階級の形成……>の冒頭部分が原注として入っている>

[P129]【P61】≪小規模農業経営、手工業、工場制手工業、大工業へといたる≫これら種々の<生産諸形態……同>は、すなわち労働のしたがって財産の組織の形態である。いずれの時期においても、既存の諸生産力の結合は、それが必要によって必然とされた範囲において行われた。
<ナウカ社版ではここに「(2)財産に対する国家および法の関係」の見出しが入り、【P61】以降の文章が入る>
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<5 社会革命の基礎としての生産諸力と交通形態とのあいだの矛盾>

【P77】我々が見たように、歴史自体の基礎を危うくすることはないが、しかしすでにしばしば従来の歴史に現われてきた、生産諸力と交通形態とのあいだのこの矛盾は、そのたびごとに一つの革命となって爆発せざるを得なかった。その際、この矛盾は同時に[P130]種々の異なった副次的な様相を<すなわち諸あつれきの総体、さまざまな階級間のあつれき、意識の矛盾、思想闘争等々、政治闘争等々の形態をとった……同>。偏狭な見地からすれば、これらの副次的な様相の一つ一つを取り上げて、これこそこの革命の基礎であると考えることもできよう。しかも、諸革命の出発点となった個人たちが、その教育程度や歴史的発展の段階に制約されながら、自分たち自身の活動自体についていろいろの幻想を抱いていたのだから、ますますそう考えたくなるのである。
<ナウカ社版ではこの後、合同版の〔Ⅱ、6〕にある部分が続く>
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【P76】こうしてわれわれの見解にしたがえば、歴史上のあらゆる衝突は、その根源を生産諸力と交通形態≪『経済学批判・序言』では、「物質的生産諸力」と「生産諸関係」≫とのあいだの矛盾のうちにもっている。もっとも、この矛盾が或る一国において衝突に導くためには、それ≪生産力と交通形態との矛盾≫がその国自身のうちで<頂点にまで登りつめている……同>ということは必要ではない。国際的交通の拡大によって生じた・工業的にいっそう発展した諸国との・競争は、工業的に未発展な諸国においても同様な矛盾を十分に生み出しうる(たとえば、ドイツの潜在的プロレタリアートは【P77】イギリス工業[P131]の競争によって出現した)。
<この部分、ナウカ社版では前のパラグラフの前に入れられている>
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<6 諸個人の競争と諸階級の形成。諸個人と彼らの生産活動の諸条件との間の矛盾の発展。ブルジョア社会の諸条件のもとでの諸個人のみせかけの集団性と共産主義における諸個人の真の結合。結合した諸個人に社会の生活活動の諸条件を従属させること>

【P61】競争は、諸個人を結集させるにもかかわらず、一方においては彼らを、すなわちブルジョアのみならずより以上にプロレタリア同士を孤立させる。それゆえにこれらの諸個人が団結しうるまでには長い時が経過した。ただしこの団結のためには──しかもそれが単に地方的であるにとどまらないためには──必要な諸手段が、すなわち大工業都市と安価で迅[P132]速な交通機関とが大工業によってまず創出されていることを要するが、またそれゆえに、これら孤立させられ、かつその孤立化を日々再生産する諸関係のなかに生活している諸個人に対するすべての組織された力<合同版では「権力」>は、幾多の長い闘争ののちにはじめて<打倒され得る……同>のである。そうでないことを望むのは、ちょうど、この特定の歴史的時期に存する競争をなくなればよいと望んだり、または孤立した個人では統制しえないようなこの諸関係についての観念を頭の外へたたき出そうと望んだりするのと同じである。
<この部分は、ナウカ社版では【P60】末尾への原注として入れられいる。>
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【P22】家屋の建造。言うまでもなく野蛮人の各家族は、ちょうど遊牧民の家族が銘々別々の天幕をもっているように、銘々の穴【P23】または小屋をもっている。共同の家内経済は共同の土地耕作と同様に不可能である。偉大な進歩と言うべきは都市の建設であった。だが、これまでのあらゆる時代にあっては、私有財産の廃止から切り離されえないこの分立的な家内経済の廃止ということは、[P133]廃止の物質的諸条件が存在していなかったという理由から言っても、不可能であった。共同の家内経済の設立は、機械・自然力利用・およびその他の多くの生産力の──たとえば水道・ガス点灯設備・蒸気暖房設備・等々の──発展を、都市と農村との対立の廃止を、前提とする。この諸条件なしには、共同の経済がそれ自身さらに一種の新たな生産力であることはなく、いっさいの物質的基礎を欠くこととなり、たんに理論的な基礎の上に立つだけとなり、すなわち一個のたんなる幻想であり、そしてせいぜい僧院経済に達するぐらいが落ちであろう。──何が可能であったかは、都市への密集と特定目的のための共同家屋(監獄・兵営・等々)の建造を見ればわかる。分立的な経済の廃止が家族制度の廃止から切り離されえない、ということは言うをまたないことだ。
<この部分は、ナウカ社版では【P22】部分への原注として入れられいる>
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【P79】(原注 ありとあらゆるものは実は、国家を通して存在するという・聖マックスにおいてしばしば出てくる文句は、ブルジョアはブルジョア種の一見本であるにすぎないという文句と、根本におい[P134]ては同じものだ。この文句は、ブルジョアの階級はそれを組成する諸個人の前に既に存在していた、ということを前提する。)(傍注※)

