『経済学批判・序言』(全集版)

『経済学批判 序言』 1859年 (全集版)より

【P5】私はブルジョア経済の体制をこういう順序で、すなわち、資本・土地所有・賃労働・国家・外国貿易・世界市場という順序で考察する。はじめの三項目では、私は近代ブルジョア社会が分かれている三つの大きな階級の経済的諸生活条件を研究する。その他の三項目の間の関連は一見して明らかである。第一部は資本を論じるが、その第一篇は次の諸章から成り立っている。(1)商品、(2)貨幣または単純流通、(3)資本一般。はじめの2章がこの分冊の内容をなしている。材料全部は個別論文の形で私の手もとにあるが、それらは長い間隔をおいたいくつかの時期に、自分のために問題を解明する目的で書きとめられたもので、印刷するために書かれたものではない。そしてそれらを前述の計画にしたがって関連のあるものに仕上げることは、外部的な諸事情しだいであろう。
まえにざっと書いておいた一般的序説は、これをさしひかえることにする。というのは、よく考えなおしてみると、これから証明されるべき諸結果を事前に示すことは、妨げになるように思われるからであり、およそ私についてこようとする読者は、個別的なものから一般的なものへのぼっていく覚悟をもたねばならないからである。その代りに、私自身の経済学研究の歩みについて2、3述べておくには、ここが適当であろうかと思う。
私の専攻は法律学の研究であったが、しかし私は哲学と歴史を研究するかたわら2次的な学科として法律学を学んだにすぎない。1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえないという困惑状態におちいった。木材窃盗および土地所有の分割に関するライン州議会の議事、当時のライン州知事フォン・シャーパー氏がモーゼル地方の農民の状態について『ライン新聞』を相手にして起こした公の論争、最後に自由貿易と保護関税とに関する討論、以上が私に経済問題にたずさわる最初のきっかけをあたえた。他方では、「さらに前進しよう」という善良な意志が事実的知識よりもずっと重きをなしていたその当時には、フランスの社会主義および共産主義の淡【P6】く哲学めいて潤色された反響が『ライン新聞』においても聞かれるようになっていた。私はこの生半可にたいして反対を表明したが、しかし同時に、アウグスブルクの『アルゲマイネ・ツァイトゥング』との一論争で、私のそれまでの研究では、フランスの諸思潮の内容自体についてなんらかの判断をあえてくだすことはできないことを、率直に認めた。そこで私は、紙面の論調をやわらげることによって『ライン新聞』にくだされた死刑の宣告を取り消させうると信じていた同紙の経営者たちの幻想をむしろよろこんで利用して、公の舞台から書斎に退いたわけである。
私を悩ませた疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった。すなわち、法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解され得るものではなく、むしろ物質的な諸生活諸関係に根ざしているものであって、これらの諸生活関係の総体をヘーゲルは、18世紀のイギリス人およびフランス人の先例にならって「市民社会」という名の下に総括しているのであるが、しかしこの市民社会の解剖学は経済学の内に求められなければならない、ということであった。パリで始めた経済学の研究を私はブリュッセルでつづけた。ギゾー氏の追放命令の結果、同地へ私は移ったのであった。私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単に言えば次のように定式化することが出来る。@
人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえたち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動して来た既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化と共に、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる。このような諸変革の考察に当たっては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に確認できる変革と、それで人間がこの衝突を意識するようになり、これと闘って決着をつけるところの(岩波文庫版……決戦する場となる)法律的な、政治的な、宗教的な、芸術的または哲学的な諸形態、簡単に言えばイデオロギー諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人が何であるかをその個人が自分自身を何と考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断する事はできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係との間に現存する衝突から説明しなければならない。一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地を持ち、この生産諸力が全て発展し切るまでは(岩波文庫版……全ての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは)、決して没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されてしまうまでは、決して古いものに取って代わる事はない。それだから、人間は常に、自分が解決し得る課題だけを自分に提起する。なぜならば、もっと詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件が既に存在しているか、または少なくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、常に見られるであろうからだ。大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期として表示され得る。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をも作り出す。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる。
私は、フリードリッヒ・エンゲルスとは経済学的諸範疇の批判のための彼の天才的な概説が(『独仏年誌』に)現われて以来、たえず手紙で考えをとりかわしつづけてきたが、彼は別の道筋を経て(彼の『イギリスにおける労働者階級の状態』を参照)、私と同じ結果に達していた。そして1845年の春、彼もまたブリュッセルに腰をおちつけたときに、われわれは、ドイツ哲学のイデオロギー的見解に対する我々の見解の対立を共同して作りあげること、事実上は我々の以前の哲学的意識を清算することを決意した。この企てはヘーゲル以後の哲学の批判という形で実行された。部厚い8折版2冊の原稿がヴェ【P8】ストファーレンにある出版所にとどいてからかなりあとになって、われわれは、事情が変わったので出版できないという知らせを受け取った。われわれはすでに自分のために問題を解明するという主な目的を達していたので、それだけに快く原稿を鼠どもがかじって批判するままにさせた。当時われわれがあれこれの方面でわれわれの見解を世間に問うたばらばらの仕事のうちからは、私はエンゲルスと私が共同で仕上げた『共産党宣言』と、私が公表した『自由貿易論』とだけをあげるにとどめる。われわれの見解の決定的な諸点は、1847年に刊行されたプルードンに反対した私の著書『哲学の貧困』の中で、たんに論争の形ではあったが、はじめて科学的に示された。「賃労働」についてドイツ語で書かれた1論文は、私がこの題目についてブリュッセルのドイツ人労働者協会でおこなった講演をまとめたものであるが、2月革命と、その後起こった私のベルギーからの強制退去とによって、その印刷は中断されてしまった。
1848年と1849年の『新ライン新聞』の発行と、その後に起こった諸事件とは、私の経済学研究を中断させ、ようやく1850年になってロンドンで私はふたたび経済学研究にとりかかることができた。大英博物館に積み上げられている経済学の歴史にかんする膨大な資料、ブルジョア社会の観察にたいしてロンドンがあたえている好都合な位置、最後にカリフォルニアおよびオーストラリアの金の発見とともにブルジョア社会がはいりこむようにみえた新たな発展段階、これらのことが、全然はじめからやりなおして、新しい材料を批判的に研究しつくそうと私に決意させた。これらの研究は、一部は外見上まったく縁のないような諸学科にまでおのずからはいりこむこととなり、私はこれらの学科に多かれ少なかれ時間をつぶさなければなら【P9】なかった。しかし、とりわけ私の自由になる時間は、生活費を得るために働かねばならぬというのっぴきならない必要によって削られた。アメリカ第一流の英語新聞『ニューヨーク・トリビューン』への私の寄稿はすでに8年になるが、この寄稿は、本来の新聞通信には私は例外としてたずさわるだけなので、研究のはなはだしい分散を余儀なくさせた。とはいっても、イギリスおよび大陸における顕著な経済的諸事件に関する論説が私の寄稿の重要な部分をなしていたので、私は、経済学という本来の科学の領域外にある実際上の詳細事にも精通せざるをえなくなった。
経済学の分野における私の研究の道筋についての以上の略述は、ただ私の見解が、これを人がどのように論評しようとも、またそれが支配階級の利己的な偏見とどれほど一致しないとしても、良心的な、長年にわたる研究の成果であることを示そうとするものにすぎない。しかし科学の入口には、地獄の入口と同じように、次の要求がかかげられなければならない。
ここにいっさいの疑いを捨てなければならぬ。
いっさいの怯惰はここに死ぬがよい。<ダンテ『神曲』、地獄篇より>
ロンドン、1859年1月  カール・マルクス

2017年5月22日

『経済学批判』(全集版)の抄訳の1

経済学批判 全集版抄訳 ( <>内や@は、レポータのものです)

【P13】 第1篇 資本一般

第1章 商品

一見したところでは、ブルジョア的富は一つの巨大な商品の集まりとして現われ、個々の商品はこの富の元素的定在として現われる。ところがそれぞれの商品は、使用価値と交換価値という二重の観点のもとに自己をあらわしている。(*)

(*)アリストテレス政治学(……)「なぜならば、物のいずれにも二つの用<用途……岩波文庫版>があるからである……一方の用は物に固有のものだが、他方の用は固有ではない。たとえば靴には、一方では靴としてはくという用と、他方では交換品としての用とがある。両方とも靴の使用価値である。というのは、靴を自分の持たないもの、たとえば食物と交換する人でも、やはり靴を靴として用いるのだから。といっても、それは靴の固有の用い方ではない。なぜならば、靴は交換のために存在するにいたったものではないからである。他のものについても同じことが言える。」(……)

商品はまず、イギリスの経済学者の言い方で言うと、「生活にとって必要な、役にたち、または快適ななんらかの物」であり、人間の欲望の対象であり、もっとも広い意味での生活手段である。使用価値としての商品のこういう定在と、その商品の自然的な、手でつかめるような存在とは一致する。たとえば小麦は、綿花、ガラス、紙などの使用価値とは区別された一つの特殊な使用価値である。使用価値は使用のための価値をもつだけで、消費の過程でだけ自分を実現する。同じ使用価値はいろいろに利用されうる。けれども、そのおよそ可能な利用のしかたの全体は、一定の諸性質をもつ物としてのその定在のうちに総括されている。さらに使用価値は質的に規定されているだけではなく、量的にも規定されている。さまざまな使用価値は、それらの自然的な特性に応じて、たとえば小麦何シェッフル、紙何帖、リンネル何エレなどのように、さまざまな尺度をもっている。
富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、【P14】使用価値はつねに、このような形態にたいしてはさしあたり無関係な富の内容をなしている。小麦を味わっても、だれがそれをつくったのか、ロシアの農奴がつくったのか<年貢として>、フランスの分割地農民がつくったのか<自己需要品として>、それともイギリスの資本家がつくったのか<交換価値=商品として>は、わからない。使用価値は、たとえ社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的関連のなかにあるとはいえ、どのような社会的生産関係をも表現するものではない。使用価値としてのこの商品が、たとえば一個のダイヤモンドであるとしよう。ダイヤモンドを見ても、それが商品であることは識別できない。それが美的にあるいは機械的に、娼婦の胸であるいはガラス切り工の手中で、使用価値として役立っている場合には、それはダイヤモンドであって、商品ではない。使用価値であるということは、商品にとって必要な前提であると思われるが、商品であるということは、使用価値にとって無関係な規定であるように思われる。経済的形態規定にたいしてこのように無関係な場合の使用価値は、すなわち使用価値としての使用価値は、経済学の考察範囲外にある。(*)使用価値がこの範囲内にはいってくるのは、使用価値そのものが形態規定である場合だけである。直接には使用価値は、一定の経済的関係である交換価値があらわされる素材的土台である。

(*)これこそ、ドイツの書物の切り張り屋連が「財」という名称のもとに固定された使用価値をこのんで論じるのはなぜかという理由である。たとえばL・シュタイン『国家学体系』第1巻、「財」にかんする篇を見よ。「財」にかんする知識は「商品学指針」のうちに求めなければならない。

交換価値はさしあたり、使用価値が交互に交換されうる量的関係として現われる。このような関係では、諸使用価値は同一の交換量をなしている。こうしてプロペルティウス詩集1巻と嗅ぎたばこ8オンスとは、たばこと悲歌というまったく違った使用価値であるにもかかわらず、同一の交換価値であることもありうる。交換価値としては、一つの使用価値は、それが正しい割合で存在していさえすれば、他の使用価値とちょうど同じ値うちがある。一つの宮殿の交換価値は、一定数の靴墨の缶で表現することができる。ロンドンの靴墨製造業者たちは、その反対に彼らのたくさんの靴墨缶の交換価値をいくつかの宮殿で表現してきた。だから諸商品は、それらの自然的な存在のしかたとはまったく無関係に、またそれらが使用価値として満足させる欲望の独特の性質にもかかわりなく、一定の量においてはたがいに一致し、交換で互いに置き換わりあい、等価物として通用し、こうしてその雑多な外観にもかかわらず、同じひとつのものをあらわしている。
使用価値は直接には生活手段である。だが逆に、これらの【P15】生活手段そのものは、社会的生活の生産物であり、支出された人間生命力の結果であり、対象化された労働である。社会的労働の物質化したものとしては、すべての商品は、同じひとつのものの結晶である。この同じひとつのもの、すなわち交換価値であらわされる労働の一定の性格が、今度は考察されなければならない。
1オンスの金、1トンの鉄、1クォーターの小麦、20エレの絹が、等しい大きさの交換価値であるとしよう。これらの使用価値は、その質的区別を抹消したこのような等価物としては、同じ労働の等しい量をあらわしている。これらに一様に対象化されている労働は、それ自体、一様な、無差別な、単純な労働でなければならない。この労働にとっては、それが金、鉄、小麦、絹のうちどれに現われるかはどうでもよいことであって、それはちょうど酸素にとって、それが鉄の錆、大気、ブドウ汁または人間の血液のうちのどこに存在するかが、どうでもよいことであるのと同じである。しかし、金を掘ること、鉄を鉱山から採掘すること、小麦をつくること、絹を織ることは、互いに質的に異なった労働の種類である。じっさい、物的に使用価値の差別として現われるものが、過程においては使用価値をつくりだす活動の差別として現われるのである。だから交換価値を生みだす労働は、使用価値の特殊な素材にたいして無関係であるのと同様に、労働そのものの特殊な形態にたいしても無関係である。さらにまたさまざまな使用価値は、さまざまな個人の活動の生産物であり、したがって個人的に異なる労働の結果である。しかし交換価値としては、それらは同等な、無差別な労働を、すなわち労働する者の個性が抹消されている労働をあらわしている。だから交換価値を生みだす労働は、抽象的一般的労働である。
もし1オンスの金、1トンの鉄、1クォーターの小麦、20エレの絹が、等しい大きさの交換価値、つまり等価物であるとすれば、1オンスの金、2分の1トンの鉄、3ブッシェルの小麦、5エレの絹は、まったく違った大きさの交換価値である。しかもこの量的区別こそ、交換価値としてのそれらがおよそもちうる唯一の区別である。違った大きさの交換価値としては、それらは、あるものの多量または小量を、交換価値の実体を形成する単純な、一様な、抽象的一般的労働のより大きなまたはより小さな量をあらわしている。これらの量をどうして測るかが問題になる。あるいはむしろ、こういう労働そのものの量的定在はなんであるかが問題になる。なぜならば、交換価値としての諸商品の大きさの区別は、ただそれらのうちに対象化されている労働の大きさの区別にすぎないからである。運動の量的定在が時間であるように、労働の量的定在は労働時間であ【P16】る。労働の質をあたえられたものとして前提すると、労働そのものの継続時間の差異が労働のもちうる唯一の区別である。労働は労働時間としては、時間、日、週等々の自然的な時間尺度をその度量標準としている。労働時間は、労働の形態、内容、個性にたいして無関係な、労働の生きた定在である。それは、同時に内在的尺度をもそなえた量的定在としての労働の生きた定在である。諸商品の使用価値に対象化された労働時間は、これらの使用価値を交換価値とし、したがって商品とする実体であるとともに、諸商品の一定の価値の大きさを測る。同一の労働時間が対象化されているいろいろな使用価値の相関的な諸量は等価物である。言いかえれば、すべての使用価値は、それに同一の労働時間がついやされ、対象化されてふくまれている比率で存在すれば、等価物である。交換価値としては、すべての商品が、凝固した労働時間の特定の量にほかならない。 @  交換価値が労働時間によって規定されていることを理解するためには、次の主要な諸観点をしっかりつかまなければならない。すなわち、<a>単純な、いわば質をもたない労働への諸労働の還元、<b>交換価値を生みだす、したがって商品を生産する労働が社会的労働をなしている独特の様式、<c>最後に、使用価値に結果するかぎりでの労働と、交換価値に結果するかぎりでの労働との区別。
<a>諸商品の交換価値をそのうちにふくまれている労働時間で測るためには、さまざまな労働そのものが、無差別な、一様な、単純な労働に、要するに質的には同一で、したがって量的にだけ区別される労働に還元されなければならない。  この還元はひとつの抽象として現われるが、しかしそれは、社会的生産過程で日々行なわれている抽象である。すべての商品を労働時間に分解することは、すべての有機体を気体に分解すること以上の抽象ではないが、しかしまた同時にそれより現実性の乏しい抽象でもない。このように時間によって測られる労働は、実際にはいろいろな主体の労働としては現われないで、労働するさまざまな個人のほうが、むしろ労働そのもののたんなる諸器官として現われるのである。言いかえれば、交換価値であらわされる労働は、一般的人間的労働として表現されうるであろう。一般的人間的労働というこの抽象は、あるあたえられた社会のそれぞれの平均的な個人がなしうる平均労働、人間の筋肉、神経、脳等々のある一定の生産的支出のうちに実在している。それはすべての平均的個人が慣れればおこなうことのできる、そして彼らがなんらかの形態でおこなわざるをえない単純労働(*)なのである。この平均労働の性格は、国が違い文化段階が違うにしたがって異なるとはいえ、ある既存の社会ではあたえられたものとして現われる。単純労働は、【P17】あらゆる統計から確かめられるように、ブルジョア社会のすべての労働の圧倒的な大量をなしている。Aが6時間のあいだ鉄を、そして6時間のあいだリンネルを生産し、Bもまた同様に6時間のあいだ鉄を、そして6時間のあいだリンネルを生産しようとも、あるいはまたAが12時間のあいだ鉄を、Bが12時間のあいだリンネルを生産しようとも、それらは明らかに同一の労働時間のたんなる異なった利用として現われる。しかしより高い活動力を持ち、より大きな比重をもつ労働として平均水準をこえている複雑労働の場合はどうなのか? この種の労働は、複合された単純労働、数乗された単純労働に帰着するのであり、したがってたとえば1複雑労働日は3単純労働日に等しいのである。この還元を規制する諸法則は、まだここでの問題ではない。しかし、この還元がおこなわれていることは、明らかである。なぜならば、交換価値としては、最も複雑な労働の生産物も、一定の比率で単純な平均労働の生産物にたいする等価物であり、したがってこの単純労働の一定量に等置されているからである。

(*)イギリスの経済学者たちは、これを「不熟練労働」とよんでいる。

交換価値が労働時間によって規定されるということは、さらに一定の商品、たとえば1トンの鉄のなかには、それがAの労働であるかまたはBの労働であるかにかかわりなく、等しい量の労働が対象化されているということ、言いかえれば、同一の、質と量とが特定された使用価値を生産するために、相異なる個人が等しい大きさの労働時間を用いるということを前提している。言いかえれば、ある商品にふくまれている労働時間とは、それの生産に必要な労働時間、すなわちあたえられた一般的生産諸条件のもとで、同じ商品を新たにもう1個生産するために必要な労働時間である、ということが前提されている。
<b>交換価値を生みだす労働の諸条件は、交換価値の分析から明らかなように、労働の社会的諸規定または社会的労働の諸規定であるが、社会的といっても一般に社会的だというのではなく、特殊なあり方での社会的である。<①>まず第一に、労働の無差別な単純性とは、さまざまな個人の労働の同等性であり、彼らの労働が同等のものとして、しかもすべての労働が同質な労働に事実上還元されることによって相互に関係しあうことである。各個人の労働は、交換価値であらわされるかぎり、同等性というこの社会的性格をもち、それが同等な労働として他のすべての個人の労働と関係させられているかぎりでだけ、この労働は交換価値であらわされる。
<②>さらにまた交換価値のうちには、個々の個人の労働時間【P18】が直接に一般的労働時間として現われ、個別化された労働のこの一般的性格がその労働の社会的性格として現われる。交換価値であらわされる労働時間は、個々人の労働時間であるが、他の個々人とは区別されない個々人の、同等な労働をおこなっているかぎりでのすべての個々人の労働時間であり、したがってある一人が一定の商品の生産のために必要とする労働時間は、ほかのだれもが同じ商品の生産のためについやすであろう必要労働時間である。それは個々人の労働時間であり、彼の労働時間であるが、しかしそれはすべての個々人に共通な労働時間としてだけそうなのであって、したがってこの労働時間にとっては、それがどの個々人の労働時間であるかはどうでもよいのである。それは一般的労働時間として、ある一般的生産物、ある一般的等価物、対象化された労働時間の一定量であらわされるが、この一般的生産物は、ある個人の生産物として直接に現われる使用価値の特定の形態にはかかわりなく、他の各人の生産物としてあらわされる他のどんな使用価値形態にでも任意に置き換えられうるものである。それはただ、このような一般的な大きさとしてだけ社会的な大きさである。個々人の労働が交換価値に結果するためには、ひとつの一般的等価物に、すなわち個々人の労働時間の一般的労働時間としての表示に、または一般的労働時間の個々人の労働時間としての表示に結果しなければならない。それはちょうど、さまざまな個人が彼らの労働時間をよせあつめ、彼らが共同で自由にできる労働時間のさまざまな量をさまざまな使用価値であらわしたようなものである。こういうわけで、個々人の労働時間は事実上、一定の使用価値の生産のために、すなわち一定の欲望の充足のために、社会が必要とする労働時間なのである。@ <③>しかしここで問題なのは、労働が社会的性格を受け取る場合の特殊な形態だけである。紡績工の一定の労働時間が、たとえば100ポンドの亜麻糸に対象化されるとしよう。織布工の生産物である100エレのリンネルもまた、等しい量の生産物をあらわすものとしよう。これら二つの生産物が一般的労働時間の等しい大きさの量をあらわしており、したがって等量の労働時間をふくんでいるどの使用価値にたいしても等価物であるかぎりでは、それらは互いに等価物である。<生産物の全面的な交換を前提するかぎり>紡績工の労働時間と織布工の労働時間とが一般的労働時間として、したがって彼らの生産物が<一般的労働時間の対象化であるところの>一般的等価物としてあらわされることによってだけ、いまの場合は、織布工の労働は紡績工のための、紡績工の労働は織布工のための、一方の労働は他方のための労働となり、つまり彼らの労働が両者のための社会的定在となる。これに反して、紡ぎ手も織り手も同じ屋根の下に住んでいて、いわば自家需要のために、家族の【P19】うちの女たちは紡ぎ、男たちは織っていた家父長制的農村工業においては、家族の限界内で糸とリンネルとは社会的生産物であり、紡績労働と織布労働とは<その相異なる具体的な姿そのままで>社会的労働であった。けれどもそれらの社会的性格は、一般的等価物としての糸が一般的等価物としてのリンネルと交換されること、つまり両者が同じ一般的労働時間のどちらでもよい、同じ意味の表現として互いに交換されることにあったのではない。むしろ原生的な分業をもつ家族関連が、労働の生産物に<社会的なすなわち共同の生産物という>その固有な社会的極印を押したのである。あるいはまた、中世の賦役と現物給付をとってみよう。ここでは現物形態にある個々人の一定の労働が、労働の一般性ではなくて特殊性が、社会的紐帯をなしている。あるいはまた最後に、すべての文化民族の歴史の入り口で見られるような、原生的形態にある共同労働をとってみよう(*)。ここでは労働の社会的性格は、明らかに個々人の労働が一般性という抽象的形態をとることによって、つまり彼の生産物がひとつの一般的等価物の形態をとることによって媒介されているのではない。個々人の労働が私的労働となることを妨げ、彼の生産物が私的生産物となることを妨げ、むしろ個々の労働を直接に社会有機体の一肢体の機能として現わさせるものは、生産の前提となっている共同体である。交換価値で現わされる労働は、個別化された個々人の労働に前提をもっている。それが社会的となるのは、それがその正反対の形態、抽象的一般性の形態をとることによってである。

(*)原生的な共有の形態は、とくにスラブ的な、しかももっぱらロシア的な形態だというのは、近ごろひろまっている笑うべき偏見である。それは、われわれがローマ人、ゲルマン人、ケルト人のあいだで指摘することのできる原初形態であるが、これについては、さまざまな見本をそなえたりっぱな見本帳が、いまでもなお、一部分は廃墟としてであるとはいえ、インド人のあいだに見られる。アジア的な、ことにインド的な諸共有形態のいっそう詳しい研究は、原生的共有の種々の形態からどのようにしてその崩壊の種々の形態が出てくるかを示すであろう。こうして、たとえばローマ的およびゲルマン的私有の種々の原型が、インド的共有の種々の形態からみちびきだされるのである。

<4>最後に、交換価値を生みだす労働を特徴づけるものは、人と人との社会的関係が、いわば逆さまに、つまり物と物との社会的関係としてあらわされることである。一つの使用価値が交換価値として他の使用価値に関係するかぎりでだけ、いろいろな人間の労働は同等な一般的な労働として互いに関係させられる。したがって交換価値とは人と人とのあいだの関係である(*)、というのが正しいとしても、物の外被の下に隠された関係ということをつけくわえなければ【P20】ならない。1ポンドの鉄と1ポンドの金とが、その物理的、化学的性質が違っているにもかかわらず、同一の量の重さをあらわしているように、同一の労働時間をふくんでいる二つの商品の使用価値は、同一の交換価値をあらわしている。こうして交換価値は、使用価値の社会的な自然規定性として、物としての使用価値に属する一つの規定性として現われる。そしてその結果として、諸使用価値は、交換過程において一定の量的関係で互いに置き換えられ、等価物を形成するが、それはちょうど、単純な化学元素が一定の量的関係で化合して、化学当量を形成するのと同じことである。社会的生産関係が対象の形をとり、そのために労働における人と人との関係がむしろ物相互の関係および物の人にたいする関係としてあらわされること、このことをあたりまえのこと、自明のことのように思わせるのは、ただ日常生活の習慣にほかならない。商品では、この神秘化はまだきわめて単純である。交換価値としての諸商品の関係は、むしろ人々の彼らの相互の生産的活動にたいする関係であるという考えが、多かれ少なかれ、すべての人の頭にある。もっと高度の生産諸関係では、単純性というこの外観は消えうせてしまう。重金主義のすべての錯覚は、貨幣(*)は一つの社会的生産関係を、しかも一定の性質をもつ自然物という形態であらわすということを貨幣から察知しなかった点に由来する。重金主義の錯覚を見下して嘲り笑う現代の経済学者にあっても、彼らがもっと高度の経済学的諸範疇、たとえば資本を取り扱うことになると、たちまち同じ錯覚が暴露される。彼らが不器用に物としてやっとつかまえたと思ったものが、たちまち社会関係として現われ、そして彼らがようやく社会関係として固定してしまったものが、今度は物として彼らを愚弄する場合に、彼らの素朴な驚嘆の告白のうちに、この錯覚が突然現われるのである。

(*)「富は二人の人のあいだの関係である」ガリアーニ……

<c>諸商品の交換価値は、じつは同等で一般的な労働としての個々人の労働相互の関係にほかならず、労働の独特な社会的形態の対象的表現にほかならないのであるから、労働は交換価値の、したがってまた富が交換価値から成りたつかぎりでは富の唯一の源泉である、と言うのは同義反復である。自然素材そのものは労働をふくまないから交換価値をふくまず(*)、また交換価値そのものは自然素材をふくんでいないということも、同じ同義反復である。しかしウィリ【P21】アム・ペティが「労働は富の父であり、大地はその母である」と言い、あるいはバークリ主教が「4元素とそのなかにふくまれる人間の労働が富の真の源泉ではないか?(**)」と問うたとき、あるいはまたアメリカ人Th・クーパーが「試みに一塊のパンからそれについやされた労働を、パン屋、粉挽き屋、小作農等々の労働をとりさってみなさい、あとにいったいなにが残るか? ひとつかみの、野生の、どんな人間にとっても使いものにならない雑草だけだ(***)とわかりやすく説明したとき、これらすべての見方で問題とされているのは、交換価値の源泉である抽象的労働ではなく、素材的富の一源泉としての具体的労働、つまり使用価値をつくりだすかぎりでの労働である。商品の使用価値が前提されているのだから、商品についやされた労働の特殊な有用性、一定の合目的性が前提されているわけであるが、商品の立場からすれば、これでもって同時に有用労働としての労働にたいするすべての関心は尽きている。使用価値としてのパンにわれわれの関心を起こさせるのは、食料品としてのそれの諸性質であって、小作農、粉挽き屋、パン屋等々の労働ではない。もしなんらかの発明によってこれらの労働の20分の19がはぶかれたとしても、一塊のパンはそれまでと同じ役を果たすであろう。もしもパンができあがったものとして天から降ってきたところで、その使用価値の一片をも失わないであろう。交換価値を生みだす労働は、一般的等価物としての諸商品の同等性のうちに実現されるのにたいして、合目的的な生産的活動としての労働は、諸商品の使用価値の無限の多様性のうちに実現される。交換価値を生みだす労働は抽象的な、一般的な、同等の労働であるのにたいして、使用価値を生みだす労働は、形態と素材に応じて際限なくさまざまな労働様式に分かれる具体的な労働である。

(*)「その自然状態においては、物質はつねに価値をもたない」マカロック……。マカロックのような者さえ、「物質」やその他半ダースものがらくたを価値の要素だと宣言するドイツの「思想家ども」の物神崇拝よりもどれほどすぐれているかがわかる。たとえばL・シュタイン、前掲書……参照。
(**)バークリー『質問者』……
(***)Th・クーパー『経済学綱要講義』……

使用価値をつくりだすかぎりでの労働については、労働がそれによってつくりだされた富、すなわち素材的な富の唯【P22】一の源泉であると言うのは誤りである。この労働は素材的なものをあれやこれやの目的に充用する活動であるから、それは前提として素材を必要とする。いろいろな使用価値では、労働と自然素材との割合は非常に異なっているが、しかし使用価値はいつも自然的基礎をふくんでいる。自然なものをなんらかの形態で取得するための合目的的活動としては、労働は人間存在の自然条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝の、すべての社会的形態から独立した一条件である。これに反して、交換価値を生みだす労働は、労働の独特な社会的一形態である。たとえば裁縫労働は、特殊な生産活動としてのその素材的規定性では上着を生産するが、しかし上着の交換価値は生産しない。裁縫労働が上着の交換価値を生産するのは、裁縫労働としてではなくて、抽象的一般的労働としてであり、そしてこの抽象的一般的労働は、裁縫師が縫いあげたのではない一つの社会的関連に属する。だから古代の家内工業では、女子は上着の交換価値を生産することなく、上着を生産した。素材的富の一源泉としての労働は、税関吏アダム・スミスにわかっていたのと同じように、立法者モーセにもわかっていたのである(*)。

(*)F・リストは有用物、つまり使用価値を創造するのを助けるかぎりでの労働と、富の特定の社会的形態、つまり交換価値を創造する労働とのあいだの区別をついに理解することができなかった。それというのは、総じて理解するということは、彼の打算的で実際的な頭にとっては縁の遠いことだったからである。それだから彼は、イギリスの現代の経済学者たちをエジプトのモーセのたんなる剽窃者としか見なかったのである。

さて次にわれわれは、交換価値を労働時間に帰着させることから生じる二、三のもっと詳細な規定を考察しよう。  使用価値としては、商品は原因として作用する。たとえば小麦は食料として作用する。機械は一定の事情の下で労働にとって代わる。商品のこの作用、それによってだけ商品は使用価値であり、消費の対象であるのだが、この作用は、商品の役だち、商品が使用価値としておこなう役だちとよんでよかろう。ところが交換価値としては、商品はいつでも結果の観点からだけ考察される。問題になるのは、商品がおこなう役立ちではなくて、商品の生産にあたって商品そのものにたいしてなされた役だちである(*)それだから、たとえばある機械の交換価値は、その機械によって置き換えられる労働時間の量によって規定されるのではなくて、その機械自体に支出されている、したがって同じ種類の新しい機械を生産するのに必要な労働時間の量によって規定されるのである。

【P23】(*)「役だち」という範疇が、J・B・セーやF・バスティアのようなたぐいの経済学者たちにたいして、どんな「役だち」をなさざるをえないかが合点がゆく。すでにマルサスが正しく指摘したように、彼らの小理屈ふうの小ざかしさは、いたるところで経済的諸関係の独特な形態規定性を捨象するのである。

だから、もしも諸商品の生産に必要な労働量が不変のままならば、それらの交換価値は変わらないであろう。しかし生産の難易はたえず変化する。労働の生産力が増大すれば、労働は同じ使用価値をもっと短い時間で生産する。労働の生産力が低下すれば、同じ使用価値の生産にもっと多くの時間が必要となる。だから、一商品にふくまれている労働時間の大きさ、したがってその交換価値は、一つの変化する大きさであり、労働の生産力の向上と低下に反比例して増減する。労働の生産力は製造工業では事前にきめられている程度で用いられるが、農業と採取産業では、同時に、意のままにならない自然事情によっても制約されている。同じ労働でも、いろいろな金属の地殻内における賦存量が相対的に希少であるか豊富であるかにしたがって、これらの金属の産出量を多くしたり、少なくしたりするであろう。同じ労働でも、豊作の年には2ブッシェルの小麦に対象化され、凶作の年にはおそらくわずか1ブッシェルの小麦に対象化されるであろう。こういう場合には、自然事情としての希少または豊富が、特殊な現実の労働の、自然事情に結びつけられている生産力を規定するから、それが商品の交換価値を規定するように見えるのである。
いろいろな使用価値は、等しくない容積の中に同じ労働時間、すなわち同じ交換価値をふくんでいる。ある商品が一定量の労働時間を、その使用価値の、他の使用価値とくらべて小さい容積のなかにふくんでいればいるほど、その商品の交換価値比重は大きい。はるかに時を隔てたいろいろな文化段階において、ある種の諸使用価値がそのあいだで交換価値比重の順列を形成し、それらの交換価値がたとえば金、銀、銅、鉄、または小麦、ライ麦、大麦、燕麦のように、正確に同じ数的関係でないにしても、相互のあいだで上位下位の一般的関係をたもっていることがわかったとしても、そこから結論されるのは、社会的生産諸力の前進的発展は、これらのいろいろな商品の生産に必要な労働時間にたいして、一様にまたはほぼ一様に作用しているということだけである。
一商品の交換価値は、その商品自身の使用価値にはあらわれない。けれども一般的社会的労働時間の対象化として、一商品の使用価値は、他の諸商品の使用価値と関係づけられる。こうしてある一商品の交換価値は、他の諸商品の使【P24】用価値で自己をあらわす。等価物とは、じつは他の一商品の使用価値で表現された一商品の交換価値である。たとえば1エレのリンネルは2ポンドのコーヒーに値すると言えば、リンネルの交換価値はコーヒーの使用価値で、しかもこの使用価値の一定量で表現される。この比率があたえられていれば、どんな量のリンネルの価値もコーヒーで表現できる。一商品、たとえばリンネルの交換価値は、他の特殊な一商品、たとえばコーヒーがその等価物をなす場合の比率ですべて表現つくされているわけではない。1エレのリンネルであらわされている一般的労働時間の量は、同時に他のすべての商品の使用価値の限りなく様々な容積のうちに実現されている。他のそれぞれの商品の使用価値は、それが同じ大きさの労働時間をあらわす比率で、1エレのリンネルにたいする等価物をなす。だから、この個別的商品の交換価値は、他のすべての商品の使用価値がその商品の等価物をなす限りなく多数の等式で、はじめてあますところなく表現される。これらの等式の総和でだけ、言いかえれば、一商品が他のそれぞれの商品と交換されうるいろいろな比率の総体でだけ、この商品は一般的等価物としてあますところなく表現される。たとえば一系列の等式
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー
1エレのリンネル=8ポンドのパン
1エレのリンネル=6エレのキャラコ
は、次のように表示できる。
1エレのリンネル=1/8ポンドの茶+1/2ポンドのコーヒー+2ポンドのパン+1・1/2エレのキャラコ
それだから、もしわれわれが1エレのリンネルの価値があますところなく表現されている諸等式の総和全体を知っているならば、われわれはリンネルの交換価値を一つの系列であらわすことができよう。実際にはこの系列は、商品の範囲がけっして最終的に完結しているわけではなく、たえずひろげられるのであるから、無限である。だがこうして一商品はその交換価値を他のすべての商品の使用価値ではかると同時に、逆に他のすべての商品の交換価値は、それらによって測られているこの一商品の使用価値で測られる(*)。1エレのリンネルの交換価値が、2分の1ポンドの茶、または2ポンドのコーヒー、または6エレのキャラコ、または8ポンドのパン等々で表現されるとすれば、その結果として、コーヒー、茶、キャラコ、パン等々は、それらが第三者であるリンネルに等しい割合で互いに等しく、したがってリンネルは、それらの交換価値の共通の尺度として役だつ、ということになる。対象化された一般的労働時間、すなわち一般的労働時間の一定量として各商品は、その交【P25】換価値を順ぐりに他のすべての商品の使用価値の一定量で表現し、そして他のすべての商品の交換価値は、逆にこの排他的な商品の使用価値で測られる。だが交換価値としては、それぞれの商品は、他のすべての商品の交換価値の共通の尺度として役だつ排他的な商品であるとともに、他方では、他のそれぞれの商品が多くの商品の全範囲でその交換価値を直接にあらわす場合の、その多くの商品のうちの一つにすぎない

(*)「尺度が、測られるものがあるしかたで測るものの尺度になるという関係を、測られるものにたいしてもつということも、尺度の一つの特質である。」モンタナーリ……。

一商品の価値の大きさは、その商品以外に他の種類の商品が少ししか存在しないか、それともたくさん存在するか、ということによっては影響されない。だが、この商品の交換価値が実現される諸等式の系列が長いか短いかは、他の諸商品の多様性の多少しだいである。たとえばコーヒーの価値があらわされる諸等式の系列は、コーヒーの交換されうる範囲、コーヒーが交換価値として機能する限界を表現する。一般的社会的労働時間の対象化としての一商品の交換価値には、無限に違った諸使用価値によるその等価の表現が対応している。
すでに見たように、一商品の交換価値は、直接にその商品そのものにふくまれている労働時間の量とともに変動する。同様に、一商品の実現された交換価値、すなわち他の諸商品の使用価値で表現された交換価値は、他のすべての商品の生産に用いられる労働時間の変動する割合によっても左右されざるを得ない。たとえば、1シェッフルの小麦の生産に必要な労働時間が同じままであるにしても、他のすべての商品の生産に必要な労働時間が2倍になったとすれば、小麦の等価物で表現された1シェッフルの小麦の交換価値は半減するであろう。この結果は、1シェッフルの小麦の生産に必要な労働時間が半減し、他のすべての商品の生産に必要な労働時間が変わらないままであるのと、実際上は同じことであろう。諸商品の価値は、それらが同じ労働時間で生産されうる比率によって規定される。この比率がうけることのありうる変動を見るために、われわれは二つの商品AとBとを考えてみよう。第一は、Bの生産に必要な労働時間は変わらないままの場合。この場合には、Bで表現されたAの交換価値は、Aの生産に必要な労働時間の増減に正比例して増減する。第二は、Aの生産に必要な労働時間が変わらないままの場合。Bで表現されたAの交換価値は、Bの生産に必要な労働時間の増減に反比例して増減する。第三は、AとBとの生産に必要な労働時【P26】間が等しい比率で増減する場合。この場合には、BによるAの等価の表現は、変わらぬままである。もしもなんらかの事情ですべての労働の生産力が同じ程度で減少し、その結果、すべての商品が等しい比率でその生産にもっと多くの労働時間を必要とするようになったとすれば、すべての商品の価値は増加するであろうが、それらの交換価値の現実の表現は変わらぬままであろうし、社会の現実の富は減少してしまったことになろう。なぜなら、この社会は、同一量の使用価値をつくりだすために、より多くの労働時間を必要とするだろうからである。第四は、AとBとの生産に必要な労働時間は、どちらも増加または減少するが、しかしその程度が等しくない場合、またはA[の生産]に必要な労働時間は増加するのに、Bに必要なそれが減少する場合、あるいはこの反対の場合。これらすべての場合は、簡単に、一商品の生産に必要な労働時間は変わらないままであるのに、他の諸商品の生産に必要な労働時間が増減する場合に還元することができる。
どの商品の交換価値も、他のどの商品の使用価値ででも、その使用価値を整数倍したもの{その全体……猪俣訳}によってであろうと、その一部分によってであろうと、表現される。交換価値としては、どの商品も、それに対象化されている労働時間そのものと同様に分割可能である。諸商品の等価性が使用価値としてのそれらの物理的分割可能性と無関係なのは、諸商品の交換価値の和が、それらの諸商品が一つの新しい商品につくりかえられるさいにそれらの使用価値がどんな現実的な形態転換を経ようとも、これにたいして無関係なのと、まったく同様である。
いままで商品は、二重の観点で、使用価値として、また交換価値として、いつでも一面的に考察された。けれども商品は、商品としては直接に使用価値と交換価値との統一である。同時にそれは、他の諸商品にたいする関係でだけ商品である。諸商品相互の現実的関連は、それらの交換過程である。それは互いに独立した人間がはいりこむ社会的過程であるが、しかし彼らは、商品所有者としてだけこれにはいりこむ。彼らのお互いどうしのための相互的定在は、彼らの諸商品の定在であり、こうして彼らは、実際上は交換過程の意識的な担い手としてだけあらわれるのである。
商品は、使用価値、小麦、リンネル、ダイヤモンド、機械等々であるが、しかし商品としては、同時にまた使用価値でない。もしそれがその所有者にとって使用価値であるならば、すなわち直接に彼自身の欲望を満足させるための手段であるならば、それは商品ではないであろう。彼にとっては、それはむしろ非使用価値であり、すなわち、交換価値のたんなる素材的な担い手、またはたんなる交換手段【P27】である。交換価値の能動的な担い手として、使用価値は交換手段となる。その所有者にとっては、商品は交換価値としてだけ使用価値なのである(*)。だから、使用価値としては、それはこれから生成しなければならないのである。しかもまずもって他の人々にとっての使用価値としてである。商品はそれ自身の所有者にとっての使用価値ではないのであるから、他の商品の所有者の使用価値である。そうでないとすれば、彼の労働は無用な労働であったし、したがってその成果は商品ではなかったわけである。他方では、商品は所有者自身にとっての使用価値にならなければならない。なぜならば、彼の生活手段は、この商品の外に、他人の諸商品の使用価値として存在しているからである。使用価値として生成するためには、商品は自分が充足の対象であるような特種の欲望と出会わなければならない。だから諸商品の使用価値は、商品が全面的に位置を転換し、それが交換手段である人の手から、それを使用対象とする人の手に移ることによって、使用価値として生成するのである。諸商品のこのような全面的外化{譲渡……猪俣、脱却……岩波}によってはじめて、それにふくまれている労働は有用労働となる。使用価値としての諸商品相互のこのような過程的関係においては、諸商品はなんら新しい経済的形態規定性をうけない。それどころか、商品を商品として特徴づけた形態規定性が消え去る。たとえばパンは、パン屋の手から消費者の手に移っても、パンとしてのその定在を変えない。反対に、それがパン屋の手中では一つの経済的関係の担い手であり、一つの感覚的でしかも超感覚的なものであったのに、消費者がはじめて、使用価値としての、こうした一定の食料品としてのパンに関係するのである。だから、諸商品が使用価値としてその生成中にはいりこむ唯一の形態転換は、それがその所有者にとって非使用価値、その非所有者にとって使用価値であった、その形態的定在の揚棄{止揚……猪俣}である。諸商品の使用価値としての生成は、その全面的外化、その交換過程へはいることを予想しているが、しかし交換のための商品の定在は、交換価値としてのその定在である。したがって、使用価値として自己を実現するには、商品は交換価値として自己を実現しなければならない。

(*)アリストテレス(本章の冒頭に引用した個所を参照)が交換価値を把握したのは、この規定性においてであった。

【P28】個々の商品は、使用価値の観点のもとでは、本来独立したものとしてあらわれたが、これに反して交換価値としては、はじめから他のすべての商品との関係で考察された。けれどもこの関係は、ただ理論的な、思考上の一関係にすぎなかった。この関係が実際に証明されるのは、ただ交換過程においてだけである。他方では、たしかに商品は、一定量の労働時間がそれについやされており、したがってそれが対象化された労働時間であるかぎり、交換価値である。しかしそれは、直接そのままでは、特殊な内容の対象化された個人的労働時間であるにすぎず、一般的労働時間ではない。だからそれは、直接そのままでは交換価値ではなく、これからそれにならなければならない。まず商品は、一定の有用なしかたで用いられた、したがってある使用価値にふくまれた労働時間をあらわすかぎりでだけ、一般的労働時間の対象化でありうる。商品にふくまれた労働時間が、一般的社会的労働時間として前提されたのは、こういう素材的条件のもとだけであった。だから商品は、交換価値として実現されることによってはじめて使用価値として生成しうるのだが、他方ではその外化{譲渡}において使用価値としての実を示すことによってはじめて交換価値として実現されうるのである。一商品は、それがその人にとって使用価値、すなわち特殊の欲望の対象であるような人にだけ使用価値として譲渡されうる。他方では、一商品は他の一商品と引き換えにだけ譲渡される。あるいは他の商品の所有者の立場に立てば、彼もまた、自分の商品をそれが対象となっている特殊な欲望と接触させることによってだけ、それを譲渡、すなわち実現することができる。だから使用価値としての諸商品の全面的外化{譲渡}においては、諸商品は、その特有の諸性質によって特殊の欲望を充足する特殊な物としてのその素材的相違において、互いに関係づけられる。しかしこのようなたんなる使用価値としては、諸商品は相互にとってどうでもよい存在であり、むしろ無関係である。それらは、特殊の欲望との関係でだけ交換されうるにすぎない。だがそれらが交換されうるのは、ただ等価物としてだけであり、しかもそれらが等価物であるのは、ただ対象化された労働時間の等しい量としてだけであるから、使用価値としての商品の自然的諸性質への顧慮は、いっさい消え去っている。一商品が交換価値であることを実際に示すのは、むしろそれが、他の商品の所有者にとって使用価値であるかどうかにかかわりなく、等価物として他のどんな商品の一定量とでも任意に置き換わることによ【P29】ってである。しかしその商品は、他の商品の所有者にとっては、それが彼にとって使用価値であるかぎりでだけ商品となり、そしてその商品自体の所有者にとっては、それが他人にとって商品であるかぎりでだけ交換価値となる。だから同じ関係が、本質的に等しく、ただ量的にだけ違う大きさとしての諸商品の関係でなければならず、一般的労働時間の物質化した物としての諸商品の等置でなければならず、それと同時にまた、質的に違う物としての、特殊な欲望にたいする特殊な使用価値としての諸商品の関係、つまり諸商品を現実の諸使用価値として[互いに]区別する関係でなければならない。しかしこの等置と非等置とは互いに排斥しあう。こうして一方の解決が他方の解決を前提することによって、たんに問題の悪循環が現われるだけでなく、一つの条件の充足がその反対の条件の充足と直接に結びついていることによって、相矛盾する要求の一全体が現われる。
諸商品の交換過程は、これらの矛盾の展開であるとともに、解決でもなければならないが、しかしこれらの諸矛盾は、交換過程のなかではこういう単純な様式ではあらわされえない。われわれが見てきたのは、諸商品そのものが使用価値として相互にどのように関係しあうのか、すなわち諸商品は使用価値として交換過程の内部でどのようにして姿をあらわすのか、ということだけである。これにたいして交換価値は、いままで考察してきたところでは、たんにわれわれの抽象のなかに、いうなれば、使用価値としての商品は倉庫に、交換価値としての商品は意識のうちにしまっておく個々の商品所有者の抽象のなかに存在していたにすぎない。しかし諸商品そのものは、交換過程の内部では、相互にとって使用価値としてだけではなく、交換価値としても存在しなければならず、しかも諸商品のこういう定在は、それら自身の相互の関係として現われなければならない。われわれがまずはじめにつきあたった困難は、商品は自分を交換価値として、対象化された労働としてあらわすためには、あらかじめ使用価値として外化{譲渡}され、人手に渡っていなければならないのに、使用価値としてのその外化{譲渡}は、逆に交換価値としてのその定在を前提する、ということであった。とはいえ、この困難が解決されたものと仮定しよう。商品は、その特殊な使用価値をぬぎすて、その使用価値の外化{譲渡}によって、個々人の自分のための特殊な労働ではなく、社会的に有用な労働であるという素材的条件をみたしたものとしよう。その場合には、その商品は、交換過程で他の諸商品にたいして、交換価値、一般的等価物、対象化された一般的労働時間として生成し、こうしてもはやある特殊な一使用価値の限られた作用ではなく、その商【P30】品の等価物としてのすべての使用価値で自分をあらわす能力を得なければならない。ところで、どの商品も、このようにその特殊な使用価値の外化{譲渡}によって、一般的労働時間の直接的な物質化したものとして現われなければならない当の商品である。だが他方では、交換過程で対立するのは、特殊な諸商品だけであり、特殊な使用価値に体化された私的な諸個人の労働だけである。一般的労働時間そのものは一つの抽象であって、それはそういうものとしては諸商品にとって実在しないのである。
一商品の交換価値が現実に表現されている諸等式の総和、たとえば
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶
1エレのリンネル=8ポンドのパン、等々
を考察してみると、これらの等式は、たしかに等しい大きさの一般的社会的労働時間が、1エレのリンネル、2ポンドのコーヒー、2分の1ポンドの茶等々に対象化されていることを意味するにすぎない。しかし実際には、これらの特殊な使用価値であらわされている個人的労働が一般的な、そしてこの形態で社会的な労働になるのは、もっぱらこれらの使用価値が、それらのなかにふくまれている労働の継続時間に比例して、現実に互いに交換されることによってである。社会的労働時間は、これらの商品のなかにいわばただ潜在的に実在しているのであって、それらの商品の交換過程ではじめてその姿を現わすのである。出発点となるのは、共同労働としての個人の労働ではなくて、逆に私的個人の特殊な労働、交換過程ではじめてそれらの本来の性格を揚棄{止揚}することによって、一般的社会的労働という実を示す労働である。だから、一般的社会的労働とは、できあがった前提ではなくて、生成する結果なのである。こうしてまた、新たな困難が生じる。つまり、一方では商品は、対象化された一般的労働時間として交換過程にはいってゆかなければならないのに、他方では諸個人の労働時間の一般的労働時間としての対象化そのものは、交換過程の所産にほかならぬという困難である。
どの商品もその使用価値の、したがってその本来の存在の外化{譲渡}によってそれの交換価値としての対応する存在を受け取るべき筋合いである。だから商品は交換過程ではその存在を二重にしなければならない。他方では、交換価値としてのその第二の存在は、それ自体、他の一商品であるよりほかない。なぜなら、交換過程では諸商品だけが対立しあうからである。どういうふうにある特殊な商品が対象化【P31】された一般的労働時間として直接にあらわされるのか、あるいはまた同じことだが、ある特殊な商品に対象化されている個人的労働にどういうふうに直接に一般性という性格をあたえるのか? 一商品の交換価値の、すなわち一般的等価物としてのそれぞれの商品の交換価値の現実的表現は、つぎのような諸等式の無限の総和であらわされる。
1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー
1エレのリンネル=1/2ポンドの茶
1エレのリンネル=8ポンドのパン
1エレのリンネル=6エレのキャラコ
1エレのリンネル=等々
商品が一定量の対象化された一般的労働時間としてただ考えられていたにすぎないあいだは、この表現は理論的であった。一般的等価物としての特殊な一商品の定在は、以上の諸等式の系列を単純に逆転することによって、たんなる抽象から交換過程そのものの社会的な結果となる。そこで、たとえば
2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル
1/2ポンドの茶=1エレのリンネル
8ポンドのパン=1エレのリンネル
6エレのキャラコ=1エレのリンネル
コーヒー、茶、パン、キャラコ、つまりすべての商品が、それら自体にふくまれている労働時間をリンネルで表現することによって、リンネルの交換価値は逆にリンネルの等価物としての他の諸商品のうちに自らを展開し、リンネルそのものに対象化されている労働時間は、他のすべての商品の様々な量で一様にあらわされる一般的労働時間に直接になる。リンネルはこの場合、他のすべての商品のリンネルへの全面的な働きかけによって一般的等価物となるのである。交換価値としては、どの商品も他のすべての商品の価値の尺度となっていた。ここでは逆に、すべての商品がその交換価値を特殊な一商品で測ることによって、この排除された商品が交換価値の十全な定在、一般的等価物としてのその定在となるのである。これにたいして、それぞれの商品の交換価値があらわされていた無限の一系列、つまり無限に多数の等式は、わずか二項からなるただ一つの等式に縮小する。2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル が、いまではコーヒーの交換価値の遺漏のない表現である。なぜならこの表現ではリンネルは、他のどの商品の一定量にたいしても直接に等価物として現われるからである。だが交換過程の内部では、いまでは諸商品はリンネルの形態をとった交換価値として互いに存在しあい、あるいは現われあうのである。すべての商品が交換価値としてはただ対象化された一般的労働時間の異なった量【P32】としてだけ互いに関係しあっているということは、いまやそれらの商品は交換価値としては、リンネルという同じ対象の異なった量だけをあらわすということとなって現われる。だから一般的労働時間のほうも、一つの特殊な物として、他のすべての商品とならんで、しかもそれらの外にある一商品としてあらわされる。しかし同時に、商品が商品にたいして交換価値としてあらわされる等式、たとえば2ポンドのコーヒー=1エレのリンネル は、なおこれから実現されなければならない等置関係である。使用価値としての商品の譲渡は、商品が一つの欲望の対象であることを交換過程で実証するかいなかにかかっているのであるが、この譲渡によってはじめて商品は、コーヒーというその定在からリンネルというその定在に現実に転化し、こうして一般的等価物の形態をとり、現実に他のすべての商品にとっての交換価値となる。逆にすべての商品が使用価値として外化する{譲渡される}ことによってリンネルに転化されるから、これによってリンネルは他のすべての商品の転化された定在となり、しかも他のすべての商品のリンネルへのこのような転化の結果としてだけ、リンネルは直接に一般的労働時間の対象化、すなわち全面的外化{譲渡}の産物、個人的労働の揚棄{止揚}となる。諸商品が互いに交換価値として現われあうために、その存在をこのように二重化するとすれば、一般的等価物として排除された商品も、その使用価値を二重化する。特殊な使用価値としてのその特殊な使用価値のほかに、それは一つの一般的な使用価値をもつことになる。こういうその使用価値は、それ自体、形態規定性であり、すなわち他の諸商品がこの商品に交換過程で全面的に働きかけることによってこの商品が演じる独特の役割から生じるものである。ある特殊な欲望の対象としての各商品の使用価値は、異なる人の手では異なる価値をもち、たとえば、それを譲渡する人の手中ではそれを手に入れる人の手中にあるのとは異なった価値をもつ。一般的等価物として排除された商品は、いまや交換価値そのものから生じる一つの一般的欲望の対象であって、誰にとっても交換価値の担い手、一般的交換手段であるという同一の使用価値をもっている。こうしてこの一商品においては、商品が商品として内包する矛盾、特殊な使用価値であると同時に一般的等価物であり、したがって誰にとっても使用価値、一般的使用価値であるという矛盾が解決されている。だから他のすべての商品は、いまやまずそれらの交換価値をこの排他的な商品との観念的な、これから実現されなければならない等式としてあらわすのにたいして、この排他的な商品にあっては、その使用価値は実在的であるとしても、過程そのものにおいては、現実の使用価値への転化によってはじめて実現さ【P33】れるべき単なる形態的定在として現われるのである。もともとこの商品{この はない……猪俣訳}は、商品一般として、ある特殊な使用価値に対象化された一般的労働時間としてあらわされた。交換過程では、すべての商品は、商品一般としての、商品そのものとしての、特殊な一使用価値における一般的労働時間の定在としての排他的商品に関係する。だから諸商品は、特殊な諸商品として、一般的商品(*)としての特殊な一商品に対立して関係する。したがって商品所有者たちが一般的社会的労働としての彼らの労働に相互に関係しあうということは、彼らが交換価値としての彼らの商品に関係するということにあらわされ、交換過程における交換価値としての諸商品相互の関係は、諸商品の交換価値の十全な表現としての特殊な一商品にたいする諸商品の全面的な関係としてあらわされ、このことはまた逆に、この特殊な商品の他のすべての商品にたいする独特な関係として、それゆえにまたひとつの物の一定の、いわばもって生まれた社会的性格として現われる。このようにすべての商品の交換価値の十全な定在をあらわす特殊な商品、または特殊な排他的な一商品としての諸商品の交換価値──これが貨幣である。それは、諸商品が交換過程そのものにおいて形成する、諸商品の交換価値の結晶である。●だから諸商品はすべての形態規定性をぬぎすてて、その直接的な素材の姿で互いに関係しあうことによって、交換過程の内部で相互にとって使用価値となるのにたいして、交換価値として互いに現われあうためには、新しい規定性をとり、貨幣形成にまで進んでいかなければならない。商品としての使用価値の定在が象徴でないのと同じように、貨幣も象徴ではない。一つの社会的生産関係が諸個人の外部に存在する一対象としてあらわされ、また彼らがその社会生活の生産過程で結ぶ一定の諸関係が、ひとつの物の特有な諸性質としてあらわされるということ、このような転倒と、想像的ではなくて散文的で実在的な神秘化とが、交換価値を生みだす労働のすべての社会的形態を特徴づける。貨幣にあっては、それが商品の場合よりも、もっとはっきり現われているだけである。

(*)同じ表現はジェノヴェーシにもある。

すべての商品の貨幣存在が結晶すべき特殊な商品に必要な物理的諸性質は、それらが交換価値の本性から直接に生じるかぎりでは、任意に分割しうること、各部分が一様であること、この商品の一つ一つが無差別であることである。一般的労働時間の物質化したものとしては、それは同質の物質化したものでなければならず、たんに量的な区別だけをあらわしうるものでなければならない。もう一つの必要な性質は、その使用価値の耐久性である。なぜならば、それは交換過程の内部にとどまっていなけ【P34】ればならないからである。貴金属はこれらの性質を非常によくそなえている。貨幣は反省や申し合わせの産物ではなく、交換過程のなかで本能的に形成されるのであるから、きわめて多様な、多かれ少なかれ不適当な諸商品が、かわるがわる貨幣の機能を果たしてきた。交換過程の発展のある段階で、交換価値と使用価値の規定が諸商品のあいだに両極的に配分され、たとえば一つの商品は交換手段として機能するのに、他の商品は使用価値として譲渡されるようになる必然性にともなって、いたるところで最も一般的な使用価値をもっている一つまたはいくつかの商品が、さしあたり偶然に貨幣の役割を演じるようになる。これらの商品が当面の欲望の対象ではないにしても、素材の点で富の最も重要な構成部分であるというその定在が、それらに他の使用価値よりもいっそう一般的な性格を保証する。
交換過程の原生的形態である直接的交換取引[物々交換]は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。交換価値は自由な姿を得ておらず、まだ直接に使用価値に結びつけられている。このことは二重に示される。生産そのものは、その全構造において使用価値を目的とし、交換価値を目的としていない。だから使用価値がここで使用価値をやめて、交換の手段、商品になるのは、ただ生産が消費のために必要とされる限度をこえることによってだけである。他方では、諸使用価値は、たとえ両極に配分されているとしても、直接的な使用価値の範囲内でだけそれ自体商品となるのであって、したがって商品所有者たちによって交換される諸商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、ただし各商品は、その非所有者にとっての使用価値でなければならない。実際には、諸商品の交換過程は、もともと原生的な共同体の胎内に現われるものではなく(*)、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。だから、異なった共同体のあいだの交換取引で商品となる特殊な使用価値、たとえば奴隷、家畜、金属が、多くの場合、共同体そのものの内部での最初の貨幣を形成する。すでに見たように、一商品の交換価値は、その等価物の系列が長ければ長いほど、つまりその商品にとって交換の範囲が大きければ大きいほど、それだけますます高度に交換価値としてあらわされる。だから交換取引の漸次的拡大、交換の増大、交換取引にはいってくる商品の多様化は、商品を交換価値として発展させ、貨幣形成にまでおしすすめ、こうして、直接的交換取引に分解的な作用を及ぼす。経済学者たちは、【P35】拡大された交換取引がつきあたる外部的な諸困難から貨幣をみちびきだすのが例となっているが、そのさい彼らは、これらの困難は交換価値の発展、したがってまた一般的労働としての社会的労働の発展から生じるものだということを忘れている。たとえば、こうである。商品は使用価値としては任意に分割可能ではないが、交換価値としては任意に分割可能でなければならない、と。あるいは、商品所有者たちが互いに交換しようとする分割できない商品を等しくない価値比率で需要することがありうる、と。言いかえれば、経済学者たちは単純な交換取引を考察するという口実のもとに、じつは使用価値と交換価値との直接的統一としての商品の定在が包み隠している矛盾のいくつかの側面をみずからに具体的に示しているのである。ところが、他方、彼らは一貫して交換取引を商品の交換過程の十全な形態として固執し、それにはただいくつかの技術的不便が結びついているだけであり、この不便にたいしてたくみに考案された方便が貨幣である、というのである。このまったく浅薄な立場からすれば、イギリスの才知にあふれた一経済学者が、貨幣は船や蒸気機関のように一つのたんなる物質的な用具であって、社会的生産関係の表示ではなく、したがってまたなんらの経済学的範疇ではない、と主張したのももっともだったのである。だから実際に技術学となんの共通するものももたない経済学で貨幣が取り扱われているのは、まったく間違いだというのだ(**)。

(*)アリストテレスは最初の共同体としての私的家族について同じことを述べている。しかし家族の形態はそれ自体種族的家族であって、その歴史的分解からはじめて私的家族が発展するのである。「なぜならば、最初の共同社会(これが家族であるが)では、明らかにこれ(つまり交換)にたいする必要はすこしもなかった。」(前掲個所)
(**)「貨幣は実際には、売買をおこなうための用具にすぎないのであって、」(だが売買とは何のことですか?)「そして貨幣の考察が経済学の一部をなさないのは、船や蒸気機関、あるいはまた富の生産と分配を容易にするために用いられるその他のなんらかの用具の考察が、経済学の一部をなさないのと同じことである。」(トマス・ホジスキン……)

商品世界では、発展した分業が前提されている、あるいは発展した分業が、特殊な諸商品として対立しあっている諸使用価値の多様性、同様に多様な労働様式がふくまれている諸使用価値の多様性のうちに直接にあらわされている。すべての特殊な生産的な仕事の様式の総体としての分業は、その素材的な側面から、使用価値を生産する労働としてみた【P36】社会的労働の総姿態である。しかしそのようなものとして分業は、商品の立場からすれば、また交換過程の内部では、ただその結果のなかにだけ、諸商品そのものの分化のなかにだけ実在している。  諸商品の交換は、社会的物質代謝、すなわち私的な諸個人の特殊な生産物の交換が、同時に諸個人がこの物質代謝のなかで結ぶ一定の社会的生産諸関係の創出でもある過程である。諸商品相互の過程的諸関係は、一般的等価物の種々の規定として結晶し、こうして交換過程は同時に貨幣の形成過程でもある。さまざまな過程の一つの経過{流れ……岩波}としてあらわされるこの過程の全体が流通である。

A 商品の分析の史的考察

商品を二重の形態の労働に分析すること、使用価値を現実的労働または合目的的な生産活動に、交換価値を労働時間または同等な社会的労働に分析することは、イギリスではウィリアム・ペティに、フランスではボアギュベールに始まり(*)、イギリスではリカードに、フランスではシスモンディに終わる古典派経済学の一世紀半以上にわたる諸研究の批判的最終成果である。

(*)ペティとボアギュベールとの著作および性格の比較研究は、それが17世紀末および18世紀はじめのイギリスとフランスとの社会的対立を明瞭にするであろうという点は別としても、イギリスの経済学とフランスの経済学とのあいだの国民的な対照の発生的説明となるであろう。同じ対象は、リカードとシスモンディとにあっても、終結的にくりかえされている。

ペティは、労働の創造力が自然によって制約されているということについて思いちがいすることなしに、使用価値を労働に分解している。彼は現実的労働をただちにその社会的総姿態において、分業としてとらえた(*)。素材的富の源泉についてのこの見解は、たとえば彼の同時代人ホッブスの場合のように、多かれ少なかれ実を結ばずに終わることなく、彼をみちびいて、経済学が独立の科学として分離した最初の形態である政治算術に到達させた。けれども彼は、交換価値をそれが諸商品の交換過程で現象するままに、貨幣と解し、しかも貨幣そのものを実在する商品、つまり金銀と解した。彼は重金主義の表象にとらわれて、金銀を獲得する特殊な種類の現実的労働を、交換価値を生みだす労働だと説明した。実際上、彼はブルジョア的な労働が生産しなければならないのは、直接的な使用価値ではなく、商品であり、交換過程におけるその外化{譲渡}によって金銀として、すなわち貨幣として、すなわち交換価値として、すな【P37】わち対象化された一般的労働として自分をあらわすことのできる使用価値である、と考えた。それはとにかく、彼の例は、労働を素材的富の源泉と認識しても、それは決して労働が交換価値の源泉となっている一定の社会的形態についての誤解をとりのぞくものではない、ということを適切に示している。

(*)ペティは分業を生産力としても、しかもアダム・スミスよりももっと大規模な構想で展開した。『人類繁殖にかんする試論うんぬん』……参照。彼はこの書物のなかで、後にアダム・スミスがピンの製造についてやったように、生産にとっての分業の利益を懐中時計の製造について示しただけでなく、同時にまた一都市や一国全体を大工場施設という観点から考察することによっても示している。1711年11月26日付の『スペクテーター』は、この「すばらしいサー・ウィリアム・ペティの例証」に触れている。だからマカロックが『スペクテーター』はペティと40歳ほども若い一著述家とを混同している、と憶測したのはまちがいである(……)ペティは、自分を新しい一科学の創始者だと自覚していた。彼は、自分の方法は「ありきたりのものではない」といっている。自分は比較級や最上級のことばをならびたてて、思弁的な議論をつなぎあわせるかわりに、数や重量や尺度で語り、もっぱら感覚的な経験からみちびきだされた議論だけを用い、また自然のなかで目に見ることのできる基礎をもつような原因だけを考察しようと企てた。個々人の変化する考え、意見、嗜好、情熱に左右される諸原因は、これを他人の考察にゆだねる(……)と。彼の天才的な豪胆さは、たとえばアイルランドとスコットランド高地のすべての住民と動産を大ブリテンの他の地方に移そうという提案に現われている。そうすれば労働時間は節約され、労働の生産力は引き上げられ、そして「国王とその臣民はいっそう富強になるであろう」(『政治算術』……)。彼はまたその『政治算術』のある章で、オランダが商業国民としてなお重要な役割を演じており、フランスがまさに支配的な商業強国になりそうな時代において、イギリスの天職は世界市場の征服にあることを証明して、「イギリス国王の臣民は、全商業世界の取引をおこなうのに十分かつ適当な元手をもっている」(……)。【P38】「イギリスの偉大さを妨げているものは、ただ偶然的なものであり、とりのぞきうるものである」(……)と言っているが、ここにも彼の天才的な豪胆さが現われている。彼のすべての著作には独創的なユーモアが横溢している。たとえば彼は、今日イギリスが大陸の経済学者たちにとって模範国であるのとまったく同様に、当時イギリスの経済学者たちにとって模範国であったオランダが「ある人々によってオランダ人がもっているとされている天使のような機知と判断力もないのに<実際はもっていないのに……岩波文庫版>」(……)、世界市場を征服したのは自然の成行きであった、ということを指摘している。彼は信教の自由を商業の一条件として弁護する。「なぜなら、富をあまりもたないものが、とくに主として貧しいものに属する神の問題については、多くの知恵と理解力とをもっている、という考えを彼らに許しさえすれば、貧しいものは勤勉となり、労働と勤勉とを神にたいする義務と考えるようになるからである。」だから商業は「どれか一つの宗教と結びついているものではなく、むしろつねに全体のうちの異端的な部分と結びついているもの」(……)である。彼は無頼の徒を救済するための独特な公課を提唱しているが、そのわけは無頼の徒のために自分から進んで税を納める方が、無頼の徒自身から課税されるよりも公衆にとってはましだからである(……)。これとは反対に彼は、富を勤勉な人々の手から「食ったり、飲んだり、歌ったり、勝負事をしたり、踊ったり、形而上学にふけったりすることのほかはなにもしない」(……)人たちの手に移すような租税を非難している。ペティの著作はほとんどが本屋商売の稀覯本であって、粗悪な古版本で散在しているにとどまるが、このことは、ウィリアム・ペティがイギリスの経済学の父であるばかりでなく、同時にイギリスのウィッグ党の長老であるヘンリ・ペティ、別名ランズダウン候の祖先でもあるだけに、いっそう不思議なことである。だがランズダウン家は、ペティの全集を刊行しようとするなら、その冒頭に彼の伝記をかかげないわけにはいかないだろうが、この場合にもウィッグ党のたいていの名門の素性について言えるように、言わぬが花なのである。ペティは考えは大胆であったが、まったく浮薄な一外科軍医であって、クロムウェルの庇護のもとにアイルランドで略奪する一方で、またチャールズ2世にとりいって略奪に必要な従男爵の称号をかちえるのをはばからなかったほどであるから、こういう祖先の姿は、公に披露するにはてんでふさわしくないのである。おまけにペティは、生前に出版した【P39】たいていの著作のなかで、イギリスの全盛期はチャールズ2世の治世にあたることを証明しようとつとめているが、これは「名誉革命」のおかげでうまいことをしている子々孫々にとっては異端の見解である。

ボアギュベールのほうは、個々人の労働時間が特殊な諸産業部門に配分される正しい比率によって「真実価値」を規定し、そして自由競争をこの正しい比率をつくりだす社会的過程であると述べて、意識的にではないにしても、事実上、商品の交換価値を労働時間に分解している。しかし、それと同時に彼は、ペティとは反対に、その介入によって商品交換の自然的均衡または調和を攪乱し、すべての自然的富をいけにえとして要求する気まぐれなモロクである貨幣にたいして熱狂的にたたかった。ところで、貨幣にたいするこの論難は、一面では一定の歴史的諸事情と関連しており、ペティは黄金欲を、一国民を刺激して産業の発展と世界市場の征服とに駆りたてる強力な衝動であると賛美したのにたいして、ボアギュベールは、ルイ十四世の宮廷や彼の徴税請負人や彼の貴族のめくらめっぽうな破壊的黄金欲を攻撃したのだ(*)としても、だがここに同時に、純イギリス的な経済学と純フランス的な経済学(**)とのあいだの不断の対照としてくりかえされるいっそう深刻な原理上の対立が表面に現れでている。ボアギュベールは実際上は、ただ富の素材的内容、使用価値、享受(***)だけに注目して、労働のブルジョア的形態、商品としての使用価値の生産と商品の交換過程を、個人的労働がその目的を達する自然にかなった社会的形態だと見なしている。だから貨幣の場合のように、ブルジョア的富の特有な性格が彼のまえに現れると、彼は横奪的な異分子が侵入してきたのだと信じ、一つの形態のブルジョア的労働にたいして憤慨すると同時に、他方では他の形態のそれをユートピア主義者ふうに神聖視するのである(****)。ボアギュベールは、諸商品の交換価値に対象化され、時間によって測られる労働が、個人の直接の自然的活動と混同されながらも、労働時間は商品の価値の大きさの尺度として取り扱われうるという証拠をわれわれにあたえてくれる。

(*)当時の「財政の魔術」に反対して、ボアギュベールは言っている。「財政学とは農業と商業の利益についての深い知識にほかならない」(『フランス詳説』……)。
(**)ラテン系経済学ではない。なぜならば、イタリア人はナポリ学派とミラノ学派の両学派で、イギリス経済学とフランス経済学との対立をくりかえしており、他方で初期のスペイン人は、たんなる重商主義者か、ウスタリスのような修正重【P40】商主義者であるか、さもなければホベリャノスのように(……)、アダム・スミスと同じく「中庸」をまもっているか、そのどれかだからである。
(***)「真の富は……生活必需品だけでなく、贅沢品と官能を楽しませうるすべてのものの完全な享受である」(ボアギュベール……。)しかしペティが浮薄な、略奪欲にもえた、無節操な投機家であったのにたいして、ボアギュベールはルイ14世の地方総監のひとりであったにもかかわらず、思慮とこれにおとらぬ大胆さとで被圧迫階級の味方となったのである。
(****)プルードン型のフランス社会主義は、同じ国民的な世襲病にかかっている。
交換価値をはじめて意識的に、ほとんど平板なまでにはっきりと労働時間にまで分析したのは、ブルジョア的生産諸関係がその担い手たちと同時に輸入され、歴史的伝統の欠如をおぎなってなおあまりある沃土をもった地盤のうえに急速に成長した新世界の一人物である。その人とはベンジャミン・フランクリンであって、彼は1719年に印刷に付されたその青年時代の労作で、近代的経済学の根本法則を定式化した(*)。彼は貴金属以外に価値の尺度を求めることが必要だ、と断言する。これこそ労働だ、と言う。

(*)B・フランクリン『著作集』……所収、『紙幣の性質と必要についての小研究』。
「銀の価値も、他のすべてのものの価値と同様に、労働によって測ることができる。たとえば、ある人は穀物の生産に従事し、他の人は銀を採掘し精錬するものとしよう。一年の終わりかまたは他のある一定期間ののちに、穀物の全生産物と銀の全生産物とは、それぞれの自然価格である。そしてもし一方が20ブッシェルで、他方が20オンスだとすれば、1オンスの銀は1ブッシェルの穀物の生産に用いられた労働の値うちがある。だが、もしもっと近くの、もっと採掘しやすい、もっと豊饒な鉱山が発見されたために、ある人が以前に20オンスの銀を生産したのと同じくらい容易に、いまでは40オンスの銀を生産できるものとし、しかも20ブッシェルの穀物の生産にはやはり依然と同じだけの労働が必要だとすれば、2オンスの銀は1ブッシェルの穀物の生産に用いられるのと同じだけの労働以上の値うちはないであろうし、以前には1オンスの銀の値うちがあった1ブッシェルは、他の事情が同じならば、いまでは2【P41】オンスの銀の値うちがあるであろう。だから一国の富は、その国の住民が買うことのできる労働量によって評価されるべきである(* 前掲書……)。

フランクリンにあっては、労働時間は、経済学者流儀で一面的にただちに価値の尺度としてあらわされる。現実の生産物の交換価値への転化は自明のことであり、したがって問題は、その価値の大きさを測る尺度を発見することだけである。彼は言う。
「商業は一般に労働と労働との交換にほかならないから、すべてのものの価値は、労働によってもっとも正しく評価される(* 前掲書……)。
この場合、労働という言葉のかわりに、現実的労働ということばを置き換えるならば、一つの形態の労働と他の形態の労働とが混同されていることが、ただちに発見されるであろう。商業とは、たとえば靴屋の労働、鉱山労働、紡績労働、画家の労働等々の交換であるからといって、長靴の価値は画家の労働によってもっとも正しく評価されるであろうか? フランクリンは逆に、長靴、鉱産物、紡糸、絵画等々の価値は、なんら特殊な質をもたない、したがって単なる量によって測ることのできる抽象的労働によって規定される、と考えたのである(*)。しかし彼は、交換価値にふくまれている労働を、抽象的一般的労働、個人的労働の全面的外化{譲渡}から生じる社会的労働として展開しなかったから、必然的に、この外化した{譲渡される}労働の直接的存在形態である貨幣を誤解した。だから彼にとっては、貨幣と交換価値を生みだす労働とは、なんら内面的な関連をもたず、貨幣はむしろ、技術的な便宜のために交換のなかへ外からもちこまれた用具なのである(**)。フランクリンの交換価値の分析は、経済学の一般的歩みにたいしては直接の影響を与えないままにとどまった。なぜならば、彼はただ経済学の個々の問題を一定の実際の機会にさいして取り扱ったにすぎなかったからである。

(*)前掲書。『アメリカの紙幣にかんする論評と事実』……。
(**)『アメリカ政治論集』。……。

現実的有用労働と交換価値を生みだす労働とのあいだの【P42】対立は、どんな特殊な種類の現実的労働がブルジョア的富の源泉であるか、という問題のかたちで、18世紀中、ヨーロッパを騒がせた。だから使用価値に実現される、あるいは生産物を供給するどの労働も、ただそれだけの理由でただちに富をつくりだすものではない、ということが前提されていた。けれども重農主義者たちにとっては、その論敵にとってと同じく、焦眉の論点は、どのような労働が価値を創造するかということではなく、どのような労働が剰余価値を創造するかということである。だから、すべての科学の歴史上の歩みがいくたの紆余曲折を経てはじめて本当の出発点にいたるように、彼らは問題をその原初的形態で解決してしまうよりまえに、これを複雑な形態で論じたのである。科学は、他の建築師と違って、ただ空中楼閣を描くばかりでなく、建物の礎石を据えるまえに、住居となる一つ一つの階層を築くのである。われわれはここでは、これ以上重農主義者たちにとどまらないで、また多かれ少なかれ適切な思いつきで商品の正しい分析にふれている一連のイタリアの経済学者たちもすべて見おくって、ただちに、ブルジョア経済学の全体系をつくりあげた最初のイギリス人、サー・ジェームズ・スチュアートにむかおう(**)。彼にあっては、経済学の抽象的諸範疇は、まだその素材的内容から分離する過程にあり、したがってあいまいで動揺して現れているが、交換価値という範疇もそうである。ある個所では、彼は、現実価値を労働時間(一人の労働者が一日のうちになしうるもの)によって規定しているが、しかしこれとならんで賃金と原料とが一役を演じて混乱をまねいている(***)。他のある個所では、素材的内容との格闘がさらにはっきりと現れている。彼は、ある商品にふくまれている自然的材料、たとえば銀製の編み細工中の銀をその内在的価値とよび、他方では商品にふくまれている労働時間を使用価値とよんでいる。

(*)たとえばガリアーニ『貨幣について』。……彼は言う。「骨おり」「だけが物に価値をあたえる唯一のものである。」労働を<「骨おり」>とよぶのは、南国人の特徴である。
(**)スチュアートの著作『経済学原理の研究、……』は、1776年に4折版2冊でロンドンではじめて刊行されたが、アダム・スミスの『諸国民の富』の10年前であった。……
(***)スチュアート、前掲書……【P43】彼は言う。「前者はそれ自体で現実のものであるが、……これとは反対に使用価値は、それを生産するためについやされた労働にしたがって評価されなければならない。素材の変形に用いられる労働は、ある人の時間の一部分を代表している、うんぬん。」

スチュアートが彼の先行者や後継者よりぬきんでていた点は、交換価値にあらわされる独特な社会的労働と使用価値を目的とする現実的労働とをはっきり区別したことである。彼は言う。
「その譲渡によって一般的等価物を創造する労働を、私は勤労とよぶ。」
彼は、勤労としての労働を現実的労働から区別するだけでなく、労働の他の社会的形態からも区別する。彼にとっては、それは、労働の古代的および中世的形態に対立する労働のブルジョア的形態である。彼がとくに関心をよせたのは、ブルジョア的労働と封建的労働との対立であって、彼は、没落の段階にあるこの封建的労働を祖国スコットランドでも、また彼の広範囲の大陸旅行でも観察していた。もちろんスチュアートは、ブルジョア時代以前の時代でも生産物は商品の形態をとり、商品は貨幣の形態をとることをよく知っていたが、しかし彼は、富の元素的基礎形態としての商品と、取得の支配的形態としての譲渡とは、ブルジョア的生産時代にだけ属するものであり、したがって交換価値を生みだす労働の性格は、独特なブルジョア的なものであることを詳しく証明している(*)。

(*)だから彼は、土地保有者のために使用価値を創造することを直接の目的とする家父長制的な農業は、なるほどスパルタやローマでは、またアテナイでさえも「誤用」ではないが、18世紀の工業諸国では「誤用」である、と説明する。こういう「誤用された農業」は、「営業」ではなくて、「たんなる生計の手段」だという。ブルジョア的農業が土地から余分な人口を一掃するのと同じように、ブルジョア的製造工業は工場から余分な労働者を一掃する、と言うのである。

農業、製造工業、海運業、商業等々のような現実的労働の特殊な諸形態を、つぎつぎに富の真の源泉であると主張してから、アダム・スミスは、労働一般が、しかもその社会的総姿態での、分業としての労働一般が、素材的富つまり諸使用価値の唯一の源泉であると宣言した。そのさいに彼は自然要素をまったく見すごしたものだから、彼はもっぱら社会的な富の、交換価値の領域に追いこまれることと【P44】なった。たしかにアダムは、商品の価値をそれにふくまれている労働時間によって規定しはするが、そのあとでふたたびこの価値規定の現実性をアダム以前の時代へ追いもどしている。言いかえれば、彼にとって単純商品の立場では真実と思われることが、単純商品に代わって、資本、賃労働、地代等々のいっそう高度で複雑な諸形態が現れてくるやいなや、彼にははっきりしなくなるのである。このことを彼はこう表現する。すなわち、商品の価値がそれにふくまれている労働時間によって測られたのは、人間がまだ資本家、賃労働者、土地所有者、借地農業者、高利貸等々としてではなく、ただ単純な商品生産者および商品交換者として相対していたにすぎなかった市民階級の失われた楽園においてである、と。彼は、商品の価値がそれにふくまれている労働時間によって規定されているということを、商品の価値が労働の価値によって規定されるということとたえず混同し、詳細な論究ではいたるところで動揺しており、そして社会的過程が等しくない労働の間で強制的になしとげる客観的な均等化を、個人的労働の主観的同権化と誤認している(*)。彼は、現実的労働から交換価値を生みだす労働、すなわちブルジョア的労働の基本形態への移行を分業によってなしとげようと試みている。ところで、私的交換が分業を前提するというのは正しいが、分業が私的交換を前提するというのは誤りである。たとえばペルー人の間では、私的交換、商品としての生産物の交換は行われなかったが、、分業は極度に行われていたのである。

(*)たとえば、アダム・スミスはこう言っている。「労働の等しい量はいつでもどんなところでも、労働する者にとって等しい価値をもつと言ってよいであろう。健康、体力、気力が普通の状態にあり、熟練と技巧の程度が普通であれば、彼はいつも同一量の安息、自由、幸福を犠牲にしなければならない。彼が支払う価格は、彼が労働の報酬として受け取る商品の量がどれほどであろうと、いつも同一であるにちがいない。その労働が買うことのできる財貨は、実際のところ、あるときは多く、あるときは少ないであろうが、変動するのはそれらの財貨の価値であって、それらを買う労働の価値ではない。……だから労働だけがそれ自身の価値をけっして変えない。……だから労働は商品の真実価格である、うんぬん。」(『諸国民の富』……)。

アダム・スミスとは反対に、デーヴィッド・リカードは、労働時間による商品価値の規定を純粋に引き出し、この法則が、それと表面上最も矛盾するブルジョア的生産諸関係【P45】をも支配することを示した。リカードの研究は、もっぱら価値の大きさに限られていて、これにかんするかぎり、彼はこの法則の実現が一定の歴史的諸前提に依存していることに、すくなくとも感づいている。すなわち彼は、労働時間による価値の大きさの規定は、
「勤労によって任意に増加されうる、そしてそれらの生産が無制限な競争によって支配されている(*)。」
商品だけに妥当する、と言っている。

(*)デーヴィッド・リカード『経済学および課税の原理』……。

このことは事実上、価値法則はその完全な展開のためには、大工業生産と自由競争との社会、すなわち近代ブルジョア社会を前提する、ということを意味するものにほかならない。そのほかの点では、リカードは、労働のブルジョア的形態を社会的労働の永遠の自然形態だとみなしている。彼は原始的な漁夫と猟師にも、ただちに商品所有者として魚と獣とを、それらの交換価値に対象化されている労働時間に比例して交換させている。ここで彼は、原始的な漁夫と猟師とが、彼らの労働用具の計算のために、1817年にロンドン取引所で用いられる年賦償還表を参考にするという時代錯誤をおかしているのである。「オーエン氏の平行四辺形」は、ブルジョア的社会形態以外に彼の知っていた唯一の社会形態だったらしい。こういうブルジョア的視界に限られてはいたにせよ、リカードは、ブルーム卿が彼について
「リカード氏はまるで他の遊星から落ちてきた人のようだ」
と言いえたほどの理論的な鋭さで、底のほうでは表面に現れているものとはまったく別様の観を呈するブルジョア経済を解剖した。シスモンディは、リカードとの直接の論争で、交換価値を生む労働の独特の社会的性格を強調するとともに(*)、価値の大きさを必要労働時間に還元すること、
「全社会の需要とこの需要をみたすにたりる労働量とのあいだの割合(**)」
に還元することを、「われわれの経済的進歩の性格」とよんでいる。

(*)シスモンディ『経済学研究』……「商業はすべてのものを使用価値と交換価値との対立に帰着させた。」
(**)シスモンディ、前掲書……。

シスモンディはもはや、交換価値を生む労働が貨幣によって不純にされるというボアギュベールの考えにはとらわ【P46】れていないが、ボアギュベールが貨幣を非難したように、大産業資本を非難している。リカードにおいて、経済学が容赦することなくその最後の結論を引き出し、それでもって終わりをつげたとすれば、シスモンディは、経済学の自分自身にたいする疑惑を示すことによって、この終結を補完しているのである。
リカードは古典派経済学の完成者として、労働時間による交換価値の規定を最も純粋に定式化し展開したのであるから、経済学の側から起こされた論争は、当然彼に集中された。この論争から大部分ばかげている形態(*)を取り去ると、それは次の諸点に要約される。