(傍注※ 哲学者たちにおける階級の先在)
<この部分は、ナウカ社版では【P79】部分への原注として入れられている>

【P51】中世においては、各都市における市民たちは自分たちの身を守るために、団結して土地貴族にあたる必要に迫られた。商業の拡張・<交通路の開通……岩波文庫訳>は一つ一つの都市を、同一の敵対者に対する闘争において同一利益を感じていた他の諸都市の存在を知るにいたらさせた。個々の都市における多数の地方的な市民集団から、しだいにきわめて徐々に市民階級が生まれ出た。<個々の市民の生活諸条件は、現存の諸関係への対立によって、またそれに規定された労働の仕方によって、同時に彼らすべてに共通であって、しかも彼ら一人一人からは独立な条件となった……合同版>。市民が封建的な結縁<合同版では「結合関係」>から自己を解放したかぎりにおいては、彼らがこれらの≪生活≫諸条件をつくりだしたのであり、また彼らが目の前にあった封建制度に対する敵対によって制約されていたかぎりにおいては、彼らはこれら諸条件によってつくりだされたのであった。個々の都市の間の連絡の出現とともに、これら共通の条件は階級的条件にまで発展した。同一の諸条[P135]件・同一の対立・同一の諸利害はおしなべてどこにおいても同様な風俗を発生させずにはおかなかった。ブルジョアジー自身は、彼らの諸条件とともにしだいに発展しはじめ、さらに分業別に種々の分派にわかれ、そして最後に、いっさいの既存の財産が産業資本もしくは商業資本に転化されるのと呼応して、いっさいの既存の有産階級を自己のなかに吸収する(傍注※)。(この反面において、彼らは既存の無産階級および従来の有産階級の一部分からなる多数者を新たなる一階級であるプロレタリアートに発展させる)。@
個々の個人は彼らが他の一階級に対して共同闘争を遂行する必要をもつかぎりにおいてのみ、階級というものを形成する。その他の場合には【P52】彼らは競争によって敵同士として互いに対立する。他面において、階級は個人に対して独立化し、その結果個人は彼らの生活諸条件をすでに予定されたものとして見いだし、彼らの生活的地位およびこれとともに彼らの<人格的発達……同>も階級から指定されたものとして受け取り、階級に従属するにいたる。このことは分業への個々人の包摂と同様な現象であり、私有財産と労働そのものとの揚棄によってのみ除去されうるものである。階級[P136]への個人のこのような包摂が、同時に各種の観念等々の下への包摂にまでいかに発展するかは、われわれがすでにしばしば暗示したところである。

(傍注※ ブルジョアジーはまず第一に、国家に直属する諸労働部門を、次に色とりどりのあらゆるイデオロギー的身分を吸収する。)

【P79】<この諸個人の発展を、歴史的にあいついで生ずる諸身分と諸階級に共通な存在諸条件において、および彼らにその諸条件といっしょに押しつけられた普遍的観念においてみる、つまり哲学的に見るとすれば、この諸個人のなかで、類なるものとか人間なるものとかが自己を展開したとか、諸個人が人間なるものを展開したのだとか……同>、と想像することは実際容易である。こんなふうな想像は、歴史の横面を2、3度ひどくぶんなぐるようなものだ。<こうすれば……同>、これら種々の身分や階級を≪人間の≫一般的表現の特殊化と考え、<類なるものの亜種……同>と考えて、これを人間なるものの発展段階と考えることもできるのである。

【P79】個人が特定の階級へこのように包摂されることは、支配階級に対立してなんらの特殊的階級[P137]利害を貫徹することも必要でない一階級が形成されるにいたるまでは、廃棄されえない。
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【P77】分業による諸々の人格的な力(関係)の事物的な力への転化は、それに関する一般的観念を我々の頭脳から払いのけることによって廃棄されうるものではなく、<諸個人がこの物的な諸力を再び自己の支配下に服せしめ、分業を廃止するのでなければならない……同>。(傍注※)しかも、このことは共同体なしには不可能である。〔他人との〕共同関係においてはじめて各個人は、その素質をあらゆる方面に向かって発達させる手段を〔もつ〕、したがって、共同体においてはじめて人格的自由は可能になる。共同体の従来の代用物においては、すなわち、国家等においては、人格的自由は支配階級の諸関係内で<育った……同>個人にとってしか、かつ彼らがこの階級の個人である場合にしか、存在しなかった。従来個人が結合して形づくってきたみせかけだけの共同体は、つねに彼らから独立したものであり、[P138]それが一階級の結合であったがゆえに、同時にまた他階級に対立しており、被支配階級にとっては全然幻想的な共同体であったばかりでなく、むしろ一つの新たな桎梏であった。だが、本当の共同体にあっては、各個人は彼らの連絡<岩波文庫版では「連合」>のうちに、またそれを通じて、自己の自由を獲得する。

【P78】(傍注※ エンゲルス フォイエルバッハ、存在と本質)
<ナウカ社版では次に<6>のもう少し後のパラグラフが入る>

【P79】個人はつねに自己から出発した。しかしそれはもちろん彼らの与えられた歴史的諸条件と諸関係との内部における自己からであって、イデオローグたちの言う意味での「純粋な」個人からではない。<ところが歴史的発展の過程で、そして分業の内部で、社会的諸関係が不可避的に自立的なものになる事態を通じて、各個人の生活のうちにある区別が目立ってくる、すなわちそれは、個人の人格的であるかぎりでの生活と、労働のなんらかの部門およびそれに属する諸条件に服属せしめられているかぎりでの生活との区別である……合同版>(このことは、たと【P80】えば、金利生活者や資本家等が人格であることをやめるという風に解すべきではなくて、むしろ彼らの人格性がまったく特定な階級諸関係によって制約され、規定されている[P139]のである。そして今の区別は、まず最初には彼らの他階級に対する対立として現われる。それが彼ら自身にとって現われるのは、彼らが破産した時にかぎる)。身分においては、このことはまだ覆い隠されている(種族の場合はもちろん)。たとえば、貴族はつねに依然として貴族であり、平民はどこまで行っても平民である。このこと≪身分的個人において階級的個人と人格的個人とが一致する≫は、彼のそれ以外の諸関係を度外視すれば、彼の個性から切り離されえない性質なのである。階級的個人に対する個人的人格の区別、個人に対する生活諸条件の偶然性は、それ自身ブルジョアジーの産物である、あの階級の出現とともに、はじめて現れてくる。≪プロレタリアートにおける≫個人相互間の競争と闘争とが、はじめてこの偶然性を偶然性として産出し発展させる。したがって、頭のなかだけで考えれば、ブルジョアジーの支配のもとにおける個人は、以前よりも一層自由なように思われる、というのは彼らにとって彼らの生活諸条件は偶然的なものだったからである。ところが実際にあっては、彼らはもちろんいっそう不自由なのである。なぜなら、彼らは一層強く事物的な強力のもとにおかれているからである。身分≪的個人と階級的個人と≫の区別は、プロレタリアートに対するブルジョアジーの対立のうちに特にはっきり現われてくる。土地貴族に対立して<都市の市民身分……同>や職人組合が台頭した時、<彼らの存在条件、すなわち封建的結合から離れる前から潜在的にはすでにあった動産所有と手工業労働とが……同>、封建的土地所有に反対して進出するある積極的なものとして現われ、したがって最初にはむしろそれら一流のやり方でではあるが、封建的な形態をとった。一方、≪後にブルジョアとなる≫逃亡農奴たちは、従来の彼らの≪身分であった≫農奴的地位を自分たちの人格にとって何か偶然的なものだと考えた。しかし、これによって彼らは、ある桎梏から自己を解放しようとするすべての階級がするのと全く同じことをしたのであり、したがって、自己を階級として解放せずに、個々別々なもの【P81】として解放したのである。それにまた、彼らは、身分制度の範囲から抜け出したのではなく、新たな≪都市市民≫身分を形づくったにすぎない。<そして、彼らのこれまでの≪動産所有と手工業労働という≫労働様式を、この新しい状態においても保存し、それを今までの、すでに到達していた発展の程度にとってふさわしくない桎梏から解放してやることによって、かえって発達させさえしたのである……同>(原注※)。@
──これに反して、プロレタリアの場合には、彼ら自身の生活条件である労働と、したがってまた現在の社会の全存立条件とは、彼らにとって偶然的なものとなっている。この事実に対して、個々のプロレタリアは何らの統御も加ええず、またいかなる社会的組織も[P141]彼らにこの統御を加えさせることはできない。したがって、個々のプロレタリアの人格と彼にのしかかってくる生活条件である労働との間の矛盾は、彼自身にとってはっきりと現われてくる。それは、ことに彼が青年時代から犠牲に供されているからであり、自分の階級にあっては、他の階級へ身を置き替え得るような条件に到達する機会は与えられていないからである。@

[P142]【P81】──したがって、逃亡農奴たちが、すでに存在していた自分たちの生存諸条件を自由に発展させてこれを固執しようとし、その結果たかだか自由な労働までしか到達しなかったのに反して、プロレタリアは、自己を人格的に主張するために、自分たち自身の従来の存立条件でありまた同時に従来の全社会の生存条件である労働≪つまり分業に基づく労働≫を廃棄せねばならぬ。それだからこそ彼らは、従来、<社会を構成する諸個人が……同>自分たちに総体という表現を与えるためにとった形態である国家に対して、直接的に対立するのであり、自己の人格を貫徹するために国家を転覆しなければならないのである。

(原注 注意。忘れてならないことは、<農奴を生かしておく必要があることと大農業経営ができないこと、それは農奴への分割地の分配を生ぜしめたが、この二つが、非常に短い間に封建領主に対する農奴たちの諸義務を引き下げ、それを、平均して農奴たちに動産の蓄積ができる程度の現物貢納と賦役にとどめることになった。さらにこの蓄財によって……同>彼らの領主の領分からの逃亡を容易にさせ、彼らに都市市民としての栄達の見通しを与え、さらに農奴間に地位的差異をも産出し、したがって逃亡農奴たちはすでに半市民と言って構わ【P82】なかった、ということだ。以上のこととならんで、同じく明らかなのは、なんらかの手工業に達者な農奴たちは動産を取得する機会を<もっとも多く……同>持ったことだ。)
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<ナウカ社版ではここで第1章が終わっている。なお、合同版ではこの原注は前のパラグラフの前におかれているが、あえて移動した>

【P78】これまでの全発展<合同版では「展開全体」>から明らかになることは、一階級の個人が<とりむすび……同>、そして第三者に対する彼らの共同の利害によって制約されている共同的関係は、<つねにこれら諸個人を、たんなる平均的個人としてのみ、彼らが彼らの階級の存立条件を体現しているかぎりにおいてのみ、[P143]構成員としているにすぎない共同社会であった……同>。これに反して、自己ならびにいっさいの社会成員の存立諸条件を自己の統制のもとにおく革命的プロレタリアの共同体にあっては事情はまさに逆である。すなわち各個人は個人としてこの共同体に参加するのである。各個人の自由な発展と運動との諸条件を彼ら自身の統制のもとにおくものは(もちろん、現在までに発展した生産諸力を前提としてであるが)他ならぬ個人の結合である。しかもこの≪存立≫条件というのは、従来は偶然にゆだねられていたものであり、個々の個人が個人として分裂していたために、また彼ら個人の必然的な結合──それは分業をともなって生じ、個人の分離によって彼らにとって一つの外的な紐帯となるにいたった──のために、個人に対して独立していた条件なのである。@
従来の≪諸個人の≫結合は、これらの諸条件の上に立つ(ルソーの<社会契約論……同>に述べられたような任意的なものではなくてむしろ必然的な)結合にすぎなかったのである(たとえば、北アメリカの国家形成や南アメリカの諸共和国を参照せよ)。<これら自立化した諸条件の枠内で、以後、諸個人は、偶然を自分の発展と運動のために利用した……同>。一定の条件範囲内で妨げられることなく、[P144]偶然性を享受しうる権利を、従来人格的自由と呼んできた。──<このような生存諸条件というものは……同>、そのときどきの生産諸力と交通諸形態とにすぎないことは言うまでもない。
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<ナウカ社版ではこれ以後、すでに引用したいくつかのパラグラフが続く。またナウカ社版では、次の【P73】部分の前に「C 共産主義──交通形態自体の生産」というタイトルが入る>

【P73】共産主義が従来のいっさいの運動から区別される点は、それが従来のいっさいの生産関係および交通関係の基礎を変革し、はじめていっさいの自然発生的な前提を、意識的に従来の人間の被造物として取り扱い、それらのものの自然発生性をはく奪して、結合した諸個人の力に従属させるところにある。したがって、共産主義の<制度……同>は本質的に経済的であり、この≪諸個人の≫結合の諸条件を物質的に作り出すことである。それは現存する諸条件を、この結合の諸条件にする。共産主義が創造する<仕組みとはまさに、諸個人を離れて自立しているいっさいの仕組みの存在の余地をなくすための真の土台に他ならない。なぜなら、その諸個人を離れた仕組みも、実は諸個人自身のこれまでの交通の産物にほかならないのだから……同>。共産主義者が[P145]実践的に、従来の生産および交通によってつくりだされた諸条件≪すなわち大工業と自由競争が生み出した諸条件≫を非有機的なもの≪自らと一体ではないもの≫として取り扱うのはこのためである。ただしこの場合彼らは、彼らに素材を提供することが過去の諸世代の計画ないしは<使命……同>であったとも考えないし、これらの諸条件がそれを創造した諸個人にとって非有機的なものだったとも信じない。
<7 生産諸力と交通諸形態の矛盾としての、諸個人と彼らの生活活動の諸条件との矛盾。生産力の発展と交通諸形態の交代>