(*)おそらく最もばかげたものは、コンスタンシオによるリカードのフランス語訳にJ・B・セーがつけた注釈であり、もっとも学者ぶって尊大なものは、マクラウド氏の最近刊行された『為替の理論』、……であろう。

第一。労働自体が交換価値をもっており、異なる労働は異なる交換価値をもっている。交換価値を交換価値の尺度にするのは悪循環である。なぜならば、測る交換価値自体がさらにまた尺度を必要とするのだから。この異論は、労働時間が交換価値の内在尺度としてあたえられていて、その基礎のうえで労賃を展開する、という問題に帰着する。賃労働の理論がこれに回答を与える。
第二。もしある生産物の交換価値がそれにふくまれている労働時間に等しいならば、一労働日の交換価値はその生産物に等しい。言いかえれば、労賃は労働の生産物に等しくなければならない(*)。ところが、事実は逆である。だから云々。この異論は、たんに労働時間だけによって規定される交換価値を基礎として、どうして生産から、労働の交換価値がその生産物の交換価値よりも小さいという結果が生まれるのか、という問題に帰着する。われわれは、この問題を資本を考察するさいに解決する。

(*)ブルジョア経済学の側からリカードにたいしてもちだされたこの異論は、のちに社会主義者の側からとりあげられた。この定式が理論的に正しいことを前提したうえで、実際が理論と矛盾している点が非難され、ブルジョア社会にたいし、その理論的原則からその推定上の帰結を実際に引き出すようにという要請がなされた。こういうやり方で少なくともイギリスの社会主義者たちは、リカードの交換価値の定式を逆用して、経済学を攻撃した。プルードン氏に残された仕事は、古い社会の基本原則を新しい社会の原則だと吹聴するだけでなく、同時にまた、自分こそは、リカードがイギリス古典派経済学の全成果を要約して示したこの定式の発見者だと吹聴することであった。プルードン氏がイギリス海峡のむこう側でリカードの定式を「発見した」ときには、イギリスではそのユートピア主義者流の解釈ですらすでに忘れ去られていた【P47】ことは、以前に証明しておいた。(私の著作『哲学の貧困、うんぬん』……「構成された価値」にかんする節を参照。……

第三。商品の市場価格は、需要と供給との関係が変動するにつれて、その交換価値以下に下がったり、それ以上にあがったりする。だから商品の交換価値は、需要と供給の関係によって規定されているのであって、それにふくまれている労働時間によって規定されているのではない。じっさい、この奇妙な推論では、交換価値の基礎のうえでそれと異なる市場価格がどうして展開されるのか、もっと正しく言えば、交換価値の法則はどうしてそれ自身の反対物でだけ表現されるのか、という問題が提起されるだけである。この問題は競争論で解決される。
第四。最後の反対論、しかももしいつものように奇妙な実例のかたちでもちだされさえしなければ、一見したところ最も痛烈な反対論は、もし交換価値が商品にふくまれている労働時間にほかならないとすれば、すこしも労働をふくまない商品はどうして交換価値をもつことができるか、言いかえるならば、たんなる自然力の交換価値はどこから生じるのか、というものである。この問題は地代論で解決される。

2017年5月22日

『ドイツ・イデオロギー』 第1章(抄訳)

『ドイツ・イデオロギー』(抄訳)  第1章(前半部分)

ナウカ社版(アドラツキー編集版 唯物論研究会訳 3版 1949年)より
<★★ここでは、草稿の順番は当初のものに復元されている合同版に合わせることにする。なお、合同版には「序言」やⅠへの編者注は載っていない。合同版や岩波文庫版の訳を利用した部分は<>で示した。≪≫内のものは、レポータの補足。また旧文語体はレポータの責任で書き換えた。合同版のページは[P]で、ナウカ社版のページは【P】で示した。なお、最後にナウカ社版にはないが、いわゆる『フォイエルバッハ・テーゼ』を加えた。>

目次……省略……

ドイツ・イデオロギー
フォイエルバッハ、ブルーノ・バウアーおよびシュティルナーを代表者とする最近のドイツ哲学の、ならびに種々の預言者たちに現われたドイツ社会主義の、批判

【P1】序言

人間は従来、人間自身について、すなわち、自分が何であるか、または何であるべきかに関して、誤った観念を抱いてきた。神、規範人等に関する彼らの観念にのっとって彼らは自分たちのいろんな関係を律してきた。彼らの頭脳の生み出したものが大きくなって、彼らの手に負えなくなった。彼らの作った物の前に、その創造者たる彼らが拝跪してきた。幻想、理念、独断、空想の産物のくびきの下にちぢこまっている彼らを、我々はそういうものから解放しよう。我々はかかる思想の支配にたいして反逆しよう。我々は彼らに教えるに、これらの空想を人間の本質にふさわしい思想と取り換えることをもってしよう、とある者が言うかと思えば、これらの空想に対して批判的な態度をとることを教えよう、と他の者は言い、これらのものを頭の外へ叩き出してしまうことを教えよう、と第三の者は言う。そうすれば──現存する現実は瓦解するであろう、というのが彼らの下心なのである。
ドイツにおいて世間から驚愕と畏敬とをもって迎えられているばかりでなく、哲学的英雄たち自身によっても、世界を覆滅する危険性や犯罪者的な無遠慮やのもったいぶった自覚をもって言い触らされているところの、最近の青年ヘーゲル派哲学の核心をなしているものはこういう罪のない子供じみた幻想なのである。本書第1巻の目的は、自分を狼だと考え、また世間からもそう考えられている羊どもの正体を暴露し、いかに彼らがドイツ市民の諸観念をただ哲学的に遠吠えしているにすぎないかということ、いかにこれらの哲学的注釈者たちの大言壮語が現実のドイツの諸状態のみじめさを反映しているにすぎないかということを示すことにある。
本書の目的とするところは、夢想家的で鈍感なドイ【P2】ツ国民のお気に召している、この現実の影を相手とする哲学的闘争の愚を暴露して、その信用を失墜せしめることである。

かつてあるけなげな男が、人間が水に溺れるのは重力の観念に憑かれているからだ、と考えた。彼の考えによれば、いわばこの思想は一個の迷信であり、一個の宗教的観念であると説明することによって、これを人間の頭から叩き出してしまえば、人間は水の危険をいっさい超克するだろう、というのである。一生涯かかってこの男は重力の幻想と戦った。その間、あらゆる統計はこの幻想が有害な結果をもたらすという多数の新しい証拠を彼に提供した。このけなげな男こそは新しいドイツの革命的な哲学者たちの典型であった。
<【P4】<編者注>Ⅰ フォイエルバッハ
1845年の秋から1846年の10月中旬ごろまでにブリュッセルで書かれたもの。未完
編者は原稿の個々の部分を同原稿中に含まれているマルクスの覚書にしたがって再編成した。その際参考となったのは原稿『3、聖マックス』その他におけるこの原稿に関係ある指示であった。これらから推定すれば、『1、フォイエルバッハ』は『ドイツ・イデオロギー』の二つの部分、すなわち『ライプチッヒ宗教会議』ならびに『真正社会主義』への緒論をなすものである>
[P19]【P3】Ⅰ フォイエルバッハ
唯物論的な見方と観念論的な見方との対立 (ドイツイデオロギー 第1章)
<ナウカ社版には、ここにも「1 フォイエルバッハ」の見出しがある>

[P21]【P5】ドイツのイデオローグたちの告げるところによれば、ドイツは最近数年間において一つの比類なき変革を経験した。シュトラウスをもってはじまったヘーゲル体系の腐敗過程は一つの世界的発酵にまで発展し、この渦中にいっさいの『過去の諸権力』が引きずり込まれるにいたった。この全般的な混沌のなかで、強力な王国がいくつとなく形成されたかと思えば、たちまちにして没落し、幾人もの英雄がたちどころに出現したかと思えば、より大胆な有力な競争者たちによってたちまち暗黒の中へ投げこまれた。まことにそれは一個の革命であった。これに比べればフランス革命も児戯に等しい。まことにそれは一つの世界的闘争であった。これの前ではディアドコスたち(アレキサンダー大王の後継将師たち──訳者)の闘争も貧弱に見える。前代未聞のめまぐるしさをもって諸原理が押しのけあい、思想の巨人たちが互いに組みあいほぐれあいした。こうして、普通なら3世紀以上もかかることが、[P22]ドイツでは1842年から1845年までの3年間に片づけられた。
これらすべてのことは純粋思考内で起こったと言われている。
もちろん事の中心は≪ヘーゲルの≫絶対精神の腐敗過程という興味深い一事件である。この残骸の種々な構成部分は、生命の最後の火花が消えたのち、分解して新しい結合を結び、新しい実体を形成した。従来絶対精神の搾取によって暮らしてきた哲学的産業家たちは今度は種々の新しい結合に熱中した。各自は自分に当たった分け前の販売をできる限りの勤勉ぶりをもって営んだ。これが競争なしに済むわけがなかった。その競争も最初のうちは、かなり市民的にかつ着実に行われた。後になってドイツの市場が供給過剰となり、あらゆる努力にもかかわらず世界市場でも商品の売れ行きが悪くなった時、≪思想の≫商【P6】売は例のドイツ流儀にしたがって、工場式生産および仮装生産、品質の劣悪化、原料のごまかし、商標の偽造、仮装売買<合同版では「空売買」>、不渡り手形の振り出しおよび全然現実的基礎を欠いた信用制度によって、堕落せしめられた。競争はついに激烈な闘争と化した。これこそが今世界史的な飛躍として、[P23]最も巨大な諸結果と諸成果の産出者として、我々に吹聴され構案されているものなのである。
正直なドイツ市民の胸中にさえ愛国心を喚起するこの哲学的誇大宣伝を正しく評価せんがためには、この全青年ヘーゲル派運動のみすぼらしさを、その地方的限局性を、なかでもこれらの英雄たちの現実の業績とこの業績に関する幻想との間の悲喜劇的コントラストを、明瞭ならしめんがためには、この全景をひとまずドイツ以外の立場から見渡すことが必要である。
[P25] <1> イデオロギー一般、特にドイツの
<★★以下、鍵カッコ内の数字等は合同版による節区分と、編集者による表題。なおナウカ社版では見出しはAとなっている>

【P6】ドイツ式批判はその最近の努力に至るまで哲学の地盤を離れなかった。その一般的・哲学的諸前提を吟味するどころか、その一切の問題さえもが、ヘーゲルの体系という特定の哲学的体系の地盤の上に生起したものであった。ひとりその解答のうちにばかりでなく、すでに問題そのもののうちに一つの神秘化が横たわっていた。これら最近の批判者たちがいずれもヘーゲルを超越していると主張していながら、ヘーゲルの体系の包括的な批判すらをも試みなかったのはなぜか、ということの理由は、ヘーゲルへのかかる依存にあるのである。彼らがヘーゲルに対し、また相互にたいする論争は、銘々がヘーゲル体系の一面を取り出してきて、これを全体系ならびに他の者が取り出した側面に対立させるという【P7】こと以上に一歩も出ていない。それも最初のうちは実体とか自己意識とかいうような、純粋な・まがい物でないヘーゲル的範疇を取り出していたが、[P26]しまいにはこれらの範疇が、種・唯一者・人間・等々といういっそう現世的な名称によって俗化されるようになった。
シュトラウスからシュティルナーに至るまでのドイツの哲学的批判全体は、宗教的諸観念の批判に限られている。彼らは現実の宗教および本来の神学から出発した。宗教的意識とは何であるか、宗教的表象とは何であるか、はその後の経過においていろいろに規定された。その際進歩のあった点といえば、表向き支配的な形而上学的・政治的・法律的・道徳的およびその他の諸表象を、宗教的ないし神学的諸表象の領域に包摂し、あわせて政治的・法律的・道徳的意識を宗教的ないし神学的意識であると説明し、。かつ政治的・法律的・道徳的人間、究極においては『人間なるもの』を、宗教的なものだと説明したことであった。宗教の支配ということが前提されていたのである。すべての支配的な関係はいちいち宗教関係であると説明され、そして礼拝に──法律の礼拝・国家の礼拝・等々に、転化された。いたるところで教義と教義にたいする信仰だけが問題にされた。世界の聖化はますます広範囲に伸び、ついにかの尊敬すべき聖マックスは、世界を一括して神聖であると託宣することによって、問題をいっぺんに片づけてしまったのである。
[P27]旧ヘーゲル派の人々はいっさいのものを、これがヘーゲルの論理的範疇の一つに還元されるや否や、理解した。青年ヘーゲル派の人々はいっさいのものを、これを宗教的表象とすりかえるか、あるいはこれを神学的であると説明することによって、批判した。青年ヘーゲル派の人々も、この現存世界における宗教・概念・普遍者・の支配にたいする信仰という点では、旧ヘーゲル派の人々と意見が一致している。違いといえばただ、後者が正当であるとして祝福するこの支配を、前者が簒奪であると言って攻撃する点だけである。
【P8】これら青年ヘーゲル派の人々のあいだで、表象・思想・概念が、一般には彼らによって独立化された意識の産物が、人間の本来的な桎梏だと見なされていることは、旧ヘーゲル派の人々のあいだでそれらが人間社会の真の紐帯だと声明されているのと、変わりがない。だからこそ青年ヘーゲル派の人々もまたこれらの意識の幻想だけを相手にして闘争しさえすればよいわけであった。[P28]彼らの空想にしたがえば、人間の諸関係・人間の全行動・人間のもろもろの桎梏および制限は、人間の意識の産物なのであるから、そこで青年ヘーゲル派の人々は、人間の現在の意識を、人間的な・批判的な・もしくは利己的な・意識と取り換え、もって人間の諸制限を除去せよ、という道徳的要請を首尾一貫したやり方で人間に課しているのである。意識を改変せよ、というこの要求はつまるところ、現存するものの解釈の仕方を変えよ、すなわちそれをほかの解釈によって承認せよ、という要求に他ならない。青年ヘーゲル派のイデオローグたちは彼らのいわゆる『世界震撼的』な言辞にもかかわらず、最もはなはだしい保守主義者である。彼らのなかでの最も少壮な連中が、自分たちは『言辞』にたいしてのみ闘うのだ、と主張するとき、それは彼らの活動を正しく言い表わしていたというものである。ただ彼らの忘れていたことは、彼らがこの言辞自身に言辞以外のなにものをも対立させないということ、および彼らが我々の世界の言辞だけを攻撃しているかぎり、彼らはけっして現実既存の世界を攻撃しているのではないということだ。この哲学的批判が達成しえた唯一の結果は、キリスト教に対するたかだか若干の、それも一面的な、宗教史的啓発でしかなかった。この批判のそれ以外の主張全体は、この取るに足らない啓発によって世界史的な諸発見を提供した[P29]という彼らの持説につけ加えられたほんの飾りにすぎない。
これらの哲学者は何人も、ドイツの哲学とドイツの現実との関連を、≪彼らの≫ドイツの哲学の批判と≪彼らの批判≫そのものの固有な物質的環境との関連を、問題とすることに思い至らなかった。
──
<2 唯物論的歴史観が立脚する諸前提>

【P9】我々の出発点である前提はけっして得手勝手なものでもなければ、独断でもない。<空想のなかでしか無視しえないような……合同版>現実的な諸前提である。それは現実的な諸個人・彼らの行動であり、ならびに彼らの前に所与として見出されるばかりでなく、彼ら自身の行動によっても産出されるところの、彼らの物質的な生活諸条件である。[P30]したがってこれら諸前提は純粋に経験的な仕方で確認されうるものである。
およそいっさいの人間史の第一次的な前提は言うまでもなく生きた人間としての諸個人の生存である。したがって確認されるべき第一次的な事態は、これらの個人の肉体的組織とこれによって与えられた、<それ以外の……同>自然に対する彼らの関係とである。我々はここではもちろん、人間自身の肉体的性質にも、人間に与えられた自然条件たる地質上・風土上・気象上・その他の・諸関係にも立ち入るわけにはいかない。むしろ一切の歴史的叙述は、これらの自然的基礎と、歴史の進行途上において人間の行動がこれらの自然的基礎を変更するという事実から出発しなければならぬ。
人間は意識により、宗教により、その他勝手なものによって、動物から区別されうる。だが人間自身は、彼らが生活手段を生産し始めるや否や、自分を動物から区別し始める。この生産は、人間の肉体的組織によって制約されている一行為である。人間は彼らの生活手段を生産することによって、間接に彼らの物質的生活自体を生産する。
人間が彼らの生活手段を生産する際にとる様式は、まず第一に、彼らの前に見出されるところの再生産されるべき生活手段の性状に依存する。@
[P31]生産のこの様式は、それが諸個人の肉体的生存の再生産である、という方面からだけ考察されるべきではない。むしろかえってそれは、これら個人の活動の一定様式であり、彼らの生活を表現する一定様式で【P10】ある。したがって彼らが何であるかは、彼らの生産、すなわち彼らが何を生産するか、ならびに彼らがいかに生産するか、ということと合致する。したがって諸個人が何であるかは、彼らの生産の物質的諸条件に依存する。
この生産は人口の増加とともにはじめて現れる。人口の増加はそれ自身また個人相互間の交通を前提する。この交通の形態はさらに生産によって制約されている。
<[P32] 3 生産と交通、分業と所有諸形態=部族的、古代的、封建的>

【P10】種々の国民相互の間の諸関係は、各国民がその生産諸力・分業・および国内交通・をどの程度まで発展させ終えているか、に依存する。この命題は一般に承認されている。しかしながら、各国民の生産と彼らの国内交通ならびに対外交通の発展段階に依存しているものは、ただ一国民の他国民にたいする関係ばかりでない。当該国民自体の内部編成の全体もそうである。一国民の生産諸力の発展程度をもっとも明瞭に示すものは、[P33]分業がどの程度に発展しているかということである。すべて新しい生産力は、従来の生産諸力のたんに量的な拡張(たとえば土地の開墾)でない限り、分業の新たな発展を結果するものである。
一国民内部における分業は、まず第一に、産業労働および商業労働を農耕労働から分離させ、これを都市と農村との分離ならびに両者の利害対立を発生させる。分業がより一層発展すれば、商業労働が産業労働から分離すると同時に、このような各種部門内部における分業によって、さらに、一定の労働のために協働する諸個人間に、各種の部類が発達してくる。このそれぞれの部類の相互の地位は、農耕労働・産業労働および商業労働の経営様式(家長制、奴隷制、諸身分、諸階級)によって制約されている。交通がより発展すると、同様の関係が諸国民相互の間にも現われてくる。
【P11】分業の発展段階がいろいろ異なるにしたがって、財産<合同版では「所有」>の形態もいろいろ異なってくる。すなわち、そのつどの分業の段階は、労働材料・労働用具および生産物との関係における個人相互間の諸関係をも規定するのである。
[P34]財産の最初の形態は種族<合同版では「部族」>財産である。それは、一民族が狩猟および漁労によって、牧畜によって、もしくはせいぜい農耕によって、暮らしを立てる場合である、生産の未発達段階に照応する。ことに農耕の場合には、これは大量の未開墾地を前提する。この段階にあっては、分業はまだごくわずかしか発展しておらず、家族内に存在していた自然発生的な分業のやや拡張されたものにとどまる。それゆえ社会的編成もまた、家族の拡張されたものにとどまっている。すなわち、家長的な種族の首長があり、その下に種族の成員がおり、最後に奴隷がいる、というふうである。家族のうちに伏在している奴隷制は、人口の増加と欲望の増大とにともない、また戦争とか交易のような対外交通の伸張にともなって、徐々に発展しはじめる。
第二の形態は古代の共同体財産および国家財産である。このものは、特に、契約または征服によって多数種族が一都市へ結集することから生ずるものであり、この場合にも依然として奴隷制は存続する。共同体財産とならんで、早くも動産的私有財産が発展し、さらに少しおくれて不動産的私有財産もまた発展する。しかしそれは、共同体財産にたいして<変則的な……合同版>従属的な形態としてである。国家公民はただ彼らの共同体のうちにあってのみ、彼らの労働奴隷に対する支配力を有しており、このために共同体財産の形態に拘束されている。この共同体財産なるものは、奴隷との対抗上こうした自然発生的な連合様式にとどまることを余儀なくされている活動的な[P35]国家公民の、共同の私有財産である。それゆえこれにもとづく社会の全編成およびそれとともに民族の勢力は、なかでも、不動産的私有財産が発展するのに平行して崩壊する。この場合、すでに分業は相当発展している。我々はすでに、都市と農村との対立を、後には都市の利害を代表する国家と農村【P12】の利害を代表する国家との対立を、そして諸都市そのものの内部においては工業と<海上貿易……合同版>との対立を、見いだす。市民と奴隷との階級関係は完全に発達している。@
<この次にナウカ社版では、合同版の〔Ⅳ、8〕部分が入る>

【P13】私有財産の発展にともない、ここにはじめて、近代的私有財産の場合により拡張された規模において再び見出されるものと同一な諸関係が出現する。一方、私有財産の集中がそれであって、これはローマにおいてはきわめてはやくから始まり(リキニウスの耕地法がその証左である)、内乱期以降、ことに皇帝の治下において、はなはだ急速に行われた。他方これと関連して行われた平民的小農のプロレタリアートへの転化がそれである。ただし後者は有産市民と奴隷との中間にある中途半端な地位のために、なんらの独立な発展を示すにいたらなかった。
[P36]第三の形態は封建的もしくは身分的財産である。古代が都市およびその小領域から出発したのにたいして、中世は農村から出発した。大面積の土地の上にまばらに散在していた既存の人口が征服者たちによってもなんらの著しい人口増加をこうむらなかったことが、出発点をこのように変化させた条件であった。それゆえに封建的発展は、ギリシャおよびローマとは反対に、ローマ人の諸征服と当初それらに結びついて行なわれた農業の普及とが準備した非常に広大な地盤の上で始まっている。没落しつつあるローマ帝国の最後の数世紀と未開人たちによるその征服そのものとが、大量の生産諸力を破壊した。農耕は衰微し、工業は販路の欠乏のために衰退し、商業は弛緩し、もしくは暴力的に途絶させられ、農村および都市の人口は減退した。このような既存の諸関係およびそれに制約された征服の諸方法は、ゲルマン人の兵制の影響を受けて、封建的財産を発展させた。封建的財産もまた一種の共同体を基礎としている点では、種族財産および共同体財産と変わりがなかったが、生産に直接たずさわる階級としてその共同体に対立するものは、古代共同体の場合のように、奴隷ではなくて、農奴的な小農であった。封建制の完全な発達にともなって、同時にもう一つ、諸都市にたいする対立が加わってくる。土地所有の<位階制的……合同版>編成およびこれと関連ある武装した家臣団は、[P37]農奴を支配する力を貴族にあたえた。この封建的編成は、古代の共同体財産と同様に、生産にたずさわる被支配階級にたいする連合に他なら【P14】なかった。ただ連合の形態と直接の生産者たちにたいする関係とが共同体の場合と違っていただけであった。というのはそこには違った生産諸条件が存在していたからである。
土地所有のこのような封建的編成に照応して、諸都市においては組合的財産、すなわち、手工業の封建的組織が存在した。財産はここでは主に各個人の労働であった。連合している強奪貴族に対抗しての団結の必要、工業家が同時に商人でもあった時代において当然起こる共同の市場家屋の必要、興隆しつつある諸都市へ流れ込んでくる逃散農奴たちの間の競争の増大、全土の封建的編成、これらのものは各種の同業組合を生じさせた。個々の手工業者の群小資本がしだいに貯蓄されたこと、ならびに彼らの数が人口の増加にかかわらず変動しなかったことが、職人および徒弟関係を発展させ、その結果として諸都市のうちにも、農村におけるのと類似の<位階制……合同版>が成立するにいたった。
こうして封建時代にあっては、主要財産は、一方、土地所有に縛りつけられた農奴労働を含めての土地所有からなり、他方、職人たちの労働を支配する[P38]小資本を含めての自己自身の労働からなっていた。両者の編成は、局限された生産諸関係──僅少な粗放な土地耕作および手工業的な工業──によって制約されていた。分業は封建制の開花期にはわずかしか行われなかった。いずれの国も自己のうちに都市と農村との対立をもち、身分制的編成はもとよりはなはだ鋭く浮き出ていたが、しかし農村における諸侯・貴族・僧侶および農民の差別、ならびに都市における親方・職人・徒弟および<やがて加わる……合同版>日雇賤民の差別のほかには、なんら重要な分化は行われなかった。分業は、農耕においては、農民たち自身の家内工業をともなったところの零細化的耕作によって困難となり、工業≪でも≫、個々の手工業そのものの内部においてはまったく行われず、ただきわめてまれに個々の手工業の相互間に行われることがあっただけだ。工業と商業との分化は比較的古い都市【P15】には前から存在していたが、比較的新しい都市においては、都市同士が関係を結ぶにいたった後になってはじめて発展した。
相当の大きさをもった諸国がいくつかの封建的王国に総括されるということは、土地貴族にとっても都市にとっても、等しく一個の必要事であった。このために支配階級すなわち貴族の組織は、どこのを見ても、頭に一人の君主をいただ[P39]いていた。
<4 唯物的歴史観の本質、社会的存在と社会的意識>

[P39]【P15】こうして事実はこうである、すなわち、一定の様式にしたがって生産的に活動している一定の諸個人は、上述のような一定の社会的および政治的諸関係を結ぶ。経済的観察は、それぞれの場合について社会的および政治的編成と生産との関連を、経験的にかついっさいの神秘化および思弁を交えることなしに、示さなければならない。社会的編成および国家はつねに一定の諸個人の生活過程から生まれる。ただしここに言う諸個人とは、彼ら自身のもしくは他人の表象に現われるようなものではなく、[P40]現実にあるがままの、すなわち、行動し物質的に生産しているところの、つまり一定の物質的なかつ彼らの恣意から独立な諸制限、諸前提および諸条件のもとで活動しているところの、諸個人なのである。
各種の理念、表象、意識の生産は、まず第一に、人間の物質的活動および現実生活の言葉である物質的交通のうちに直接に織り込まれている。人間の表象作用・思惟作用・精神的交通は・ここではなお、彼らの物質的行動の直接な流出として現われる。一般にある民族の政治・法律・道徳・宗教・形而上学・等々の言葉のうちに見られる精神的生産についても、同一なことが言える。人間は彼らの諸表象、諸理念、等々の生産者である。ただしここに言う人間とは、彼らの生産諸力とこれらに照応する交通(その最高の諸形態にいたるまでの)との一定の発展によって制約されているところの、現実的な行動しつつある人間のことなのである。意識とは意識的な存在以外の何ものでも断じてありえない。そして人間の存在とは彼らの現実的な生活過程のことである。【P16】あらゆるイデオロギーのうちにおいては、人間および彼らの諸関係がちょうどカメラの暗箱のなかでのように、逆立ちして現われる。この現象は、[P41]網膜の上における対象の倒立が人間の直接に物理的な生活過程から生ずるのとちょうど同じように、実は人間の歴史的な生活過程から生ずるのである。
[P42]天上から地上に降りてくるドイツ哲学とは全然反対に、ここでは我々は地上から天上へ昇るのだ。すなわち、我々は、人間が語り、空想し、考えるところのものから、または語られ・思惟され・構想され・表象された人間から出発して、やがて肉体をもった人間に到達するのではなく、現実に活動している人間から出発し、彼らの現実的な生活過程から始めて、この生活過程のイデオロギー的な各種の反映と反響との発展までを叙述するのである。人間の頭脳中における各種の<ぼんやりとした形象……合同版>もまた、彼らの物質的な・経験的に確かめられうる・かつ物質的諸前提に結びつけられている・生活過程の必然的な昇華物なのである。こうして道徳・宗教・形而上学その他・のイデオロギー、ならびにこれらに照応するもろもろの意識形態は、もはや独立性の外観を保持しない。それらのものは何らの歴史をもたないし、それらのものは何らの発展をもたなくて、むしろ、物質的生産と物質的交通とを発展させつつある人間が、彼らのこのような現実といっしょに、彼らの思惟や思惟の諸生産物を変更するのである。意識が生活を規定するのではなくて、かえって生活が意識を規定する。前のほうの見方においては、<生きた個人のかわりに……合同版>意識が出発点とされ、現実の生活に適応する<合同版では「一致する」>後のほうの見方においては、現実的な生きた諸個人そのものが出発点とされる。この際意識は[P43]彼らの意識としてのみ観察される。
このような見方は無前提ではない。それは現実的な諸前提から出発する、それはこれから瞬時も離れない。その諸前提とは、何らか空想的に封鎖され固定させられた状態にある人間ではなく、一定の諸条件のもとに経験的に直観されうる現実的な発展過程における人間である。このような活動的な生活過程が叙述されるや否や、彼ら自身も観念論者に【P17】劣らず抽象的である経験論者たちのように、歴史を死んだ事実の寄せ集めだとは考ええなくなる。あるいは、観念論者たちのように、歴史を空想された主観の空想された行動だと考えることはできなくなる。
こうして現実的な生活においては、思弁のやむところ、現実的な実証的な科学が始まる、人間の実践的な活動の、実践的な発展過程の、叙述が始まる。意識に関する空論はやみ、現実的な知識がそれに代わらねばならぬ。独立したものとしての哲学は、現実の叙述が行われるとともに、その存在の媒質を失なう。この哲学に代わりうるものは、たかだか、人間の歴史的発展の観察から抽象されうるところの最も一般な結論の総括ぐらいなものである。この抽象の結果得られるものも、それだけとしては、すなわち、現実の歴史から切り離されては、皆目何らの価値をももたない。それは、歴史的資料の整理を容易にしたり、[P44]各時代の順序を暗示したりすることに役だちうるだけである。しかしながらそれは哲学のように、それにさえしたがえば歴史上の諸時代を整理しうるというような処方箋または図式を与えるものではけっしてない。むしろ反対に、ある過去の時代のものであろうと、現代のものであろうとを問わず、我々が資料の観察および整理、すなわち現実的な叙述にたずさわるとき、はじめて困難が始まるのである。この困難を除去する方法は、ここでは指摘できないのであって、それは、各時代の個人の現実的な生活過程と行動との研究の結果をまってはじめて判明する諸前提によらねばならぬ。そこで、こうした抽象の若干を取り上げ、これをイデオロギーに向かって適用してみよう。そしてこれを歴史上の実例に照らして解明してみようと思う。

<[P45] Ⅱ  ナウカ社版ではここに〔Ⅰ〕歴史 の見出しが入る。合同版ではただの傍注の扱いとなっている>
<以下のパラグラフは新たに訳出されたもの。ナウカ社版にはないので合同版の訳文を引用>
<1 人間の現実的解放の諸条件>

<われわれは、わが賢明な哲学者たちを、次のようなことについて、すなわち、たとえかれら哲学者たちが哲学、神学、実体、その他すべてのこうしたがらくたを《自己意識》にとかしこみ、《人間》を、それが一度もそれに従属したことのなかったこれらの空文句の支配から、解放[P46]してやったところで、《人間》の《解放》はまだ一歩も前進したわけではないこと<傍注※1>、現実的解放は、現実世界のなかで、そして現実的な諸手段によって遂行することよりほかには不可能であること、奴隷制は蒸気機関と紡績機なしに、農奴制は農耕の改良なしに、けっして廃止しえないこと、一般に人々の解放は、彼らが衣食住を量質ともに十分に保証されえないあいだは、けっしてありえないこと、について啓蒙しようと骨折ったりなどはもちろんしないだろう。《解放》は歴史的事業であって思想の事業ではない。そして解放は、歴史的な諸関係によって、すなわち工業、商業、農業、交通……の状態によって実現される。それからもういちど、それら種々の発展段階に応じて、実体とか主体、自己意識、純粋批判といったたわごとを、まったく宗教的、神学的たわごととおなじに……、そしてそれらに十分な発展をとげさせたあとでふたたびそのたわごとをとりのぞく<傍注※2>。要するに、ドイツのようにまったくみじめな歴史的発展しかおこらない国では、こうした思想発展、この神々しくはあるが無力なルンペン性が、歴史的発展の欠如をおぎない、根を張っているのだ。こうしたものにはたたかいがいどまれねばならない。しかしそれは、局地的な意義のたたかいである<傍注※3>。>
<傍注※1 「哲学的解放と現実的解放」、「人間なるもの。唯一の。個人」、「地理的、水誌的等々の諸条件、人間的活動、要求と労働」 マルクス>
<傍注※2 「空文句と現実的運動、ドイツにとっての空文句の意義」 マルクス>
<傍注※3 「言語は現実性の言語である」 マルクス>
<[P47] 2 フォイエルバッハの唯物論の直観性と不徹底性への批判>
<この部分は、ナウカ社版では【P37】「Ⅱ 意識の生産」のなかに入れられている>

【P37】…<5ページ分欠落>…現実においては、そして実践的唯物論者、すなわち、共産主義者にとっては、[P48]現存する世界を変革し、既成の諸事物を実践的に攻撃し変更することが問題である。もっともフォイエルバッハにあっても時としてこの種の見解が見いだされることがないではないが、それらは個々ばらばらな思いつき以上にけっして出ず、彼の一般的な見方にたいしてきわめて影響が少ないので、それはここでは発展能力をもった萌芽として以外には考察の対象となりえないだろう。感性的世界についてのフォイエルバッハの『見解』は、一方ではそれのたんなる直観に局限され他方ではたんなる感覚に局限されており、彼は『現実的な歴史的な人間』のかわりに、『人間というもの』について語っている。この『人間というもの』は実は『ドイツ人』である。前者の場合である感性的世界の直観においては、彼は必然的に、彼の意識や彼の感情と矛盾する諸事物につきあたる。感性的世界のあらゆる部分、とくに人間と自然、について彼が前提している調和を妨げるような諸事物につきあたる(原注※)。そこでこのような事物を取り除くためには、彼は二重の直観に、『明白で手近なもの』を見てとる俗人的な直観と、諸事物の『真の本質』を見抜くところの・よりいっそう高く哲学的な直観とに、逃避しなければならない。彼は、彼をとりまく感性的世界が直接に永遠の昔から与えられたつねに自己同一的な事物ではなく、むしろ産業と社会状態の産物である[P49]ことを、理解しない。ことに、その世界が一個の歴史的産物であり、諸世代の全系列の活動の成果であって、かつこれらの諸世代はいづれも先行する諸世代を伝承し、その産業と交通とをさらに発達させ、その社会秩序を変化させられた新しい欲望にしたがって変更したのであるという意味を理解しない。もっとも単純な『感性的確実性』の対象であっても、社会的発展・産業と商業上の交通とによってはじめて彼に与えられたものである。さくらんぼの木は、たいていの果樹と同じに、周知のように、わずか数世紀前、商業によって我々の地帯に移植されたものにすぎない。それゆえこれは、一定の時代におけ【P38】る一定社会のこのような行動によってはじめて、フォイエルバッハの『感性的確実性』にまで与えられたのである。@

(原注※ フォイエルバッハが明白身近なもの、感性的仮象<合同版では「外見」>を、感性的事態のより精密な研究によって確かめられた感性的現実性に従属させることが誤謬であるのではなく、むしろ彼が究極において、感性を『眼』をもって、すなわち哲学者の『眼鏡』を通して眺めることなしには、感性を始末し得ないことが、誤謬なのである。)
<この原注はナウカ社版ではもう少しあとの【P40】に入っている>

とにかく、このように、事物をそれらがあるがままに、かつ成りきたった通りに、把握するやり方においては、[P50]後にいっそう明瞭に分かるように、いっさいの深遠な哲学的問題はまったく単純に一個の経験的事実に解消される。たとえば、人間対自然の関係に関する重大問題(またはブルーノのいわゆる『自然と歴史とにおける諸対立』──あたかも二つが互いに孤立した『物』であり、人間はけっして歴史的自然と自然的歴史とを<目撃するのではない……同>かのような口ぶり)、──これから『実体』や『自己意識』についてのいっさいの『測りがたいほど高遠な諸著作』が現われてきているのである、──は、あの大評判の『人間と自然との統一』は産業のうちにとっくの昔から成立しており、そしてまったく自然と人間との闘争と同様に、各時代ごとに産業の発展程度の大小に応じてことなった形で成立し、ついには適応する基礎の上における人間の生産諸力の発展にまで達してきたことを洞察すればおのずと崩壊する。産業と商業、すなわちもろもろの生活必需品の生産と交換とは、配分、すなわち種々な社会階級の編成を自分の側から制約するが、逆にまた、その<営み方……同>については、配分、すなわち種々なる社会階級の編成によって制約されるのである。──だからこそフォイエルバッハは、たとえば百年前なら糸車と手織機としかみられなかったマンチェスターに、[P51]今はただ工場と諸機械とを見、あるいはアウグストゥスの時代にはローマの資本家たちの数々の葡萄園と別荘とのほかには何ものも見出さなかったローマの平原で、ただ牧野と沼地とのみを発見するということにもなるのである。フォイエルバッハは、とくに自然科学の直観について語り、物理学者たちや化学者たちの目にのみ顕わになるもろもろの秘密について述べている。しかし産業と商業とがなくてどこに自然科学があるであろうか。この『純粋な』自然科学でさえ、実に、商業と産業とによって、人間の感性的活動によって、はじめてその目標<合同版では「目的」>と材料とを受けとるのである。この活動、このたえまない感性的【P39】な労働と創造、この生産こそがまったく、現に存在しているような全感性的世界の基礎なのであるから、もしそれがただの1年間でも中絶するならば、たんに自然界のうちに驚くほどの変化にを見出すだけではなく、全人間界および彼自身の直観能力を、いや、彼自身の生存さえをも、たちまちのうちにフォイエルバッハは失なうであろう。なるほどその際も、外的自然の先行性は依然として存在しているのであり、また言うまでもなくこのこといっさいは、無受精発生によって産まれた原生的な人間には、適用されない。しかし、この区別はただ、[P52]人間を自然から区別されたものとして見るかぎり、意味をもっているにすぎない。いずれにしろ、人間の歴史に先行するこの自然はけっして、フォイエルバッハが住んでいるような自然でもないし、新たに生成したオーストラリアの珊瑚孤島においてでもなければ、今日もはやどこにも存在せず、したがってまたフォイエルバッハにとっても存在しないような自然<なのである……合同版>。@
──もちろんフォイエルバッハは、『純粋』な唯物論者たちに比べて、どんなに人間もまた『感性的対象』であるかを洞察しているという点において、大いに優れている。しかし彼が人間をただ『感性的対象』としてのみとらえ、『感性的活動』としてとらえていない点を別にしても、依然彼の振る舞いは理論の限界にとどまり、人間をその与えられた社会的連関においてとらえず、人間を現存するものにまでつくり上げてきた生活諸条件のもとでとらえないから、彼はけっして現実に存在する活動的な人間に達することなく、むしろ『人間』という抽象物に立ち止まり、『現実的な個人的な肉体をもった人間』をたんに感覚において認めるということをなしとげただけであるにすぎない。すなわち[P53]彼は、性愛と友情と以外には、なんらほかの『人間の人間にたいする』『人間的関係』を知らず、しかもこれさえも<理想化……同>しているのである。現在の生活関係の批判は皆無である。それゆえに彼は、感性的世界を、それを形成している諸個人の生きた感性的な全活動として把握するまでにいたらず、したがって現在たとえば健全な人間のかわりに腺病質の過労し結核にかかった無数の飢餓貧困者を見るかぎり、彼は『より高【P40】い直観』や観念的に『ひとからげに人類を見てしまう』というやり方に逃避せざるをえないのであり、それゆえに、共産主義的唯物論者が、産業ならびに社会編成の変革の必然性とその条件とを見る場所に来るとフォイエルバッハは観念論に逆転せざるをえないのである。

フォイエルバッハが唯物論者であるかぎりでは、彼にとって歴史は存在しない、そして彼が歴史を考察の的にするかぎりでは、彼は少しも唯物論者ではない。彼にとっては唯物論と歴史とはまったく互いに離れ離れになっている、しかしこのことは、上に述べたことからすでに明らかである。
<[P54] 3 歴史の本源的関係、あるいは社会的活動の基本的側面、生活手段の生産、あたらしい要求の産出、人間の生産(家族)、交通、意識>

【P18】我々は前提を排するドイツ人<との関係上……同>(傍注※1)、いっさいの人間的存在、したがってまたいっさいの歴史の第一前提である『歴史を作りうる』ためには人間は<生きていることができねばならない……合同版>、という前提を確認することから始めなければならない。しかし<生きるために必要なものとは、なによりもまず……合同版>、食うことおよび飲むこと、住むこと、切ること、その他なお若干のこと等である。(※2)それゆえに第一次的な歴史的行為はこれらの[P55]欲望を充足するための手段の産出、すなわち、物質的生活そのものの生産である。しかもこのことは、人間が少なくとも生存するためには、今日でも数千年前と同様に日々刻々遂行されねばならぬ歴史的行為、つまりいっさいの歴史の根本条件なのである。聖ブルーノのように、感性を一本のステッキのような最小限のものに還元するときでさえ、その感性はこのステッキの生産の活動を前提にする。こうしてすべての歴史把握にさいして第一に着目すべきことは、このような根本的事実の広範な全意義を考察し、その占めるべき地位を正常に評価することである。ドイツ人は周知のごとく、いまだかつてこのことをなしたことがない。それゆえいまだかつて歴史の地上の基礎を考えたことがなく、それゆえいまだかつて一人の歴史家をも持ったことがない。フランス人やイギリス人は、この事実といわゆる歴史との関連をごく一面的に理解したにすぎなかったとはいえ──彼らは政治的イデオロギーにとらわれていた間はことにそうであった──、市民的社会、すなわち商業および工業の歴史を最初に書いたことによって、ともかくも歴史叙述に唯物論的な基礎を与える最初の試みを果たしたのである。──@
[P56]第二に着目すべきことは、充足された最初の欲望自体が、欲望充足の行動と既得の欲望充足用具とが、新たな欲望へ導くということである。──そして新たな欲望のこのような産【P19】出こそ第一次的な歴史的行為である。このような見方に照らすとき、ドイツ人の歴史的知恵がいかなる正体のものであるか、がたちどころに判明する。彼らは、実証的な資料が欠けていて、かつ神学的な・あるいは文学的な・<たわごとが語れないところでは……合同版>、歴史のかわりにたんに『前史時代』をつくりだすのであるが、しかもこの『前史』というナンセンスから、本当の歴史にはいるにはどうすればよいかについては、かれらは我々に何ら説明するところがない。──それにもかかわらず他方彼らの歴史的思弁はこの『前史』なるものにそれこそ熱中しきっているのである。というのは、そこでならば、かれらの歴史的思弁も『生の事実』からいろいろの干渉を受けずにすむと信じられているからであり、同時に彼らの歴史的思弁が、その思弁的衝動を思う存分駆けさせて仮説を幾千でも作ったり、壊したりすることができるからである。@
ここで歴史的発展のなかに、そもそものはじめから登場する第三の関係は、日々新たに自分たち自身の生活を造っていく人間が他の人間を造りはじめる、すなわち繁[P57]殖しはじめるという関係である。──夫と妻の関係、親と子の関係、すなわち家族がそれである。@
この家族なるものは、はじめのうちは唯一の社会的関係であるが、後になって、欲望の増大が新たな社会的諸関係を産み出し、人口の増加が新たな欲望を産出するようになると、一つの従属的な関係となる(ドイツ人は例外)。そのときには、ドイツ人がよくやるように『家族の概念』にしたがってではなく、実在する経験的な所与の事実にしたがって、これを展開しなければならない@
ところで社会的活動のこの3面は、三つの異なった段階として把握されるべきではなく、歴史の端緒以来、かつ最初の人間以来、同時的に存立してきて今日でもなお歴史のうちに厳存しつつあるところの3面として、あるいはドイツ人にわかるように書けば、三つの『契機』として、理解されなければならないのである。@
(傍注※1 「歴史」 マルクス)
(傍注※2 「ヘーゲル。 地質学的、水理学的等の諸関係。 各人の身体。欲望、労働。」 マルクス)
<これらの傍注はナウカ社版では、もう少し後の【P23】に入れられている>

[P58]そもそも生活の生産、すなわち、労働における自己の生活、ならびに生殖における他人の生活、の生産は、それ自体一個の二重の関係となって──一方では自然的な関係として、他方では社会的な関係として──現われる。ここに【P20】社会的というのは、いかなる条件のもとにあるものであろうと、いかなる様式においてのものであろうと、およびいかなる目的のものであろうとを問わず、ただ多数個人の協働を意味するにすぎない。このことから明らかになるように、一定の生産様式もしくは工業段階は、つねに協働の一定の様式もしくは一定の社会的段階に結びついており、かつこの協働の様式はそれ自体一種の『生産力』である。また人間が左右しうる生産諸力の<総体……同>は社会の状態を制約し、したがって『人間の歴史』はつねに産業および交換の歴史との関連において研究され論述されねばならぬ。同時に明瞭なことは、このような歴史を書くことがドイツではいかに不可能であるか、ということである。なぜならばドイツ人にはそのために必要な理解力や資料のみならず、『感覚的確実さ』が欠けているからであり、また、ラインの対岸ではもはや歴史がまったく進行していないために、歴史について何らの経験も持ちえないからである。こうして、人間相互[P59]の間には、欲望と生産の様式とによって制約させられた、かつ人間そのものとともに古いところの、唯物論的な関連とも言うべきものがあることが明らかとなる。──人間をとくにことさら結びつけるような何らかの政治的なもしくは宗教的なナンセンスが存在しなくとも、いつも新たな諸形態をとりながらいわゆる『歴史』を提供するところ連関がそれである。@
──根本的な歴史的諸関係の四つの契機、四つの側面、をすでに考察し終えたのち、はじめて我々は人間が『意識』をも有しているということを見出す(傍注※3)。だがそれも、もとより『純粋な』意識としてではない。『精神』は元来物質に『憑かれて』いるという呪われた運命を担っている。現に今、物質は、運動する空気層として、音という形をとって、要するに言語の形をとって現われる。言語は意識とその起源の時を同じくする。──言語とは他人にとっても私自身にとっても存在するところの実践的な現実的な意識であり、また、意識と同じく、他人との交通の欲望および必要から発生したものである。一個の関係<合同版では「応答関係」>が存在するという場合、それは私にとって存在する。ところが動物は何ものにたいしても『関係』しない【P21】し、およそ、関係というものをもたないのである。動物が他のものに対する関係は、動物にとっては[P60]関係として存在する<合同版では「顕在化する」>のではない。それゆえに意識は、元来一種の社会的産物であり、そしてこのことは、一般に人間が存在するかぎり変わらない。言うまでもなく意識は最初は、もっとも手じかな感性的な環境についての意識にすぎず、<自己を意識しつつある……合同版>個人の外部に横たわる他人や事物とのごく局限された関連の意識であるにすぎない。それは同時に自然についての意識である。(自然なるものは、人間に向かってはじめのうちはまったくとっつきにくい全能な侵しがたい力として対立し、したがって人間はこれに対して純動物的な関係におかれる。彼らはあたかも禽獣のように自然のまえに畏伏する。)したがってそれは、自然についての純動物的な意識(自然宗教)とも言うべきものである。@

(傍注※3 「人間が歴史をもつのは、彼らが彼らの生活を生産しなければならないからであり、しかも特定の様式でそうしなければならないからである。そしてこのことはかれらの身体的組織を通じて与えられなければならぬ、ちょうど彼らの意思と同様に。」 マルクス)
<この傍注もナウカ社版では【P23】に入れられている>

──ここでもただちにわかるように、この自然宗教あるいは自然に対する一定の関係は、社会形態によって制約されているとともに、またその逆でもある。いつでもそうであるが、[P61]ここでも一方の自然と人間との同一性、すなわち、自然がまだほとんど変更されていないために、自然に対する人間の局限された関係が彼ら相互の局限された関係を制約し、同時に他方、外部の諸個人との必然的な結合の意識、自分がともかく一個の社会のうちに生活しているのだという意識の端緒が、強く現われてくる。この意識の端緒は、この段階の社会生活自身と同様動物的である。それはたんなる群意識である。人間はこの場合、彼の意識が本能の代わりをしているということ、あるいは、彼の本能がいわば、意識的なものになっているということによって、わずかに羊から区別されるにすぎない。この羊意識あるいは種族意識は、生産性の増大と需要の増加、およびこの両者の根底に横たわるところの人口の増加によって、いっそう発展し発達する。これとともに分業は発展する。この分業というものは、本来は性行為における分業にほかならず、次には自然的素質(たとえば体力)・欲望・諸偶然・等々によっておのずから、すなわち、『自然発生的に』生じたところの分業とし【P22】て現われたものであった。分業は、物質的労働と、精神的労働との分化が[P62]出現する瞬間から、はじめて現実的に分業となる(傍注※5)。この瞬間から意識は、自分を現実の実践の意識以外の何ものかであるかのように想像し、また何ら現実的なものを表象することなしにしかも現実に現実に何ものかを表象しているかのように実際に想像しうる。──この瞬間から意識は、自分を世界から解放して『純粋理論』・神学・哲学・道徳・等々への構成へ移っていくことが可能となる。ところでこのような理論・神学・哲学・道徳・等々が現存の諸関係と矛盾に陥る場合があっても、それは現存する社会的諸関係が現存する生産力と矛盾に陥っている、ということのよってしか起こりえないのである。──もっとも、国民という特定の関係を入れてみれば矛盾がその国民の内部になくて、その国民の意識と他国民の実践との間にあるとき、すなわち、ある国民の国民的な意識と一般的意識との間に矛盾が横たわるとき、やはりおなじ現象が起こることがある(傍注※6)@
<以下の文章は、引き続いて、新しく合同版に入れられたもの……
(これは現在、ドイツで起こっていることだ。)しかし、この矛盾は、民族的意識の範囲内にのみ存在する矛盾として示されているのであるから、その場合、この民族にとっては、闘争もまた、こうした民族的いざこざに終始するものであるかに見えるだろう。>

[P63](傍注※5 「イデオローグの最初の形態はどこでも僧侶である。」 マルクス)
(傍注※6 「宗教 イデオロギーとしてのイデオロギーをもつドイツ人」 マルクス)
<これらの傍注もナウカ社版では【P24】に入れられている>

──それはともかくとして、意識がひとりで何をはじめようと、そんなことはまったくどうでもいいことだ。我々がこのような≪ただの意識の産物にすぎない≫全汚物のなかから得ようとするものは次のような結論だけだ。すなわちこの≪生活の生産の≫三つの契機である生産力・社会状態および意識が、互いに矛盾に陥ったり、また陥らざるをえなかったりするのは、分業の出現にともなって精神的労働と物質的労働とが(享楽と労働とが、生産と消費とが)別々の個人に帰属するという可能性、否、現実性、が与えられるからであり、そしてそれが矛盾に陥らなくなるような可能性は分業を再び廃止することのうちにしか存在しない、という結論なのだ。さらに、『幽霊』、『結縁』、『より高い存在』、『概念』、『不安』などが、孤立させられた個人の観念論的な僧侶的表現、明らかにそれの表象にすぎず、生活の生産様[P64]式ならびにこれと関連する交通形態を動かしているところのきわめて経験的な桎梏や制限についての表象であるにすぎない、ということも言うまでもなくあきらかなことである。
<ここにナウカ社版では、合同版の〔Ⅳ、6〕に移動された原注部分が入る>
<4 社会的分業とその諸結果=私的所有、国家、社会的活動の《疎外》>

[P64]【P24】これらいっさいの矛盾は分業のなかに与えられている。ところが分業は分業で、家族内における自然発生的な分業と、社会が相互に対立している諸家族へ分裂することとにもとづいている。──このような分業の出現と時を同じくして、分配もまた与えられる。しかも量的にも質的にも不平等な労働および労働生産物の分配、つまり財産、が与えられている。妻や子供たちが夫の奴隷であるところの家族のうちにすでにその萌芽を、その最初の形態を、もつところの財産がそうである。家族内におけるもとよりまだきわめて粗野で潜在的な奴隷制は最初の財産である。しかもこの場合すでに[P65]それは財産としても、財産をもって他人の労働力にたいする処分権であるとなすところの近代の経済学者たちの定義に完全に適している。要するに分業と私有財産とは同一のことを表現する言葉である。──ただ、同じことが前者においては活動との関係において言い表わされ、後者においては活動の生産物に関して言い表わされているのである。@
──さらに分業の出現と同時に、各個人もしくは各家族の利害と、相互に交通しあうすべての個人の共同利害との間における、矛盾が与えられる。しかもこの共同利害は、『一般的なもの<合同版では「普遍的なもの」>』としてたんに表象に存在するようなものではなく、分業を行なう諸個人の相互依存として、なによりもまず実際に存在するものである。@

<以下のエンゲルスによる二つの欄外にあるパラグラフは、ナウカ社版では少し後ろの【P25】の後半に入れられている。>
[P65]<まさにこの特殊利害と共同利害との矛盾から、共同の利害は国家として、現実的な──個別的でありまた総体的であるような──利害から切り離された自立した姿をとる。同時にそれは、幻想の上でだけ共同性の姿をとるのであって、実はいつも、各家族集団および部族集団のうちに現存するもろもろの絆、たとえば血と肉、言語、比較的大規模な分業と、その他の諸利害といった実在的な土台の上に立っており、ことに、後で述べようと思うが、分業によって既[P66]に作り出されている諸階級、すなわち各種の人間集団ごとに分かれて、そのうちの一つが他を支配するような、諸階級という実在的基礎の上に立っているのである……同>。このことから結論されることは、国家の内部におけるいっさいの闘【P26】争、すなわち、民主制・貴族制・君主制・の間の闘争、選挙権のための闘争等々は、階級相互間のいろいろの闘争が行なわれる際にとるところの幻想的な諸形態にほかならないということ(ドイツの理論家たちは、我々が『独仏年誌』や『聖家族』のなかで、この点にたいする手引きを十分に与えておいたにもかかわらず、ちっともわかっていない。)、そしてさらに、支配に向かって努力しつつあるすべての階級は、プロレタリアートの場合においてのように、当該階級の支配が旧い社会形態全体と支配一般との廃棄の条件となる場合でも、自己の利害を同時に一般的なものとして表現するためには、──いずれの階級も最初の瞬間においてはこうすることを余儀なくされる──まずもって政治権力を奪取せねばならないということ、これである。@
個人はただ、各自の特殊な<利害……同>を、すなわち共同利害と合致しないものを求めるからこそ、一般に一般的なものが共同性の幻想的な形態をとるのである。そしてこの一般的なものが彼らにとって『外的な』かつ彼らから『独立な』[P67]利害として、それ自身ふたたび特殊な、かつ独特な『一般』利害として主張されるのである。そうでなければ彼ら自身が、民主制のもとにおいてのように、このような分裂のなかにおいて互いに敵対しあわなければならない。他方において、共同のあるいは幻想上共同の諸利害にたいして、たえず現実的に対立しているところのこれら特殊利害は、国家としての幻想的な『一般』利害による実践的な干渉と制御とを、当然に必要とさせる。@

[P67]そして最後に、分業の出現と同時に我々に提【P25】供されるのは、人間が自然発生的な社会のうちにあるかぎり、したがって特殊利害と共同利害との間の分裂が存在するかぎり、したがって活動が自由でなく、自然発生的に分業化されているかぎり、人間自身の行為は彼にとって、いわば外的に対立する力となるということ、すなわち、彼が支配するのではなく、かえって彼が抑圧されるような力となるということの、最初の実例である、すなわち、労働が分配されはじめるや否や、各人は、容易に抜け出られないような一定の専門的な強制的な活動範囲≪すなわち“職業”≫をもつにいたる。つまり、各人は狩猟者であるか、漁労者であるか、ないしは牧人であるか、それとも批判的批判家であるかであり、かつ彼が生活のための手段を失なうことを欲しない以上、どこまでもそうしていなければならないのだ。[P68]──ところが各人が専門の活動範囲をもたずに、任意の部門の修業ができるような共産主義社会では、社会が全般の生産を統制するのである。そしてそうであるからこそ私は、今日はこれをし、明日はあれをし、朝には狩りをし、午後には漁をし、夕には牧畜をし、食後には批判するというふうに、私の気の向くままのことをして、けっして狩猟者・漁労者、牧人もしくは批判者となることがない。@
さきに述べたような社会的活動の固定化、我々の手におえない、我々の期待にはずれた、我々の計算を台無しにする・我々をおさえつける・物的強力へ、我々自身の生産物がこう着することは、従来の歴史的発展における主要契機の一つである。@
<ここにナウカ社版では先のエンゲルスの文章が入る>

【P26】社会的な力、すなわち、分業によって制約されいろいろの個人の協働から生ずる倍加された生産力は、この協働自体が自発的でなくて自然発生的であるために、これらの個人にとっては、彼ら自身の結合した力として現われずに、彼らの外に立つ、いわば外的な強力として現われるのである。しかもこの強力がどこから来てどこへ去るかは彼らの知るところではないから、したがってもはやそれを支配することができない。[P69]むしろかえって、今やそれ≪社会的な力≫は独特であり、人間の意欲と実行とから独立な、いや何よりさきにこの意欲と実行とを統制するような、一系列の様相と発展段階とを<通過……同>していくのである。@
<ナウカ社版ではここに〔Ⅱ、5〕の冒頭部分のパラグラフが入る>

【P27】そうでなければ、たとえば財産がおよそ歴史をもったり、いろいろの様式をとったりしえたであろうか。また、与えられた前提が異なるのに応じて、土地所有がフランスでは零細化から少数者の掌中への集中へ、【P28】イギリスでは少数者の掌中における集中から零細化へ推移する、といったふうな今日実際に見られる事情が、どうして起こりえたであろうか。あるいは、元来各種の個人および諸国の生産物の交換にほかならない商業が、需要供給の関係を通じて全世界を支配するというようなことが、どうして起こるであろうか。──そもそもこの需要供給の関係は、イギリスの一経済学者に言わせれば、地上を彷徨しつつ目に見えぬ手をもって幸福と不幸とを人間に割り当て、諸国や諸民族をあるいは興起させあるいは衰亡させるものである、あたかも古代の運命の神のように。──ところがその基礎である私有財産が廃止されるとともに、すなわちまた、生産が共産主義的に統制されることによって、人間が自分自身の生産物にたいして立つ疎外的関係が撲滅されるとともに、この需要供給の関係がもつ上述の力は無に帰する。こうして人間は交換・生産・という人間相互が[P70]関係しあう様式を、再び自分の権限にとりもどすようになる。
<[P70] 5 共産主義の物質的前提としての生産諸力の発展>

【P26】哲学者たちにわかりいい言葉を使【P27】えば、こうした『疎外』は、言うまでもなく二つの実践的前提のもとにおいてのみ廃棄されうる。<この疎外が、なにか『耐えがたい』力となるために、すなわち人が、それにこうして革命を起こさざるを得なくなるために、まず前提として必要なのは、それが、人類の大多数をまったく『無所有な』ものとして、また同時に、現存する富と教養──このいずれもが生産力の巨大な成長、それの高度な発展を前提とする──の世界に対立するものとして、産み出していることである……同>。そして他方、生産諸力のこのような発展(<これとともに[P71]まったく同時的に、人間の世界史的な在り方で経験される生活が局地的な在り方のそれに代わって生じてくる……同>)が、絶対に必要な実践的前提の一つである。というのは、生産諸力のこのような発展なしには、ただ欠乏が一般化されるだけであり、したがってたんに窮乏ばかりでなく、必需品のための闘争もまた、再開始されることになり、こうしていっさいの古い汚物がまたもや産出されねばならぬことになるからでもある。さらに、生産諸力のこのような普遍的な発展にともなってはじめて、人間の普遍的な交通が成立するのであるが、これは一方『無産』大衆という現象をいっさいの民族のうちに同時的に産出し(一般的競争)、そして各民族が他の民族における諸変革の影響を免れえないようにし、こうしてついに、世界史的な、経験的に普遍的な個人をもって、局地的な個人に代えたからである。そうでなければ、第一に、共産主義はたんに局地的なものとしてしか存在しえないだろうし、第二に、交通諸力自体が普遍的な、したがって耐えがたい力として発展しえず、いつまでも<田舎的─迷信的な『しきたり』……同>にとどまるであろう。第三に、交通が少しでも拡大すれば、このような地方的な共産主義は廃棄されてしまうであろう。共産主義は経験的には支配的な諸民族の行為として『一挙に』ないしは同時にでなければ可能でない。ところがこのことは生産力の普遍的な[P72]発展およびこれと関連する世界交通を前提している(傍注※1)。@
<ナウカ社版ではここにひとつ前の【P27】のパラグラフが入る>

【P28】ところで<ただ労働するしかない人々の大群──資本から、あるいはたとえどんなつつましいものではあっても、自己の要求の充足ということから断ち切られている大量の労働者勢力──は、またそれゆえ、確実な生活源としての(傍注※2)この労働そのものの、競争によるたんに一時的ではない喪失は、世界市場を前提している……同>。それゆえプロレタリアートはただ世界史的のみに存立しうる。ちょうど共産主義やその行動が、一般に『世界史的』な存在としてのみ存在しうるように。ここに個人の世界史的生存というのは、世界史と直接に結びついているところの諸個人の生存のことである。
我々にとって共産主義は、つくりだされるべき一つの状態、現実がそれにのっとるべき基準となるところの一つの理想ではない。我々が共産主義と名づけるものは、現在の状態を止揚するための現実的な運動である。そしてこの運動の諸条件は現に存在している前提から生ずる。
<ナウカ社版ではこの二つのパラグラフの後先が入れ替わっている>

(傍注※1 「共産主義」 マルクス)
(傍注※2 「まったくおぼつかない状態」 マルクス)

[P73]【P29】<傍注※>従来のいっさいの歴史的段階に存在した生産諸力から制約を受けるとともに、逆にそれを制約しているところの交通状態が、すなわち市民社会なのである。これは、上に述べたことからだけでもわかる通り、単一家族と複合家族、すなわちいわゆる種族制をその前提とし、基礎としているものであるが、このもののもっと詳しい規定は、すでに述べたところに含まれている。その部分だけによって見ても明らかなように、この市民社会こそがいっさいの歴史のかまどであり、舞台なのである。したがって、ものものしい君主や国家の行動ばかりを記載して、現実の諸関係を閑却している従来の歴史観が、いかに不合理なものであるかということは明らかである。@

<傍注※ 「交通と生産力」 ナウカ社版にはこの傍注はない>
<ナウカ社版では、次に合同版の〔Ⅳ、10〕にはいる文章が置かれている>

<以下は合同版による埋められていないページの断片>
<これまで我々は、主として人間活動の一方の面、すなわち人間による自然の加工だけを見てきた。もう一方の面、すなわち、人間による人間の加工……
国家の起源および国家の市民社会への関係……>
<[P74] 6 唯物論的歴史観の諸結論。歴史過程の継承性、歴史の世界史への転化、共産主義革命の必然性>

【P40】歴史とは、個々の世代の継起にほかならないのであって、これら諸世代はそれに先行するすべての世代から譲渡された材料・資本・生産力を利用し、したがって一方では<継承……同>された活動をまったく変化された環境のもとに継続し、他方ではまったく変化された活動によって、古い環境を改変するのである。ところが、このことが思弁的に曲解されて、後代の歴史は前代の歴史の目的と見なされれるようになる。たとえば、フランス革命の勃発を助成するという目的がアメリカ発見の基礎にな【P41】る<というように……同>。こうして歴史はそれ独特の目的をもつことによって『他のもろもろの人格』(『自己意識、批判、唯一者』等々がそれだ)[P75]と肩を並べるような一つの人格となるのである。しかし、前代の歴史の『使命』『目的』『萌芽』『理念』という言葉をもって示されるものは、後代の歴史からの一抽象物、前代の歴史が後代の歴史におよぼす能動的影響からの一抽象物以外の何ものでもないのである。@
──さて、このような発展の過程において、相互に働きかけあう集団が拡張されればされるほど、発達した生産方法・交通およびこれによって自然発生的に生じた諸国民の間の分業によって、個々の民族性の原始的な孤立がなくなればなくなるほど、ますます著しく歴史は世界史となるのである。そこでたとえば、イギリスである機械が発明され、それがインドやシナで無数の労働者を失業させて、その国々の存在形態全体を変革するような場合には、このような発明は一つの世界史的な事実となるのであり、あるいは19世紀において砂糖とコーヒーとが世界史的な意味を著しくするにいたったのは、ナポレオンの大陸<封鎖……同>政策によってこれらの生産物が欠乏した結果、ドイツ人がナポレオンにたいして反逆するにいたり、こうして1813年の光り輝く独立戦争の実在的な基礎ができたことによるのである<といった具合である……同>。このことから結論される通り、歴史の世界史へのこうした転化は、『自己意識』とか、[P76]世界精神とか、あるいはその他の形而上学的幽霊のたんなる抽象的な行為などではなくて、まったく物質的な経験的に実証されうる行為なのである。すなわち、歩いたり立ったり、食ったり飲んだり着たりするような、どんな人間でもが、見本を提供しているような行為なのである。

<ナウカ社版では次の【P29】の前に、「〔Ⅱ〕 意識の生産について」という見出しがついているが、合同版では[P76]で引き続く以下の文章の、ただの(傍注※1)の扱いとなっている。>
【P29】各個人は、その活動が世界史的なものに拡大するにつれて、彼らにとって外的な力のもとにますますはなはだしく隷属させられるようになったということは従来の歴史において、同じように確かに経験的な事実である。(彼らがこの力の圧迫を、いわゆる【P30】世界精神の<策謀……同>等として表象したのももっともだ)。ところで、この力はますます巨大となり、ついにそれは世界市場として現われるにいたる。また共産主義革命(これについてはさらに後に述べる)による現存社会状態の転覆とこれと同じことである私有財産の廃止とによって、ドイツの理論家たちにとって極めて神秘的に見える力が解消されるということ、そしてこののちに、歴史が世界史にまで完全に転化するにつれて各個人の解放が遂行されるということも、等しく経験的に確かなことである(傍注※1)。個人の現実の精神的富が完全に彼の現実的な[P77]諸関係の富に依存することは、上述のことから明瞭である。各個人は<この依存関係……同>によってはじめて、種々なる国民的および局地的制限から解放され、全世界の生産(また精神的生産も)との実践的関係のうちにおかれ、そして全地上界のこの全面的生産(人間の諸創造)にたいする享受能力を獲得しうる状態に置かれる。これら諸力の統制と意識的な支配とに転化される。≪分業における≫各個人の全面的な相互依存関係という、彼らのこの世界史的協働の自然発生的形態は、この共産主義革命により、これら諸力の統制と意識的な支配とに転化される。この諸力はすべての人間の相互的働きかけから産出されたにかかわらず、従来はまったく外的な力として彼らを威圧し、彼らを支配してきたものである。ところで、この考え方も、やはり思弁的・観念論的に、すなわち空想的に、『種の自己産出』(『主体としての社会』)として把握されうる。そしてこれによって、連関の関係におかれている諸個人の継起的な系列が、自己自身を産出するという秘法を行なう唯一の個人として表象されうる。ここに明らかなように、もろもろの個人はたしかに、肉体的にも精神的にも、相互につくりあうのであって、けっして自分で自分をつくりはしない。それは聖ブルーノのナンセンス≪無意味さ≫[P78]においても、または「唯一者」、「<でっちあげられた……同>」人の意味でもそうである。
【P71】最後に我々は、ここに展開された歴史観から次のような諸結論を得る。すなわち、(1)生産諸力が発展するにつれて、現存する諸関係のうちに、災害のみを引き起こしていかなる生産力ともならぬ破壊力(機械および貨幣)としての生産諸力および交通手段を作り出すような段階が現れる──そしてこれと連関して、何ら社会的利益を享受することなく、しかも社会のあらゆる重荷を負わねばならない一階級、社会から閉め出され・他のいっさいの階級に対するもっとも決定的な対立へ強制的に駆りたてられる一階級が、作り出される。この階級は、全社会成員の大多数から構成されるものであり、<この階級から、根本的革命の必然性についての自覚、共産主義的自覚が現れ出る……同>。この意識【P72】は、もちろん、この階級の地位を観察することによって、他の諸階級の間にもまた形成されることができるものである。(2)一定の生産諸力がその内部で利用されうる諸条件は、社会の一定の階級的支配のそれ≪諸条件≫である。<そしてその階級の社会的な力──それはその階級が財産を持つところから生ずるのだが──……同>は、その時々の国家形態においてこの階級の実践的=観念論的表現をもつ。このために[P79]あらゆる革命的闘争は従来の支配的階級に向かって立ちあがるのである<傍注※2>。(3)過去のあらゆる革命においては、社会活動の様式には手を付けず、たんにこの活動の分配の変更や、労働を別の人間へ新しく割り当てることだけが、問題であった。しかしながら、共産主義革命は活動の従来の様式に対抗するものであって、労働を除去し、かつあらゆる階級支配を階級そのものとともに止揚するものである。なぜなら、この革命は、社会におけるいかなる階級にも妥当せず、したがって階級とは認められない、すでに現在の社会内部においてすべての階級・民族性・等々の解消の表現になっている、一階級によって遂行されるからである。そして、(4)この共産主義者的意識の大量的産出、ならびに<目的とすることそのものの達成……同>のためには、人間の大量的な変化が必要であり、この変化はただ実践的運動においてのみ、革命においてのみ、進行することができるのである。したがって革命は、支配階級がいかなる他の方法によっても打倒され得ないという理由から、必要であるばかりでなく、さらに、打倒する階級が革命においてのみいっさいの古い桎梏の汚物を払いのけ、社会の新しい建設の能力を賦与されるに至りうるという理由から言っても、必要なのである。

([P80]傍注※1 「意識の生産について」 マルクス)
<傍注※2 「これらの人々は、生産の現状を維持することに関心を持っている」マルクス この傍注はナウカ社版にはない>
<ナウカ社版では、上記の文章に引き続いて、「C 共産主義」という見出しが置かれ、【P73】部分に続く>
<[P81] 7 唯物論的歴史観についてのまとめ>

【P30】それゆえに、この歴史観がよって立つ根拠は、現実の生産過程を、直接的な生活の物質的生産から出発して展開し、そ【P31】してこの生産様式と連関し、そこから産出される交通形態を、したがってまた種々の段階における市民社会を、歴史全体の基礎として把握し、[P82]そしてこの市民社会を国家としての活動において叙述し、ならびに意識の種々の理論的産出物と形態との全体である宗教・哲学・道徳等々を市民社会から説明し、それらの成立過程を市民社会の種々の段階から跡づけるということである。こうしてここにおいては当然、事態がその全体性においてもまた(そしてそれゆえに事物の諸側面の交互作用<合同版では「相互作用」>も)叙述されうることになる。この歴史観は、観念論的歴史観のように、各時代を通じてただ一つの範疇を探し求めることをしないで、あくまで常に現実的な歴史の地盤の上に立ちとどまるのであり、実践を観念から説明せず、諸観念形成物を物質的実践から説明するのであり、こうして、意識のいっさいの形態と所産とは精神的批判によってではなく、すなわち『自己意識』への解消、または『おばけ』『幽霊』『狂想』等への転化によってではなく、これらの観念的愚論が生み出される源である実在的な社会的諸関係を実践的に転覆することによってのみ解消されうるという結論に、──批判ではなくてむしろ革命が、歴史の、さらにまた、宗教、哲学およびその他の理論の、推進力であるという結論に、到達するのである。この歴史観の示すところは次のようである、──歴史は自己を『精神の精神』としての『自己意識』に解消することをもって終わるのではなく、歴史の各段階にあっては物質的成果が、生産諸力の総和が、自然にたいするおよび個人相互間の歴史的につくられた関係が、存在している。そしてこの総和はどの世代においても先行する時代から伝えられる。[P83]すなわち一方においては新時代によって改変させられながらも、他方においてはまた新世代の生活諸条件を規定して、それに一定の発展・一定の特殊な性格を与えるような生産諸力・諸資本および諸事情の一団が存在しているのである。──したがって人間が環境をつくると同様に、環境が人間をつくるのである。各個人と各世代にとって与えられたものとして現われる生産諸力・諸資本および社会的交通諸形態のこの総和は、哲学者たちが『実体』や『人間の本【P32】質』として表象し、神化し、そしてそれと闘争してきたところのものの実在的基礎である。それはこの哲学者たちが『自己意識』や『唯一者』としていかに反逆しても、人間の発展におよぼす作用と影響とは少しも妨げられることのないような一つの実在的基礎である。それぞれの世代のこの所与の生活諸条件はまた、歴史において周期的にくりかえす革命的動揺がいっさいの現存するものの基礎を転覆させるのに足りるほど強力であるか、否かをも決定する。そして総体的変革のこうした物質的諸要素である、一方では既得の生産諸力、他方では革命的大衆、すなわちたんに従来の社会の個々の諸条件にたいしてのみならず、従来の「生活の生産」そのものである・社会の基礎をなす・[P84]「全活動<合同版では「総体的活動」>」にたいして革命を遂行する大衆の形成、もしこの両者が存在していないならば、変革のこのような観念の百回目の宣言が下されようとも、実践的発展にとっては何にもならないことである、──まさしくそれは共産主義の歴史が証明するとおりである。
<[P84] 8 従来のすべての観念論的歴史観の破産、とくに──ドイツのヘーゲル以後の哲学の>

【P32】すべての従来の歴史観は、歴史のこの現実的基礎をまったく顧慮していないか、あるいはこれを歴史の過程とはまったく関連をもたない付随物としてしか考察していない。そこで歴史はつねに、それ以外に存在する基準にしたがって記述されねばならず、現実の生活の生産は前歴史的なものと考えられ、これに反して歴史的なものは普通の生活から離れた格別に超世間的なものと考えられるのである。こうして自然にたいする人間の関係が歴史から除外され、したがって自然と歴史との対立がつくりだされる。そこで、[P85]この従来の歴史観は、歴史のうちにただ君主や国家の政治活動と宗教的なならびに一般に理論的な諸闘争とを見ることができるだけであり、そしてとくに、どの歴史時代においても、その時代に特有な幻想を分かちもたねばならなかったのである。たとえば、『宗教』や『政治』は時代の現実的な諸動機のただの形式であるにすぎないにかかわらず、ある時代がこれを純粋に『政治的な』または『宗教的な』諸動機によって規定されていると想像す【P33】るとすれば、その時代の歴史家もまたこの意見を受けいれるのである。これら特定な人間の自分たち自身の現実的な実践に関する『想像』『表象』は転化されて、これらの人間の実践を支配し規定する唯一の決定的な能動的な力<とされる……同>。インド民族やエジプト民族に行われている粗野な分業の形態が、彼らの国家や宗教のうちでカースト制度をつくりだすとすれば、歴史家は、カースト制度がこのような粗野な社会形態を産出した力であると信ずるのである。フランス人やイギリス人は少なくとも、現実とまだしも近い政治的幻想<にとどまっている……同>のに、ドイツ人は『純粋精神』の領域にさまよい、宗教的な幻想を歴史の推進力と見なしている。ヘーゲルの歴史哲学は、現実的利害が政治的利害であろうとも問題とされず、むしろもろもろの純粋思想が問題とされるこの種のすべてのドイツの歴史叙述の最後のものであり、その『もっとも純粋な表現』[P86]にまでもたらされた帰結である。歴史叙述はさらに、聖ブルーノのもとにあってもまた、一つの思想が他の思想を養いつくしたあげくに『自己意識』(自覚)のなかに没落する、『諸思想』の一系列として現われねばならぬ。また、なお一層徹底しているのは、現実的な歴史についてはいっさい何も知らない聖マックス・シュティルナーで、彼によるとこの歴史過程はたんなる『騎士』の・盗賊の・そして幽霊の・歴史として現われなければならなかったのであり(傍注※)、こうした幻覚から自己を救うには、言うまでもなくただ『不信心』に頼るほかはないのである。このような見解は実際宗教的である。それは宗教的人間こそ、一切の歴史の出発点であるべき原人だと仮定し、そしてその想像のなかで、宗教的空想の生産を、生活手段や生活そのものの現実的な生産の代わりとする<のだから……同>。@

(傍注※ いわゆる客観的歴史叙述とは、歴史的諸関係を活動から切り離して把握しようとすることに他ならない。反動的性格。 マルクス)
<この傍注はナウカ社版ではもっと後の【P35】の末尾に入れられている>

この全歴史観は、<それの解決ととそれから生じる疑惑や躊躇もろとも……同>、ドイツ人のたんなる[P87]国民的関心事であって、ただ局地的興味のあるものであるにすぎない。たとえば、いかにして人は本来『神の国から人間の国に来たるか』というような、重要な近頃しきりに論議されている問題がそれである。あたかもこの『神の国』が想像のうち以外にいつかどこかに存在したことがあるかのように、また学者先生たち【P34】は、これまでずっと『人間の国』に生活していたのに気づかずに、これからわざわざそこにいたる道をさがさなければならぬとでも考えているかのように、──またあたかもこのような理論的な空中楼閣の珍現象を説明すべき科学的娯楽(というのはそれ以上のものではないから)は、まさに転倒されて、この空中楼閣の発生は現実的な地上的な諸関係から立証されることにあるのではないかのように、論じるのである。一般に、これらのドイツ人にとってはつねに、現存するナンセンスをなんらかの他の気まぐれにまで転化させることが、すなわち、この全ナンセンスが、とにかく探り出されるべきある独特な意味を持っていると前提することこそが、問題なのである。しかし本当は、このような理論的なもろもろの空語を、現存する現実的な諸関係から説明することこそが、問題なのである。[P88]これらの空語を現実的に実践的に解消すること、人間の意識からこれらの表象を除去することは、すでに述べたように、環境の変革によって成就されるのであって、理論的演繹によって成就されるのではない。人間大衆であるプロレタリアートにとっては、こうした理論的表象は存在しないから、したがってまたこれは彼らにとっては解消される必要もない。そして、もしこの大衆がかつて若干の理論的表象、たとえば宗教をもっていたとしても、これらのものは今ではすでにとっくに環境によって解消されている。@
──さらに、これらの問題と解決とが純粋に国民的であることを示していることは、これらの理論家が一生懸命に、『神人』とか『人間』とかなどのような妄想物が、歴史のそれぞれの時代を主宰しきったかのように信じていることのなかに見られる。──聖ブルーノなどはそれどころではなく、ただ『批判と批判家とが歴史をつくった』かのように主張するまでに至っている。──またこれは、彼らが自分自身で<歴史を構成する仕事……同>に従事する場合には、いっさいの以前のことを超特急で飛び越して、『蒙古人時代』からすぐに本当に『内容に充ちた』歴史へ、すなわちハレ年誌やドイツ年誌・そしてヘーゲル学派の一般的ないがみあいの解体・の歴史へ、と移っていくことのなかにも見られるのである。いっさいの他の諸国民、いっさいの現実【P35】的な諸事件は忘れられ、諸国風俗芝居のなかに出てくるものは、ライプチッヒの[P89]書籍市と、『批判』・『人間』・『唯一者』の相互の間の論争とに局限されている。ときに理論が現実的に歴史的なテーマ、たとえば18世紀を取り扱う場合にもこうしたテーマは、その基礎に横たわる諸事実および実践的な諸発展から切り離された、単なる諸表象の歴史を与えるにすぎない。しかもこの歴史も、この時代を真に歴史的な時代である1840年──44年のドイツ哲学者たちの闘争の時代の不完全な前段階として、それのまだ局限された先行期として、叙述しようという意図においてしか与えられないのである。ある一人の非歴史的人物と彼の空想との名声をいっそう光かがやかせるために、前代の歴史を書こうという目的にとっては、いっさいの現実的に歴史的な事件に言及せず、政治が歴史に加える現実的に歴史的な干渉にさえ言及せずに、研究の代わりに虚構や文学的な雑談にもとづいた物語を与えること──あたかも聖ブルーノが彼の、いまは忘れられてしまった『18世紀の歴史』においてやっているように──ぐらい適切なことはない。それゆえに、いっさいの国民的偏見からはるか無限に超越すると信じているこれらの気位の高い尊大な思想商人たちも、実践においては、ドイツの統一を夢見ている月並みの俗人たちよりさらにいっそう国民的なのである。彼らは他の諸国民の行為を[P90]歴史的だとはまったく認めない。彼らはドイツにおいて、ドイツによって、そしてドイツのために、生活する。彼らはラインの歌を讃美歌に変化させ、そしてフランス哲学をフランス国家の代わりに盗み、フランスの思想をフランス諸州の代わりにゲルマン化することによってアルザスやロートリンゲンを征服する。理論の世界支配をもってドイツの世界支配を宣言する聖ブルーノやマックスに比べては、ヴェネダイ氏などはまだまだコスモポリタンである。
<[P90] 9 フォイエルバッハへの、彼の観念論的歴史観への補足的批判>

【P36】以上の論述からまた明らかなことは、フォイエルバッハ[P91]が(ヴィーガント季刊誌、1845年、第2巻)、自分自身『一般人』という資格によって共産主義者だと宣言し、≪それによって≫自らを人間『なるもの』という述語に変化させ、したがって、現存の世界では特定の革命政党の所属者を示すところの共産主義者という言葉を、再びたんなる範疇に変化させることができると信じているのは、思い違いもはなはだしい、ということである。人間相互の関係に関するフォイエルバッハの全演繹は、人間が相互に必要としあい、そしてつねに必要としあってきたことを証明するだけのことに尽きている。彼はこの事実を確認しようと欲する。すなわち彼は他の理論家同様、たんに現存の事実についての正しい意識をつくりだすことを欲するにとどまる。しかし実際の共産主義者にとっては、この現存するものを転覆することが問題なのである。そうは言うものの我々も完全に認めるように、フォイエルバッハが他ならぬこの事実の意識を産出しようと努力することによって、一般に理論家が理論家であり、哲学者であることをやめることなしに行きうるかぎりのところにまで行っている。しかし注目すべきは、聖ブルーノとマックスとが共産主義についてのフォイエルバッハの観念を、すぐさま実際の共産主義と置きかえていることである。[P92]そして彼らがそうするのは、一つには、共産主義者にたいしても対等の敵として戦いうるためにこれを『精神の精神』とし、哲学的範疇としなければならないからでもあるが、聖ブルーノは、実際的な利害にも動かされてそうしたのである。フォイエルバッハが我々の敵となお共通に行っている現存するものの承認と、同時にまた誤認の例として、我々は『将来の哲学』の一個所を想起しよう。彼はそこで、事物または人間の存在は同時にそのものの本質であること、動物または人間の一個体の既成の生存関係・生活様式および活動は、その個体の『本質』がそのうちで満足を感じるものであることを述べている。ここでは明白に≪こうした本質からの≫いっさいの例外が不幸な偶然として、治しえない不具合として理解されている。それゆえに、もし数百万のプロレタリア【P37】が彼らの生活関係に少しも満足を感じない場合には、もし彼らの『存在』が彼らの
<以下は、新しく発表された合同版からの引用>
<『本質』にこれっぽっちも一致しないとしたら、上記の個所によれば、じっと耐えねばならぬということになる避けがたい不幸である。しかし、これら数百万のプロレタリア、あるいは共産主義者たちは、これとまったく違った考えをもつ。やがて彼らが、実践的に、革命によって自分の《存在》を自分の《本質》と一致[P93]させるであろうときに、それを示すだろう。だから、このような場合に、フォイエルバッハはけっして人間の世界のことを語らず、いつでも外的自然へ、しかもまだ人間の支配に服していないような自然なるものへと逃げこむ。しかし、新しい発見がなされるごとに、工業が一歩進むごとに、この領域から新たな一角が切りとられ、こうして上のようなフォイエルバッハ的諸命題のための例を育てる地盤がしだいに縮小しつつあるのである。一つの命題にかぎってみよう。魚の《本質》とは、それの《存在》、つまり水である。川魚の《本質》とは、川の水である。しかし、この川が工業に従属させられるようになるやいなや、それが染料その他の廃物によって汚染されるようになり、蒸気船がそこを通るようになり、その水が運河に引き込まれて、たんに送水をやめるだけで、魚から生存のための媒体を奪うことができるようになるやいなや、その水は魚の《本質》であることをやめ、魚の生存のためにはもはや適さない媒体となる。すべてこの種の矛盾を不可避的な例外だと断言することは、聖マックス・シュティルナーが、この矛盾はお前たち自身の矛盾、この窮状はお前たち自身の窮状である、だからお前たちはそれに甘んずることもできるし、自分自身の不満をそっとしておくこともできるし、あるいはまた、[P94]空想のなかでこの状態に反逆することもできるのだ、といって、不満な人々に与える慰めと本質的に変わるところがない。また同様に、このフォイエルバッハの考えは、聖ブルーノの叱責、すなわちこうした悲境は、不幸にとらえられた人々が《実体》の泥にはまり込んでいて、《絶対的自己意識》にまで達せず、この窮状を自己の精神と見なさなかったことから生ずるのだという叱責とほとんど変わりはしない。>
<以下、ナウカ社版では、ずっと前にある合同版の<Ⅱの2>の部分が続く>
<[P95] Ⅲ 1 支配階級と支配意識。歴史における精神の支配というヘーゲルの観念はどのようにしてできあがったか。>