【P73】人格ある個人と偶然的な個人との間の区別は、概念上の区別ではなくて、一つの歴史的事実である。この区別は、時代が異なるにつれて<異なった意味になる……同>。たとえば、18世紀においては身分は個人にとって何ほどか偶然的なものだったし、程度の差こそあれ家族制度もまたそうだった。それは<我々の方で、各々の時代のために立ててやらねばならぬ区別ではなくて、各々の時代がすでに手許にある様々な要素をもとに、自分で行な[P146]うところの、しかも概念にしたがってではなく、物質的な生活上の摩擦によって余儀なくされる区別なのである……同>。@
前代にとってはそうではなかったのに、後代になって偶然的に見えるもの、すなわち、前代から後代に継承された諸【P74】要素中で偶然と見えるものは、生産諸力の一定の発展に相応する<合同版では「一致していた」>交通形態である。生産諸力の交通形態への関係は、交通形態の諸個人の働きまたは活動<合同版では「諸個人の行為あるいは表現」>への関係に他ならない(この活動の基礎的形態はもちろん物質的なものであり、その他いっさいの精神的・宗教的等の活動形態は、この物質的形態に依存しているのである。物質的生活の種々の姿態が一つ一つ<合同版では「それぞれ」>、すでに発展してきている各種の欲望に依存していることは言うまでもない。したがって、これらの欲望の産出ならびに充足は実に一つの歴史的過程であって(人間に反対するシュティルナーの片意地な主要論証にもかかわらず)、羊や犬にあっては断じて見られないものである。(もちろん、羊や犬といえども、現在の形態は彼らの意思のいかんにかかわらず、歴史的過程の産物であることには相違ないが)。まだ矛盾≪生産力と交通諸形態との間の矛盾≫が現われないうちは、個人相互が交通するための諸条件は、彼らの個人的事情に属するもので、[P147]彼らにとって何ら外部的なものではない。それは、一定の諸関係のもとに生存している<諸個人が、もっぱら彼らの……同>、物質的生活とそれに関連するものとを生産するための、諸条件である。したがって、それは彼らの自己活動≪すなわち自己の生活の生産活動≫の諸条件であり、この自己活動によって生産されるものである(傍注※)。したがって、彼らが生産するための一定の条件は、まだ矛盾が現われない限り、彼らの現実の被制約性、すなわち彼らの一面的存在に相応する。そして、この存在の一面性は、矛盾の出現によってはじめて明らかになるのであり、したがってそれは後代から見てはじめて<現実的なものとなる。それからのちに、この特定の条件が偶然的な桎梏となりだし、やがてそれが桎梏であるという意識が、過去の時代からずっとあったものだとされる……同>。@

(傍注※ 交通形態自体の生産。)

──最初は自己活動のための諸条件として、後にはこの自己活動の桎梏として現われたこの種の諸条件≪すなわち彼らが生産するための一定の条件である個人相互が交通するための諸条件≫は、歴史的発展全体を通じて相関連する一連の交通形態を形づくる。交通諸形態の関連とは、桎梏となった以前の交通形態が、いっそう発展した生産諸力ならびに諸個人の自己活動の進歩した仕方に相応する、新たな交通形態によってとってかわられ、[P148]今度はまたこの新たな交通形態が再【P75】び桎梏となって、さらに他の交通形態のとって代わられることを言うのである。これらの諸条件は、それぞれの段階にあって、生産諸力のそのときどきの発展に相応するものであるから、これらの諸条件の歴史は、また同時に、発展しつつそれぞれの新しい世代に継承される生産諸力の歴史であり、したがって個人の力そのものの発展の歴史である。
この≪交通形態の≫発展は、自然発生的に行われる。したがって、自由に結合した諸個人の総合的計画に従属していない。だから、それは種々異なった局地性・種族・民族・労働部門・等に源を発する。この各々のものは最初は独立して発展するが、やがてしだいに他のものと結びつくにいたるのである。さらに、この発展はきわめて徐々に行われる。いろいろな段階と利害の相違は、けっして完全には克服されずに、ただ<「優勢な利害」……同>に従属するだけで、数百年にわたってこの<「優勢な利害」……同>とならんで存続する。その結果として、同一国民の内部にあっても、個人各自の別々な財産関係はもちろんのこと、個人は全然異なった種々の発展をもつにいたる。前代の利害は、それに固有な交通形態がすでに後代の利害に応ずる交通形態によって排除されていても、[P149]なお長い間、個人に対して独立的であるみせかけだけの共同体(国家、法律)のうちに伝統的な力を維持することができる。この力は究極においては、革命によってしか打破されえないものなのである。このことからしてまた、<なぜ若干の問題点に関して──比較的一般的な概括が可能であるような──、意識の方がときどき同時代の経験的状況よりも先んじているように見えるかということ、その結果、より後の時代の闘争で、より前の時代の理論家が権威として拠り所とされるのはなぜか、ということも説明される……同>。@
これに反して、北アメリカのような、すでに発展した歴史時代においてやっ【P76】とはじめて活動を開始した国々にあっては、≪交通形態の≫発展は非常に急速に行われる。このような国々は、古い諸国の交通形態にその欲望が相応しなくなったのでそこへ移住してきた個人たち以外には、自然発生的諸前提をもっていない。しがたって、このような国々は古い諸国のなかのもっとも進歩した個人たちをもって、それゆえに、この個人たちに相応するもっとも発展した交通形態をもって、活動を開始するのである。古い諸国では、まだこの交通形態は実現しえないのに(原注※)。この点は、[P150]植民地がたんなる軍事的根拠地や商業上の根拠地でない限り、すべての植民地について言えることである。カルタゴ、ギリシャの植民地および11・12世紀のアイスランドはその実例を提供している。征服の際、他の土地で発展した交通形態が、出来あがったものとして被征服地に持ち込まれる場合にもまた、同様な関係が生じる。この交通形態が本国においてはまだ前代からの諸利害関係の束縛を受けているときでも、被征服国にあっては、征服者に永続的な権力を保証するためだけにでも、それは完全にかつ障害なしに実現され得、またされねばならぬ(ノルマン人の征服後、イギリスとナポリとが封建的組織のもっとも完成された諸形態をとるようになったことを見よ)。
<ナウカ社版ではこれ以後に、すでに引用した別の部分が入る。なおこの【P76】にある原注は、合同版では<Ⅳ、9>に移されている。>
<8 歴史における暴力(征服)の役割>

[P150]【P12】この全史観にとって、例の征服という事実は矛盾するかのように見える。従来、暴力・戦争・略奪・[P151]強盗殺人・等々が歴史の推進力とされてきた。我々はいま主要な諸点だけしか論ずることができない。それで、蛮族による古代文明の破壊、およびその後をうけて最初からやり直した新たな社会編成の形成、というあの顕著な例だけをとることにする(ローマと未開人、封建制とガリア人、東ローマ帝国とトルコ人)。征服を行なう蛮族にあっては、すでに前で触れたように、戦争自体がまだ一種の正常な交通形態であって、彼らにとって唯一可能な在来の粗野な生産様式の下では、人口が増加すればそれだけ生産手段の新しい需要を作りだすわけだから、それだけますます熱心に戦争を利用しなければならなくなる。これに反してイタリアにおいては、土地所有の集中(これは買占めおよび負債によるほか、相続によってもひきおこされたのである。というのは、淫風が盛んで、自然、結婚ということが稀であったため、多くの古い家柄が次第に死に絶えて、その領地が少数者の手に帰したからである。)と、所有地の牧場への転化(これは今日もなお行われている普通の経済的諸原因によるほかに、盗奪穀物および貢納穀物の輸入とその結果として生じたイタリア産穀物の消費の欠乏とによってひきおこされたのである。)とのために、自由民はほとんど姿を消し、奴隷は奴隷で、[P152]しょっちゅう死ぬので、たえず新顔が補充されなければならなかった。しかし依然として奴隷制が全生産の基礎であった。自由民と奴隷との中間にあった平民はついにルンペン・プロレタリアート以上に出るにいたらなかった。一般にローマはついに都市以上に出ず、かつまた諸地方にたいしては、ほとんどまったく政治的な関連に立つにとどまっていた。したがってこの関連が後に政治的な諸事件によって中断されえたことは不思議ではない。
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【P65】歴史においては従来略奪という事実だけが眼目であった、という観念ほど卑俗なものはない。野蛮人がローマ帝国を略奪する、そしてこの略奪という事実でもって、古代世界から封建制度への移行が説明される。しかし野蛮人による略奪に際して着目されるべきことは、略取される側の国民が、ちょうど近代諸民族においてのごとく産業的生産諸力を発展させているか否か、また彼らの生産諸力は主として≪自然発生的なつまり≫彼らの団結と共同体とにのみもとづくものであるか否か、という事実である。[P153]略奪は、さらに略奪される対象によって制約される。たとえば、有価証券よりなる銀行家の財産は、略奪者が非略奪国の生産及び交通諸条件にしたがうことなしには、まったく略奪され得ない。近代的産業国の全工業資本についても同様である。最後に、略奪はいずこにおいても極めて速やかに行き詰まる。こうしてもはや略奪するべきものがなくなれば、生産が開始されなければならない。この極めて速やかに生ずる・生産の必要の結果として、そこに定住しはじめる征服者によってとられる共同体の形態は、従来存在した生産諸力の発展段階に照応させられるか、もしくは、最初からそれができない場合でも、ともかく生産諸力に応じて変更されなければならない。歴史家が、あの民族移動後の時代においていたるところで認めようと欲している事実、すなわち下僕が主人となったり、征服者が被征服者から言語、文化および風習を極めて速やかに継受した、という事実もここから説明されるであろう。封建制は、ドイツから既成のものとして持参されたのではけっしてなく、それは征服者の側に、すなわち征服最中における<軍隊……同>の戦闘組織のうちに、その起源をもったので【P66】あった。そしてこの組織は、征服後、被征服諸国にすでに存在していた≪より発展した≫生産諸力の影響を受けて、はじめて本来の封建性にまで発展したのであった。[P154]この≪征服者による共同体の≫形態が生産諸力によっていかに著しく制約されたかは、<古代ローマの遺制をもとに……同>・これと異なる諸形態を実現しようとする試みが挫折したことで知られる(カール大帝その他)。
<続けること。……合同版によれば、従来の版にはこの一語が欠けている>
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<9 大工業と自由競争のもとでの生産諸力と交通諸形態との間の矛盾の発展。労働と資本の対立。>

【P67】大工業および競争においては、各個人の全存在条件、被制約性、一面性は、二つのもっとも簡単な形式、すなわち私有財産と労働と、に解消する。貨幣の成立とともに、すべての交通[P155]形態及び交通そのものは、諸個人にとっては偶然的なものになる。【P68】したがって、貨幣のうちにはすでに、従来のすべての交通はたんに一定の諸条件の下における各個人の交通にほかならず、個人としての個人の交通ではなかった、ということが含まれている。<それら≪一定の生活≫諸条件は、結局のところ二つ──蓄積された労働すなわち私的所有か、あるいは現実的労働か──のどちらかに行き着くものである……同>。この二つのものあるいはその一つが終息すれば、交通は停止する。近代の経済学者たち自身、たとえば、シスモンディ、シェルビュリエ、その他は、個人の連合を資本の連合に対置する。しかし他方、個人そのものは完全に分業に包摂され、しかもそのことによってもっとも完全な相互依存関係にもたらされているのである。私有財産は、それが労働の内部において労働に対立しているかぎりは、蓄積の必然性に基づいて発展する。そして最初は常に、より多く、共同体の形式を持っているが、しかし発展するにしたがって、ますます私有財産の近代的形態に近づいていく。分業によって、最初からすでに労働諸条件、すなわち道具、材料の分割もまた与えられており、それとともに蓄積された資本[P156]の種々の所有者への細分、さらにそれとともに資本と労働との分裂、および財産そのものの種々なる形態も与えられている。分業が発達すればするほど、また蓄積が増大すればするほど、この≪資本と労働との≫分裂もまたますます先鋭に発達するのである。労働そのものは、ただこの分裂を前提にして存続しうるのである。
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【P76】(個々の国々の個人の人格的エネルギー──ドイツ人とアメリカ人と、──種族の混血だけで生ずるエネルギー──したがってドイツ人はクレチン病的、──フランス、イギリス等では、諸異民族がすでに発展した地盤の上に、アメリカでは、全然新規の地盤の上に移植されたが、ドイツでは自然発生的な住民が平穏に占住を続けてきた。
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【P68】したがって、ここに≪大工業および自由競争のもとでは≫二つの事実が明らかになる<傍注※>。第一は、生産諸力が個人から独立し、[P157]かつ遊離したものとして、すなわち個人と併存する一個の独立の世界として現れるということである。その根拠は、個人──その諸力が生産諸力である──は分裂し対立して存在しているにかかわらず、≪他方で≫個人の諸力は交通および関連<合同版では「相互連関」>のうちにおいてしか現実的な力にならないという点にある。したがって一方においては、生産諸力の総体があり、しかもこれら生産諸力は、いわば一つの客観的形態をとっていて、個人そのものにとってはもはや個人の力ではなくて私有財産の力であり、したがってただ個人が私有財産所有者であるかぎりにおいてのみ、個人の力であるにすぎない。@