【P41】支配階級の思想はいずれの時代においても支配的な思想である、すなわち、社会の支配的な物質的な力である階級が、同時にその支配的な精神的な力なのである。物質的生産の諸手段を支配している階級は、これによって同時に精神的生産の諸手段をも自由にする。こうしてそれによって同時に、[P96]精神的生産の諸手段を欠いている人々の思想は、【P42】概して、この支配階級に隷属させられるようになるのである。支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的な表現、すなわち思想としてとらえられた支配的な物質的な諸関係以外の何ものでもなく、したがってまさに一つの階級を支配的なものとする諸関係の観念的な表現以外の、したがってこの階級の支配の諸思想以外の、何ものでもない。支配階級を構成している個人は、とりわけ意識をも持っており、それゆえに思惟する。したがって彼らが階級として支配し、そして歴史上の一時代の全範囲を規定するかぎり、彼らはこれを<全分野において……同>実行するのであり、したがってとくに思惟する者としても諸思想の生産者としても支配し、彼らの時代の思想の生産および分配を統制する。これは明白なことだ。したがって彼らの思想がその時代の支配的な思想であるのも自明のことである。例えば、王権と貴族とブルジョアジーとが支配権を争う結果、支配権が分裂しているような<一定の時代と国では……同>、支配的な思想として権力分立の学説が現われ、これがやがて『永遠の法則』だと宣言される。……@
我々がすでに上で(【P21~25】[P15から18])従来の歴史の主要な力の一つとして見出したところの分業は、今やまた支配階級のもとにおいても精神的労働と物質的労働との分業として現われ、[P97]こうしてこの階級の内部においてのその一部分はこの階級の思想家として立ち現れる。(この階級が自分自身について抱く幻想を育成することを主要な生業としているところの、この階級のために、能動的に立案するところのイデオローグたちがそれである)。それなのに他の部分はこれらの思想や幻想に対してより多く受動的かつ受容的な態度をとる、なぜなら彼らは現実においてのこの階級の活動的な成員であって、自分自身についての諸々の幻想や思想を自分で作るだけ余裕をあまり持ち合わせはしないからである。この階級の内部では、階級分裂はある程度の対立や敵対関係にまでも発展しうるのであるが、しかしこの階級自身が危うくされるような実際的な衝突に際すれば、このような対立や敵対関係はいつでも、自然となくなるし、またこの際には、あたかも支配的な思想は支配階級の思想ではなくて、この階級の力とは別な他【P43】の力をもつかのような外観も実際消え失せるのである。一定の時代における革命的な諸思想の存在はすでに一つの革命的階級の存在を前提とする。後者の存在の諸前提についてはすでに上で(25~28頁)必要な限り述べておいた。
いまもし我々が歴史的過程の把握に際して、支配階級の諸思想を支配階級から切り離し、[P98]それを独立化し、これらの諸思想の生産諸条件やそれらの生産者たちについて顧慮することなしに、ある時代にはあれやこれやの思想が支配していたということ<で満足する……同>ならば、したがって思想の根底に横たわる個人たちや<当時の状況を捨象……同>してしまうならば、たとえば貴族が支配していた時代には名誉・忠節などの諸概念が、ブルジョアジーの支配の時には自由・平等などの諸概念が支配したということができる。支配階級は概してこういうふうに<幻想する……同>。とくに18世紀以来すべての歴史家に共通しているこのような歴史観は必然的に、たえずより抽象的な思想が、すなわち絶えずますます普遍性の形態をとっていく思想が、支配するという現象に突き当たるだろう。言いかえれば、以前に支配していた階級にとって代わるところの新しい階級はいずれも、本来自己の≪ための≫目的を貫徹するためには、自らの利害を社会のいっさいの成員に共同的な<合同版では「共通な」>利害として示すこと、すなわち観念的に言い表わせば、自己の思想に普遍性の形態を与え、その思想を唯一の合理的な普遍妥当的なものとして示すことを、余儀なくされる。革命を起こす階級は、<つねにある階級に対立しているはずなのに、最初から階級をではなく、全社会を代表するものだと称して登場する……同>。この階級は社会の全大衆として、[P99]唯一の支配階級に対立して現われる。(傍注※)<その階級がそうなしうるのは、その階級の利害が、従来の諸関係の圧力のために、特殊な階級の特殊な利害として自己の利害を展開できなかったからというよりは、むしろ台頭する際には、その階級の利害が、すべての他の被支配階級に共通の利害と結びついているからにほかならない……同>。それゆえに、この階級の勝利は他の支配的地位に上がらない諸階級の多数の個人にもまた利益になる。しかしこのことはただ、その勝利がこれらの個人を支配階級に高める能力を与えるかぎりにおいてである。フランスのブル【P44】ジョアジーが貴族の支配を転覆した時、これによってブルジョアジーは多数のプロレタリア自身をプロレタリアート以上に高めることを可能にした。しかしこれはただ、かれらプロレタリアがブルジョアとなったかぎりにおいてである。それゆえ、新興階級はいずれも、ただ従来支配した階級の基礎よりいっそう広い基礎の上に立ってのみ、自己の支配を成就する。その代り後にいたっては、今後の支配階級にたいする被支配階級の対立は、それだけますます先鋭かつ深刻に発展するのである。この二つの事柄によって規定されることは、この新しい支配階級にたいして行われる闘争は、いっさいの従来の支配の獲得に向かって努力した諸階級がなしえたよりさらに根本的に、[P100]従来の社会状態の否定のために努力するということである。
ある一定の階級の支配がただある種の思想の支配にすぎないかのような、<この仮象全体はおよそ階級の支配をもって社会秩序の形式となすこと自体がなくなるや否や、またそれゆえ、特殊な利害を普遍的な利害の形で、もしくは『普遍的なもの』を支配的なものという形で表わす必要がもはやなくなるや否や……同>、おのずからなくなる。
支配的な思想が、いったん支配的な個人たちから、およびとりわけ生産方法<合同版では「生産様式」>の与えられた段階から生ずる諸関係から分離され、こうして歴史においてはつねに思想が支配するという結論ができあがった後には、これらの種々異なった思想から、『思想というもの』、理念等を、歴史における支配的なものとして抽象し、それによってこれらすべての思想と概念とを歴史において発展する概念の『諸々の自己規定』としてとらえることは、きわめて容易である。このときには、人間のいっ【P45】さいの関係は、人間の概念、表象された人間、人間の本質、人間というもの、から導き出されうることもまた、当たり前なのである。<こういうふうにやったのが思弁哲学であった……同>。ヘーゲルは『歴史哲学』の終わりで、自分は『概念の進展のみを観察し』、[P101]そして歴史において『真の神義論』を叙述したと、告白している(446頁)。人々は、今やふたたび『概念』の生産者たち、理論家たち、イデオローグたちおよび哲学者たちにまで、さかのぼっていくことができるのであり、こうして哲学者たち、思索家たちがこのようなものとして、昔から歴史を支配してきたという結論に、──我々がみるとおり、すでにヘーゲルによって言明されたところの結論に、到達するのである。@
したがって歴史において精神の主権(シュティルナーにあっては位階制)を立証しようという芸当は、たかだか次のような三つの手練に帰着するだけである。
第一。人々は、経験的な根拠により経験的な条件のもとに物質的な個人として支配する支配者の思想を、この支配者自身から切り離し、こうして歴史における思想あるいは幻想の支配を承認しなければならない。
第二。人々は、この思想の支配のうちに一つの秩序をもたらさねばならない、すなわち継起する支配的な思想の間の神秘的な関連を立証せねばならない。これは、これらの思想が『概念のもろもろの自己規定』としてとらえられることによって成就されるのである。(これが可能であるのは、これらの思想が自らの経験的基礎の[P102]媒介によって現実に相互に関連しているからであり、これらの思想が単なる思想として<つかまれているかぎり、……同>思惟によってなされた諸々の差異・諸々の自己区別になるからである)。
第三。人々は、この『自己自身を規定(限定)する概念』という神秘的外見を取り除くために、その概念を、一つの人格に──『自己意識』(自覚)に──変える、あるいは大いに唯物論的に見せるために、<歴史のうちで……同>『概念』を代表するところの諸人格の一系列に、<すなわち……同>『思索家たち』、『哲学者たち』、イデオローグたちに変える。そのうえでこれらの人々【P46】が歴史の製造家として、『<警鐘を鳴らす物見……同>』として、支配者として把握されるのである。(傍注※※)こうして歴史から唯物論的要素をすっかり取り除いてしまい、そしていまや安んじて思弁の駒を思う存分疾駆させることができる。
ドイツにおいて支配したこの歴史の方法、そして殊にそれが、ドイツで支配した理由は、イデオローグたちたとえば法律家や政論家たち(また実際的政治家たちも含めて)の諸々の幻想との関連をもとにして、[P103]かれらの実際的な社会上の地位や彼らの職業及び分業からまったく簡単に説明される、この連中の独断的な妄想や歪曲をもとにして、展開されねばならぬものである。
日常生活においてはどんな商人でも、人が自ら称するところと、その人が現実にあるところとを、区別することを心得ているのに、わが国の歴史記述はいまだこの平凡な認識にさえも達していない。それはおのおのの時代が自己自身について語りかつ想像するものをその言葉通りに信じているからである。
<上の二つのパラグラフは、ナウカ社版では後先が逆となっている>

(傍注※……「普遍性は、(1)身分に対する階級に、(2)競争、世界交通等に、(3)支配階級の数が非常に多いことに、(4)共同的な利害の幻想に──最初はこの幻想は真実であった──、(5)イデオローグたちの欺瞞に、および分業に、照応している。」 マルクス)
(傍注※※ 「人間なるものとは『思惟する人間精神』に同じ」 マルクス)
<ナウカ社版ではこれらの傍注はそれぞれの文末におかれている>
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<★★以下、後半部分に続く>

『ドイツ・イデオロギー』(抄訳) 第1章(後半部分)

<ここにナウカ社版では、B〔3〕「自然発生的および文明的生産諸用具と財産諸形態」という見出しが入る>
<[P104] Ⅳ 1 生産手段と所有諸形態 >

【P66】……4頁分欠落……見いだされる。第一のことからは、発達した分業と拡大された商業との前提が生じ、第二のことからは、局地性が生ずる。第一の場合≪文明的な生産用具が前提の場合≫においては、諸個人は<ともに集められて……合同版>いなければならない、第二の場合≪自然発生的な生産用具が前提の場合≫においては、個人は所与の生産用具とならんで自らも生産用具として存在する。@
[P105]したがってここに、自然発生的な生産諸用具と文明によって創りだされた生産諸用具との区別が現われる。耕地(水、その他)は、自然発生的な生産用具と<見なされうる……同>。@
第一の場合、すなわち自然発生的な生産用具においては、個人は自然へ包摂<合同版では「服属」>され、第二の場合≪文明によってつくりだされた生産用具≫においては、≪諸個人は≫労働の生産物へ包摂される。それゆえに、第一の場合には、財産(土地所有)もまた直接的な、自然発生的な支配として現われ、第二の場合には、≪財産は≫労働の、特に蓄積された労働の、資本の、支配として現われる。第一の場合は、諸々の個人が、家族であれ、種族であれ、土地そのものであれ、なんらかの紐帯によって相互に結合していることを前提し、第二の場合は、彼らが、互いに独立していて、ただ交換によってのみ結合されていることを前提する。第一の場合においては、交換は主として人間と自【P67】然との交換、すなわちそこにおいて前者の労働が後者の生産物と交換されるような交換である。第二の場合においては、交換は主として人間相互間の交換である。第一の場合には、平均的な人智で事足り、肉体的活動と精神的活動とはまだ全然分離されていない、第二の場合には、すでに精神労働と肉体労働との分離が実践的に実現されていなければならない。第一の場合には、所有者の非所有者たちに対する支配は、人的諸関係に、一種の [P106]共同体に、基礎を置くことができる、第二の場合には、それはいわば第三のもの、すなわち貨幣において、一種の物的形態<合同版では「物的な姿態」>をとっていなければならない。第一の場合には、小産業<合同版では「小工業」、★★以下、産業はおおむね工業と訳す>は存在するけれども、それは自然発生的な生産諸用具の利用に<限定されて……同>おり、したがって、それは種々の個人への労働の分割≪すなわち社会的分業ということ≫なしに存在している。第二の場合には、工業はただ分業においてのみ、また分業によってのみ、存在している。
われわれは、これまで生産諸用具から出発した。そしてすでにこの場合、ある一定の工業的段階にとっての私有財産の必然性が示された。<(原始的)採取業……同>においては、まだ私有財産は労働とまったく合致している。小工業および従来のすべての農業においては、財産は既存の生産諸用具の必然的な結果である。大工業においてはじめて、≪社会的なものとなった≫生産諸用具と私的財産との矛盾が、大工業そのものの産物となる。この矛盾の産出のためには、大工業がすでに著しく発展していなければならない。したがって、私有財産制の廃止もまた、大工業とともにはじめて可能となるのである。
<以下、ナウカ社版では、合同版の<9 「大工業と自由競争の下での……矛盾……」>の部分が続く>
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<ナウカ社版では、ここに 「B イデオロギーの現実的基礎 〔1〕交通と生産力」というタイトルが入る>
< [P107] 2 物質的労働と精神的労働との分業、都市の農村からの分離、同職組合>

【P47】物質的労働と精神的労働との分化<合同版では「分業」>のなかで最大のものは都市と農村との分離である。都市と農村との対立は、未開から文明への、種族制度から国家への、地方割拠から民族への推移とともに始まり、それから今日(反穀物法同盟)にいたるまでの文明の全歴史を貫いている。@
──都市の出現とともに、同時に行政・警察・諸租税等の、要するに自治体制度≪【P48】のギルド的な「組織された自治体」参考のこと≫の、ならびにこれとともに政治一般の必然性が与えられた。まず第一にここ≪都市の出現≫に現われたのは、直接に分業と諸生産用具とに基づくところの・二大階級への人口の分化であった。都市は元来、人口・諸生産用具・資本・諸享楽・諸需要の集中の事実であるのに対して、農村はこれと正反対の事実、孤立と<分散……同>とを意味する。都市と農村との間の対立は、私有財産の内部においてのみ存続しうる。それは分業の下への、一定の強制的活動の下への個人の包摂の [P108]もっとも顕著な表現である。それは一方の者を局限された都市動物に、他方の者を局限された農村動物となし、そして両者の利害の対立を日々新たに生み出すところの包摂である。≪分業に基づく≫労働はここでもやはり諸個人を支配する力という要点であり、そしてこの≪諸個人を社会的分業の下に包摂する≫力が存続するかぎり、私有財産は存続するに違いない。都市と農村との対立の揚棄は、共同社会の第一次的諸条件の一つである。この条件はだれでも一瞥すればわかるように、さらに一団の物質的前提に依存し、かつたんなる意志だけでは充たされえないものである(これらの条件についてはもっと説明が必要である)。都市と農村との分離は、資本と土地所有との分離と【P48】しても、すなわち労働と交換とのなかにその基礎を有するところの財産である資本の・土地所有から独立した・存立および発展の端緒としても把握されうる。
中世において、従来の歴史から既定のものとして伝えられたのでなく、<自由民……同>になった農奴たちから新たに形成された諸都市では、各人独特の労働は、もっとも不可欠な手工業用具だけからなるとも言ってよい彼の小資本を除けば、彼の唯一の財産であった。逃散してひっきりなしに都市へ入りこんでくる農奴同士の競争、諸都市にたいする農村[P109]の絶え間なき戦争、それに伴う都市側における組織された兵力の必要、一定の労働に対する共同所有権という絆、手工業者が同時に商人であった時代に当然起こる商品の販売のための共同建築物の必要、ならびにこれとともに生ずる無資格者の諸建築物からの閉め出し、個々の手工業外の利害の対立、労苦をもって習得された労働の保護の必要および全土の封建的組織、これらのものが各手工業の労働者たちを諸同業組合へ団結させた原因であった。その後の歴史的諸発展によって招来された同業組合制度の様々な変遷にはここではこれ以上深く立ち入る必要はない。農奴の諸都市への逃げこみは全中世を通じて絶えず行われた。これら農奴たちは農村では領主たちから迫害されたので、ばらばらになって都市へ入りこんできたのであるが、都市では目の前に彼らが到底対抗できないような組織された自治体を見出し、彼らの労働にたいする需要と都市における組織された競争者たちの利害とが彼らに命ずる地位に甘んじなければならなかった。ばらばらになってやってくるこの労働者たちはいつまでたっても勢力を得るにいたらなかった。なぜなら、彼らの労働がもし修業を要する同業組合式のものであれば、[P110]同業組合の親方連が彼らを服属させつつ自分たちの利害に応じるように組織したし、もし彼らの労働が修業を要するものでなく、したがって同業組合式のものでなくて日雇労働であれば、彼らはけっして組織をもちえずに、いつまでも未組織の賤民層にとどまったからであった。諸都市におけ【P49】る日雇労働の必要は賤民層をつくった。@
──これらの都市は、都市の各成員の財産の保護のための、および彼らの生産手段と防衛手段とを倍増させるための配慮、という直接的必要から生み出された純然たる『結社』であった。これらの都市の賤民層はいっさいの勢力を奪われていたが、それは彼らが互いに見も知らぬ別々にやってきた個人からなっているからであり、かつこれらの個人を鵜の目鷹の目で監視している組織された戦闘準備を整えた勢力にたいして未組織のまま対立しなければならなかったためであった。職人と徒弟とは、いずれの手工業においても、もっともよく親方の利益にあうように組織されていた。彼らと親方たちとの間にあった家長制的関係は後者に二種の力を与えた。第一には、職人たちの生活全体におよぼす親方たちの直接的影響において、第二には、この家長制的関係が同一の親方の下で働いている職人たちを他の親方たちについていた職人たちに対して団結させ、彼らをこの相手方から分離させる[P111]ための現実的な絆であったという理由からである。そして最後に、職人たちは、自分自身が親方になるという彼らの既得の利益だけから言っても既成秩序に結びついていたのである。それゆえに、賤民層は都市秩序全体に対して少なくとも幾度かは暴動を起こした──ただしそれらは彼らの無力のためにいつも何の効を奏しなかったが──のに反して、職人たちの方はわずかに、それぞれの同業組合内で同業組合制度そのものの存立を危うくしないような程度の小さな反抗を幾度か起こしただけであった。中世における大規模の蜂起は、ことごとく農村から勃発したが、しかしこれもまた農民の分散状態とその結果として無訓練とのためにいつでもまったく不成功に終わった。
これらの都市における資本は自然発生的な資本であって、住居、手工業諸用具および自然発生的な世襲の顧客からなっており、かつ未発達の交通と不十分な流通とのために金に換えられえないものとして父から子へ相伝されざるを得なかった。この資本は近代の資本のように貨幣で評価されうるもの──これにあっては資本がどういう物の形をとって存在しているかは問うところではない──ではなく、その占有者の特定の労働と直接に関連していて、まったくそれから分離され難い、そのかぎりにおいて身分的な、資本であった。
[P112]分業は諸都市においては同業組合相互の間に行われていたが、まだ自然発生的であり、それぞれの同業組合自身のなかで個々の労働者の間に分業が行われるということは全くなかった。めいめいの労働者は各労働の全範囲に精通していなければならず、自分の道具で作られうるものなら、何でもこしらえ得なければならなかった。局限された交通と個々の都市【P50】間のわずかな連絡、人口の不足および需要の狭隘は、それ以上の分業を出現させず、したがって親方になろうと志すすべての者は自分の手工業の全体に通じていなければならなかった。それゆえ、中世の手工業者たちの間では彼らの専門の労働と熟練とに対する関心がまだ著しく、それが昂じて一種の偏狭な職人気質となっていたくらいであった。それゆえ自然と中世の各手工業者はまったく自分の労働に没頭し、それに対しては一種の居心地の良い隷属関係をさえ持っていた。そして自分の労働<に無関心な……同>近代的労働者たちよりもはるかに余計に労働に没頭せざるを得なかった。
<上の二つのパラグラフはナウカ社版では後先が逆となっている。>
<[P113] 3 よりすすんだ分業、生産からの商業の独立、種々の都市間の分業、マニュファクチュア>

【P50】≪都市と農村との分離に次ぐ≫分業の第二の伸張は、生産と交通との分離、≪つまり≫商人からなる特殊階級の形成であった。この分離は、歴史的伝統を有する諸都市では(特にユダヤ人とともに)前の世代から継承されたものの一つであり、新開の諸都市ではたちまちのうちに出現したものである。こうして隣接地域以外に及ぶ商業連絡の可能性が与えられた。しかしこの可能性の実現は、既存の諸交通手段に、政治的諸関係によって制約された農村における治安状態(全中世を通じて商人は武装した隊商を組んで遍歴したことは周知のとおりである)に、それから交通圏内にある地域のそのつどの文化段階によって制約された諸需要の発達程度の高低に、依存した。@
──商業の伸張とともに、特殊な階級によって担当された交通とともに、商人による都市の隣接地域外へ【P51】の商業の伸張と[P114]ともに、ただちに生産と交通の間の交互作用が現われる。諸都市は相互に連絡するようになり、諸々の新しい道具が一都市から他都市へもたらされる。こうして生産と交通との分離は、やがてそれぞれの都市の相互間における生産の新たな分化を喚起し、間もなくそれら各都市はそれぞれ優越した産業部門を開拓するようになる。当初見られた地方的制限はしだいに解消されはじめる。
<ここにナウカ社版では合同版での<6>の後半部分が入る>

【P52】一地方において獲得された諸生産力、ことに諸々の発明が、その後の発展を続けるか否かはひとえに交通の拡張いかんによる。近隣外に及ぶ交通がまだまったく存在しない限り、いかなる発明も地方地方で別々になされねばならず、したがって蛮族の侵入のような単なる偶然事が起こるか、または通常の戦争でも起こると、それだけでも、発展した諸生産力および諸需要を有した国土は、はじめからもう一遍出発しなおさなければならないようになることがある。歴史のはじめに当たっては、すべての発明は日々新たに、かつ各地方ごとに独立になされねばならなかった。要するにかなり著しく拡張をとげた商業の存在する場合においてすら、発達した諸生産力の全滅する危険がいかに多いかを実証しているのは、フェニキア人の発明の大部分が、商業からのこの国民の駆逐・アレクサンダーの征服およびその結果起こった衰微によって、長い間[P115]失われていたという事実である。中世においてはたとえばガラス画技術などがそうであった。交通が世界的となるにいたり、そして大工業に基礎を置き、それによって、すべての国民が競争戦に引き入れられるようになって初めて、獲得された【P53】諸生産力の持続が確保されるにいたった。
いろいろの都市の間における分業は、その直接的結果として、同業組合制度から生まれ出た生産部門である各種の工場制手工業(マニュファクチュア)を発生させた。各種の工場制手工業の最初の興隆──イタリアおよびのちにはフランドルにおける──は、外国の諸国民との交通をその歴史的前提としたのであった。他の諸国──たとえばイギリスおよびフランス──においては工場制手工業ははじめの間はもっぱら内国市場だけを相手とした。工場制手工業は、上述の諸前提のほかになお、人口──ことに農村における──の集中の発展と、一部分は同業組合法にもかかわらず諸同業組合内に、一部分は商人たちの間で、各個人の手に、集まりはじめた資本の集中の進展を前提とする。
たとえまだきわめて粗雑な形態であっても[P116]とにかく機械なるものを元々から前提していた労働は、最も発展力あるものであることが直ちに明らかになってきた。従来、農村で農民たちにより、彼らの必要な衣料を調達する≪つまり生活資料の生産≫ために片手間仕事に営まれてきた織物業こそは、交通の伸張に刺激されて発達をとげた最初の労働であった。織物業は工場制手工業のなかで最初のものであったばかりでなく、つねにもっとも主要なものであった。人口の増加とともに被服材料に対する高まった需要、促進させられた流通に基づく自然発生的資本の蓄積および動産化の開始、これによって喚起され、そして交通一般の漸進的拡張によって培われた奢侈品の需要、これらは量的ならびに質的に織物業へ刺激を与え、織物業はこの刺激によって従来の生産形態から<脱皮……同>したのであった。自家用のために織物業を営む農民たち──彼らはこののちも依然として存続して今日に及んでいる──とならんで、織物工という新たな一階級が諸都市に出現し、彼らの織った製品は全内国市【P54】場にたいして、およびその大部分は外国の諸市場に対しても、向けられた。@
──概してわずかの熟練しか要せず、かつ間もなく限りなく多数の部門に細分された労働である織物業は、その<全体の性質……同>の結果として同業組合の<締めつけに反発した……同>。それゆえ、自然に織物業はたいていの場合、同業組合的組織のない村落や市場地において経営され、そしてこれらの地域が[P117]しだいに都市となり、しかもたちまちにして各国でもっとも繁栄な都市となったのであった。@
──同業組合制に束縛されない工場制手工業の出現と同時に生産諸関係<合同版では「所有関係」>もまた変化した。自然発生的・身分的資本を踏み越える最初の進歩は商人の台頭によって果たされた。すなわち商人の資本はもともとから動産的であり、当時の諸関係を考慮に入れるかぎりにおいて、近代的意義における資本であった。第二の進歩は工場制手工業とともに生じた。すなわち後者が再び巨額の自然発生的資本を動産化し、かつ動産的資本の量を自然発生的資本のそれに対する割合において全般的に増加させたことによって。@
──同時に、工場制手工業は、農民を排斥しもしくは彼らに対する支払いぶりの悪い同業組合からの農民の避難所となった。ちょうどかつて同業組合都市が、農民たちにとって彼らを虐げる土地貴族からの避難所として役だったように。
工場制手工業の登場と時を同じくして浮浪者群の時期が始まった。この浮浪者群は<封建的家臣団の消滅……同>、封臣である諸侯に対抗した諸国王に奉仕するために寄せ集められた軍隊が解雇されたことによって、農業[P118]の改良と多数の耕地の牧場への転化とによって、発生したものであった。以上のことからだけでもわかることは、この浮浪者群が封建制度の解体といかに<密接に……同>関連しているかということである。すでに13世紀において、この時期がぽつぽつと始まっているが、全般的かつ永続的にこの浮浪者群が現われたのは15世紀の終わりおよび16世紀の初めごろからであった。これら浮浪者たち──それが非常に多数であったことは特にイギリスのヘンリー8世のように7万2千人もの浮浪者を絞首刑に処したことからも知られる──を就業させるには、最大級の困難が伴ったのであり、また、彼ら自身の極度の窮迫と長い反抗との【P55】あげくにはじめてそうなったのであった。すなわち工場制手工業の急激な興隆──ことにイギリスにおける──が彼らをしだいに吸収したのであった。@
かつて諸国民は彼らの間に連絡があった場合には、互いに平穏な交換を行っていたのであるが、工場制手工業がはじまるとともに、この国民は一個の競争関係に、商業戦に入ることになった。この戦いは、しばしば戦争・保護関税および輸入禁止等の形で決せられるようになった。商業はこれ以来政治的意義を帯びる。
[P119]工場制手工業の出現と同時に、労働者の雇用主に対する関係が変化し始めた。同業組合内では、職人と親方との間の家長制的関係が存続していた。工場制手工業においては、これに反して労働者と資本家との貨幣関係が登場した。この関係は、農村および小都市では依然として家長制的色彩を保有していたが、より大きな本来の工場制手工業都市ではとっくの昔からほとんどいっさいの家長制的色付けを喪失していた。
工場制手工業および一般に生産の<運動……同>はアメリカおよび東インド航路の発見によってもたらされた交通の拡大によって、巨大な飛躍をとげた。それらの地方から輸入された新しい生産物、ことに金および銀の大量──これらは流通に投ぜられるとともに、階級相互間の関係を総体的に変更し、封建的土地所有と労働者とに痛撃を与えた──、各地への探検隊、および特にこのころから可能となり、そして日増しに著しく達成されていった諸市場の世界市場への拡大、これらのことが歴史的発展の新局面を展開するにいたったが、ここではこれ以上その全般に立ち入ることは控える。新たに発見された国土への植民によって、[P120]各国民相互間の商業戦は新しい栄養分を得、それに応じてその範囲を伸張し、激烈さを加えた。
商業および工場制手工業の伸張は、動産的資本の蓄積を促進したが、一方同業組合内では、生産拡大のための刺激が小さいため、自然発生的資本は安定を保ったままであるか、もしくはかえって減少しさえした。商業と工場制手工業と【P56】は、大ブルジョアジーをつくったのに対し、同業組合内には小ブルジョアジー層が結集したが、彼らはこのころではもはや従来のように都市における支配的地位に立っておらず、むしろ大商人および≪大ブルジョアジーである≫工場制手工業者たちの支配の前にこうべを垂れなければならなかった<傍注※>。それゆえ同業組合は工場制手工業と接触するやいなや、没落しなければならなかった。@
<傍注※ 「小市民──中間層──大ブルジョアジー」 マルクス ……この傍注はナウカ社版にはない>

交通における諸国民相互の関係は、上述の時期の間に二つの違った姿態をとった。最初は金および銀の流通量の僅少なことのためにこの種の金属の輸出禁止が必要であった。増加していく都市の人口を就業させるために必要となり、かつたいていの場合外国から移植された産業は、種々の特権なしにはやっていけなかった。これらの特権はもちろん国内のみならず、むしろ主として外国に対する競争に備えるために、賦与された[P121]ものであった。地方的な同業組合特権は、<これら当初の……岩波文庫訳>貿易禁止の形において、全国民的規模へ拡大された。関税は、封建領主たちが彼らの領内を通過する商人たちに掠奪の代償として賦課した貢納金から生まれたものであった。この貢納金≪すなわち関税≫は、後になると諸都市によっても同様に賦課され、さらに近代的諸国家の出現に際しては、国庫が貨幣を得るためのもっとも恰好な手段となった。@
──アメリカ産の金および銀のヨーロッパ諸市場への出現、産業の漸次的発展、商業の急激な飛躍、およびこれによって呼び起された非同業組合的ブルジョアジーと貨幣との興隆は、上述の諸方策に従来とは違った意義を与えた。貨幣なしにはやっていけなくなった国家は、今度は財政的な諸見地から金および銀の輸出の禁止を<継続……合同版>した。新たに市場に投ぜられた大量の貨幣を巨利争奪の主要対象としたブルジョアはこの<継続……同>に完全に満足した。従来の諸特権は、政府の財源の一つとなり、金で売られるようになった。関税立法としては諸輸出税が現われてきたが、これは純財政的な目的をもっていたもので、産業にとってはいたずらに妨害となるだけであった。──
第二の時期は17世紀の中葉から始まり、そしてほとんど18世紀の末頃まで続いた。商業および<海運……同>は工場制手工業よ【P57】りも急激に伸張した。後者は第二次的な役割を演ずるにすぎなかった。諸々の植民地は[P122]有力な消費者となり始めた。各国民は、いくつかの長期にわたる戦争によって開け行く世界市場を分捕りした。この時期は、諸航海条例および諸植民地独占をもってはじまる。国民相互間の競争は、関税率・貿易禁止・条約によってできるだけ排除されたにもかかわらず、結局のところ競争戦は戦争(特に海戦)となって遂行され、決せられた。海上において最も強力な国民であるイギリス人は、商業および工場制手工業において優勢をたもった。ここでもすでに一か国への集中が見られる。@
──工場制手工業は、たえず内国市場においては保護関税により、植民地市場においては独占により、そして外国市場においてはできるかぎり差別関税によって保護されていた。自国産の原料の加工は奨励され(イギリスにおける羊毛およびリンネル、フランスにおける絹糸)、内国産の原料の輸出は禁止され(イギリスにおける羊毛)、輸入原料の輸出は放任されるかもしくは弾圧された(イギリスにおける綿花)。<海上貿易と植民地支配力……同>において優位に立つ国民は、自然、工場制手工業の最大限の量的ならびに質的伸張をも確保した。工場制手工業は、一般に保護なしにはやっていけなかった。なぜならばそれは他の諸国におこるほんのわずかな変化によってさえも自己の市場を喪失して没落するおそれがあるからである。工場制手工業は、いずれの国にもある程度の有利な[P123]諸条件が備われば、容易に移植されたが、その代わりまた容易に破壊されもした。同時にそれは、ことに18世紀の農村においてそれが経営されたような様式によって、多数個人の様々な<生活習慣……同>とからみあっているので、どの国も自由競争を許可することによって工場手工業の存立を賭けるわけにはいかなかった。それゆえに工場制手工業は、それが製品の輸出に進むまでの間は、まったく商業の拡張もしくは制限によって左右され、したがって商業に対してはまだきわめて微々たる反作用しか及ぼさなかった。@
18世紀において、工場制手工業が第二次的な意義しか持たなかったのに対して、商人が権威を振るったのは、このために他ならない。商人およびことに船主こそは他の何人にもまして国家的保護と各種【P58】の独占とを強要した当人であった。もとより工場制手工業者も保護を要求し、かつこれを獲得したものの、政治上の点にかけてはけっして商人に及ばなかった。諸工業都市、とくに海港都市はある程度まで開化されて、大ブルジョア的となったのに対し、小工業都市においては著しい小ブルジョア性が依然として存続していた。エイキンその他を参照せよ。18世紀は商業の時代であった。ピントーは、このことを明瞭に述べている。すなわち『商業は世紀の寵児となった。』[P124]また、『近来、商業・航海および海軍ほど人の口の端に上るものはない。』(原注)

(原注 資本の運動は著しく促進されたとはいえ、なお依然として緩慢であった。世界市場が≪諸植民地市場として≫離れ離れの部分へ分裂して、そのおのおのがそれぞれ別々の国民による搾取の対象となっていたこと、国民相互間の競争が排除されていたこと、生産自体が思うようにはかどらなかったこと、および貨幣制度は第一段階を脱して、やっと発展の緒についたばかりであったこと、これらの事情が流通をはなはだしく阻害した。その結果横行したのは、すべての商人と商業経営の全様式とに、いまだにこびりついていた・小売商人的な・汚いけちな根性であった。こういう型の商人は工場制手工業者と比較しては、したがってなおさら手工業者と比較しては、もちろん大市民であり、ブルジョアであったが、次期の商人や産業家に比較しては、やはり小市民にすぎない。アダム・スミス参照。──原注)

この時期の特徴としては、さらに、金および銀輸出が解禁されたこと、金融業が、銀行が、諸国債が、紙幣が、株式および公債投機が、<商品にかんする相場取り引き……同>が、ならびに貨幣制度一般の完成が、出現したことを挙げることができる。資本は自分に粘着していた自然発生的性質の大部分を<ここでもう一度払拭した……同>。
<[P125] 4 もっとも広範な分業、大工業>

【P58】17世紀において、商業および工場制手工業のイギリス一国への集中が制止し難い勢いで進んだ結果、イギリスにとってしだいに一個の相対的世界市場が、したがって同国の工場制手工業生産物に対する需要が、創出された。この需要は、従【P59】来の産業上の生産力によってはもはや充足されえない程度のものであった。諸生産力を追い抜いたこの需要こそは大工業──種々の産業目的のための自然力の応用・機械および最大限にまで拡張された分業──を生み出したことによって、中世以来の私有財産の第3期を創設した推進力であった。この新局面のその他の諸条件──一国民内部における競争の自由・理論力学の完成(ニュートンによって完成された力学は、18世紀を通じてフランスおよびイギリスでは最も<普及した……同>科学であった)等々は、イギリスにはこの時すでに存在していた。(一国民内部における自由競争は、どの国においても革命に[P126]よって獲得されねばならなかった。──イギリスにおいては1640年および1688年に、フランスにおいては1789年に)。@
競争は、やがて各国を、各々が自己の歴史的役割を保持しようと欲するかぎり、各自の工場制手工業を更新された諸関税策によって保護し(旧関税は、大産業<にとって……同>もはや効き目がなかった)、これにひきつづいて速やかに種々の保護関税の庇護のもとに、大工業を自国に移植することを余儀なくさせた。大工業はこのような保護手段にもかかわらず、競争を普遍化し(大工業は実際上の商業の自由を意味する。これに反して保護関税のようなものはその場しのぎの鎮痛剤であり、<商業の自由の内部での防衛手段……同>の一つでしかない)、交通手段と近代的世界市場とを創造して商業を征服し、いっさいの資本を産業資本に転化し、そしてそれとともに諸資本の迅速な流通(貨幣制度の完成)と集中とを生んだ。それ≪大工業≫は普遍的な競争を通じて、すべての個人<に全精力をふりしぼることを……同>強制した。それは、イデオロギー・宗教・道徳等々をできるだけ破壊し、これができない場合には、これが明白な虚妄であることをあばいた。それは、各文明国とその国の各個人とを、各自の欲望の充足を全世界に依存させ、それによって従来見られた[P127]自然発生的な個々の国々の排他性をなくしたかぎりにおいて、はじめて世界史を産出したのであった。それは、自然科学を資本へ従属させ、分業から自然発生的性質の最後の外観を奪った。それは、労働の内部において許されるかぎり、自然発生的【P60】性質を全般に消滅させ、そしていっさいの自然発生的関係を貨幣関係に解消した。それは、自然発生的な都市の代わりに近代的な大工業都市を一夜のうちにつくり上げた。それは、それが浸透した範囲において、手工業および一般に工業のすべての従来の段階を破壊した。それは、農村に対する商業都市の勝利を完成した。それの第一次的前提は、<自動機械装置……同>である。これ≪自動機械≫の発展は、大量の諸生産力を産出したが、私有財産制はこれらの生産力にとって、ちょうど同業組合が工場制手工業にとり、また小規模農業経営が発達しつつある手工業にとってそうであったように、桎梏となった。これらの生産力は、私有財産制の下ではたんに一面的な発展を維持するにとどまり、<大多数の人々には……同>破壊力と化し、かつこの生産力の夥しい量が私有財産制の内部においては全然利用される機会を得ない。大工業は、いたるところで社会階級間に同一の関係を産出し、それによって各国民圏に属する特殊性を抹消した。[P128]そして最後に、各国のブルジョアジーが依然として国民的な諸特殊利害を保持しているとき、他方において大工業は、国籍の相違にもかかわらず同一の利害を有し、かつすでに国民性が抹消されてしまっている階級を、全旧世界と現実的に無縁であると同時に、それに対立している一階級を創造した。大工業は、労働者にとって彼らの資本家に対する関係のみならず、労働そのものを耐えがたいものとする。
大工業が、一国内の各地方によって発展の高度を等しくしないことは言うまでもない。しかしこのことはプロレタリアートの階級的運動を抑制するものではない。なぜなら大工業によって産出されたプロレタリアはこの運動の先頭に立って全大衆をひっぱっていくからであり、また大工業から閉め出された労働者たちは、大工業そのものに属する労働者たちよりももっと悪い生活状態に突き落とされるからである。ちょうどそれと同じように、大工業が発達している諸国は、多少の差こそあれ概して工業の発達していない諸国に対して、後者が世界交通によって普遍的な競争戦の渦中へ引きずり込まれるかぎり、前記の労働者の場合と同様な影響を及ぼす。
<ここにナウカ社版では、合同版の<6 諸個人の競争と諸階級の形成……>の冒頭部分が原注として入っている>

[P129]【P61】≪小規模農業経営、手工業、工場制手工業、大工業へといたる≫これら種々の<生産諸形態……同>は、すなわち労働のしたがって財産の組織の形態である。いずれの時期においても、既存の諸生産力の結合は、それが必要によって必然とされた範囲において行われた。
<ナウカ社版ではここに「(2)財産に対する国家および法の関係」の見出しが入り、【P61】以降の文章が入る>
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<5 社会革命の基礎としての生産諸力と交通形態とのあいだの矛盾>

【P77】我々が見たように、歴史自体の基礎を危うくすることはないが、しかしすでにしばしば従来の歴史に現われてきた、生産諸力と交通形態とのあいだのこの矛盾は、そのたびごとに一つの革命となって爆発せざるを得なかった。その際、この矛盾は同時に[P130]種々の異なった副次的な様相を<すなわち諸あつれきの総体、さまざまな階級間のあつれき、意識の矛盾、思想闘争等々、政治闘争等々の形態をとった……同>。偏狭な見地からすれば、これらの副次的な様相の一つ一つを取り上げて、これこそこの革命の基礎であると考えることもできよう。しかも、諸革命の出発点となった個人たちが、その教育程度や歴史的発展の段階に制約されながら、自分たち自身の活動自体についていろいろの幻想を抱いていたのだから、ますますそう考えたくなるのである。
<ナウカ社版ではこの後、合同版の〔Ⅱ、6〕にある部分が続く>
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【P76】こうしてわれわれの見解にしたがえば、歴史上のあらゆる衝突は、その根源を生産諸力と交通形態≪『経済学批判・序言』では、「物質的生産諸力」と「生産諸関係」≫とのあいだの矛盾のうちにもっている。もっとも、この矛盾が或る一国において衝突に導くためには、それ≪生産力と交通形態との矛盾≫がその国自身のうちで<頂点にまで登りつめている……同>ということは必要ではない。国際的交通の拡大によって生じた・工業的にいっそう発展した諸国との・競争は、工業的に未発展な諸国においても同様な矛盾を十分に生み出しうる(たとえば、ドイツの潜在的プロレタリアートは【P77】イギリス工業[P131]の競争によって出現した)。
<この部分、ナウカ社版では前のパラグラフの前に入れられている>
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<6 諸個人の競争と諸階級の形成。諸個人と彼らの生産活動の諸条件との間の矛盾の発展。ブルジョア社会の諸条件のもとでの諸個人のみせかけの集団性と共産主義における諸個人の真の結合。結合した諸個人に社会の生活活動の諸条件を従属させること>

【P61】競争は、諸個人を結集させるにもかかわらず、一方においては彼らを、すなわちブルジョアのみならずより以上にプロレタリア同士を孤立させる。それゆえにこれらの諸個人が団結しうるまでには長い時が経過した。ただしこの団結のためには──しかもそれが単に地方的であるにとどまらないためには──必要な諸手段が、すなわち大工業都市と安価で迅[P132]速な交通機関とが大工業によってまず創出されていることを要するが、またそれゆえに、これら孤立させられ、かつその孤立化を日々再生産する諸関係のなかに生活している諸個人に対するすべての組織された力<合同版では「権力」>は、幾多の長い闘争ののちにはじめて<打倒され得る……同>のである。そうでないことを望むのは、ちょうど、この特定の歴史的時期に存する競争をなくなればよいと望んだり、または孤立した個人では統制しえないようなこの諸関係についての観念を頭の外へたたき出そうと望んだりするのと同じである。
<この部分は、ナウカ社版では【P60】末尾への原注として入れられいる。>
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【P22】家屋の建造。言うまでもなく野蛮人の各家族は、ちょうど遊牧民の家族が銘々別々の天幕をもっているように、銘々の穴【P23】または小屋をもっている。共同の家内経済は共同の土地耕作と同様に不可能である。偉大な進歩と言うべきは都市の建設であった。だが、これまでのあらゆる時代にあっては、私有財産の廃止から切り離されえないこの分立的な家内経済の廃止ということは、[P133]廃止の物質的諸条件が存在していなかったという理由から言っても、不可能であった。共同の家内経済の設立は、機械・自然力利用・およびその他の多くの生産力の──たとえば水道・ガス点灯設備・蒸気暖房設備・等々の──発展を、都市と農村との対立の廃止を、前提とする。この諸条件なしには、共同の経済がそれ自身さらに一種の新たな生産力であることはなく、いっさいの物質的基礎を欠くこととなり、たんに理論的な基礎の上に立つだけとなり、すなわち一個のたんなる幻想であり、そしてせいぜい僧院経済に達するぐらいが落ちであろう。──何が可能であったかは、都市への密集と特定目的のための共同家屋(監獄・兵営・等々)の建造を見ればわかる。分立的な経済の廃止が家族制度の廃止から切り離されえない、ということは言うをまたないことだ。
<この部分は、ナウカ社版では【P22】部分への原注として入れられいる>
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【P79】(原注 ありとあらゆるものは実は、国家を通して存在するという・聖マックスにおいてしばしば出てくる文句は、ブルジョアはブルジョア種の一見本であるにすぎないという文句と、根本におい[P134]ては同じものだ。この文句は、ブルジョアの階級はそれを組成する諸個人の前に既に存在していた、ということを前提する。)(傍注※)

(傍注※ 哲学者たちにおける階級の先在)
<この部分は、ナウカ社版では【P79】部分への原注として入れられている>

【P51】中世においては、各都市における市民たちは自分たちの身を守るために、団結して土地貴族にあたる必要に迫られた。商業の拡張・<交通路の開通……岩波文庫訳>は一つ一つの都市を、同一の敵対者に対する闘争において同一利益を感じていた他の諸都市の存在を知るにいたらさせた。個々の都市における多数の地方的な市民集団から、しだいにきわめて徐々に市民階級が生まれ出た。<個々の市民の生活諸条件は、現存の諸関係への対立によって、またそれに規定された労働の仕方によって、同時に彼らすべてに共通であって、しかも彼ら一人一人からは独立な条件となった……合同版>。市民が封建的な結縁<合同版では「結合関係」>から自己を解放したかぎりにおいては、彼らがこれらの≪生活≫諸条件をつくりだしたのであり、また彼らが目の前にあった封建制度に対する敵対によって制約されていたかぎりにおいては、彼らはこれら諸条件によってつくりだされたのであった。個々の都市の間の連絡の出現とともに、これら共通の条件は階級的条件にまで発展した。同一の諸条[P135]件・同一の対立・同一の諸利害はおしなべてどこにおいても同様な風俗を発生させずにはおかなかった。ブルジョアジー自身は、彼らの諸条件とともにしだいに発展しはじめ、さらに分業別に種々の分派にわかれ、そして最後に、いっさいの既存の財産が産業資本もしくは商業資本に転化されるのと呼応して、いっさいの既存の有産階級を自己のなかに吸収する(傍注※)。(この反面において、彼らは既存の無産階級および従来の有産階級の一部分からなる多数者を新たなる一階級であるプロレタリアートに発展させる)。@
個々の個人は彼らが他の一階級に対して共同闘争を遂行する必要をもつかぎりにおいてのみ、階級というものを形成する。その他の場合には【P52】彼らは競争によって敵同士として互いに対立する。他面において、階級は個人に対して独立化し、その結果個人は彼らの生活諸条件をすでに予定されたものとして見いだし、彼らの生活的地位およびこれとともに彼らの<人格的発達……同>も階級から指定されたものとして受け取り、階級に従属するにいたる。このことは分業への個々人の包摂と同様な現象であり、私有財産と労働そのものとの揚棄によってのみ除去されうるものである。階級[P136]への個人のこのような包摂が、同時に各種の観念等々の下への包摂にまでいかに発展するかは、われわれがすでにしばしば暗示したところである。

(傍注※ ブルジョアジーはまず第一に、国家に直属する諸労働部門を、次に色とりどりのあらゆるイデオロギー的身分を吸収する。)

【P79】<この諸個人の発展を、歴史的にあいついで生ずる諸身分と諸階級に共通な存在諸条件において、および彼らにその諸条件といっしょに押しつけられた普遍的観念においてみる、つまり哲学的に見るとすれば、この諸個人のなかで、類なるものとか人間なるものとかが自己を展開したとか、諸個人が人間なるものを展開したのだとか……同>、と想像することは実際容易である。こんなふうな想像は、歴史の横面を2、3度ひどくぶんなぐるようなものだ。<こうすれば……同>、これら種々の身分や階級を≪人間の≫一般的表現の特殊化と考え、<類なるものの亜種……同>と考えて、これを人間なるものの発展段階と考えることもできるのである。

【P79】個人が特定の階級へこのように包摂されることは、支配階級に対立してなんらの特殊的階級[P137]利害を貫徹することも必要でない一階級が形成されるにいたるまでは、廃棄されえない。
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【P77】分業による諸々の人格的な力(関係)の事物的な力への転化は、それに関する一般的観念を我々の頭脳から払いのけることによって廃棄されうるものではなく、<諸個人がこの物的な諸力を再び自己の支配下に服せしめ、分業を廃止するのでなければならない……同>。(傍注※)しかも、このことは共同体なしには不可能である。〔他人との〕共同関係においてはじめて各個人は、その素質をあらゆる方面に向かって発達させる手段を〔もつ〕、したがって、共同体においてはじめて人格的自由は可能になる。共同体の従来の代用物においては、すなわち、国家等においては、人格的自由は支配階級の諸関係内で<育った……同>個人にとってしか、かつ彼らがこの階級の個人である場合にしか、存在しなかった。従来個人が結合して形づくってきたみせかけだけの共同体は、つねに彼らから独立したものであり、[P138]それが一階級の結合であったがゆえに、同時にまた他階級に対立しており、被支配階級にとっては全然幻想的な共同体であったばかりでなく、むしろ一つの新たな桎梏であった。だが、本当の共同体にあっては、各個人は彼らの連絡<岩波文庫版では「連合」>のうちに、またそれを通じて、自己の自由を獲得する。

【P78】(傍注※ エンゲルス フォイエルバッハ、存在と本質)
<ナウカ社版では次に<6>のもう少し後のパラグラフが入る>

【P79】個人はつねに自己から出発した。しかしそれはもちろん彼らの与えられた歴史的諸条件と諸関係との内部における自己からであって、イデオローグたちの言う意味での「純粋な」個人からではない。<ところが歴史的発展の過程で、そして分業の内部で、社会的諸関係が不可避的に自立的なものになる事態を通じて、各個人の生活のうちにある区別が目立ってくる、すなわちそれは、個人の人格的であるかぎりでの生活と、労働のなんらかの部門およびそれに属する諸条件に服属せしめられているかぎりでの生活との区別である……合同版>(このことは、たと【P80】えば、金利生活者や資本家等が人格であることをやめるという風に解すべきではなくて、むしろ彼らの人格性がまったく特定な階級諸関係によって制約され、規定されている[P139]のである。そして今の区別は、まず最初には彼らの他階級に対する対立として現われる。それが彼ら自身にとって現われるのは、彼らが破産した時にかぎる)。身分においては、このことはまだ覆い隠されている(種族の場合はもちろん)。たとえば、貴族はつねに依然として貴族であり、平民はどこまで行っても平民である。このこと≪身分的個人において階級的個人と人格的個人とが一致する≫は、彼のそれ以外の諸関係を度外視すれば、彼の個性から切り離されえない性質なのである。階級的個人に対する個人的人格の区別、個人に対する生活諸条件の偶然性は、それ自身ブルジョアジーの産物である、あの階級の出現とともに、はじめて現れてくる。≪プロレタリアートにおける≫個人相互間の競争と闘争とが、はじめてこの偶然性を偶然性として産出し発展させる。したがって、頭のなかだけで考えれば、ブルジョアジーの支配のもとにおける個人は、以前よりも一層自由なように思われる、というのは彼らにとって彼らの生活諸条件は偶然的なものだったからである。ところが実際にあっては、彼らはもちろんいっそう不自由なのである。なぜなら、彼らは一層強く事物的な強力のもとにおかれているからである。身分≪的個人と階級的個人と≫の区別は、プロレタリアートに対するブルジョアジーの対立のうちに特にはっきり現われてくる。土地貴族に対立して<都市の市民身分……同>や職人組合が台頭した時、<彼らの存在条件、すなわち封建的結合から離れる前から潜在的にはすでにあった動産所有と手工業労働とが……同>、封建的土地所有に反対して進出するある積極的なものとして現われ、したがって最初にはむしろそれら一流のやり方でではあるが、封建的な形態をとった。一方、≪後にブルジョアとなる≫逃亡農奴たちは、従来の彼らの≪身分であった≫農奴的地位を自分たちの人格にとって何か偶然的なものだと考えた。しかし、これによって彼らは、ある桎梏から自己を解放しようとするすべての階級がするのと全く同じことをしたのであり、したがって、自己を階級として解放せずに、個々別々なもの【P81】として解放したのである。それにまた、彼らは、身分制度の範囲から抜け出したのではなく、新たな≪都市市民≫身分を形づくったにすぎない。<そして、彼らのこれまでの≪動産所有と手工業労働という≫労働様式を、この新しい状態においても保存し、それを今までの、すでに到達していた発展の程度にとってふさわしくない桎梏から解放してやることによって、かえって発達させさえしたのである……同>(原注※)。@
──これに反して、プロレタリアの場合には、彼ら自身の生活条件である労働と、したがってまた現在の社会の全存立条件とは、彼らにとって偶然的なものとなっている。この事実に対して、個々のプロレタリアは何らの統御も加ええず、またいかなる社会的組織も[P141]彼らにこの統御を加えさせることはできない。したがって、個々のプロレタリアの人格と彼にのしかかってくる生活条件である労働との間の矛盾は、彼自身にとってはっきりと現われてくる。それは、ことに彼が青年時代から犠牲に供されているからであり、自分の階級にあっては、他の階級へ身を置き替え得るような条件に到達する機会は与えられていないからである。@

[P142]【P81】──したがって、逃亡農奴たちが、すでに存在していた自分たちの生存諸条件を自由に発展させてこれを固執しようとし、その結果たかだか自由な労働までしか到達しなかったのに反して、プロレタリアは、自己を人格的に主張するために、自分たち自身の従来の存立条件でありまた同時に従来の全社会の生存条件である労働≪つまり分業に基づく労働≫を廃棄せねばならぬ。それだからこそ彼らは、従来、<社会を構成する諸個人が……同>自分たちに総体という表現を与えるためにとった形態である国家に対して、直接的に対立するのであり、自己の人格を貫徹するために国家を転覆しなければならないのである。

(原注 注意。忘れてならないことは、<農奴を生かしておく必要があることと大農業経営ができないこと、それは農奴への分割地の分配を生ぜしめたが、この二つが、非常に短い間に封建領主に対する農奴たちの諸義務を引き下げ、それを、平均して農奴たちに動産の蓄積ができる程度の現物貢納と賦役にとどめることになった。さらにこの蓄財によって……同>彼らの領主の領分からの逃亡を容易にさせ、彼らに都市市民としての栄達の見通しを与え、さらに農奴間に地位的差異をも産出し、したがって逃亡農奴たちはすでに半市民と言って構わ【P82】なかった、ということだ。以上のこととならんで、同じく明らかなのは、なんらかの手工業に達者な農奴たちは動産を取得する機会を<もっとも多く……同>持ったことだ。)
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<ナウカ社版ではここで第1章が終わっている。なお、合同版ではこの原注は前のパラグラフの前におかれているが、あえて移動した>

【P78】これまでの全発展<合同版では「展開全体」>から明らかになることは、一階級の個人が<とりむすび……同>、そして第三者に対する彼らの共同の利害によって制約されている共同的関係は、<つねにこれら諸個人を、たんなる平均的個人としてのみ、彼らが彼らの階級の存立条件を体現しているかぎりにおいてのみ、[P143]構成員としているにすぎない共同社会であった……同>。これに反して、自己ならびにいっさいの社会成員の存立諸条件を自己の統制のもとにおく革命的プロレタリアの共同体にあっては事情はまさに逆である。すなわち各個人は個人としてこの共同体に参加するのである。各個人の自由な発展と運動との諸条件を彼ら自身の統制のもとにおくものは(もちろん、現在までに発展した生産諸力を前提としてであるが)他ならぬ個人の結合である。しかもこの≪存立≫条件というのは、従来は偶然にゆだねられていたものであり、個々の個人が個人として分裂していたために、また彼ら個人の必然的な結合──それは分業をともなって生じ、個人の分離によって彼らにとって一つの外的な紐帯となるにいたった──のために、個人に対して独立していた条件なのである。@
従来の≪諸個人の≫結合は、これらの諸条件の上に立つ(ルソーの<社会契約論……同>に述べられたような任意的なものではなくてむしろ必然的な)結合にすぎなかったのである(たとえば、北アメリカの国家形成や南アメリカの諸共和国を参照せよ)。<これら自立化した諸条件の枠内で、以後、諸個人は、偶然を自分の発展と運動のために利用した……同>。一定の条件範囲内で妨げられることなく、[P144]偶然性を享受しうる権利を、従来人格的自由と呼んできた。──<このような生存諸条件というものは……同>、そのときどきの生産諸力と交通諸形態とにすぎないことは言うまでもない。
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<ナウカ社版ではこれ以後、すでに引用したいくつかのパラグラフが続く。またナウカ社版では、次の【P73】部分の前に「C 共産主義──交通形態自体の生産」というタイトルが入る>

【P73】共産主義が従来のいっさいの運動から区別される点は、それが従来のいっさいの生産関係および交通関係の基礎を変革し、はじめていっさいの自然発生的な前提を、意識的に従来の人間の被造物として取り扱い、それらのものの自然発生性をはく奪して、結合した諸個人の力に従属させるところにある。したがって、共産主義の<制度……同>は本質的に経済的であり、この≪諸個人の≫結合の諸条件を物質的に作り出すことである。それは現存する諸条件を、この結合の諸条件にする。共産主義が創造する<仕組みとはまさに、諸個人を離れて自立しているいっさいの仕組みの存在の余地をなくすための真の土台に他ならない。なぜなら、その諸個人を離れた仕組みも、実は諸個人自身のこれまでの交通の産物にほかならないのだから……同>。共産主義者が[P145]実践的に、従来の生産および交通によってつくりだされた諸条件≪すなわち大工業と自由競争が生み出した諸条件≫を非有機的なもの≪自らと一体ではないもの≫として取り扱うのはこのためである。ただしこの場合彼らは、彼らに素材を提供することが過去の諸世代の計画ないしは<使命……同>であったとも考えないし、これらの諸条件がそれを創造した諸個人にとって非有機的なものだったとも信じない。
<7 生産諸力と交通諸形態の矛盾としての、諸個人と彼らの生活活動の諸条件との矛盾。生産力の発展と交通諸形態の交代>

【P73】人格ある個人と偶然的な個人との間の区別は、概念上の区別ではなくて、一つの歴史的事実である。この区別は、時代が異なるにつれて<異なった意味になる……同>。たとえば、18世紀においては身分は個人にとって何ほどか偶然的なものだったし、程度の差こそあれ家族制度もまたそうだった。それは<我々の方で、各々の時代のために立ててやらねばならぬ区別ではなくて、各々の時代がすでに手許にある様々な要素をもとに、自分で行な[P146]うところの、しかも概念にしたがってではなく、物質的な生活上の摩擦によって余儀なくされる区別なのである……同>。@
前代にとってはそうではなかったのに、後代になって偶然的に見えるもの、すなわち、前代から後代に継承された諸【P74】要素中で偶然と見えるものは、生産諸力の一定の発展に相応する<合同版では「一致していた」>交通形態である。生産諸力の交通形態への関係は、交通形態の諸個人の働きまたは活動<合同版では「諸個人の行為あるいは表現」>への関係に他ならない(この活動の基礎的形態はもちろん物質的なものであり、その他いっさいの精神的・宗教的等の活動形態は、この物質的形態に依存しているのである。物質的生活の種々の姿態が一つ一つ<合同版では「それぞれ」>、すでに発展してきている各種の欲望に依存していることは言うまでもない。したがって、これらの欲望の産出ならびに充足は実に一つの歴史的過程であって(人間に反対するシュティルナーの片意地な主要論証にもかかわらず)、羊や犬にあっては断じて見られないものである。(もちろん、羊や犬といえども、現在の形態は彼らの意思のいかんにかかわらず、歴史的過程の産物であることには相違ないが)。まだ矛盾≪生産力と交通諸形態との間の矛盾≫が現われないうちは、個人相互が交通するための諸条件は、彼らの個人的事情に属するもので、[P147]彼らにとって何ら外部的なものではない。それは、一定の諸関係のもとに生存している<諸個人が、もっぱら彼らの……同>、物質的生活とそれに関連するものとを生産するための、諸条件である。したがって、それは彼らの自己活動≪すなわち自己の生活の生産活動≫の諸条件であり、この自己活動によって生産されるものである(傍注※)。したがって、彼らが生産するための一定の条件は、まだ矛盾が現われない限り、彼らの現実の被制約性、すなわち彼らの一面的存在に相応する。そして、この存在の一面性は、矛盾の出現によってはじめて明らかになるのであり、したがってそれは後代から見てはじめて<現実的なものとなる。それからのちに、この特定の条件が偶然的な桎梏となりだし、やがてそれが桎梏であるという意識が、過去の時代からずっとあったものだとされる……同>。@

(傍注※ 交通形態自体の生産。)

──最初は自己活動のための諸条件として、後にはこの自己活動の桎梏として現われたこの種の諸条件≪すなわち彼らが生産するための一定の条件である個人相互が交通するための諸条件≫は、歴史的発展全体を通じて相関連する一連の交通形態を形づくる。交通諸形態の関連とは、桎梏となった以前の交通形態が、いっそう発展した生産諸力ならびに諸個人の自己活動の進歩した仕方に相応する、新たな交通形態によってとってかわられ、[P148]今度はまたこの新たな交通形態が再【P75】び桎梏となって、さらに他の交通形態のとって代わられることを言うのである。これらの諸条件は、それぞれの段階にあって、生産諸力のそのときどきの発展に相応するものであるから、これらの諸条件の歴史は、また同時に、発展しつつそれぞれの新しい世代に継承される生産諸力の歴史であり、したがって個人の力そのものの発展の歴史である。
この≪交通形態の≫発展は、自然発生的に行われる。したがって、自由に結合した諸個人の総合的計画に従属していない。だから、それは種々異なった局地性・種族・民族・労働部門・等に源を発する。この各々のものは最初は独立して発展するが、やがてしだいに他のものと結びつくにいたるのである。さらに、この発展はきわめて徐々に行われる。いろいろな段階と利害の相違は、けっして完全には克服されずに、ただ<「優勢な利害」……同>に従属するだけで、数百年にわたってこの<「優勢な利害」……同>とならんで存続する。その結果として、同一国民の内部にあっても、個人各自の別々な財産関係はもちろんのこと、個人は全然異なった種々の発展をもつにいたる。前代の利害は、それに固有な交通形態がすでに後代の利害に応ずる交通形態によって排除されていても、[P149]なお長い間、個人に対して独立的であるみせかけだけの共同体(国家、法律)のうちに伝統的な力を維持することができる。この力は究極においては、革命によってしか打破されえないものなのである。このことからしてまた、<なぜ若干の問題点に関して──比較的一般的な概括が可能であるような──、意識の方がときどき同時代の経験的状況よりも先んじているように見えるかということ、その結果、より後の時代の闘争で、より前の時代の理論家が権威として拠り所とされるのはなぜか、ということも説明される……同>。@
これに反して、北アメリカのような、すでに発展した歴史時代においてやっ【P76】とはじめて活動を開始した国々にあっては、≪交通形態の≫発展は非常に急速に行われる。このような国々は、古い諸国の交通形態にその欲望が相応しなくなったのでそこへ移住してきた個人たち以外には、自然発生的諸前提をもっていない。しがたって、このような国々は古い諸国のなかのもっとも進歩した個人たちをもって、それゆえに、この個人たちに相応するもっとも発展した交通形態をもって、活動を開始するのである。古い諸国では、まだこの交通形態は実現しえないのに(原注※)。この点は、[P150]植民地がたんなる軍事的根拠地や商業上の根拠地でない限り、すべての植民地について言えることである。カルタゴ、ギリシャの植民地および11・12世紀のアイスランドはその実例を提供している。征服の際、他の土地で発展した交通形態が、出来あがったものとして被征服地に持ち込まれる場合にもまた、同様な関係が生じる。この交通形態が本国においてはまだ前代からの諸利害関係の束縛を受けているときでも、被征服国にあっては、征服者に永続的な権力を保証するためだけにでも、それは完全にかつ障害なしに実現され得、またされねばならぬ(ノルマン人の征服後、イギリスとナポリとが封建的組織のもっとも完成された諸形態をとるようになったことを見よ)。
<ナウカ社版ではこれ以後に、すでに引用した別の部分が入る。なおこの【P76】にある原注は、合同版では<Ⅳ、9>に移されている。>
<8 歴史における暴力(征服)の役割>

[P150]【P12】この全史観にとって、例の征服という事実は矛盾するかのように見える。従来、暴力・戦争・略奪・[P151]強盗殺人・等々が歴史の推進力とされてきた。我々はいま主要な諸点だけしか論ずることができない。それで、蛮族による古代文明の破壊、およびその後をうけて最初からやり直した新たな社会編成の形成、というあの顕著な例だけをとることにする(ローマと未開人、封建制とガリア人、東ローマ帝国とトルコ人)。征服を行なう蛮族にあっては、すでに前で触れたように、戦争自体がまだ一種の正常な交通形態であって、彼らにとって唯一可能な在来の粗野な生産様式の下では、人口が増加すればそれだけ生産手段の新しい需要を作りだすわけだから、それだけますます熱心に戦争を利用しなければならなくなる。これに反してイタリアにおいては、土地所有の集中(これは買占めおよび負債によるほか、相続によってもひきおこされたのである。というのは、淫風が盛んで、自然、結婚ということが稀であったため、多くの古い家柄が次第に死に絶えて、その領地が少数者の手に帰したからである。)と、所有地の牧場への転化(これは今日もなお行われている普通の経済的諸原因によるほかに、盗奪穀物および貢納穀物の輸入とその結果として生じたイタリア産穀物の消費の欠乏とによってひきおこされたのである。)とのために、自由民はほとんど姿を消し、奴隷は奴隷で、[P152]しょっちゅう死ぬので、たえず新顔が補充されなければならなかった。しかし依然として奴隷制が全生産の基礎であった。自由民と奴隷との中間にあった平民はついにルンペン・プロレタリアート以上に出るにいたらなかった。一般にローマはついに都市以上に出ず、かつまた諸地方にたいしては、ほとんどまったく政治的な関連に立つにとどまっていた。したがってこの関連が後に政治的な諸事件によって中断されえたことは不思議ではない。
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【P65】歴史においては従来略奪という事実だけが眼目であった、という観念ほど卑俗なものはない。野蛮人がローマ帝国を略奪する、そしてこの略奪という事実でもって、古代世界から封建制度への移行が説明される。しかし野蛮人による略奪に際して着目されるべきことは、略取される側の国民が、ちょうど近代諸民族においてのごとく産業的生産諸力を発展させているか否か、また彼らの生産諸力は主として≪自然発生的なつまり≫彼らの団結と共同体とにのみもとづくものであるか否か、という事実である。[P153]略奪は、さらに略奪される対象によって制約される。たとえば、有価証券よりなる銀行家の財産は、略奪者が非略奪国の生産及び交通諸条件にしたがうことなしには、まったく略奪され得ない。近代的産業国の全工業資本についても同様である。最後に、略奪はいずこにおいても極めて速やかに行き詰まる。こうしてもはや略奪するべきものがなくなれば、生産が開始されなければならない。この極めて速やかに生ずる・生産の必要の結果として、そこに定住しはじめる征服者によってとられる共同体の形態は、従来存在した生産諸力の発展段階に照応させられるか、もしくは、最初からそれができない場合でも、ともかく生産諸力に応じて変更されなければならない。歴史家が、あの民族移動後の時代においていたるところで認めようと欲している事実、すなわち下僕が主人となったり、征服者が被征服者から言語、文化および風習を極めて速やかに継受した、という事実もここから説明されるであろう。封建制は、ドイツから既成のものとして持参されたのではけっしてなく、それは征服者の側に、すなわち征服最中における<軍隊……同>の戦闘組織のうちに、その起源をもったので【P66】あった。そしてこの組織は、征服後、被征服諸国にすでに存在していた≪より発展した≫生産諸力の影響を受けて、はじめて本来の封建性にまで発展したのであった。[P154]この≪征服者による共同体の≫形態が生産諸力によっていかに著しく制約されたかは、<古代ローマの遺制をもとに……同>・これと異なる諸形態を実現しようとする試みが挫折したことで知られる(カール大帝その他)。
<続けること。……合同版によれば、従来の版にはこの一語が欠けている>
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<9 大工業と自由競争のもとでの生産諸力と交通諸形態との間の矛盾の発展。労働と資本の対立。>

【P67】大工業および競争においては、各個人の全存在条件、被制約性、一面性は、二つのもっとも簡単な形式、すなわち私有財産と労働と、に解消する。貨幣の成立とともに、すべての交通[P155]形態及び交通そのものは、諸個人にとっては偶然的なものになる。【P68】したがって、貨幣のうちにはすでに、従来のすべての交通はたんに一定の諸条件の下における各個人の交通にほかならず、個人としての個人の交通ではなかった、ということが含まれている。<それら≪一定の生活≫諸条件は、結局のところ二つ──蓄積された労働すなわち私的所有か、あるいは現実的労働か──のどちらかに行き着くものである……同>。この二つのものあるいはその一つが終息すれば、交通は停止する。近代の経済学者たち自身、たとえば、シスモンディ、シェルビュリエ、その他は、個人の連合を資本の連合に対置する。しかし他方、個人そのものは完全に分業に包摂され、しかもそのことによってもっとも完全な相互依存関係にもたらされているのである。私有財産は、それが労働の内部において労働に対立しているかぎりは、蓄積の必然性に基づいて発展する。そして最初は常に、より多く、共同体の形式を持っているが、しかし発展するにしたがって、ますます私有財産の近代的形態に近づいていく。分業によって、最初からすでに労働諸条件、すなわち道具、材料の分割もまた与えられており、それとともに蓄積された資本[P156]の種々の所有者への細分、さらにそれとともに資本と労働との分裂、および財産そのものの種々なる形態も与えられている。分業が発達すればするほど、また蓄積が増大すればするほど、この≪資本と労働との≫分裂もまたますます先鋭に発達するのである。労働そのものは、ただこの分裂を前提にして存続しうるのである。
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【P76】(個々の国々の個人の人格的エネルギー──ドイツ人とアメリカ人と、──種族の混血だけで生ずるエネルギー──したがってドイツ人はクレチン病的、──フランス、イギリス等では、諸異民族がすでに発展した地盤の上に、アメリカでは、全然新規の地盤の上に移植されたが、ドイツでは自然発生的な住民が平穏に占住を続けてきた。
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【P68】したがって、ここに≪大工業および自由競争のもとでは≫二つの事実が明らかになる<傍注※>。第一は、生産諸力が個人から独立し、[P157]かつ遊離したものとして、すなわち個人と併存する一個の独立の世界として現れるということである。その根拠は、個人──その諸力が生産諸力である──は分裂し対立して存在しているにかかわらず、≪他方で≫個人の諸力は交通および関連<合同版では「相互連関」>のうちにおいてしか現実的な力にならないという点にある。したがって一方においては、生産諸力の総体があり、しかもこれら生産諸力は、いわば一つの客観的形態をとっていて、個人そのものにとってはもはや個人の力ではなくて私有財産の力であり、したがってただ個人が私有財産所有者であるかぎりにおいてのみ、個人の力であるにすぎない。@

<傍注※ 「シスモンディ」、エンゲルスによる ナウカ社版にはない>

従来のいかなる時代においても、生産諸力が個人とし【P69】ての個人の交通に対して、このような無関心な形態をとったことはなかった。それは、個人間の交通そのものがまだ局限されたものであったからである。他方においては、≪第二に、私有財産の姿をとった≫これら生産諸力に対して個人の大多数が対立する。<その諸力は、彼らから引き裂かれたものであり、またそうであるから彼らは、すべての現実的生活内容を取り去られた、抽象的な諸個人となってしまっている……同>。しかしながら、そのことによってはじめて、[P158]≪プロレタリアートにおいては≫個人は個人として相互に結合しうる状態に置かれているのである。
<彼らがまだ生産力および自分自身の生存とつながっている唯一の連関すなわち労働は、彼らのもとでは自己活動のあらゆる見かけを失ってしまい、ただ彼らの生活をみじめにすることによってのみこれを維持するにすぎない。以前の諸時期に自己活動と物質的生活の産出とが分かれていたのは、これらがそれぞれ別の人々に属したからであり、そしてまた物質的生活の産出が個人そのものの狭さのためにまだ自己活動の従属的な一方式と見なされたからであった。しかるに今はそれらはバラバラになってしまって、一般に物質的生活が≪その産出と切り離された≫目的として現れ、この物質的生活の産出すなわち労働(これが今では自己活動の唯一の可能な、しかし我々の見るように、否定的な形態である)は手段として現れるようになっている。……岩波文庫訳、P102>
<[P159] 10 私的所有の廃止の必然性、諸条件、および諸結果>

【P69】ゆえに今や個人は、たんに自分の自己活動に到達するためばかりでなく、一般的に彼らの生存を確立するためだけにも、現存する生産諸力の総体を占有せねばならない状態にまで立ち至っているのである。@
この占有は、まず占有されるべき対象によって、──一つの総体にまで発展させられて一つの世界的<合同版では「普遍的」>交通のうちにおいてのみ存在している生産諸力によって、制約されている。それゆえ、この占有は、この側面からだけ見ても、生産諸力および交通に対応する<合同版では「一致する」>世界的性格を持たなければならない。この諸力の占有は、それ自体、物質的生産用具<を駆使するに足る……同>個人的の力の発展にほかならない。生産用具の総体を占有することは、すでにこの理由から、個人そのものにおける能力の総体の発展にほかなら【P70】[P160]ない。@
この占有は、さらに、占有を行なう個人がどのようなものかによって制約されている。ただすべての自己活動から完全に閉め出されている現代のプロレタリアのみが、生産諸力の総体を占有することと、それとともに確立される能力の総体の発展を獲得することとにおいて成立する、かれらのもはや局限されることのない完全な自己活動を貫徹することができるのである。従来のすべての革命的占有は局限されていた。言い換えれば、制限された生産用具と制限された交通とにおいてその自己活動が局限されていた個人は、この制限された生産用具を占有したことによって、依然として一つの新たな被制限性を得たにすぎなかったのである。彼らの生産用具は彼らの財産となった。しかしながら、個人そのものは依然として分業ならびに彼ら自身の生産用具に従属するにとどまった。このように従来のすべての占有においては、個人大衆は<ただ一つの……同>生産用具に包摂されるだけであった。しかし、プロレタリアの占有においては、<多数の生産諸用具……同>が各個人に、および財産が一切の個人に<合同版では「万人のもとに」>、従属しなければならない。近代的世界的交通は、それが万人に包摂されることによる外は、[P161]<諸個人のもとに服属させられる道はない……同>。@
──ところで、この占有は、さらにまた、その遂行方法によって制約されている。<占有は、団結──プロレタリアートそのものの性格によって、これもまた普遍的なもの足らざるを得ない──と革命によってのみ、なし遂げられうる。そして、この革命では、今までの生産と交通の様式および今までの社会的編成の力が覆される一方、プロレタリアートの普遍的性格と占有をなしとげるのに必要なエネルギーとが発展し、さらに、プロレタリアートは、彼の今までおかれた社会的地位のせいで自分の身にまといつけていたものいっさい、をはぎ取るのである……同>。
この段階に来てはじめて自己活動は物質的生活と一致する<合同版では「一体のものとなる」>。このことは各個人の完全な個人<合同版では「全体的諸個人」>への発展と、すべての自然発生的諸性質の脱却とに、対応する。したがって、労働の自己活動への転化と従来の制約された交通が真の個人間の交通へ転化することとが、また互いに対応する。<結合した諸個人……同>による総体的生産諸力の占有とともに私有財産は終息する。過去の【P71】歴史においては、つねに一つの特殊な条件が偶然なもの[P162]として現れたのに反し、今や個人間の分離そのもの、各人の特殊な<私的職業……同>そのものが、偶然的なものとなる。
分業に包摂されない個人を、哲学者たちは『人間』という名を付けて理想のようなものと考えた。そして我々によって展開された全過程を『人間』の発展過程として把握した。その結果、全歴史過程における個人が『人間』とすり替えられ、しかもこの『人間』のほうが歴史の推進力であると叙述された。したがって、全過程が『人間』の自己疎外の過程として把握された(傍注※)。これは本質的には、あとの段階の平均的個人がつねに前の段階のそれにすり替えられ、また後代の意識が前代のそれにすり替えられることである。こうして最初から現実的諸条件を捨象する転倒によれば、歴史全体を意識の発展過程に転化してしまうことが可能だったわけである。

(傍注※ 「自己疎外」 マルクス)

<*  *  *  合同版ではここに区切りが入る>

[P163] 【P29】市民社会は、生産諸力の一定の発展段階内での諸個人の物質的交通全体を包括するものである。それは、一定段階の商業上および工業上の生活全体を包括しており、その限りにおいては国家および国民よりもその範囲が広いものを指す。と言ってももちろんやはり一方では、それは外に向かっては国民性として<現われ……同>、内に向かっては国家として自己を編成せざるを得ないのであるが。市民社会という言葉が現れてきたのは、18世紀、すなわち生産諸関係<合同版では「所有関係」>が、古代的および中世的共同体から脱出したときにおいてであった。<市民社会それ自体は……同>、ブルジョアジーの出現とともに始めて発展する。だが、生産及び交通にもとづいて直接に発展する社会組織──あらゆる時代において国家、その他の観念的上部構造の基礎を形作るもの──は、つねにこれと同一の名称≪国家≫をもって呼ばれてきた。
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<[P164] 11 国家および法への所有への関係>
<ナウカ社版では下記の部分の前に「〔Ⅱ〕財産に対する国家および法の関係」というタイトルが入る>

【P61】財産の最初の形態は、古代社会においても、また中世においても、等しく種族財産である。これはローマ人においては主として戦争により、ゲルマン人においては牧畜によって制約されていた。古代諸民族においては、多数の種族が一都市をなして群居した関係上、種族財産は国家財産として、それに対する個人の権利はたんなる占有として、【P62】しかも種族財産一般と等しく、土地所有のみに限られた占有として、現われる。本来の<意味の……同>私有財産は、古代人のもとでも、近代諸民族のもとでも等しく、動産所有とともに始まる。──(奴隷制と共同体と)(≪ローマ≫市民権に由来する所有権)。@
中世から脱して勃興しつつあった諸民族においては、種族財産は種々の段階──封建的土地所有、[P165]組合的動産所有、工場制手工業資本──を経て、大工業と普遍的競争とによって制約された近代的資本、すなわち<共同体所有物という……同>いっさいの外観を脱ぎ去り、財産の発展に対する国家のいっさいの干渉をしりぞけた純粋な私有財産、にまで発展する。この近代的私有財産に対応するものが近代的国家である。すなわち、諸税を通じてしだいに私有財産所有者たちに買い取られ、国債制度を通じて完全に彼らの掌中に帰し、かつ取引所における国債証券の相場の高低という形において私有財産所有者すなわちブルジョアから与えられる商業信用にその存立を依存させられている国家≪すなわちブルジョア国家≫がそれである。@
ブルジョアジーは、彼らが一つの階級であって、もはや一つの身分ではないというだけの理由で、自己をもはや地方的にでなく国民的に組織<せざるを得ず……同>、および彼らの平均的利害に一個の一般的な形態を与えることを余儀なくされた。共同体からの私有財産の解放によって、国家は市民的社会とならび、かつそれの外にある一個の特殊な存在となった。しかしそれは、ブルジョアたちが彼らの財産および彼らの諸利害の相互的保証のために、対外的及び対内的関係において、自己に必然的に与える組織形態以上の何ものでもない。≪市民社会からの≫国家の独立性が今日なお存在しているのは、[P166]まだ諸身分が完全に階級にまで発展するに至らず、先進諸国で除去されてしまった諸身分が今なお相当な役割を演じており、したがって人口のどの部分も残余の部分に対して支配的な地位に到達し得ないような混とん状態が存続している国々においてのみである。このありさまは、ことにドイツにおいて見られる。近代的国家のもっとも完全な実例は、北アメリカである。最近のフランス・イギリスおよびアメリカの著述家たちはことごとく、国家は私有財産のためにのみ存在するものだ【P63】という意見を発表している。それほどこのことは常識化するに至っているのである。
国家とは、支配階級に属する諸個人が彼らの共通の諸利害を主張するためにとる形態であり、また一時代の全市民的社会が自己を総括するためにとる形態であるから、その結果として一切の共通の制度は国家によって媒介され、何らかの政治的形態をとるに至る。だからして、法律が意思に基づく、それも自己の実在的な基礎から切り離された意志としての自由意思に基づくかのような幻想が成立するのである。そうなると、同様にして権利もまた法律に還元される。
私法は私有財産と時を同じくして、自然発生的な共同体の解消のときから発展する。[P167]ローマ人においては、私有財産および私法の発展は、彼らの<全般的な……同>生産方法が変化しなかったため(傍注※)、より進んだ工業上および商業上の諸結果をともなわずに終わった。近代諸民族──そこでは封建的共同体が工業と商業とによって解消させられた──においては、私有財産および私法の成立とともに、より一層の発展に進み得る一つの新局面が始まった。中世において広範な海上貿易を営んだ最初の都市であるアマルフィーは実に海上貿易法をも発達させた<ように……同>。最初はイタリアにおいて、後には他の諸国において、工業と商業とが私有財産をいっそう発展させるや否や、直ちに発達したローマ私法が再び採用され、しかも権威にまで高められた。その後、ブルジョアジーが著しく勢力を得て、その結果諸侯がブルジョアジーを通じて封建貴族を倒すために、ブルジョアジーの利害を容認するようになった時、あらゆる国々において──フランスでは16世紀において──法本来の発展がはじまった。そしてこれは、イギリスを除き、どの国でもローマ法典を基礎として行われたのであった。イギリスにおいても、私法(ことに動産所有権の場合における)の発達を期するためには、ローマ法の諸根本原則が取り入れられなければならなかった(法は、宗教と等しく自己自身の歴史というものを持たない、ということを忘れるな)。[P168]

(傍注※ 「高利貸し」 エンゲルス)

【P64】私法においては、現存する財産諸関係<合同版では「所有関係」>は、普遍的意思の結果として表明されている。しかも使用および乱用の権利≪「私的処分権」≫自体が、一方においては、私有財産が共同体から全く独立させられたという事実を、他方においては、あたかも私有財産自体がたんなる私的意思に、すなわち物に対する恣意的な<合同版では「自由な」>処分権に基づくかのような幻想を言い表わすものである。実践においては、乱用というものは私有財産所有者に対し、もしも彼にとって自分の財産が、したがって自分の乱用の権利が他人の手に移るのを見ることを欲しないならば、きわめて限定された経済上の限界を持ったものとして現れる。なぜなら、一般に物は私有財産所有者の意思に対する関係において見られただけでは、何ら物ではなく、交通においてはじめて、しかも権利から独立に、一個の物に、現実的な財産になるのだから(哲学者たちが理念と名づける一つの関係)(傍注※)。@
──権利をたんなる意思に還元するこの法律的幻想は、財産諸関係の一層の発展につれて必然的に、各人は、現実に物を所持することなしに、物に対して彼の法律的権限を有しうる、という考えにまで進む。たとえば[P169]競争によってある土地の地代が<なくなるとしても……同>、なおその土地の所有者は使用および乱用の権利を含めての彼の法律的権限を持っている。だが彼にとって、たんにそれだけで、ほかに彼の土地を耕すに足るだけの資本を持っていなければ、この権利だけではどうにもしようがなく、彼は土地所有者として、<何も所有しないのと同じである……同>。法律家たちの同様な幻想からなされる説明によれば、個人が相互間の諸関係、たとえば種々の契約を取り結ぶことは、<法律家や、おのおのの法典とはおよそ必然的なつながりがなく……同>、またこれらの関係は、法典の上では、各人が任意に締結し、また締結しないことを得るばかりでなく、まったく当事者の個人的恣意によってその内容が定まるような関係だとみなされている。@
──工業および商業の発展によって、新たな交通形態、たとえば保険、商事会社等々が形成されるたびに、その都度、法はそれらを財産取得様式の一つとして認めざるを得なかった。

[P170](傍注※ 「哲学者たちにとっての関係=理念。彼らは『人間というもの』のそれ自身に対する関係だけを知っているのであり、したがって彼らにとっては一切の現実的な諸関係は諸理念となるのである。」 マルクス)

<このあと原稿の末尾に、マルクスの筆跡で書かれた、以後の仕上げのために予定された覚え書きが続く……合同版の訳注>
<12 社会的意識の諸形態>
<以下はナウカ社版にはない、覚え書き

分業の科学への影響。
国家、法、道徳、等における抑圧の役割。
法律において、ブルジョアは、まさに階級として支配するがゆえに、自己に普遍的表現を与えねばならない。
自然科学と歴史。
[P171]政治、法、科学、等々、芸術、宗教、等々の歴史は存在しない(傍注※)。
(傍注※ 「古代国家、封建制度、絶対王政、のうちに現れるような『共同体』──この絆には、とくに宗教的諸観念が対応する。)
──────

なぜイデオローグたちは、すべてを逆立ちさせるか。
宗教家、法律家、政治家。
法律家、政治家(為政者一般)、道徳家、宗教家。
一つの階級内での、このようなイデオロギー的小区分について、(1)分業による職業の自立化。各人は、自分がたずさわる仕事を、真実なものとみなす。彼らは、彼らの仕事と現実とのつながりについて幻想を抱くが、それは、実は当の仕事の性質そのものによって引き起こされるものであるだけに、それだけいっそう必然な幻想である。諸関係が、法律学、政治学、等々の中で──意識の中で──諸概念となるのである。すなわち、それら諸概念が、その諸関係[P172]を越えていないときには、これら諸関係についての概念も、彼らの頭の中で、固定した概念となっている。たとえば、裁判官は、法典を適用する。それゆえに、彼は、立法を真に能動的な作動者と見なす。自己の商品にたいする尊敬──なぜなら、彼らの職業が普遍的なものを扱うから。
法の理念。国家の理念。通常の意識のなかでは、事態が逆立ちしている。
──────

宗教は、そもそものはじめから、現実的な依存から生じた超越の意識である。
これをもっと通俗的に表現すること。
──────

伝統──法、宗教等の領域における。

<以下、ページ付けのない〔Ⅰ、3〕の覚え書き>
[P173] *  *  *

諸個人は、いつでも自己から出発してきたし、出発している。彼らの諸関係は、彼らの生活の現実的過程の諸関係である。彼らの諸関係が、独立した、彼らに対立する存在を獲得するということがどこから起こるのか? 彼ら自身の生活の諸力が、彼らを支配する諸力となるということは、どこから起こるのか?
一言でいうならば、分業である。その諸段階は、一定の時期に到達している生産力の発展に依存している。
──────

土地所有、共同体的所有、封建的、現代的。
身分的所有。マニュファクチャ所有。産業資本。>

<以上で、合同版訳 終わり>
『フォイエルバッハ・テーゼ』(岩波文庫訳)
<ナウカ社版にはないが、断章として残されている、マルクスのいわゆる『フォイエルバッハ・テーゼ』(岩波文庫訳)を、重要と思われるので引用しておく。ページ{P}は岩波文庫のもの>

{P234} (1)フォイエルバッハについて

(1)
いままでのすべての唯物論者(フォイエルバッハのもふくめて)の主な欠陥は、対象、現実、感{P235}性がただ客観または直観の形式のもとにのみとらえられて、感性的な人間的活動、実践としてとらえられず、主体的にとらえられないことである。したがって活動的な側面は、唯物論とは反対に抽象的に観念論──これはもちろん現実的な、感性的な活動をそのものとしては知らない──によって展開された。フォイエルバッハは感性的な──思想客体から現実的に区別された客体を欲する。しかし彼は人間的活動そのものを対象的活動としてはとらえない。だから彼は「キリスト教の本質」のなかで理論的な態度だけを真に人間的なものとしてみなし、これにたいして実践はその汚らしいユダヤ的な現象形態においてのみとらえられ、固定される。したがって彼は『革命的な』、『実践的・批判的な』活動の意義をつかまない。

(2)
人間的思考に対象的な真理が到来するかどうかという問題は──なにも理論の問題ではなく、実践的な問題である。実践において人間は彼の思考の真理性、すなわち現実性と力、此岸性を証明しなければならない。思考の現実性あるいは非現実性についての論争は、──この思考が実践から遊離しているならば──まったくスコラ的な問題である。

(3)
環境の変更と教育についての唯物論学説は、環境が人間によって変更されなけらばならず、{P236}教育者みずからが教育されなければならないということを、忘れている。したがってこの学説は社会を二つの部分──そのうちの一つは社会のうえに超越する──に分けなけらばならない。
環境の変更と人間的活動あるいは自己変更との合致は、ただ革命的実践としてのみとらえられ、そして合理的に理解されることができる。

(4)
フォイエルバッハは宗教的自己疎外の事実、宗教的な世界と世俗的な世界とへの世界の二重化の事実から出発する。彼の仕事は、宗教的な世界をその世俗的な基礎に解消させることにある。しかし世俗的な基礎がそれ自身から浮き上がって、一つの独立王国が雲のなかに定着するということは、この世俗的な基礎の自己分裂および自己矛盾からのみ説明さるべきである。だからこの世俗的な基礎そのものがそれ自身その矛盾において理解されなければならないとともに、実践的に革命されなければならない。だからたとえば地上の家族が聖家族の秘密として発見されたうえは、いまや地上の家族そのものが理論的および実践的に絶滅されなければならない。

(5)
フォイエルバッハは、抽象的な思考には満足せず、直観を欲する。しかし彼は感性を実践的な人間的・感性的な活動としてはとらえない。

{P237} (6)
フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消させる。しかし人間的本質はなにも個々の個人に内在する抽象体ではない。その現実においてはそれは社会的諸関係の総和である。
フォイエルバッハは、この現実的本質の批判に立ちいらないから、どうしても
(1) 歴史的な経過を無視し、宗教的心情をそれだけとして固定し、そうして抽象的な──孤立した──人間的個体を前提せざるをえない。
(2) したがって本質はただ『類』として、多くの個人を自然的に結びつける内的な、もの言わぬ一般性としてとらえられうるにすぎない。

(7)
したがってフォイエルバッハは、『宗教的心情』そのものが一つの社会的な産物であるということ、そして彼が分析する抽象的な個人が一定の社会形態に属しているということを見ない。

(8)
{P238}すべての社会的生活は本質的に実践的である。理論を神秘主義へ誘い込むすべての秘跡は、その合理的な解決を人間的実践およびこの実践の把握のうちに見いだす。

(9)
直観的唯物論、すなわち感性を実践的活動としてはつかまない唯物論が到達する最高のものは、個々の個人たちと市民社会との直観である。

(10)古い唯物論の立場は市民社会であり、新しいそれの立場は人間的社会あるいは社会的人類である。

──────

(11)哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。大切なのはそれを変革することである。

<以上>

2017年1月22日

久留間鮫造 「マルクスの貨幣成立論」抄録

貨幣論 前篇
マルクスの貨幣成立論
──『マルクス経済学レキシコン』第11巻「貨幣Ⅰ」によせて

【P5】1)「貨幣」の部の編集にあたって
──その構成と編集方針──

О ……「貨幣」の部は大きく二つの篇に分かれます。第1篇が「貨幣の成立」、第2篇が「貨幣または商品流通」です。この第2篇の表題は『資本論』第1部第1篇第3章と同じ表題ですが、そのなかもおおむね『資本論』にそって、「第1章 価値の尺度」、「第2章 流通手段」(Ⅰ 商品の変態、Ⅱ 貨幣の通流、Ⅲ 鋳貨・価値章標)、「第3章 貨幣としての貨幣または第三の規定による貨幣」(Ⅰ 貨幣蓄蔵、Ⅱ 支払手段、Ⅲ 世界貨幣)、の3章に分けられています。そしてこれらのそれぞれがさらに細分されており、たとえば「価値の尺度」は19の項目からなっています。
この「貨幣」の部は4分冊になる予定ですが、今回の「貨幣Ⅰ」は「価値の尺度」までを、次の「貨幣Ⅱ」は続く第2章の「流通手段」を、それぞれ含みます。「貨幣Ⅲ」と「貨幣Ⅳ」との分かれ目がどこになるかは、ページ数などの関係で、まだ決まっておりません。
以下、まず「貨幣」の部の全体についてその特徴などを伺い、その後、「第1篇 貨幣の成立」にかかわるいくつかの問題について先生のご意見を立ち入ってお話しいただき、最後に、価値形態にかんする【P6】若干の個別問題について先生のお答えをお聞きする、という順序で進めたいと思います。
それではまず、「貨幣」の部の全体について伺います。「貨幣」の部の大まかな組み立ては今紹介したとおりですが、先生はどういう観点からこうした構成をとることにされたのですか。
久留間 『レキシコン』の他の大項目、たとえば「恐慌」の部にしても、マルクスがどこにもまとまった形で書いていないテーマについてどのようにまとめていったらいいのかが、編集するさいの難問でした。ところが今度は逆に、「貨幣」についてはマルクスは『経済学批判』で、またその後『資本論』で、まとまった叙述を与えています。これを『レキシコン』でどのように取り扱ったらよいかが問題でした。言うまでもないことですが、『資本論』第1部第1篇第3章のいわゆる貨幣論のところで貨幣の問題は終わるわけではありません。資本の分析に入ってからも、いろいろな形で貨幣が重要な問題として取り上げられています。第1部第1篇第3章で明らかにされた貨幣の諸形態規定や諸法則は、第2部の「資本の流通過程」で、さらに第3部の「資本主義的生産の総過程」、とくにそのうちの第4篇および第5編で考察されている局面で、あるいは変容を、あるいはより具体的な規定を受けとります。こうしたものをどう処理するかが一つの問題でした。
いろいろ考えたあげく、全体の構成としては『資本論』第1部第1篇第3章までの貨幣論の内容を基本とし、それより進んだところで論じられている問題はこのなかに適時組み入れることにしたのです。なぜこのようにしたのかというと、やはりなんといっても、第1、2章での貨幣成立の解明と第3章での貨幣の諸機能の分析とは、古典派経済学者たちがそれの所在にさえ気づかなかったような問題をみごとに解いている大切な部分ですから、もちろんこれを中心に据えなければならない。といって、この部【P7】分をそっくりそのまま収録するのでは、『レキシコン』の独自の意味がなくなってしまう。そこで、全体を二つに分けて、第1篇ではマルクスが『資本論』第1部第1篇「商品と貨幣」の第1章「商品」の第3節「価値形態または交換価値」と、第4節「商品の物神的性格とその秘密」と第2章「交換過程」とで論じていることを、貨幣の成立という見地から独自の表題を設けて採録し、第2篇では、第3章「貨幣または商品流通」の基本的な内容を、いろいろな下位項目を設けて紹介することにし、それらの項目の適宜な個所に、さきに述べたような『資本論』の第2部および第3部(ときには『資本論』以外のもの)からの引用を付け加えることにしたのです。その場合には、項目番号の右肩に’ 、”のように符号をつけて関連を明らかにすることにしました。たとえば、これは次巻での例ですが、「貨幣の通流」の4「貨幣沈殿……」のあとに、4’ として「上述のように抽象的に規定された『貨幣沈殿』は、資本の流通過程では──資本価値のうち貨幣資本の形態でたえず再生産されなければならない一可除部分という──もっと具体的な形態で現われ、したがってまた量的にさらに一歩進んで規定されて現われる」という項目が設けられています。こういうやり方にしたわけです。なお念のために断っておきますが、このようにある表題番号の右肩に’ 、”のような符号をつけたのは右のような場合だけではありませんが、その他の場合についてはあとで話す機会があるかと思いますから、ここでは省きます。
О そのような作業をされる場合、将来編集される「信用」篇のことも考慮されているのですか。
久留間 いや、それは考えていません。というよりも、もう体力もなくなってきているし、「貨幣」篇の次をどうするかということは考えていないので、「信用」篇はこういうふうにしよう、だから「貨幣」篇では……、といったことは考慮に入れなかった、と言ったほうがいいでしょう。たださっき言っ【P8】たように、『資本論』の第1部第1篇で明らかにされている貨幣の諸形態規定や諸法則が信用制度によって変容なり具体的な規定なりを受け取るという事実がある。そういう事実について述べられている個所は、さきに言ったような仕方で、適当と思われる項目のもとに取り入れたわけです。
О 第1篇の「貨幣の成立」の部分を除き、その後の部分では、主要な項目の表題は原則としては『資本論』のそれにならったが、その下位項目は先生独自の判断でそれぞれ表題を付けられたということですが、そのさいどのようなことを念頭においてそれらの表題をつくられたのでしょうか?
久留間 その一つは、誤った解釈がかなり広範に流布しているような場合、第二は、かなり大事なことであるにかかわらず一般に見過ごされていると思われるような場合、第三は、今日の現実の理解にとくに重要と思われる場合、大体そういったような場合です。
О たとえばどういうものを考えられているのでしょうか。
久留間 第一のものとしては、たとえば「流通手段」のところに「流通にあっては諸商品の価格規定が前提されている」という項目を設けましたが、これは、宇野君が貨幣の第一の機能は購買手段としての機能であって価値尺度の機能ではない、といってマルクスに反対しているので、その誤りを正す意味のものです。これは一例にすぎませんが、ここではそれにとどめます。
それから第二の「かなり大事なことであるにかかわらず一般に見過ごされている場合」については、一般にといってもその範囲がいろいろあって一概には論じられないから、ここでは例示することは差し控えます。
それから第三の「今日の現実の理解にとくに重要と思われる場合」ですが、たとえばインフレーショ【P9】ンやその国際的な影響、いわゆる国際通貨危機、金の廃貨という考え、等々、こうした問題について直接答えを与えるものではもちろんないが、それらを正しく解明するのに手がかりとなると思われることも多少は収録したつもりです。今度の「貨幣Ⅰ」に入る部分では、たとえば「9’ 9で立てられた命題が妥当するのは、同じ時点での異なった商品価値の比較が問題となっている限りのことである。価値の自立化が蓄蔵貨幣、支払手段、資本という諸形態でさらに展開され、異なった諸々の時点における価値の大きさの比較が問題となる場合には、それはもはや妥当しない」というという項目、すぐそれに続く「9” 貨幣材料の減価とそれが資本主義的生産に及ぼす影響との、歴史的著名な諸例」という項目、これらの項目はインフレーションの問題を考えるときに役に立つと思いますし、また円、ドル、ポンド、等々の貨幣名についての混乱した議論を基本的な点から見直すのに、次の諸項目が何らかのヒントを与えるかもしれません。つまり、「11 金属重量の貨幣名の、その当初の重量名からの分離」、「13 ポンド、ターレル、フラン、等々の貨幣名では、価値関係のいっさいの痕跡が消えてしまう。、「18 観念的価値尺度という表象の批判」、などの項目です。今は、「世界貨幣」の部分の最終的なまとめにかかっていて、そのなかで為替相場の問題をどう取り扱うか、苦心しています。それもやはり、現代の問題の解明に多少とも役立つものにしたいからですね。
О さっき先生は「ある表題番号の肩に’ 、”のような符号をつけたのは、今言ったような場合だけではないが、そのような場合についてはあとで話す機会があるかもしれない」と言われましたが、そのような場合について、どのようなものがあるかを、このへんで話していただきましょう。
【P10】久留間 たとえば「価値尺度」の9は「貨幣材料の価値変動は、価格の度量基準としての貨幣の機能をも、価値尺度としての貨幣の機能をも損なうものではない」というのですが、このあとに9’ として、「9で立てられた命題が妥当するのは、同じ時点での異なった商品価値の比較が問題となっている限りでのことである。価値の自立化が蓄蔵貨幣、支払手段、資本という諸形態でさらに展開され、異なった諸々の時点における価値の大きさの比較が問題となる場合には、それはもはや妥当しない」という項目があります。これは別の見地からさきにすでに問題にしましたが、項目9との関連からいえば、9の内容を見ただけではとんでもない間違いにおちいるおそれがある。9’ をあわせ読んではじめて正しい認識が得られる、といったような場合です。それから、それに続く9”の項目「貨幣材料の減価とそれが資本主義的生産に及ぼす影響との、歴史的に著名な諸例」は、現在流行の不況打開策としてのインフレーションを問題にする場合に参考になりうると考えて設けたものです。ただしその場合、現在の経済情勢についての十分批判的な認識の上にたって参考にする必要があることは言うまでもありません。
О 「支払手段」のなかの「4 所与の期間に流通する貨幣の総額」のあとに、「4’  流通貨幣量の周期的変動」、「4”資本主義的生産の発展とともに完成されていくさまざまの機構による貨幣の節約」、の2項目を置き、このそれぞれがさらに細分されていますが、これらは、いちばん最初にあげられた、簡単な商品流通のところで明らかにされた抽象的な法則が資本主義的生産関係のもとでより具体的な規定を受け取る場合の重要な例と考えたらよいのでしょうね。
久留間 そうです。そういうことを考慮に入れて編集したことが、『レキシコン』の貨幣の部の一つの特徴になっています。これが研究者の役にたてば幸せだと思っています。

【P11】2)「貨幣の成立」についての問題設定とその解明
──どのようにして、なぜ、なにによって──

О 「貨幣」の部の全体についてはそれぐらいにして、次に「貨幣Ⅰ」の内容、とくに「第1篇 貨幣の成立」に関連する問題に入ることにいたします。
貨幣の成立について、さらに具体的に言えば、『資本論』における価値形態論、物神性論、交換過程論のそれぞれの課題と内容、それら相互の関連について、先生と宇野弘蔵氏との論争以降も、多くの論者がさまざまな議論をしています。一方では、あの論争のなかで宇野氏が主張した基本的な点はそのまま引き継ぎながらも、ますます分岐、多様化しつつある、宇野派の人たちの諸々の見解があり、他方では、久留間説を原則的には正しいとしながらも、個々の点での修正の必要を唱える見解もかなり見られます。後者に近いように見えながら、根本的な違い(ないし無理解)を示しているものもあるようです。もちろんこのほかにも、久留間・宇野両説を根本から乗りこえたと自負する論者が少なからずあるわけです。こうしたものを全部数え上げたらその量は相当なものになるでしょう。先生は、今度の「貨幣の成立」の編集にあたって、それらのものをどの程度意識されていたのでしょうか。またどのようなものに注目なさってきたのでしょうか。
久留間 ぼくは日頃そうしたものをほとんど読んでいません。だから、どんな議論があるかをよ【P12】く知ったうえで編集したわけではありません。ただ、著書や抜き刷りなど貰ったのがかなりたくさんありますが、『レキシコン』の編集を始めてからはその仕事が精一杯で、せっかく送ってもらっても、たいていの場合には、それらをゆっくり読む余裕がなかったのです。それらのうちのあるものをある程度念入りに読んだのは、今度の『レキシコン』の「貨幣Ⅰ」の栞の「談話室」のために君がいろいろな質問項目を立てて、それに対する解答を書くことをぼくに命じた、その質問項目のなかに、ぼくの『価値形態論と交換過程論』に対する批判論文を問題にしているものがいくつかあったので、それに答えるためにそうした批判論文をあらためて読んでみた、そういうケースが多かったのです。ですから、今度の「貨幣Ⅰ」を編集する際にはそういう論文はほとんど念頭に置かなかったと言っていいでしょう。これらの論文でのぼくへの批判に対するぼくの解答は、かねて君が出された質問項目へのぼくの答えのところに出てくるでしょう。
О では、「第1篇 貨幣の成立」の内容に入っていくことにしましょう。第1篇には、まず、「貨幣の成立について、マルクスはどのように問題を設定したか?──『どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか?』という序章があり、これを受けて続く三つの章で、それぞれ、どのようにして、なぜ、なにによって、という三つの問いを取り上げるという構成になっています。これは、『経済学批判』や『資本論』でのマルクスの表題には見られないものですね。
久留間 そうです。どうして『資本論』での表題をそのまま取り入れなかったのかというと、第一には、そもそもマルクス自身が「貨幣の成立」という独立の部分を設けていないからです。マルクスは商品を分析して、商品世界の中から必然的に貨幣が生まれてくることを明らかにしているのですが、そ【P13】れは『経済学批判』では「第1章 商品」のなかで、『資本論』では「第1章 商品」と「第2章 交換過程」──この二つの章は『経済学批判』の第1章にあたります──のなかで行われています。『資本論』では、第1章第3節の「価値形態または交換価値」、第4節の「商品の物神的性格とその秘密」、第2章の「交換過程」、この三つの部分が貨幣の成立に直接関係する部分ですが、そのどれもが「貨幣の成立」を直接に主題としているわけではありません。貨幣を直接の主題として論じている『資本論』の第3章「貨幣または商品流通」──『経済学批判』では「第2章 貨幣または単純な流通」──の場合とは違うのですね。ですから、第1、2章での貨幣への言及をまとめるには、『資本論』や『経済学批判』にはない独自の表題を立てなければなりません。それが“全体として”「貨幣の成立」という表題にふさわしいものであることにはおそらく異論がないことと思いますが、それをさらにどのように整理したらよいか、どのような表題を立てればよいか、ということが問題になります。人によっては、「価値形態論」、「物神性論」、「交換過程論」といった、『資本論』に見られる表題と結びつけた表題を立てることを考えるかもしれません。そういうやり方ができないとは思いませんが、ぼくの場合には、どのようにして、なぜ、なにによって、という三つの柱を立てることにほとんど躊躇はありませんでした。ぼくはやはり、マルクスの、「困難は、貨幣は商品だということを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか、ということを理解することにある」(『資本論』Ⅰ、107頁)という言葉が、貨幣生成についての彼の研究の内容を最もよく示していると思うのです。ですから、“貨幣の成立という観点から”第1、2章でのマルクスの叙述を見る場合には、【P14】どのようにして、なぜ、なにによって、という三つの問いを立てることが、最もマルクスの真意にかなう仕方ではないかと思います。これが、『資本論』での表題をそのまま取り入れなかった、第二の積極的な、理由です。
О 第1、2章でのマルクスの貨幣にかんする叙述をどのように読んだらよいのかということについては、すでに『価値形態論と交換過程論』で先生が詳しく、しかも明快にお書きになっています。その「前篇」の冒頭で先生は次のように、『資本論』の初めの部分を読んで当然おきてくるであろう疑問を示されています。
〈「資本論」の最初の部分の構成を見てみると、第1章が「商品」で、これが四つの節に分かれている。第1節が「商品の二つの要因、使用価値および価値」、第2節が「商品で表示される労働の二重性格」、第3節が「価値形態または交換価値」、第4節が「商品の物神的性格とその秘密」。それから章が変わって、第2章が「交換過程」、その次の第3章が「貨幣または商品流通」となっている。この構成を見ているといろいろな疑問が起きてくる。貨幣という言葉は、表題では、第3章の「貨幣または商品流通」のところにはじめて現われてくる、これがいわゆる貨幣論にあたるものと考えられる。しかし内容を見ると、その前にすでに貨幣に関するさまざまな議論が展開されている。第一は価値形態論、第二は物神性論、第三は交換過程論で、すべて貨幣が出てくる。一体これらは、第3章の貨幣論に対してどういう関係に立つのか、こういう疑問が当然おきてくる。第3章の貨幣論は本格的な貨幣論で、それ以前のものは序論的なものだと考えるのが当然のように思われるが、それでは一体、序論といい本論といい、その間にどういう本質的な区別があるのか、【P15】これがはっきりしないと具合がわるい。それから第二には、この第3章以前の貨幣に関する議論は序論的なものだとして、この今あげた三つのもの、すなわち価値形態論と物神性論と交換過程論、これらは序論としてそれぞれどういう特殊な意味をもっているのか。これがまた疑問のたねになる。そしてこれが分からぬとやはり具合がわるい。それから第三には、序論に当たると考えられる以上の三論のうちで、価値形態論と物神性論とは、「資本論」の現行版でいうと、第1章「商品」のうちのそれぞれ一つの節をなしているのに対して、交換過程論は、この商品論の全体と並ぶ位置を与えられて、第2章になっている。しかも頁数を見てみると、今あげた第1章のどの一節よりもはるかに少ないのである。にもかかわらず、それらの全部をふくむ第1章と対等な地位を与えられている。これは一体どういうわけなのか。これがまた疑問のたねになる。(『価値形態論と交換過程論』、岩波、1頁)〉
これらの疑問に対して、同書の「前篇」の終わりのところで先生は次のように答えられています。
〈すでに述べたごとく、第1章「商品」は、商品の分析による研究の場であり、そして商品の分析は、当然、生産物が商品として現われる形態の分析によって行なわれるのであるが、この分析に当たっては、まず第一に、商品は二重のものであるということ、すなわち使用価値でありかつ交換価値であるということが明らかにされる。だがこのうちの使用価値の方については、立ち入った考察は行なわれない。それは社会的生産関係の担い手にはなるが、それ自体としてはなんらの社会的生産関係を表わさないからである。したがって、より以上の考察はもっぱら交換価値について進められることになる。ところで、交換価値の最も簡単な姿は、x量の商品A=y量の商品B である。そこ【P16】でマルクスは、これを分析していくのであるが、彼は最初にまず、この式の両辺に置かれている商品は使用価値としては異なっているのにここでは等しいとされているという点に注目して分析を進め、両者に共通なものは何であり、その大きさは何で決まるかを究明する。これが第一節「商品の2要因──使用価値と価値(価値の実体、価値の大いさ)の研究である。次の第2節「商品で表される労働の二重性格」は、第1節の分析で、商品の2要因としての使用価値と価値の区別と、価値を形成する労働の抽象的性格とが明らかになったので、さらに一歩を進めて、使用価値を形成する労働と価値を形成する労働との──同じ商品を生産する労働の二重性格としての──対立的関係を明らかにしたものであり、第1節の分析をさらに徹底させたものと見ることができる。ところが、第3節──「価値形態」──では、やはり同じ等式が分析されるのではあるが、その視角が違っている。すなわちさきには、両辺の商品には同じ大きさのある共通のものがなければならないという見地から分析が行なわれ、それが何であるかが究明されたのに反して、ここでは、両辺にある商品が等式内で演じている違った役割に、すなわち左辺にある商品の価値が右辺にある商品の使用価値で表示されているのだという点に注目して、分析が行なわれ、商品の価値がいかにして他商品の使用価値で──進んでは貨幣商品の一定量という形で一般に──表示されうるかが究明されているのである。ではその次の第4節──これが問題の物神性論、正確には「商品の物神的性格とその秘密」であるが──はどうかというと、これもまた同じ等式の分析であるが、その観点がもう一つ違っている。すなわち、「価値の実体」のところでは、この等式で表現されているものが“何であるか”が問題にされ、「価値形態」のところでは、その表現の“いかにして”が問題にされて【P17】いるものとすれば、ここではその“なぜ”が問題にされているのだと言うことができるであろう。マルクスがそこで言っているように、「なるほど経済学は、不完全にではあるが価値および価値の大いさを分析して、これらの形式のうちにかくされている内容を発見した。だが経済学は、“なぜ”この内容がかの形式をとるか、すなわち“なぜ”労働が価値において、またその時間的継続による労働の度量が労働生産物の価値の大いさにおいて、自らを表示するか? という問題を、かつて提起したことさえもない。」〔『資本論』Ⅰ、94頁〕この、かつて提起されたことのない問題を、マルクスはここで問題にしているのである。そしてこれを論じることは同時にまた、なぜ商品の価値は──この商品の価値は何労働時間であるというふうに──直接労働時間では表示されないで、その商品に等置される他商品の物量という形で、そして結局においては、現にわれわれが見るごとく貨幣商品──金──の分量、すなわち金何円という形で表示されざるをえないのか、という問題を論じることにもなるわけであるから、とくに貨幣への関連について言えば、価値形態論では貨幣の「いかにして」が論じられているのに対して、物神性論ではその「なぜ」が論じられているのだと言うこともできるであろう。
なお、これらに対する交換過程論の特徴は、さきに価値形態論と交換過程論との差異を論じるさいに述べたところを想起されればおのずから明らかであると思うのであるが、念のためにいま一度くり返すと、そのさいわたくしは次のように述べたのである。「資本論」の第1章は商品の分析による研究の場であり、そして商品の分析は、当然、生産物が商品として現われる形態の分析によって行なわれるが、そうした形態そのものが問題である限りでは、商品はまだ運動の過程にはない。【P18】使用価値として、それを必要とする他の商品所有者の手に移っていく過程にもなければ、価値として、所有者の必要とする他の商品に現実に転化する過程にもない。言葉をかえて言えば、使用価値としても価値としても、実現はまだ問題にならず、したがって、そういう二重のものとしての実現のあいだの矛盾の関係もまた、問題にはなりえない。だからまた、そのような矛盾を媒介するものとしての貨幣の必要もまた、問題にはなりえない。すべてこれらのことは、交換の過程においてはじめて問題になるのである。価値形態論でも貨幣の形成が論じられるが、そこでの問題は貨幣形成の「いかにして」であって、「なにによって」ではない。言葉をかえて言えば、特殊の一商品である金が“いかにして”一般的等価物に──すなわち、その自然形態がそのまま価値として通用するものに──なるかであって、そういうものが“なにによって”必要とされ、形成されるかではない。@
──大体以上のように前には述べたのであるが、今やわれわれは次のように言うことができる。価値形態論では貨幣の「“いかにして”」が論じられ、物神性論ではその「“なぜ”」が論じられるのに対して、交換過程論ではその「“なにによって”」が論じられるのであると。マルクス自身も、「資本論」の第2章「交換過程」の終わりに近いところ(それは第3章の貨幣論の直前のところであり、したがってまた、第3章以前の貨幣に関する考察の最後のところにあたる)にこう書いている。「困難は、貨幣が商品であることを把握する点にあるのではなく、いかにして、なぜに、なにによって wie,warum,wodurch 商品が貨幣であるかを把握する点にある。」〔同前、107頁〕ここでのこれらの三つの困難の指摘が、同時に、彼自身が見事にそれらを克服したことを暗示していることは明らかであるが、どこでそれをなし遂げたかについてはなんらの暗示を与えていない。わたくしは、【P19】この「“いかにして”」と「“なぜに”」と「“なにによって”」とが、それぞれ、第1章の第3節と第4節と第2章で答えられているものと解するわけであるが、これによるとマルクスは、ここで三つの困難を指摘したさいに、彼がそれらを「資本論」で克服した順序にしたがってあげたのだ、ということになるであろう。……
最後に、以上考察した三論と第3章「貨幣または商品流通」との関係が問題になる。第3章は本格的な貨幣論でそれ以前のものは序論的なものと考えるのが当然であるにしても、この場合序論と本論とのあいだにはどのような本質的な区別があるのか。これも、表題にかかげたテーマの範囲外のことであるが、最初にあげた問題点の一つなので、簡単にわたくしの考えをつけ加えておくことにしよう。わたくしの見るところでは、貨幣は第3章になってはじめて、一定の機能を行なうサブジェクト<主体>として現れることになる。第一章および第2章では、サブジェクトとして現われるのは商品であって貨幣ではない。貨幣はたんに、商品がその矛盾を媒介するために必然的に作り出すものとして出てくるにすぎない。ところが第3章では、このようにしてつくりだされた貨幣が、今度は一定の機能をおこなう主体として現れることになる。両者のあいだの本質的な違いは、一言にしていえば、こういう点にあるものということができると思うのである。(同前、38頁)〉
これで、先生のお考えの基本はよく分かり、したがって、「貨幣Ⅰ」の二篇構成と第一篇の構成の意味も理解できると思うのですが、これになにか付け加えていただくことがあるでしょうか。
久留間 ぼくの考えはそのときと変わっていないのですが、そこでは強調しなかったけれども当時か【P20】らすでに考えていた一つのことをつけ加えましょう。
今読んでくれたところで、ぼくは、第一節でも第3節でも、交換価値の最も簡単な姿である x量の商品A=y量の商品B という等式が、ただしそれぞれ異なった視角から、分析されているのだと書いています。しかしもちろん、この等式は商品生産社会に生活する人々の目に直接に映じる商品の姿から、分析の対象を純粋にとらえるために抽象されてきたものです。人々の目に直接見えているのは、言うまでもなく x量の商品A=y量の貨幣商品 という商品の姿、つまり商品の貨幣形態、価格形態です。これはつづめて言えば、商品=貨幣 という形態でしょう。価値形態、物神性、交換過程の分析は、この貨幣形態に関連させて言えば、この形態の、どのようにして、なぜ、なにによって、を明らかにするものだと言えるのです。マルクスは物神性論のところで次のように書いています。
〈人間生活の諸形態についての省察は、したがってそれらの科学的分析もまた、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それらはあとから、したがってまた発展過程のできあがった諸結果から、始まる。……こうして、価値の大きさの規定をもたらしたものは“商品価格の分析”にほかならなかったし、商品の価値性格の確定をもたらしたものは“諸商品の共通な貨幣表現”にほかならなかった。(『資本論』Ⅰ、89頁)〉
そこで、すでに17世紀から、商品の価格を分析して、貨幣が商品であることを強調する経済学者も出現するのですが、しかしその後マルクスに至るまで、誰一人として、「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」ということを解明できなかったのです。だからマルクスは、
〈……貨幣は商品だ、ということが一つの発見であるのは、ただ、貨幣の完成した姿から出発して【P21】この姿をあとから分析するものにとってだけなのである。……すでに17世紀の最後の数十年間に貨幣は商品だということが知られていたのは、貨幣分析の端緒として上出来ではあったが、それはやはり端緒にすぎなかった。困難は、貨幣が商品だということを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか、ということを理解することにあるのである、(『資本論』Ⅰ、105頁)〉
と書いたのでした。マルクス以前、とくに古典派経済学者たちがなぜこのように問題を設定できなかったのか、したがってこの問題を解決することができなかったのかについては、「貨幣Ⅰ」の第1章のⅠの2の「なぜ、ブルジョア経済学者たちは、問題を解くことはおろか、このような正しい仕方で問題を設定することさえできなかったのか?」という項目を参考にしてもらうことにして、ここでは省略しますが、大切なことは、マルクスも結局のところ、商品の価格形態を分析しているのだという点です。
О 今度の第一篇の表題では、どのようにして、なぜ、なにによって、という三つの疑問詞に、同じ「商品は貨幣であるのか」という文章がつけられるのではなくて、それぞれ独自の文章がつけられていますね。<『レキシコン』の>第1章は「どのようにして、貨幣は成立するのか」ですし、第2章は「なぜ、商品の生産に社会的に必要な労働は商品の価値という形態を取り、また商品の価値は貨幣という形態をとるのか」となっており、第3章は、「どのような事情によって貨幣の形成が必然となるのか、また、どのような実践によって、貨幣が形成されるのか」とされています。これはそれぞれの内容を立ち入って示そうということでしょうか。
久留間 マルクスの、「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」という問題【P22】提起のそれぞれがもつ独自の意味を──三つの疑問詞自体が基本的には示していると言えますが──さらにはっきりと明示しようとしたのです。もちろんそれは、この三つの問題が解明されているそれぞれの個所で論じられていることにもとづいているわけです。『レキシコン』では表題だけが頼りですから、表題を見れば内容がある程度分かるようにしたいので、このようにしてみました。

3)「貨幣の謎」とはどういうことか
──林直道氏の諸節に関連して(1)──

О そのさい、林直道氏の「貨幣の謎」についての所説なども考慮に入れられていたのですか?
久留間 「貨幣の謎」についての所説というのは、例の論文のことですか?
О ええ、そうです。『経済学雑誌』第73巻第5・6号(1972年12月)に掲載された「いわゆる『貨幣の謎』について──いかにして、なぜ、何によっての問題──」という論文です。
久留間 そういう表題だったことは覚えていませんでしたが、「いかにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」という設問の全体が「貨幣の謎」だというのですか?
О はい、林氏は「まえおき」のなかで、その問題を、「以下『貨幣の謎』の問題と略称したい」(同誌、104頁)と書かれ、そのあとの表題も「『貨幣の謎』究明の意義」とされています。全体【P23】の表題では「いわゆる」という言葉がつけ加えられており、また『』という引用符をつけて使われていますが、それはこういう呼び方が誤っているという含みでのものではないようです。本文のなかでも、同じ主旨のことが何度も出てきます。
久留間 はあ、そうでしたか。だがそうだとすると、なぜそれを「貨幣の謎」だと言うのか、ぼくにはちょっと理解できない。まず第一に、「謎」と言うと、まずわれわれの頭にピンとくるのは、問題がすなおな形で提出されないで、ひねくれた形というか迷導的な形というか、答えにくい形で提出されている場合です。しかし、「いかにして、なぜ、なにによって商品は貨幣であるのか?」というのは、けっしてひねくれた、人を惑わすような設問ではなく、そのものずばりの設問です。しかし「謎」には、このほかに、容易に解きにくい事柄という意味もあります。そういう意味では、「いかにして、なぜ、なにによって商品は貨幣であるのか?」は、なるほど難解な事柄であり、謎と言っていいでしょう。しかし林氏は、『資本論』の第一部のフランス語版はマルクスが徹底的に手を入れてできたものだから、もとのドイツ語版よりもよくなっているはずだという見地から、問題の個所がフランス語版ではどうなっているかを検討し、それがドイツ語版とかなり違っていることを発見する。すなわちドイツ語の原文では wie,warum,wodurch Ware Geld ist(いかにして、なぜ、なにによって商品は貨幣であるのか)とあったのが、フランス語版では、comment et pourquoi une marchandise devient monnaie (いかにして、なぜ、一商品が貨幣となるのか)になっていることを発見する。そしてその場合の「一商品」は金を意味しているのだと言うのですね。だがそうだとすると、「なぜ金が貨幣になるのか?」という設問は、人を惑わすような、ひねくれた設問でもなければ、容易に答えられない難問でもないことに【P24】なります。「金が貨幣になるのは、それの物質的性質が貨幣の機能に最も適した商品だからだ」、といって簡単に答えられるからです。したがって、それはどのような意味でも「謎」ではないことになります。だがもし仮に、 une marchandise の une を金とまで言わないで、氏が一応訳されているように「一商品」=「一つの商品」(この場合 une は不定冠詞としてではなく、数詞として解されている)と言うにとどめたらどうか、ということになると、その場合には、貨幣には一つの商品がなるべきで、二つまたはそれより多くの商品がなってはならない、ということを言っていることになります。たとえば、複本位制ではなぜうまくいかないか、といったようなことを問題にしていることになるでしょう。だとすると、これまた、べつに謎と言うほどの問題ではないことになるでしょう。
では、マルクス自身は「貨幣の謎」をどのようなものと解しているのでしょうか? 彼は『資本論』の第2版で、「価値形態または交換価値」の前文にあたる部分に次のように書き加えています。
〈だれでも、ほかのことはなにも知らなくても、諸商品がそれらの使用価値の雑多な自然形態とはきわめて著しい対照をなす一つの共通な価値形態をもっていること、すなわち貨幣形態をもっていることは知っている。けれども、ここでなし遂げられねばならない肝心なことは、ブルジョア経済学によっては試みられることさえなかったこと、すなわちこの貨幣形態の起源(Genesis)を明らかにすること、つまり、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も簡単な最も目立たない姿から光まばゆい貨幣形態にいたるまで追跡することである。“これによって、同時に、貨幣の謎(Geltratsel)も消え去るのである”。(『資本論』Ⅰ、62頁)〉
ここでマルクスが「貨幣形態の起源を明らかにすること、つまり、諸商品の価値関係に含まれている【P25】価値表現の発展をその最も簡単な最も目立たない姿から光まばゆい貨幣形態にいたるまで追跡すること」、と言っているのは、さっきの設問の仕方で言えば、「いかにして商品は貨幣であるのか」という問題を解明することでしょう。その解明によって、「同時に貨幣の謎も消え去る」のです。ここで言う「貨幣の謎」がどのような事柄を指しているかは、マルクスが他のいろいろのところで書いているところから知ることができますが、ここにそのなかからいくつか引用してみましょう。
〈ところでこの物神的性格は、“等価形態においては”相対的価値形態におけるよりも顕著に現われてくる。一商品の相対的価値形態は媒介されている、すなわち他の商品に対するその商品の関係によって媒介されている。この価値形態によって、商品の価値は、その商品自身の感覚的な定在とは全く違ったものとして表現されている。このことのうちには同時に次のことが、すなわち、価値存在は物自身には無縁な関連であり、したがって、他のある物に対するその物の価値関係は、その背後に隠されている一つの社会的関係の現象形態でしかありえない、ということがある。“等価形態については逆である”。“等価形態とは、まさに、一商品の物体形態すなわち自然形態が直接に社会的形態として、他の商品のための価値形態として意義をもつ、ということなのである”。だから、われわれの交易のなかでは、等価形態をもつということが物の社会的な自然属性として、その物に生まれながらに具わる属性として現われ、したがって、他の諸物と直接に交換可能であるということが、その物が感覚的にそこにあるのと同様のこととして現われる。ところが、商品Aの価値表現の内部では等価形態が生まれながらに商品Bに具わっているために、等価形態はこの関係の外部でも商品Bに生まれながらに具わっているように見える。ここからたとえば“金の謎的な性格”が生じ【P26】るのであって、“金は、それがもつ他の自然諸属性”、すなわちその光り輝く色、その比重、その非酸化性、等々“とともに、等価形態をも”、すなわち他のすべての商品と直接に交換可能であるという社会的な質をも、“生まれつきもっているように見える”のである。(『資本論』Ⅰ、初版、774頁)〉
〈ある一つの商品、たとえばリンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値存在を、リンネルの身体やその諸属性とは全く違ったものとして、たとえば上着に等しいものとして表現するのだから、この表現そのものは、それが或る社会的関係を包蔵していることを暗示している。“等価形態については逆である。等価形態とは、まさに、ある商品体、たとえば上着が、このあるがままの姿の物が、価値を表現しており、したがって生まれながらに価値形態をもっている、ということなのである”。いかにも、このことは、ただリンネル商品が等価物としての上着商品に連関させられている価値関係のなかでのみ妥当することである。しかし、ある物の諸属性は、その物の他の諸物に対する関係から生じるのではなく、むしろこのような関係のなかではただ実証されるだけなので、上着もまた、その等価形態を、直接的交換可能性というその属性を、重さがあるとか保温に役だつとかいうその属性と同様に、生まれながらにもっているように見える。ここから“等価形態の謎的な性格”が生じるのであるが、“それは、この形態が完成されて貨幣となって経済学者の前に現われるとき、はじめてそのブルジョア的に粗雑な目を驚かせることになる”。そのとき、彼はなんとかして“金銀の神秘的な性格”を説明しさろうとして、金銀のかわりにもっと眩しくないいろいろな商品をもち出し、かつて商品等価物の役割を演じたことのあるこれらいっさいの商品賎民の目録を復唱し、そのたびにいつでも満足を新たにする。“彼は、 20エレのリンネル=1着の上着 というような最も簡単【P27】な価値表現がすでに等価形態の謎を解かせるものなのだ、ということには気がつかないのである”。(『資本論』Ⅰ、71頁)〉
〈われわれが見たように、すでに x量の商品A=y量の商品B という最も簡単な価値表現にあっても、他の一つの物の価値の大きさがそれで表わされるところの物は、その等価形態をこの連関にはかかわりなくもっているかのように見える。われわれはこの間違った外観の固定化を追跡した。この外観は、一般的等価形態が一つの特殊的な商品種類の自然形態と癒着したとき、言い換えれば貨幣形態に結晶したとき、完成しているのである。他の諸商品が全面的にそれらの価値を一商品で表わすがゆえにはじめてこの一商品が貨幣になる、とは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるがゆえに、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。媒介する運動は、運動それ自身の結果では消えてしまって、なんの痕跡も残してはいない。諸商品は、自らなにもすることなしに、自分自身の価値姿態が、自分の外に自分と並んで存在する一つの商品体として完成しているのを見出すのである。これらの物、金銀は、地の底から出てきたままで、同時にいっさいの人間的労働の直接的化身である。“ここから貨幣の魔術が生じる。人間の社会的生産過程における彼らの単なる原子的なふるまいは、したがってまた彼ら自身の生産諸関係の・彼らの統御や彼らの意識的な個人的行為からは独立した・物象的な姿は、まず第一に、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるということに現われる。それゆえ、貨幣物神の謎は、ただ、人目に見え人目をくらますようになった、商品物神の謎でしかないのである。(『資本論』Ⅰ、107頁)〉
【P28】これらの引用から分かるように、マルクスが「謎」」と言っているのは、等価形態におかれる商品の自然形態が、そして発展すれば金銀の自然形態が、直接的な交換可能性という全く社会的な性質を生まれながらにもっているように見える、ということです。そして「金銀の謎的な性格」は「等価形態の謎的な性格」の発展したものであり、この謎を解く基本的な鍵は簡単な価値形態の分析のうちに見出されるべきであるにかかわらず、ブルジョア経済学者はそのことに気がつかないで、「金銀のかわりにもっと眩しくないいろいろな商品をもち出し、かつて商品等価物の役割を演じたことのあるこれらいっさいの商品賎民の目録を復唱」することによって、貨幣の謎を解いたつもりでいるが、この謎はそのようなことで解ける性質のものではない、というわけです。

О 今のご説明によって、先生がかつて、『価値形態論と交換過程論』で「貨幣の謎」と言われたものの内容とマルクスの叙述との関連が、よく分かるように思いました。先生は「貨幣の謎」についてこう書いておられました。
〈一般に商品の価値というものは、常に、その商品に等しいと置かれる他の商品の使用価値、すなわち物としての形態で表わされる。これは発展して貨幣形態、現にわれわれが見る価格の形態になるわけであるが、そうなると、すべての商品の価値は金の一定量という形で表わされることになる。現にわれわれはすべての商品の価値を金何円という形で言い表しているが、この「円」というのは、貨幣の場合に特有な金の重量の単位名で、もともと貨幣法で金2分を円と名付けたものである。すなわち金何円というのは、分とか匁とかの普通の重量単位の代わりに、貨幣の場合にかぎって用いられる円という重量単位名で言い表した、金の分量に他ならない。この金【P29】の分量によって、商品の価値は──その価値性格と価値量とが──現に表示されている。ここに“貨幣の謎”がある。“物としての金の分量が商品の価値を表わすということ”、これは一体どのようにして可能であるのか。これをマルクスは問題にしたのである。(『価値形態論と交換過程論』、6頁)〉

そこでひとつ、伺いたいことがあります。先生は『価値形態論と交換過程論』では、「貨幣の謎」のほかに、それとは区別して「貨幣形態の謎」ということを書いておられます。これについては、マルクスはそんなことは言っていないのではないか、という批判があるのです。この点はどうお考えでしょうか。なお、先生がこの二つの謎をどのようなものと考えておられたかは、次の引用のなかに見られるとおりです。
〈「資本論」における価値形態論の目的は、商品の価格すなわち“貨幣形態の謎”を、そしてそれと同時にまた“貨幣の謎”を解くことにある。ここに“貨幣形態の謎”というのは、一般に商品の価値が特殊の一使用価値──金──の一定量という形態で表現されることの謎であり、“貨幣の謎”というのは、この場合金の使用価値──本来価値の反対物たるもの──がそのまま一般に価値として妥当することの謎である。これらの謎は、従来何ぴとによっても解かれなかったのみでなく、謎であることさえ本当には理解されなかったのであるが、マルクスはこれを「資本論」において価値形態の問題として設定することによって、はじめて徹底的に解明したのである。すなわち彼は、何よりもまず、貨幣形態は発展した価値形態であり、“貨幣形態の謎”は“価値形態の基本的な謎”の発展したものに他ならないことを看取したのである。そこで彼は、貨幣形態を遡及分析してその原基の形態──簡単【P30】な価値形態──に還元し、そこに“貨幣形態および貨幣の謎”の核心を発見したのである。商品の価値はそれに等置される他商品の使用価値で表示されるということ、そしてそのさい、この他商品の使用価値は、それを自らに等置する商品にとって価値の形態になるということがこれである。これこそは、いわば“価値形態そのものの謎”であり、“貨幣形態および貨幣の謎”の根本であり、これが解かれないかぎり後者の謎は解かれようがなく、これが解かれさえすれば後者の謎は容易に解かれうるのである。貨幣形態を直接観察したのでは問題はこういうふうには現れない。そこでは、すべて商品の価値は独自の一商品──金──でのみ表示され、したがって、この特権にもとづく金に独特な神秘的性格が直接の問題として前景に押し出されてくるからである。簡単な価値形態においてはじめて、商品の価値はそれに等置される他商品の使用価値で表示されるという事実が、如実に現われ、したがって、いかにしてそういうことが可能であるかという、基本的な問題が、純粋な形で提起されうることになる。マルクスが「簡単な価値形態」のところで論じている中心的な問題もまた、実にこの問題に他ならない。(同前、4頁)〉
久留間 「貨幣形態の“謎”」という言葉をマルクスが使っていないかどうか、ぼくとしては別に気にかけて調べたことがないのですが、使っていないといってぼくに抗議する人があるとすればよくよく調べた上のことでしょうから、その通りかもしれません。しかし「貨幣形態の“秘密”」という言葉は使っています。ほかにもあるかもしれませんが、今思い出すのは、1867年6月22日付のエンゲルス宛のマルクスの手紙のなかです。そこでマルクスはこう言っています。
〈……経済学者諸君は、これまで次のようなきわめて簡単なことさえも見落としてきた。すなわち【P31】 20エレのリンネル=1着の上着 という形態は 20エレのリンネル=2ポンド・スターリング の未発展な基礎に他ならないということ、したがって、商品の価値がまだ他のすべての商品に対する関係としてではなく、ただその商品自身の自然形態から区別されたものとして表現されているにすぎない最も簡単な商品形態が“貨幣形態の全秘密”を、したがってまた、つづめて言えばくま労働生産物のすべてのブルジョア的形態の全秘密を含んでいる、ということだ。(『全集』第31巻、306頁)〉
それから、これは前にも引用した個所ですが、『資本論』の価値形態論の冒頭の部分でマルクスはこう言っています。
〈だれでも、ほかのことは何も知らなくても、諸商品がそれらの使用価値の雑多な自然形態とはきわめて著しい対照をなす一つの共通な価値形態をもっていること、すなわち“貨幣形態”をもっていることは知っている。けれどもここでなし遂げられねばならない肝心なことは、ブルジョア経済学によっては試みられることさえなかったこと、すなわち、この“貨幣形態の起源”を明らかにすること、つまり、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も簡単な最も目立たない姿から光まばゆい“貨幣形態”にいたるまで追跡することである。これによって、同時に、“貨幣の謎”も消え去るのである。(『資本論』Ⅰ、62頁)〉
ここには、「“貨幣の謎”」の解明に関連して、「“貨幣形態の起源”を明らかにすること」、「“価値表現の発展”をその最も簡単な最も目立たない姿から光まばゆい“貨幣形態”にいたるまで追跡すること」があげられています。これは「貨幣の謎」の解明にどのような関連があるのでしょうか? この関連が分かれば、ぼ【P32】くが「貨幣の謎」のほかに「貨幣形態の謎」と言った意味も分かると思うのですが、この関連は、次の三つのことが分かれば分かるはずです。その一、貨幣は等価形態の発展の結果であり、“貨幣の謎は等価形態の謎の発展したものに他ならないということ”。その二、“等価形態は”価値表現の、あるいはその形式である“価値形態の、枢軸をなす契機”なのであり、したがって、“等価形態の謎は必然的に価値形態の謎をも形成する”ということ。その三、“貨幣形態は価値形態の発展したもの”であり、したがって、“価値形態の謎は発展して貨幣形態の謎になる”ということ。
マルクスはまた、こういうふうにも言っています。
〈……もし、x量の商品A=y量の商品B という簡単な相対的価値表現において、ただ量的な関係だけしか考察しないならば、そこに見出されるものもまた、ただ、相対的価値の運動に関する前に展開した諸法則──それらはすべて、商品の価値の大きさはそれの生産のために必要な労働時間によって規定されている、ということにもとづいている──だけである。だがもし、両商品の価値関係をその質的な面から考察するならば、われわれはこの簡単な価値表現のうちに、“価値形態の秘密を、したがってまた”、つづめて言えば“貨幣の秘密”を発見するのである。(『資本論』Ⅰ、初版、20頁)〉
ここでははっきりと、「“貨幣の秘密”」と「“価値形態(“貨幣形態”はそれの発展したもの)の秘密”」との不可分の関係が示されています。
ぼくは、以上に述べたようなことを考慮に入れて、「貨幣の謎」のほかに「貨幣形態の謎」という言葉を使ったのですが、このようなことはあらためて説明するまでもないことと思って別に説明しなか【P33】ったのだけれど……。
О 「貨幣形態の謎」についてのお考えはよく分かりました。そのほかに、さっきの引用のなかには「貨幣物神の謎」というのがありましたね。マルクスは、「貨幣物神の謎は、ただ、人目に見え、人目をくらますようになった、商品物神の謎でしかない」、と言っています。この「貨幣物神」とか「商品物神」とかいう言葉からすると、「貨幣物神の謎」のほうは、価値形態論で解明されているというよりも、物神性論で解明されている事柄だと考えることはできないのでしょうか。
久留間 それはこういうふうに考えたらよいのではないでしょうか。マルクスは、『資本論』の第一部第一篇の第一章「商品」、とくにその第3節までで、商品の分析を行なっています。そしてこの分析は、当然、生産物が商品として現われる基本的な形態である x量の商品A=y量の商品B という形態の分析によって行なわれます。これによってマルクスはまず、商品は使用価値であると同時に価値であることを明らかにした上で、価値の実体が労働であることを明らかにします。@
次に彼は、商品に現われる労働の二重性格を──商品を生産する同じ労働が、具体的な性格においては使用価値をつくり、抽象的性格においては価値をつくるのだということを──明らかにします。“ここですでに、商品の価値は労働の社会的性格が労働生産物の──すなわち物の──価値性質という形態をとったものであることは明らかにされているわけです”。@
それから次の第3節「価値形態」では、“商品の価値はその商品自身の身体では現れないで、その商品に等置される他商品の身体で表わされる”ということ、そしてその他商品の身体が──それの物としての姿が──そのまま価値の形態になるということ、を明らかにします。すなわちここでは、“人間的労働の社会的性格が物の形をとって現われるということが、一歩進んで明らかにされ【P34】るわけです。@
しかし『資本論』の現行版では”、価値の実体を論じる場合にも価値の形態を論じる場合にも、“そういうこそとを事実として明らかにしているだけで、それらの事実を、商品生産に特有な物神性の表われとして、統一的に説いてはいません”。第4節の「商品の物神的性格とその秘密」ではじめてそれをおこなっているのです。@
これは次のように言ってもいいでしょう。この第4節以前では、商品の分析によって、事実上商品の物神性を表わすいろいろな事実が明らかにされたが、第4節では、それ以前に明らかにされたこれらの事実を振り返ってみて、そこに商品の物神的性格が貫いていることを見出し、この新たな視角から、それまでの分析の結果を再認識すると同時に、この性格が何に起因するかを究明しているのです。
もっとも、これは『資本論』の現行版のことで、初版では、価値形態を論じているところですでに、現行版では第4節ではじめて論じられているようなことが論じられています。たとえば、初版本文の一般的価値形態について述べている部分の終わりのほうに次のようなことが書かれています。
〈実際に、すべての使用価値が商品であるのは、それらが互いに独立した私的諸労働の生産物であるからに他ならないが、ここで私的諸労働というのは、分業の自然発生的な体制の、自立化されてはいるが特殊な分肢として、素材的に依存しあっている私的諸労働である。それらがこのような社会的連関をもっているのは、まさに、それらの相違、それらの特殊的有用性によってである。このことによってこそ、それらは質的に違った使用価値を生産するのである。もしそうでなかったならば、これらの使用価値は相互にとっての商品にはならないであろう。他面では、このような違った有用な質は、まだ、諸生産物を諸商品にするものではない。ある農民家族が自家消費【P35】のために上着とリンネルと小麦とを生産する場合には、これらの物がその家族に対してその家族労働のさまざまの生産物として相対してはいるが、それらの物自身が互いに諸商品として相対してはいない。もし労働が直接的に社会的な・すなわち共同の・労働であるとすれば、諸生産物は、それらの生産者たちにとっての共同生産物という直接的に社会的な性格をとるであろうが、しかし相互にとっての商品という性格はとらないであろう。@
けれどもここでは、諸商品に含まれており・また相互に独立している・私的諸労働の社会的形態とは何であるのか、ということを立ち入って研究する必要はない。この形態はすでに商品の分析から明らかになっていた。“それら私的諸労働の社会的形態は、同等な労働としてのそれらの相互の連関であり”、したがって──きわめてさまざまな労働の同等性とはただそれらの不等性を捨象することのなかにしかありえないのだから──、“人間的労働一般としての、人間的労働力の支出”──すべての人間的労働がその内容とその作業様式との如何にかかわらず実際にこうしたものである──“としての、それら相互の連関である”。どの社会的な労働形態においても別々な諸個人の労働はやはり人間的労働として互いに連関させられているのであるが、ここでは、この連関そのものが、諸労働の独自な社会的形態として意義をもつのである。@
“しかし今では、これらの私的労働のどれもがその自然形態においては抽象的人間労働というこの独自な社会的形態をもってはいないのであって、それは、商品がその自然形態においては、単なる労働凝固体という・すなわち価値という・社会的な形態をもっていないのと同様である。@
ところが、商品の・ここではリンネルの・自然形態が、他のすべての商品がそれら自身の価値の現象形態としてのリンネルに連関するがゆえに、一般的な等価形態になる、ということによって、リンネル織り【P36】もまた抽象的人間的労働の一般的な実現形態になる”、言い換えれば、直接的に社会的な形態にある労働になるのである。@
「社会的であること」の基準は、それぞれの生産様式に特有な諸関係の性質から借りなければならないのであって、それとは無縁な諸観念から借りてはならない。@
さきに明らかにしたように、商品はもともと一般的な交換可能性という直接的な形態を排除しているのであり、したがってまた一般的な等価形態をただ対立的にのみ発展させることができるのであるが、これと同じことは諸商品のなかに含まれている私的諸労働にも当てはまるのである。“これらの私的労働は直接的には社会的ではない労働なのだから、第一に、社会的な形態は、現実的有用的諸労働の自然形態とは区別される、それらとは無縁な、抽象的な形態であり、また第二に、すべての種類の私的労働はその社会的な性格をただ対立的にのみ、すなわち、それらすべてが一つの排他的な種類の私的労働に、ここではリンネル織りに、等置されることによってのみ、得るのである”。@
これによってこの排他的な労働は抽象的人間的労働の直接的かつ一般的な現象形態となり、こうしてまた、直接的に社会的な形態における労働となる。それゆえにまた、直接的に、社会的に通用しかつ一般的に交換されうる生産物となって現われるのである。(『資本論』Ⅰ、初版、31頁)〉
ところで、以上に引用したような叙述は、『資本論』の現行版では、価値形態論の領域からは消え去って、第4節として独立化した物神性論に──そっくりそのままの形ではないが──移されることになったのですが、もちろんこれは、そのようなことをどこで論じるのが適当かという、叙述の方法についての考えた方が変わったことを意味するにすぎません。
【P37】なお念のためにつけ加えますが、初版の本文の価値形態を論じている個所には──上の引用を見れば分かるように──「物神」という言葉はまだ出てきません。しかし価値形態にかんする「付録」では、「等価形態の第四の特色」として、「“商品形態の物神崇拝は”等価形態においては相対的価値形態におけるよりもいっそう顕著である」という表題が掲げられているのが見出されますが、そこでマルクスは次のように言っています。
〈……われわれの交易の内部では、生産者たちにとっては、彼らの労働のこれらの社会的性格は、労働生産物そのものの社会的自然属性として対象的規定として現われ、諸々の人間労働の同等性は労働生産物の価値属性として現われ、社会的必要労働時間による労働の尺度は労働生産物の価値の大きさとして現われ、最後に、生産者たちが彼らの労働によって結ぶ彼らの社会的連関は、これらの物の・すなわち労働生産物の・価値関係または社会的関係として現われるのである。……労働生産物の商品形態および価値関係は、それらのものの物理的な性質やそこから生じる物的な諸連関とは全くなんの関係もない。それはただ、人間たち自身の特定の社会的関係でしかないのであって、この関係が彼らにとっては諸物の関係という幻影的な形態をとるのである。@
それゆえ、その類例を見出すためには、われわれは宗教的世界の夢幻境に逃げ込まなければならない。ここでは、人間の頭の諸々の産物が、それ自身の生命を与えられてそれら自身のあいだでも人間たちとのあいだでも関係を結ぶ自立的な姿態として現われる。商品世界では、人間の手の生産物がそうなのである。これを私は“物神崇拝”と呼ぶのであるが、それは、労働生産物が商品として生産されるようになるとそれらに付着するのであり、したがって商品生産とは不可分離なもので【P38】ある。
ところでこの“物神的性格”は、等価形態においては相対的価値形態におけるよりも顕著に現われてくる。……ここからたとえば金の謎的な性格が生じるのであって、金は、それがもつ他の自然諸属性、すなわちその光り輝く色、その比重、その非酸化性、等々とともに、等価形態をも、すなわち他のすべての商品と直接に交換可能であるという社会的は質をも、生まれつきもっているように見えるのである。(『資本論』Ⅰ、初版、774頁)〉
ところで、君が出された問題は、マルクスは「貨幣物神の謎はただ、人目に見え人目をくらますようになった、商品物神の謎でしかない」と言っているが、この「貨幣物神の謎」とか「商品物神の謎」とかいう言葉からすると、それは価値形態論でよりも物神性論で論じているとは考えられないか、──たしかこういうのでしたね。
О そうです。
久留間 それに答えるために、ぼくはずいぶん長々といろんなことを言ってきたのですが、それは要するにこういうことです。
1、価値の実体を論じるところでも、価値の形態を論じるところでも、商品の物神的性格は事実としてはすでに明らかにされているということ、すなわち、価値の実体を論じるところでは、商品の価値はその生産に社会的に必要な労働が生産物の──物の──価値性質という形態をとって現われたものに他ならないということ、価値の形態を論じるところでは、この商品の価値は、その商品自身の身体では現れないで、それと等置される他商品の自然形態、結局は貨幣商品金の自然形態で表現されるというこ【P39】と。こういうことが、事実としてはすでに明らかにされているということ。
2、しかし、商品の分析によってこうした事実を事実として確認することと、こうした事実を、直接には私的な生産として行われる商品生産に特有なものとして、直接には私的な商品生産者の労働が社会的労働になるための──それが社会的総労働の一部としての定在をもつための──必然的な契機として論じることとは別のことです。
3、では、このあとのほうの問題をどこで論じるかということになると、これは一概には断定できないでしょう。現に『資本論』でも、現行版と初版ではこの点について大きな違いがあることは、さきの初版からの引用によっても明らかです。
4、このように見てくると、さきに君が出された問題──マルクスは「貨幣物神の謎はただ、人目に見え人目をくらますようになった、商品物神の謎でしかない」と言っているから、これは価値形態論でよりも物神性論で論じているのではないかという問題──は、問題の設定そのものに再考の余地があるように思われるのですが、どうでしょう?
5、君が問題にされた「貨幣物神の謎は云々」というマルクスの文句は、第2章(初版では(2))の交換過程論の最後のところに見出されるものですが、これは初版のうちにすでに見出されるので、現行版ではそれがそっくりそのまま再現されているのです。そこで、これに関連して二つのことが問題になります。その一つは、これを書いた当時マルクスは、第一章(初版では(1))「商品」で彼が述べたことを念頭に置いているはずだということです。その二つは、なぜマルクスはこのようなことを、価値形態論を論じるところなり物神性論を論じるところなりで(マルクスは初版ではそれらのあいだの区別を、そ【P40】れぞれ別の表題をつけてはっきりさせてはいないが、ここまでは価値形態論に属するということは分かるようになっている)述べないで、交換過程論で述べているのか、という問題です。
その一について考えられること。このことを勘考すれば、価値形態論で論じられている問題か物神性論で論じられている問題か、という問題設定は、そのどちらであってどちらでないと割り切って答えることは不可能な問題の立て方だということが、いっそうはっきりすると思います。
その二について考えられることはこうです。初版の本文では、価値形態の発展はまだ貨幣形態まで行っていない。貨幣は交換過程の産物としてはじめて登場します。だから、交換過程論以前に「貨幣物神の謎」を問題にすることは不可能だったわけです。もっとも、初版でも価値形態への「付録」では、価値形態の発展は貨幣形態まで行っていますが、この付録はクーゲルマンの勧めであとからつけ加えたものであって、そのために本文が書き直されたわけではありません。交換過程論の記事ももちろんそうです。そこで「貨幣物神の謎」を問題にするとき、「付録」はマルクスの頭の中にはなかったはずです。
だが、問題の「貨幣物神の謎云々」の文句は現行版での交換過程論のうちにそのまま残されているが、それはなぜか? という疑問が残るかと思いますが、これについてはぼくはこういうふうに考えています。マルクスは第2版では、「第2版後記」の中で言っているように(『資本論』Ⅰ、18頁)、「第1章第3節(価値形態)は全部書き換え」、また「第1章の最後の節(商品の物神的性格)は大部分書き改めた」が、第2章の「交換過程」は、若干の表現上の改訂を除き、全部初版のままにしています。問題の文句がもとのまま残っているのはもっぱらこうした事情によるものと思われるのです。

【P41】4)『資本論』第一部フランス語版はなにを教えるか
──林直道氏の所説に関して(2)──

О ちょっと話を戻してもう一度伺いますが、「貨幣Ⅰ」の「第一篇 貨幣の成立」の構想を固めるとき、先生は林直道氏の「貨幣の謎」についての考え方を念頭に置かれていたのでしょうか。
久留間 いや、ぼくは、林氏が「貨幣の謎」という言葉をどのように使っているのかということについては、あまり注意していなかったのです。ぼくが林氏のあの論文で注目したのは、むしろ、「いかにして、なぜ、なにによって」の問題についての林氏の独自な主張でした。それはぼくの『価値形態論と交換過程論』での所説に異論を唱えるものでしたし、しかも『資本論』第1部のフランス語版の文章によってそうしようとするものだったので、とくに注意深く読んだのです。
О その点についての先生のお考えを伺うことは、『レキシコン』の「貨幣」の第1篇の編成を理解するのに役立つと思いますので、ここで少し立ち入ることにいたしましょうか。
マルクスは『資本論』の第1部のドイツ語初版で、すでに繰り返してきましたように、「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか(wie,waraum,wodurch Ware Geld ist)」という例の個所を書いたあと、ドイツ語第2版の準備とフランス語版の訳文の校閲とにたずさわったのですが、この部分は、ドイツ語第2版ではなんの変更も加えられなかったのに、フランス語版では comment et 【P42】pourquoi une marchandise devient monnaie と、ドイツ語原文とは相違を含むように思われる訳文となっています。林氏の訳では、「いかにして、なぜ、一商品が貨幣となるか」、となります。(ちなみに、先日出版された、江夏訳『フランス語版資本論』上巻、……1979年)では、「どのようにして、なぜ、商品が貨幣になるか」、と訳されています。林氏はこの両者の違う点について、次のようにコメントされています。
〈このフランス語版の文章をさきのドイツ語版と比較すると、多くの違いが見出される。
第一に、まず何よりも目を射るのは、問題の「いかにして、なぜ、なにによって」(wie,waraum,wodurch)という三つの疑問代名詞が、フランス語版では、「いかにして、なぜ」(comment et pourquoi)の二つになっていることである。「なにによって」が欠けているのである! さらに、よく見ると次の諸点も違っている。
第二に、いかにして、なぜ、なにによって「商品は貨幣であるか」(…Ware Geld ist)のところが、いかにして、なぜ「“一”商品が貨幣と“なる”か」(une marchandise devient monnaie)というふうに、「である」(ist=sein)が「となる」(devient=devoir)に変わり、また冠詞や数詞のつかない「商品」が une のついた「一つの商品」に変わっている。(前掲誌、……)〉
このあとに第三、第四が続きますが、ここでは省略してもよろしいでしょう。これを読むと、直ちに二つの疑問が生じます。
第一に、 wie,waraum,wodurch にしろ comment,pourquoi にしろ、すべてが疑問“副詞”であることには疑問の余地はないと思われるのに、林氏はこれを「疑問“代名詞”」だと言われている。しかも、これ以外【P43】のところでも一貫してそう書かれていて、ロシア語の……までも代名詞だとされている。これは一体どういうわけか、ということです。
第二に、 devient が devenir の変化形であって devoir のそれでないことは言うまでもないと思われるのですが、林氏は「devient=devoir」と書かれている。これは一体どういうわけであろうか。
さらに、林氏は une marchandise の une を問題にされて、「冠詞や数詞のつかない『商品』が une のついた『一つの商品』に変わっている」、と指摘されていますが、 un が数詞であるのと不定冠詞であるのとでは、この場合ずいぶん意味が違ってくると思われるのに、それは問題にされないで、「一つの商品」という訳語だけを示されています。どうも数詞と考えておられるようなのですが、それはともかく、ここで「一つの商品」と言っているのは金を意味しているのだと解したうえで、「いかにして、なぜ、なにによって」についての久留間先生の説に反対して、次のように書かれています。
〈この定式では二つの点で不都合なことが生じている。
第一は、この定式では、「なにによって」の省略につれて、交換過程論が消えてしまう点である。しかし貨幣にからむ謎の究明にとって、交換過程論が消えてしまうのはなんとしてもうなずけないと言わざるをえない。交換過程論こそは価値形態論とともに、貨幣の謎の解明の二つの柱に他ならぬからである。
第二に、物神性論がある種の謎の究明であるというのは、その通りであるが、しかし、それは「なぜ、一商品は貨幣となるか」の謎の究明ではないのではないか、ということである。(同前……)〉
【P44】さっきちょっと申しました言葉の問題に属する二つの点は別として、今の二点については、先生はどうお考えでしょうか。
久留間 第一の点については、なぜ、「なにによって」が消されたのかということが問題でしょう。林氏はこの論文のなかで、遊部久蔵氏の見解を紹介したうえで、それを批判しています。遊部氏の見解というのは、林氏の要約に従うと、
〈第一に、「なにによって」は意味が明瞭でなく、重要なのは、「いかにして」と「なぜ」であること、第二に、これらの疑問代名詞に代表される論点は必ずしも明確に区別できないものであって、それらを『資本論』のそれぞれどこかの章・節にきちんと配当しようとするのは無理であること、(同前……)〉
というものですが、林氏はこれに対して、
〈氏の懐疑的示唆とは反対に、「いかにして、なぜ、なにによって、一商品は貨幣になるか」の内容を明確化し、『資本論』の章節との対応を確定することは依然として必要かつ可能な課題なのである、(同前……)〉
というもっともな批判を加えたうえで、「なにによって」が省かれた理由について論じています。
〈フランス語版で「なにによって」が欠けていることは、それが不適切だったから削除したというような性質のものではありえない。この「なにによって」は初版(1867年)、2版(1872年)を通じて書かれてきたものである。もし不適切だから削るというのであればフランス語版準拠の改訂必要点を列記した「アメリカ版のための編集指図書」、およびドイツ語第3版編集のための自【P45】用本中の「覚え書」、等において必ずその旨指示されているべきはずである。(同前……)〉
ここで林氏が言っていることは全くその通りで、林氏自身がこのように書いていることは後々までよく覚えておきたいと思うのですが、それはともかく、ここから林氏は、次のような結論を導き出すのです。
〈そういう文言が存在しないということは、その「なにによって」の欠落が、たんに平易化、叙述の簡単化のための省略であったことを意味している。(同前……)〉
これを読んで奇妙に思われるのは、「なにによって」を省くことが、どうして「平易化、叙述の簡単化」になるのだろうか、ということです。林氏の新解釈によっても、「なにによって」は交換過程で論じられていることになっている。しかもそれはフランス語版でも変更されているわけではない。とすると、「なにによって」を省くことがどうして「平易化、叙述の簡単化」になるのか、わけが分からない。フランス語版での変更のうち、そのわけが分からないものはすべて「平易化」と呼ぼうというのならともかく、そうでなければ、これを省くことがどうして「平易化」になるのかを説明することが必要でしょう。
林氏からはその点についての説明を聞くことができないのですが、ぼくはこれは、「平易化、叙述の簡単化」ということではなくて、ドイツ語ではごく自然な表現でもフランス語に直訳するとそうでなくなってしまうことがある、そのために必要な修辞上の修正のために、内容上の正確さが犠牲にされた、そういうケースではないかと思うのです。だからこそ、第2版でも初版どおりだったし、そのほかの「編集指図書」などでも、変更を指示していない。この点については、君もそういう意見でしたね。
【P46】О はい。私にはむしろ、この個所は、マルクスがダニエリソンに宛てて1878年11月15日に書いた手紙のなかにある次の部分に当てはまる、一つの典型的な場合のように思われるのです。彼はフランス語版について、
〈……私はしばしば──とくに第1章では──フランス語訳で内容を「平板化する(aplatir)ことを余儀なくされました……、(『全集』第34巻……)〉
と書いていますが、「平板化」せざるをえない、というのは、そうしないですめばいいのだが、そうしないわけにはいかない、と言うのですから、「平易化」というのとはニュアンスが違います。今先生もおっしゃったように、ここは「平易化」ではなくて、やむなく生じた「平板化」のほうではないでしょうか。
というのは、「なにによって」と訳されるドイツ語の wodurch という疑問副詞はドイツ語ではごく普通に使われる表現なのに、フランス語ではそれを直訳するなら、ちょっと普通ではない異様な感じを与える、という事情があるからです。wodurch は、durch (……によって)という前置詞と was (なに?)という疑問代名詞とが融合したもので、ドイツ語ではこうした融合形が任意に作れて自由に使われ、さまざまなニュアンスを表現するのに役立っています。もちろんフランス語でも──融合形は作れませんが──前置詞+quoi(なに?)という表現はできます。…… wodurch にあたるものは par quoi でしょう。しかし、 wie にあたる comment と warum にあたる pourquoi とに par quoi を並べて、 comment,pourquoi,par quoi とするのは「フランス語的な言い回し」からすると、一種異様な感じを与えます。それは一つには、comment et pourquoi つ【P47】まり「どうしてなの? なぜなの?」と聞くときの全く慣用的になっているこの連語に、 par quoi というあまり普通でない疑問詞が並んでしまうからでしょうし、また一つには、comment という言葉が、それ自体のなかに「なにによって」という意味を含みうるからなのでしょう。 comment は、……(態様)、……(手段)、……(動機・原因)のような意味をもつ疑問詞です。エンゲルス校閲の英語版では wodurch が by what means と訳されていますが、これは今の……とぴったり同義ですね。
だから wodurch というドイツ語は、フランス語に訳すときには一工夫が必要になってくるのです。……省略【P48、49、50】……
久留間 ようするに、 wodurch (なにによって)は平易化のために省かれたのではなく、comment et pourquoi のなかに吸収されている、さらに厳密に言うとすれば、comment のなかに吸収されている、ということですね。
О そうなのです。
久留間 そうだとすれば、「なにによって」の省略につれて交換過程論が消えてしまう、という林氏の懸念は、全くの杞憂、無用の心配だということになる。ただ、comment がドイツ語版での「どのようにして」と「なにによって」との両方の意味を含むとなると、ドイツ語原文でのように、「どのようにして、なぜ、なにによって」のそれぞれがどこにあたるかということは、フランス語版では同じような仕方で問題にすることができないことになります。これは「平板化」ではあっても「改善」とは言えない、やむをえざる処理の結果でしょうね。
О そうですね。ですから逆に言うと、第2版が初版と同じで、また「編集指図書」などの変更の指示がないということは、ドイツ語原文の wie,waraum,wodurch という三つの疑問詞の列挙が、重要な意味をもっていることを強く示唆していると言えるのでしょうね。……ドイツ語の場合でも、wie? という問いに durch …と答えて、少しもおかしくありません。現に、wie? ── durch …という対応で書かれ【P51】ているところもあります(たとえば、『資本論』Ⅰ、53頁)。それなのに、わざわざ、 wie,waraum,wodurch と重ねて書いていること、このことのほうがむしろ重視されるべきだと思うのです。
さて、「なにによって」が消えてしまうという第一の点はこの程度にして、第二の点である、物神性論は「なぜ、一商品は貨幣となるか」の謎の解明ではないのか、という林氏の主張のほうはどうでしょうか。
久留間 その主張は、三つの疑問詞のあとに続く、「商品は貨幣である」の部分に変更が、あるいは改善がなされているかどうか、ということについての林氏の解釈と密接に結びついているのですね。ドイツ語原文では、…Ware Geld ist となっているのが、フランス語版では、…une marchandise devient monnaie となっていて、「商品」に une がついており、また「である」が「になる」に変えられている。林氏はこれを「一商品が貨幣になる」と訳出し、この「一商品」は「“特定の”一商品、すなわち金をさす」(……)、という解釈をされる。林氏はこうした解釈と、このように解釈される変更が改善であるという断定を前提して、「いかにして、なぜ」がどこに当たるかをいろいろ議論されるのですが、その一つが、「なぜ」を明らかにするのは物神性論ではなくて交換過程論なのだという結論です。
une が冠詞か数詞か、といったことについて林氏が書いていることについても、あなたがさっき言ったように疑問がないではないが、ここではフランス語訳文についての林氏の解釈の当否についてあれこれ言うつもりはありません。ですから、une の意味は林氏の解釈通りのものとしておいて、その場合、【P52】この変更が改善であるのかどうか、「なぜ」を林氏の言うように理解すべきかどうかを検討することにしましょう。
最初にまず、フランス語版は林氏の言うような意味のものだとしても、それではもとのドイツ語版も同じ意味に取れるのかどうか、このことを考えてみましょう。ドイツ語原文では「商品(Ware)」は無冠詞ですが、その場合、この「商品」というのはどういう意味なのか。手近にある橋本文夫氏の『詳細ドイツ大文法』(……)を開いてみると、「冠詞を用いない場合」の一つとして、「格言的無冠詞」というのがあって、この場合には、「そもそも……というものは」、という意味になる、と書いてある(……)。Ware の無冠詞もこうしたケースでしょう。そうだとすると「商品は貨幣である」、Ware ist Geld(Ware Geld ist を定形正置にすればこうなります)という場合の「商品」は、林氏の解釈によるフランス語版や英語版のように「特定の一商品、すなわち金」ではなく、どの商品といわず商品というものは、という意味になり、したがって「商品は貨幣である」は、どの商品といわずすべての商品というものは貨幣である、ということになります。
では、この命題はなにを意味しているのかというと、現に商品はすべて金いくらという価格の形態をもっています。この価格は商品の完成した価値形態であると同時に生産物の完成した商品形態でもあります。たとえば、ここに赤いほほをして食欲をそそるリンゴがあるとして、そのリンゴの身体をどんなにひねくり回してみても、それが商品であるかどうかは分からない。それが商品であることは、金いくらという値札をつけられていることによってはじめて分かります。すなわち、このリンゴの商品形態は価格なのです。マルクスが「商品は貨幣である」と言っているのは、現にわれわれの前に現実の事実【P53】として与えられているこのことを言っているのであって、ここでマルクスは、この現実の事実を事実として定式化したうえで、その「どのようにして、なぜ、なにによって」を解明することが経済学に課せられた難問なのだと言い、そしてこれらの難問を彼がそれまでの分析で、つまり価値形態論、物神性論、および交換過程論で解明したことを示唆しているのです。
このことは、前にもその冒頭部分を引用した、物神性論のなかの次のパラグラフを読めば、いっそうはっきりするでしょう。
〈人間生活の諸形態についての省察は、したがってそれらの科学的分析もまた、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それは後から、したがってまた発展過程のできあがった諸結果から、始まる。労働生産物に商品という刻印を押す、したがってまた商品流通に前提されている諸形態は、人々がこれらの形態の歴史的な性格についてではなく──むしろすでに、彼らはこれらの形態を不変なものと考えているのである──、これらの形態の内実について説明を与えようとする前に、すでに社会的生活の自然諸形態という固定性を帯びているのである。こうして、価値の大きさの規定をもたらしたものは商品価格の分析に他ならなかったし、商品の価値性格の確定をもたらしたものは諸商品の共通な貨幣表現に他ならなかった。ところが、まさに商品世界のこの完成形態──貨幣形態──こそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的労働者たちの社会的諸関係をあらわに示さず、かえってそれを物象的におおい隠すのである。@
私が、上着、長靴、等々が抽象的人間的労働の一般的化身としてのリンネルに連関する、と言えば、この表現の奇異なことはすぐに目につく。ところが、上着、長靴、等々の生産者たちがこれらの商品を一般的等価物【P54】としてのリンネルに──または金銀に、としても事柄に変わりはない──連関させるときには、彼らにとっては、社会的総労働に対する自分たちの私的労働の連関がこの奇異な形態で現われるのである。(『資本論』Ⅰ、89頁)〉
ところが、このように遠大な構想のもとに設定された「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」という問題の一つである「なぜ、商品は貨幣であるのか」は、フランス語版では「なぜ一商品〔金〕は貨幣になるのか」と改善されている、と林氏は考える。そして、この問題に対する解答は物神性論のなかには見出せないから、貨幣の「なぜ」は物神性論で、とする久留間説は困ることになるだろう、とぼくのために心配してくれるのです。
なるほど、そのような問題に対する解答が物神性論のなかで与えられていないことは事実であるけれども、だからといって、ぼくとしては少しも困りはしない。「なぜ、商品は貨幣であるのか」という本来の問題設定がフランス語版で、林氏の解釈どおりに「なぜ一商品(金)が貨幣となるのか」という問題設定に変わっているとした場合、ぼくはそれをけっして改善とは考えないからです。広大な観点から設定された問題を狭隘な、局部的な問題に置き換えたものとしか考えられないからです。にもかかわらず、林氏はこれを改善だと考え、この方を尊重すべきだと言う。実に不思議なことです。この疑念はとくに、さっき紹介した、「なにによって」の「削除」についての林氏の考えの一端を振り返ると、いっそう深まってきます。林氏はこう言っていました。
〈まず疑問代名詞の問題であるが、フランス語版で「なにによって」が欠けていることは、それが不適切だったから削除したというような性質のものではありえない。この「なにによって」は初版【P55】(1867年)、2版(1972年)を通じて書かれてきたものである。もし不適切だから削るというのであればフランス語版準拠の改訂必要点を列記した「アメリカ版のための編集指図書」、およびドイツ語第3版編集のための自用本中の「覚え書」、等において必ずその旨指示されているべきはずである。そういう文言が存在しないということは、この「なにによって」の欠落が、たんに平易化、叙述の簡単化のための省略であったことを意味している。したがって、私は、やはりドイツ語版どおり、疑問代名詞三つの論点を全部、問いとして立てるべきであると考える。(同前……)〉
このように林氏は、「なにによって」の問題については、それがフランス語版では省略されている──「省略」と考えることの間違いはすでに指摘したとおりです──にもかかわらず、ドイツ語版の第3版以後にももとのままになっていることを一つの理由にして、この方を重視すべきだと言っているのですが、もしそういうふうに考えるのが当然であるなら、「なぜ、商品は貨幣であるのか」という文句も第3版以後にそのまま残されているのだから、同様にこのほうを尊重するのが当然のように思われるのに、この場合にはフランス語訳のほうを改善と考え、このほうを重視すべきだというのは、どうしたことなのでしょうか。
林氏はまた、その著『フランス語版資本論の研究』のなかでは、次のようなことを書いています。
〈フランス語版を出すにあたってたえずマルクスが気にしていたことがあった。1872年3月18日のラシャトール宛の手紙でマルクスはその気がかりな点について次のように書いている。
「私が用いてきた、そして経済上の諸問題にはまだ適用されたことがない分析方法は、はじめのほうの諸【P56】章を読むことをかなり困難にしています。そして、心配になるのは、いつでも性急に結論に到達しようとし、一般的な原則と自分が熱中している直接的な問題との関連を知りたがるフランスの読者が、どんどん先に進むことができないために、読み続けるのが嫌になりはしないか、ということです。」(『全集』第33巻、……)
だからマルクスは文章ができるだけ平易であることを望んだ。ところが実際にできてきたロアの訳文は、およそマルクスの期待と正反対の「直訳」調のものであった。そこでマルクスは、校閲のさいに訳文に対して根本的に手を加えなければならなくなった。72年5月23日、ゾルゲ宛の手紙でマルクスはこう書いている。
「私は毎日『資本論』の第2版(これは分冊で発行されるでしょう)のドイツ語の校正刷とパリで出るフランス訳の校正刷とを校正しなければなりません。フランス訳のほうは、内容をフランス人に分かるようにするために、あちこちをすっかり書き改めました。」(同前……)と。
また5月28日付ダニエリソン宛の手紙ではこう言っている。
「フランス語版──(フォイエルバッハの訳者であるロア氏による訳)──は両国語の精通者によって仕上げられたものですが、それにしても、彼はしばしばあまりにも直訳しすぎています。そのために、私は、いくつかの文句の全体を、フランスの読者の口に合うようにするために、フランス語で書き直すことを余儀なくされています。あとでこの本をフランス語から英語やロマン語族の国語に翻訳することは、いっそう容易になるでしょう」(同前……)と。同書(……)〉
これを読めば、マルクスが「用いてきた、そして経済上の諸問題にはまだ適用されたことのない分析【P57】方法は、はじめのほうの諸章を読むことをかなり困難にして」いるということ、とくに「性急に結論に到達しようと」するフランスの読者は、もとのままの形では、この部分を理解するための十分の努力をしてくれそうもないということ、こうした考慮からフランス語版では「フランス人に分かるようにするために」、あるいはフランスの読者の口に合うようにする〔……〕ために」、彼が大変な努力をしたことが分かるはずです。そしてそのことが分かっているなら、「なぜ、商品は貨幣であるのか」がフランス語版で「なぜ、一商品が貨幣になるのか」と変えられているのもその一例ではなかろうか、と一応考えてみるのが当然のように思われるのですが、林氏はそうする代わりに、フランス語版はマルクス自身がロアの原訳をほとんど入れ替えるほどに手を入れてできたものだからドイツ語版よりも尊重されるべきだと考え、両版の異なった記述のうちに共通点を求めようとする代わりに、それらのあいだの差異を重視し、この見地から議論を展開しているのです。その結果、もともと広大な視野から設定された問題がどんなに局部化され矮小化されることになるかは、さきに見た通りです。
そこで問題は、ドイツ語版で「なぜ、商品は貨幣であるのか」とあったのがフランス語版で「なぜ、一商品が貨幣になるのか」と変えられているのは、同じ主旨のことを「フランス人に分かるようにするために」、あるいは「フランス人の口に合うようにするために」言い換えたものとして理解できるかどうか、ということになります。
これについては、次のように考えたらどうでしょうか。ある一商品たとえば金が貨幣になると、すべての商品は金いくらという価格の形態をもつことになり、それによってまた、さっきも言ったように、生産物は商品としての形態をもつことになる。「一商品が貨幣になる」ということと「商品は貨幣である」【P58】ということとのあいだには、どちらが本格的な問題の設定かという点から見れば相違があるが、内容的には相通じるものがある。この場合におけるフランス語版での変更は、ドイツ語版では問題を本格的に設定したのを「フランスの読者の口に合うように」分かりやすくしたものとして理解することができるのではなかろうか。──こういうふうに考えれば問題は解消するように思われますが、どうでしょうか。
О 先生は今、「一商品が貨幣になる」ということと「商品は貨幣である」ということとについて、どちらが本格的な問題の設定か、ということを言われましたが、その点をもう少し補足していただけませんか。
久留間 商品が価格の形態を持つのは、つまり 商品=貨幣 という形態をもつのは、ある一商品が貨幣になった結果ですね。そういう点から見れば、商品が価格の形態をもつことが、一商品が貨幣になることの後ろに位し、理論的展開の順序から見れば、逆に前者は後者の前に位します。商品の「科学的分析」が「現実の発展とは反対の道をたどり」、「発展過程の既成の結果から始まる」のが当然だとすれば、商品の分析は、生産物の商品形態が商品の価格形態で完成したところから出発するのが当然です。だからマルクスは、ここに商品分析の出発点があるとして、ドイツ語原文では、「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」を解明することが商品論にとっての課題だとしたのです。これこそが、本格的な問題設定の仕方なのですね。
ところで君は、今ぼくがしゃべったような考え方に異論をもっているのではなかったかしら。
О 商品の価格形態の分析から出発することの重要な意味はおっしゃるとおりだと思います。しかし、それを問題の「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」という一文のなか【P59】にどうしても読まなければならないのかどうか、そこに私の疑問があるのです。この点は先生と何度も長時間にわたって議論をしたわけですが、まだ先生のおっしゃることに完全には同意できないでいます。今水を向けてくださったので、私見を少ししゃべらせていただきます。
私がどうにも納得できないのは、もしも、ドイツ語原文での「商品は貨幣である」という部分の意味が、先生のおっしゃるように、商品が価格形態をもつということであるのなら、どうしてフランス語版で、今われわれが見ているような訳文にする必要があったのだろうか、という点です。……フランス語のほうが「商品が“貨幣になる”」という意味であることには疑問の余地がないのですから、これを、およそ商品というものは価格をもつものだ、と読むことができないことも明らかだからです。……省略【P60、61】……今問題の無冠詞も、こうしたドイツ語特有の簡潔で力強い表現の一例ではないでしょうか。このように見ることができるとすれば、「商品は貨幣である」という句の意味は、この句自体からではなくて、その前後の文脈のなかからつかまれるほかはないと思うのです。
その前後の文脈から先生は先生の解釈を導かれているのですが、さきほども申しましたように、それはフランス語訳と食い違うことになります。私は、フランス語訳の「商品が貨幣になる」というのは、簡潔な表現である「商品は貨幣である」と違うことなのではなく、後者と内容的には等しいことだと考えます。といっても、その場合、フランス語訳の読み方は、林氏の場合とはかなり違うのです。林氏は、 une marchandise devient monnaie を、「特定の一商品、すなわち金」が貨幣となる、と読まれています。ここでは une はおそらく数詞と考えられているのでしょう。しかし、もし数詞だとすれば、その意味は、先生もさきほどおっしゃったように、二つ、三つの商品ではなくて、“一つの”商品が貨幣になる、というようなことになると思います。この une が“不定冠詞”であることは確かだと思いますが、不定冠詞は文字通り……“不特定”のものをさすのが普通の用法で【P62】す。これが「“特定の”一商品、すなわち金」をさすと言われるのは、一体どういうことなのでしょうか。前の部分からそれが金であることが分かっているが、直接に「金」としないで「商品は」と言っているのだとしたら、不定冠詞ではなくて定冠詞 la がつくところでしょう。私は、「どのようにして、なぜ、一商品すなわち金が貨幣になるか」と読むことはできないし、読む必要もないと思います。
私は une marchandise をすなおにごく普通の意味での不定冠詞つきの名詞と考えればいいのだと思います。要するに、ある任意の、なんらかの、商品が、貨幣になる、ということです。この場合にはある特別の質をもった特定の商品が貨幣になることの「いかにして、なぜ」を問うているのではなく、諸々の商品のなかからある商品が貨幣になることの「いかにして、なぜ」を、言い換えれば、商品からの貨幣の生成(devenir)のそれを、さらにつづめて言えば、貨幣成立のそれを問うている、と考えるのです。
そしてこのように考えた場合、ドイツ語原文での、「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるか」の意味も、実はフランス語訳で明示的に表現されているような、商品からの“貨幣の生成”の「どのようにして、なぜ、なにによって」を問うものだったのだ、と言えることになります。この場合、ドイツ語原文では「である」となっていて、「になる」ではないではないか、という疑問が生じうるのですが、私はこれは、「貨幣は商品“である”」という句に対立させて鋭く「商品は貨幣“である”」と言ったまでのことで、内容的には「になる(wird=devient)と言ってもよいところだと思います。…【P63】動作をその結果によって表現する…「商品は貨幣である」という句の場合、このケースにぴったり当てはまるわけではありませんが、Ware “ist” Geld (商品は貨幣である)という“状態”は、(Eine) Ware “wird”Geld (商品が貨幣になる)ということの“結果”だと見て、両者のあいだに“基本的な”懸隔はない、ということはできるのではないでしょうか。
以上のような見方をするとき、林氏のような、「なぜ」は物神性論に当てはまらないではないか、といった議論は出てきようもありません。むしろ、『レキシコン』の「第一篇 貨幣の成立」の、「どのようにして、貨幣は成立するのか」、「なぜ、……」、「なにによって……」という三つの設問からなっている構成が、「どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのか」という、“貨幣の成立”にかんするマルクスの設問と完全に一致することができるように思うのです。
久留間 ぼくの解釈ではフランス語版でなぜあのように訳したのか理解しにくい、という点にはぼくも同意します。ただぼくは、商品分析を振り返ってあの設問を書き付けたときにマルクスが考えていたであろう本格的な問題設定の内容を重視したいのです。そういうことから、従来の考えを容易には放棄できないのですが、しかし今の君の議論は読者の参考になるでしょうから、そのまま収録することにしたらどうでしょうか。