<傍注※ 「シスモンディ」、エンゲルスによる ナウカ社版にはない>

従来のいかなる時代においても、生産諸力が個人とし【P69】ての個人の交通に対して、このような無関心な形態をとったことはなかった。それは、個人間の交通そのものがまだ局限されたものであったからである。他方においては、≪第二に、私有財産の姿をとった≫これら生産諸力に対して個人の大多数が対立する。<その諸力は、彼らから引き裂かれたものであり、またそうであるから彼らは、すべての現実的生活内容を取り去られた、抽象的な諸個人となってしまっている……同>。しかしながら、そのことによってはじめて、[P158]≪プロレタリアートにおいては≫個人は個人として相互に結合しうる状態に置かれているのである。
<彼らがまだ生産力および自分自身の生存とつながっている唯一の連関すなわち労働は、彼らのもとでは自己活動のあらゆる見かけを失ってしまい、ただ彼らの生活をみじめにすることによってのみこれを維持するにすぎない。以前の諸時期に自己活動と物質的生活の産出とが分かれていたのは、これらがそれぞれ別の人々に属したからであり、そしてまた物質的生活の産出が個人そのものの狭さのためにまだ自己活動の従属的な一方式と見なされたからであった。しかるに今はそれらはバラバラになってしまって、一般に物質的生活が≪その産出と切り離された≫目的として現れ、この物質的生活の産出すなわち労働(これが今では自己活動の唯一の可能な、しかし我々の見るように、否定的な形態である)は手段として現れるようになっている。……岩波文庫訳、P102>
<[P159] 10 私的所有の廃止の必然性、諸条件、および諸結果>

【P69】ゆえに今や個人は、たんに自分の自己活動に到達するためばかりでなく、一般的に彼らの生存を確立するためだけにも、現存する生産諸力の総体を占有せねばならない状態にまで立ち至っているのである。@
この占有は、まず占有されるべき対象によって、──一つの総体にまで発展させられて一つの世界的<合同版では「普遍的」>交通のうちにおいてのみ存在している生産諸力によって、制約されている。それゆえ、この占有は、この側面からだけ見ても、生産諸力および交通に対応する<合同版では「一致する」>世界的性格を持たなければならない。この諸力の占有は、それ自体、物質的生産用具<を駆使するに足る……同>個人的の力の発展にほかならない。生産用具の総体を占有することは、すでにこの理由から、個人そのものにおける能力の総体の発展にほかなら【P70】[P160]ない。@
この占有は、さらに、占有を行なう個人がどのようなものかによって制約されている。ただすべての自己活動から完全に閉め出されている現代のプロレタリアのみが、生産諸力の総体を占有することと、それとともに確立される能力の総体の発展を獲得することとにおいて成立する、かれらのもはや局限されることのない完全な自己活動を貫徹することができるのである。従来のすべての革命的占有は局限されていた。言い換えれば、制限された生産用具と制限された交通とにおいてその自己活動が局限されていた個人は、この制限された生産用具を占有したことによって、依然として一つの新たな被制限性を得たにすぎなかったのである。彼らの生産用具は彼らの財産となった。しかしながら、個人そのものは依然として分業ならびに彼ら自身の生産用具に従属するにとどまった。このように従来のすべての占有においては、個人大衆は<ただ一つの……同>生産用具に包摂されるだけであった。しかし、プロレタリアの占有においては、<多数の生産諸用具……同>が各個人に、および財産が一切の個人に<合同版では「万人のもとに」>、従属しなければならない。近代的世界的交通は、それが万人に包摂されることによる外は、[P161]<諸個人のもとに服属させられる道はない……同>。@
──ところで、この占有は、さらにまた、その遂行方法によって制約されている。<占有は、団結──プロレタリアートそのものの性格によって、これもまた普遍的なもの足らざるを得ない──と革命によってのみ、なし遂げられうる。そして、この革命では、今までの生産と交通の様式および今までの社会的編成の力が覆される一方、プロレタリアートの普遍的性格と占有をなしとげるのに必要なエネルギーとが発展し、さらに、プロレタリアートは、彼の今までおかれた社会的地位のせいで自分の身にまといつけていたものいっさい、をはぎ取るのである……同>。
この段階に来てはじめて自己活動は物質的生活と一致する<合同版では「一体のものとなる」>。このことは各個人の完全な個人<合同版では「全体的諸個人」>への発展と、すべての自然発生的諸性質の脱却とに、対応する。したがって、労働の自己活動への転化と従来の制約された交通が真の個人間の交通へ転化することとが、また互いに対応する。<結合した諸個人……同>による総体的生産諸力の占有とともに私有財産は終息する。過去の【P71】歴史においては、つねに一つの特殊な条件が偶然なもの[P162]として現れたのに反し、今や個人間の分離そのもの、各人の特殊な<私的職業……同>そのものが、偶然的なものとなる。
分業に包摂されない個人を、哲学者たちは『人間』という名を付けて理想のようなものと考えた。そして我々によって展開された全過程を『人間』の発展過程として把握した。その結果、全歴史過程における個人が『人間』とすり替えられ、しかもこの『人間』のほうが歴史の推進力であると叙述された。したがって、全過程が『人間』の自己疎外の過程として把握された(傍注※)。これは本質的には、あとの段階の平均的個人がつねに前の段階のそれにすり替えられ、また後代の意識が前代のそれにすり替えられることである。こうして最初から現実的諸条件を捨象する転倒によれば、歴史全体を意識の発展過程に転化してしまうことが可能だったわけである。

(傍注※ 「自己疎外」 マルクス)

<*  *  *  合同版ではここに区切りが入る>

[P163] 【P29】市民社会は、生産諸力の一定の発展段階内での諸個人の物質的交通全体を包括するものである。それは、一定段階の商業上および工業上の生活全体を包括しており、その限りにおいては国家および国民よりもその範囲が広いものを指す。と言ってももちろんやはり一方では、それは外に向かっては国民性として<現われ……同>、内に向かっては国家として自己を編成せざるを得ないのであるが。市民社会という言葉が現れてきたのは、18世紀、すなわち生産諸関係<合同版では「所有関係」>が、古代的および中世的共同体から脱出したときにおいてであった。<市民社会それ自体は……同>、ブルジョアジーの出現とともに始めて発展する。だが、生産及び交通にもとづいて直接に発展する社会組織──あらゆる時代において国家、その他の観念的上部構造の基礎を形作るもの──は、つねにこれと同一の名称≪国家≫をもって呼ばれてきた。
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<[P164] 11 国家および法への所有への関係>
<ナウカ社版では下記の部分の前に「〔Ⅱ〕財産に対する国家および法の関係」というタイトルが入る>