【P64】5)『資本論』初版と現行版との違いからなにを読みとるか
──貨幣成立の解明に根本的な相違はない──

О それでは次の問題に移ることにいたします。『資本論』の初版本文と現行版(第2版以降)とでは、価値形態論の展開の仕方に大きな違いがありますが、とくに初版本文では、価値形態の発展は独特の「形態Ⅳ」で終わっていて、貨幣形態まで行っていません。ところが他方では、例の「困難は、……どのようにして、なぜ、なにによって商品は“貨幣”であるのか、ということを理解することにある」という文句はすでに初版の──交換過程論に当たると思われるところの──なかにあるわけです。とすると、少なくとも初版では、「“どのようにして”、商品は“貨幣”であるのか」という言葉が、貨幣形態まで行っていない価値形態論のところをさしているはずがないではないか。また、価値形態論でのそうした展開を受けて、初版では物神性論でも、“直接”貨幣には言及していないのですが、それなら、「“なぜ”商品は“貨幣”であるのか」という言葉も、物神性論をさすものだとは言えないはずではないか。──このような疑問が出されていますが、これについて、先生はどのようにお考えでしょうか。
久留間 まず、価値形態論について考えてみましょう。なるほど、初版の本文では価値形態の発展は一般的価値形態までしか行っていませんが、マルクス自身も言っているように、一般的価値形態から貨幣形態への「進歩は、ただ、直接的な一般的交換可能性の形態または一般的等価形態が今では社会的【P65】慣習によって最終的に商品金の独自な自然形態と癒着しているということだけである」(『資本論』Ⅰ、84頁)、あるいは、「貨幣形態の概念における困難は、一般的等価形態の、したがって一般的価値形態一般の、形態Ⅲの、理解に限られる」(同前……)のです。別の言い方で言えば、貨幣形態がどのようにして成立するかは、理論的には、一般的価値形態のところですでに解明されているのです。だからこそマルクスはまた、交換過程論で、直接的交換取引の場合に商品所有者が直面する矛盾を媒介するものとしての貨幣の必要を考察するさい、「彼らが自分たちの商品を互いに価値として連関させ、したがってまた商品として連関させることができるのは、ただ、自分たちの商品を、一般的等価物としての何かある一つの他商品に対立的に連関させることによってのみである。このことは、“商品の分析”が明らかにした」(『資本論』Ⅰ、101頁、初版、47頁)とも言っているのです。ここで「商品の分析」が、事実上、そのうちの価値形態論を意味していることには疑いの余地がありません。
もっとも、初版の価値形態論が貨幣形態まで行っていないことは、林直道氏の場合には問題になるでしょう。というのは、氏は、「どのようにして、一商品(“金”)が貨幣になるか」が貨幣の「どのようにして」の問題なのだと言うのだから、この問題が価値形態論で解かれているとは言えないことになるからです。
それでは次に、物神性論についてはどうでしょうか。今お話したように、価値形態論の発展を、たんに、商品の価値を順次に完全に表現する形態の発展としてみる限りでは、一般的価値形態と貨幣形態とのあいだには本質的な違いはないわけですが、商品生産に特有な、いわゆる物神的性格は、価【P66】値形態──とりわけ等価形態──のうちに顕現するのであって、この点から見ると、一般的価値形態が貨幣形態になり、一般的価値形態が金に癒着することになると、物神的性格が格段に発達することになります。ところが、初版の本文では価値形態論での形態発展は貨幣形態にまでは行っていないのですから、貨幣の物神性の問題はそこでは論じることができません。貨幣が出てくる交換過程論ではじめて論じられうることになります。そこでマルクスは、貨幣の物神性については、交換過程論の最後の個所で次のように書いているわけです。
〈われわれが見たように、すでに x量の商品A=y量の商品B という最も簡単な価値表現にあっても、他の一つのものの価値の大きさが“それで”表わされる“ところの”物は、その等価形態をこの連関にはかかわりなく社会的な“自然属性”としてもっているかのように見える。われわれはこの間違った外観の固定化を追跡した。この外観は、一般的価値形態が一つの特殊的な商品種類の自然形態と癒着したとき、言い換えれば貨幣形態に結晶したとき、完成しているのである。他の諸商品が全面的にそれらの価値を一商品で表わすがゆえにはじめてこの一商品が貨幣になる、とは見えないで、逆に、この一商品が“貨幣である”がゆえに、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。媒介する運動は、運動それ自身の結果では消えてしまって、なんの痕跡も残してはいない。諸商品は、自らなにもすることなしに、自分自身の価値姿態が、自分の外に自分と並んで存在するのを見出すのである。これらの物、金銀は、地の底から出てきたままで、同時にいっさいの人間的労働の直接的化身である。ここから貨幣の魔術が生じる。@
人間の“社会的”生産過程における彼らのたんなる原子的な振る舞いは、したがってまた彼ら【P67】自身の生産諸関係の・彼らの統御や彼らの意識的な個人的行為からは独立した・“物象的な”姿は、まず第一に、彼らの労働生産物が“一般的に商品形態”を取るということに現われる。それゆえ、“貨幣物神の謎”は、ただ、人目に見え人目をくらますようになった、“商品物神そのものの謎”でしかないのである。(『資本論』Ⅰ、初版、54頁、強調─マルクス)〉
ちなみに、この個所は現行の『資本論』にも──最後の文にある「そのもの」という語を削って──そのまま残されています(『資本論』Ⅰ、107頁)。現行版では価値形態の発展は貨幣形態まで行っているのだから、この部分はもっと前のほうに移されてもよさそうに思われるのですが、いわば旧版の痕跡がそのまま残されているものと考えられます。またフランス語版では、最後の二つの文、すなわち、「人間の社会的生産過程における……」以下のところが削除されているのですが、これは今のことと関係あるかもしれません。
ところで、今引用した個所の冒頭には、「われわれが見たように」、と書いてあります。これはこの引用個所がそれ以前のどこかにつながるものであることを示唆しているものと考えられるので、それがどこに書かれていることにつながるのかを調べてみると、“初版の”一般的価値形態を考察している部分の終わりのところに、次のようなことが書かれているのが見出されます。
〈“労働の直接的に社会的な物質化”としては、リンネル、すなわち一般的な等価物は、“直接的に社会的な労働の物質化”であるが、他方、自分の価値をリンネルで示している他の諸商品体は、“直接的には社会的でない”諸労働の諸物質化である。
実際に、すべての使用価値が商品であるのは、それらが“互いに独立した私的諸労働の生産物”であ【P68】るからに他ならないが、ここで私的諸労働というのは、“分業”の自然発生的な体制の、自立化されてはいるが特殊な分肢として、素材的に互いに依存しあっている私的諸労働である。それらがこのような社会的関連をもっているのは、まさに、それらの“相違”、それらの“特殊的有用性”によってである。このことによってこそ、それらは質的に違った使用価値を生産するのである。もしそうでなかったならば、これらの使用価値は相互にとっての商品にはならないであろう。他面では、このような違った有用的な質は、まだ、諸生産物を諸商品にするものではない。ある農民家族が自家消費のために上着とリンネルと小麦とを生産する場合には、これらの物がその家族に対してその家族労働のさまざま生産物として相対してはいるが、それらの物自身が互いに諸商品として相対してはいない。もし労働が“直接的に社会的な”・すなわち共同の・労働であるとすれば、諸生産物は、それらの生産者たちにとっての共同生産物という直接的に社会的な性格をとるであろうが、しかし相互にとっての商品という性格はとらないであろう。けれどもここでは、諸商品に含まれており・また相互に独立している・“私的諸労働”の“社会的形態”とは何であるのか、ということを立ち入って研究する必要はない。この形態はすでに商品の分析から明らかになっていた。それら私的諸労働の社会的形態は、“同等な労働”としてのそれら相互の連関であり、したがって──きわめて“さまざまな”労働の“同等性”とはただ“それらの不等性を捨象すること”のなかにしかありえないのだから──、“人間的労働”一般としての、“人間的労働力の支出”──すべての人間的労働がその内容とその作業様式との如何にかかわらず実際にこうしたもの“である”──としての、それら相互の連関である。どの社会的な労働形態においても別々な諸個人の労働はやはり人間的労働として互いに連関させられているのであ【P69】るが、ここでは、この“連関そのもの”が、諸労働の“独自な社会的形態”として意義をもつのである。しかし今では、これらの私的労働のどれもがその自然形態においては抽象的人間的労働というこの独自な社会的形態を持っていないのであって、それは、商品がその自然形態においては、たんなる労働凝固体という・すなわち価値という・社会的な形態をもっていないのと同様である。@
ところが、商品の・ここではリンネルの・自然形態が、他のすべての商品がそれら自身の価値の現象形態としてのリンネルに連関するがゆえに、一般的な等価形態になる、ということによって、リンネル織りもまた抽象的人間的労働の一般的な実現形態になる、言い換えれば直接的に社会的な形態にある労働になるのである。「社会的であること」の基準は、それぞれの生産様式に特有な諸関係の性質から借りなければならないのであって、それとは無縁な諸観念から借りてはならない。@
さきに明らかにしたように、商品は、もともと一般的な交換可能性という直接的な形態を排除しているのであり、したがってまた一般的な等価形態をただ“対立的”にのみ発展させることができるのであるが、これと同じことは諸商品のなかに含まれている私的諸労働にも当てはまるのである。これらの私的労働は“直接的には社会的ではない”労働なのだから、第一に、“社会的な形態”は、現実的有用的諸労働の自然形態とは区別される、それらとは無縁な、抽象的な形態であり、また第二に、すべての種類の私的労働はその“社会的な”性格をただ“対立的に”のみ、すなわち、それらすべてが一つの排他的な種類の私的労働に、ここではリンネル織りに、“等置”されることによってのみ、得るのである。これによってこの排他的な労働は抽象的人間的労働の直接的かつ一般的な現象形態となり、“こうして”また、直接的に社会的な形態における労働となる。それゆえにまたこの労働は、直接的に、社会的に通用しか【P70】つ一般的に交換されうる生産物となって現われるのである。
以下あたかも一商品の等価形態が、他の諸商品の諸連関のたんなる反射であるのではなくて、その商品自身の物的性質から生じるかのような外観は、“個別的”等価物の“一般的”等価物への進化につれて固まってくる。なぜならば、価値形態の対立的な諸契機は互いに連関しあう諸商品にとって、もはや“均等に”は発展しないからであり、一般的な等価形態はある一つの商品をすべての他の商品からまったく別なものとして区別するからであり、そして最後に、その商品のこのような形態は、実際にはもはや、なんらかの“個別的な”他の一商品の連関の産物ではないからである。(『資本論』Ⅰ、初版、31頁、強調─マルクス)〉
なお念のために、初版の付録の「価値形態」では、物神性の問題がどのように取り扱われているかを見てみましょう。これは、「δ 等価形態の第四の特色──商品形態の物神崇拝は等価形態においては相対的価値形態におけるよりもいっそう顕著である」、という見出しがつけられているところです。
〈労働生産物、すなわち上着、リンネル、小麦、鉄、等々のような有用物が“価値”であり、“特定の価値の大きさ”であり、そしてそもそも“商品”であるということ、このことは、もちろんただ“われわれの交易のなか”でのみそれらに具わる属性であって、たとえば重さがあるとか保温するとか栄養になるとかいう属性とは違い、生まれながらにそれらに具わっているものではない。しかし、“われわれの交易の内部では”これらの物は互いに“商品として”関係する。それらは“価値であり、諸々の価値の大きさとして計られうるのであり”、またそれらの共通な“価値属性”はそれらを互いに“価値関係”のなかに置くのである。@
ところで、たとえば “20エレのリンネル=1着の上着” または、“20エレ【P71】のリンネルは1着の上着に値する” が表現しているのは、ただ、(1) これらの物の生産に必要な“さまざまの種類の”労働が“人間的労働として同等な意義をもつ”ということ、(2) これらの物の生産に支出された労働の“分量”は特定の社会的な諸法則によって“計られる”ということ、(3) 裁縫者と織布者とは一定の“社会的な生産関係”に入るということ、だけである。それは“生産者たちの一定の社会的連関”であって、この連関のなかで彼らは彼らのさまざまな有用的労働種類を“人間的労働として等置する”のである。それは同様にまた、そのなかで生産者たちが彼らの労働の大きさを“人間的労働力の支出の継続時間”によって“計る”ところの、“彼らの一定の社会的連関”でもある。@
しかし、“われわれの交易の内部では”、生産者たちにとっては、彼ら自身の諸労働の“これらの社会的性格”は、“労働生産物そのものの社会的自然属性として、対象的”規定として“現われ”、諸々の人間的労働の同等性は労働生産物の“価値属性として”現れ、社会的必要時間による労働の“尺度”は労働生産物の“価値の大きさ”として現われ、最後に、生産者たちが彼らの労働によって結ぶ彼らの社会的連関は、“これらの物の”・すなわち労働生産物の・“価値関係”または“社会的関係”として現われるのである。それだからこそ、彼らにとっては労働生産物が“商品”として、感覚的で超感覚的な・すなわち“社会的な”・“物”として“現われる”。@
同様に、ある物が視神経に与える光の印象は、視神経そのものの主観的な刺激としてではなくて、目の外にある物の“対象的な形態”として現われる。しかし、物を見るときには、外的な対象である一つの物から目というもう一つの物に現実に光が投じられる。それは物理的なものどうしのあいだの物理的な関係である。これに反して、労働生産物の“商品形態”および“価値関係”は、それらの物の物理的な性質やそこから生じる物的な諸連関とはまったくなんの関係もない。それはただ、“人間た【P72】ち”自身の特定の“社会的関係”でしかないのであって、この関係が彼らにとっては“諸物の関係”という幻影的な形態をとるのである。それゆえ、その類例を見出すためには、われわれは“宗教的世界”の夢幻境に逃げ込まなければならない。ここでは、“人間の頭の諸々の産物”が、それ自身の生命を与えられてそれら自身のあいだでも人間たちとのあいだでも関係を結ぶ“自立的な姿態”として“現われる”。“商品世界”では、“人間の手の生産物”がそうなのである。これを私は“物神崇拝”と呼ぶのであるが、それは、労働生産物が“商品として”生産されるようになるとそれらに付着するのであり、したがって“商品生産”とは不可分なものである。
ところでこの物神的性格は、“等価形態”においては“相対的価値形態”におけるよりも顕著に現われてくる。一商品の“相対的価値形態”は“媒介されて”いる、すなわち“他の”商品に対する“その商品の関係によって媒介されて”いる。このことのうちには同時に次のことが、すなわち、“価値存在”は物自身には“無縁な連関”であり、したがって、他のある物に対するその物の“価値関係”は、その背後に隠されている一つの“社会的関係”の“現象形態”でしかありえない、ということがある。“等価形態”については逆である。等価形態とは、まさに、一商品の“物体形態”すなわち“自然形態”が“直接に社会的形態として”、他の商品のための“価値形態”として“意義をもつ”、ということなのである。だから、“われわれの交易の内部では、等価形態をもつということ”が物の“社会的な自然属性”として、その物に“生まれながらに”具わる属性として現われ、したがって、他の諸物と“直接に交換可能”であるということが、その物が感覚的にそこにあるのと同様のこととして現われる。ところが、“商品Aの価値表現【P73】の内部では”等価形態が生まれながらに“商品B”に具わっているために、等価形態は“この関係の外部で”も商品Bに生まれながらに具わっているように見える。ここからたとえば“金”の謎的な性格が生じるのであって、金は、それがもつ他の自然諸属性、すなわちその光り輝く色、その比重、その非酸化性、等々とともに、等価形態をも、すなわち他のすべての商品と“直接に交換可能”であるという社会的な質をも、生まれつきもっているように見えるのである。(『資本論』Ⅰ、初版、773頁、強調─マルクス)〉
以上によって明らかなように、商品の物神的性格は商品の価値形態、とりわけ等価形態において顕現し、一般的価値形態が特殊な一商品と癒着する貨幣形態において完成するのですが、初版では価値形態論のなかで、この事実が事実として確認されているばかりでなく、さらにさかのぼって、商品生産の場合には、“なぜ”、労働の生産物が商品という形態で、人間的労働の社会的性格が商品の価値という形態で、そして商品の価値が等価形態に置かれた商品の自然形態──物としての形態──で、そして窮極的には金の形態で現われるのかという、この物神性の「なぜ」の究明にまで及んでいます。
周知のように、現行版では第1篇の第1章「商品」は四つの節に区別されていますが、初版ではこのような区分がなく、全部が連続して論じられています。しかし気をつけて読んでみると、ここからが物神性論に当たる、というような個所が分からぬではない。今引用した初版の本文の個所は、価値形態論に当たる部分の最後に近いところにあるのですが、これはいわば、価値形態論から物神性論に移ってゆく橋懸かりとでも言うべきものではなかろうかと思われるのです。
ところが現行版では、価値形態論とりわけ等価形態において確認される物神性の「なぜ」にかんするこ【P74】のような論述は、価値形態論のなかには見られなくなります。これは、第1章「商品」が新たに四つの項目にはっきり区分されるようになった結果と考えられるのですが、それでは現行版の第1章第4節の「商品の物神性とその秘密」では、価値形態の問題はどのように取り扱われているかというと、初版では価値形態論のなかにあった、さきに見たような記述は、どこにも見当たりません。しかしその代わりにさきにも引用した次のようなことが新たに書き加えられています。
〈人間生活の諸形態についての省察は、したがってそれらの科学的分析もまた、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それは後から、したがってまた発展過程のできあがった諸結果から、始まる。労働生産物に商品という刻印を押す、したがってまた商品流通に前提されている諸形態は、人々がこれらの形態の歴史的な性格についてではなく──むしろすでに彼らはこれらの形態を不変なものと考えているのである──、これらの形態の内実について説明を与えようとする前に、すでに社会的生活の自然諸形態という固定性を帯びているのである。こうして、価値の大きさの規定をもたらしたものは商品価格の分析に他ならなかったし、商品の価値性格の確定をもたらしたものは諸商品の共通な貨幣表現に他ならなかった。ところが、まさに商品世界のこの完成形態──貨幣形態──こそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的労働者たちの社会的諸関係を露わに示さず、かえってそれを物象的に覆い隠すのである。私が、上着、長靴、等々が抽象的人間労働の一般的化身としてのリンネルに連関する、と言えば、この表現の奇異なことはすぐに目につく。ところが、上着、長靴、等々の生産者たちがこれらの商品を一般的等価物としてのリンネルに──または金銀に、としても事柄に変わりはない──連関させるときには、彼らにとっては、社会的総労働に対する自分たちの私的労働の連関がまさにこの奇異な形態で現われるのである。(『資本論』Ⅰ、89頁)〉
さらにこの少しあとの注32には次のように書かれています。
〈古典派経済学の根本欠陥の一つは、商品の分析、またとくに商品“価値”の分析から、価値をまさに“交換”価値にするところの価値の“形態”を見出すことに成功しなかったということである。A・スミスやリカードのような、まさにその最良の代表者たちにおいてさえ、古典派経済学は価値“形態”を、まったくどうでもよいものとして、または商品そのものの本性にとっては外的なものとして取り扱っているのである。その原因は、“価値の大きさ”の分析にすっかり注意を奪われているというだけではない。それはもっと深いところにある。“労働生産物の価値形態”は、“ブルジョア的”生産様式の最も抽象的な、しかしまた最も一般的な“形態”であって、これによってこの生産様式は、“社会的”生産の“特殊的”一“種類”として、したがってまた同時に“歴史的に”、特徴づけられる。それゆえ、この生産様式を社会的生産の永遠の自然形態と見誤るならば、必然的にまた、価値“形態”の、したがって“商品”形態の、さらに発展しては“貨幣”形態、“資本”形態、等々の独自性をも見落とすことになるのである。@
それだから、労働時間による価値の大きさの尺度についてはまったく一致している経済学者たちのあいだにも、“貨幣”・すなわち一般的等価物の完成した姿・についての、きわめて雑多で、まったく矛盾した諸々の観念が見られるのである。このことは、たとえば、ありふれた貨幣の定義ではもはや間に合わない銀行業の取り扱いにさいして、はっきりと現われてくる。このことから、反対に、“復活した重商主義”(ガニルその他)が生じたのであって、これは、価値のうちにただ“社会的な形態”【P76】だけを、またはむしろ実体のない、社会的形態の外観だけを見るのである。(『資本論』Ⅰ、95頁、強調はマルクスの初版のもの)〉
この注32は、初版では、価値形態論に該当する部分の最後のパラグラフの末尾につけられていたもので、初版のそのパラグラフには次のように書かれています。
〈要するに、商品の分析が明らかにするものは、“価値形態”のすべての“本質的な”規定、およびその対立的な諸契機における価値形態そのもの、“一般的な相対的価値形態、一般的な等価形態”であり、最後に、“簡単な相対的価値諸表現の”けっして終結することのない“列”であって、この列は、最初は価値形態の発展における一つの過渡段階をなすのであるが、最後には“一般的等価物の独自な相対的価値形態”に一変するのである。しかし商品の分析は、これらの形態を“商品形態”一般として明らかにしたのであり、したがってまたそれらはどの商品にでも帰属することになる。ただし、商品Aが“一方の”形態規定にあるときには、商品B、C等はそれに対して“他方の”形態規定をとる、というふうに、“対立的に”ではあるが。しかし、決定的に重要なことは、価値“形態”と価値“実体”と価値の“大きさ”とのあいだの内的な必然的連関を発見すること、すなわち“観念的に”表現すれば、価値“形態”は価値“概念”から発していることを論証することだったのである。(『資本論』Ⅰ、初版、34頁、強調─マルクス)〉
この同じ注が、現行版では物神性論のなかに移され、次の個所の*印のところに付けられています。
〈ところで、経済学はなるほど、不完全ながらも価値と価値の大きさとを分析して、これらの形態のうちに隠されている内容を発見した。だが経済学はいまだかつて、なぜこの内容があの形態をと【P77】るのか、つまりなぜ労働が価値に、そしてその継続時間による労働の尺度が労働生産物の価値の大きさに表わされるのか、という問題は、提起したことさえなかった*。生産過程が人間たちを支配していて人間はまだ生産過程を支配していない社会構成体に自分は属するものだ、ということがその額に書いてある諸定式は、経済学のブルジョア的意識にとっては、生産的労働そのものが自明であると同様に自明な自然必然性であるように思われるのである。それだから、社会的生産有機体の前ブルジョア的諸形態は、経済学によって、たとえばキリスト教以前の諸宗教が教父たちによって取り扱われるような仕方で、取り扱われるのである。(『資本論』Ⅰ、94頁)〉
以上で明らかなように、価値形態論と物神性論との関連については、初版と現行版とのあいだに、その取り扱いに大きな違いがあります。初版では、価値形態に具体的に現われる物神性の確認から、より一般的な、商品の物神的性格の考察に移っているのと違って、現行版では、商品の物神性一般の考察のうちで、価値形態の・したがって貨幣形態の・物神性の問題が取り扱われている。ごく大まかに言えばこういうふうに言ってよいかと思うのですが、そうすると、現行版ではなぜこのように改められたかが問題になるでしょう。この点については、ぼくは一応ぼくなりの解釈をもっているのですが、ここではそれは省略しましょう。それはともかく、初版ではもちろん現行版でも、価値形態の・したがってまた貨幣の・「なぜ」の問題が物神性論のなかで取り扱われていることは明らかです。少なくとも『資本論』を、とりわけそのうちの以上に引用した個所を偏見なしに読みさえすれば、疑問の余地なく明白だと思われるのです。ぼくが旧著『価値形態論と交換過程論』のなかで、貨幣の「なぜ」の問題は物神性論で解明されていると言ったのは、こうした理由からだったのです。

【P78】6)「なぜ」の問題の根本はどういうところにあるか
──商品生産の特殊な性格と価値の本質──

О 貨幣の「なぜ」の問題が“物神性論”で解明されているという先生の見解には、異論を唱える人が少なくないようです。多くの場合、「なぜ」という問題の意味がよく理解されていないようですね。当然のことなのですが、先生の『“価値形態論と交換過程論”』ではこの問題については、ごく簡単に触れられているだけでしたから。
久留間 『価値形態論と交換過程論』では、その性質上、物神性論について立ち入って述べることはしませんでしたが、しかしぼくとしては、マルクスが「なぜ」の問題を解明したことを、きわめて重要なことだと考えてきているのです。現に、『経済学史』(改版、1977年、岩波)でも、「マルクスの価値尺度論」でも、実質的にはその点を強調したつもりなのですが。
О そうでしたね。「マルクスの価値尺度論」は本書の後篇となりますから、お読みいただくとして、『経済学史』のほうは、「第3章 古典学派(スミスおよびリカード)」の「第2節 価値および剰余価値」のなかにつけられた長い注なのですが、『学史』をお持ちでない読者も多いのではないかと思います。『学史』への注であったために、あまり注目されなかったかもしれませんが、「なぜ」の問題ば【P79】かりでなく、価値の本質や、これとその現象形態との関係についても、包括的に、しかも分かりやすく説明されています。そろそろ、「貨幣の成立」の全体にかかわる問題については終わりにしなければなりませんし、また、今『資本論』初版と現行版との違いに関連していろいろ読んでいただいた物神性のところの理解にも役立つと思いますので、『学史』のなかのその部分を紹介することで、その締めくくりにさせていただきましょう。
まず、その注が付けられている本文は、次のとおりです。
〈商品生産は、私有財産制度のもとに相互に独立化されている私的生産者によって行われる社会的生産である。直接には私的な彼らの労働は、その生産物の交換の関係においてはじめて独自の社会的形態を獲得する。すなわち彼らの労働の生産物は、それらの交換の関係において、使用価値としての千差万別の姿にもかかわらず価値として相互に等置されるのであるが、これによって彼らの労働もまた、使用価値を生産する労働としてのあらゆる現実の差異にもかかわらず、価値を形成するかぎりにおいてはそれらの差異を捨象されて、無差別一様な人間労働、すなわち人間労働力のたんなる支出の一定量に他ならないものとされるのである。そしてこの一般的な人間労働の結晶としての「価値」の形態において──生産物の価値というこの物的な形態において──はじめて商品生産者の労働は、社会がその欲望の充足のために支出する総労働時間中の一定量を意味するものとなりうるのである。(『経済学史』岩波、81頁)〉

この本文に、先生は次のような注を付けられているのです。
〈商品生産の特殊な性格と価値の本質とについての以上の説明はあまりに簡単で、多くの読者には【P80】理解しがたいかと思われるので、以下にいささか立ち入った説明をつけ加えることにしよう。もともと原論で解説されるべきことであって、学史の講義にとっては余りに話の本筋からかけ離れることになるので、注に入れることにしたのであるが、事柄自体は基本的に重要なことであるから、そのつもりで読んでいただきたい。
言うまでもないことであるが、商品生産もまた一種の社会的生産である。すなわち商品生産者たちは、それぞれ自分の種々の欲望の対象を自分自身の労働によって生産するのではない。もしそうであれば、相互に無関係でありうるわけであるが、そうではなくて事実上社会的分業を行うのである。すなわち彼らはめいめいに、自分の種々の欲望の対象を自分の種々の労働によって生産するかわりに、他の商品生産者たちの使用に供すべきある特殊なものを生産し、そしてそのかわりに、自分自身の種々の欲望をば他の商品生産者たちの労働の生産物によって満たすのである。
だがそのようなことが行なわれるためには、第一に、種々の物をそれぞれ専門的に生産する商品生産者たちの種々の労働は、それらの総和において、社会全体の種々の欲望の総体に対応する社会的分業の有機的な体制を構成する必要がある。言葉を換えていえば、社会全体の種々の欲望の総体に対応するように、社会の総労働時間が種々の生産部門に配分される必要がある。そういうことが何らかの仕方、何らかの形式で実現されないかぎり、社会の必要とする種々の物が必要に応じて生産されるということは不可能である。それは、ただに理想的に行なわれることが不可能なだけではなく、曲りなりに行なわれることさえもできようがない。
第二に、自分の必要とする物をすべて自分の手で生産するのではなくて、自分は社会の他の人々【P81】のためのある特殊な使用価値を生産し、そのかわりに自分の種々の欲望の充足は他の人々の労働の生産物にまつという社会的分業の制度が成り立つためには、社会の総生産物のうちのどれだけをそれぞれの生産者が受け取るべきかが、すなわち分配の仕方が、なんらかの方法で決められねばならない。それが決められないならば、社会的生産は成り立ちようがないであろう。
以上に述べた二つのことは社会的生産の一般的な条件であって、それがなんらかの形で実現されないかぎり、社会的生産は成り立ちえない。商品生産にしてもその例外ではありえない。しかし商品生産の場合には、それが実現される仕方が、他の場合とは根本的に違うのである。
商品生産以外の社会的生産の形態にあっては、社会の総労働時間をどういうふうに種々の成員に分配するかは、ある場合は独裁的な個人または個人の集団の意思により、またある場合には民主的な総意によって決定されるといったふうな違いはあるにしても、またそれらの意思による決定は、ある場合には多分に恣意的であり、ある場合には主として伝統に頼り、またある場合には計画的な熟慮にもとづいて行なわれるといったふうな違いはあるにしても、とにかく人間の意思によって、一見明白な仕方で決められるのである。
ところが商品生産の場合にはそうではない。商品生産の場合にはそういうことを決める者がどこにもいない。商品生産者がある特定の物の生産に従事するのはだれの指図によるのでもない。彼はまったく彼自身の自由意志で、彼自身の判断にしたがって、彼自身の責任、彼自身の計算において生産するのである。彼の労働力は、私有財産の主体として独立自尊の人格である彼の私有の能力【P82】であり、したがってその支出である彼の労働は、彼の私事として行われる。労働力そのものが社会のものになっていないのであるから、労働もまた直接には──労働そのものとしては──社会的性格をもっていない。それは私的な労働にとどまる。したがってその生産物もまた、社会の所有には帰しないで彼の私有に帰することになる。だからそれは社会によって自由に処分されるわけにはゆかない。社会によって生産物の分配が決定されるためには、生産物が社会のものとして存在していなければならぬ。自分のものでなければ自分の意思で処分することはできないからである。
では一体、分業の組織や分配の方法を決める者が全然ないのに、どのようにして商品生産は一つの体制として成り立ちうるのであるか?
商品生産者たちのあいだの生産関係は、直接彼ら自身のあいだの──直接に人間と人間とのあいだの──関係としては樹立されないが、そのかわりに一種の回り道をして、すなわち彼らの生産物の商品としての交換の関係を通して、樹立されるのである。
では、商品生産者たちのあいだの生産関係はどのようにして、彼らの生産物の商品としての交換の関係を通して樹立されるか、あるいは、彼らの生産物の商品としての交換関係はどのようにして、商品生産者たちのあいだの生産関係を媒介するか?
すでに述べたところによって知られるように、社会的生産が行われるためのもっとも基本的な条件は、個々人の労働がなんらかの仕方で社会的に統一されるということ、かくしてそれらが社会の総労働の部分としての関連をもつということである。ところがすでに見たように、商品生産者の労働は労働自体としては統一されないで、私的な労働として、てんでばらばらに行なわれる。にもかか【P83】わらずそれらは、全体として社会的分業の体制を形成するものとして、社会の総労働の部分たる実をもたねばならぬ。ここに商品生産の基本的な矛盾が存在するのである。したがって問題は、この矛盾が彼らの労働の生産物の交換の関係によってどのように媒介されるかが、あるいは、彼らの労働の生産物の交換のどのような契機において、商品生産者の私的な労働は社会的労働としての定在を獲得するか──こういうことに帰着することになる。
商品は種々さまざまの物からなっている。使用価値としては千差万別である。だからこそそれらは交換されるのである。すなわち交換は、商品の使用価値としての相互の差異を前提する。だがそれだけではまだ交換は行なわれない。その上にさらに、甲の所有する物は甲にとっては余分であるが乙にとっては有用であり、反対にまた、乙の所有する物は乙にとっては余分であるが甲にとっては有用である、ということを前提する。そうしてはじめて彼らは交換することになる。だがすべてこうしたことは交換が行なわれるための条件であるには相違ないが、それだけで直ちに生産物の商品としての交換が生じるとは言われない。たとえばベーゴマを余分にもっている凸坊とメンコを余分にもっている凹坊とがそれらの物を互いに交換したとしても、それは商品の交換ではない。それの媒介によって彼らのあいだに社会的生産の体制が成立するというような性質のものではない。
では商品の交換を特徴づけるものは何であるか? それは上に述べたような、たんに人々の所有する物の使用価値としての相互の差異、ないしはそれらの物と人間の欲望との関連ではなくて、むしろ、使用価値としての相互の差異にもかかわらず諸商品が互いに価値として等しいとされる関係、すなわちそれらの価値関係である。商品は使用価値としては千差万別であるが、価値としては無差別一【P84】様である。だからこそどの商品もみな一様に金何円という形態、すなわち価格をもつのであるが、この価格において表示される価値こそは、商品生産者たちの労働がそれによってはじめて統一性を獲得するところの契機なのである。
商品生産者の労働は、さきにも述べたように、直接に労働としては社会的な統一にもちきたされず、社会的な性格を有しない。それは、労働力が社会のものとされないで私のものにとどまるかぎり、その働きとしての労働もまた私的な労働にとどまるほかはなく、社会的な労働ではありえない。すなわち商品生産の場合には、まず労働力が社会化されて社会の総労働力として存在し、それが種々の生産目的のために、あるいは耕作労働として、あるいは紡績労働として支出されるというふうにことは運ばない。もしそうであれば、労働はそのアクティブな状態において、それが行なわれる瞬間から、直接に労働として、そしてまた、あるいは耕作労働、あるいは紡績労働といったふうなそれぞれ異なる特殊的な、具体的な労働として、その自然のままの姿において、りっぱに社会的な性格をもつであろう。ところが、商品生産者の場合にはそうはゆかない。だがそのかわりに、彼らの労働は生産物に対象化されて、生産物の価値を形成するのである。価値としてはすべての労働は無差別一様であり、たんに量的な差異があるだけで質的な差異はもたない。商品生産者の労働はこういう形で──すなわち第一には、労働そのものの性質としてではなく労働の生産物の性質という形で、さらに第二には、生産物の自然的な、たとえば米なら米、布なら布といったふうの、それぞれ違った使用目的に役だつ使用価値としてではなく、無差別一様な価値性質という形で──はじめてそれらのあいだの統一性を獲得し、そ【P85】してそれによってはじめて社会的な労働になるのである。換言すれば、社会がその総欲望の充足のために費やす総労働時間の一部としての、すなわち社会の総労働力の支出の一部としての、定在をもつことになるのである。
それゆえ商品生産の場合には、生産者間の社会関係は計画経済の場合とはすっかり逆に樹立され、すべては転倒して現れることになる。最初にまず人間の関係がうち立てられて、それにしたがって社会的生産が行なわれるかわりに、最初にまず、相互に独立して行なわれる私的な労働の生産物が交換されることによって価値において等しいとされる。そしてそれによって、商品生産者の労働もまた、価値を生産するかぎりではなんらの差異がないものとされ、無差別一様な抽象的人間的な労働に還元される、そしてこのような一種独特な形態においてはじめて商品生産者の労働は統一性を獲得し、社会の総労働力の支出の一部だということになるのである。
すなわち価値は、商品生産者の私的な労働が社会的な労働になるためにとる独自な形態であり、さきに述べた商品生産の基本的な矛盾を媒介する契機であって、商品生産はこの契機が発達してゆくにつれて、それとまさに同じ歩調で発達してゆくのであるが、しかし他面においては、この契機が発達するということはとりもなおさず、生産物がたんなる使用価値ではなくて同時に価値であるところのものに──すなわち商品に──なるということにほかならない。そこで、さきに述べた商品生産の矛盾は、あい反する性質をもっている使用価値と価値との直接的な統一物としての商品において止揚され、かかるものとしての商品の矛盾という形で、より具体的に現れることになる。
そこで次には、商品がこの矛盾をどのようにして展開し解決するかが問題となるのであるが、こ【P86】れを明らかにするためには何よりもまず、商品がその価値を表示する独自の形態を明らかにする必要がある。商品は使用価値であるとともに価値であるといっても、それは理論的な考察によってはじめて認識されうることであって、商品の価値は、たとえばこの商品のうちには10時間の社会的労働が含まれているというふうに、その商品自体に即してそのままに表示されるわけではない。このことは、さきに説明した価値の成り立ちから見て当然のことである。すなわち商品生産者の労働は直接には社会的労働の一定量としての存在を持たないからこそ、彼らの労働の生産物の交換をとおして、それらに共通な価値を生産する抽象的一般的な労働として、はじめて統一性を獲得するのであり、かくしてはじめて社会的な労働になるのである。だから、社会的労働時間というものは最初から存在するのではない。アクティブな状態において存在しないのみではなく、対象化されたものとしても、直接にそういうものとしては存在しない。もし存在するなら、それはそのまま労働時間として表示されるであろうが、その場合には、労働は対象化されて価値にならず、したがって生産物は商品にならないであろう。商品の価値が労働時間で表示されないのは、商品生産者の労働は直接には社会的な労働として行われるのではなく、したがってその生産物に含まれている労働は直接に社会的な労働ではなく、したがってまた、その生産物は直接に社会的な労働の生産物として取り扱われるわけにはゆかないからである。
では商品の価値はどのようにして表示されるか? その商品自体で表示されえない以上、それと交換関係に立つ他商品によって表示されるほかはない。だがこの他商品にしても、それ自体として【P87】は、その自然形態は使用価値の形態であって価値の形態ではなく、そしてまた、その自然形態のほかに価値の形態をもちうるわけではない。だからこの他商品の自然形態そのものが価値の形態にならねばならぬ。そしてそれは現にそうなっているのであって、今日あらゆる商品の価値が金の一定量という形で表示されているのを見ればこのことは一見明白である。だが金であれなんであれ、およそ商品の自然形態が──そのありのままの物的な形態が──他商品の価値を表わすということ、すなわち価値の形態になるということは、いったいどのようにして可能であるのか? これがいわゆる価値形態の問題の核心をなすのであって、これをマルクスは『資本論』の第1部第1章第3節のA「簡単な・単独な・あるいは偶然的な・価値形態」で解明したのである。そしてその基礎のうえに形態そのものの発展の過程をあとづけることによって、はじめて貨幣の謎を徹底的に解いたのである。だがこの解明の立ち入った説明、さらにはまた、現実の交換過程における商品の矛盾の展開と貨幣形成の必然性、およびかくして形成された貨幣による交換過程の矛盾の解決の仕方等にかんする説明は、ここには割愛しなければならない。(同前、82頁)〉

以上の注のあと、先生は本文に戻って、次のように古典派経済学の欠陥を述べられています。
〈ところが、スミスをはじめあらゆるブルジョア的経済学者は、商品生産に固有な、労働の特殊社会的な形態としてのこの価値の特質を把握することができなかった。彼らは、商品の価値は本当は労働なのだということは知っていたが、労働がそれではなぜそのまま労働として現われないで、その生産物の価値という形で──物の属性という奇妙な形で──学者によってはじめてその実体が発見され、経済学においてわざわざそのことが論証されねばならないような転倒した形で──現【P88】れるのであるか? この肝心かなめの問題を、彼らは理解することはおろか、問題として提起することさえも知らなかった。それは、すでに述べたごとく、彼らが商品生産を社会的生産の自然的な形態として、換言すれば社会的生産そのものとして、考えていたことの当然の結果に他ならないのである。マルクスの言葉を借りて言えば、「なるほど経済学は、不完全にではあるが価値および価値の大きさを分析して、これらの形態のうちに隠されている内容を発見した。だが経済学は、なぜこの内容がかの形態をとるのか、すなわちなぜ労働が労働生産物の価値で、またその時間的継続による労働の度量が労働生産物の価値の大きさで、自らを表示するのか? という問題をば、かつて提起したことさえもないのである。生産過程が人間を支配していて人間はまだ生産過程を支配していない一つの社会構造に属するのだ、ということがその額に書きしるされている諸範式は、彼らのブルジョア的な意識には、生産労働と同じように自明な自然的必然事と思われるのである。」(同前、88頁)〉

7)簡単な価値形態はどういう意味で「偶然的」であるのか
──安易に歴史的発展と結びつけてはならない──

О それでは、あとに残された時間、「どのようにして」の問題、つまり価値形態論についていくつ【P89】かの問題を出して、先生にお答えをいただくことにいたします。
まず、価値形態の第一の形態である「簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態」について、お伺いします。
この第一の形態に付けられている三つの形容詞のうち、「簡単な」と「個別的な」という二つの形容詞の意味は、マルクスの記述から容易につかむことができます。これに対して「偶然的な」ということの意味は、いくつかのことが考えられるにしても、必ずしも一義的につかみうるものではないように思われます。ちなみに、この語は2版で書き加えられたもので、初版付録にもありません。文字通りには「偶然的な“価値形態”」ですから“価値形態が”偶然的だということになりますが、どういう意味で簡単な価値形態は偶然的なのでしょうか。またこの「偶然的な」というのは、価値形態の歴史的発展の過程と関係づけて理解することができるでしょうか。そのような見解もあるように思いますが。
久留間 『資本論』の冒頭でマルクスは次のように言っています。
〈資本主義的生産様式が支配的に行なわれている諸社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、個々の商品は、その富の基本形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。(『資本論』Ⅰ、49頁)〉
これによってみても、ここで分析の対象となっている商品は「資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富」の「基本形態として現われる」商品であって、商品生産がまだ一般化していないで生産物が“偶然的”に商品になるような場合の商品でないことは明らかだと思います。しかし、それではなぜ簡単な価値形態を「偶然的な」価値形態と言っているのか、という疑問が残ることと思いますが、こ【P90】れに答えるためには、まず次の個所を参照するとよいでしょう。
〈貨幣形態の概念における困難は、一般的等価形態の、したがって一般的価値形態一般の、形態Ⅲの、理解に限られる。形態Ⅲは、逆の関連では形態Ⅱに、展開された価値形態に、帰着し、そして、“この形態Ⅱの構成要素は形態Ⅰ、すなわち 20エレのリンネル=1着の上着 または x量の商品A=y量の商品B である”。だからこそ、簡単な商品形態は貨幣形態の萌芽なのである。(『資本論』Ⅰ、85頁)〉
ここでマルクスは、形態Ⅰ(簡単な価値形態)を形態Ⅱ(展開された価値形態)の構成要素だと言っているのですが、形態Ⅱは、マルクスの設例によると、リンネルが相対的価値形態にあり、等価形態に無数の他商品が置かれている形態からなっています。そしてその場合上着は、この等価形態を構成する無数の商品のなかの一つとして存在しているのです。簡単な価値形態では上着だけが等価形態に置かれることになるのですが、これはとりもなおさず、展開した価値形態の場合に等価形態を構成していた無数の商品種類のうちから、“たまたま”上着を取り出してきたのにすぎません。茶をとってきても、コーヒーを取ってきても、小麦を取ってきても、その他何を取ってきてもよかったのだけれど、この設例ではマルクスは“たまたま”上着を取り出してきて、それを等価形態に置いたのにすぎない。そういう意味で、マルクスは、簡単な価値形態を「偶然的な価値形態」と言っているのでしょう。
しかし、そのほかにまた、こういうことを考慮してのことかとも思われます。すなわち、価値形態が発展して貨幣形態になると、x量の商品A=y量の貨幣商品 という、簡単な価値形態と同じ姿に──すなわち等式の左右どちらの辺にも単一の種類の商品が置かれている形態に──復帰します。マルクス【P91】の表現によると、
〈一商品の金での価値表現──x量の商品A=y量の貨幣商品──は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。今では、鉄価値を社会的に通用するように表わすためには、1トンの鉄=2オンスの金 というような一つの単独な等式で十分である。この等式は、もはや、他の諸商品の価値等式と一緒に整列する必要はない。なぜなら、等価物商品である金は、すでに貨幣の性格をもっているのだからである。“それゆえ、諸商品の一般的な相対的価値形態は、今では再び、その最初の簡単な、または個別的な相対的価値形態の姿をもつ”のである。(『資本論』Ⅰ、110頁)〉
このように、貨幣形態になるとそれは再び「最初の簡単な、または個別的な相対的価値形態の姿をもつ」ことになるのだけれど、貨幣形態の場合には、等価形態にあるのは貨幣商品すなわち金に決まっていて、最初の簡単な価値形態の場合のようにいろいろの商品のなかから一例として“偶然的に”取り出された一商品ではない。この違いをはっきりさすために、「簡単な、個別的な」のほかに、「偶然的な」という形容詞をつけ加えることにしたのではないか、──こういうふうにも考えられるのです。
それから、このいわゆる偶然的な価値形態は価値形態の歴史的発展の過程と関係づけることができものなのかどうか、という質問ですが、このようなことが問題になるのは、おそらく、同じ『資本論』のなかに次のような記事が見出されるからだと思います。
〈第一の形態は、1着の上着=20エレのリンネル、10重量ポンドの茶=1/2トンの鉄、等々のような価値等式を示した。上着価値は、リンネルに等しいものとして、茶価値は、鉄に等しいものと【P92】して、というように表現されるのであるが、しかし、リンネルに等しいものと鉄に等しいものとは、すなわちこれら上着と茶の価値表現は、リンネルと鉄とが違っているように違っている。“この形態が実際に現われるのは、明らかに、ただ、労働生産物が偶然的な時おりの交換によって商品に転化される最初の時期だけである”。(『資本論』Ⅰ、80頁)〉
なるほどここには、「この形態」は「労働生産物が偶然的な……交換によって商品に転化される最初の時期」に「実際に現われる」と書かれていますが、ここで「この形態」と言っているのは、左右両辺のどちらにもただ一つの種類の商品が置かれている、等式としての形態であって、これを、商品の価値表現の基本的な形態としての簡単な価値形態と同じだと読んだとしたら、とんでもない間違いとなるでしょう。商品の価値形態は、生産物がすでに商品になっており、その生産のために費やされた労働が、社会の総労働の支出の一部として商品の価値を形成していることを前提しているのであって、この商品の価値をその商品の使用価値から区別して表現する形態が商品の価値形態なのです。@
ところが、上に引用した個所で問題にされているのは、「労働生産物が偶然的な……交換によって商品に転化される最初に時期」のことなのだから、そこでは、生産物は交換以前にはまだ商品になっていないわけです。したがって、商品の価値形態もまだ問題になりえないはずです。しかし、このことをわきまえた上でなら、価値形態論での形態発展と歴史におけるそれとの照応関係を考えることは、もちろんそれなりに意味のあることと思います。

【P93】8)価値物と価値体との区別について
──価値表現の回り道(1)──<この項目に対しては、価値表現の問題においては、価値物と価値体とを特別に区別する必要はないという林紘義氏の批判を別途掲載する予定です。>

О 次に、価値形態論のかなめをなす、価値表現のメカニズム、とりわけ例の、価値表現の「回り道」についての先生のご説明を読み、それから質問に移ります。
〈そこで彼は、この簡単な価値形態を分析することによって、価値表現の根本の秘密を形成するいわゆる「回り道」を発見したのであるが、それはどういうことかというと、たとえば 20エレのリンネル=1枚の上衣 というとき、20エレのリンネルの価値は1枚の上衣という形で表現されているのであるが、そういうことが行われうるためには、上衣そのものが価値の定在に、いわば“価値物”になっていなければならぬ。そうでなければ、物としての上衣の分量が価値の大きさを表わすことはできないはずである。ではどのようにして上衣は──その自然形態そのものが──そのまま価値を表わすものに、すなわち“価値物”になるのかというと、それはつまり、今の例でいえば、上衣がリンネルに等しいのだとされる、そのことによって今いったような資格が、一つの経済的形態規定性が、上衣に与えられることになる、上衣が一つの社会的生産関係を担わされることになる。上衣をつくる労働、これはもちろん、直接には特殊な具体的な労働であって、抽象的な労働ではない。上衣をつくるのは裁縫労働なのだが、上衣がたとえばリンネルに等置され【P94】ると、それによって、上衣を作る裁縫労働はリンネルをつくる織布労働に等置されることになり、両者のあいだに共通な、抽象的人間的労働に還元されることになる。と同時に上衣は、こうした抽象的人間的労働の体化物、すなわち“価値物”を意味するものになる。そういう形態規定性を与えられることになる。@
そこでリンネルは、上衣にそういう形態規定性を与えた上で、そういうものとしての上衣の身体で、はじめて自分の価値を表現するのである。こう考えてはじめて価値表現の謎は解ける、とマルクスは言うのである。@
この場合よくよく注意しなければならないことは 20エレのリンネル=1枚の上衣 という価値表現の式においては、リンネルがいきなり、自分は上衣に等しいのだということによって、自分自身で価値の形態になっているのではなくて、上衣は自分に等しいのだということによって、上衣を価値の形態に──その自然形態がそのまま価値を表わすものに──しているのだということ、そしてそうした上ではじめて、リンネルの価値が上衣の自然形態で、リンネル自身の使用価値から区別されて表示されているのだということである。これがマルクスのいわゆる価値表現の回り道なのである。(同書、7頁)〉
〈ここでわれわれが何よりもまず注意しなければならないことは、20エレのリンネル=1枚の上衣 あるいは、20エレのリンネルは1枚の上衣に値する、という価値方程式において、リンネルはいきなり“自分を上衣に等置”することによって価値形態を得ているのではなくて、まずもって“上衣を自分に等置”することによって上衣に“価値物”としての、すなわち抽象的人間的労働の直接な体化物としての、形態規定性を与え、そうした上ではじめて、この“価値物”としての定在における上衣の自然形態で、自分の価値を表現しているのだということである。“こういう回り道”をしないでは、【P95】商品は価値形態をもつことはできないのである。@
リンネルは、いきなり自分を上衣に等置することによって、すなわち自分は上衣に等しいのだと自称することによって、自分を“価値物”にすることはできない。それではたんなる独りよがりになってしまう。他面において、リンネルが上衣の自然形態でその価値を表わしうるためには、すなわち上衣の自然形態そのものを自らの価値の形態にしうるためには、あらかじめ上衣が“価値物”としての定在を与えられていなければならぬ。言葉を換えていえば、上衣の自然形態がそのまま抽象的人間的労働の体化物を意味するものとされていなければならぬ。そしてそれは、“リンネルが上衣を自らに等置”することによって行なわれるのである。リンネルは、自分は上衣に等しいのだと自称することによって自分を“価値物”にすることはできないが、上衣は自分に等しいのだと宣言することによって上衣を“価値物”(といってももちろんこの場合には単にリンネルにとってのみ通用することであって、その他の商品に通用することではないが)にすることはできる。そこでリンネルは、かようにして上衣を“価値物”にした上で、自分は価値としては上衣と同じなのだ、ということによって、上衣の形態において、自分自身の価値性格を表現するのである。すなわち、その使用価値の形態であるところの自然形態から──衣料等々の用途に適する諸属性をもつ物としてのリンネルの現実の形態から──区別された、価値形態をもつことになるのである。(同前、56頁)〉

今読みましたような先生の「回り道」の把握に対して、さまざまの立場からさまざまの批評、批判が加えられています。ここではそれらの一つ一つを紹介してそれについてのご意見をお聞きする余裕はありませんので、私自身もかねてから関心をもっておりますいくつかの点についてお話しいただきたい【P96】と思います。
まず第一に、今の引用のなかに繰り返し出てくる「価値物」という概念についてお聞きしたいのです。これについてはいろいろな異論が唱えられています。その内容はさまざまですが、実は私自身もかねてからこの点については疑問をもっておりましたので、この機会に私の疑問という形で問題を出させていただきます。
今の引用では、等価形態に置かれる上着は、この形態に置かれたときにはじめて「価値物」になる、「価値物」としての形態規定性を与えられることになっています。ここでの「価値物」の意味は、次のところにはっきりと示されています、──「ではどのようにして上衣は──“その自然形態そのものが──そのまま価値を表わすもの”に、“すなわち価値物”になるのか……」。また、繰り返して、「“抽象的人間的労働の体化物、すなわち価値物”」と言われています。「価値物」がこのようなものであるとすると、それはもちろん等価形態に立つ商品についてのみ言いうることで、相対的価値形態にある商品、たとえばリンネルはつねに「価値物」ではないということになります。実際先生は、上着のほうについてのみ「価値物」といっておられます。ところが、マルクスの場合には、「価値物(Wertding)」という言葉が先生が使われているのとは違った意味で使われているように思われてならない。『資本論』の第1章からその用例を示すと、次のようなものがあります。

〈諸商品の価値対象性は、そのどこをつかまえたらいいのか分からないという点で、クィックリーおかみとは違っている。商品体の感覚的に粗雑な対象性とは正反対に、商品の価値対象性には一分子の自然素材も入りこまない。それゆえ、個々の商品をどんなにひねくり回しても、それ【P97】は依然として、“価値物としてとらえることはできないもの”(……)である。(『資本論』Ⅰ、62頁)〉
〈しかし、質的に等置された二つの商品は、同じ役割を演じるのではない。ただリンネルの価値だけが表現される。では、どのようにしてか? リンネルが自分の「等価物」または自分と「交換されうるもの」としての上着にもつ関連によって、である。この関係のなかでは、“上着は、価値の存在形態として、価値物として、意義を持つ”。というのは、ただこのようなものとしてのみ、上着はリンネルと同じものだからである。(同前、64頁)〉
〈たとえば“上着が価値物としてリンネルに等置される”ことによって、上着に含まれている労働は、リンネルに含まれている労働に等置される。(同前)〉
〈自分の高尚な価値対象性が自分の糊のついたごわごわした身体とは違っているということを言うために、リンネルは、価値は上着のように見え、したがってまた“リンネル自身も価値物としては上着にそっくりそのままである”、と言うのである。(同前、67頁、全集版、P71)〉
〈労働生産物は、それらの交換の内部ではじめてそれらの感覚的に違った使用対象性から分離された社会的に同等な価値対象性を受けとる。“有用物と価値物とへの労働生産物のこの分裂”は、交換がすでに十分な広がりと重要さをもつようになり、したがって有用な諸物が交換のために生産され、したがって諸物象の価値性格がすでにそれらの生産そのものにさいして考慮されるようになったときに、はじめて実際的に実証されるのである。(同前、87頁)〉

これらの個所からは、次のようなことが読み取れるのではないでしょうか。すなわち労働生産物が【P98】商品になると、それは価値対象性を与えられているもの、すなわち価値物となる。しかし、ある商品が価値物であること、それが価値対象性をもったものであることは、その商品体そのものからはつかむことができない。商品は他商品を価値物として自分に等置する。この関係の中ではその他商品は価値物として意義をもつ、通用する。またそれによって、この他商品を価値物として自己に等置した商品そのものも価値物であることが表現されることになる。約言すれば、商品の価値表現とは、質的に見れば、商品が価値物であることの表現であり、等価物とはその自然形態がそのまま価値物として意義をもつ商品だ、ということです。
今申しました、「その自然形態がそのまま価値物として意義をもつもの」これが先生の意味での「価値物」ですが、マルクスはこれをさす言葉としては、むしろ「価値体(Wertkorper)」というのを使っているのではないかと思われるのです。
「価値体」の用例は初版にも現行版にもありますが、ここでは現行版から拾ってみますと、次のようなものです。
〈……リンネルの価値関係のなかでは、上着はただこの面だけから、したがってただ“体化された価値”としてのみ、“価値体”としてのみ、意義をもつのである。(同前、66頁)〉
〈……価値関係の媒介によって、商品Bの自然形態が商品Aの価値形態になる、言い換えれば、商品Bの身体が商品Aの価値鏡になる。商品Aは、“価値体”としての、人間的労働の物質化としての商品Bに連関することによって、使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。(同前、67頁)〉
【P99】〈……商品Bに対する商品Aの価値関係、上着に対するリンネルの価値関係では、上着という商品種類が“価値体”一般としてリンネルに質的に等置されるばかりでなく、ある一定分量のリンネル、たとえば20エレのリンネルに、ある一定分量の“価値体”または等価物、たとえば1着の上着が等置されるのである。(同前)〉
「たとえば、40エレのリンネルが「値する」のはなにか? 2着の上着に、である。ここでは上着という商品種類が等価物の役割を演じ、上着という使用価値がリンネルに対して“価値体”として意義をもつので、ある一定分量の上着はまた、リンネルの一定分量価値を表現するに足りるのである。(同前、70頁)〉
〈特殊的等価形態。上着や、茶や、小麦や、鉄、等々の商品は、リンネルの価値表現ではどれでも等価物として、したがってまた“価値体”として意義をもつ。(同前、78頁)〉
これらの用例でみると、「価値体」こそ、「その自然形態がそのまま価値を表わすもの」という意味をもつ概念ではないかと思われるのです。
この点について、先生はどのようにお考えでしょうか。
久留間 ……「価値体」あるいは「価値物として通用する物」と言うべきであったのを「価値物」と言ったのはぼくの大変なミスでした。……ただ、この場合のぼくの誤りは、もっぱら、「価値物」という言葉をぼくの独自の意味に──すなわちマルクスが「価値体」と言っているのと同じ意味に──使っている点にあるのですから、「価値物」と言っているのを「価値【P100】体」と訂正して読んでもらいさえすればよいので、そのために議論の筋道に変化が生じるわけではありません。

9)「回り道」とはどういうことか
──価値表現の回り道(2)──

О では、「価値物」についてはそれぐらいにして、次の問題に移ります。先生もご承知のように、先生がお書きに成った「価値表現の回り道」そのものについても、さまざまな議論が行われています。先生の「回り道」の考え方の“基本”はさきほど読みました引用の中に尽くされていると言ってよいかと思いますが、先生がマルクスから「回り道」という言葉をお取りになったのは、次の一パラグラフのなかからであり、またこのパラグラフに書かれていることをマルクスの回り道の中心内容と考えられて、さきのような議論を展開されているわけです。
〈たとえば上着が価値物としてリンネルに等置されることによって、上着に含まれている労働は、リンネルに含まれている労働に等置される。ところで、たしかに、上着を作る裁縫は、リンネルをつくる織布とは種類の違った具体的労働である。しかし、織布との等置は、裁縫を、事実上、両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間的労働という両方に共通な性格に、還元するのである。【P101】“このような回り道をして、それから”、織布もまた、それが価値を織るかぎりでは、それを裁縫から区別する特徴をもってはいないということ、つまり抽象的人間的労働であるということが、言われているのである。ただ異種の諸商品の等価表現だけが、価値形成労働の独自な性格をあらわにするのである。というのは、この等価表現は、異種の諸商品のうちに潜んでいる異種の諸労働を、実際に、それらに共通なものに、人間的労働一般に、還元するのだからである。(『資本論』Ⅰ、65頁)〉
この引用のなかの、「このような回り道をして、それから……ということが、言われているのである」という個所は、原文では Auf diesem Umweg ist dann dass…… となっています。先生の『価値形態論と交換過程論』では、今読みましたのと同じ訳し方、つまり、「このような回り道をして、それから……」となっておりますが、これは、長谷部文雄さんの訳と同じです。先生は、この「それから」という言葉のすぐあとに、「この『それから』(dann)に注意すべきである」という割注を入れられています。ついでにふれておきますが、この個所の「(dann)」は、『価値形態論と交換過程論』の第1刷では「(unt dann)」のように余計な unt が入っておりました。これはまったく単純な誤記でしたが、気がついたときにはすでに何刷も重ねておりましたので、読者のなかには誤記のままの版をおもちの方もかなりあると思います。訂正をお願いしておきましょう(62頁、後ろから3行目)。
さて、先生は今のマルクスの文章での「それから」を重視されて、この部分の前後を次のように読まれます。〈上着が価値物としてリンネルに等置されることによって、上着に含まれている労働は、リンネルに含まれている労働に等置される。……織布との等置は、裁縫を、……人間的労働という両方に共【P102】通な性格に、還元する。〉このことが“まず”行なわれて、“その上ではじめて”、〈織布もまた、それが価値を織るかぎりでは、それを裁縫から区別する特徴をもってはいないということ、つまり抽象的人間的労働であるということが、言われている〉のだ。このように読まれて、これが「こうした回り道」というさいの「回り道」の内容であって、ここに価値表現のメカニズムの肝要がある、と見ておられるわけです。そしてそこから、さきに読みました2個所でのような説明を与えられたのでした。
これに対しては、さまざまな異論があるのですが、その一つは、「上着がリンネルに等置される」ことと、「裁縫が人間的労働に還元される」ことと「織布も抽象的人間的労働であることが語られる」こととは、すべて同時に生じることであって、“時間的に”続いて生じる事象ではない、というものです。この批評については、さっきの二つの引用の最後に続くパラグラフを読めば、問題外であることは明らかですから、これを読んでおきましょう。
〈もっとも、商品はこのように一種の回り道をしてはじめて価値の形態を獲得するとはいっても、“この回り道は、時間的に前後して二度の行為によって往復されるわけではない。それは同じ一つの行為によって一挙にして達成されるのである”。すなわち、リンネルが上衣の形態でその価値を表現するためには、ただ上衣を自分に等置すれば足るのであって、“その同じ等置の行為によって”、リンネルは上衣を価値物にする“と同時に”価値物としての上衣に関係し、かくして上衣の形態において自分の価値を表現することになるのである。(57頁)〉
このように、時間的な先後関係ではないのですから、〈そのうえではじめて〉というのは、もちろん“論理的な”関係ということになります。つまり、リンネルが上着を自分に価値物として等置する行為によ【P103】って、リンネルの価値が表現される、そのさいここには二つのモメント、契機がある、一つは、上着を抽象的人間的労働の体化物すなわち価値体にするモメント、もう一つはリンネルが自分も価値であることを表現するモメントです。先生が主張されたのは、この二つのモメントの論理的関係であって、後者の、リンネルが自分も価値であることを表現する、というのは、価値体によってでしかない、ところが上着“そのもの”は価値体ではないのですから、このモメントには、上着を価値体にするという前者のモメントが先行しなければならない、こういう関係だろうと思うのです。
こうした見解に対する批判のなかには、さっき問題にいたしました「価値物」という言葉の使い方とからめて論じているものがかなりあります。そのなかではとくに、今読みましたマルクスの文章の冒頭で、「上着が“価値物として”リンネルに等置されることによって……」と書いてあるのに、久留間先生は〈上着がリンネルに等置されることによって、上着が“価値物となる”〉と主張するのだから、マルクスと先生とは根本的に食い違っているのだ、とする意見が目立ちます。
久留間 等置が価値としての等置ではないと言うのですか。
О いや、先生がそう考えておられる、と言うのです。
久留間 そんなことはありません。リンネルが上着を自分に等置する。このときなにが等しいとして等置するのかと言えば、価値が等しいとして等置するのです。その結果、上着が価値体になる。
О しかし、『価値形態論と交換過程論』では、そうした「価値として等置する」、あるいはマルクスの「価値物」という言葉を使えば「価値物として等置する」のだという点は、たしかにあまり強調されていないように思えるのですが。
【P104】久留間 それは、いわば分かりきったこと、自明のことだから強調しなかっただけのことです。リンネルが上着を自分に等置するのは、使用価値の点で、自然形態の点で等しいとして等置するものではありえない。ただその場合でも注意しなければならないのは、「上着が価値物としてリンネルに等置される」と言ってもこの等置の前にリンネルも上着もすでに価値物の“形態”をもっていて、そのうえで等置されるのではなく、上着が“価値物としての規定性において”等置されるのだということです。これによって上着は“価値体としての形態規定性”を与えられることになるのです。
О 分かりました。それでは諸々の批判が「価値物」に引っかかっている点は無視することにいたしましょう。そうすると、一つの中心的な問題は、さきの二つのモメントがはたして論理的に先後関係にあるのかどうか、そうした一方的前提の関係ではなくて、相互前提の関係ではないのか、ということになると思います。リンネルが上着を価値体にするモメントと、リンネルがこの価値体で自己の価値を表現するモメントとは、前者が後者の一方的前提ではなくて、後者も前者の前提となっているのではないか、と言うのです。上着が価値体となるのはリンネルがそれを自己に等置したからですが、この等置によってリンネルは自己の価値を上着で表現している、上着は価値表現の材料となっている。上着が価値体であるのは、それがリンネルの価値を表現しているかぎりにおいてではないのか、リンネルの価値を表現する前に上着のほうだけが価値体になってしまうことがあるのだろうか、という疑問です。
久留間 それは一応は、もっともな疑問です。そういう疑問が出ることを予想して、もっと懇切に書くべきだったかもしれない。またぼくの書き方に舌足らずのところがあったかもしれません。しか【P105】しぼくは今も、あのように書いたのが間違っていたとは思っていないのです。その意味を少し説明しましょう。
マルクスは簡単な価値形態の分析の最初に、一つの商品の価値表現の両極にある二つの商品の役割を述べ、この両者は相対的価値形態と等価形態にある、と名付けたうえで、この両形態の、一見して明らかな関係を確認しています。初版の「付録」ではこの部分は、「a 両形態の不可分離性」、「b 両形態の対極性」、「c 相対的価値形態と等価物とは、価値の諸形態であるにすぎない」、という三つの項目に分けられています。ここではまだ、簡単な価値形態の本格的な分析にとりかかっていません。この段階では、「相対的価値形態と等価形態とは、同じ価値表現の、互いに属しあい互いに制約しあっている不可分離な両契機であるが、同時にまた、同じ価値表現の、互いに排除しあう、または対立した両極端すなわち両極である」(『資本論』Ⅰ、63頁)、という両者の関係 Verhaltnis を述べています。ある商品が自分の価値をある他商品で表現する、ということと、この他商品が価値表現の材料として役だち、等価として機能する、ということとが、相互制約的な、君の言う相互前提的な、両モメントであるということです。この段階では、たしかに、リンネルが自分の価値を表現するには上着を等価物にしなければならないと同時に、上着が等価物になるにはリンネルが上着で価値を表現しなければならない、という相互前提関係があり、一方的前提の関係ではありません。しかし、ここでもすでに注意しなければならないのは、両契機が“一商品リンネルの価値表現”のそれであるということ、リンネルが能動的役割を果たしているのだということ、上着が自分から等価物になろうとしているのではないということです。このことは、続く相対的価値形態の分析のなかで、重要な意味をもってきます。
【P106】相対的価値形態の分析に入ると、そのa、「相対的価値形態の内実」の冒頭で、ここでの課題が「“一商品の簡単な価値表現”が二つの商品の価値関係のうちにどのように潜んでいるかを見つけ出す」ことにあることを明示したうえで、リンネル=上着 という等式の質的な面を取り出し、これを分析するのです。ここではすでに、たんなる相互制約、相互対立の関係を越えて、“自分の価値を表現する一商品リンネルの他商品への連関” Beziehung が問題になっています。だからマルクスは、「しかし、質的に等置された二つの商品は、同じ役割を演じるのではない。ただ“リンネルの価値だけが表現される”。では、“どのようにしてか”?」と設問し、「リンネルが自分の『等価物』または自分と『交換されうるもの』としての上着に対してもつ連関によってである」、と答えるのです。(以上、『資本論』Ⅰ,64頁)。ぼくが「“価値表現の”メカニズム」と名づけたのは、この設問に対する答えの部分に他なりません。その答えのもっとも重要な、基本的な質的内容を、ぼくは分かりやすく一口に「回り道」という言葉で表現したのでした。
リンネルは自分の価値を自分だけではけっして表現できない。他商品を価値として自分に等置しそれを等価物に、つまり価値物としてのみゲルテンするものに、価値体に“することなしには”自分の価値を表現できないのです。“リンネルが自分の価値を表現すること”──そして今はその「どのようにして」が問題になっているのです──は、他商品に価値体としての形態規定性を与えること“によって、はじめて”なし遂げられるのだということ、これは否定すべからざる事実ではないでしょうか。こういうことを問題にしているときに、“上着が価値体になるのには”、リンネルが上着で自分の価値を表現しなければならないではないか、と言ってみても、なんの役にも立たないでしょう。そのこと自体は誤っていないに【P107】しても、一体、“上着が能動的に”どのようにして等価物になるのかといったことが問題になっているでしょうか。上着は受動的にそうした形態を与えられるのであり、しかもここでは、そのことの「どのようにして」が問題になっているのではありません。“価値表現の”「どのようにして」が問題なのです。
しかもこの場合、リンネルが上着に連関する仕方は、“自分を”いきなり価値として“上着に”等置するという仕方ではありません。そういう等置は、相手にとって自分がすでに価値としてゲルテンしてなければできるものではありません。そういう等置ではなくて、まだ価値としての形態をもっていない“自分に相手を”等置し、“自分に等しいもの”としての相手に連関するのですね。こうしてはじめて、リンネルは自分の価値を表現することができる。
О 今おっしゃった、リンネルが“自分に上着を”等置するのか、“上着に自分を”等置するのか、という点については、マルクスの文章のなかに出てくる sich den Rock gleichsetzen という言葉の誤訳も指摘しておられましたね。この場合、 denn Rock が4格であるのは明らかですから、sich が3格であることも同様に明らかです。だから、「自ら“に”上着“を”等置する」と訳す他はないのに、初版のそれまでの邦訳では、いずれも「自ら“を”上着“に”等置する」となっている。しかも、これが単純なミスでないらしいということが、ほかの sich einen Rock gleichsetzen や sich ihn als Wert gleichsetzen なども、まったく同じように誤訳されていることから、推測されるわけです。訳者は、“内容的に”「自ら“を”上着“に”等置する」であるべきだと考えて、こう訳したのではないか、と思われるのですね。
久留間 その個所については、宇野君の『資本論50年』だったかで、文法的にも内容的にもどっちだっていいんだ、といったような議論をしていましたね。
【P108】О はい。文法的にもどっちだっていいというのは、ドイツ語を知っているはずの人々の議論としては信じれないような奇怪な議論ですから、この場合にもやはり、“内容的に”どっちでもいいということがむしろ言いたいことだったのではないでしょうか。ここにたまたま、宇野弘蔵編『資本論研究』Ⅰ(筑摩書房、1967年)のなかで、先生の「回り道」についてコメントしている部分がありますが、ここで執筆者の降旗節雄氏は、「久留間の以上の主張の論拠は、マルクスの文章に対する次のような翻訳上の問題にある」、と言って今の sich den Rock gleichsetzen についての先生の指摘を取り上げ、まるで先生が翻訳に独自の解釈を盛り込んでそれを論拠に「回り道」を主張したかのようなことを書いています。そのなかで、さきほど読みました引用にあった次の部分、──リンネルは、いきなり自分を上衣に等置することによって、すなわち自分は上衣に等しいのだと自称することによって、自分を価値物にすることはできない。それでは単なる独りよがりになってしまう」、という部分について、次のようなことが言われています。
〈しかしリンネルが「いきなり自分を上衣に等置」しようが、、あるいは「上衣を自分に等置」しようが、いずれもリンネルの「独りよがり」であることに変わりはないのではなかろうか。むしろ価値形態は、相対的価値形態に立つ商品のかかる「独りよがり」の行為によって成立する点に、その基本的性格があると理解すべきであろう。リンネルが「自分を上衣に等置」しようが、「上衣を自分に等置」しようが、この等置関係の設定自身は上衣の関知したことではない。そうだからこそこの等置関係を前提として、上衣のみが「直接的交換可能性という属性」を獲得しうるのである。つまり、リンネル所有者でなく上衣所有者のみが、この関係において、任意に相手の商品との交換を決【P109】定しうるのは、リンネルの「独りよがり」の行為の反面にほかならぬのである。(同書、133頁)〉
降旗氏は、先生の指摘が文法的にどうかについてはなにも言わないで、内容的にどちらでもいいのだ、と言っているわけです。
久留間 そうすると、翻訳ではどう訳すべきだと言うのだろう。どっちでもいいと言うんだろうか。
О どうなのでしょうね。不思議なことに、比較的新しい初版の訳である、岡崎次郎訳『資本論第一巻初版』(大月、1976年)でも、依然として同じ誤訳が踏襲されています。……これもたんなるケアレス・ミステイクと見てよいのかどうか。
久留間 そうね。なにかの先入見があるのでしょうね。宇野君の『資本論50年』にぼくはなにか書き込みをした記憶があるのだけど、ちょっと見てみましょうか。
О はい。おっしゃるとおり、ここに書き込みがあります。宇野さんの、
〈久留間さんのは、リンネルは上着を自分に等しいというんで、自分を上着に等しいというのではない。上着を自分に等しいというのが回り道だ。そうかもしれないのだ。しかし自分を上着に等しいとするのではなくて、上着を自分に等しいという表現が、回り道だというのだったら、大したことじゃないとぼくは考えたわけだ、(……)〉
という発言に対して、ある人が、
〈語学上の問題ですが、ジッヒ・グライヒゼッツェンのジッヒは、4格であるということは絶対にないんですか、(同前)〉
と聞いています。ここに先生は次のように書き込まれている。
〈何という分からず屋だ。問題はジッヒが4格になることがあるかどうかではなくて(事実上4格にももちろんなりうる)、 denn Rock がここでは4格なのだから、ジッヒは3格でしかありえない、ということなのだ。だからもし上着が3格で sich dem Rock gleichsetzen であったら、既存の訳でよいことになる。この場合には、上着が3格だから、ジッヒは4格になる。両方が3格だとか、両方が4格だとかいうことはありえないからだ。「上着を自分を等置する」と言ったら、中学生でも「ナンセンス」と言うだろう。〉
またこのあとある人が、
〈これはドイツ語をやっている人に聞いても、分からないんだそうです。ぼくは中野(正)先生に聞いたんですが、だいぶ調べたらしいですね。『価値形態論』を書くときに。いろんな人に聞いたらしい。そして結局どっちにしても同じことなんだという結論に、中野さん自身も到達したようです。(……)〉
と発言しているところに、先生は「なにをどう聞いたのだ、あきれたボーイズ!」と書き込まれています。そのあとで、宇野さんが、
〈久留間さんのでは、独りよがりというのと、宣言というのを分けるところが、一番ハナだね。自分に等しいというときは、独りよがりじゃないと言うんだ。宣言するということになる。自分を相手に等しいというのは、自分のほうで独りよがりだ。だけど商品の価格表現というのは、独りよがりの宣言なんだとぼくは言ったのだ。もっとも単なる独りよがりではない。同じ商品【P111】の売り手も他にあるし、また事情によっては直しもするわけです。そこに意味があるんでね、(……)〉
と言っているところで、先生はまず、このなかの「商品の価格表現というのは、独りよがりの宣言なんだとぼくは言ったのだ」というところに、
〈これは価格の高さのこと(言い値のこと)を考えているのだろう。価値形態の本質的な問題とはちがう。この区別さえも分からぬとは!〉
と書かれ、さらに、今の発言の全体に次のようにコメントされています。
〈これはもともとドイツ語に特有な問題ではない。たとえば日本語でも、AをBに等しいとするというのと、BをAに等しいとするというのとは、ちがうだろう。AがBに向かって「あなたは私の魂です」と言ったら、BはAに対して彼の「魂」として振舞いうることになる。ところがAがBに向かって「おれは君の魂なのだ」と言ったら、Bは「このうぬぼれ野郎、なに言ってやがるんだ、くそくらえ」と言うだろう。「独りよがり」と言ったのはこのことなのだ。〉
このあと、宇野さんは、
〈根本は所有者の欲望とか、つまり価値を他の商品の使用価値で表わすということの意味だが、これがマルクスでもはっきりしていなかったとぼくは思うんだ。だからその点は、ぼくのメリットだと内心はそう思っていたんだ、(……)〉
云々、と続けています。

今の書き込みのなかでもすでに触れられていたことですが、「自分に」でも、「自分を」でも、どち【P112】らでもいいのだという、そして、どちらにしてもリンネルの「独りよがりだ」という、降旗氏の主張については、どうお考えになりますか。
久留間 要するに、リンネルのみが能動的な役割を果たし、上着は受動的に等価物にされるにすぎない。これはつまりリンネルが「独りよがり」の行為をしているということなので、ここに価値形態の基本的性格がある、だからこのことが分かっていればいいので、リンネルが「自分を上着に等置」しようが、「上着を自分に等置」しようが、どちらだって同じことだ、というのですね。
これはおそらく、リンネルの“所有者”が上着への“欲望”をもち、そこで“リンネルと上着とを等置”して、上着とならリンネルを“交換してもいい”と言う、これが リンネル=上着 の肝心なところだ、という考えからきているのでしょう。つまり、“等置する”のがリンネル“所有者”の側であることさえつかめばいい、そして上着の所有者とは無関係に勝手に等置するのだから、これはもともと「独りよがり」の行為なのだ、というわけです。
こういう議論こそ、ぼくが『価値形態論と交換過程論』のなかで、とくにその後篇で批判した、宇野君の議論の根本なので、降旗氏はそれを繰り返しているにすぎない。ぼくはあのなかで、
〈たとえば余分のメンコをもっている凹坊が、それをベーゴマに替えたいと思って、メンコ10枚やるから誰かベーゴマ1つくれないか、と言ったとしても、それが“商品の価値関係”でないかぎり、ベーゴマはメンコの価値の現象形態になりはしない。“商品の価値関係”を特徴づけるところのものは、“対象化された人間労働としての商品の等置の関係”である、(同書、66頁)〉
と書きました。“リンネルと上着との関係が価値関係であることを認めるのなら”、リンネルの所有者が上着を欲していることは捨象して、「対象化された人間労働としての商品の等置の関係」に目を向けて、この等置のなかでどのようにしてリンネルの価値が表現されるのかを明らかにすべきでしょう。そしてそのように問題を立てれば、「自分を上着に等置」することと「上着を自分に等置」することとの決定的な違いが目に映るはずです。@
リンネル=上着 という等式のなかにイコールの関係があると同時に、リンネルの価値のみが表現されていること、上着のみが等価物となっていること、を見なければなりません。左辺と右辺とは意味が違うのです。この違いは、右辺の商品は左辺の商品の所有者の欲望の対象である、という点にあるのではない。そのことを度外視したうえでなお残る違いです。
この等式は、言うまでもなくリンネルが自分の価値を表現している等式です。まず“主体”として、商品リンネルがあり、“それに”等置が行なわれる。“なにが”等置されるのか。この例では上着です。つまりこの等式における等置とは、リンネル“に”上着“が”等置されるということであって、その逆ではありえない。上着“に”リンネル“が”等置される等式は、 上着=リンネル であるほかない。さらにこの等置を行うのはリンネルか上着か。言うまでもなくリンネルに上着を等置したのはリンネルの所有者ですが、“リンネルの価値表現”における“主体”はリンネルです。“上着が”等置をするのではなくて、“リンネルが”等置をするのです。したがって、リンネル“に”上着“が”等置される、という等置はリンネルが行なう等置である。これは言い換えれば、リンネル“が”自分“に”上着“を”等置する、ということに他ならない。@
「自分に上着を」を逆にして「自分を上着に」としたら、どういうことになるか。リンネル“が”自分“を”上着“に”等置する。これは結局 上着=リンネル という等式を“リンネルが”、つまり“右辺の商品が”つくる、ということに帰着します。これはつまり、商品は自分から勝手に等価物になれるということです。はたしてそういうことは可【P114】能か。言うまでもなく、まったく不可能です。つまり、商品は自分から進んで他商品の等価物であると証してみても、それはその他商品にとって通用しないまったくの「独りよがり」でしかありません。直接には使用価値である商品が他商品に対して、いきなり価値体として通用することはできないのです。@
だが一商品たとえばリンネルは、他商品たとえば上着を自分に等置することによって、上着に価値体としての形態規定を与えることはできる。そしてこの形態規定における上着の身体で自分の価値を表示する、あるいは、この形態規定における上着の身体を自分の価値の形態にすることはできる。「それは、直接に自分に対してすることができないことを、直接に他の商品に対して、したがってまた回り道をして自分自身に対して、することができる」(『資本論』Ⅰ、初版、20頁)のです。これはけっしてリンネルの「独りよがり」ではありません。これによって、現に上着はリンネルに対する直接的交換可能性を与えられているのです。このように、リンネルが「自分を上着に等置する」ことと、「自分に上着を等置する」こととのあいだには、決定的な違いがあるのです。
降旗氏がこのようなぼくの区別を理解することができないのは、繰り返して言いますが、商品所有者の欲望を、そしてそもそも商品所有者を、捨象して、はじめて、「一商品の簡単な価値表現が二つの商品の価値関係のなかにどのように潜んでいるかを発見する」ことができる、という事実を認めることができないからでしょう。
О 「自分に上着を等置する」という部分の訳し方のことで、ちょっと脇道に入ってしまいました。話を戻して、「回り道」について話を続けていただけませんか。
久留間 必ずしも脇道ではないでしょう。今の問題は、「回り道」を理解するのに大切なところだ【P115】と思いますから。
さて、今言ったように、リンネル=上着 という等式が成立するのはリンネル所有者が上着を欲しいと思ったからに違いありませんが、価値形態の分析としては、そういう等式成立の理由は度外視しなければなりません。等式があるからには、同等性の関係があり、その同等性が価値としての同等性であることは言うまでもない。問題は、この等式のなかで、どのようにしてリンネルの価値が表現されているのか、ということです。それに対して、〈他商品上着と関連することによってだ〉、と答えるのは、答えの第一歩でしかない。
リンネルの上着に対する関係は、「反省関係」だ、ということがよく言われています。それはまったくそうに違いない。他のものに関係することによって、自分自身に関係するのですから。マルクスも、「リンネルは、他の商品を自分に価値として等置することによって、価値としての自分自身に連関する。リンネルは、価値としての自分自身に連関することによって、同時に自分を使用価値としての自分自身から区別する。」(『資本論』Ⅰ、初版、16頁)、と言っています。反省関係だというのに、ちっとも異論はない。「回り道」は、そうした反省関係だ、他のものとの関係における媒介的な仕方での価値表現のことだ、と言う人にも、そういう言葉の使い方をしてはいけないとは言わない。しかし、ぼくが「回り道」ということで言いたかったのは、そうした反省関係、価値表現の媒介的な仕方の肝心な内容、マルクスが力をこめて明らかにしようとした「相対的価値形態の内実」の要なのです。それが、リンネルは、自分に上着を価値物として等置することによって、上着に価値体としての、抽象的人間的労働の体化物としての形態規定性を与え、これによって、はじめて自分も価値物であるこ【P116】とを表現するのだ、ということなのです。“価値表現”のメカニズムを問題にするかぎり、「回り道」はこういう回り方をする回り道でしかありえないでしょう。
しかしこのことは、“上着が価値体としての形態規定性を与えられるのは”、リンネルが上着で自分の価値を表現するからだ、ということを否定するものではけっしてありません。現にマルクスは、「等価形態」の分析に移ると、ここでは、相対的価値形態のところで明らかにされたことを前提にして、今度は事柄を等価形態の側から見ていく。そして、ある商品が等価物であり、直接的交換可能性をもつのは、その商品を自己に等置しその商品で自己の価値を表現する商品があるからだ、ところが、そのある商品はその自然形態がそのまま価値形態として通用する、つまり価値体となっているので、等価形態の謎的性格が生じるのだ、ということを明らかにしています。ここでは、“等価物成立が他商品の価値表現を前提する”という関係が述べられているとも言えるでしょう。いわば、等価物の「どのようにして」を問題にするということです。しかし、言うまでもないことですが、そういう問題は、価値表現の「どのようにして」の問題の一部をなす問題にすぎず、価値表現の「どのようにして」が解明されれば、それと同時にその問題も根本的には解明されたと言えるわけで、だから「等価形態」のところでは、その形態そのものを説明したあと、ただちにこの形態の特色の説明に入っていくのです。
ですから、等価形態のところにも、「回り道」の理解に資する個所があるのですが、とくに、第二の特色のところには注目すべき叙述があります。『レキシコン』では現行版からの引用(『資本論』Ⅰ、70頁)しか入れませんでしたが、初版「付録」のなかの、「β 等価形態の第二の特色──具体的労働がその反対物である抽象的人間的労働になる」の部分は重要ですから、ちょっと読ん【P117】でみましょう。
〈上着はリンネルの価値表現のなかでは“価値体として”意義をもち、それゆえ上着の“物体形態”または“自然形態”は“価値形態”として、すなわち“無区別な人間的労働の”・人間的労働そのもの(schlechthin)の・“体化”として、意義をもつ。@
しかし、上着という有用物を作りその特定の形態を与える労働は、“抽象的人間的労働”・人間的労働そのもの(schlechthin)・ではなくて、“一定の、有用的な、具体的な労働種類”、すなわち“裁縫労働”である。@
簡単な相対的価値形態が必要とするのは、一商品、たとえばリンネルの価値が“ただ一つの他の商品種類”でだけ表現されるということである。しかし、“どれが”この“他の”商品種類かということは、簡単な価値形態にとってはまったくどうでもよいことである。リンネル“価値”は、商品種類“上着”ででなければ商品種類“小麦”ででも、あるいは、商品種類小麦ででなければ商品種類“鉄”、等々ででも、表現されることができよう。しかし、上着であろうと小麦であろうと鉄であろうと、つねに、リンネルの“等価物”はリンネルにとって“価値体として”、それゆえ“人間的労働そのもの(schlechthin)の体化として”意義をもつであろう。しかもつねに、“等価物の特定の物体形態”は、それが上着であろうと小麦であろうと鉄であろうと、“抽象的人間的労働の体化ではなく”、裁縫労働なり農民労働なり鉱山労働なり、とにかく“一定の、具体的な、有用的な労働種類”の体化であり続けるだろう。@
したがって、“等価物”の商品体を生産する“特定の、具体的な、有用的な労働”は、“価値表現のなかでは”、つねに必然的に、“人間的労働そのもの(schlechthin)の”・すなわち“抽象的人間的労働の”・“特定の実現形態”または“現象形態”として“意義”をもたなければならないのである。@
たとえば上着が“価値体”として、それゆえ“人間的労働そのもの(schlechthin)の体化として”、“意義をもつ”こ【P118】とができるのは、ただ、裁縫労働が、それにおいて人間的労働力が支出されるところの・すなわちそれにおいて抽象的人間的労働が実現されるところの・“特定の形態として”、“意義をもつ”かぎりにおいてでしかない。
価値関係および価値表現の内部では、抽象的一般的なものが具体的なもの、感覚的現実的なものの属性として意義をもつのではなく、感覚的具体的なものが、抽象的一般的なものの単なる現象形態または特定の実現形態として意義をもつのである。@
たとえば“等価物”たる上着のなかに潜んでいる“裁縫労働”は、リンネルの価値表現の内部では、人間的労働でもあるという“一般的属性”をもつのではない。逆である。“人間的労働であるということ”が、“裁縫労働の本質”として意義をもつのであり、裁縫労働であるということは、ただ、“裁縫労働のこの本質の現象形態”または“特定の実現形態”として意義をもつだけなのである。@
この“取り違え”(quid pro quo)は不可避である。なぜなら、労働生産物で表わされている労働が“価値形成的”であるのは、ただ、その労働が無差別な人間的労働であり、したがって、一生産物の価値に対象化されている労働が異種の一生産物の価値に対象化されている労働と“まったく区別されない”かぎりにおいてでしかないからである。
この“転倒”によって、感覚的具体的なものが抽象的一般的なものの現象形態として意義をもつにすぎず、逆に抽象的一般的なものが具体的なものの属性として意義をもつのではないのであるが、この“転倒”こそは価値表現を特徴づける。それは同時に、価値表現の理解を困難にする。@
もし私が、ローマ法とドイツ法とはともに法である、と言うのなら、それは自明なことである。これに反して、もし私が、“そも<そもさん≒さて>”法“なるもの”が、この抽象物(abstraktum)がローマ法において、およびドイツ法【P119】において、“実現される”、と言えば、その関連は神秘的なものになるのである。(『資本論』Ⅰ、初版、770頁。強調─マルクス)〉
ここでマルクスが付けている強調は、どういう点が重要であるかをよく示していますが、とくに、「等価形態の商品体を生産する特定の、具体的な、有用的な労働は、価値表現のなかでは、つねに“必然的に”、人間的労働そのものの・すなわち抽象的人間的労働の・特定の実現形態または現象形態として意義をもた“なければならない”」という個所、および、「たとえば等価物たる上着のなかに潜んでいる裁縫労働は、リンネルの価値表現の内部では、“人間的労働でもある”という一般的属性をもつのではない。逆である。“人間的労働である”ということが、“裁縫労働の本質”として意義をもつのであり、“裁縫労働である”ということは、ただ、裁縫労働の“この本質の現象形態または特定の実現形態”として意義をもつだけなのである」、という個所に注目してほしい。裁縫労働は、価値表現のなかでは、人の欲望を満たす有用性をつくりだすものとしてではなく、人間的労働の実現形態としてのみ意義をもつのですが、これはリンネルが自分に上着を等価物として等置することによって、そうしているかぎりにおいて、生じることです。リンネルは自分自身を生産する労働、機織労働をけっしてそうしたものにすることはできません。裁縫労働をそうしたものにする、そしてそのうえで、自分も人間的労働の凝固物、価値であることを表現できるのです。
ところで、こうしたことは、それを論じることによってなにを明らかにしようとするのかがはっきりしないと、どうでもよい、無用な議論だと思われることになる。もっと一般的にいえば、価値形態の分析を通じてなにを明らかにするのかということをはっきりつかまえないと、何も分からないことにな【P120】る。それは基本的には、商品生産が社会的生産の特有な仕組みだということ、直接には私的な労働として行われる労働が社会的労働にならなければならない、ということです。商品生産であろうと共産的な生産であろうと、諸個人の労働は人間的労働として互いに連関させられているのであるが、商品生産のもとではそれが独自な形態で現われなければならない。それが等価形態のところで現われるのです。
旧著でのぼくの叙述に舌足らずなところがなかったとは言わないが、しかし分析というのは、つねに、そこでなにを明らかにしようとしているのかということによって、その仕方も決定され、制約されている。そういうものを読み取ることをせずに、つまり、そこでなにを明らかにしようとしているのかということを読み取ろうとしないで、言葉の使い方のようなことにばかり引っかかっていたとしたら、それはつまらないことです。

О そのつまらないことに、もう少しこだわらせていただきたいのです。というのは、さきほど読みました、「こうした回り道をして」というマルクスの一節について、「こうした回り道をして、それから」、と訳すのは誤訳ではないか、という点です。この「それから」は dann の訳語ですが、これは英語の then と同じく「その場合」とか「そのさい」とかいう意味がある。いまの個所での dann は「それから」ではなくて「そのさい」と読むべきではないか。こうした意見は、先生の「回り道」を批判し否定する人のあいだにばかりでなく、先生のお考えを積極的に支持する人のなかにもあります。たとえば、すでに1961年に刊行された『資本論辞典』(青木書店)のなかの「価値形態」という項目で、三宅義男先生が久留間先生の「回り道」の見解に基本的に一致する解説を書かれていますが、そのなかの【P121】引用では、「こうした回り道をすることによって、そのさい」とされています。これは私の知るかぎり、“「それから」に対して意識的に”「そのさい」を対置した最初のものですが、最近では、武田信照氏が、「そのさい、こうした回り道をして言われているのは……」、と訳すことを提唱し、それに賛同する人たちもいるようです。武田氏の場合には、先生の「回り道」についての論拠をくずす目的で言われているものです。武田氏のように訳すことによって、先生の「回り道」の論拠がなくなると考えるのは、「回り道」の言葉はあれこれ論じてもその本当の意味を考えようとしないことからくるのだと思いますが、それはともかく、「そのさい」と読むべきだという主張が出てくる一つの理由は、純粋に“言葉の問題”として、あるいは語感としてそう読むほかはないのではないかということがあるのだろうと思われるのです。実は私もそのように考えている一人なので、私の感じを言わせていただきますと、 Auf diesem Umweg ist dann gesagt, dass… というこの文の中心は、 dass 以下のことが言われている、というぶぶんであり、それに auf diesem Umweg と dass という二つの修飾が付いている。つまり、 dass 以下のことが言われているのが、一つは「回り道をして」なのだ、ということ、ひとつは「それから」または「そのさい」なのだ、ということです。「回り道をする」ということがあって、“これに続くという意味での”「それから」が来ている、というふうにはどうも読めない。「それから」と読むにしても、──内容的には同じことになるかもしれませんが──この「それから」は、“前文の”、「織布との等置は、裁縫を、事実上、両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間的労働という両方に共通な性格に、還元するのである」、と受けて、「それから」と読むべきであるように思われる。ですから、訳としては武田氏のように、「そのさい、こうした回り道をして」、とするのが自然のように感じるのです。
【P122】また別の論拠として言われていることに、フランス語版での訳し方、つまり C’est une maniere detournee d’exprimer que…(武田氏の訳では、「以上のことは、……ということを言い表わす迂回的方法なのである」、江夏・上杉訳では、「このような回り道として、……ということが表現されるのである」)という訳では、「それから」とはとうてい読めないということがあります。念のために英語版について見ると、こちらは In this roundabout way, then, the fact is expressed, that… というふうに、なっています。
最後に──私はこれには賛成できませんが──内容的にみて、「それから」ではおかしい、ここでは先後関係が言われていると見るべきではなく、媒介関係が言われていると見るべきだ、という見解もあるわけです。これはむしろ、先生の「回り道」理解の批判を前提にするものですね。
久留間 dann を「それから」と読むか「そのとき」と読むかは、語学上の問題はともかく、内容的には結局、 dass 以下に述べられていることを回り道の外部のことと解するか、内部のことと解するかの問題に帰着するように思われるのですが、もしそうだとすると、それをどちらに解するかは、ぼくにとってはどちらでもよいことです。ぼくが dann を「それから」と読み、そのうえさらに「この『それから』に注意すべきである」とわざわざ書き加えたのは、等価形態に置かれた商品上着は、たんなる使用価値たとえば保温に役立つ物としてではなく、それが等価形態に置かれることによって新たに“価値体”という形態規定を与えられ、“この形態規定においてはじめて”相対的価値形態にある商品リンネルの価値の形態になっているのだ、ということを強調したかったからです。このことが理解されないと、【P123】たとえば商品リンネルに等置された上着がリンネルに対して直接的交換可能性をもつのは、リンネルの所有者が上着をほしいと思い、上着との交換を望んでいるからだという、俗学的な見解におちいることになる。これでは、両商品の関係は価値関係ではなく、したがってまた、価値表現の関係でもないことになる。このような俗学的見解をしりぞけるためにも、あのさいぼくは、さきに言ったようなことを強調する必要があると思ったのです。
しかしそれはともあれ、さきに言った、上着が等価形態に置かれることによって上着の使用価値は価値体という形態規定を新たに与えられているのだということ、そしてこの形態規定における上着の使用価値の形態で、リンネルはそれ自身の価値を、それの使用価値から区別されたものとして表現しているのだということ、──このことが分かればよいので、右に述べたいろいろの関連のうちのどこまでが回り道の範囲に属するかという点にぼくは重点を置いていたわけではないのです。
なお、商品の価値表現の仕方に関連してマルクスが「回り道」と言っている場合、彼がこの言葉をどのような意味で使っていたか──とりわけ、その「回り道」の要(かなめ)の点がどこにあると考えていたか──を知るためには、次の個所が参考になるでしょう。
〈……商品は、もともと一つの二重物、すなわち使用価値および価値、有用的労働の生産物および抽象的な労働凝固体である。それゆえ商品は、自分が商品なのだということを表わすためには、その形態を二重にしなければならない。使用価値の形態は、商品は生まれながらにもっている。それは商品の自然形態である。価値形態は、商品が他の商品との交わりにおいてはじめて獲得するものである。だが、商品の価値形態は、それ自身がまた対象的な形態でなければならない。諸商品の【P124】唯一の対象的な形態は、その使用姿態、その自然形態である。@
ところで、一商品、たとえばリンネルの自然形態はその価値形態の正反対物なのだから、それは、なにか他の自然形態を、他の一商品の自然形態を、自分の価値形態にしなければならない。“それは、直接に自分自身に対してすることができないことを、直接に他の商品に対して、したがってまた回り道をして自分自身に対して、することができるのである”。それは自分の価値を、それ自身の身体で、言い換えればそれ自身の使用価値で表現することはできないが、しかしそれは、直接的な価値定在としての他のある使用価値あるいは価値体に連関することはできる。それは、それ自身のうちに含まれている具体的労働に対しては、抽象的人間労働のたんなる実現形態としてのこの労働に関係するということはできないが、しかし、他の商品に含まれている具体的労働に対してはそうすることができる。そうするためには、その商品はただ、他商品を自分に対して等価物として等置しさえすればよい。……(『資本論』Ⅰ、初版、20頁)〉
О 今までのご説明で、『価値形態論と交換過程論』で回り道についてお書きになった意味がよく分かりました。 dann を「そのさい」と読んでも「それから」と読んでも、あのパラグラフから読み取るべきポイントには変わりがないということは、まったくそのとおりだと思います。
久留間 今度の「貨幣Ⅰ」では訳文ではどうなっているのですか。
О 先生編の『レキシコン』のなかで、この「回り道」にかかわる重要な部分が先生のご解釈と食い違うのもどうかと思いまして、『価値形態論と交換過程論』にならい、「それから」といたしました。
ところで、さきほどちょっと触れました、「回り道」についての先生のご説明に対する批判を dann の【P125】訳し方と直接に結びつけているような議論については、どのようにお考えですか。
久留間 どういうものがあるのか、よく知らないので、具体的に意見を言うことはできません。ただ、さっき話しに出た武田氏のものはその一つでしょう。あれを読んで感じたのは、この論者は「価値物」という言葉にこだわって、等価物となる商品たとえば上着は最初から価値物なんだ、価値物として等置するのだ、ということばかりを言い、それとは区別される“価値体”に、すなわち抽象的人間的労働の体化に上着がなるということ、そしてそれは、リンネルが自分に上着を価値物として等置することによってはじめてそうなるのだ、という観点の重要性に気がついていない、ということでした。ぼくへの批判について言えば、つまるところ、さっきもちょっと言いましたが、言葉にとらわれて、そこでなにが問題になっているのかを見失っているのではないか、という印象を受けたのです。
10)「相対的価値表現の形式内実」とはなにを意味するか
──ヘーゲルの判断論とマルクスの価値形態論──

О 「回り道」については、まだ重要な論点がいろいろあるかと思いますが、今回はこれぐらいにして、先に進むことにします。
【P126】次の問題は、『資本論』第1部の初版の注20に書かれていることの意味をどう理解するか、ということです。そこには次のように書かれています。
〈ヘーゲル以前には専門の論理学者たちが判断および推論の範例の形式内容さえも見落としていたのだから、経済学者たちが素材的な関心にすっかりとらわれて、“相対的価値表現の形式内実”を見落としてきたということは、ほとんど驚くにあたらないのである。(『資本論』Ⅰ、初版、21頁)〉
このなかで「相対的価値表現の形式内実(Formgehalt)と言われているのは、どういうことか、また、この注は全体として何を言わんとしているのか、お教えいただきたいのです。
実は、先年、尼寺義弘氏の『価値形態論』(アオキ書店、1978年)が刊行されましたが、その「第8章 ヘーゲル判断論とマルクス価値形態論」で、この注20を真正面から取り上げて、なかなか興味ぶかい議論を展開しています。これについても、先生のご意見をお聞きできればと思っています。
久留間 尼寺氏の本はまだよく読んでいないので、そこで論じられていることについてどう考えるかと問われても答えられないのですが、マルクスが初版の注20で、経済学者たちによる Formgehalt des relativen Wertausdrucks (相対的価値表現の形式内実)の看過を、専門の論理学者たち── die Logiker von Profession を「専門の論理学者たち」と訳すことには疑問があるが、ひとまず従来の訳に従っておきます──による Formgehalt des Urteils und Schlussparadigmen (判断および推論の範例の形式内容)の看過にくらべて書いていることについては、前に自分なりに考えたことがあるので、そのぼくの考えをとりあえず話すことにしましょう。
【P127】注20のなかで「相対的価値表現の形式内実」と言っているのが事実上なにを意味しているかは、現行版の『資本論』の次の個所を見れば明らかでしょう。これは、「2 相対的価値形態」の「a 相対的価値形態の内実」の最後のパラグラフですが、この項目aで詳しく論じてきたことを要約しているものと見ることができます。
〈つまり、価値関係の媒介によって、商品Bの自然形態が商品Aの価値形態になる、言い換えれば商品Bの身体が商品Aの価値鏡になる。商品Aは、価値体としての、人間的労働の物質化としての商品Bに連関することによって、使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである。(『資本論』Ⅰ、67頁)〉
ところが経済学者たちは、x量の商品A=y量の商品B という価値表現の式を見て、両辺の商品の価値の大きさが等しいとされているのだという、素材的な、価値の量の問題に心を奪われて、左辺の商品の価値が右辺の商品の使用価値で表現されているのだという、この式に含まれているいま一つの内容──商品の価値表現の形式としてのそれの内容──を見落とした。だからまた、その当然の結果として、商品Bの自然形態が商品Aの価値の姿になるということはいったいどのようにして可能なのかという、さらに一歩進んだ問題を、解くことはおろか、問題にすることさえできなかったことは言うまでもない。マルクスが、「経済学者たちが相対的価値表現の形式内実を見落とした云々」と言っているのは、このことを言っているのだろうと思われます。
ところで、ただこれだけのことであれば、『資本論』をたんねんに読めば分かるはずのことですが、【P128】これに関連してマルクスがヘーゲルを引き合いに出してきているので厄介な問題が生じることになる。(マルクスは『資本論』の「第2版後記」で、彼が「第1巻の仕上げをしていたちょうどそのときに」、ヘーゲルを「死んだ犬」として取り扱う不遜な風潮が横行していたのに憤慨して、あえて自分はヘーゲルの弟子なのだと言い、「価値論にかんする章のあちこちでは彼の特有な表現様式に媚を呈しさえした」と言っています(『資本論』Ⅰ、27頁)が、これもその一つかもしれません。しかし現にヘーゲルを引き合いに出して書いてある以上、それを不問にするわけにはいきません。そこで厄介な問題が生じることになるわけです。)問題は、マルクスの価値形態論とヘーゲルの判断論なり推理論なりとのあいだにどのような類似点があるかです。
この問題を考える場合にまず注意すべきことは、問題の初版の注20は次の本文に付けられたものだということです。
〈……もし、x量の商品A=y量の商品B という簡単な相対的価値表現において、ただ“量的な”関係だけしか考察しないならば、そこに見出されるものもまた、ただ、相対的価値の運動にかんする前に展開した諸法則──それらはすべて、商品の価値の大きさはそれの生産のために必要な労働時間によって規定されている、ということにもとづいている──だけである。だがもし、両商品の価値関係をその“質的な”側面から考察するならば、われわれはこの簡単な価値表現のうちに、価値形態の秘密を、したがってまた、つづめて言えば貨幣の秘密を発見するのである。(『資本論』Ⅰ、初版、20頁、強調─マルクス)〉
これは「Ⅰ 相対的価値の第一の、または簡単な、形態」の項目下での所論の一部ですが、その内容【P129】から見て明らかなように、ここで論じられているのは、価値形態一般に通じる、いわば価値形態の基本的な問題であって、簡単な価値形態の欠陥とか、それにもとづく形態発展の必然性とかについて論じているのではありません。だからまた、これに関連してマルクスが引き合いに出しているヘーゲルの判断論(推理論はここでは問題外に置きます)もまた、判断の進展を論じている部分ではなく、あらゆる判断に共通な問題を論じている部分だと考えるのが当然でしょう。そこで、とりあえず、ヘーゲルの『小論理学』の「判断」の最初の部分を開いて、「ヘーゲル以前には専門の論理学者たちが判断の範例の形式内容さえも見落としていた」とマルクスが言っているのに関係があると思われる個所を探してみると、次のような個所が目につきます。
〈判断というと、‘人々は普通’まず、主語と述語という二つの項の“独立”‘を考える’。すなわち、主語は事物あるいは独立の規定であり、述語はこの主語の外に、われわれの頭のなかにある普遍的な規定であって、この両者を私が結合することによって判断が成立する、‘と考えている’。しかし、「“である”」(“ist”)という繋辞が主語について述語を述語を言い表わすことによって、こうした外面的で主観的な“包摂作用”は再び否定され、判断は“対象”そのものの規定ととられる。──ドイツ語の Urteil という言葉は、“語源的に”いっそう深い意味をもっていて、それは概念の統一が最初のものであること、したがって概念の区別が“原始的”分割であることを言い表わしている。これが判断の真の姿である。
抽象的な判断は、“個”は“普遍”である、という命題である。これが概念の諸モメントがその直接的な規定性あるいはその最初の抽象態においてとられる場合、“主語”と“述語”とが相互にもつ最初の規定である。(“特殊”は“普遍”である、および“個”は“特殊”である、という命題は、判断のより進んだ規定に属【P130】する)。“あらゆる”判断のうちには、“個”は“普遍である”、あるいはもっとはっきり言えば、“主語は述語である”(たとえば、神は絶対的精神である)という命題が言い表わされているのに、‘この明白な事実が普通の論理学の本には少しも述べられていない’のは、驚くべき観察の不足と言わなければならない。もちろん、個と普遍、主語と述語とは異なったものではあるが、しかしあらゆる判断が両者を同一なものとして言い表わすということは、あくまで一般的な“事実”である。
「である」( ist )という繋辞は、外化のうちにあっても自己と“同一”であるという概念の本性にもとづいているのであって、個と普遍は“概念”のモメントであるから、切り離すことのできないものである。さきに本質論で取り扱った反省規定も“また”、その相関のうちで互いに関係をもってはいる。しかしその連関は「“もつ”」という連関にすぎず、「“である”」すなわち“同一性として定立された同一性”あるいは“普遍性”ではない。それゆえに判断においてはじめて概念の真の“特殊性”が見られる。判断は概念の規定態あるいは区別であり、しかもこの区別は“普遍性”を失わないからである。(ヘーゲル『小論理学』、岩波文庫、松村一人訳、改版、1978年、下巻、134頁、“”─ヘーゲル、‘’─引用者)〉
これは166節の注釈の部分です。これに続く補遺の部分も見ておきましょう。
〈判断は‘普通’二つの概念の結合、しかも異種の概念の結合‘と考えられている’。このような考え方も、概念が判断の前提をなし、そして概念は判断のうちで区別の形式をとって現われるという点では正しいが、しかし、概念にさまざまな種類があると考えるのは正しくない。なぜなら、概念そのものは具体的なものではあるが、本質的に“一つのもの”であり、概念に含まれている諸モメント【P131】は異なった種類と見るべきものではないからである。また判断の両項が“結合される”と考えるのも同様に誤っている。結合されると言えば、結合されるものは結合されることなく独立にも存在していると考えられるからである。こうした外面的な理解は、判断は主語に述語が“付加される”ことによって作られると言われるとき、もっとはっきり示される。この場合、主語は外界に独立的に存在し、述語はわれわれの頭のうちにあると考えられているのである。しかし、「“である”」という繋辞がすでにこうした考え方に反している。われわれが「このバラは赤い」とか、「この絵は美しい」とか言う場合、それらはこれら対象自身の規定であるということを言い表わしているのである。さらに‘形式論理学で普通行なわれている判断の解釈’の欠陥は、それによれば判断一般が偶然的のもののように見え、概念から判断への進展が示されていない、ということである。ところが概念は、悟性が考えるように自分自身のうちに静かにとどまっているものではなく、無限の形式として、あくまで活動的なもの、いわばあらゆる生動性の核心であり、したがって自己を自己から区別するものである。このように概念は、それ自身の活動によって自己をその異なった諸モメントへ区別するものであって、この区別の定立されたものが“判断”であり、したがって判断の意義は概念の“特殊化”と解されなければならない。概念はすでに“即自的”には特殊なものであるが、しかし概念そのもののうちでは特殊はまだ定立されていず、それはまだ普遍との透明な統一のうちにある。かくしてたとえば、さきにも述べたように(160節の補遺)植物の胚はすでに根、枝、葉、等々というような特殊なものを含んでいるが、しかしこの特殊なものはようやく即自的に存在するにすぎず、それは胚が発展するこ【P132】とによってはじめて定立されるのである。これは植物の判断と見ることができる。この例はまた、概念も判断も単にわれわれの頭のうちにあるものでなく、また単にわれわれによって作られるものではない、ということも示している。概念は事物に内在しているものであり、そしてこのことによって事物は現にあるような姿をもっているのである。したがって対象を把握するとは、その概念を意識することである。われわれがさらに対象の評価に進むとき、対象にあれこれの述語を帰するのは、われわれの主観的行為ではなく、われわれは対象を、その概念によって定立されている規定態において考察するのである。(同前、136頁、“”─ヘーゲル、‘’─引用者)〉
以上は、ヘーゲルの『小論理学』のなかの「判断」の項目の最初の節からの引用で、ある個所では「普通の人々の」、ある個所では「普通の論理学の本の」、ある個所では「形式論理学の」欠陥として述べられているけれど、それらのすべてを通じて指摘されている欠陥は、守護が「である」( ist )という繋辞によって述語に連結されている判断の一般的形式の本来の意味を──すなわち述語は、主語がそれ自身に本来内包している一定の規定を言い表わしたものに他ならないのだ、ということを──見落とした、ということです。(マルクスが「ヘーゲル以前には専門の論理学者たちが……」という場合、直接には多分ヘーゲルが「普通の論理学の本には……」と言っているのを思い浮かべていたのではないかと想像されるのだけれど、これは大した問題ではないでしょう。)
そしてこれにくらべてマルクスが、「経済学者たちが素材的な関心にすっかりとらわれて、相対的価【P133】値表現の形式内実を見落としてきたということは、ほとんど驚くにあたらない」と言っているのは、彼らが x量商品A=y量商品B という商品の価値関係を示す範式を見て、そこでは両辺の商品が価値において等しいとされているのだというシュトッフリッヒな内容にしか着目しえないで、ここでは左辺の商品(これが主語の格にある)の価値が右辺の商品(これが述語の格にある)の自然形態で表現されているのだという、商品の「相対的な価値表現」の“形式”としてのこの式に含まれている複雑な内容を見落とした、ということを指摘しているわけです。@
そしてこの場合、「ヘーゲル以前には専門の論理学者たちが判断および推論の範例の形式内容をさえ見落としていたのだから、経済学者たちが……相対的価値表現の形式内実を見落としてきたということは、ほとんど驚くにあたらない」と言っているのは、ヘーゲル以前のいわゆる「専門の」論理学者たちが見落としていた事柄が、経済学者たちが見落としていた事柄にくらべるときわめて簡単な事柄であることを含意しているわけですが、これは容易に納得できることです。たとえば、前に見たようにヘーゲルは「〈このバラは赤い〉とか〈この絵は美しい〉とか言う場合、われわれは、われわれが外からはじめてバラに赤を加え、絵に美を加えるのではなく、それらは、これら対象自身の規定であるということを言い表わしている」のだということを強調しているが、これはなるほどそうに違いない。が同時にまた、ただそれだけのことであれば、ヘーゲルの教説を待つまでもなく、容易に知りうることです。ところがヘーゲルにあっては、このいわば当然自明のことが、彼の観念的な弁証法に結びつくので神秘的な意味をもつことになる。すなわち彼は、上に引用した個所に続けて次のように言っています。「さらに形式論理学で普通行なわれている判断の解釈の欠陥は、それによれば判断一般が偶然的なもののように見え、概念から判断への進展が示されていない、【P134】ということである。……概念は、それ自身の活動によって自己をその異なった諸モメントへ区別するものであって、この区別の定立されたものが判断であり、したがって判断の意義は概念の特殊化と解されねばならない」云々。
ここで「概念から判断への進展」を明らかにすることが肝要なのだ、とヘーゲルが言っているのにあたかも照応するかのように、マルクスは『資本論』の初版の価値形態の発展を論じている個所で、「しかし、決定的に重要なことは、価値“形態”と価値“実体”と価値の“大きさ”とのあいだの内的な必然的関連を発見すること、すなわち“観念的に”表現すれば、価値“形態”は価値“概念”から発していることを論証することだったのである。」(『資本論』Ⅰ、しょはん、34頁、強調─マルクス)と言っている。これなど、前にも引用した『資本論』の第2版後記でマルクスが、「……価値論にかんする章のあちこちでは彼(ヘーゲル)に特有な表現様式に媚を呈しさえした」と言っている、その典型的な例ではないかと思われるのだけれど、ここにいわゆる「価値“概念”」はヘーゲルの概念とはまるで違うものであることをはっきりさせておくことが必要です。@
マルクスがやはり前記の「後記」の中で言っているように、「ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとに一つの自立的な主体にさえ転化している思考過程が、現実的なものの創造主なのであって、現実的なものはただその外的現象をなしているにすぎない」のと反対に、マルクスにあっては、「観念的なものは、人間の頭のなかで置き換えられ、翻訳された物質的なものに他ならないのである」(『資本論』Ⅰ、27頁)。現に彼は、労働生産物が商品として現象している形態を分析することによって商品価値のあらゆるモメントを明らかにした末に、商品価値とはこういうものだという認識に到達すると同時に、商品の価値は価値形態として現象せざる【P135】をえないものであること、そしてそのさい、等価形態に置かれた商品の使用価値がどのようにして相対的価値形態にある商品の「価値の鏡」になるかを明らかにしたのであって、これをマルクスはヘーゲル風に「観念的に」、「価値“形態”は価値“概念”から発していることを論証すること」が「決定的に重要」だと言っているのです。

〔これは念のためにつけ加えることですが、初版では上の記事に先立って、商品の価値の特殊社会的な、物神的な性格についての次のような説明がなされているのですが、これをあわせ読めば問題の真相がいっそうはっきりするでしょう。
〈実際に、すべての使用価値が商品であるのは、それらが“互いに独立した私的諸労働の生産物”であるからに他ならないが、ここで私的諸労働というのは、“分業”の自然発生的な体制の、自立化されてはいるが特殊な分肢として、素材的に互いに依存しあっている私的諸労働である。それらがこのような社会的関連をもっているのは、まさに、それらの“相違”、それらの“特殊的有用性”によってである。このことによってこそ、それらは質的に違った使用価値を生産するのである。もしそうでなかったならば、これらの使用価値は相互にとっての商品にはならないであろう。他面では、このような違った有用的な質は、まだ、諸生産物を諸商品にするものではない。ある農民家族が自家消費のために上着とリンネルと小麦を生産する場合には、これらの物がその家族に対してその家族労働のさまざまの生産物として相対してはいるが、これらの物自身が互いに諸商品として相対してはいない。もし労働が“直接に社会的な”・すなわち共同の・労働であるとすれば、諸生産物は、それらの生産者たちにとっての共同生産物という直接的に社会的な性格をとるであろうが、しかし相互にとっての商品という性格はとらないであろう。けれどもここでは、諸商品に含まれており・また相互に独立している・“私【P136】的諸労働”の“社会的形態”とは何であるのか、ということを立ち入って研究する必要はない。この形態はすでに商品の分析から明らかになっていた。それら私的諸労働の社会的形態は、“同等な労働”としてのそれら相互の連関であり、したがって──きわめて“さまざまな”労働の“同等性”とはただ“それらの不等性を捨象すること”のなかにしかありえないのだから──、“人間的労働”一般としての、“人間的労働力の支出”──すべての人間的労働がその内容とその作業様式との如何にかかわらず実際にこうしたもの“である”──としての、それらの相互の連関である。@
どの社会的な労働形態においても別々な個人の労働はやはり人間的労働として互いに連関させられているのであるが、ここでは、この“連関そのもの”が、“独自な社会的形態”として意義をもつのである。@
しかしいまでは、これらの私的労働のどれもがその自然形態においては抽象的人間的労働というこの独自な社会的形態をもってはいないのであって、それは、商品がその自然形態においては、単なる労働凝固体という・すなわち価値という・社会的な形態をもっていないのと同様である。@
ところが、商品の・ここではリンネルの・自然形態が、他のすべての商品がそれら自身の価値の現象形態としてのリンネルに連関するがゆえに、一般的な等価形態になる、ということによって、リンネル織りもまた抽象的人間労働の一般的な実現形態になる、言い換えれば直接的に社会的な形態にある労働になるのである。@
「社会的であること」の基準は、それぞれの生産様式に特有な諸関係の性質から借りなければならないのであって、それとは無縁な諸観念から借りてはならない。@
さきに明らかにしたように、商品は、もともと一般的な交換可能性という直接的な形態を排除しているのであり、したがってまた一般的な等価形態をただ“対立的”にのみ発展させることができるのであるが、これとおなじことは、諸商品のなかに含まれている私的諸労働にも当てはまるのである。@

これらの私的労働は“直接的には社会的ではない”労働なのだから、@
第一に、“社会的な形態”は、現実的有用的諸労働の自然形態とは区別される、それらとは無縁な、抽象的な形態であり、@
また第二に、すべての種類の私的労働はその“社会的な”性格をただ“対立的に”【P137】のみ、すなわち、それらすべてが一つの排他的な種類の私的労働に、ここではリンネル織りに、“等置”されることによってのみ、得るのである。このことによってこの排他的な労働は抽象的人間的労働の直接的かつ一般的な現象形態となり、それゆえにまたこの労働は、直接的に、社会的に通用しかつ一般的に交換されうる生産物となって現われるのである。
あたかも一商品の等価形態が、他の諸商品の諸連関のたんなる反射であるのではなくて、その商品自身の物的性質からしょうじるかのような外観は、“個別的”等価物の“一般的”等価物への進化につれて固まってくる。なぜならば、価値形態の対立的な諸契機は互いに連関しあう諸商品にとって、もはや“均等には”発展しないからであり、一般的な等価形態はある一つの商品をすべての他の商品からまったく別なものとして区別するからであり、そして、最後に、商品のこのような形態は、実際にはもはや、なんらかの“個別的な”他の一商品の連関の産物ではないからである。……
要するに、商品の分析が明らかにするものは、“価値形態”のすべての“本質的な”規定、およびその対立的な諸契機における価値形態そのもの、“一般的な相対的価値形態”、“一般的な等価形態”であり、最後に、“簡単な相対的価値諸表現”のけっして終結することのない“列”であって、この列は、最初は価値形態の発展における一つの過渡段階をなすのであるが、最後には“一般的等価物の独自な相対的価値形態”に一変するのである。しかし商品の分析は、これらの形態を“商品形態”一般として明らかにしたのであり、したがってまたそれらはどの商品にでも帰属することになる。ただし、商品Aが“一方の”形態にあるときには、商品B、C等はそれに対して“他方の”形態規定をとる、というふうに“対立的に”ではあるが。@
しかし、決定的に重要なことは、価値“形態”と価値“実体”と価値の“大きさ”とのあいだの内的な必然的連関を発見すること、すなわち、“観念的に”表現すれば、価値“形態”は価値“概念”から発していることを論証することだったのである。(『資本論』Ⅰ、初版、31頁、【P138】強調─マルクス)〉〕

話が少々横道に入りすぎたかもしれませんが、要するに、「相対的価値表現の形式内実」(これが、現行の『資本論』第1部の一つの項目の題名にいうところの「相対的価値形態の内実」に該当するものと考えられます)を把握することが、「判断および推論の形式内容」を把握することにくらべて、どんなに困難なことであるかが分かるでしょう。「ヘーゲル以前には専門の論理学者たちが判断および推論の範例の形式内容さえも見落としていたのだから、経済学者たちが……相対的価値表現の形式内実を見落としてきたということは、ほとんど驚くにあたらない」、と言っているのは、この意味で言っているのでしょう。
ただ、論理学者の場合には「判断および推論の範例の形式“内容”(Forminhalt)」と言っているのに、経済学者の場合には「相対的価値表現の形式“内実”(Formgehalt)」と言っているので、なぜ一方の場合には「内容(Inhalt)と言い、他方の場合には「内実(Gehalt)」言っているのか、という疑問が残ります。
これについてはぼくはこういうふうに考えています。
論理学における判断の一般的な形式──主語─繋辞─述語──がもつ意味内容と、普通の論理学の本にそれが述べられていないことについて、ヘーゲルは前に引用した個所でこう言っています。「あらゆる判断のうちには、個は普遍である、あるいはもっとはっきり言えば、主語は述語である……という命題が言い表わされているのに、この明白な事実が普通の論理学の本には少しも述べられていないのは、驚くべき観察の不足と言わなければならない。」
価値形態の場合にも、イコール記号で結ばれている二つの商品のうち、左辺の商品は主語の格にあり、【P139】右辺の商品は述語の格にあり、それらが繋辞にあたるイコール記号で結ばれている形式は、論理学での判断の場合と違いがなく、また、従来の経済学者が、等式の左辺の商品の価値が右辺の商品の自然形態で表現されているのだという、この式に含まれている、価値表現の形式としてのこの式の内容を見落としていた点においても、論理学での判断の場合と共通の面があるけれど、価値形態の場合にはその他になお、それに特有な、もっと複雑な問題が含まれている。なによりもまず、ここでは、相対的価値形態にある商品の価値が等価形態にある商品の自然形態で表示されているのであるから、商品の自然形態が価値の形態になるということがどのようにして可能であるかが、当然ここでは問題になる。すなわちここでは、価値表現の形式そのものに固有の内容──商品の価値はそれに等置される他商品の自然形態で表示される──以外に、この形態のうちに含有されている「なかみ」が同時に問題になる。この場合「内容(Inhalt)と区別して、「内実(Gehalt)」と言っているのは、この違いを言い表わすために言っているもののように、ぼくには思われるのです。
11)価値形態の発展はどのように行なわれているか
──歴史的発展でも「概念の自己展開」でもない──

О マルクスが「簡単な価値形態」のところで解明している事柄についていくつかのことを伺って【P140】きましたが、こんどは価値形態の発展について伺っておきたいことがあります。
マルクスは第二形態(開展された価値形態)の末尾で、次のように述べて、第三形態(一般的価値形態)に移行しています。
〈とはいえ、開展された相対的価値形態は、簡単な相対的価値表現すなわち第一の形態の諸等式の総計から成っているにすぎない。……しかし、これらの等式は、それぞれ、“逆の連関では”また次のような等式を含んでいる。……じっさい、ある人が彼のリンネルを他の多くの商品と“交換”し、したがってまたリンネルの価値を一連の他の商品で“表現”するならば、必然的に他の多くの商品所有者もまた彼らの商品をリンネルと“交換”しなければならず、したがってまた彼らのいろいろな商品の価値を同じ第三の商品で、すなわちリンネルで“表現”しなければならない。──そこで、……等々という列を“逆にすれば”、すなわち“事実上すでにこの列に含まれている逆の連関”を表現すれば、次の形態が得られる。──……。(『資本論』Ⅰ、79頁)〉
このような「逆の連関」による移行は正しくない、少なくとも適切ではない、とする論者がかなりあるように思われます。ここではその一例として、富塚良三氏の見解を紹介しましょう。富塚氏は、『経済原論』(有斐閣、1976年)のなかの価値形態の発展を論じたところで、「第二形態から第三形態への移行」についてのマルクスの叙述に、次のような疑問を述べられています。
〈現行『資本論』においては、この第二形態から第三形態への移行が、第二形態は第一形態の諸等式の「総和」にほかならず、その第二形態を構成する第一形態の諸等式がそれぞれに、「逆の連関」を含んでいる、とすることによって説明されているが、そうした論述は、価値等式における左辺の【P141】商品と右辺の商品の役割の根本的な相違を強調するマルクス自身の論旨に照らして疑問である。その第二形態から第三形態への移行を説明する個所でマルクスは、「事実上、もしある人が、自分のリンネルを他の多くの諸商品と交換し、したがってそれの価値を一連の他の諸商品で表現するとすれば、その場合には“必然的に”他の多くの商品所有者たちもまた彼らの諸商品をリンネルと交換し、したがって、彼らの種々の商品の諸価値をリンネルという同じ第三の商品で表現せざるをえない」(強調は引用者)と述べているが、リンネル商品の所有者が他の諸商品を特殊的等価とするような価値表現関係を展開したからといって、「必然的に」他の諸商品の所有者がリンネルを彼らの諸商品の一般的等価とするような価値表現関係が展開されるとは言えない。もし仮に、そうした論法が成り立つとすれば、「開展された価値形態」はあらゆる商品について同時的に展開されうるのであるから、それらの「逆の連関」たる価値表現関係も同時的に展開されうることとなるのであって、すべての商品が同時に「一般的等価」たりうることとなるであろう。(『資本論』初版本文のいわゆる「形態四」──それは、第二形態は各商品について同時的に展開されうるが、それらをひっくり返した形態は同時的には展開されえないことを述べたものである──は、この点に関して示唆的な意味をもつ。)第二形態から第三形態への移行の問題は価値形態論においては本文で述べたようなことを記すにとどめるべきであって、それはあらためて交換過程論において「全面的交換の矛盾」として論じられるべき問題であると思われる。なお、この点について詳細には、拙著『恐慌論研究』(未来社刊)の後編第一論文「価値形態論と交換過程論」を見られたい。(『経【P142】済原論』、35頁)〉
【P142】こうした主張について、先生はどのようにお考えでしょうか。
久留間 今紹介された個所のなかで、富塚氏は『資本論』の一部を引用して、ここのところでマルクスは間違っている、と言っているようですが、ぼくから見ると、間違っているのはマルクスではなく富塚氏のほうなのです。そこでマルクスが間違っていると考えるのは、そこでマルクスが書いていることを十分注意して読まないことからきているのです。マルクスはここではっきりと、「もし事実上……とすれば、その場合には必然的に……」というように、あらゆる商品がそれらの価値を共同的にリンネルで表示するのは無条件にではなく、一定の条件が満たされた場合に限ることを断っているのです。その条件というのは、リンネルが他の多くの商品と事実上交換されるということです。そうした場合には、他の多くの商品もまたリンネルと交換され、リンネルでそれらの価値を表現することになる。そうなるのが必然だ、と言っているのです。これは、まことにもっともな、筋の通った話で、ぼくには、文句のつけようがあるとは思えないのです。
なお参考のためにつけ加えますが、マルクスがここでわざわざこのようなことを書いているのは、彼が簡単な価値形態の設例で、相対的価値形態にリンネルを置いていることと密接な関係があるように思われるのです。リンネルは、生活の必需品である被服の材料であるから、事実上多くの種類の商品と交換されるはずです。どの商品でもがそうであるわけではない。そうでない商品を最初に相対的価値形態にもってくると、等価形態に置かれる商品の種類は狭い範囲に限られることになり、開展された価値形態においても、わずかの種類の商品しか等価形態に現われないことになる。したがってまた、これが「ひっくり返された」場合──これを相手の側から見た場合──にも、それはわずかの種類の商品【P143】の共通の等価物になるだけで、一般的な等価物にはなりえない。しかしリンネルであればそれが可能である。これをマルクスは、前に引用された問題の個所で、仮言的判断(Hypothetisches Urteil)の形で言っているのです。
なお、このようなことを言うと、それは価値形態論のなかに交換過程論で論じられるべき問題を持ち込むものだという抗議が出されるかもしれないが、今言ったところに、ぼくはけっして交換過程論で論じられるべき問題を持ち込んではいません。この点については、もっとあとの質問項目(次の第12項目)に答えるときに触れるつもりですので、そちらを参照していただきたい。
それからもう一つ、万一の誤解をさけるために断っておきたいことがあります。それは、さきにぼくが言ったことはB→C、すなわち開展した価値形態から一般的価値形態への移行の場合のことであって、C→D、すなわち一般的価値形態から貨幣形態の場合にそのまま当てはまることではないということです。B→Cのばあいにリンネルが一般的等価物になるのは、それが多くの他の商品と交換されるからであるが、金が貨幣になるのはそうではなくて、それの自然形態が貨幣の機能にもっとも適しているからです。そして、すべての商品がそれらの価値を金で表示し、金との交換を要望するのは、それが個人的欲望の対象だからではなくて、貨幣になっているからなのです。このようなことはあらためて言うまでもないことと思っていたのですが、案外そうではなく、このことの無知に基づくと思われるメイ論があることを知ったので、念のために付け加えるわけです。
О 今は、第二形態から第三形態への移行の問題でしたが、もっと一般的に見て、価値形態の“展開”における形態から形態への意向の「動力」は何でしょうか。第一形態は“他ならぬ”第二形態に、第二【P144】形態は“他ならぬ”第三形態に、第三形態は“他ならぬ”第四形態に、それぞれ移行“しなければならない”のだとすれば、それは、それぞれの先行形態そのものに即して示されるべきだと考えられます。たとえば第1形態は、他の形態に発展しなければならないこと、しかもその〈他の形態〉とは第二形態以外のものでありえないことが、第一形態“そのもの”に即して示されていると考えられますが、そのようなことを価値形態の発展の全体について一般的に言うことはできないものでしょうか。ヘーゲル流の「概念の自己展開」は論外としても、たとえばさきほどの尼寺氏は、「価値概念と価値の定在様式との矛盾」──これはもちろん認識における矛盾──がそのような「動力」だと考えているのですが。
久留間 第一の「簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態」は、第二形態における多数の等価商品のなかからたまたまある一つの商品を取り出してその等価形態に置くことによって形成されたものであると考えるかぎりでは、第一形態から第二形態への移行は当然のことであって、この移行になんらかの「動力」が必要であるとは考えられません。第二形態から第三形態への移行にしても、前問への答えのなかで言っているように、第二形態における所与の等式をただ反対側から見たものにすぎないとすれば、この移行になんらかの「動力」が必要であるとは考えられません。
もちろん、第一形態は商品の価値表現の形態として欠陥があり、形態の発展ごとに価値表現が順次により完全になる、ということは事実です。この観点から、価値表現の不完全な形態からより完全な形態への移行の背後に形態発展の「動力」の存在を想定するのだろうと想像されますが、この場合に「動力」を想定するのが妥当がどうか、──これが問題になると思います。というのは、この場合問題とされている形態の発展が歴史上の現実の発展であるなら、それは現実の必要に迫られての形態発展です【P145】から、その現実の必要を発展の「動力」と考えることに不自然な点はありません。しかし『資本論』の価値形態の最初に出てくる簡単な価値形態の両辺現われる二つの商品は、前に「偶然的な価値形態」の「偶然的」が問題になったところでも言ったように、歴史上に最初に出現する商品──たまたま二つの異なる生産物が交換されてはじめて商品になる、あるいは、この交換がしだいに持続的に行なわれることによって、それらがはじめから商品として生産されるようになる、しかしまだ他のいろいろな商品との交換は行なわれない──そういった場合の商品ではなくて、価値表現のメカニズムをその基本的な形態の分析によって根本的に解明するために構想されたものであり、価値形態の発展も理論的構想のなかでの発展なのだから、その発展の背後に「動力」を想定することが、そもそも必要であるかどうか? ぼくには必要であるとは思えないのです。必要でないばかりでなく、へたをするといろいろな誤解を招くおそれがあるように思われます。たとえば、価値形態論での形態発展を歴史上での発展と思い違えたり、ヘーゲル流の「概念の自己展開」をこの場合に見出そうとする試みのような。
「動力」という代わりに、現に『資本論』でマルクスがやっているように、また『レキシコン』の「貨幣Ⅰ」でこれにならってやっているように、各形態の終わりにその形態の欠陥と次の形態への移行の意味を書くだけでは満足できないのでしょうか? あるいは、それらを総合して、形態の発展にはこれこれの意味があるのだということを注意するだけでは不満なのでしょうか?
【P146】12)商品所有者の個人的欲望を捨象するとはどういうことか
──武田信照氏の久留間批判について──

О 価値形態の発展についての今のお話しについても、もっともっと伺いたいことがあるのですが、今日はもう長くなってしまいましたので、価値形態論については、その全体に関係するかと思われる二つのことを伺って終わりにしたいと思います。
一つは、価値形態と商品所有者の個人的欲望との関連についての問題です。『価値形態論と交換過程論』のなかで先生は、たとえば次のようなことを言われています。
〈……簡単な価値形態では商品の価値はまだその所有者の欲望から独立化した形態をもっていない、……(90頁)〉
あるいは
〈……商品の価値の形態が商品所有者の個人的欲望によって制約されるということは、価値そのものの本性にもとることであり、価値の形態としての致命的欠陥を意味しなければならぬ。したがって価値形態は簡単な価値形態にとどまりえないで貨幣形態にまで発展しなければならないのであり、ここにはじめて、商品所有者の個人的欲望との結びつきから解放されることによって、価値形態として完成することになる……。(91頁)〉
これに対して異論が出されているのですが、ご存知でしょうか。
久留間 知っています。それを知ったのは、尼寺義弘氏からその著『価値形態論』(青木書店、1978年)を贈られて、ところどころ拾い読みした際に、そのなかの二つの注にぼくへの異論が書かれているのを見たときではないかと思います。その一つは111頁にある注で、こういうのです。
〈久留間氏は価値形態の考察において、商品所有者の欲望を異質な問題として排除される。だが、等価商品の選択をつねに個人的欲望によるものと見る不徹底さを残している。その点を徹底させるべきだとするのが武田信照氏である。氏によれば、等価商品の選択は欲望とは無関係に思惟の過程でも現実の過程でも行われていると言われる。この主張は氏のあげている例から見ても、理論から見ても妥当なものであるといえよう。(武田信照「価値形態論と交換過程論」上、1974年、……)〉
いまひとつは197頁にある注で、こういうのです。
〈久留間氏も「商品の価値の形態が商品所有者の個人的欲望によって制約されるということは、価値の本性にもとることであり、価値の形態としての致命的な欠陥を意味」するとされ、それが動力となって、価値形態は展開すると見ておられるようである。そして価値形態の展開を個人的欲望からの「解放」過程と見られている。だが、そうでないことは本文において述べたとおりである。なおこの点については武田信照氏の見解を参照されたい。〉

これで見ると、この問題についてのぼくの見解に対する反対意見の代表者は武田信照氏らしい。そこで、これらの注で指示されている武田論文の個所を開けてみると、41頁以下には次のようなことが書いてあります。
〈……このように、〔久留間〕氏は等価商品をつねに商品所有者の個人的欲望の対象と見るのであるが、ただ価値形態を論じる限りで、欲望にもとづいて作られた価値方程式を所与のものとして受けとり、欲望を捨象しなければならないというのである。言いかえれば、欲望は価値形態を論じるさいにただ思惟のなかだけで捨象されるのである。価値形態論における欲望の役割を強調する宇野氏とも、その結論こそ違え、前提は共通である。しかしそもそも、等価商品はつねに商品所有者の欲望の対象でなければならないのであろうか。逆に言えば、商品所有者は欲望の対象以外の商品を材料として価値表現を行なうことはありえないのであろうか。さらに言いかえれば、価値方程式の作成そのものの過程で欲望が実際に捨象されることは不可能なのであろうか。
たとえばマルクスは、西アフリカ海岸における黒人の原始的な物々交換の例をあげ、そこでは二つの商品が互いに交換されるとき、各商品はまず最初に鉄を意味するバール(bar)に等置されるという。すなわち、一方の商品が1バール、他方の商品が2バールというように表現され、次にその割合で商品が交換されるというのである。見られるとおり、バールは交換に先立って商品の価値を表現する材料となってはいるが、けっして商品所有者の欲望の対象ではない。あるいはホーマーを見れば、古代ギリシャではさまざまな商品が牛で「値踏み」されていることが分かる。たとえば、【P149】青銅の物の具は5匹の牛に、3脚の大きな鼎は12匹の牛に、手技に堪能な女奴隷は4匹の牛に、花模様をちりばめた掛け釜は1匹の牛に、それぞれ値踏みされるというように。注意しなければならないのは、このさい牛は物の具や女奴隷などの所有者の欲望の対象でも、交換の対象でもなく、ただそれぞれの商品の価値を表現する材料となっているにすぎない、という点である。これらの事実は、等価商品がつねに欲望の対象ではないことを示している。等価商品の選択に欲望は直接的関係をもたないのである。……(同前)〉
また、47頁以下には次のようなことが書いてあります。
〈……〔久留間〕氏はこの点について次のように言う。
「商品の価値の形態が商品所有者の個人的欲望によって制約されるということは、価値そのものの本性にもとることであり、価値の形態としての致命的欠陥を意味しなければならぬ。したがって価値形態は、簡単な価値形態にはとどまりえないで貨幣形態にまで発展しなければならないのであり、ここにはじめて、商品所有者の個人的欲望との結びつきから解放されることによって、価値形態として完成することになるのである。」(91頁)
氏によれば、簡単な価値形態には価値表現の関係と個人的な欲望表示の関係という二つの違った関係が同時に含まれている。このような商品の価値形態が商品所有者の個人的欲望によって制約されるという価値形態としての致命的欠陥が、商品所有者の個人的欲望との結びつきから解放されることによって克服され、貨幣形態として完成する過程が価値形態の発展過程なのだというわけであ【P150】る。だがしかし、このように価値形態の発展を個人的欲望からの解放として描き出すことは果たして妥当であろうか。……
簡単な価値形態の欠陥は、けっして個人的欲望に制約されている点にあるのではない。簡単な価値形態では、たとえばある一商品リンネルの価値が他の一商品上衣でだけ表現される。しかしこの表現様式は、リンネルの価値をそれ自身の使用価値から区別するだけで、リンネルが価値としては他のすべての商品と質的に同等で量的に比例関係をもつのだという価値の本性をよく表現していない。逆に等価商品上着も、この場合、すべての商品に対してではなく、ただ一つの商品リンネルに対してのみ等価形態になるにすぎない。この点にこそ、簡単な価値形態の欠陥がある。つまり、このような価値表現の様式は、質的に同等で量的にのみ区別しうる価値の本性から見て不十分なのである。この欠陥は商品世界からただ一つの商品が一般的等価商品として排除されてはじめて克服される。つまり、あらゆる商品の価値がただ一つの商品で、しかも統一的に表現されることによって、それぞれに商品は使用価値こそ違え、価値としては共通のものとして表現されることができる。こうしてはじめて価値表現が価値の本性にふさわしい様式をとる。マルクスの言い方を借りれば、「価値形態が価値概念に照応する」のである。このように見れば、価値形態の発展を生み出す動力となっているのは、価値概念とその定在との矛盾だということができる。
だから価値形態は、個人的欲望からの解放を動力として発展するわけではない。「商品の価値の形態が商品所有者の個人的欲望によって制約される」ことが「価値そのものの本性にもとる」のではなく、したがってまた、「貨幣形態にまで発展」してはじめて「商品所有者の個人的欲望との結【P151】びつきから解放されることによって価値形態として完成する」のでもない。……
ところで、久留間氏は一方で、このように価値形態の発展過程を個人的欲望からの解放過程と見ながらも、しかしその問題性に全く気づいていないわけではない。というのは氏は他方で、個人的欲望の問題はそれに着目しないかぎり価値形態の発展が分からなくなる価値形態論上の問題ではなく、価値形態論で設定された固有の問題を解明する立場からは視野の圏外に置かれるべき問題だと主張しているからである。これこそが私がこれまで氏の主張に対置してきた見かたである。それはともかく、氏はマルクスが簡単な価値形態の欠陥を指摘した個所を引用した後で、次のように言う。
「簡単な価値形態が価値形態として不完全なゆえんと、それが形態Ⅱへおのずから転化してゆくいきさつとは、このように、商品所有者の欲望への・したがってまた等価形態に一定の商品が──たとえば小麦ではなく上衣が──置かれている理由への・なんらの関説なしに、単なる形態そのものの分析によって、立派に説明されうるのである。」(113頁)
ここでは簡単な価値形態の不完全さが、個人的欲望による制約には求められてはいない。したがって、価値形態の発展を個人的欲望からの解放として描き出す理論的基礎は失われている。代わって、簡単な価値形態の不完全さとその克服とが、欲望へのなんらの関説もなしに、単なる形態そのものの分析によって説明しうることが強調されている。言いかえれば、価値形態の発展を考察するさいの肝心要の点が、それぞれの価値形態が価値の本性にふさわしい形態かどうかの分析にのみ求められているのである。これこそ正しい見かたである。もっとも不遜な推測をあえてすれば、この正しい見方も、価値形態の発展における欲望を考慮することの意義を強調する宇野氏を批判するさい【P152】にはじめてはっきり現われているところからすれば、理論的必然性からというより宇野氏に反駁する必要から生み出されたものと言えるかもしれない。しかしそれはどうでもよいことである。誤りが正されることこそ肝要だからである。だがしかしこの点もまた単純ではない。ここで正しい見方が示されたといっても、他方の見方がはっきりと放棄されたというわけではないからである。久留間理論の内包する価値形態の発展についての二つの見方は、互いに異質の、相手を排斥しあう矛盾した見方である。どちらかが放棄されない限り、理論的自己矛盾は避けられない。
たしかに氏は最後にこの理論的自己矛盾の解決を試みてはいる。しかしその試みは、他方の否定による一方の論理の徹底ではなく、むしろ両者の曖昧な接合とでも言うべきものである。ここでは、市はまず価値形態の発展を理解するのに欲望の考慮は不必要だという。しかしそれでは、これまで価値形態の発展を個人的欲望からの解放として描いてきたことを否定しなければならない。だが氏はこの否定をあえてするのではなく、むしろ欲望に新たな役割を与える。氏は「商品所有者の欲望を考慮に入れる」ことによって、価値形態の貨幣形態への発展に価値表現上の問題とは異なる「さらに別個の意味がある」(118頁)ことが分かるという。つまり、交換過程の拡大には個人的欲望からの解放を前提する「一般的交換手段」として貨幣が形成されねばならないが、欲望の考慮はこの交換過程上における貨幣の形成の理解を可能にするというのである。いつのまにか欲望の役割が、価値形態=価値表現上の問題から、交換過程上の問題に変えられている。これでは自己矛盾の解決ではなく、その糊塗にすぎないのではないだろうか。
総括しよう。……“価値表現における欲望の捨象をたんに思惟のなかの捨象にとどめ”、価値表現の背【P153】後に同時に欲望表示の関係を見た、あの最初のささいと見えた誤りが、価値形態の発展の問題にかんするかぎり、久留間理論を混乱させ、自己矛盾に陥らせる根源になっているのである。すべての最初は困難であると言う。最初の出発点を正しく設定すること、最初の第一歩を熟慮することの重要性に、私は思いをいたさざるをえない。(同前)〉

上の引用の最後の個所を見ると、ぼくの誤りの根源は、「価値表現における欲望の捨象をたんに思惟のなかの捨象にとどめた」点にあるらしい。そしてこれは、上に引用した氏の論文の二つの個所のうち、前の個所での議論の主題をなしているのであるから、そこでの議論を振り返ってみることにしましょう。
そこで、氏はまず、久留間の場合には「欲望は価値形態を論じる際にはただ思惟のなかだけで捨象されているのである」と言ってぼくを批難しているのですが、いったい、「思惟のなかだけで捨象されている」というのはどういうことなのだろうか。
「捨象」というのは、もともと多くの契機からなり多くの側面をもっている具体的な現実のなかから、そのうちのある側面を純粋に考察するために、その他の側面を視野の外に置くこと、これが事物の科学的な認識のための不可欠な一つの手続きとしての、「捨象」の本来の意味でしょう。この「捨象」によって、当面の考察の対象である側面が全体のなかから「抽象」され、純粋の形で考察されうることになるのです。このような作業をするのは、もちろん、人間の頭脳の働きであり、そのかぎりで、「捨象」や「抽象」は、「思惟のなかだけのもの」といってよいでしょう。しかし同時にまたわれわれは、「抽象」は、多くの側面からなる具体的な現実のなかからその一つの側面を抽出することであり、「捨象」は、そのために他の側面を度外視する思惟の作用であって、現実と無関係なものではなく、現実を【P154】前提するものだということ、したがってまた、現実のうちには、「抽象」された側面以外に、そのさいに「捨象」された他の側面が現存していることを忘れてはならないのです。マルクスも言っているように、「頭がただ思弁的に、ただ理論的にふるまっているかぎり、実在する主体は頭の外部に、あいかわらず、それから独立した存在をもち続けるのである。それゆえ、理論的方法にあっても、主体は、社会は、前提として、つねに表象の識域に浮かんでいなければならない」(『経済学批判序説』、全集第13巻、633頁)のです。
この、価値形態論では捨象されていた、しかし現実の重要な契機をなしている商品所有者の欲望の役割を、マルクスは“交換過程論”で視野のなかに取り入れるのですが、なかでも、価値形態の発展については、次のように書いています。
〈直接的な生産物交換では、どの商品も、その商品の所有者にとっては直接に交換手段であり、その非所有者にとっては等価物である。といっても、それが非所有者にとって使用価値であるかぎりでのことではあるが。つまり、“交換される財貨は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲望から独立した価値形態をまだ受けとっていないのである”。“この形態の必然性は、交換過程に入ってくる商品の数と多様性とが増大するにつれて発展する”。課題は、その解決の手段と同時に生まれる。商品所有者たちが彼ら自身の財貨をいろいろな他の財貨と交換し比較する交易は、さまざまの商品所有者のさまざまの商品が、それらの交易の内部で同じ一つの第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行なわれないのである。そうした第三の商品は、他のさまざまな商品の等価物となることによって、狭い限界のなかでではあるが、直接に、一般的な・【P155】または社会的な・等価形態を受けとる。この一般的価値形態は、それを生み出した一時的な社会的接触とともに発生し消滅する。一般的価値形態はかわるがわる、そして一時的に、あれこれの商品に帰属する。しかし、商品交換の発展につれて、それは排他的に、特殊的商品種類に固着する、言い換えれば、貨幣形態に結晶する。……(『資本論』Ⅰ、103頁)〉
ここには、「直接的な生産物交換では……交換される財貨は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲望から独立した価値形態をまだ受け取っていない」ということ、それから「独立した価値形態の必然性が」「交換過程に入ってくる商品の数と多様性とが増大するにつれて発展する」ということ、その結果「一般的価値形態」ができ、それが最後に「貨幣形態に結晶する」ということが述べられています。
しかし、すべてこうしたことは、“価値形態論では”問題にされていません。捨象されており、視野の圏外に置かれているのです。価値形態を、純粋に商品価値の表現の形式として、その表現の「どのようにして」の解明を眼目にして、考察する場合には、さきのようなことを考慮に入れることは無用であるばかりでなく、かえって邪魔になるからです。
ところが武田氏は、久留間は価値形態を論じるさいにただ思惟のなかだけで欲望を捨象している、と言ってぼくを非難するさい、以上に説明したような、科学的な認識のための不可欠な手続きとしての捨象の本来の意義をまるで理解しないで、次のような途方もない議論を展開するのです。
〈……このように、〔久留間〕氏は等価商品をつねに商品所有者の個人的欲望の対象と見るのであるが、ただ価値形態を論じる限りで、欲望にもとづいて作られた価値方程式を所与のものとして受けとり、欲望を捨象しなければならないと言うのである。言い換えれば、欲望は価値形態を論じる【P156】際にただ思惟の中だけで捨象されるのである。価値形態論における欲望の演じる役割を強調する宇野氏とも、その結論こそ違え、前提は共通である。しかしそもそも、等価商品は“つねに”商品所有者の欲望の対象でなければならないのであろうか。逆に言えば、商品所有者は欲望の対象以外の商品を材料として価値表現を行なうことはありえないのであろうか。さらに言い換えれば、価値方程式の作成そのものの過程で欲望が実際に捨象されることは不可能なのであろうか。(前出)〉
このように氏は問題を立て、それが不可能でないことを証明するために、さきに見たように、西アフリカ海岸でのバールや古代ギリシャでの牛の例をもち出すのですが、この場合のバールや牛は単なる商品ではなく、価値の一般的尺度として機能しており、そのかぎりですでに貨幣になっているのです。ある商品が貨幣になれば、それが個人的欲望の対象でなくなるのは当然のことです。もともと問題は、貨幣ができる以前の価値形態の分析に際して商品所有者の欲望の捨象が「思惟のなかだけ」のものかどうかという点にあったはずです。武田氏は、ぼくの場合の欲望の捨象は「思惟のなかだけ」のものだと考え、それに反対するために、思惟のなかだけでなく現実に欲望に無関係のものもあるとして、上の例をもち出してきたのですが、この例はむしろ、等価商品は貨幣になってはじめて個人的欲望から無縁になることを立証するものに他ならないのです。
価値形態論における商品所有者の欲望の捨象が「思惟のなかだけのもの」かどうかは、もともと、上のような途方もない例をもち出してきて答えられるはずのものではなく、根本的には、「捨象」およびそれによって得られる「抽象」が、科学的認識にとってどのような意味をもつかを明らかにすることに【P157】よってはじめて答えられるはずのものなのです。
前にも言ったように、具体的な現実は多くの契機からなり、多くの側面をもっている。そのうちのある側面を純粋に考察するためには、その他の側面を視野の外に置く必要がある。これが、事物の科学的認識のために不可欠な一つの手続きとしての「捨象」の本来の意味なのです。ですから、「捨象」は当然、一定の目的のために一応捨象された側面が具体的な現実のなかに残存していることを含意しているはずです。この、さきに捨象された側面が、考察の次の段階において視野のなかに取り入れられることになる。これもまた、事物の科学的認識にとって不可欠なことです。
ところが武田氏には、科学的認識の方法論の初歩とも言うべきこうしたことが、まるで分かっていないらしい。というのは、現に氏は次のような議論を展開しているからである。
〈……〔久留間〕氏はまず価値形態の発展を理解するのに欲望の考慮は不必要だと言う。……〔ところが他の個所では〕「商品所有者の欲望を考慮に入れる」ことによって、〔一般的*〕価値形態の貨幣形態への発展に価値表現上の問題とは異なる「さらに別個の意味がある」(118頁)ことが分かると言う。……いつのまにか欲望の役割が、価値形態=価値表現上の問題から、交換過程上の問題に変えられている。これでは自己矛盾の解決ではなく、その糊塗にすぎないのではないだろうか。(同前)〉
(*拙著には「一般的価値形態」とあるのに、武田氏は「一般的」をぬかして紹介しているがこれをぬかされると、ここでぼくが言っていることの意味が分からなくなるので迷惑する。詳しくは、拙著『価値形態論と交換過程論』の113頁以下を参照されたい。)
【P158】これに続いて武田氏は久留間理論を「総括」して、次のような判決を下すのです。
〈……価値表現における欲望の捨象をたんに思惟のなかの捨象にとどめ、価値表現の背後に同時に欲望表示の関係を見た、あの最初のささいと見えた誤りが、価値形態の発展の問題にかんするかぎり、久留間理論を混乱させ、自己矛盾に陥らせる根源になっているのである。すべての最初は困難であると言う。最初の出発点を正しく設定すること、最初の一歩を熟慮することの重要性に、私は思いをいたさざるをえない。(同前)〉
なるほど、「すべての最初は困難である」。武田氏の誤謬の根源は、具体的な現実の科学的認識のための第一歩としての「捨象」の意味を理解しない点にある。その結果、氏は、研究のある段階で捨象された現実のある側面が次の段階で問題にされるのを見て、それを「理論的自己矛盾」だと考え、ひどく勇敢な、しかし的外れの議論を展開するのです。
13)価値形態論に置ける弁証法はどの点にあるのだろうか
──基本的には簡単な価値形態の分析のうちに見出される──

О それでは、価値形態論にかんする最後の質問に移ります。
【P159】『資本論』第1部の初版の校正刷ができたときに、マルクスはそれをエンゲルスに送って感想を求めたのに対して、エンゲルスは、1867年6月16日付けの手紙のなかでいろいろな感想を述べていますが、そのうちに次のようなのがあります。
〈以前の叙述(ドゥンカー)〔『経済学批判』をさす〕にくらべれば、“弁証法的展開の鋭さ”における進歩は非常に顕著だが、叙述そのものではぼくには最初の姿のほうがよりよく思われる点もある。……(全集、第31巻、303頁)〉
これに対してマルクスは、22日付けの手紙で次のように言っています。
〈価値形態の展開にかんしては、君の忠告に従ったし、また従わなかった。この点でも“弁証法的に”ふるまうために。……事柄はこの本の全体にとってあまりにも決定的だ。経済学者諸君は、これまで次のようなきわめて簡単なことさえも見落としてきた。すなわち、20エレのリンネル=1着の上着 という形態は、 20エレのリンネル=2ポンド・スターリング の未発展な基礎に他ならないということ、したがって、商品の価値がまだ他のすべての商品に対する関係としてではなく、ただその商品自身の自然形態から区別されたものとして表現されているにすぎない最も簡単な商品形態が、貨幣形態の全秘密を、したがってまた、つづめて言えば労働生産物のすべてのブルジョア的形態の全秘密を含んでいる、と言うことだ。(全集、第31巻、306頁)〉
これらの手紙のどちらを見ても、価値形態論で弁証法が大きな役割を演じていることが知られますが、これに関連して、価値形態論のうちのどの点に弁証法が現れているのかという疑問をもつ人がいます。これについて先生はどう考えられますか?
【P160】久留間 今あげられた二つの手紙のうち前のほうの手紙では、エンゲルスが、以前の『経済学批判』にくらべて今度の『資本論』の価値形態論では「弁証法的な展開の鋭さにおける進歩は非常に顕著であるが云々」と言っており、これに対する返事でマルクスは、「価値形態の展開にかんしては君の忠告に従ったし、また従わ“なかった”、この点でも弁証法的にふるまうために」(強調─マルクス)と言い、それに続けて、価値形態論の核心は簡単な価値形態にあるのだ、ということを諄々と説いています。これはおそらく、エンゲルスが『経済学批判』にくらべて弁証法的な展開の鋭さにおける進歩が顕著だ、と言っている場合、彼は価値形態そのものの発展を念頭に置いてそう言っているらしいのに対して、マルクスは、価値形態論の肝心かなめな点は簡単な価値形態の分析にあるので、本来的にはそこで、自分は弁証法的にふるまっているのだ、と言っているもののようにぼくには思えるのです。
そこで問題は、簡単な価値形態の分析のうちのどの点に弁証法が見られるかですが、これについては、マルクス自身はなんとも言っていません。だから想像するほかないのですが、ぼくとしてはさしあたり、それはこういうことではないかと思っています。
商品の分析によって最初にまず、商品は使用価値でありかつ価値であるということ、すなわち、商品はこれら二つの対立物の直接的な統一であり、そういうものとして一つの矛盾であるということが明らかにされたわけですが、ここでは、使用価値と価値とは商品に内在している対立としてあるにすぎません。ところが、価値形態になると、この内在的な対立が二つの商品のあいだの対立的な関係として、外化することになります。相対的価値形態にある商品の自然形態はその商品の使用価値を表わし、等価形態にある商品の自然形態は相対的価値形態にある商品の価値を表わすことになり、それによって、商【P261】品に内在していた使用価値と価値との対立が二つの商品のあいだの対立的な関係として客体化することになる。そしてこの場合、等価形態にある商品の現物形態すなわち使用価値の形態が、そのまま、相対的価値形態にある商品の価値の──使用価値の反対物である価値の──形態になるわけです。およそこういったことは、『経済学批判』ではまだ問題にされていません。それは『資本論』ではじめて、簡単な価値形態を分析するさいに、明らかにされたのです。そして、マルクスは、簡単な価値形態でそういう基本的なことを明らかにした上で、それに基づいて、価値形態の発展を論じているのです。この点から見ると、価値形態の発展は商品の価値がその使用価値から区別される形態の発展に他ならないということになります。(なお念のためにつけ加えますが、この点についてマルクスが書いていることは、今度の『レキシコン』の「貨幣Ⅰ」の第1篇、第1章のⅢの2「価値形態の発展が進むごとに、商品の価値の、その使用価値からの区別が発展する」に収録されています。)
マルクスがエンゲルスへの返書のなかで、「価値形態の展開にかんしては、君の忠告に従ったし、また従わ“なかった”、この点でも弁証法的にふるまうために云々」と言っている場合のいわゆる弁証法的なふるまいは、大体以上のような点に現れているものと思われるのですが、その場合注意すべきことは、価値形態の発展は、簡単な価値形態の分析の結果を前提し、その基礎のうえにはじめて成り立つものであるということ、したがって、価値形態論におけるマルクスの弁証法的なふるまいの軌跡は、基本的には、簡単な価値形態の分析のうちに見出されるべきだということです。
* * *
【P162】О 「貨幣の成立」については、伺うべきことがまだまだ残っておりますし、また問題にしましたことでも、もっと意を尽くした仕方で問いを出せば違ったお答えをいただくことになったはずのところもあるかと思います。交換過程論について、立ち入ってお話を伺えなかったのも心残りです。これはみな、聞き手に責任のあることで、読者の方々にお詫びしなければなりません。しかし今回は、先生もお疲れのことですので、この辺で打ち切り、またの機会を期することにいたします。長時間にわたって丁寧にお答えくださり、ありがとうございました。

<前篇 終わり>

2015年7月5日

久留間鮫造 「貨幣論」の後編。マルクスの価値尺度論

久留間鮫造 著 貨幣論(大月)
──貨幣の成立とその第一の機能(価値の尺度)

はしがき ……省略……
凡例 ……省略……

目次
はしがき
凡例
前篇
マルクスの貨幣成立論
──『マルクス経済学レキシコン』第11巻「貨幣1」に寄せて──

1)「貨幣」の部の編集にあたって                     5
──その構成と編集方針──
2)「貨幣の成立」についての問題設定とその解明         11
──どのようにして、なぜ、何によって──
3)「貨幣のなぞ」とはどういうことか                   22
──林直道氏の諸説に関連して(1)──
4)『資本論』第1部フランス語版は何を教えるか           41
──林直道氏の諸説に関連して(2)──
5)『資本論』初版と現行版との違いから何を読みとるか       64
──貨幣成立の解明に根本的な相違はない──
6)「なぜ」の問題の根本はどういうところにあるか           78
──商品生産の特殊な性格と価値の本質──
7)簡単な価値形態はどういう意味で「偶然的」であるのか      88
──安易に歴史的発展と結びつけてはならないらら
8)価値物と価値体との区別について                   93
──価値表現の回り道(1)──
9)「回り道」とはどういうことか                        100
──価値表現の回り道(2)──
10)「相対的価値表現の形式内実」とは何を意味するか        125
──ヘーゲルの判断論とマルクスの価値形態論──
11)価値形態の発展はどのように行われているか            139
──歴史的発展でも「概念の自己展開」でもない──
12)商品所有者の個人的欲望を捨象するとはどういうことか       146
──武田信照氏の久留間批判について──
13)価値形態論における弁証法はどの点にあるのだろうか        158
──基本的には簡単な価値形態の分析のうちに見いだされる──

後篇
マルクスの価値尺度論
──宇野教授の「マルクスの価値尺度論」への反批判を通して──

Ⅰ <宇野の「マルクスの価値尺度論」の第1、2節について>
1)マルクスを批判するまえにマルクスを正しく理解しなければ
ならない                                     168
2)量的規定の前に質的規定を明らかにしなければならない      171
3)社会主義社会には商品も貨幣も存在しない               190
4)〈購買によってはじめて価値が尺度される〉という主張について
196
5)量の問題を質の問題だと思い違いしてはならない            205
6)〈価格を価値に一致させるのが価値尺度としての貨幣の機能だ〉という主張について
208
7)資本主義的商品から捨象すべきは資本主義的性格であって、労働による価値の規定ではない
224

Ⅱ<宇野の「価値尺度論」の第3節について>
8)商品変態論では正常的経過を前提しなければならない        232
9)貨幣と商品との交換に目を奪われて商品の形態変換W─G─Wを看過してはならない
241
10)〈貨幣のみが進んで商品を購買しうるところに貨幣形態の意義がある〉という主張について
246
11)〈正常的経過を前提しては流通手段の意義は分からぬ〉というマルクス批判について
249
12)〈使用価値による制約を無視している〉というマルクス批判について
258
13)〈商品は自ら運動しうるわけではない〉という点からするマルクス批判について
264

後篇 マルクスの価値尺度論
──宇野教授のマルクス「価値尺度論」への反批判を通して──

Ⅰ<宇野の「マルクスの価値尺度論」の第1、2節について>
……省略……

1)マルクスを批判するまえにマルクスを正しく理解しなければならない

……省略……
{マルクスを批判するのなら、ほんとうのマルクスについてなされねばならない}
……宇野君は『資本論』を批判するという仕事をやっているわけですね。『資本論』のいろんな個所について、マルクスが言っていることをおかしいと言っているのです。おかしいと言って批判するからには、何よりも先ず、そこでマルクスが論じていることの本当の意味を──すなわち、彼はそこでどういうことを問題にし、どういう仕方でどういう解答を与えているのか、といったようなことについて──十分理解していなければならぬはずです。少なくとも自分なりには、十分理解しているという確信をもっていなければならぬはずだと思うのです。本当の意味を理解しないで、誤解や半解したマルクスを、──本当のマルクスではないニセモノのマルクスを──かれこれ言ってみても、それは批判にも何にもなりはしない。……省略……

{〈マルクスを理解していない〉という批判に対して、〈解釈にすぎぬ〉と答えるのはどういうことだろう}
……省略……しかしそれと同時に、そう分かってみると、それまで分からなかったのがまことに不思議で、そのつもりであらためて読んでみると、分からぬほうがどうかしているように、実に見事に書いてある。ただ、あまりにも見事というか、いわゆる「学校教師ふう」の書き方ではない、かんでふくめるというようなのでない、ひどく凝ったというか、しゃれたというか、一種独特の叙述の仕方で書いてあるので、かえって容易に理解しにくくなっているきらいはあるように思われる……忌憚なくいうと、マルクスが価値形態論で明らかにしようと思っている問題と交換過程論で明らかにしようという問題とのそれぞれの意味、その間の本質的な違いが、したがってまたそれらの間の内的な関連が、宇野君にはまるで分かっていない。だから価値形態論に欲望をもちこむことを必要と考えると同時に、交換過程論の独自の意味を見落とすことになり、ひいては、マルクスの貨幣論の画期的な意味が分からないで、かれこれいうことにもなる、……省略……
……省略……いったいに、学問は問題の解決なのだから、マルクスが『資本論』のそれぞれの個所で、それぞれどのような独自の問題を解こうとしているかが分からぬと、いかにりっぱな回答がそこに与えられていても、猫に小判ということになる。……省略……
2)量的規定の前に質的規定を明らかにしなければならない

……省略……宇野論文の第1節の問題点から見てゆきます。宇野教授は、『資本論』第1部第1篇第3章の第1節「価値の尺度」の冒頭部分から、「私は、この著述のどこにおいても、簡単化のために、金を貨幣商品として前提する」、という最初のマルクスの一句を除いて、その次のパラグラフを引用され、その引用の後にこう書いておられます、──「たしかに『金なる特殊商品』が、まず『貨幣』となるのは、『商品世界に対してその価値表現の材料を供』することによってであることは、価値形態論の成果としての『貨幣形態』で明らかである。しかしそれが果たして金の『機能』と言ってよいか、どうか』。教授はこういうふうに問題を立て、つづけて、次のように述べておられます。
〈種々なる、あらゆる商品が、その価値を金価格として表示するためには、マルクスも言っているように、また商品経済社会にいる限り何人も知っているように、「一片の現実の金をも必要としない」(岩波文庫1、183頁。……)。それは「機能」するといっても、「観念的」なるものとしてにすぎない。ここで金は、諸商品の価値表現のために「材料を供」するといっても金自身の積極的な機能としてではない。諸商品の側から、それぞれの商品所有者が、その商品について金幾らとなら交換してよろしい、と言っているにすぎない。こんなことは今さらいうまでもないことであるが、それが経済学ではかえって明確でないのである。(49頁)〉
……省略……

{〈機能はするが機能というべきではない〉?!}
久留間 今のところには、まず第一に、「それは『機能』するといっても、『観念的』なるものとしてにすぎない」、と書いてあるわけですね。ですから、宇野君自身も、観念的なものとして機能する、ということは認めているわけですね。その点では、マルクスとの間に違いはない。ただ宇野君は、観念的なものとして機能することは認めるけれども、観念的なものとして果たす機能を機能というのはおかしい、と考えているのではないかと思われる。つきつめていえば、機能するのだけれど機能というべきではない、ということになるかとも思われるのだけれど、どうなんでしょうか?