【P61】財産の最初の形態は、古代社会においても、また中世においても、等しく種族財産である。これはローマ人においては主として戦争により、ゲルマン人においては牧畜によって制約されていた。古代諸民族においては、多数の種族が一都市をなして群居した関係上、種族財産は国家財産として、それに対する個人の権利はたんなる占有として、【P62】しかも種族財産一般と等しく、土地所有のみに限られた占有として、現われる。本来の<意味の……同>私有財産は、古代人のもとでも、近代諸民族のもとでも等しく、動産所有とともに始まる。──(奴隷制と共同体と)(≪ローマ≫市民権に由来する所有権)。@
中世から脱して勃興しつつあった諸民族においては、種族財産は種々の段階──封建的土地所有、[P165]組合的動産所有、工場制手工業資本──を経て、大工業と普遍的競争とによって制約された近代的資本、すなわち<共同体所有物という……同>いっさいの外観を脱ぎ去り、財産の発展に対する国家のいっさいの干渉をしりぞけた純粋な私有財産、にまで発展する。この近代的私有財産に対応するものが近代的国家である。すなわち、諸税を通じてしだいに私有財産所有者たちに買い取られ、国債制度を通じて完全に彼らの掌中に帰し、かつ取引所における国債証券の相場の高低という形において私有財産所有者すなわちブルジョアから与えられる商業信用にその存立を依存させられている国家≪すなわちブルジョア国家≫がそれである。@
ブルジョアジーは、彼らが一つの階級であって、もはや一つの身分ではないというだけの理由で、自己をもはや地方的にでなく国民的に組織<せざるを得ず……同>、および彼らの平均的利害に一個の一般的な形態を与えることを余儀なくされた。共同体からの私有財産の解放によって、国家は市民的社会とならび、かつそれの外にある一個の特殊な存在となった。しかしそれは、ブルジョアたちが彼らの財産および彼らの諸利害の相互的保証のために、対外的及び対内的関係において、自己に必然的に与える組織形態以上の何ものでもない。≪市民社会からの≫国家の独立性が今日なお存在しているのは、[P166]まだ諸身分が完全に階級にまで発展するに至らず、先進諸国で除去されてしまった諸身分が今なお相当な役割を演じており、したがって人口のどの部分も残余の部分に対して支配的な地位に到達し得ないような混とん状態が存続している国々においてのみである。このありさまは、ことにドイツにおいて見られる。近代的国家のもっとも完全な実例は、北アメリカである。最近のフランス・イギリスおよびアメリカの著述家たちはことごとく、国家は私有財産のためにのみ存在するものだ【P63】という意見を発表している。それほどこのことは常識化するに至っているのである。
国家とは、支配階級に属する諸個人が彼らの共通の諸利害を主張するためにとる形態であり、また一時代の全市民的社会が自己を総括するためにとる形態であるから、その結果として一切の共通の制度は国家によって媒介され、何らかの政治的形態をとるに至る。だからして、法律が意思に基づく、それも自己の実在的な基礎から切り離された意志としての自由意思に基づくかのような幻想が成立するのである。そうなると、同様にして権利もまた法律に還元される。
私法は私有財産と時を同じくして、自然発生的な共同体の解消のときから発展する。[P167]ローマ人においては、私有財産および私法の発展は、彼らの<全般的な……同>生産方法が変化しなかったため(傍注※)、より進んだ工業上および商業上の諸結果をともなわずに終わった。近代諸民族──そこでは封建的共同体が工業と商業とによって解消させられた──においては、私有財産および私法の成立とともに、より一層の発展に進み得る一つの新局面が始まった。中世において広範な海上貿易を営んだ最初の都市であるアマルフィーは実に海上貿易法をも発達させた<ように……同>。最初はイタリアにおいて、後には他の諸国において、工業と商業とが私有財産をいっそう発展させるや否や、直ちに発達したローマ私法が再び採用され、しかも権威にまで高められた。その後、ブルジョアジーが著しく勢力を得て、その結果諸侯がブルジョアジーを通じて封建貴族を倒すために、ブルジョアジーの利害を容認するようになった時、あらゆる国々において──フランスでは16世紀において──法本来の発展がはじまった。そしてこれは、イギリスを除き、どの国でもローマ法典を基礎として行われたのであった。イギリスにおいても、私法(ことに動産所有権の場合における)の発達を期するためには、ローマ法の諸根本原則が取り入れられなければならなかった(法は、宗教と等しく自己自身の歴史というものを持たない、ということを忘れるな)。[P168]

(傍注※ 「高利貸し」 エンゲルス)

【P64】私法においては、現存する財産諸関係<合同版では「所有関係」>は、普遍的意思の結果として表明されている。しかも使用および乱用の権利≪「私的処分権」≫自体が、一方においては、私有財産が共同体から全く独立させられたという事実を、他方においては、あたかも私有財産自体がたんなる私的意思に、すなわち物に対する恣意的な<合同版では「自由な」>処分権に基づくかのような幻想を言い表わすものである。実践においては、乱用というものは私有財産所有者に対し、もしも彼にとって自分の財産が、したがって自分の乱用の権利が他人の手に移るのを見ることを欲しないならば、きわめて限定された経済上の限界を持ったものとして現れる。なぜなら、一般に物は私有財産所有者の意思に対する関係において見られただけでは、何ら物ではなく、交通においてはじめて、しかも権利から独立に、一個の物に、現実的な財産になるのだから(哲学者たちが理念と名づける一つの関係)(傍注※)。@
──権利をたんなる意思に還元するこの法律的幻想は、財産諸関係の一層の発展につれて必然的に、各人は、現実に物を所持することなしに、物に対して彼の法律的権限を有しうる、という考えにまで進む。たとえば[P169]競争によってある土地の地代が<なくなるとしても……同>、なおその土地の所有者は使用および乱用の権利を含めての彼の法律的権限を持っている。だが彼にとって、たんにそれだけで、ほかに彼の土地を耕すに足るだけの資本を持っていなければ、この権利だけではどうにもしようがなく、彼は土地所有者として、<何も所有しないのと同じである……同>。法律家たちの同様な幻想からなされる説明によれば、個人が相互間の諸関係、たとえば種々の契約を取り結ぶことは、<法律家や、おのおのの法典とはおよそ必然的なつながりがなく……同>、またこれらの関係は、法典の上では、各人が任意に締結し、また締結しないことを得るばかりでなく、まったく当事者の個人的恣意によってその内容が定まるような関係だとみなされている。@
──工業および商業の発展によって、新たな交通形態、たとえば保険、商事会社等々が形成されるたびに、その都度、法はそれらを財産取得様式の一つとして認めざるを得なかった。

[P170](傍注※ 「哲学者たちにとっての関係=理念。彼らは『人間というもの』のそれ自身に対する関係だけを知っているのであり、したがって彼らにとっては一切の現実的な諸関係は諸理念となるのである。」 マルクス)

<このあと原稿の末尾に、マルクスの筆跡で書かれた、以後の仕上げのために予定された覚え書きが続く……合同版の訳注>
<12 社会的意識の諸形態>
<以下はナウカ社版にはない、覚え書き