{諸商品が金を貨幣にする過程と、貨幣=金で諸商品が自己の価値を表わす過程とを、区別しなければならない}
それからまた宇野君は、「ここで金は、諸商品の価値表現のために『材料を供』するといっても金自身の積極的な機能としてではない」、とも言っている。これは宇野君にあっては、──さきの「観念的なものとしてにすぎない」という主張もそうなのですが──価値尺度についてのマルクスの考え方──すなわち、価値の価格としての表示における金の役割を価値尺度機能だと考え、それを金の貨幣としての第一の機能だと考えるマルクスの考え方──に対する反対論の根拠になるわけなので、その点に関連して論じないと──それから切り離して、ただ積極的かどうかというようなことだけを論じてみても──あまり意味のない言葉の争いみたいなことになるかと思うのだけれど、実質的なことは後で論じることにして、さしあたり今の問題に関連して、念のためにあらかじめ注意しておくほうがよいかと考えられることがあるので、ちょっと付け足しておきますが、それはこういうことです。
商品の価値は結局金いくらという価格の形態で表示されることになる、現にそうなっているわけですが、これについては二つの過程を区別して考える必要があると思うのです。第一の過程は、金が商品世界の共同の行為によって、一般的等価物──貨幣──にされる過程です。このかぎりでは、金は何らの機能もしていない、もっぱら商品のほうがはたらきかけて、金に貨幣という形態規定を与えているわけです。だがこれが過程の全部なのではない。商品はまずこのようにして、金に貨幣という形態規定を与えた上で、今度は、この貨幣としての金で、それぞれに自分の価値を表示するわけです。たんなる金ではなくてすでに貨幣になっている金で。諸商品が共同の行為によって金を貨幣にする過程と、すでに貨幣になっている金で、いちいちの商品が自分の価値を表わす過程とはちがうわけです。第一の過程では、すべての商品が左辺に立って、右辺に金がおかれる。ところが、ひとたび金が貨幣になると、そうした金での商品の価値表現は、最初の簡単な価値形態と同じ形態で行われることになる。マルクスが言っているように、
〈一商品の金での価値表現──x量の商品A=y量の貨幣商品──は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。今では、鉄価値を社会的に通用するように表わすためには、1トンの鉄=2オンスの金 というような一つの単独な等式で十分である。この等式は、もはや、他の諸商品の価値等式といっしょに整列する必要はない。なぜなら、等価物商品である金は、すでに貨幣の性格をもっているのだからである。それゆえ、諸商品の一般的な相対的価値形態は、今ではふたたび、その最初の簡単な、または個別的な相対的価値形態の姿をもつのである。(『資本論』Ⅰ、110頁)〉
ですから、この場合には金は、すでに貨幣という形態規定を与えられているものとして、言葉をかえて言えば、それの自然形態がそのまま価値の大いさを表わすものとして、商品の価値表現において独自の機能をしている、と考えられるのです。何らの働きもしていないと考えるとしたら、それこそおかしいわけです。これは、ある意味で大統領の場合に似ている。大統領を選ぶのは国民だけども、ひとたび大統領として選ばれた者の名において国民の意思が発表されるということになると、大統領がこんどは大統領としての機能をしている、と言えると思うのです。
ところで、こうした場合に、その機能が積極的かどうかということが問題になるわけですが、これは前にも言ったように、そういうことが問題とされている目的からはなれてとやかく論じてみても、あまり意味のない言葉の争いになりかねないと思うから、次の問題にうつることにしますが、そのうちに、今の問題に対する答えもおのずから出てくるかと思うわけです。
……省略……
問題の文章はこういうのでしたね。
〈ここで金は、諸商品の価値表現のために「材料を供」するといっても金自身の積極的な機能としてではない。諸商品の側から、それぞれの商品所有者が、その商品について金幾らとなら交換してよろしい、といっているにすぎない。こんなことは今さらいうまでもないことであるが、それが経済学ではかえって明瞭でないのである。〉
……省略……

{〈金いくらとなら交換してもいい〉と商品所有者が言う事実に価格規定の本質的特徴を見るとはどういうことだろう〉
〈「諸商品の側から、それぞれの商品所有者が、その商品について金幾らとなら交換してよろしい、と言っているにすぎない」、というのは、もちろん商品の価値の価格としての表示のことであろう。しかし、商品の価値の価格としての表示を考察して、そこではたんに「商品の所有者が……金幾らとなら交換してよろしい、と言っているにすぎない」という──「今さらいうまでもない」ような事実の発見に到達して、この事実が「経済学ではかえって明確でない」、と考え、これが明確でなかったためにマルクスの価値尺度論もヘンチキリンになったのだ、というふうに推測するとは、何ということだろう。まず第一に、宇野君がここで価格形態におけるもっとも肝要な事実として指摘していることは、けっして価格形態にかぎったことでなく、どの価値形態についても言われうることである。例えば、20エレのリンネル=1着の上衣 という場合でもそうである。〔そうであるというのは、<相対的価値形態の方に立っている>リンネルの持主の方が上衣1着となら交換してもいいと言っている、ということは、この場合でも──宇野君流の考え方からすれば──当然言われうるはずですね、貨幣形態の場合にかぎることではないはずです。〕いな、それだけではなく、商品でない・したがって価値形態でもない・場合にもあてはまる。例えば、ベーゴマをもっているデコ坊がメンコ10枚とならこれを交換してもよろしい、といった場合でも、やはり同じことである。およそこのような、商品でない場合にさえあてはまる、したがって経済的規定性でもないような、愚にもつかない事実に着眼して、そこに価格の規定の本質的な特徴があるかのように考えるのは、いったいどうしたことであろうか?〉
……省略……

{販売価格の高さの決定という量的な面に目を奪われて、質の面を看過する}
〈これは、ひっきょう、価値尺度としての貨幣の機能──商品の価値が価格の形態で表現される場合に演じる貨幣の役割──について、もっぱら量的な面に注意をうばわれて、質的な面を看過することからきたものと考えられる。〈価格はもともと、商品所有者が勝手につけるもので、実際にそれで売れるかどうかは分からない、買手のほうから、その価格でなら買おうと言って、商品が首尾よく売られたときに、はじめて価格は客観的なものになる、だから、価値を尺度することは、購買手段としての貨幣に属する機能と考えねばならぬ〉というのが宇野君の議論の要旨であって、さきに引用した文句も、その一端を表わすものにほかならぬのであるが、これはたんに、実際に売られる場合の価格の高さの決定が何によってなされるかを問題にするものにすぎない、価格の量的規定を問題にするものにすぎない。だがわれわれは、価格を問題にする場合に、このような量的規定のほかに、その以前に、質的な規定があることを忘れてはならない。

{価値の価格としての表示を可能にする貨幣=金の媒介的機能こそ、価値尺度の質的な面だ}
実際に売られる場合の商品の価格が、買手によって、まして購買手段としての貨幣の機能によって、決定される、と考えることは、それ自身途方もな今ちがいであるが、その点はしばらくおくとして、それが誰によって、あるいは何によって決定されるにしても、また、その価格が価値を表示するものとして高すぎようが低すぎようが、それは価格であることに変わりはない。なぜなら、それは、貨幣としての金の形態における価値の表現だからである。そして、商品の販売ということは、それを前提にして──価格を前提にして──はじめて考えられることである。なぜなら、販売は価格の実現であり、価格の実現は必然的に価格を前提するからである。販売されたさいの価格がどのようにして決定されようが、またその価格が価値を表現するものとして低すぎようが高すぎようが、それが実現されて現実の金になれば、その金の量的限界内では、どんな商品でも変えるものになる。金はけっして、本来的にそういうものなのではない。金がそういうものになったのは、あらゆる商品がそれらの価値をもっぱら金で表現することによって、金を貨幣に──それの自然形態がそのまま価値の定在として一般的に妥当するものに──したからであり、商品の価値がこのような貨幣としての金で、価格として表現されることになったからである。この、価値の価格としての表示は、貨幣としての金の媒介によってはじめて可能なのであり、この媒介的な機能において、貨幣金は価値の尺度なのである。これこそが、価格の、したがってまた価値尺度としての貨幣の機能の、質的な面であり、根本である。宇野君の主張は、量の問題に──マルクスの言葉をかりて言えばブルジョア的なインタレスト<興味>に注意を奪われて、この肝心かなめな質的な面を忘れたものと言わねばならぬ。〉
……省略……

{〈価値尺度としての貨幣は物指しとは違う〉と言う場合、宇野氏は単に量的規定を問題にするにすぎない}
なお、宇野君は、──これは『経済原論』ですが──価値尺度としての貨幣は物指しとは違う、ということを力説して、従来は自分も、価値尺度としての貨幣の機能は価値を価格として表現することにある、とするマルクスその他の普通の考え方に従ってきたが、この物指しとの違いに気がついたので独自の説をたてるようになった、というふうにも言っている。なるほど、価値尺度としての貨幣は物指しとは違うに相違ない。しかし、それくらいのことはマルクスにしても知らぬはずはないので、彼がそれに気がついてないなどと思ったら、とんでもないことです。ただ、それではどういう点で違うか、ということになると、宇野君とマルクスとの間には大変なヘだたりがある。宇野君はその場合に、こういうことを考えるのです。物指しの場合には、それをあててみれば物の長さが分かる。ところが、価値尺度の場合にはそうではない。金で価値を尺度すると言っても、金によって価値が価格の形態を与えられただけでは、価値が「計量」されたことにはならない。実際に買われることによってはじめて価値は「計量」されることになる。「物指しをあてて見るということが、商品では交換されて見ることなのである」(……)。だから、価値を尺度することは購買手段としての貨幣に属する機能でなければならぬ。だいたいこういうのが、宇野君の考えのようですが、これは、前にも言ったように、たんに価格の量的規定を問題にするものにすぎないわけです。

{量的規定のまえに質的規定を明らかにしなければならない}
マルクスはこれと違って、価格、したがってまた、商品の価値の価格としての表示のさいに演じる金の役割、にかんしては、そういう量的規定にかんする問題のほかに、その以前に考察されねばならぬ質的規定の問題がある、と考えるわけです。実際に売買される場合の価格の高さが何できまるかというようなことを問題にするまえに、われわれは、形態としての価格を問題にする必要がある、価値が金の姿で表示され、価格の形態をとるということ、このことはいったい、商品生産にとってどのような意味をもつかという問題、これをわれわれは、まず第一に明らかにしなければならぬ、とマルクスは考えてるわけです。

{販売で商品が金になるのは、私的労働が社会的労働になることだ}
商品生産は直接社会的な生産ではない。商品を生産する労働は当初から社会的な労働なのではなく、直接には私的な労働です。そういうものから社会的生産の体制が生じるためには、商品生産者の私的な労働はなんらかの契機において、なんらかの形態において、社会的労働にならねばならぬ。ではどのような形態で、商品生産者の労働は社会的労働になるかというと、けっきょく、金の姿ではじめてそういうものになる。だから商品は、そのままでは任意の他商品に変わるわけにはいかないが、いったん金になると、どの商品とでも交換可能になるのです。ですから、商品は金にならねばならぬわけですが、それではどのようにして金になるかというと、いうまでもなく販売によってなる。販売においては、商品の使用価値が譲渡されてそのかわりに金が与えられる。これはどういうことかというと、使用価値は特殊的具体的な属性における労働の所産なのですから、使用価値が譲渡されるということは、ひっきょう、労働のこの特殊的具体的な属性が脱ぎすてられることを意味するのであって、それによって労働は抽象的一般的な労働に還元される。そしてこの、抽象的一般的労働という形態において、はじめて社会的労働になる。これが、商品が販売されて金になるということの根本の意味なのです。

{販売の前提である価値の価格への転化の機能は質的規定の問題である}
このことはもちろん、金があらかじめ、商品世界の共同行為によって、抽象的一般的な・そしてそれによってまた社会的な・労働の直接的体化を意味するものに──すなわち貨幣に──されていることを前提にするので、それによってはじめて、商品の金への転化は、商品生産者の私的な具体的労働の、抽象的一般的な、社会的な労働への転化を意味することになりうるわけです。ところでこの貨幣としての金への商品の転化は、販売によってはじめて実現されるわけですが、この実現は、当然、商品の価値があらかじめ観念的に金に転化されていること、すなわち価値が価格に転化されていることを前提するのであって、この転化にさいしての金の役割を、マルクスは金の価値尺度機能であるとし、貨幣としての金の第一の機能であるとしているわけです。これは単なる量的規定の問題ではなく、もっと根本的な質的規定の問題です。マルクスが、従来の経済学が見落としているものとして力説している“尺度の質”というのは、究極的にはこのことを意味しているのです。
ですから、宇野君の場合とマルクスの場合との間には大変なへだたりがあるので、宇野君は量的規定の問題にのみ心を奪われているから、マルクスが論じている、もっと本質的な問題に気がつかない。そこで、マルクスは物指しとの違いに気がついていない、というふうに考えることになるのではないか? どうもぼくにはそうとしか思えないのです。
なお、尺度の質ということは、マルクスの『経済学批判』にも出てくるし、内容的には、『資本論』でもいろいろの個所で明らかにされていることですが、特にこの問題に焦点をおいて詳しく論じているのは、『剰余価値学説史』の第3巻のベイリ批判のなかです。

{貨幣は私的労働が社会的労働になるための一モメント<契機・要素>をなすこと、ここに価値尺度の質の問題がある}
……省略…… ぼくの言うのはですね、商品生産者の労働は直接には私的労働であって社会的労働ではない、それは、貨幣の形態ではじめて社会的労働として現れる。だから、貨幣は、私的な労働が社会的労働になるための一つのモメントをなす、そういう意味での質の問題だというわけです。はじめから社会的労働としてあるなら、その分量は労働時間できまり、労働時間は時計ではかることができるわけで、その場合には物指しで空間的な長さをはかるのと本質的な違いはない。ところが価値の場合にはそうではない。商品は価値としては抽象的人間的労働の対象化であると言っても、それはラテントに<潜在的に>そうであるというにすぎないので、直接的にそういうものとしてあるわけではない。金というかたちではじめて、商品生産者の労働は抽象的人間的労働として、そしてそれによってまた社会的な労働として現れる。だから、売られて現実の金になれば、なんでも買えることになる。商品そのものはなんとでもは交換できない、欲望の対象どうしでなければ交換できないわけです。しかしそれだけであったら必ずしも商品の関係ではないわけです、だから<商品は>貨幣になる、そうしてはじめて、何とでも交換されうるものになる。だけども、現実の金になってはじめてそういうものになるのだけれども、そういう現実の金になる前に、商品の価値はあらかじめ、そういう金のある量として、価格の形態で表示されていなければならない。それが価値を量的に正しく表わそうが表わすまいが、とにかく金の形態で、価格として表示されていなければならない。それによってはじめて、商品生産者の私的な労働は社会的労働として表わされることになる。これが価格の、あるいは価値尺度の、いわゆる質の問題なのです。

{『学説史』でのベイリ批判のなかでマルクスが論じていること}
……省略……しかしその前にちょっと、前からのつながりが分からぬとまずいから一言しておきますが、ベイリは、リカードが絶対的価値というものを考えるのに反対して、そんなものはありえないということを主張するのです。つまり、価値は相対的にのみ、すなわち他の商品との交換関係においてのみ、現象するわけですが、彼はそれこそが価値なので、それ以外に価値はない、その根底に労働によってきまる価値があると考えるのはまちがっている、と主張するのです。これに対してマルクスはこう言うのです。
〈だが、「価値」が絶対的なものではなく、一つの実在物としては捉えられない、ということ……〉
ちょっと、これはつけたしだけど、マルクスは、リカードのいわゆる絶対的価値にしてもやはり相対的なのだ、なぜなら、それは社会的に必要な労働時間への関係によって規定されているのだから、といい、さらに一歩を進めて、ベイリの徒こそかえって価値を絶対的なものにしているのだ、ときめつけている。というのは、彼らは、「価値」を「物の属性」だと言っているからです。今読みかけた文章はこういった議論につづくのですが、中断したからあらためてはじめから読んでみましょう。

{リカードでは問題の質的側面が展開されていない}
〈だが、「価値」が絶対的なものではなく、一つの実在物としては把らえられない、ということは、次のこととはまったく別のことである、──すなわち、諸商品が自分の交換価値に、自分の使用価値とは、あるいは実在的な生産物としての自分の定在とは異なる、そしてそれからは独立して存在する、一つの自立的な表現を与えざるをえない、ということ、すなわち、商品流通は貨幣形成にまで前進せざるをえない、ということである。諸商品が自分の交換価値にこの表現を与えるのは、貨幣においてであり、まず価格においてであって、諸商品はここではすべて、同一の労働の物質化として、同一の実体の量的にだけ異なる諸表現として自らを表わすのである。商品の交換価値の貨幣における自立化は、それ自身、交換過程の産物であり、商品のなかに含まれた、使用価値と交換価値との諸矛盾の、そしてそれに劣らず商品のなかに含まれた次のような矛盾、──私的個人の特定の特殊的労働がその反対物として、すなわち等しい・必要な・一般的な・そしてこの形態において社会的な・労働として自らを表わさなければならない、という矛盾の、発展の産物である。商品の貨幣としての表示のなかには、諸商品のさまざまな価値の大きさが、それらの価値の・排除された一商品の使用価値での・表示によって計られている、ということが含まれているばかりではない。そこには同時に、諸商品はすべて次のような形態において、──そこでは諸商品は社会的労働の体化として存在し、したがってまた他のどんな商品とも交換可能であり、任意にどんな任意の使用価値にも転換可能である、という形態<すなわち貨幣という形態>において、自らを表わす、ということが含まれているのである。したがって、諸商品の貨幣としての──価格における──表示は、初めには、ただ観念的に現れるにすぎず、この表示は、諸商品が現実の販売によってはじめて実現するのである。リカードにおける誤りは、彼が価値の大きさだけに心を奪われているということである。ここから彼の注意は、もっぱら、さまざまな商品が表わす・諸価値として体化されて自分のうちに含んでいる・労働の相対的な量だけに向けられることになる。だが、諸商品に含まれている労働は、社会的な労働として、脱皮した個人的労働として表わされなければならない。価格においては、この表示は観念的である。この表示は、販売においてはじめて実現される。諸商品に含まれている私的諸個人の労働の、等しい社会的労働への、したがってすべての使用価値で表示可能な・すべての使用価値と交換可能な・労働としての労働へのこの転化は、──交換価値の貨幣としての<すなわち価格での>表示に含まれている、“事態のこの質的側面”は、──リカードにあっては展開されていない。この事情──諸商品に含まれている労働を等しい社会的労働として、すなわち貨幣として表わす必要──を、リカードは見過ごしているのである。(『剰余価値学説史』Ⅲ、127頁……)〉
ついでにもう一個所読んでみましょうか。少し長いけれど重要だから。

{私的労働を社会的労働として表現することの必要は、商品を貨幣として表現することの必要である}
〈諸商品がそれらのうちに含まれている労働量によって計られるためには──そして労働分量のための尺度は時間である──、諸商品に含まれている種々の労働が、等しい単純な労働に、平均労働、普通の不熟練労働に還元されていなければならない。こうしてはじめて、それらのうちに含まれている労働時間の分量が、時間で、等しい一つの尺度で計られうるのである。労働は、その区別が単に量的な区別、単なる大きさの区別となるためには、質的に等しくなければならない。とはいえ、単純な労働へのこの還元は、この<単純な>労働──統一体としてのこれに諸商品の価値が分解する──の質の唯一の規定ではない。一商品に含まれている労働の分量がそれの生産に社会的に必要な分量であること──つまり労働時間が必要労働時間であること──は、価値の大きさだけにかかわる規定である。しかし、諸価値の統一体をなす労働は、等しい単純な平均労働であるばかりではない。労働は、私的個人の労働であって、ある特定の生産物に表わされている。ところが、価値としては、生産物は社会的労働の体化でなければならず、またかかるものとして、ある使用価値から他のどんな使用価値にも直接に転化可能でなければならない。……つまり私的労働は、直接にその反対物として、社会的労働として現れなければならないのである。この転化された労働は、その直接の反対物として、抽象的一般的な労働である。この抽象的一般的な労働は、したがってまた一般的等価物においても現われなければならない。個人的労働は、ただそれの譲渡によってだけ、現実にその反対物<たる社会的労働>として現われる。けれども商品は、譲渡されるまえに、この一般的な表現をもたなければならない。個人的労働を一般的労働として表わすというこの必要は、商品を貨幣として表わすことの必要である。この貨幣が<一般的社会的労働の>尺度として、また商品の価値の価格における表現として役立つかぎりで、商品はこの表示を受け取る。商品の貨幣への現実の転化、すなわち販売によってはじめて、商品は、この、自分の、交換価値としての十全な表現を獲得するのである。第一の転化は単に理論的な過程であり、第二の転化は現実的な過程である。〉

{質的規定を力説すべきである}
〈だから、貨幣としての商品の定在の場合に強調されなければならないのは、商品は貨幣で──すべての商品が自己の価値を同じ商品の使用価値で表現するという仕方で──それらの価値の大きさを計る一定の尺度を自己に与えるということばかりではなく、商品は<貨幣という価値の形態では>すべて社会的な抽象的一般的な労働の定在として現われるということ、この形態では商品はすべて同じ姿をもち、すべての商品が社会的労働の直接の化身として現れ、またそうした化身としてすべての商品が社会的労働の定在という効果をもち、直接に──それらの価値の大きさに比例して──他のすべての商品と交換可能であるということ、他面それらは、自分の商品が貨幣に転化している人の手中では、特殊的な一使用価値での交換価値の定在ではなく、交換価値の単なる担い手としての使用価値(たとえば金)であるということ、──これらのことも強調されなければならない。商品は、その価値以下で、あるいはその価値以上で売られるかもしれない。このことは、もっぱら、その価値の大きさにだけかかわることである。だが、いやしくもそれが販売され、貨幣に転化されさえすれば、いつでも、それの交換価値は、それの使用価値から分離された一つの自立的な定在をもつのである。それ<貨幣姿態>はもはや、社会的労働時間の一定分量として存在するにすぎず、また、自らがかかるものであることを、直接にどんな任意の商品とでも交換可能であり、どんな任意の使用価値にでも(それの分量に応じて)転化可能であるということによって、実証する。この点は、一商品に含まれている労働が商品の価値要素として受け取る形態上の転化と同じく、貨幣を論じるさいに見過ごされてはならない。ところで貨幣においては、言い換えれば、商品が貨幣としてもつこの絶対的な交換可能性、すなわち、交換価値としての絶対的な効力──“このことは価値の大きさにはなんのかかわりもなく、量的な規定ではなくて質的な規定なのである”──においては、次のことが明らかとなる。すなわち、商品そのものの過程によって商品の交換価値が自立化され、自由な姿で商品の使用価値と並んで実在的に表わされるが、これは、商品の交換価値が商品の価格においてすでに観念的に貨幣であるのと同様なのだ、ということである。(同前、133頁)〉

{マルクスこそ、物指しと価値尺度としての金との本質的な違いを明らかにしている}
これによってもはっきり分かるように、マルクスはけっして、価値尺度としての金を物指しと同様に考えたりなどはしていない。それどころではなく、彼こそ、それらの間の本質的な差異をつかんでいるのです。宇野君が物指しと違うという場合には、単に量的規定のことだけを考えているのですが、マルクスはそれと異なって、もっと根本的な、本質的な差異を見極めているのです。貨幣(金)の形態においてはじめて、商品は一般的に価値として現われるのだということ、そして価値として現われることによってはじめて、商品生産者の労働は社会的労働として現われるのだということ──これはたんなる量的規定上の違いではなくて、もっと根本的な本質的な違いですが──それをマルクスは明らかにしているわけです。

{マルクスは量的規定もおろそかにしていない}
しかし、それだからといって、彼はけっして量的規定をおろそかにしているわけではない。ただ、そういうことを問題にするまえに、より根本的な質的な問題を明らかにする必要があると考えているのです。そうしないと、量的規定の問題そのものも、本当には理解されえないことになるからです。彼が量的規定の問題をおろそかにしていないことは、彼がいろいろのところで価値からの価格の乖離の問題を論じているのをみれば分かるはずです。いろいろのところで彼がそれを論じているのは、量的規定といっても一概には言えないので、抽象的形式的な規定もあれば具体的実質的な規定もある、そしてその間にさらにいろいろの段階がある、したがって、理論的体系の展開につれて、それぞれ適当なところで論じるほかはないからです。たとえば需給の関係による価格の決定というようなことは、簡単な流通を考察する段階では問題になりえない。この段階では、購買と販売、あるいは購買者と販売者というものは出てくるが、それらの間の関係をいくら考えても受救の関係は分からない。需給の関係は購買者の全体と販売者の全体との間の関係だからです。簡単な流通のところで明らかにされうることは、せいぜい、価値からの価格の乖離の可能性は価格形態そのもののうちに横たわっているということ、それから、商品の販売は種々の事情に依存するということ、したがって、それらの事情しだいで価格は価値から離れることになるのだということ、ただその程度のことにすぎないわけです。なお、この問題については、それからまた、なぜマルクスが、このように価格の価値からの乖離の可能性を認めながら、『資本論』の第1部および第2部では、価値どおりの価格で商品が売られるものと仮定して理論を展開しているかという問題については、おそらく後に、論じる適当な機会があると思今すから、その時にゆずることにします。

{宇野氏は結局、どこででもこうした尺度の質の問題を解明してはいない}
……省略……

3)社会主義社会には商品も貨幣も存在しない

{完成した社会主義社会では貨幣はなくなり、流通しない引換証があるだけである}
……省略……
まず目に見える違いからいえば、それは流通しない。もちろんこれは、完全に社会主義になっている場合のことですよ。その場合には、生産物の一定量に対する引換証にすぎないものになる。ですから、それを受けとったものは配給所に行って、それと引換えに一定の生産物を受けとる。すると引換証は、それを発行した機関に返ってくる。だから流通はしない、流通手段ではない、ただの引換証です。
……量的な表示といっても、ただの量ではなくて、主として労働時間を標準にして計った生産物の一定量でしょう。一定量の社会的労働をした代わりに、社会的労働の生産物の一定量を割りあてる、そのための引換証ですね。

{労働時間だけが尺度であり、外的尺度の必要はない}
……省略……
<尺度といっても>少なくとも貨幣の場合と同じ意味では言えないでしょうね。社会主義経済の場合には、個々人の労働ははじめから社会的労働になっているあって、引換証の形ではじめて社会的労働になるわけではないのだから。また、社会主義社会の場合には、商品生産のように意識の背後においてではなく、意識的に割当量が決められていて、引換証はただそれを記載したものにすぎないわけです。すなわちこの場合には、総生産物のうちのどれだけの部分を個人的消費に割り当てるか、また、そのうちのどれだけを労働不能な老人や幼年者や病人のために保留し、どれだけの部分を労働したものに割りあてるか、というようなことは、その時々の事情によって一様ではないでしょうが、いずれにせよ、なんらかの機関によって立案され、なんらかの機関によって最終的に決定される、というような仕方で、意識的に決められるわけです。他面ではまた、各人がどれだけの労働をしたかも、直接確認されて記録されるでしょう。そこで各人への割当量が決まり、それにしたがって引換証を渡す。だからすべては意識的に行なわれる。その場合に計算の基礎になるのは、主として労働量ですが、労働の量は時間で計られる。だから、労働時間が尺度といえば尺度なので、引換証が尺度なのではない。商品の価値の場合には、労働時間は内的尺度で、貨幣は外的な尺度だと言われるのですが,社会主義の場合には、外的尺度の必要はないわけです。

{「価値章標」は金の章標であるが、引換証上の名称は労働時間を表わすものでしかない}
……省略……
社会主義になって、貨幣が引換証に変わった場合に、円とかドルとか、ルーブルといったような従来の貨幣名が、ひき続いて用いられるということは、もちろんありうることです。しかしその場合には、それらの名称が表示するものは、前とは違ったものになっている。円とかドルとかいうのは、本来は、貨幣としての金の重量単位につけられた名称です。流通手段としての機能においては、周知のように、金は紙券によって代理される。何円あるいは何ドルと表記された紙片が、金の代わりに流通する。いわゆる「価値章標」ですが、これはけっして、直接に価値あるいは労働時間を章標するものではない。直接には金の章標なので、マルクスが言っているように、「価値量でもある金を代表するかぎりでのみ、価値章標である」わけです。ところが、引換証の場合にはそうではない。何円とか何ドルとか何ルーブルとか記載してある場合には、外見的には価値章標と違いがないようだけれど、その間には本質的な違いがある。社会主義の場合には、個々人の労働は生産物の価値を形成するものとして、貨幣の形態において、はじめて社会的労働になるのではなくて、はじめから社会的労働として行われるわけです。ですから、あらためて貨幣になる必要はないわけです。何円、何ドル、何ルーブルといっても、それは社会主義内部の関係においては、金量を表わすものではなくなっているわけです。ですから、貨幣との共通点があるにしても、今言った点で本質的な違いがあるわけです。
……省略……
どちらも紙切れの上に何円とか何ドルとか何ルーブルとかと記載してある場合には、外観は同じわけです。それからまた、貨幣にしても──特殊な仕方においてではあるが──結局は社会的労働の一定量を表わすものに相違なのだから、特殊性を無視して言えば、同じだと言えないことはないでしょう。しかし、それだからといって、引換証も貨幣の一種にほかならぬ、というふうに考えたら、とんでもない間違いにおちいることになるでしょう。
なお、この点については、マルクスの次の記述をも参考にしてください。
〈なぜ、貨幣は“直接に労働時間”そのものを代表し“ない”のか、その結果、たとえば一枚の書きつけがx労働時間を表わすというようにならないのか、という問題は、まったく簡単に、なぜ商品生産の基礎の上では労働生産物が自らを商品として表わさなければならないのか、という問題に帰着する。というのは、商品のこの<貨幣を媒介とした価格という>表示は、商品と貨幣商品との商品の二重化を含んでいるからである。または、なぜ私的労働は、直接に社会的な労働として、つまり私的労働の反対物として、取り扱われることができないのか、という問題に帰着する。商品生産の基礎上での「労働貨幣」といった浅薄なユートピア主義には私は別のところで詳しく論じておいた。(『経済学批判。第1分冊、61頁以下。)さらにここで注意されるべきことは、たとえばオーエンの「労働貨幣」が「貨幣」でないことは、劇場の切符などが貨幣でないのと同じことだということである。オーエンは、“直接に社会化された労働”を、つまり商品生産とは正反対の生産形態を前提している。労働証明書は、ただ“共同労働”における生産者の個人的参加分と、“共同生産物”の消費充当に対する彼の個人的請求権を確証するだけである。しかし、商品生産を前提しておきながら、しかもその必然的諸条件を貨幣の小細工で回避しようというようなことは、オーエンにとっては思いもよらないことである。(『資本論』Ⅰ、109頁、「貨幣Ⅰ」〔39〕。“”は、初版でのマルクスの強調)〉
この引用は、第3章第1節「価値の尺度」の第3パラグラフ末尾につけられているものです。文中、『経済学批判』に言及していますが、該当する個所の主要な部分は、「貨幣Ⅰ」の〔32〕に収録してあります。
もう一つ、マルクスが『ゴータ綱領批判』のなかで社会主義における引換証に言及しているところを引用しておきましょう。
〈生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者たちは彼らの生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に支出された労働がこの生産物の“価値として”、すなわち生産物にそなわった物的属性として現われることもない。というのは、今では資本主義社会とは反対に、個々の労働は、もはや回り道をしてではなく直接に総労働の構成部分として存在しているからである。……
ここで問題にしているのは、それ自身の土台の上に“発展しきった”共産主義社会ではなくて、反対に今ようやく資本主義社会から“生まれた”ばかりの共産主義社会である。だから、この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、その共産主義が生まれ出てきた母胎たる旧社会の母斑をまだ帯びている。したがって、個々の生産者は、彼が社会に与えたのと正確に同じだけのものを──諸々の控除をしたうえで──返してもらう。個々の生産者が社会に与えたものは、彼の個人的労働分量である。たとえば、社会的労働日は個人的労働時間の総和からなっている。個々の生産者の個人的労働時間は、社会的労働日のうちの彼の給付部分、すなわち社会的労働日のうちの彼の持分である。個々の生産者はこれこれの労働(共同のファンド<資金>のための彼の労働分を控除した上で)を給付したという証明書を社会から受け取り、この証明書をもって消費手段の社会的貯蔵のうちから等しい分量の労働が費やされた消費手段を引き出す。個々の生産者は自分が一つの形で社会に与えたのと同じ労働分量を別の形で返してもらうのである。」(『全集』19巻、19頁。後半は「唯物史観Ⅱ」〔125〕に収録)
またエンゲルスも、『反デューリング論』のなかでこの点についての説明を与えているので、参照されるとよいでしょう(『全集』20巻、288頁)

4)〈購買によってはじめて価値が尺度される〉という主張について
……省略……

{〈金自身が評価する〉?!}
……省略……宇野教授の叙述……省略……論文の第2節……省略……
〈商品価値の貨幣形態、いいかえれば価格は、いわばなおその商品所有者の私的な、主観的評価にすぎない。それは他の同種商品所有者の、あるいは過去の評価にならったといっても、主観的評価たるを免れない。社会的な、客観的な評価を受けているわけではない。マルクス自身も言っているように「いかなる商品番人も、その商品の価値に価格の形態または表象された金形態を与えたとしても彼はまだそれらを金化したのではない……ことを知っている」(……『資本論』Ⅰ、111P)。それはなお金自身の側からその商品の価値を尺度しているわけではない。それだからこそ、そういう価格表示のためには、「幾百万という諸商品価値の金での評価にも、現実の金の一片をも要しない」(同上)のである。ところが金による商品の価値の評価も、金自身の側からする場合には、現実の金なしには、たとえ1円の商品といえども、なしうるものではない。商品の側で与えた価格が私的で主観的であるのに対して、貨幣の側からの購入による「価値尺度」は、社会的な、客観的なものとなるわけである。(……)〉
……省略……
金自身が評価する? 金に意識があるのだろうか。金自身がね…。購買者ということではないのか?
……省略……商品所有者と貨幣所有者、あるいは売手と買手、と翻訳して考えないとおかしいね。

{約定価格は〈主観的なもの〉ではないが、現実の金を必要としない}
……省略……「商品の価格はその商品の所有者の主観的評価にすぎぬ」というが、「商品の価格」というものをそういうふうにきめてかかるからわけが分からないことになる。売買はつねに一定の価格で行なわれるのです。買手の方ではそれなら買おう、売手の方ではそれなら売ろうという、価格について合意がまず成立する。これはけっして「商品所有者の主観的評価にすぎぬ」ものではありません。<これは>宇野君のいわゆる客観的な価格ですが、この価格をきめるのに現実の金がいるでしょうか? 現実の金はいらんでしょう。まずそういうふうにして<観念的なものとして>価格がきまり、そのきまった価格で売買が行なわれる。売手の方は商品を渡し、買手の方は金を渡す。そのときにはじめて現実の金が出てくるわけです。だけども、そのまえに価格がきまっていなければならぬ。価格がきまっていなければ、いくらの金を渡したらいいか分からんわけです。現実の金がこの価格をきめるのではなくて、あらかじめきめられた価格で商品を買うために、あるいは、別の見方からいえば、あらかじめきめられた価格を実現するものとして、現実の金が商品と引換えに売手に渡されるのです。ですから、現実の金によって価格がきまるというのは、おかしいわけです。それがどんなにおかしいかは、掛買いの場合を考えてみると、いっそうはっきりすると思う。掛買いの場合には、現金なしに売買が行なわれる。もちろん価格も客観的にきめられている。現金は後になってはじめて出てくる。しかもそれは、購買手段としてではなくて支払手段としてです。そればかりではなく、債権債務が相殺される場合には、支払手段としても現金は出てこない。だから、「金による価値評価も、金自身の側からする場合には、現実の金なしには、たとえ1円の商品といえどもなしうるものではない」と言うのは、全くもっておかしいわけです。

{〈購買による価値尺度〉という宇野氏の独特の価値尺度論}
……省略……

{価値は価格となって、はじめて実現されるべきものとしての形態をもつ}
……省略…… ああ、ちょっと待ってください。話の途中でわるいけれど。今「価値を価格として実現する」と言ったでしょう。なぜ簡単に「価格を実現する」と言わないで、わざわざそういう言い方をするのか、ぼくには分かりかねるけれど、それに関連してちょっと思い浮かんだことがあるので一言しておきたい。それは、商品の価値は価格になってはじめて実現されるべきものとしての形態をもつ、ということです。
商品はたんなる使用価値ではなくて価値であるということ、このことはマルクスにかぎらず宇野君も認めていることですが、現に価値であるなら、あらためて価値になる必要はなさそうに思われる。ところが、マルクスも時々価値の実現ということを言っている。これは、事実上は、販売によって現実の貨幣になることを意味しているのですが、価値の実現という言葉は、文字どおりに解すれば、価値の現実化ということ、すなわち価値が現実の価値になることを意味するものと解しなければならないわけです。ですから、価値の実現という表現は、一方では、商品の価値はそれが商品の価値としてあるかぎりは、まだ現実の価値ではなく、いわばラテントに<潜在的に>価値であるにすぎないということ、また他方には、現実の価値は貨幣としての金の姿で商品の外部に存在しているということ、この二つのことを想定しているわけです。しかしこのことは、価値の実現という場合には、たんに暗黙のうちに想定されているだけで、明示的には表現されていない。商品は価値であると考えるかぎりでは、価値は実現されねばならぬものとしては措定されていないわけです。価値は価格になってはじめてそういうものとして現われるのです。価格においては、商品の価値はすでに金の一定量という形態で表示されている。しかしこの表示はまだ観念的なものにすぎない。商品は価値としては一定量の金だといっても、まだ現実の金にはなっていない。だから、商品が価値としての現実の効果をもつためには、販売によって現実の金にならねばならない。この、観念的に金であったものの現実の金への転化が、価格の実現です。だから、価格の実現という場合には、実現という言葉がそのもの“ずばり”でピッタリあてはまる。ところが価値の実現という場合にはそうではない。商品はそれ自体が現に価値であるとすれば、前にも言ったように、その価値があらためて実現されねばならぬということは直接には理解されえない。価値の価格への転化を暗黙のうちに想定しているものとして、それを読みこんで考えて、はじめて価値の実現ということは理解できるわけです。ですから、価格の実現という方が直接的で明確なわけです。

{実現に先立って価格の規定が与えられていなければならない}
しかし、たんに価格の実現といったのでは、価値という言葉が出てこないから物足りないと言うのであれば、価格形態における価値を実現する、あるいは、価格としての価値を実現する、とでも言えばよさそうに思うが、宇野君のように「価値を価格として実現する」と言うのはどうであろう? 前の言い方では、価格規定が実現の前提になっていることがはっきりするが、宇野君の言い方ではそうではない。実現することが同時に価格規定を与えるもののような印象を与える。しかし、これがむしろ宇野君の本旨かもしれない。貨幣は購買手段として機能することによって商品の価値を尺度すると言うのだから。しかし、そういう考え方のまちがっていることは、すでに述べたところによって明らかであると思う。それは、価値の価格への転化の本質的な意味を、すなわち、価格あるいは価値尺度の質的な規定を、忘れたものであるばかりでなく、量的規定すなわち価格の高さにしても、現金が購買手段として登場する以前にすでに売手と買手との間できめられているので、そのきめられた価格で現実の売買が行なわれる、すなわち売手は商品を渡し、買手は貨幣を渡すことになるのです。あらかじめ価格がきまっていなければ、どれだけの貨幣を渡してよいか分からぬわけで、価格の規定が先行するわけです。「価格を実現する」といえばこのことが一見明瞭になる。実現されるのが商品の価格である以上、実現に先立って価格の規定が与えられていなければならないことが明らかです。
……省略……
マルクスは、価値の価格への転化、すなわち価値が金いくらという価格の形態で表示されることになる、その場合における金の機能を、金の貨幣としての第一の機能だと言っている。今のは、それに反対の見解を言い表したものですね。これは一つには、前にも述べたように、価格の高さ、すなわち量的規定の問題に心を奪われて、基本的な質的規定の問題を看過すること、一つにはまた、さっき述べた、商品の価値は価格の形態においてはじめて実現さるべきものとしての形態をもつのであって、<宇野の言うような>「価値の実現」、したがってまた「価値を実現するものとしての購買」は、事実上価値の価格への転化を前提し、この転化における貨幣の機能なしには考えられらないはずだ、ということに気がつかないこと──およそこうした重要な事実の認識不足に基づく独断にすぎない、とぼくは考えるわけですが…

{貸借対照表や国富統計では貨幣は機能していないのだろうか?}
……省略…… これは最初の部分で一応問題になったことだけれど、金が貨幣として「機能」するという以上、現実の金が登場して積極的に機能するのでなければならぬ、という宇野君の主張があったでしょう。今の、「価値を実現するものとしての購買が貨幣の第一の機能である」という主張は、それにも関連しているわけですね。ところが、普通の商品の場合には、貨幣としての金による価値の価格としての表示は、購買による価格の実現を予想し、実現の過程によっていわば補完される関係にあるので、前者<価値の価格としての表示>における貨幣の機能を否定して、そのかわりに後者<購買による価格の実現>における貨幣の機能を貨幣の第一の機能──価値尺度の機能──だと言っても、一応格好がつくようにも思えるわけですが、そういうわけにはいかない場合がある。たとえば、資本家が貸借対照表をつくったり、統計家が国富統計をつくるような場合がそれです。これらの場合にも、やはり金いくらと言うふうに、貨幣としての金による価値の表示がなされるわけですが、それは「観念的」な金であって現実的な金ではなく、また「金自身」が「積極的」に機能するわけでもない。したがって、宇野君の考え方からすれば、これらの場合には、金は貨幣として機能していないと言わねばならぬことになると思われるが、はたしてそう言ってすませるだろうか。マルクスによれば、これらの場合には貨幣は価値の尺度として──より規定的には計算貨幣として──機能しているということになるから、問題はないが、それに反対する宇野君の場合にはそうはいかない。といって、そのかわりに、「価値を実現するものとしての購買」による価値尺度の説を持ちだして説明するわけにもいかない。これらの場合の貨幣による価値表示は、現実の貨幣による実現を予定するものではないからです。だから結局、これらの場合には金は貨幣として機能していない、と言うほかないと思われるが、それでは何が機能していると考えるのだろうか? 現身で積極的に機能しているのは、資本家や統計家だとでも言うのだろうか?

5)量の問題を質の問題だと思い違いしてはならない

{売れた価格は必ずしも価値どおりの大きさではない}
……省略……E 価値の実現ということも、宇野さん流の考え方からすれば、やはり価値の実現なので、それなりに意味のあることのように思われるのですがね。つまり、量的の大きさは実現されてはじめて確認されるわけでしょう。そして、価値であるということは質的な規定を含むと同時に量的な規定も含まねばならぬわけですから、量的な大いさが確認されないかぎりは、価値であるといっても、まだ価値に完全になりきったのではない、というか、何かそういう含みというか、何かがありそうな気がするのですがね。そのへんどうでしょうか?
価値の「量的な大きさは実現されてはじめて確認される」、と君は言うが、商品は必ずしも価値どおりの価格で売られるわけではない。価値以上の価格で売られる場合もあれば、価値以下の価格で売られる場合もある。したがって、そういう価値から乖離した価格が実現されて、現実の金になってみても、価値の「量的な大いさ」を「確認」することはできないはずです。もっとも、もし君が価格の価値からの乖離の可能性を否定して、商品はいつでも価値どおりの価格で売られるので、実現された価格はそのまま価値の大きさを表わすのだ、と考えるのであれば、話は別です。もし君がそういうふうに考えるのなら、なるほど、実現されてみれば価値の大いさが確認されるということにもなるだろうが、その場合には、君は結局、日々の市場価格以外に、それを規制するものとしての価値の規制を認めない俗流経済学的立場に立つことになるでしょう。

{〈価値どおりに販売される〉ことと〈商品が貨幣になる〉こととは区別しなければならない}
君はまた、価値の「量的な大きさが確認されないかぎりは、価値であるといってもまだ価値に完全になりきっていない、」というが、これはどういうことか、ちょっとぼくには理解しにくい。まず「価値に完全になりきる」というのはどういうことか? これはおそらく、商品が販売されて貨幣なったときの状態を言っているものと想像される。すなわち、販売されて貨幣になるまでは、商品は価値であるといっても客観的に価値として通用するわけではない、言葉をかえていえば、一般的な直接的交換可能性はもっていない。貨幣になってはじめて、何とでも交換されうるものになり、価値としての効果を完全に発揮しうることになる。「価値に完全になりきる」というのは、おそらくこのことを指しているものと思われる……省略……
だとするとさきの君の<「量的な大きさが確認されないかぎりは、価値であるといってもまだ価値に完全になりきっていない」という>命題はまちがいで、正しくは、「販売されて貨幣にならないかぎりは、価値であるといってもまだ価値に完全になりきっていない」と言うべきだと思う。「販売されて貨幣にならないかぎり」ということと、「量的な大いさが確認されないかぎり」ということとは、大変な違いです。それを取り違えて、「価値に完全になりきる」ということに結びつけると、まるで木に竹をついだようなことになって、わけが分からなくなるのが当然です。

{金になれば何とでも交換できるというのは貨幣=金を前提する質の問題だ}
君がそういう取り違えをする原因は、やはり根本的には、量の問題に心を奪われて質の問題を忘れること、というよりも、この場合にはむしろ、質の問題を量の問題と思い違えることにあると思う。商品が販売されて貨幣になることによって「価値に完全になりきる」ということは、価値の形態に関する問題であり、質的規定の問題であって、量的規定の問題ではない。現に商品は、今も言ったように、必ずしも価値どおりに売られるわけではない。商品が金に対して交換される割合は、価値以下のこともあれば価値以上のこともある。だが、たとえ商品がそれ自身の価値よりも少ない価値の金としか交換されなかった場合でも、いやしくも金になれば、その量的限界の範囲内では何とでも交換できるものになる。これは量の問題ではなくて、質の問題です。そして、金になればそういうことになるのは、金が商品世界の共同の行為によって、すでに一般的等価物──貨幣──にされているからであり、商品の価値が、貨幣としての金の一定量として──価格の形態で──表示されるようになっているからです。だからこそ、商品の金との交換は「価値の実現」であり、「販売」であることにもなるので、もしそうでなければ、商品の金との交換はたんなる物々交換にすぎないわけで、金になったからといって、一般的な直接的交換可能性をもつことにはならないでしょう。

6)〈価格を価値に一致させるのが価値尺度としての貨幣の機能だ〉という主張について

{価値の大きさの規定もないのに価値と価格との一致不一致を云々できるのだろうか?}
……省略……

{価格を価値に一致させるのが価値尺度としての貨幣の機能?}
……省略……価格の価値からの乖離および価値への一致については、宇野教授は例えば次のように言っておられます。
〈価値を離れた価格による売買が行なわれるとしても、それは繰り返されることによって──結局は生産過程自身によって──訂正されてくるのである。そしてそれこそ貨幣の価値尺度としての機能をなすものである。(55頁)〉
……省略……

{需給を考慮に入れなければ価値尺度としての貨幣は解明できない?}
……省略……
〈価格の如何によって変動しうる需要があり、さらにまた一定の価格による需要に対応して供給の変動があってこそ、貨幣は価値を尺度しうるものになるのである。(56頁)〉
需要供給の関係をこういうふうに考慮に入れなければ、価値尺度としての貨幣の機能は解明しえないというふうに、宇野教授は考えておられるようです。

{宇野氏の説明}
……省略……
〈マルクスは……次のような例解を与えている。「同一の大いさの社会的必要労働が、1クォーターの小麦に、また2ポンドの金になって現れたとしよう。2ポンドは1クォーターの小麦の価値の大いさの貨幣表現、すなわちその価格である。さて事情によってこの価格を3ポンドにすることができるとか、あるいはまた1ポンドにせざるをえないとか、ということがあるとすれば、1ポンドと3ポンドとは、小麦の価値の大いさの表現としては過小あるいは過大であるが、しかしそれにしてもそれらは小麦の価格である。なぜならばまず第一にそれらは小麦の価値形態であり、貨幣である。そして第二には、その貨幣との交換関係の指標であるからである」(岩波文庫1、194頁……)と。ここで「事情」というのが何を意味するか。たとえば需要あるいは供給の変化からというのであれば、すでに2ポンドから1ポンドあるいは3ポンドへの価格の変動は、単なる価値の表示としての価格というよりは、売買過程における価格の変動としなければならぬ。そしてまたそれに対応して小麦の生産における変化を伴うものと考えなければならないであろう。貨幣は、そういう変化を基礎にして現われる価格の変動を通して小麦の生産を規制しつつその価値を尺度するのである。価格が価値と乖離しうるというのは、乖離を解消しうる形態でもあることを示すのであって、単に1ポンドも、3ポンドも「小麦の価値形態」であり、「貨幣との交換関係の指標」であるというだけではない。売買過程を捨象して小麦の価値が金貨幣で価格として表示されるという点だけを規定するのでは、価値の尺度たる機能を明らかにするものではない。小麦の売手がいかにして2ポンドなる価値通りの価格表示をしうるか。単に過去の経験によって、あるいはまた他の小麦の売手にならったとしても、それはなお売手側の主観的評価にすぎない。価格の如何によって変動しうる需要があり、さらにまた一定の価格による需要に対応して供給の変動があってこそ、貨幣は価値を尺度しうるものになるのである。それこそ「規律が盲目的に作用する無規律性の平均法則としてのみ自らを貫徹しうるような一生産様式」に適応した価格形態による貨幣の機能と言いうるゆえんである。価格が価値から乖離したままであるならば、そこには法則性は存しないことになるであろう。「生産条件が同一であり、労働の生産性が同一であれば、1クォーターの小麦の再生産には、依然として同一量の社会的労働時間が支出されなければならない。この事態は、小麦生産者の意思にも、他の商品生産者の意思にも、依存しない。かくして商品の価値の大いさは、社会的労働時間にたいする、一つの必然的な、その商品の形成過程に内在的な関係を表示する」(岩波文庫1、195頁……)というのであるが、この価値の大いさは、価格への転化をもってしなければ、そしてまた価格の変動によって生ずる売買関係の変化をもって調整されなければ、価格によって表示されることにもならないのである。単に「社会的労働時間」の一定量を含むものとしてそうなるのではない。(55頁……)〉
……省略……

{マルクスの言う「事情」とは価格変動のことか?}
……省略……
まずおかしいと思うのは、『資本論』からの引用に続いて、「ここで『事情』というのが何を意味するか。たとえば需要あるいは供給の変化からというのであれば、すでに2ポンドから1ポンドあるいは3ポンドへの価格の変動は、単なる価値の表示としての価格というよりは、売買過程における価格の変動としなければならない」と言っていることです。これは実にひどいマルクスの誤解、というよりはむしろ曲解です。ここでマルクスが言っていることがどういうことであるかは、どういうことであるかは、よほどの偏見をもって読まないかぎり、宇野君が言っているような意味にとられるはずがないからです。

{〈価値から離れた価格でも価格であることに変わりはない〉と言っているのだ}
すなおに読めば紛れもなく明らかなように、ここではマルクスは、価格の「変動」を問題にしているのではない。価値から量的に乖離した価格を問題にしているのであって、それでもやはり価格だということを言っているのです。言葉を換えて言えば、価格の形態を問題にしているのです。量的変動の問題の前に明らかにされねばならない質的な規定の問題がある、それをここでは問題にしているのです。ですから、「ここで『事情』というのが何を意味するのか」と問うのが第一おかしいので、価値から価格が離れているとすれば、それは需給の不一致の結果にきまっている。そして需給の不一致には、需要が供給を上回っている場合と、供給が需要を上回っている場合とがある。「事情によって」というのは、言うまでもなく、この二つの場合のどちらであるかによって、という意味であって、前の場合には「価格を3ポンドにすることができ」、後の場合には「1ポンドにせざるをえない」ことになる。だが、このように「事情」の如何によって価値から上下に離れている価格でも、やはりそれは価格なのだということを、マルクスはここで論じているのです。この場合には、需給の不一致によって価値から離れた価格は与えられた事実として前提されているわけです。それが前提された場合にはじめて、今言ったようなことが問題になりうるからです。ところが宇野君は、「ここで『事情』というのが何を意味するか」と問うて、「たとえば需要あるいは供給の“変化から”というのであれば」と、とんでもない仮定をするのです。ここでは需給の「変化」──ある状態から他の状態に移る過程──は問題外であり、考察の範囲外に置かれているということは、今言ったように、、分かりきったはずのことです。それは、前後の関係から見て分かりきっているはずのことであるばかりではなく、前にも述べたように、需給の問題は、単なる商品や貨幣を論じる場面では取り扱われえないことであって、その点から見ても、マルクスがここでそのようなことを問題にしているはずがないことは自明であるはずです。
にもかかわらず宇野君は、マルクスが現にそれを問題にしているかのように仮定するのです。そして、それを問題にしている以上かくかくのことを論ずべきはずであるのに、マルクスはそれを論じていない、そこに彼の欠陥がある、というふうに議論をもっていくのです。すなわちこういうふうに言っている。「ここで『事情』というのが……例えば“需要あるいは供給の変化からというのであれば”、すでに2ポンドから1ポンドあるいは3ポンドへの“価格の変動”は、単なる価値の表示としての価格というよりは、“売買過程における価格の変動としなければならない”。そしてまたそれに対応して“小麦の生産における変化を伴うものと考えなければならないであろう”」(……)。これは実際、途方もない言いがかりというもので、ぼくがおかしいと思った第一の点です。

{「需給の変化を基礎にして現われる価格の変動を通して小麦の生産を規制しつつその価値を尺度する」とは?}
だが、これがおかしいということはすぐ分かるのですが、厄介なのはそれに続く文章です。すなわちこういうふうに書いてある。「貨幣は、そういう変化〔これはおそらく、少し前に出ている「需要あるいは供給の変化」を指しているものと思われる〕を基礎にして現われる価格の変動を通して小麦の生産を規制しつつその価値を尺度するのである。」
これはまことに難解な、しかもなんだか深い考えを包蔵しているらしく思われる表現なので、はなはだ厄介なのですが、よく考えてみると、そこには一つの平凡な真理と、価値尺度に関する一種独特の観念とが、奇妙な仕方で結びつけられているように思われるのです。平凡な真理とはこういうことです。1、需給の不一致が生じると、価格が価値から乖離することになる。2、価格が価値から乖離すると、生産が増減して、供給が再び需要に適合するようになる。3、そうすると、価格は再び価値に一致することになる。これは、昔から多くの経済学者によって言い古されてきた周知の法則で、それ自体としては別にどうということはないのですが、宇野君によってここのところにこういうふうに持ち出されてくるとなると、いろいろ問題になる。

{<宇野は>価格変動の中心的価格を、価値が貨幣で表現されたもの、と考えるのだろう}
まず第一に、宇野君の場合には、単なる商品や貨幣が論じられる段階では労働による価値規定というものがない。労働による価値規定がないばかりではなく、価値の実体規定というものはおよそ存在しないのだから、価値そのものに即しての価値の大いさの規定はありえないわけです。その場合にどうして、価格の価値からの乖離とか価値への一致とかということが言われうるか? これがまず第一に問題になるわけです。常識的に考えるかぎり、さっきD君も言われたように、そういうことは言われえないはずのように思われる。ところが宇野君は現にそういうことを言っている。そして宇野君ほどの人がそういうことを言う以上、そこには何かわけがあるものと考えざるをえない。そこでことが難しくなるので、ぼくもいろいろ考えてみたが、結局ただ一つのことしか思いつくことができなかった。それはこういうことです。価格は需給の関係如何によってつねに上下に変動するが、この変動には一つの中心があって、それからある程度上昇すると価格は再び下落し、ある程度下落すると再び上昇するというふうに、価格はつねにそれに引きつけられながら動揺していることが分かる。そこで、<宇野は>この中心的な価格を基準的な価格だと考え、価値が貨幣の形で表現されたものだと考える。価値をたんにそういうものとして考えるかぎりでは、労働による価値の規定を前提しないでも、価格の価値からの乖離とか価値への一致とかいうことを言いうることになる。宇野君はこの場合、おそらく価値をそういうものとして考えているのであろう、それ以外にはどうにも解しようがない、というのが、いろいろ考えてみた末に到達したぼくの結論なのですが……

{宇野氏自身もそう明言している}
……省略……

{宇野氏は「変動の中心をなす『価格』こそわれわれにとって『価格』として現われるもの」と言う}
……省略……ぼくの想像は大体当たっていたようですね。特に、価値が価格として現われると考えるのが普通であるのに、宇野君がそれとは反対に──最初の引用文のなかですが──はっきりと、「むしろこの変動の中心をなす『価格』こそわれわれにとって『価値』として現われるものなのである」と明言しているのは、まさにぼくの推測をそのまま裏書しているように思われます。そしてそういうことになると、さきにD君が心配されたような不都合は一応なくなるのではないかと思う。価値からの価格の乖離といっても、<宇野の場合には>実際には、たんに平均的な価格からの時々の価格の乖離を意味しているにすぎないとすれば、別にどうということはなくなるでしょう。
……省略……
、価値からの価格の乖離と言っても、たんに平均的な価格からの時々の価格の乖離を意味しているにすぎないとすれば、D君が問題にされたような不都合は一応なくなるように思われるわけです。だがそれと同時に別の問題が生じることになる。

{なぜ変動する価格が『価値』に引きつけられるのかを尋ねれば、労働価値説にまで行かねばならない}
まず第一に、価格が一定の水準──いわゆる「価値」──から離れると再びそれに引きもどされるということは、そこらあたりの資本家の日常の意識にも映る一つの経験的な事実ですが、経済学者にとっては、なぜそうなるかが当然問題になるべきはずです。そしてこれに対しては、価格がそれ以上に上がると生産が増加し、それ以下に下がると生産が減少して、供給が再び需要に適合することになるからだ、という答えが与えられるでしょう。だがそうすると、価格が<いわゆる>「価値」から離れると生産が増減するのは一体何のせいなのか、という問題が、当然次に起こってくるはずです。これに対しては、価格が「価値」以上に上昇すると生産が普通以上に有利になり、それ以下に下落すると普通よりも不利になるからだ、と言って答えねばならないでしょう。そしてここまでは、宇野君も現に考えているように思われる。ところでこのことは、同時に他面において、価格が「価値」に一致するときは生産は普通以上に有利でも不利でもないということ、したがって、価格はもはや、生産を特に促進したり制御することによって、それ自身に新たな変動を起こす動機をもたなくなる、ということを意味するものとしなければならない。とすると、価格が「価値」に一致するとそういうことになるのはなぜかという問題が、当然起こってくるはずです。そしてそれにたいしては、そういうことになるのは、価格が生産のコストに適応することになるからだ、と言って答えるほかないでしょう。そうすると、それではいったい生産のコストは何からなるのか、という問題が必然的に生じてくる。これに対して古典経済学者は、それは労働からなるのだ、と言って答えたのだが、彼らは、生産のコストが資本主義的生産になると変わってくるということ、その場合には、生産のために費やされた労働のうちで資本家が支払わなかった部分、すなわち剰余労働は、彼にとってはコストでなくなるということ、したがって、変動する価格の基準になるのはもはや価値ではなくて、それが剰余労働の再分配によってモディファイされたところの、生産価格になると言うことに気がつかなかった。そのために、彼らの理論は抜き差しならぬ矛盾におちいった。それをマルクスは解決したわけです。

{宇野氏は、変動する価格が「価値」に引きつけられることの“なぜ”を問うかわりに、“いかにして”だけを問題にする}
ところでところでこれ<コストの根底は労働にあるということ、また資本主義においては価格の中心は価値ではなくて生産価格になるということ>は、経済学が現象の観察から出発して問題をあくまで掘り下げていった末に到達した結論であり、成果であって、ひとたびこの成果を前提にして振りかえってみれば、需給の関係によって価値から乖離した価格が“なぜに”、また“いかにして”、価値に引きもどされるかは、容易に理解されうることになるのですが、宇野君は問題を、今言ったように徹底的に追及はしないで、途中でストップするのです。需給の変動と価格の変動との間に見られる前述の現象的事実に着眼して、あたかもマルクスがそれを見落としているかのように考え、しきりに、それを重視すべきことを強調するのですが、この事実の“なぜ”をあくまで追求していって、労働による価値規定に到達することには反対するのです。だがそれくらいなら、価格の背後にあるものとしての「価値」など持ち出さねばよさそうに思われるのだが、それを持ち出して、価格の「価値」からの乖離とか「価値」への一致を云々する。しかしそのいわゆる「価値」はなんらの実体規定をもたないのだから、それ自身に即しての大いさの規定をもつものではありえない。それは単に、経験的に認知される平均的な価格を、価値の大いさが貨幣の形態で表示されたものとして想定したもの──言ってみれば、平均的な価格が宇野君の脳裡に投影した、イメージのようなもの──でしかありえない。すなわち、価値の大いさがまず与えられて、それによって基準的な価格がきまり、この基準的な価格に絶えず引きつけられながら、需給の変動によって市場価格が変動するのではなくて、その反対に、需給の関係による価格の変動を通して平均的な価格が与えられ、それによってはじめて「価値」の大いさが認識される、というよりもむしろ想定される、といった性質のものでしかありえないわけです。ですから、<宇野の場合>せっかく価格の背後にあるものとして「価値」というものを想定してみても、それは、──労働による価値の規定が確立されて、等価の交換が商品交換の内在的な基本法則として認識された場合のように──価格の変動を規制するものではありえない。したがって、変動する価格が“なぜ”絶えず「価値」に引きつけられるかは理解できないことになる。そこで宇野君は、“なぜ”のかわりに“いかにして”を問題にし、需給の関係によって「価値」から離れた価格が、「価値」──平均的な価格──に引きつけられる過程で役割を演じると思われるいろいろのものを持ち出してくる。たとえばこういうふうに言う。
〈価値を離れた価格による“売買”が行なわれるとしても、それは“繰り返される”ことによって──結局は“生産過程自身”によって──訂正されてくるのである。そしてそれこそ貨幣の価値尺度としての機能をなすものである。(55頁)
貨幣は、そういう〔“需要あるいは供給の〕変化”を基礎にして現われる“価格の変動”を通して小麦の“生産”を規制しつつその価値を尺度するのである。(55頁)
価格の如何によって“変動しうる需要”があり、さらにまた一定の価格による需要に対応して“供給の変動”があってこそ、貨幣は価格を尺度しうるものとなるのである。(56頁)〉

{宇野氏は価格を「価値」に一致させる過程が<貨幣の>価値尺度機能の遂行過程だと考える}
これらの個所を読んでみると、価格の「価値」への適合の過程で役割を演ずるものとして、〈売買の繰り返し〉、〈生産過程〉、〈価格の変動〉、〈需要および供給の変化〉、等があげられており、それらを考慮に入れないかぎり、価格が“いかにして”「価値」に一致するかは分からない、と考えられているように思われる。と同時に、他面においては、貨幣は価格が「価値」に一致したときに、はじめて「価値」の大いさを正しく表わし、「価値を尺度する」ことになるのだが、この価格の「価値」への一致は、今見たようないろいろの契機からなる過程を通してはじめて実現されるのだから、価値尺度としての貨幣の機能も、この過程と通じてはじめて遂行されるのであり、したがって、この過程自身、貨幣が価値尺度としての機能を遂行する過程に他ならないものとして考察されるべきである。大体こういうふうに、宇野君は考えているのではないかと想像されるのです。もちろんこういうふうに解釈してみても奇妙な考えでなくなるわけではないが、それは奇妙な前提から出発したためであって、それから出発する以上、今言ったような考え方にならざるをえないのだと思う。
が、それはともかく、そういうふうに解釈してみると、前にB君が不可解と言いながら引用し、C君も疑問をさしはさんだ文章は、一応意味が通ることになるのではないかと思うのです。
……省略……

7)資本主義的商品から捨象すべきは資本主義的性格であって、労働による価値の規定ではない

{すでに出発点に、実体規定のないものを尺度するという無理がある}
……省略……いったいに、価値の大きさが「尺度」されうるためには、一定の大きさをもった価値が、尺度される以前にすでに存在していなければならないはずです。ところが宇野君の場合には、貨幣を論じる段階では価値はまだ実体規定のないものとされているのだから、それ自身に即しての大いさの規定ももっていないはずです。そういう決まった大いさのないものが、いったいどうして「尺度」されうるか? 決まった大いさのないものの大いさを「尺度」するということは、一個の形容矛盾でなければならない。「尺度」という言葉を普通の意味に解するかぎり、そういうことにならざるをえない。この意味で、宇野君の価値尺度論はその出発点においてすでに無理を含んでいるのです。

{宇野氏の「尺度」や「尺度論」は別の名称で呼ばれるべきものだ}
そしてこの無理が、ぼくの見るところでは、「尺度」という言葉の無理な使い方になって現れてきているのだと思う。すなわち宇野君にあっては、価値を尺度するということは、与えられた価値の大いさを尺度することではなく、価値の大いさそのものを決めること、本来的には存在しない価値の量的規定をはじめてつくり出すこと、を意味しているように思われるのですが、このまことに異様な「尺度」という言葉の使い方は、今言ったような出発点の無理から必然的に生じてきたのだと思う。もちろん、ある言葉をどういう意味に使うかは、ある程度までは使う人の勝手と言えるが、それにもおのずから限界がある。「尺度」という言葉を今言ったような意味に使うとすれば、それはあまりにも奇抜であり、無理というものです。宇野君の価値尺度論が、B君の言うように、いかにも奇抜に見え、無理に思われるのは、むしろ当然のことだと言ってよいでしょう。宇野君の価値尺度論は、尺度という言葉を普通の意味に解するかぎり、もともと価値尺度論と呼ばれるべきものではなく、別の名称を与えられるべきはずのものなのです。ところが宇野君は、それを価値尺度論と名づけて貨幣論の冒頭に置き、これこそが正しい価値尺度論なのだとして、マルクスの価値尺度論に対立させているのです。そこで話が分からないことになる。マルクスが価値尺度論で明らかにしようとしている基本的な問題と、それへの対立の形で宇野君が力説している問題とは、はじめからまるで違っているのです。宇野君は、前にも述べたように、マルクスが価値尺度論で明らかにしようとしている問題の重要な意味を理解していない。もし理解していたら、どこかでそれを論ずべきはずです。価値の実体は後にならねば明らかにしえないと言うのですが、それならその後で、改めて論ずべきだと思う。ところが宇野君は、そういうことはどこでも問題にしていないのではないかと思う。

{マルクスは価値と価格の乖離・一致の問題をけっして見落としていない}
これに反してマルクスは、宇野君が価値尺度論で力説し、あたかもマルクスがそれを見落としているかのように言っている、需要・供給と価値・価格の乖離および一致の問題は、けっして見落としているのではなく、単なる商品や貨幣を論じる段階では論じえない問題だとして、後の競争論に留保しているのです。だからマルクスは、『経済学批判』のなかで、反対論を予想して次のように言っているのです。
〈★★商品の市場価格は、需要と供給との関係が変動するにつれて、その交換価値以上に下がったり、それ以上に上がったりする。だから商品の交換価値は、需要と供給との関係によって規定されているのであって、それに含まれている労働時間によって規定されているのではない。〔こういう反対論が、リカードの労働価値説に対してなされた。〕じっさい、この奇妙な推論では、交換価値の基礎の上でそれと異なる市場価格がどうして展開されるのか、もっと正しく言えば、交換価値の法則はどうしてそれ自身の反対物でだけ実現されるのか、という問題が提起されるだけである。この問題は競争論で解決される。(『経済学批判』、全集第13巻、47頁……)

{冒頭の商品から労働による価値規定まで捨象すべきではない}
……省略……

{捨象しなければならないのはc+v+mの関係である}
商品の価値を資本主義的商品の価値として特徴づけるものは何かというと、労働によって形成される価値が資本の生産過程ではc・v・mという三つの部分に区分されるということにほかならない。このことは、もともと、労働による価値の規定を前提にしているのであって、労働によって形成された価値が、資本の生産過程の“見地から見れば”、今言った三つの部分に分かれるということにすぎない。だから、資本主義的商品の価値から資本の生産物としての特性を捨象するということは、労働によって形成された価値からc+v+mという資本主義的生産の関係を捨象することであって、その結果残るのは、単に労働によって形成されたものとしての価値だということになる。現に資本によって生産された商品の価値であっても、流通界ではc+v+mの関係は消え失せて、単なる商品の価値としてしか通用しない。マルクスも言っているように、生産過程は商品においては消え失せるのです。その商品の生産に労働力が支出されたということは、今や、それが価値をもっているという物的な属性として現われ、この価値の大いさは、支出された労働の大いさによって決められている。商品の価値はそのほかのものには分解されないし、そのほかの何物からもなってはいない(『資本論』第2部、第19章、第2節、第5を参照)のです。すなわち、c+v+mという、資本主義的生産過程に特有な関係の捨象(それはけっして労働による価値の規定を捨象することではない)は、単に理論的に可能なばかりではなく、現実の事実でもあるわけです。われわれは、そういう価値をもつものとしての商品を、最初にまず問題にすることができるし、また問題にすべきであると思う。そうすることによってはじめてわれわれは、社会的分業の特殊なあり方としての、商品生産の関係を明らかにすることができるのです。資本主義的生産にしても、それが社会的分業の一種として成り立つのは、特殊資本主義的な関係によるのではなく、商品生産の関係によるのです。この関係は、資本の分析によってではなく、商品の分析によって明らかにされねばならないはずです。ところが、資本主義的商品から労働による価値の規定まで捨象してしまっては、それを明らかにすることは不可能になる。そういう犠牲を払ってまで、なぜわれわれは、労働による価値の規定を捨象して、実体のない、もぬけのからのような「価値」しかもたない商品から出発しなければならないのか、ぼくにはどうも理解できないのです。
今ぼくは、「(『資本論』第2部、第19章、第2節、第5を参照)」と言いましたが、その個所は『レキシコン』3、「方法Ⅱ」のなかの、「資本の生産物としての商品と、商品としての商品との違いはどこにあるか? 資本の生産物としての商品の特徴づけは資本の生産過程の分析によって可能である。スミスおよびリカードにおける資本の生産過程の分析の欠如と、その結果として生じている誤った諸帰結」という小項目に収録してあります(〔289〕)。そのなかから、ここでの問題に直接関係する部分を引用しておきましょう。
〈しかし、同時に、このような剰余価値の取得、あるいは、このように価値生産が前貸資本価値の再生産となんの等価も補填しない新価値(剰余価値)の生産とに分かれるということは、価値そのものの実体や価値生産の本性を少しも変えるものではない。価値の実体は、あくまでも支出された労働力──労働、といってもこの労働の特殊な有用的性格にはかかわりのない労働──以外のなにものでもなく、また価値生産は、この支出の過程にほかならないのである。……
生産過程は商品では消えてしまっている。その商品の生産に労働力が支出されたということは、いまでは、その商品が価値をもっているという商品の物的な属性として現われる。この価値の大きさは、支出された労働の大きさによって計られる。商品価値は、それ以外のものには分解されないし、それ以外のなにものからも成り立ってはいない。
そのかぎりでは、資本家によって生産される商品も、自立した労働者や労働者共同体や奴隷によって生産される商品と少しも違ってはいない。……
貨幣に転化される前の商品生産物を考察してみよう。……この価値の一部分は、商品の生産に支出された生産手段の生産手段の価値が新たな形態で再現したものでしかない。……商品の価値性格は、この価値の資本機能によっては、少しも変えられないのである。
商品の第二の価値部分は、賃労働者が資本家に売る労働力の価値である。……商品価値のこの部分が、資本家にとっては労賃として前貸しされるべき彼の可変資本の等価でしかないということは、この価値部分が生産過程で新たにつくりだされた商品価値である……という事実を、少しも変えるものではない。同時にこの事実は、資本家が賃銀という形態で労働者に支払う労働力の価値が労働者にとっては収入という形態をとるということによっても……影響されないのである。
しかし、この二つの価値部分の合計が商品価値の全体をなすのではない。この二つの部分を越える超過分、すなわち剰余価値が残っている。剰余価値も、労賃に前貸しされた可変資本を補填する価値部分と同じく、生産過程で労働者によって新たにつくりだされた価値──凝固した労働──である。……しかし、剰余価値を手に入れようとする彼のはじめの結構な意図も、その剰余価値を彼やその他の人々があとから収入として支出するということも、剰余価値そのものに影響を与えるものではない。このような事情は剰余価値が凝固した不払労働だということを少しも変えはしないし、また剰余価値の大きさを少しも変えはしないのであって、この大きさはまったく別の諸条件によって規定されるのである。
……商品価値または貨幣が資本価値として機能しても、商品価値としての商品価値または貨幣としての貨幣の本性が変わるものではないように、商品価値があとでだれかにとって収入として機能しても、それによって商品価値が変わるものではない。アダム・スミスが問題にする商品は、はじめから商品資本(それは商品の生産に消費された資本価値のほかに剰余価値を含んでいる)であり、つまり、資本主義的に生産された商品であり、資本主義的生産過程の結果である。だから、この過程が、したがってまたそれに含まれている価値増殖過程および価値形成過程が、前もって分析されなければならなかったはずなのである。この過程の前提そのものがまた商品流通なのだから、この過程の説明はまた、それから独立した、それに先行する商品分析を必要とするのである。(『資本論』Ⅱ、385頁)〉
……省略……

8)商品変態論では正常的経過を前提しなければならない

{宇野氏は、正常的経過の前提を不当だと言う}
……省略……

{商品変態論の問題は商品が売れると仮定してこそ解明される}
マルクスの商品変態論についての宇野君のその批難は、ぼくの見るところでは、商品変態論の意味を全然理解していないことから来ているのです。
商品変態論はマルクスに独特な、他には見られないものなのですが、マルクスはそれを、けっしてダテや酔狂で展開しているのではないので、商品変態論は彼の貨幣論にとってきわめて重要な、いわば枢軸的な意味をもっているのです。それは一方では、それに先行する部分、特に交換過程論および価値尺度論との間に密接不離の関係をもっていると同時に、他方ではまた、後続する貨幣の形態諸規定と貨幣流通の一般的法則との展開にとって、決定的な意義をもっているのです。そして、そのいずれの関係においても、商品が売れないかも知れぬということを考慮することによってではなく、売れると仮定することによって、はじめて問題が明らかにされうるのです。
このうち後続する関係についてはあるいは後で論及する機会があるかとも思いますが、それは当面の論議には必ずしも必要でないので、ここではさしあたり、先行する部分との関係を見てみることにしましょう。それを見ただけでも、上のマルクス批判がいかに無理解から発したものであるかが分かると思うのです。

{交換過程論では、矛盾を媒介するものとしての貨幣の成立が論じられた}
交換過程論ではマルクスは、かつてぼくが「価値形態論と交換過程論」のなかでも論じたように、使用価値と価値との直接的統一としての商品の内在的な矛盾が、実際に商品が交換される過程でどのような形で展開してくるかを考察しているのです。すなわち、交換過程は、商品が使用価値として実現されねばならぬと同時に価値として実現されねばならぬ過程なのですが、この商品の使用価値としての実現と価値としての実現とは、相互に前提しあうと同時に相互に排斥しあう矛盾の関係にあって、そのままでは交換過程は行き詰るほかはなく、商品の全面的な交換は行なわれえず、したがって、商品生産は社会的生産の一つの形態として成り立ちえないことになる。そこで、交換過程は必然的に、この矛盾を媒介するものとしての貨幣を生み出すことになる。

{商品変態論では、貨幣の媒介によって矛盾がどのように解決されるかを問題にする}
大体こういったことを、マルクスは交換過程論で明らかにしているのですが、そうすると当然次には、その生み出した貨幣の媒介によって、交換過程の矛盾はどのようにして解決されるかが問題になるはずであって、商品変態論でマルクスは、何よりもまず、この問題に答えているわけです。ですからマルクスは『資本論』では、商品変態論をこういう文句ではじめているのです。
〈すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾し互いに排除しあう諸関係を含んでいる。商品の発展は、これらの矛盾を取り除きはしないが、これらの矛盾が運動しうる形態をつくりだす。これは、一般に現実的な諸矛盾が解決される方法である。
商品はさしあたり、金めっきもされず、砂糖もかけられず、生まれたままの姿で、交換過程にはいる。交換過程は、商品と貨幣との商品の二重化、すなわち商品がその使用価値と価値との内的な対立をそこに表わすところの外的対立を生みだす。この対立では、使用価値としての諸商品が交換価値としての貨幣に相対する。他方、この対立のどちら側も商品であり、したがって使用価値と価値との統一である。しかし、このような、区別の統一は、両極のそれぞれに逆に表わされていて、そのことによって同時に両極の相互関係を表わしている。商品は実在的には使用価値であり、その価値存在はただ観念的に価格において現われているだけである。そして、この価格が商品を、その実在的な価値姿態としての対立する金に、関係させる。逆に、金材料は、ただ価値の物質化として、貨幣として、意味をもつだけである。それゆえ、貨幣は実在的には交換価値である。その使用価値は、もはや、ただ観念的に相対的価値諸表現の列のなかに現れるにすぎない。これらの表現においては、貨幣は、自分の実在的な使用諸姿態の全範囲としての対立する諸商品に関係している。諸商品のこれらの対立的な形態が、諸商品の交換過程の現実の運動諸形態なのである。(『資本論』Ⅰ、118頁)〉
商品の変態──W─G─W──は、交換過程に含まれていた諸矛盾が、このようにして、商品と貨幣とへの商品の二重化によって、運動可能な形態をもった場合に、商品が行なう形態運動にほかならないのです。ですから、それは何よりもまず、そういうものとして考察されるのが当然なわけです。

{W─Gの困難を中心にすべきか否かは、解決されるべき交換過程の矛盾の性質にかかる}
そこで問題は、商品の変態──W─G─W──をそういうものとして考察する場合に、W─Gの困難を論じることがどのような意味をもつかです。それははたして宇野君の言うように、商品変態論の中心的課題をなすものであるのか、それとも、マルクスが現にそうしているように、W─Gの困難を一応説きはしても、話の本筋ではそれを度外視して、W─Gが支障なく行なわれるものと仮定して考察を進めてゆくことのほうが正しいのか、──これが問題になるわけですが、この問題に対する答えは、W─G─Wの形態で運動することによって自らを解決するのだと考えられている本来の矛盾──交換過程論で考察された矛盾──がどのような性質のものであったかを振り返ってみることによって与えられるべきはずです。
それははたして、商品の使用価値が社会的欲望に適合しないことから生じたものなのか(W─Gの困難はこの不適合から生じる)、それとも、社会的欲望に適合していてもなおかつ生じる矛盾であったのか、これが問題であるわけですが、それは言うまでもなく、社会的欲望に適合していてもなおかつ生じる矛盾であったのです。

{交換過程の矛盾はどのようなものであったか}
今かりに、問題の商品が亜麻布であったとし、その所有者はそれをバイブルと交換したいと思っていたとする。その場合に、たまたまバイブルの所有者の方でも亜麻布との交換を望んでいれば交換が成立するが、そうではなくて、亜麻布との交換を望んでいるのは小麦の所有者であってバイブルの所有者ではなく、バイブルの所有者は亜麻布ではなくて酒との交換を欲していたとすると、交換は成立しない。この場合、亜麻布を生産した労働は小麦の所有者の欲望──したがって社会的欲望──の対象を生産しているわけですから、その労働は社会的に有用な形態で支出された労働の一定量として、その生産物である亜麻布の価値を形成しているはずなのだけれど、それにもかかわらず、亜麻布は価値として実現されるわけにはいかない、言葉をかえて言えば、任意の他商品──この場合にはバイブル──と交換されえない。そしてこのように、価値として実現されえないかぎり、それは使用価値としても実現されえないことになる。すなわち、他人のための使用価値であるはずの亜麻布は、それが充足すべきはずであった欲望の持主──今の例で言えば小麦の所有者──の手に移って、現実に他人のための使用価値になりえないことになる。したがって、そのままでは、商品生産は社会的生産の一つの形態として成り立ちえないことになる。

{貨幣の形成とW─WのW─G─Wへの転化とによる矛盾の解決}
だから、商品生産が社会的生産の一種として成り立つためには、この矛盾が解決されねばならぬわけですが、それはどのようにして解決されるかというと、言うまでもなく、それが貨幣を生み出して、貨幣によって媒介されることによるのです。
すなわち貨幣ができると、交換(W1─W2)は販売(W1─G)および購買(G─W2)の二つの過程を通して遂行されることになるが、そうなると、商品所有者は彼の商品をいきなり自分の欲しいと思う他の商品と交換しようとはしないで、まずは貨幣に対して交換することになる。これが販売(W─G)ですが、この過程においては、商品所有者は彼の商品を直ちに価値として通用させようとする代わりに、まずそれを使用価値として譲渡することによって貨幣──一般的な価値の形態──に転化する。この使用価値としての譲渡によって、その商品の生産のために支出された労働は社会的に有用な労働であったことが実証され、したがって商品は、社会的に妥当な価値の形態──商品世界を通じてあまねく価値として通用するもの──すなわち貨幣──になる。そしてそうなった上ではじめて商品所有者は、次の購買(G─W)の過程で、この貨幣を価値として通用させる、すなわち彼の欲しいと思う任意の他商品と交換する。貨幣になると、そうすることが客観的に可能になるわけです。(もともと普通の商品にすぎなかった金がいかにしてこのような特権をもつ貨幣になるかは、価値形態論で明らかにされている。)貨幣ができるまではそうはいかなかった。さきほどの例で言えば、亜麻布の所有者は彼の商品亜麻布が社会的欲望──小麦の所有者の欲望──を満たすものであったにかかわらず、それを価値として実現することができなかった、すなわち、彼が欲しいと思う他商品──バイブル──と交換することができなかった。こうした矛盾が、今言ったような仕方で解決されることになる。W─Wが、貨幣の形成とともに、W─GおよびG─Wという対立的な二つの形態変換の過程に分かれ、それらの過程的統一としてのW─G─Wという形をとることによって、交換過程論で考察された矛盾が解決されることになる。

{交換過程論での矛盾は商品が社会的欲望に適合しても生じた矛盾だったのだ}
これが、第2章の交換過程論との関連から見た商品変態論の本来の意味なのです。交換過程論で考察された矛盾は、もともと、商品が社会的欲望に適合しなかったことから生じたのではなく、社会的欲望に適合していてもなおかつ生じた矛盾なのです。

{「命がけの飛躍」の問題は看過すべきではないが、W─G─Wの考察とは別の問題だ}
ですから、そういう矛盾を解決する商品の運動形態としてのW─G─Wの意味を明らかにするためには、Wが社会的欲望に適合しないことから生じるW─Gの困難という問題は、捨象されるのが当然なのです。もちろん、貨幣が形成されてW─WがW─GおよびG─Wの二つの過程に分かれ、それらの統一としてのW─G─Wの形態で遂行されることになると、それと同時に、商品の社会的使用価値としての実証の必要がW─Gの過程において独立化して現れることになる。このことをマルクスはけっして看過してはいない。それどころでなく、周知のように、現に商品変態論のうちで、その第一段階W─Gの考察のさいに、「商品の命がけの飛躍」の問題として力説しているのです。しかしこれは、さきに述べた基本的な観点からするW─G─Wの考察とは区別されるべき別個の問題です。だからマルクスは、W─Gの困難を力説はするが、商品変態論の本筋ではそれを捨象して、商品が首尾よく売れるものと仮定して議論を進めているのです。そうしないと、交換過程論の矛盾がそれによって解決されるものとしてのW─G─Wの本来の意味が明らかにされえないからです。