分業の科学への影響。
国家、法、道徳、等における抑圧の役割。
法律において、ブルジョアは、まさに階級として支配するがゆえに、自己に普遍的表現を与えねばならない。
自然科学と歴史。
[P171]政治、法、科学、等々、芸術、宗教、等々の歴史は存在しない(傍注※)。
(傍注※ 「古代国家、封建制度、絶対王政、のうちに現れるような『共同体』──この絆には、とくに宗教的諸観念が対応する。)
──────

なぜイデオローグたちは、すべてを逆立ちさせるか。
宗教家、法律家、政治家。
法律家、政治家(為政者一般)、道徳家、宗教家。
一つの階級内での、このようなイデオロギー的小区分について、(1)分業による職業の自立化。各人は、自分がたずさわる仕事を、真実なものとみなす。彼らは、彼らの仕事と現実とのつながりについて幻想を抱くが、それは、実は当の仕事の性質そのものによって引き起こされるものであるだけに、それだけいっそう必然な幻想である。諸関係が、法律学、政治学、等々の中で──意識の中で──諸概念となるのである。すなわち、それら諸概念が、その諸関係[P172]を越えていないときには、これら諸関係についての概念も、彼らの頭の中で、固定した概念となっている。たとえば、裁判官は、法典を適用する。それゆえに、彼は、立法を真に能動的な作動者と見なす。自己の商品にたいする尊敬──なぜなら、彼らの職業が普遍的なものを扱うから。
法の理念。国家の理念。通常の意識のなかでは、事態が逆立ちしている。
──────

宗教は、そもそものはじめから、現実的な依存から生じた超越の意識である。
これをもっと通俗的に表現すること。
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伝統──法、宗教等の領域における。

<以下、ページ付けのない〔Ⅰ、3〕の覚え書き>
[P173] *  *  *

諸個人は、いつでも自己から出発してきたし、出発している。彼らの諸関係は、彼らの生活の現実的過程の諸関係である。彼らの諸関係が、独立した、彼らに対立する存在を獲得するということがどこから起こるのか? 彼ら自身の生活の諸力が、彼らを支配する諸力となるということは、どこから起こるのか?
一言でいうならば、分業である。その諸段階は、一定の時期に到達している生産力の発展に依存している。
──────

土地所有、共同体的所有、封建的、現代的。
身分的所有。マニュファクチャ所有。産業資本。>

<以上で、合同版訳 終わり>
『フォイエルバッハ・テーゼ』(岩波文庫訳)
<ナウカ社版にはないが、断章として残されている、マルクスのいわゆる『フォイエルバッハ・テーゼ』(岩波文庫訳)を、重要と思われるので引用しておく。ページ{P}は岩波文庫のもの>

{P234} (1)フォイエルバッハについて

(1)
いままでのすべての唯物論者(フォイエルバッハのもふくめて)の主な欠陥は、対象、現実、感{P235}性がただ客観または直観の形式のもとにのみとらえられて、感性的な人間的活動、実践としてとらえられず、主体的にとらえられないことである。したがって活動的な側面は、唯物論とは反対に抽象的に観念論──これはもちろん現実的な、感性的な活動をそのものとしては知らない──によって展開された。フォイエルバッハは感性的な──思想客体から現実的に区別された客体を欲する。しかし彼は人間的活動そのものを対象的活動としてはとらえない。だから彼は「キリスト教の本質」のなかで理論的な態度だけを真に人間的なものとしてみなし、これにたいして実践はその汚らしいユダヤ的な現象形態においてのみとらえられ、固定される。したがって彼は『革命的な』、『実践的・批判的な』活動の意義をつかまない。

(2)
人間的思考に対象的な真理が到来するかどうかという問題は──なにも理論の問題ではなく、実践的な問題である。実践において人間は彼の思考の真理性、すなわち現実性と力、此岸性を証明しなければならない。思考の現実性あるいは非現実性についての論争は、──この思考が実践から遊離しているならば──まったくスコラ的な問題である。

(3)
環境の変更と教育についての唯物論学説は、環境が人間によって変更されなけらばならず、{P236}教育者みずからが教育されなければならないということを、忘れている。したがってこの学説は社会を二つの部分──そのうちの一つは社会のうえに超越する──に分けなけらばならない。
環境の変更と人間的活動あるいは自己変更との合致は、ただ革命的実践としてのみとらえられ、そして合理的に理解されることができる。

(4)
フォイエルバッハは宗教的自己疎外の事実、宗教的な世界と世俗的な世界とへの世界の二重化の事実から出発する。彼の仕事は、宗教的な世界をその世俗的な基礎に解消させることにある。しかし世俗的な基礎がそれ自身から浮き上がって、一つの独立王国が雲のなかに定着するということは、この世俗的な基礎の自己分裂および自己矛盾からのみ説明さるべきである。だからこの世俗的な基礎そのものがそれ自身その矛盾において理解されなければならないとともに、実践的に革命されなければならない。だからたとえば地上の家族が聖家族の秘密として発見されたうえは、いまや地上の家族そのものが理論的および実践的に絶滅されなければならない。

(5)
フォイエルバッハは、抽象的な思考には満足せず、直観を欲する。しかし彼は感性を実践的な人間的・感性的な活動としてはとらえない。

{P237} (6)
フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消させる。しかし人間的本質はなにも個々の個人に内在する抽象体ではない。その現実においてはそれは社会的諸関係の総和である。
フォイエルバッハは、この現実的本質の批判に立ちいらないから、どうしても
(1) 歴史的な経過を無視し、宗教的心情をそれだけとして固定し、そうして抽象的な──孤立した──人間的個体を前提せざるをえない。
(2) したがって本質はただ『類』として、多くの個人を自然的に結びつける内的な、もの言わぬ一般性としてとらえられうるにすぎない。

(7)
したがってフォイエルバッハは、『宗教的心情』そのものが一つの社会的な産物であるということ、そして彼が分析する抽象的な個人が一定の社会形態に属しているということを見ない。

(8)
{P238}すべての社会的生活は本質的に実践的である。理論を神秘主義へ誘い込むすべての秘跡は、その合理的な解決を人間的実践およびこの実践の把握のうちに見いだす。

(9)
直観的唯物論、すなわち感性を実践的活動としてはつかまない唯物論が到達する最高のものは、個々の個人たちと市民社会との直観である。

(10)古い唯物論の立場は市民社会であり、新しいそれの立場は人間的社会あるいは社会的人類である。

──────

(11)哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。大切なのはそれを変革することである。

<以上>

2017年1月22日