{宇野氏には商品変態論の意味が理解できない}
ですから、交換過程論との関連を考えないと商品変態論の意味は分からない。宇野君は交換過程論の意味を理解していないから、商品変態論の意味を理解せず、したがって、W─Gが支障なく行われるという仮定のもとに議論を展開してゆくマルクスのやり方をおかしいということになる。まあこういうふうに、ぼくは考えるのです。これはもうずいぶん前のことですが、終戦後間もない頃に河出書房で出していた雑誌『評論』の主催で『資本論』の研究会が開かれた。その席上で価値形態論と交換過程論との区別が問題になったときに、いろいろの意見が出たが、その時の宇野君の見解は、価値形態論と交換過程論との間には本質的な違いはなく、交換過程論は価値形態論の発展を今いちど歴史的に説明したものにすぎない、というのであったように記憶している(『資本論研究』、至誠堂、1958年)。これは、今も言ったようにずいぶん前のことですが、少なくとも根本的には、この宇野君の見解は今でも変わっていないのではないかと思う。『経済原論』を開けてみても、「交換過程」という項目は見当たらないし、内容的にも、『資本論』の第2章「交換過程」で論じられているようなことは論じられていないようです。

{問題が分からないと回答も分からないことになるのだ}
ですから、マルクスがおかしいかどうかということは、交換過程における商品の矛盾の展開、それを媒介するものとしての貨幣の必然的形成、かくして形成された貨幣の媒介によるW─WのW─G─Wへの転化という、一連のつながりをもつ問題を考えることが意味のあることかどうか、という問題に帰着するわけです。マルクスはこの場合、一連の課題(それを解明しないかぎり、ブルジョア的生産の基本的な関係が明らかにされないことになる)をもっていて、それを立派に解いているのだけれど、そういうことについての問題意識がないと、せっかくの回答も猫に小判ということになり、鰹節でないからダメだということになる。

9)貨幣と商品との交換に目を奪われて商品の形態変換W─G─Wを看過してはならない

{宇野氏によるマルクス商品変態論の批判}
……省略……

{「形態発展について起こること」とは、宇野氏の言うのとは異なり、商品自身の形態変換のことだ}
ここで宇野君が『資本論』から引用してそれについて言っていることは、忌憚なく言えば無理解の見本みたいなものです。マルクスがここで言っていることは、商品が販売されて現実の金になるということは、価格が実現されるということであって、商品の価値の価格への転化(したがってまた、この転化における貨幣の役割──<つまり>価値尺度としての貨幣の機能)を前提するのだということ、金は商品にとって単に他の一商品であるのではなく、商品自身の価値の姿なのだということ、商品の販売(W─G)は、単に商品が他の一商品としての金と交換されるということではなくて、価格においてすでに観念的にそれであったこの自分自身の価値の姿──金──に現実に転化することであり、商品自身の形態変換に他ならないのだということ、ところが表面的には、商品の販売は、単に商品と金との交換として現われるので、人々はこの「素材的要素」に注意を奪われて、肝心かなめの「形態について起こること」、即ちこの形態変換の事実を看過することになるということ──大体こういうことを、マルクスはここで言っているのです。
ところが宇野君はこれに対して、
〈「形態」について起こることが、価格形態における金の貨幣化によって商品が価格を付せられるということで済まされてよいということにはならない〉
といって抗議している。これによると宇野君は、『資本論』の上の個所を読んで、そこでマルクスは、「『形態』について起こることが、価格形態における金の貨幣化によって商品が価格を付せられるということで済まされてよい」と言っているもののように考えているらしいが、どういう読み方をするとそういう解釈ができるのか、ぼくにはおよそ想像することさえできないのです。
ここでマルクスが「形態について起こること」と言っているのは──これはすでに今述べたところで明らかになっているはずだとは思うけれど、いまいちど念のために字句に即して説明すると──直接的な交換W─Wは、貨幣ができるとその媒介によってW─G─Wになり、商品は、商品形態から貨幣形態への転形W─G、および貨幣形態から商品形態への再転形G─Wの二つの形態変換の過程を通して運動することになる、この商品の形態変換のことを、マルクスはここで、「形態について起こること」と言っているのです。

{マルクスは、WとGとの交換に目を奪われてW─G─Wを看過するなと警告する}
ところが、ある一商品の第一変態W─Gは必然的に他の一商品の第二変態G─Wとからみあい、また第二変態G─Wは第三の商品の第一変態とからみあう。すなわち、商品の総変態W─G─Wは、
(W─)G─W
×
W─G─W
×
W─G(─W)
という、他の二つの商品の変態とのからみあいにおいて行なわれることになる。ところが、この図式に表示されている全関係のうちで表面的に現象するのは、「普通商品と貨幣商品との交換」の「素材的要素である商品と金との交換」、すなわち
(W─)│G ─ W│
│  ×  │
│W─┃G│─W┃
┃  ×  ┃
┃W ─G┃(─W)
の関係であるので、「人は」とかくこの現象にとらわれて、「まさに見なければならぬもの、すなわち形態について起こること」を、すなわち全体の基礎をなしている
(W─)G─W
×
W─G─W
―――――
×
W─G(─W)
のことを看過することになる。このことを、マルクスはここで警告しているのです。

{W─Gは価格の実現であって価値の価格への転化を前提する、ということを見落としてはならない}
そしてそれに続いてマルクスが、「人は、単なる商品としての金は貨幣ではなく、また他の諸商品は、その価格において、彼ら自身の貨幣態容としての金に関係するということを看過する」と言っているのは、さきにも述べたように、商品の販売W─Gは、単に商品と金との交換なのではなく、商品の価格の実現なのであり、商品の価値の価格への転化を前提するのだということ、金は商品にとって単に他の一商品なのではなく、それ自身の価値の姿なのであり、価格においてすでに観念的にそれであったこの自分自身の価値の姿に、商品が現実に転化することであり、商品形態から貨幣形態への商品自身の形態変換にほかならないのだということ、ところがこの基本的に重要なことが、一般人の目には映らず、人々は一方にとっての販売は他方にとっての購買であり、販売においても購買においても商品と金との交換が行なわれるという、表面的な事実に注意を奪われて、その根底に横たわっている、この、商品の姿態変換の事実に気がつかないということ──こういうことを、ここでマルクスは警告しているのです。

{価値は、価格の形態において、はじめて実現されるべきものとして現われるのだ}
ですから、マルクスはけっして宇野君の言うように、「『形態』について起こることが、価格形態における金の貨幣化によって商品が価格を付せられるということで済まされてよい」などとは言っていない。ここで言っていないばかりでなく、どこでも言っていない。それどころではなく、価値は価格の形態において、はじめて実現されるべきものとして現われるのだということを、いろいろの個所で力説しているのです。

10)〈貨幣のみが進んで商品を購買しうるところに貨幣形態の意義がある〉という主張について

{商品に直接的交換可能性があったかのように言うのは誤っている}
ところで、宇野君は上に続いてさらに次のように言っている。
〈さきにも指摘したように、商品に価格が付けられるということは、商品が“もはや”自らは貨幣に対して交換を要求しえなくなり、貨幣のみが進んで商品を購買しうるものになることであった。価値形態の発展としての『貨幣形態』の意義は、そこにあったのである。〉
これによると、あたかも、貨幣ができて商品の価値が価格の形態で表示されるようになるまでは、商品自身に直接的交換可能性があったかのように受けとられる。しかもこれは、たんに誤って受けとられるというのではないらしい。すなわち別のところには、「商品は、貨幣の出現と共に、自らは直接的交換可能性を貨幣の方に決定的に移譲する」(53頁)とも書いてある。もともとないものは「移譲」しようがないはずであるから、「移譲する」という以上、商品は本来は直接的交換可能性をもっていたと考えられているものと解しなければならない。だが、これはおかしい。

{貨幣においてはじめて一般的な交換可能性が創造される}
商品はもともと直接的交換可能性はもっていない。商品は直接には使用価値の形態にあって価値の形態にはないからです。直接的交換可能性は「移譲」されるのではなく、商品がその価値を表現する場合に、ある他の商品を等価形態におき、その他商品を自らの価値の姿にすることによって、その他商品においてはじめてつくり出すのです。そして「価値形態の発展としての『貨幣形態』の意義」は、たんに単独な商品ではなく、あらゆる商品が共同して、もっぱら特殊の一商品──金──でそれらの価値を表示することによって、金を“一般的な”等価物に──あらゆる商品にとっての共通の価値の姿に──することにある。これによって“はじめて”、貨幣としての金の姿において、“一般的な”直接的交換可能性が“創造される”のです。そしてそれと同時に、商品は間接的な交換可能性をもつことになるのです。そしてこの、商品世界を通じて直接的に交換可能なものとしての貨幣の形成を必然たらしめるものは、交換過程において展開する商品の矛盾であり、それを媒介するものとしての貨幣の必要なのです。この貨幣の媒介によって、直接的な商品交換W─WはW─G─Wになり、それによって、交換過程に含まれていた矛盾が解決されるのだということは、すでに述べたとおりです。

{買手がなければ売れないという、たわいのない事実は、貨幣の第一の機能は購買だという主張を根拠づけるものではない}
ところが宇野君は、「価値形態の発展としての『貨幣形態』の意義」をこの点に見出すかわりに、「商品がもはや自らは貨幣に対して交換を要求しえなくなり、貨幣のみが進んで商品を購買しうるものになることであった」と考え、このきわめて通俗的な(というのは、いくら売りたくても買手がなければ売るわけにはいかない、「消費者こそ王様なのだ」というだけのことなら、経済学的分析をまつまでもなく、そこらあたりの店屋のおやじでも知っていることだからです)認識を根拠に、
〈したがって貨幣の第一の機能は、商品価値の「貨幣形態」に対して、自ら商品価値を実現するものとしての購買にあるのであって、商品の側からの販売は、むしろその裏面をなす、受動的なることが明らかにされなければならない〉
という結論を引き出すのです。これは、前回すでに詳細に論評した、貨幣の第一の機能は購買だという主張を、新たな根拠によってさらに裏付けようとするものにほかならないのですが、この新たな根拠そのものが今言ったようなたわいのないものなのだから、これについては改めて論じるまでもないと思う。
ただ、念のため重ねて一言すれば、ここでもまた、前にも注意したように、厳密には「商品の“価格”を実現するものとしての購買」と言われるべきことが、「商品“価値”を実現するものとしての購買」と書かれている。“価格”を実現するといえば、実現されるのは価格であるから、実現は価格の規定を前提し、価値の価格への転化を、したがってまたこの転化における貨幣の機能を、前提することが明らかになって、購買を貨幣の第一の機能だと考えることの欠陥に気がつくはずだと思うのです。

{販売は購買の裏面にすぎぬと言えるのなら、購買は販売の裏面にすぎぬとも言いうるはずだ}
なお最後の、「商品の側からの販売は、むしろその裏をなす、受動的なることが明らかにされなければならない」というのもおかしい。販売と購買とは、商品の変態の二つの段階であり、商品所有者は最初にまず、自分にとっては非使用価値である商品を売って貨幣に換え(これが第一の変態)、次にその貨幣でもって自分の欲望の対象である他人の商品を買う(これが第二の変態)のだということ──これが販売および購買のもっとも基本的な把握であるわけですが、この一商品の二度の変態は、前にも言ったように、それぞれ他の商品の逆の変態とのからみあいで行なわれる。そこで、一方にとっての販売(第一変態)の過程は同時に他方にとっての購買(第二変態)の過程であり、一方にとっての購買(第二変態)の過程は同時に他方にとっての販売(第一変態)の過程だということになる。宇野君が「商品の側からの販売は、むしろその〔貨幣の側からの購買の〕裏をなす」にすぎないと言う場合、宇野君はこのからみあいの関係を念頭においているわけですが、この関係においては、一方にとっての販売の過程は他方にとっては購買の過程であるから、販売は購買の裏面にすぎない、と言いうるとすれば、同様にまた、一方にとって購買の過程は他方にとっては販売の過程であるから、購買は販売の裏面にすぎないとも言いうるはずです。

11){〈正常的経過を前提しては流通手段の意義は分からぬ〉というマルクス批判について}

……省略……
{宇野氏は、流通手段としての貨幣の機能の意義は価値どおりの販売を仮定しては明らかにしえない、と言う}
……省略……

{価値どおりに売れない可能性をいくら考えても、貨幣の流通手段としての形態規定および運動法則は明らかにならない}
「流通手段としての貨幣の形態規定の考察には、亜麻布20エレが2ポンドで売れるか売れないかということは無用のことであるというのでは云々」と言うが、だれがそれを無用のことだと言っていると言うのであろうか? 少なくともマルクスは、けっして、それを無用のことだと言ってもいなければ考えてもいない。だからこそ彼は、それが2ポンドで売れるものと“仮定”しているのです。売れるものと仮定するということは、けっして、売れるか売れないかを無用のことだとすることではない。もしそれを無用のことだと考えるならば、2ポンドで売れるものと仮定することが無用になるはずです。「他の何人かによって2ポンドで購買されなければ、亜麻織物業者は自ら2ポンドで購買してよいと考える『家庭用バイブル』を購入しうるわけではない」からこそ、マルクスはここで、亜麻布20エレが2ポンドで売れるものと仮定しているのです。商品は必ずしも価値どおりに売れるとはかぎらないということはもちろん事実には相違ないが、そういうことをいくらしつこく考えてみても、交換過程に含まれている矛盾がそれによって解決されるものとしてのW─G─Wの意味を──さらにはまた、このW─WのW─G─Wへの転化と共に与えられる流通手段としての貨幣の形態規定および運動法則を──明らかにする上になんの足しにもなりはしない。言葉を換えて言えば、W─Gは成功しないかもしれないということにいつまでも執着していたのでは、それが成功した場合にどうなるかを問題にすることは不可能になり、W─G─Wの意味、したがってまた流通手段としての貨幣の形態規定および運動法則を明らかにすることは不可能になる。それを明らかにするためには、W─Gが首尾よく行なわれるものと仮定するほかはないのです。あることがまちがいのない事実だからといって、どこでもかしこでもそればかり振り回せばよいというわけのものではない。それを問題にすべきところではそれを問題にし、それを仮定すべきところでは仮定する。そうすることによってはじめて、いろいろの問題がそれぞれ純粋に考察されうることになる。そして純粋に考察されることによってはじめて問題は徹底的に解明されうることになるのです。

{宇野氏は、価値どおりの販売という偶然的な事態が正常的経過となる、「その形態規定」が問題だ、と言う}
……省略……

{マルクスはすでに、そうした疑問が出ることを予想している}
それでは『資本論』の第3部のうちに、そういう疑問を予想してマルクスが書いている個所があるから、そこのところを読んでみましょう。
〈資本主義的生産の現実の内的諸法則は、明らかに、需要と供給との相互作用から説明することはできない……、なぜならば、これらの法則が“純粋に”現実化されて現われるのは、ただ、需要と供給とが作用しなくなるとき、すなわち一致するときだけだからである。“需要と供給とは実際にはけっして一致しない。または、もし一致するなら、それは偶然であり”したがって科学的にはゼロとするべきであり、起こらないものとみなすべきである。ところが、経済学では需要と供給が一致すると前提されるのである。なぜか? 諸現象をその“合法則的な姿、その概念に一致する姿”で考察するためである。すなわち、諸現象を、需要供給の運動によって引き起こされる外観からは独立に考察するためである。他方では、需要供給の運動の現実の傾向を見つけだすため、いわばそれを確定するためである。……(『資本論』Ⅲ、199頁、『レキシコン』2、「方法Ⅰ」〔105〕)〉
これは、需要と供給とは事実上ではけっして一致せず、また仮に一致しても偶然であり、したがってまた、商品の価値どおりの販売を「『偶然』的にする」にもかかわらず、経済学で需要供給が一致すると想定されるのはなぜか、という疑問に対する一般的な解答ですが、特に今問題にしている商品の変態および流通手段としての貨幣の考察の場合については、マルクスはさらに次のように言っています。

{価格が価値以上か以下かは転態にとってはどうでもよいからこそ、一致を仮定するのだ}
〈買い手と売り手との考察では、その関係を展開するためには、個々の買い手と売り手を向かい合わせるだけで十分である。商品の完全な変態のためには、三人の人がいればよい。Aは自分の商品をBに売ってBの貨幣に転化させ、その貨幣でCから商品を買って自分の貨幣を再び商品に転化させる。全過程はこの三人のあいだで行なわれる。さらに、“貨幣の考察では、商品はその価値どおりに売られると仮定した。なぜならば、商品が貨幣になり、貨幣から商品に再転化するさいに通る、形態変化だけが問題だったので、価値から偏奇した価格を考察しなければならない理由はまったくなかったからである。とにかく商品が売れてその代金で別の商品が買われさえすれば、全変態がわれわれの目の前にあるのであって、そのものとして見たこの変態にとっては、商品の価格が商品の価値よりも低いか高いかはどうでもよいのである”。商品の価値は基礎としてはやはり重要である。なぜならば、貨幣はこの基礎から出発することによってはじめて概念的に展開されるのであり、また、価格はその一般的概念から見ればさしあたりはただ貨幣形態にある価値でしかないからである。もちろん、流通手段としての貨幣の考察では、ある商品の一つの変態が行なわれるだけではない、ということが前提される。むしろこれらの変態の社会的なからみ合いが考察される。ただそうすることによってのみ、われわれは貨幣の流通に到達するのであり、また流通手段としての貨幣の機能の展開に到達するのである。しかし、このような関連は、流通手段としての機能への貨幣の移行にとっては、また、この移行から生じる貨幣の変化した姿にとってはどんなに重要であろうとも、個々の買い手と売り手とのあいだの取引にとってはどうでもよいのである。
これに反して、供給と需要とにおいては、供給は一定の商品種類の売り手または生産者の総計に等しく、需要は同じ商品種類の買い手または消費者(個人的または生産的)の総計に等しい。しかも、この二つの総計は、それぞれ一体として、集合力として、互いに作用し合う。ここでは個人は、ただ、一つの社会的な力の部分として、集団の原子として、作用するだけであって、まさにこのような形態で競争は生産と消費との社会的な性格を主張するのである。(『資本論』Ⅲ,203頁、『レキシコン』2、「方法Ⅰ」〔106〕〉
だから、価格の価値からの乖離、および、乖離した価格の価値への一致が何によってもたらされるかという問題は、「個々の商品」ないし単純な流通を取り扱う段階では論じられえないはずなので、度外視されるのが当然なのです。

12){〈使用価値による制約を無視している〉というマルクス批判について}

{正常的経過の前提は使用価値による制約を無視することになる、と宇野氏は言う}
……省略……

{宇野氏は、使用価値による価値規定の制約という事実を捨象した、とマルクスを批難する}
……省略……
宇野君が『資本論』を、それから「学ぶ」つもりで読みながら、どうしてそういうことを考えるのか、ぼくにはむしろ不思議に思えるのです。「価値と使用価値との統一物としての商品が、価値の面からのみ取り上げられ、使用価値が消極的ながら価値規定を制約するという事実」が「無視」されているとか、「少なくとも捨象」されているとか言うが、マルクスはけっしてそういうことをしてはいない。

{<第1章、第1、2節での>価値規定にさいして、マルクスは「使用価値による制約」を力説している}
1) まず第一に、<第1章、第1、2節での>商品の価値規定にさいしては、マルクスは現にこういうふうに明言している。
〈商品を生産するためには、彼は、使用価値を生産するばかりでなく、他人のための使用価値を、社会的な使用価値を、生産しなければならない。……いかなる物も、使用対象であることなしに価値ではありえない。物が無用であれば、それに含まれている労働も無用であり、労働としては計算に入らず、したがってなんらの価値も形成しない。(『資本論』Ⅰ、55頁)〉
これを見ても明らかなように、労働による価値の規定にさいして、マルクスは、「使用価値による制約」を「無視」したり「捨象」したりしていないばかりでなく、力説しているのです。

{価値形態論では、使用価値は捨象されているのではなく、前提されているのだ}
2) 次に<第3節の>価値形態論では、上に断ってあるように、商品が他人のための使用価値であることは、当然のこととして前提されており、その前提のもとで、商品の価値がどのように表現されるかが考察されているのです。すなわちこの場合にも、使用価値は「無視」されているのでもなければ「捨象」されているのでもなくて、前提されているのです。だからこそ「一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の簡単な現象形態である」(『資本論』Ⅰ、76頁、「貨幣Ⅰ」〔16〕)ということにもなるのです。商品はその自然形態のうちに、生まれながらに使用価値の形態をもっている。だから、その上にさらに価値の形態をもつと、「使用価値と価値との統一物としての商品」の形態をもつことになるのです。使用価値はここでは、そういう仕方で考慮されているのです。

{交換過程論では、使用価値は実現の問題として考慮されている}
3) では交換過程論ではどうかというと、ここでは価値の条件としての使用価値は、「商品は自らを価値として実現する前に使用価値としての実を示さねばならぬ」、という形で展開されてくる。しかしこの要請は、それと反対の、「商品は自らを使用価値として実現しうる前に、自らを価値として実現しなければならない」、という要請と、相互に前提しあうと同時に排斥しあう矛盾の関係に立つために、使用価値としての実証そのものが──だからまた価値としての実現も──問題になりえないことになり、さきにも述べたように、たとえ商品が社会的使用価値であっても、なおかつ交換が成立しないようになる。そこで交換過程は、この矛盾を媒介するものとしての貨幣を必然的に生み出すことになる。──大体こういうのが、交換過程論の要旨であって、使用価値はここでも、「無視」されたり「捨象」されたりされているのではなく、独自の観点から考慮されているのです。(「貨幣Ⅰ」第1篇第3章参照)

{商品変態論でも使用価値は捨象されていない}
4)商品変態論は、このようにして貨幣が生み出され<つまり貨幣の成立を前提として>、商品が商品と貨幣とに二重化され、商品に内在する使用価値と価値との対立が商品と貨幣との対立として外化することによって、交換過程に含まれていた矛盾がW─G─Wの形で運動しうることになる、そしてそれによって、交換過程に含まれていた本来の矛盾が解決されることになる──そういうものとしてのW─G─Wの意味を明かにすると同時に、この商品の形態運動によって規定される、流通手段としての貨幣の機能および運動法則を展開するための基礎を設定しているのです。

{商品の社会的使用価値としての実証の必要がW─Gでは独立化して現われる}
ところで、ぼくは今日の最初のところで、「貨幣が形成されてW─WがW─GおよびG─Wの二つの過程に分かれ、それらの過程的統一としてのW─G─Wの形態で遂行されることになると、それと同時に、商品の社会的使用価値としての実証の必要がW─Gの過程において“独立化して現われる”ことになる」、と言い、その意味についてさきほどC君が質問されたわけですが、それはどういう意味かというと、今も言ったように、交換過程論ですでに使用価値としての実証の必要は、価値としての実現の条件として一応出てはくるが、この要請はそれと正反対の要請と前提しあうと同時に排斥しあう関係にあるために、使用価値としての実証そのものがはじめから問題になりえない。言い換えれば、実証しようにも実証の仕様がない、という結論になった。ところが、貨幣ができてW─WがW─GおよびG─Wの二つの過程に分かれ、それらの過程的統一としてのW─G─Wの形態で行なわれることになると、最初のW─Gの過程で、使用価値としての実証が行なわれることになる。言葉を換えて言えば、貨幣ができるまでは、商品はたとえ社会的使用価値であっても、なおかつ交換が行なわれえないという事情があったために、使用価値としての実証は、いわばその背後に押しやられて、現実の問題になりえなかった。それが、貨幣ができてW─WがW─GおよびG─Wに分かれると、W─Gの過程において、前の事情から解放されて、現実の問題として現れることになる。ぼくが前に「独立化して現れることになる」と言ったのは、そういう意味で言ったのです……省略……

{「形態運動」という言葉の意味}
……省略……

{宇野氏は、「使用価値の制約」についてのマルクスの叙述を根本的に誤解してマルクスを批難しているのだ}
では話をもとに戻して続けますが、そういうわけ<貨幣ができると、最初のW─Gの過程で、社会的使用価値としての実証が行なわれることになる、ということ>でマルクスは、商品の第一変態W─G、すなわち販売の過程の考察にさいして、現にそれを「商品の命がけの飛躍」の場として、宇野君のいわゆる「使用価値による制約」を長々と論じているのです(『資本論』Ⅰ、121頁、「貨幣Ⅰ」〔135〕)。宇野君もこのことは十分認めていて、問題の論文の61-63頁に、2頁にわたって、『資本論』のそこのところを引用しているのですが、しかし、商品変態論でのW─Gの考察にさいしてのこのマルクスの叙述を、ぼくが今までの説明で明らかにしたように、そこではじめて展開されるのが当然なのだ、というふうには理解しないで、あたかもマルクスが、労働による価値の規定にさいして、「使用価値による制約」を無視したために、それを「補足」する必要から、上の個所で、「商品の命がけの飛躍」について論じているもののように考え、そしてさらに、せっかくここでその問題を論じながら、すぐまたマルクスが、商品が首尾よく販売されるものと仮定して商品変態論の考察を進めていることを批難しているのです。すなわち宇野君は、今言ったマルクスからの引用に引き続いて、「これはまさに労働価値説の他の一面を“補足”する考察といってよい」と言い、それに続いて、さきにA君が引用した、「マルクスにあっても労働価値説は、商品の価値はその生産に必要な社会的労働によって決定されるという、積極的規定が強調され、……価値と使用価値との統一物としての商品が、価値の面だけを取り上げられ、使用価値が消極的ながら価値規定を制約するという事実は、少なくとも捨象されたのである。そしてそれが商品形態を純粋に考察するものと考えられ、商品は価値によって交換されるのが『正常的経過』とせられたのである。云々」という議論を展開しているのですが、これらがすべて、無理解にもとづく不当の批難であるということは、今までに述べたところで十分明らかではないかと思うのだが、どうでしょう? ……省略……

13){〈商品は自ら運動しうるわけではない〉という点からするマルクス批判について}

{宇野氏は、商品は自ら運動しうるわけではない、貨幣によって運動させられるのだ、と言う}
……省略……

{「諸商品の対立的な諸形態」についてのマルクスの叙述は「商品の側からの規定にすぎない」のか?}
久留間 その前にまず、「マルクスは……『諸商品のかかる対立的な諸形態は、諸商品の交換過程の現実的運動形態である』とも言っているが、これはなお商品の側からの規定にすぎない」とある、これが問題です。どういうつもりで、それを「商品の側からの規定にすぎない」と言うのか、ぼくにはちょっと分かりかねるのです。マルクスが「諸商品の“かかる”対立的諸形態」と言っているのは、そのすぐ前に彼が述べていることを受けていることは言うまでもない。では、どういうことを彼はそのすぐ前に述べているかというと、こういうことを言っているのです。

{マルクスは明白に「貨幣の側からの規定」をも与えている}
交換過程は貨幣を生み出すことによって、「商品と貨幣とへの商品の二重化」を生ぜしめる。そうすると、商品に内在する使用価値と価値との対立が、商品と貨幣との外的な対立として現れることになる。ところでこの場合、商品および貨幣は、もはや商品でなくなるのではなく、やはり商品であり、使用価値と価値との統一なのだが、この区別の統一は、商品および貨幣の両極に逆に現われ、それによって同時に、商品と貨幣との相互関係を表わすことになる。大体こういう意味のことを述べた後に、マルクスは、この最後の点<商品と貨幣との相互関係>を具体的に説明して、次のように言っているのです。
〈商品は実在的には使用価値であり、その価値存在はただ観念的に価格において現われているだけである。そして、この価格が商品を、その実在的な価値姿態としての対立する金に関係させる。逆に、金材料は、<それが独自に持つ使用価値としてではなく>ただ価値の物質化として、貨幣として、意味をもつだけである。それゆえ、貨幣は実在的には交換価値である。その<貨幣としての>使用価値は、もはや、ただ観念的に相対的価値諸表現の列のなかに現われるにすぎない。(『資本論』Ⅰ、119頁、「方法Ⅱ」、〔305〕〉
ここでマルクスは、一見明白なように、「商品の側からの規定」だけではなくそれに対応するものとしての貨幣の側からの規定をも与えているのです。「その逆に、金材料は、云々」という後半の叙述がそれです。そしてそれを受けて、「諸商品のかかる対立的な諸形態は、諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」、と言っているのです。(……省略……)
ところが宇野君はこれを読んで、「これはなお商品の側からの規定にすぎない」と言う。一体どういう読み方をするとそういう解釈ができるのか、ぼくにはどうも不思議でたまらないのです。

{「諸商品のかかる対立的諸形態は諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」ということの意味}
念のために、もう一度くり返して説明すると、「諸商品のかかる対立的諸形態は諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」、とマルクスが言っているのは、今も言ったように、商品に内在する使用価値と価値との対立が商品と貨幣との対立として外化することになると、商品の方は、実在的には使用価値であって、それの価値は価格の形態で、一定量の金として表示されることになるが、この表示はなお観念的にすぎない。すなわち、商品は価値としては一定量の金であるといっても、商品が本来の使用価値の形態にあるかぎりは、それはまだ現実の金にはなっていない。だから、価格の形態において、商品は、価値として現実に作用するためには、本来の使用価値の形態を譲渡することによって現実の金にならねばならぬものとして──すなわちW─Gの運動を展開すべきものとして──措定されていることになる。@
その反対に金の方は、価値の体化物すなわち貨幣としてのみ意味をもっている。だからそれは、実在的に交換価値、すなわちいかなる他商品とも交換可能なものである。と同時に、そういうもの<すなわち交換価値ないし貨幣>としての金の使用価値は物価表を逆に読む形──いわゆる「貨幣商品の特殊的相対的価値形態」──で表示されることになる。だがこの表示はなお観念的にすぎない。だからこの形態において、貨幣としての金の使用価値はこれから実現されねばならぬものとして──すなわちG─Wの運動を展開すべきものとして──措定されていることになる。@
このようにして商品は、商品と貨幣とに二重化し、それに内在する使用価値と価値との対立が商品と貨幣との外的対立として表示されるようになると、商品の形態にあってはW─Gの運動を、貨幣の形態にあってはG─Wの運動を、展開すべきものとして措定されることになり、商品の交換過程は、これらの対立的な形態を通して運動することになる。マルクスが「諸商品のかかる対立的諸形態は諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」、と言っているのは、このことを言っているのです。

{宇野氏は、商品から独立した貨幣の規定が別にあるとでも考えているのだろうか?}
ところが、宇野君はこれをつかまえて、「これはなお商品の側からの規定にすぎない」と言うのだが、なぜこれが「商品の側からの規定にすぎない」のか、ぼくにはどうもそのわけが分からない。もちろん、貨幣にしても商品の価値の自立化したものであり、商品の転化した形態にほかならない。だから、今言ったような貨幣の側からの規定にしても、やはり商品の規定にほかならないということ、ひいてはまた、G─Wにしても商品自身の運動──商品の第二の姿態変換──にほかならないということは、確かな事実です。だがもし、だからそれは「なお商品の側からの規定にすぎない」と言うのだとすれば、それはとりもなおさず、上に述べた以外の・もともと商品から独立した・貨幣の規定が別にあるものと考え、それをマルクスは説いていないといって批難していることになる。しかし宇野君にしても、まさかそういう途方もないことを考えているものとは思えない。とすると、「これはなお商品の側からの規定にすぎない」いう宇野君の批難は、「諸商品のかかる対立的な諸形態は諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」というマルクスの言葉の意味を全然理解していないことから来ているものと考えるほかはないことになる。

{「商品は自ら運動しうるわけではない」というのは無理解の上に安住した放言だ}
なお宇野君は上に続いて、「『諸商品の〔交換過程の〕現実的運動〔諸〕形態』“といっても”、商品は自ら運動しうるわけではない。貨幣によって運動させられるのである」、とも言っている。そしてこれが、さきほどB君が問題にしようとした点なのですが、これもまたぼくには、同じ無理解の上に安住した放言としか思えない。

{商品が、商品の形態にあってはW─Gの運動を、貨幣の形態にあってはG─Wの運動を展開すべきものとして措定されているのだ、ということの理解が肝要だ}
なるほど、貨幣の側からのG─W(購買)なしには商品のW─Gの運動(販売)は行われないということは、確かに事実に相違ないが、しかし同時にまた、商品の側からのW─Gなしには貨幣のG─Wの運動は行なわれえない、ということも事実です。両者は相互に条件づけあう関係にあるので、一方だけが他方の条件をなすわけではないのです。だがいずれにしても、これはもともと、運動が行なわれるためのいわば外的な条件の問題にすぎない。われわれは、運動を問題にする場合、そういう外的条件を問題にする前に、運動そのものがなにによって必然とするかを問題にする必要がある。一般に、あるものが運動するのは、それが矛盾をもっていて、そのままの状態に留まりえないからです。さきにぼくが引用した──宇野君の引用では省略されていてぼくが補足した──個所で、マルクスはまさにこの観点から、商品が商品の形態にあってはW─Gの運動を・反対に貨幣の形態にあってはG─Wの運動を・展開すべきものとして措定されているところの、その形態について述べているのです。そしてそれを受けて、「諸商品のかかる対立的な諸形態は諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」と言っているのです。
なお、念のために注意しておくが、ここ<諸商品のかかる対立的諸形態は……の部分>でマルクスが言っていることは、商品変態論の冒頭で彼が言っていることに対応しているのです。そこで彼はこういうふうに言っている。「すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾し互いに排除しあう諸関係を含んでいる。商品の発展は、これらの矛盾を取り除きはしないが、これらの矛盾が運動しうる形態をつくりだす。これは、一般に現実的な矛盾が解決される方法である」(『資本論』Ⅰ、118頁、「方法Ⅱ」〔305〕)。──「諸商品のかかる対立的な諸形態は諸商品の交換過程の現実的運動諸形態である」と言うとき、マルクスは、この冒頭<第2節第4パラ>にいわゆる「これらの矛盾が運動しうる形態」の実際のあり方について述べているのです。

{究極的には、交換過程論の意義を理解しないことから、見当はずれの批難が生じている}
ぼくは、今日最初に話したさいに、マルクスの商品変態論に対する宇野君の異論は、究極的には、マルクスの交換過程論の意義を理解していないことから来ているということ、そのために、交換過程論につながる商品変態論の重要な意義を理解しえないことになって、検討はずれの批難を加えることになったのだということを述べたのですが、今の、「『諸商品の〔交換過程の〕現実的〔諸〕形態』といっても、商品は自ら運動しうるわけではない」というのも、まさにその一例にほかならないと思うのです。
……省略……

『レキシコン』第11巻「貨幣Ⅰ」の収録内容
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2015年3月20日

久留間鮫造 著 「価値形態論と交換過程論」

久留間鮫造 『価値形態論と交換過程論』 (岩波)

【P1】<はしがき>

本書は「価値形態論と交換過程論」という題名で、かつて4回にわたって「経済志林」に発表した論文を集めたものである。いましらべてみると、最初の論文がのっているのは昭和25年1月発行の第18巻第1号であるから、すでに7年以上前になる。次の第2論は第18巻第3号(25年7月)、第3論は第19巻第1号(26年1月)にのっているから、これらはおよそ半年ごとに書いたことになる。ところが、ここまでは大体予定どおりにいったのであるが、次の第4論を書きかけた26年の春に突然病気になり、数ヵ月で一応は回復したが、その後はなまけくせがついたせいか、つい書くのがおっくうになって、気にはかかりながら、ながいあいだ未完のままに放置することになった。それまでに書いた三論は、価値形態論では──交換過程論とちがって──商品所有者の欲望が演じる役割が捨象されており、そしてそれは当然そうあるべきはずなのだという、われわれの見解に対する、宇野教授の反対論の三つの主要な論拠に答えたものであり、次の第4論では、価値形態論と交換過程論とのあいだの差異と関連とについてのわたくしの積極的な見解を展開する予定であったのであるが、この予定を、そういうわけで、ながいあいだはたさないで過ごしたわけである。もっとも、この点についてのわたくしの大たいの考えはずっと前からきまっていたので、困難はもっぱら、それをうまく書きあらわすことにあった。これが、いつものことながら、わたくしにとっては苦労のたねだったのである。それに、この問題についてのわたくしの基本的な考えは、【P2】いろいろの機会に友人諸君に話していたほかに、29年に横浜大学で開かれた経済史学会の大会でも話したことがあるので、別に苦労して書かないでも、たれかがそのうち書いてくれるだろうという気持ちもあって、ますますなまけるようになったふしもないとはいわれない。ところが、一昨30年の秋に雑誌「法政」の企画で「公開講座」が開設されることになり、そこでなにか話さなければならぬ羽目になったので、再びこの題目を選んで引受けた。さきの横浜の学会のときには時間が足りなくて意をつくしえなかったうらみがあるが、今度は時間が3時間で、それに速記をとるということだったので、できればこれを利用して、ながいあいだ未完のままに放置していた論文完結の責をはたしたいと思ったわけである。速記は、原稿なしに話したせいもあって、はなはだ不満足なものであったので、かなりの改定を必要とした。この仕事に昨年の夏休みをついやした。そして出来あがったのが、「経済志林」の第24巻第4号(31年10月)に発表した「価値形態論と交換過程論」である。これは、独立した講演の速記に加筆した関係上、前論とは重複する部分があるばかりでなく、文体もちがっていて、前論の継続としてははなはだ不体裁なものになったが、それだけにまた、それ自体に一応まとまっており、またはじめから筆をとって書いたものよりかえってわかりやすいというとりえもあるように思われる。それで本書への採録にあたっては、もとの順序を顛倒して、この第4論を前編とし、さきの三論を合わせて後編とすることにした。もともと、わたくしの積極的な見解をまず述べて、それから反対論に答えるほうが妥当であったのに、本文の各篇の最初の部分に述べておいたようないきさつから、まっさきに反対論に答えることになったという事情もあるので、この点からみても、順序をかえる方が適当のように思われたのである。
【P3】本書への収録にさいしては、誤植を正すとか、漢字をなるべく仮名にするとか、二三の不適切な表現を改めるとか、註にあったものを本文に組み入れるとかいった、いわば技術的な改定のほかに、若干の増補をおこなった。もちろん趣旨には無関係で、単に何を「参照」としていたところを、引用文にかえるとか、いわぬでもと思っていたことを、も少しいってみたりする程度のものである。

1957年2月17日 記

【P4】凡例……省略……
【P5】目次……省略……

【P1】前篇
価値形態論と交換過程論

「資本論」の最初の部分の構成を見てみると、第1章が「商品」で、これが四つの節に分かれている。第1節が「商品の二つの要因、使用価値および価値」、第2節が「商品で表示される労働の二重性格」、第3節が「価値形態または交換価値」、第4節が「商品の物神的性格とその秘密」。それから章がかわって、第2章が「交換過程」、そして次の第3章が「貨幣または商品流通」となっている。この構成を見てみるといろいろな疑問が起きてくる。貨幣という言葉は、表題では、第3章の「貨幣または商品流通」のところにはじめてあらわれてくる、これがいわゆる貨幣論にあたるものと考えられる。しかし内容をみると、その前にすでに貨幣に関するさまざまな議論が展開されている。第一は価値形態論、第二は物神性論、第三は交換過程論で、すべて貨幣が出てくる。いったいこれらは、第3章の貨幣論に対してどういう関係に立つのか。こういう疑問が当然おきてくる。第3章の貨幣論は本格的な貨幣論で、それ以前のものは序論的なものだと考えるのが当然のように思われるが、それではいったい、序論といい本論といい、その間にどういう本質的な区別があるのか、これがはっきりしないと具合がわるい。それから第二に【P2】は、この第3章以前の貨幣に関する議論は序論的なものだとして、この今あげた三つのもの、すなわち価値形態論と物神性論と交換過程論、これらは序論としてそれぞれどういう特殊な意味をもっているのか。これがまた疑問のたねになる。そしてこれがわからぬとやはり具合がわるい。それから第三には、序論にあたると考えられる以上の三論のうちで、価値形態論と物神性論とは、「資本論」の現行版でいうと、第1章「商品」のうちのそれぞれ一つの節をなしているのに対して、交換過程論は、この商品論の全体とならぶ位置を与えられて、第2章になっている。しかも、頁数を見てみると、いまあげた第1章のどの一節よりもはるかに少ないのである。にもかかわらず、それらの全部をふくむ第1章と対等な地位を与えられている。これはいったいどういうわけなのか。これがまた疑問のたねになる。
こういういろいろな疑問が、「資本論」の最初の部分の構成を徹底的に理解しようとするならば、きっとおきてくるにちがいない。少なくともわたくしのばあいにはそうであった。特に価値形態論と交換過程論との関係、これが、34,5年前に「資本論」を読みはじめてから間もない頃から、ずいぶん長いあいだわたくしを苦しめた。どちらを読んでみても、貨幣がどのようにしてできるかについて論じているように思われる。ところがその論じかたを見てみると、全くちがっている。そのちがいは、本質的にはどういう点にあるのか、これがなかなかわからない。そしてそれに関連して、前にも述べたように、価値形態論のほうは第1章の商品論のうちの第3節になっているが、交換過程論のほうは独立した第2章になっている。これもいったいどういうわけなのかということ、これまた長いあいだ疑問のたねであった。最初のうちは「資本論」のくわしい解説書などなかったが、その後ローゼンベルグの註解【P3】や河上博士の本など出たので読んでみたが、なるほどそうかと、なっとくのいくようなことは書いてない。それで自分なりにいろいろ考えた末に、大体こういうことではなかろうかというふうに思うようになったが、そこへ、終戦後に河出書房で発行していた「評論」という雑誌があって、その企画で毎月一回「資本論研究会」というのをやることになり、わたくしもそれにひっぱり出された。そのときにこの問題が論じられた。ところがそのときには報告者が、交換過程論では欲望の主体としての商品所有者、あるいは商品所有者の欲望が演じる役割が考察の範囲内にはいってくるが、価値形態論ではそれが捨象されている、ということをよりどころにして、両論の差異を論じようとしたので、商品所有者の欲望を捨象してはたして価値形態論が理解できるかどうか、ということが議論の中心になった。わたくしを含めて大部分の人は、この点で報告者と同意見であったが、宇野教授は反対で、商品所有者の欲望を抜きにしては価値形態は理解できないということを強硬に主張され、いろいろ議論したが結局どちらも譲らず、未解決のままに終わった。そして、そういう点で議論が座礁してしまったので、本質的な差異についての解答が与えられないでしまったことはいうまでもない。この研究会の記録は「評論」に掲載され、その後さらに単行本の形でも出版されたので、あとからゆっくり読みかえすことができ、わたくしの考えをいっそうはっきりした形に仕上げていくのにたいへん役立った。このようにしてどうやら確信らしいものができたので、それを書きはじめたのが、25年1月号の「経済志林」に最初の部分を発表した「価値形態論と交換過程論」である。これはその後3回まで書き、最後の4回目の部分を書こうとしていたところで病気になり、その後なまけぐせがついてついそのままになっているようなわけなので、今日はこの書き残している部分を主にして話してみたいと思っている。なお、【P4】今までに書いた3回の論文は、商品所有者の欲望を抜きにしては価値形態は理解されえないという宇野教授の主張には大体三つの根拠があると思われるので、それにたいして一々答えたもの、残っているのは、価値形態論と交換過程論との区別等、さきに述べたいろいろの問題についてのわたくし自身の積極的な見解である。しかし、いままでに書いた3回の論文はわれわれに反対な宇野教授の主張の三つの論拠に答えたものだとはいっても、この価値形態論における欲望捨象の当否の問題は、本質的には、価値形態論の課題が何であるかによって決定さるべき方法上の問題であるから、わたくしはそのさい当然にまた、価値形態論の課題にも言及したのであった。これはすでに書いたこと(本書後編参照)ではあるが、価値形態論と交換過程論の差異を論じる上に欠くことのできないことであるから、その要旨は一応紹介しておく必要がある。それはこういうのである。
「資本論」における価値形態論の目的は、商品の価格すなわち貨幣形態の謎を、そしてそれと同時にまた貨幣の謎を解くことにある。ここに貨幣形態の謎というのは、一般に商品の価値が特殊の一商品──金──の一定量という形態で表現されることの謎であり、貨幣の謎というのは、この場合金の使用価値──本来価値の反対物たるもの──がそのまま一般に価値として妥当することの謎である。これらの謎は、従来何ぴとによっても解かれなかったのみでなく、謎であることさえ本当には理解されなかったのであるが、マルクスはこれを「資本論」において価値形態の問題として設定することによって、はじめて徹底的に解明したのである。すなわち彼は、何よりもまず、貨幣形態は発展した価値形態であり、貨幣形態の謎は価値形態の謎の発展したものにほかならないことを看取したのである。そこで彼は、貨幣形態を遡及分析してその原基の形態──簡単な価値形態──に還元し、【P5】そこに貨幣形態および貨幣の謎の核心を発見したのである。商品の価値はそれに等置される他商品の使用価値で表示されるということ、そしてそのさい、この他商品の使用価値は、それを自らに等置する商品にとって価値の形態になるということがこれである。これこそは、いわば価値形態そのものの謎であり、貨幣形態および貨幣の謎の根本であり、これが解かれないかぎり後者の謎は解かれようがなく、これが解かれさえすれば後者の謎は容易に解かれうるのである。貨幣形態を直接観察したのでは問題はこういうふうにはあらわれない。そこでは、すべての商品の価値は独自の一商品──金──でのみ表示され、したがって、この特権に基く金に独特な神秘的性格が直接の問題として前景におしだされてくるからである。簡単な価値形態においてはじめて、商品の価値はそれに等置される他商品の使用価値で表示されるという事実が、如実にあらわれ、したがって、いかにしてそういうことが可能であるかという、基本的な問題が、純粋な形で提起されうることになる。マルクスが「簡単な価値形態」のところで論じている中心的な問題もまた、実にこの問題にほかならない。だから彼は、リンネルの等価形態になぜ上衣がおかれたかは問題にしないのである。リンネルの等価形態に上衣をおいたのはリンネルの所有者の行為であり、そして彼がそうしたのは、上衣を欲しいと思ったからであるにしても、そういうことを考えることは、上の問題の解明には何の役にもたちはしない。否、何の役にもたたないばかりでなく、異質的な問題の導入を意味し、本来の問題を混濁させ、正しい解決をさまたげることになる。このことは、上衣がリンネルの価値の形態になるのはリンネルに等しいものとしてでなければならないのに、リンネルの所有者が上衣を欲しいと思うのはリンネルと異なるものとしてでなければならぬ、ということを考えただけでも、明らかなはずである。一方は等置の関係であり、他【P6】方は不等置の関係である。不等置の何故を考慮することによって等置の関係のいかにしてが解明されえないことはいうまでもない。価値形態の固有の問題は、商品所有者の個人的欲望が演じる役割が明らかにされた後になお残る問題であり、商品所有者がその欲望にもとづいて作った価値方程式を所与のものとして受け取ることによってはじめて独自の問題として設定されうる問題なのである。そして独自の問題として純粋の形で設定されることによってのみ、問題の徹底的な解決が可能になるということはいうまでもない。マルクスが価値形態論で20エレのリンネル・イコール1枚の上衣を分析するに当たって、リンネルの等価形態になぜ上衣が置かれたかは全然問題にしないで、もっぱら、上衣の自然形態がいかにしてリンネルにとっての価値の形態になり、かくしてリンネルの価値が上衣の自然形態で表現されうるかを問題にしたのは、まさにこのためにほかならない。現に、そうすることによってはじめて彼は、価値表現の秘密を形成する「回り道」を発見することができたのであり、そしてそれにもとづいてはじめて、貨幣形態および貨幣の謎の徹底的な解決に成功することができたのである。
以上が、前論(本書後篇)で述べた価値形態論の課題と方法とについてのわたくしの考えの大要であるが、かなり要約的に書いたものを読んだので、あるいはわかりにくかったかと思われるのと、それから、最後のところでいった「価値表現の回り道」という言葉、これについては、最初の論文(本書後篇の1)で詳細に説明しておいたのであるが、それを読んでいない人には何のことかわけがわからないおそれがあると思われるので、いま少し説明をつけたしておくことにしよう。
一般に商品の価値というものは、常に、その商品に等しいとおかれる他の商品の使用価値、すなわち物としての【P7】形態であらわされる。これは発展して貨幣形態、現にわれわれがみる価格の形態になるわけであるが、そうなると、すべての商品の価値は金の一定量という形であらわされることになる。現にわれわれはすべての商品の価値を金何円という形でいいあらわしているが、この「円」というのは、貨幣の場合に特有な金の重量の単位名で、もともと貨幣法で金2分を円と名づけたものである。すなわち金何円というのは、分とか匁とかの普通の重量単位名の代わりに、貨幣のばあいにかぎって用いられる円という重量単位名でいいあらわした、金の分量にほかならない。この金の分量によって、商品の価値は──その価値性格と価値量とが──現に表示されている。ここに貨幣の謎がある。物としての金の分量が商品の価値をあらわすということ、これはいったいどのようにして可能であるのか。これをマルクスは問題にしたのである。そういうことを問題にした者はかつてなかった。それをマルクスは問題にして見事に解いたのであるが、そのさいに彼はまず、この貨幣での価値の表現、たとえば 20エレのリンネル・イコール金2ポンド、あるいは金何円というのは、たとえば 20エレのリンネル・イコール1枚の上衣 というような、いわゆる簡単な価値形態の発展したものにほかならぬのであって、価値表現の根本の秘密はこの簡単な価値形態のうちに横たわっているということを看取したのである。そこで彼は、この簡単な価値形態を分析することによって、価値表現の根本の秘密を形成するいわゆる「回り道」を発見したのであるが、それはどういうことかというと、たとえば 20エレのリンネル・イコール1枚の上衣 というとき、20エレのリンネルの価値は1枚の上衣という形で表現されているのであるが、そういうことが行われうるためには、上衣そのものが価値の定在に、いわば価値物になっていなければならぬ。そうでなければ、物としての上衣の分量が価値の大きさをあらわすことは【P8】できないはずである。ではどのようにして上衣は──その自然形態そのものが──そのまま価値をあらわすものに、すなわち価値物になるのかというと、それはつまり、今の例でいえば、上衣がリンネルに等しいのだとされる、そのことによって今言ったような資格が、一つの経済的形態規定性が、上衣に与えられることになる、上衣が一つの社会的生産関係をになわされることになる。上衣を作る労働、これはもちろん、直接には特殊な具体的労働であって、抽象的な労働ではない、上衣を作るのは裁縫労働なのだが、上衣がたとえばリンネルに等置されると、それによって、上衣をつくる裁縫労働はリンネルをつくる織布労働に等置されることになり、両者の間に共通な、抽象的人間労働に還元されることになる。と同時に上衣は、こうした抽象的人間労働の体化物、すなわち価値物を意味するものになる。そういう形態規定性を与えられることになる。そこでリンネルは、上衣にそういう形態規定性を与えた上でそういうものとしての上衣の身体で、はじめて自分の価値を表現するのである。こう考えてはじめて価値表現の謎は解ける、とマルクスはいうのである。このばあいよくよく注意しなければならないことは、 20エレのリンネル・イコール1枚の上衣 という価値表現の式においては、リンネルがいきなり、自分は上衣に等しいのだということによって、自分自身で価値の形態になっているのではなくて、上衣は自分に等しいのだということによって、上衣を価値の形態に──その自然形態がそのまま価値をあらわすものに──しているのだということ、そしてそうした上ではじめて、リンネルの価値が上衣の自然形態で、リンネル自身の使用価値から区別されて表示されているのだということである。これがマルクスのいわゆる価値表現の回り道なのである。一般に、「資本論」で一番むつかしいところは価値形態論だといわれており、マルクス自身もそういうことをいっているが、【P9】特に初版の価値形態論のうちのこの回り道を説いているところでは、「ここにわれわれは価値形態の理解をさまたげるあらゆる困難の枢軸に立つ、」といっている。実際そのとおりなので、事柄自体がはなはだ理解しがたいばかりでなく、そういう面倒なことを考える必要がなぜあるかさえ、マルクスがいろいろ説いているにもかかわらず、一般には理解されていないように思われる。だがここに価値表現の秘密の核心があるので、これが理解されないかぎり貨幣形態ないし貨幣の謎は解かれようがなく、これが理解されればそれらの謎は容易に解かれうるのである。貨幣形態の謎というのは、さきにも述べたように、商品の価値が金の一定量という形で一般的に表示されうることの不思議であり、貨幣の謎というのは、このばあい金の自然形態がそのまま一般に価値として妥当することの不思議である。これをマルクスは、「資本論」において価値形態の問題として設定し、さきに述べた価値表現の回り道を明らかにした上で、それにもとづいてはじめて徹底的に解いたのである。こういうふうに私は考えているのである。
では、これにたいして交換過程論はどういう特徴をもっているか、これが次に問題になる。ところで、この問題を多くの人に最もわかりやすいように論じるにはどういうことから話をはじめたらいいか、いろいろ迷うのであるが、ここでは、──交換過程論は一つの独立の章すなわち第2章になっているので──第1章の商品論の全体に対してどういう特徴をもっているか、ということを考えることからはじめることにしよう。このばあいさっそく手がかりになるのは、マルクスが「経済学批判」および「資本論」の初版で、交換過程の考察にはいろうとするすぐ前のところにおいている文句──この問題を論じる一部の人によって移行規定と呼ばれているもの──である。もっとも、【P10】「経済学批判」では、「資本論」の第1章「商品」に当たる部分と第2章「交換過程」に当たる部分とは、すべて第1章のうちにあって、区分けをされていないが、その内容を見てみると、「資本論」の交換過程論に当たるのはここからだということがはっきりわかる、その交換過程論にこれからはいろうとするところで、「経済学批判」ではこういうふうにいっている。
「これまでは商品は二重の観点のもとで、すなわち使用価値としておよび交換価値として、そのつど一面的に考察されてきた。けれども商品は、商品としては、直接に使用価値と交換価値との統一である。同時にそれは、他の諸商品への関係においてのみ、商品である。諸商品相互の現実的な関係は、それらの交換過程である。」(「経済学批判」27頁。)
「資本論」の初版でも、商品論の最後──交換過程論の直前──のところに、大体同様な叙述が見いだされる。
「商品は、使用価値と交換価値との・かくして二つの対立物の・直接的統一である。だからそれは一の直接的な矛盾である。商品がこれまでのように分析的に、あるときは使用価値の観点のもとで、またあるときは交換価値の観点のもとで、考察されるのではなくて、一全体として現実に他の商品に関係させられるやいなや、この矛盾はみずからを展開せざるをえない。ところが、諸商品相互の現実的な関係は、それらの交換過程である。」(「資本論」初版、岩波文庫版111-112頁。)
これらの叙述によってみると、少なくとも「経済学批判」と「資本論」の初版とでは、交換過程論はそれ以前の部分と本質的に異なるもの、いわば観察の次元を異にするものとして考えられていたことが明らかである。すな【P11】わちそれ以前の部分では、商品は単に分析的に、すなわち、あるときはもっぱら使用価値の観点のもとで、またあるときはもっぱら交換価値の観点のもとで、そのつど一面的に考察されたのであるが、交換過程論ではそうはいかない。交換過程は、諸々の商品がいずれも使用価値および価値の統一体として登場し、そういうものとして互いに現実に関係しあう過程だから、というのである。これはわれわれの問題にとってきわめて重要な意味をもつものと思われるから、十分立ち入って考えてみることにしよう(*1)。

(*1) 上に引用したものに該当する文句は「資本論」の再版以後には見出されない。したがって、なぜそれが削除されたかが問題になるが、これについてのわたくしの考えはあとで述べることにする。

交換過程に先立つ部分のうちで、「資本論」の現行版でいうと第1章の第1節「商品の二つの要因──使用価値および価値」、および第2節の「商品で表示される労働の二重性格」(「経済学批判」はもとより、「資本論」でも初版では、このような節の区分はなされていないが、内容のからみてそれに当たる部分)で、商品が分析的に考察されていることについては、おそらく何ぴとも異議はないであろう。だが第3節の価値形態論はどうであろうか。これもはたして分析的といえるかどうか。商品の価値表現においては、価値とともに使用価値が不可欠の役割を演じるものと考うべきではないか。こういう疑問がおそらくおきることと思う。だがこれは、わたくしのみるところでは、あきらかに誤解にもとづくのである。
何よりもまず明らかなことは、価値形態論で問題にされるのは文字どおりに商品の価値の形態だということである。商品の価値形態は、使用価値でありかつ価値であるところの商品が、そこではもっぱら価値として、それの使【P12】用価値としての直接的な存在から区別してあらわれるところの形態である。だから価値形態論で、それの価値の表現が問題であるところの商品──すなわち相対的価値形態にある商品──の使用価値が固有の考察の圏外におかれることは、いわば当然のことでなければならぬ。もちろん、商品はそのありのままの姿において、生まれながらに使用価値の形態をもっているから、そのほかにさらに価値の形態を取得すると、それと同時に二重の形態をもつことになり、かくして現実に商品として──単なる使用価値ではなく同時に価値であるものとして──あらわれることになる。したがってまた、商品の価値形態は同時に生産物の商品形態であり、商品の価値形態の解明は同時に生産物の商品形態の解明である、ということにもなる。だがこのことはけっして、価値形態論の分析的・一面的性格を否定するものではない。価値形態はあくまで商品の価値の形態──商品がそれの価値を、それの使用価値としての直接的な存在から区別してあらわす形態──であり、価値形態論の固有の課題はこの価値の形態を解明することにある。商品の価値形態が同時に生産物の商品形態であり、価値形態の解明が同時に生産物の商品形態の解明を意味することになるのは、使用価値の形態は商品の自然形態のうちにはじめから与えられており、したがってまた、価値形態の考察のさいにも、そういうものとして前提されているからにほかならない。マルクスの言葉でいえば、
「使用価値の形態は、労働生産物が生まれてくるときに、その自然形態のうちにもってくる。だから、労働生産物が商品形態をもつためには、……ただその上に価値形態をもてばいい、」(「資本論」初版、岩波文庫版164-165頁。)
ということになるのである。そして価値形態論は、生産物が商品としてあらわれるために、その生得の使用価値の形態のほかにもたねばならぬところの、この価値の形態を、如何にして取得するかを解明するものにほかならぬの【P13】である。
それゆえ、使用価値が商品の価値表現において不可欠の役割を演じるとすれば、それは相対的価値形態にある商品の使用価値ではなく、等価形態にある商品の使用価値でなければならぬ。

なるほど、商品の価値は、その商品に等置される他商品の使用価値で表現される。すなわち使用価値が、ここではそのまま価値の形態になる。価値形態論はもちろんこの関係を考慮のほかにおくことはできない。いなそれは、この関係の究明を基本的な課題にさえするのである。だがこのこともまた、けっして、価値形態論の分析的・一面的性格を否定するものではない。
第一に、等価形態にある商品の使用価値は、それの価値の表現が問題になっている商品の使用価値ではなく、したがって、それの表現が問題になっている価値とともに同じ商品の対立的要因を形成するところの使用価値ではない。われわれのなじみの例でいえば、そこで表現されているのは商品リンネルの価値であり、この価値表現において役割を演じているのは商品上衣の使用価値である。すなわちこのばあい、価値と同時に使用価値が考察されるにしても、それはリンネルの価値と上衣の使用価値とであって、同じ商品の対立的要因を形成するものではなく、したがって、それによって商品が、使用価値でありかつ価値であるものとして、全体的に考察されることになりはしない。ここで考察されるのは、単にリンネルの価値が表現されるされかたにすぎないのであって、その観点はあくまで価値の観点である。上衣の使用価値は、ここでは、リンネルの価値表現の材料として登場するにすぎない。しかも、そういうものとして登場するかぎりでは、この上衣の使用価値は、被服の目的に役だつ有用物としての本来【P14】の属性においてではなく、もっぱら抽象的・人間的労働の体化物としての形態規定性において、その役割を演じるのだということは、すでに前論(本書後篇の1)において、リンネル所有者の欲望の捨象の問題に関連して、くりかえし説明した如くである。

このように、価値形態論では、商品はもっぱら価値の観点から考察されるのであって、使用価値は、本来的な使用価値としては、全く考察の圏外におかれるのであるが、しかし交換過程論ではそうはいかない。なぜかというと、その考察の対象であるところの交換過程は、何よりもまず、諸商品が、その人にとっては非使用価値である人の手から、その人にとって使用価値である人の手に移っていく過程だからである。これが交換過程のいわゆるシュトッフリッヒな内容をなすのであって、これを抜きにしては交換過程というものは考えることができない。マルクスが交換過程をまず第一に、使用価値としての商品の実現の過程として説いているのも、このためにほかならない。なお念のために一言しておくが、この使用価値としての商品の実現ということは、使用価値の実現ということとはちがうので、使用価値の実現というのは、一定の欲望の充足に役立ちうる属性を物がもっている、それを実際に役立たすこと、すなわち物がもっているそういう可能性を実現することであって、これはいうまでもなく消費の過程で行われる。これに反して、使用価値としての商品の実現は交換過程上の問題であって、消費過程上の問題ではない。商品の使用価値は、単なる使用価値ではなくて、一定の社会的規定性をもつ使用価値である。すなわちそれは、現にそれを商品としてもっている者のための使用価値ではなくて、他人のための使用価値である。だからそれは、それを必要とする他人の手に移らねばならぬ。そうすることによってはじめて、使用価値として実際に役立ち【P15】うることになる。マルクスが「使用価値としての商品の実現」といっているのは、このことをさすのであって、消費の過程においてではなく、交換の過程において行われる。
だが商品の交換過程は、使用価値としての商品の実現の過程にとどまるものではない。それは同時にまた、価値としての商品の実現の過程でもなければならない。ところで、この価値としての商品の実現ということも、とかく十分に理解されないで、価値の実現ということと混同した解釈がおこなわれているようであるが、そのように解したのでは、マルクスの交換過程論はまるでわけがわからないことになる。価値の実現ということは、いわば即自的にのみある商品の価値を、現実の価値に、客観的に妥当な価値の姿態に、すなわち貨幣に転化することであって、これはいうまでもなく販売の過程において行われる。ところが、交換過程論で価値としての商品の実現が問題とされている場では、貨幣はまだ形成されておらず、交換の過程はまだ販売および購買の二つの過程に分裂していないのであるから、この点だけから見ても、価値としての商品の実現という言葉が商品の価値の実現ということとはちがった意味に用いられていることは明らかなはずである。では、それはどういう意味であるかというと、現にマルクス自身が、「彼〔商品所有者〕は彼の商品を価値として実現しようと欲する、すなわち彼自身の商品がその他商品の所有者にとって使用価値をもつと否とにかかわらず、同じ価値ある任意の他商品で実現しようと欲する、」(「資本論」第1巻、92頁)といっているのによっても明らかなように、商品を現に価値であるものとして妥当させること、価値としての能力を実現すること、を意味するのである。おもうに、商品は使用価値としては千差万別であり、だからこそ相互に交換されるのであるが、価値としては──抽象的人間労働の対象化としては──無【P16】差別一様であり、いかなる他商品とも、一定の比率において置きかえられうべき筈のものである。商品所有者は、本来そういうものとして役立てるために、自分にとっては非使用価値である商品を生産するのである。彼は社会的分業の一端をになうものとして、ある特殊の商品の生産に従事するのであるが、そうすることができるためには、彼の生産する特殊の商品は、彼がもっている様々な欲望の充足に必要な、様々な商品と交換可能でなければならぬ。単なる使用価値としては、彼の商品は、たまたま彼が欲しいと思っている他の商品の所有者の欲望の対象ではないかもしれない。だがその場合に交換が行なわれないということであると、彼は安心して特殊の商品の生産に従事しているわけにはいかないことになる、商品生産は社会的分業の一つの様式として成りたちえないことになる。商品生産が社会的分業の一つの様式として成りたちうるためには、商品生産者は何らかの社会的欲望の対象を生産しなければならぬことはいうまでもないが、同時にまた、何らかの社会的欲望の対象を生産するかぎり、彼はそれと交換に、等量の労働の生産物である任意の他商品を──彼の商品がその他商品の所有者の欲望の対象であると否とにかかわらず──入手することが可能でなければならぬ。これこそは価値としての──無差別一様な・そしてそういう形態で社会的な・労働の対象化としての──商品の本来的な要請であり、そしてそれは、交換過程において実現されなければならぬ。この商品の価値としての要請は、当然、商品所有者の意識に反映する。すなわち彼は、さきに引用した箇所でマルクスがいっているように、「彼の商品を価値として実現しようと欲する、すなわち、彼自身の商品がその他商品の所有者にとって使用価値をもつと否とにかかわらず、同じ価値ある任意の他商品で実現しようと欲する」のである。
【P17】交換過程はこのように、商品の使用価値としての実現の過程でなければならぬと同時に価値としての実現の過程でもなければならぬのであるが、この商品の使用価値としての実現と価値としての実現とは、相互に前提しあうとともに相互に排斥しあう関係にあり、ここに、交換過程に特有な問題が生じてくる。商品の使用価値としての実現は商品の譲渡によっておこなわれるが、商品の譲渡は上に述べたところによって明らかなように、それの価値としての実現を前提する。と同時にまた、商品の価値としての実現は、それの使用価値としての実現を前提する。商品は他人のための使用価値でなければ価値でもないが、それが他人のための使用価値であるということは、交換過程における使用価値としての譲渡によってはじめて実証されるのであって、したがって商品は、交換に際してはじめから価値としてみずからを妥当させるわけにはいかないからである。しかも、商品の使用価値としての実現と価値としての実現とは、このように相互に前提しあう悪循環の関係にあるばかりでなく、相互に排斥しあう矛盾の関係にある。
「使用価値としては、諸商品は特殊な諸欲望と関係してのみ交換されうる。だが、商品が交換されうるのはただ等価物としてだけであり、しかも商品が等価物であるのは、ただ対象化された労働時間の等しい分量としてだけであるから、使用価値としての商品の自然的諸属性、したがって商品が特殊な諸欲望に対して持つ関係への顧慮はすべてなくなっている。むしろ、商品が交換価値たる実を示すのは、それが等価物として他のどの商品の一定量にも任意に代わりうるからであって、それが他の商品の所有者にとって使用価値であるかどうかは、どうでもよいことである。だが商品は、他の商品の所有者にとっては、それが彼にとって使用価値であるかぎ【P18】りでのみ商品となるのであり、またその商品自体の所有者にとっては、それが他人にとって商品であるかぎりでのみ交換価値になるのである。だから同一の関係が、一方では、本質的に等しくただ量的にのみ異なる大いさとしての諸商品の関係でなければならず、一般的労働時間の物象化としての諸商品の等置でなければならぬのと同時に、他方では、質的に異なるものとしての・特殊な欲望に対する特殊な使用価値としての・諸商品間の関係、つまり諸商品を現実的な使用価値として区別する関係でなければならぬ。だがこの等置と不等置とは互いに排斥しあう。かくして、一方の解決が他方の解決を前提とすることによって問題の悪循環があらわれるばかりでなく、一つの条件の充足がその正反対の条件の充足と直接に結び付いていることによって、相矛盾する諸要求の一全体があらわれることになる。」(「経済学批判」、30頁。)
彼の商品を価値として実現しようと欲する、この矛盾は、商品所有者が本来的にもつ諸要求のあいだの衝突という形でもあらわれる。すなわち商品所有者は、彼の商品を価値として実現しようと欲する、言葉をかえていえば、同じ価値ある任意の他商品と──彼の商品がその他商品の所有者にとって使用価値をもつと否とにかかわらず──交換しようと欲する。ところが他面においては、彼は、彼にとって使用価値をもつ他商品とひきかえにでなければ、彼の商品を譲渡しようとはしない。すなわち、自分の商品は価値として妥当させようとするが、他人がそうすることは承認しない。しかもこれは、ある特殊な商品の所有者にかぎったことではなく、どの商品所有者もみな同じ立場に立つのである。だがそうするかぎり、交換過程は行きづまるほかはない。そして交換過程が行きづまるかぎり、商品生産もまた、一般的にはおこなわれえないということになる。
【P19】だから、商品生産が一般化するためには、この矛盾が媒介されねばならぬのであるが、それは何によって媒介されるかというと、いうまでもなく貨幣によってである。すなわち貨幣ができると、交換は販売および購買の二つの過程をとおして遂行されることになるが、そうなると商品所有者は、彼の商品を一挙に任意の他商品と交換しようとはしないで、まず貨幣にたいして交換する。これが販売であるが、この過程においては商品所有者は、彼の商品をいきなり価値として妥当(通用)させようとする代わりに、まずそれを使用価値として譲渡することによって貨幣に転化する。この使用価値としての譲渡によって、その商品の生産についやされた労働は社会的に有用な労働であったことが実証され、したがって商品は、社会的に妥当な価値の形態──商品世界を通じてあまねく価値として通用するもの──すなわち貨幣になるのである。そしてそうなった上ではじめて商品所有者は、次の購買の過程において、この貨幣を価値として通用させる、すなわち彼の欲する任意の他商品と交換する。貨幣になるとそうすることが客観的に可能になるのである。貨幣ができるまではそうはいかなかった。いまかりに、問題の商品がリンネルであり、その所有者がそれを聖書と交換したいと思っていたと仮定しよう。そのばあいにたまたま、聖書の所有者の方でもリンネルと交換したいと思っていればいいが、そうではなくて、リンネルとの交換を欲しているのは小麦の所有者であって、聖書の所有者の方では酒との交換を欲していたとすると、交換はおこなわれない。このばあいリンネルの所有者は、小麦の所有者の欲望の──したがって社会的欲望の──対象を生産しているのであるから、彼の労働は社会的に有用な形態で支出された人間労働の一定量として、その生産物であるリンネルの価値を形成している筈なのであるが、それにもかかわらず、リンネルは価値として実現されることができない、すなわち任意の他【P20】商品──このばあいには聖書──と交換されることができない。こうした矛盾が、貨幣ができると、さきに述べたような仕方で媒介されることになるのである。
交換過程は、使用価値および価値の直接的統一としての商品の矛盾が、上に述べた態様で展開してくる場として、したがってまた、それを媒介するものとしての貨幣の形成が必然とされる場として、独自の考察の対象を形成する。マルクスが「資本論」で、交換過程論を独立の第2章として、商品を分析する第1章の全体にならぶ地位をあたえているのは、このゆえにほかならないものと解せられるのである。もっともこれに対しては、いわゆる交換過程の矛盾なるものは、商品に内在し価値形態で外化するところの、使用価値と価値との矛盾以外の何物でもなく、交換過程ではじめてあらわれてくると考えるのはおかしい、という説があるが、これは同一性を固執して区別を見ようとしない議論といわねばならぬ。商品の分析は、当然、生産物が商品としてあらわれる形態の分析によって行なわれるのであるが、そうした形態そのものの分析が問題であるかぎりでは、商品はまだ運動の過程にはない。使用価値として、それを必要とする他の商品所有者の手に移っていく過程にもなければ、価値として、所有者の必要とする他商品に現実に転化する過程にもない。言葉をかえていえば、使用価値としても価値としても実現はまだ問題にならず、したがって、そういう二重のものとしての実現のあいだの矛盾の関係もまた問題にはなりえない。だからまた、そのような矛盾を媒介するものとしての貨幣の必要も、もちろん問題にはなりえない。すべてこれらのことは、交換の過程においてはじめて問題になるのである。価値形態論でも貨幣の形成が論じられるが、そこでの問題は貨幣形成の「如何にして」であって、「何によって」ではない。言葉をかえていえば、特殊の一商品であ【P21】る金が如何にして一般的な等価物に──その自然形態が商品世界を通じてそのまま価値として通用するものに──なるかであって、そういうものが何によって必要とされ、形成されるかではない。これらは相互に区別されうるばかりでなく、区別して論じられることによってはじめて徹底的に解明されうる二つの問題なのである。

だがこのことは、価値形態論と交換過程論がまったく別個な、相互に無縁なものであることを意味するものではけっしてない。それどころか、両者にはきわめて密接な有機的な関連があるものとわたくしは考えている。そこで以下に、これについてのわたくしの考えを述べることにしよう。ところで、このばあいまず注意しておきたいと思うことは、このてんで、「資本論」と「経済学批判」とのあいだには大きなちがいがあるということである。「資本論」では、交換過程論にはいる前に価値形態論が展開されている。したがって、交換過程論で、この過程における商品の矛盾の展開が追跡され、その媒介の必要が明らかにされた後に、それが何によって媒介されうるかが問題になったときに、それはすでに価値形態論で明らかにされている、といって答えることができるわけである。直接「資本論」についていうと、そこのところはこういうふうになっている。すなわちマルクスは、商品の使用価値としての実現と価値としての実現との相互に前提しあいかつ相互に排斥しあう関係を述べた後に、問題をさらに一歩すすめて次のように設定する。
「もっと立ち入って注意してみると、どの商品所有者にとっても、他人の商品はいずれも自分の商品の特殊的な等価物としての意義をもち、したがって、自分の商品はすべての他人の商品の一般的な等価物として意義をもつ。だが、すべての商品所有者が同じことをするのだから、どの商品も一般的な等価物ではなく、したがってまた【P22】諸商品は、それらが諸価値として等置され諸々の価値の大きさとして比較されあう一般的な相対的価値形態を持たないのである。だからそれらは、総じて、諸商品として対立しあうのでなく、諸生産物または諸使用価値として対立しあうにすぎない。」(92頁)
これはひっきょう、商品所有者がいずれも彼らの商品をそのまま直ちに価値として妥当させようとするかぎり、その要求は前段で展開されたような矛盾に当面するばかりではなく、そうした矛盾を媒介すべき一般的等価物の成立も不可能になる、ということを論じているもの──そういうふうに議論を一歩前進させているもの──と解されるのであるが、これをうけてマルクスは次のように論じていくのである。
「わが商品所有者たちは当惑してファウストのように考える。太初に行為ありき。かくして彼らは、考えるよりも前にすでに行動したのである。商品本性の諸法則が、商品所有者たちの自然本能においてみずからを実証したのだ。彼らは、彼らの諸商品を一般的な等価物としての何らかの他の商品に対立的に連関させることによってのみ、それらを諸価値として、したがってまた諸商品として、相互に連関させることができる。このことは商品の分析によって明らかにされた。だが、ある一定の商品を一般的な等価物たらしめるものは、社会的行為のみである。だから、他のすべての諸商品の社会的行動が、それらの諸商品が自分たちの諸価値を全面的に表示するためのある一定の商品を排除するのである。かようにして、この商品の自然形態が、社会的に妥当な等価形態になる。一般的等価物たることが、社会的過程によって、その排除された商品の独自的・社会的な機能となる。かくしてその商品は──貨幣となる。」(92頁。)
【P23】価値形態論と交換過程論との差異と関連とは、ここにはっきりいいあらわされている。商品所有者は「彼らの諸商品を一般的等価物としての何らかの他の商品に対立的に連関させることによってのみ、それらを諸価値として、したがってまた諸商品として、相互に連関させることができる。このことは商品の分析によって明らかにされた、」というばあい、そのいわゆる「商品の分析」が価値形態論(より精密にいえば、そのうちの「一般的価値形態」を論じている部分)をさすことは、あらためて説くまでもないであろう。「資本論」では、さきにも述べたように、価値形態論が交換過程論にさきだって展開されていて、一般的等価物が如何にして形成されるか、そしてそれによって、諸商品の価値としての、したがってまた商品としての連関が如何にして媒介されるかが、すでに明らかにされているので、交換過程論において、この過程における商品の矛盾の展開をあとづけていって、結局、商品所有者たちが彼らの商品をいきなり価値として妥当させようとするかぎり、どの商品も価値として妥当しえず、それらのあいだの商品としての連関も不可能になる、という結論に立ちいたったときに、この行き詰まりの打開の道はすでに価値形態論で解明されている、といって答えることができるわけである。ただし、そういうことは価値形態論ですでに明らかにされていても、ある特殊の商品を実際に排除し、一般的等価物を現実につくり出すのは、商品世界の共同行為であり、そしてこの共同行為を必然たらしめるものは、無媒介な交換過程を行き詰らせるこの過程の諸矛盾であり、その媒介の必要である。交換過程におけるこれらの矛盾の展開をあとづけるとともに、それを媒介するための一般的等価物、すなわち貨幣の形成の必然を論じることは、価値形態論の範囲外にあり、これが交換過程論の固有のテーマをなすのである。
【P24】ついでに一言しおくが、上に引用した箇所でマルクスは、例の彼好みの文学的な表現の仕方で、「わが商品所有者たちは当惑してファウストのように考える。太初に行為ありきと。かくして彼らは、考えるよりも前にすでに行動したのである。云々」といっている。そこで、マルクスはここで、理論的に解決不可能な問題を商品所有者の行為が解決するものとして説明しているのだ、という解釈が行なわれ、それにもとづいて一方では、価値形態論と交換過程論との関係についての独自の解釈をうちたてる試みがなされるとともに、他方では、そういう「説明」は説明ではなく、理論的破産を意味するものでなければならぬとして、ここにマルクス批判の一つの根拠を見出そうとする試みがあらわれてくるという、奇妙な事態が生じることになった。さきに本文で述べたわたくしの説明をまつまでもなく、マルクスの言っていることをも少し続けて注意して読めばわかるように、彼はけっして、理論的に不可能な問題を実践が解決するなどとはいっていない。ちょうどその反対に、商品所有者たちは理論が明らかにするとおりのことを実践したといっているのである。「商品本性の諸法則が、商品所有者たちの自然本能においてみずからを実証したのだ。彼らは、彼らの諸商品を一般的等価物としての何らかの他の商品に対立的に連関させることによってのみ、それらを諸価値として、したがってまた諸商品として、相互に連関させることができる。このことは商品の分析によって明らかにされた。云々」といっているのがそれである。だがそれなら、なぜここでマルクスは、彼らは「当惑」したといっているのか? いうまでもなく、貨幣ができるまではさきに述べたような矛盾に当面せざるをえないからである。だからこそ彼らはまた、理論がかくすればかくなると教えるとおりに行動して、その媒介のために不可欠な貨幣を作り出すことになるのである。だがもしそうだとすると、、「彼らは考え【P25】る前にすでに行動した」といっているのはどういうわけか? いうまでもなく、貨幣は──商品生産のすべてのその他の関係と同様に──自然発生的なものであって反省の産物ではないということ、ブルジョア経済学者がしばしばいっているように「発明」されたものではないということを、いささかしゃれたいい方でいっているのにすぎない。これが上のように誤解されるということになると、しゃれもめったにいわれないことになる。もしマルクスが非難さるべきだとすれば、上のような誤解をする人が出てくる可能性を予想しなかったことであって、理論で説明できないことを実践に託して、理論的無能を暴露したことではないのである。

ところで、以上は「資本論」のばあいのことであるが、「経済学批判」ではそういうふうにはなっていない。ここには価値形態論は──少なくとも「資本論」に見出されるような価値形態論は──まだ存在していない。独立の項目として存在しないばかりでなく、内容からみても存在していない。「資本論」における簡単な価値形態、展開した価値形態、および一般的価値形態と同じような形態は、「経済学批判」でも同じ順序で展開されているのが見られるが、「資本論」ではさきにも述べたように、簡単な価値形態の分析のさいに価値形態そのものの基本的な問題が設定され解明されているのに反して、「経済学批判」ではそういうことは全然なされていない。そこでは単に、「一商品の交換価値はそれ自身の使用価値のうちにはあらわれてこない。とはいえ、一般的・社会的労働時間の対象化としては、一商品の使用価値は他の諸商品の使用価値に対して関係をもたされている。かくして、ある一商品の交換価値は、他の諸商品の使用価値でみずからを表現する、」(24頁)と説かれているにすぎない。相対的価値形態と等価形態との対立関係、価値表現の回り道、等価形態の独自性等、価値形態論で解明さるべき肝心要め【P26】の事柄が、ここでは全然問題にされていないのである。そしてそういう基本的な問題が解かれないままで、外見だけは「資本論」と同様な形態の発展が述べられているのである。そしてそれにつづいて、「資本論」にいわゆる「相対的価値形態の量的規定性」の問題が論じられ、それから次に交換過程の考察がおこなわれているのであるが、ここでマルクスは、交換過程の矛盾を順次に展開した末に、それが帰着する究極的な問題を次のように設定しているのである。
「どの商品も、その使用価値の、したがってその本源的実存の・譲渡によって、交換価値としての商品にふさわしい実存をうけとらなければならない、だから商品は、交換過程でその実存を二重化しなければならない。他方では、交換価値そのものとしての商品の第二の実存は、他の一商品であるほかはない。なぜなら、交換過程ではただ諸商品だけが対立するからである。では、どのようにしてある特殊な一商品が、直接に、対象化された一般的労働時間としてあらわれるか、あるいは同じことだが、どのようにしてある特殊な一商品に対象化されている個人的労働時間が、直接に一般性という性格をもつにいたるか?」(32頁。)
交換過程上の問題を結局こういう形に帰着させて設定した場合に、「資本論」であれば、それにたいする回答はすでに価値形態論であたえられている、といって答えることができるはずであるが、「経済学批判」ではそうはいかない。価値形態論らしいものはそのまえに展開されているが、それはけっして、上の問題に解答を与えるような性質のものではないからである。そこで「経済学批判」では、上の問題の設定につづいて、それにたいする回答が与えられることになるのであるが、そのさいマルクスは、リンネルの展開した価値形態に当たる式をかかげた後に、【P27】「商品が一定分量の対象化された一般的労働時間として考えられていたにすぎないかぎりで、上の表示は理論的であった。しかるに一般的等価物としての特殊な一商品の定在は、上の諸等式の系列を簡単に顛倒することによって、単なる抽象から、交換過程そのものの社会的結果となる、」といって答えるのである。だが顛倒するとなぜそうなるのか。いうまでもなく、今では相対的価値形態にあったリンネルが等価形態におかれることになるからである。だが等価形態におかれるとなぜそうなるのか? これは等価形態一般の、したがって価値形態一般の問題であり、顛倒以前に、のみならず展開された価値形態よりもさらに以前に、簡単な価値形態の分析のさいに解かれるべき問題である。ところが「経済学批判」では、すでに述べたごとく、それがなされていない。そこで、上の箇所で顛倒の効果を説くのであるが、顛倒すると上記のような効果が生じるという事実が、たんに確認されているのとどまり、「資本論」にくらべると、理論的な究明においてはるかに不徹底におわっているのである。
これについて参考になるのは、「資本論」初版の校正刷ができたときに、マルクスがそれをエンゲルスに送って意見をきいた、そのときに彼らのあいだにとり交わされた手紙である。すなわちエンゲルスは、1867年6月16日づけの手紙で、マルクスの要請にこたえて、価値形態論の部分についての感想をいろいろ述べているのであるが、そのなかで彼は、もっとこまかく区分して小見出しをつけることをすすめた後に、こういう感想を書いている。「以前の叙述(ドゥンケル)〔「経済学批判」をさす〕にくらべると、弁証法的展開の鋭さにおける進歩はひじょうに顕著であるが、叙述そのものでは、最初の姿のほうに好ましく思われる点がすくなくない。云々。」これに対してマルクスは、22日づけで返事を出しているが、そのなかでこういうふうにいっている。
【P28】価値形態の展開に関しては、君の忠告にしたがったし、またしたがわなかった、この点でも弁証法的にふるまうために。すなわち僕は、(1)、一つの付録を書いた。そのなかでは、同じことをできるだけ簡単に、そしてできるだけ学校教師的に述べる。(2)、君の忠告にしたがって、各前進命題を§等で別々の見出しで区分した。それから序文のなかで、『弁証法的でない』読者のために、x-y頁をとばしてその代わりに付録を読め、と書く。ここで問題になるのは俗物だけではなく、知識欲のある青年等である。そのうえ、事柄は本書の全体にとってあまりにも決定的だ。経済学者諸君は、これまで、きわめて簡単なことを見おとしてきた。それはすなわち、20エレのリンネル=1枚の上衣 は、20エレのリンネル=金2ポンドの未発展な基礎にほかならないということ、したがって、商品の価値がまだあらゆる他の商品に対する関係としてではなく、ただその商品自身の自然形態から区別されたものとして表現されているにすぎないところの、最も簡単な商品形態が、貨幣形態の全秘密を、したがってまた、核心において、労働生産物のあらゆるブルジョア的形態の全秘密を、含んでいるというということである。僕は最初の叙述(ドゥンケル)では、価値表現が発展して貨幣表現としてあらわれるに至ってはじめて価値表現の固有の分析をあたえることによって、展開の困難をさけたのである。」
ここでマルクスは、前著では「価値表現が発展して貨幣表現としてあらわれるに至ってはじめて価値表現の固有の分析をあたえた」といっているが、しかしそこで与えられている価値表現の分析は、前にも述べたように、けっして本格的なものではない。これが「資本論」では、現にその第1章の内容をなしているその他の諸問題とともに、本来「商品の分析」の領域に属する独自の問題として、交換過程論から分離して純粋の形で、徹底的に論じら【P29】れることになったのである。

以上が価値形態論と交換過程論との関係についてのわたくしの解釈である。これは前にも述べたように、ながいあいだこの関係がはっきりつかめないで苦しんだ末にようやく到達したものであって、わたくしとしては、どうやらこれで基本的なことはわかったつもりであるが、さきにも一言したように、いわゆる移行規定なるものが「経済批判」と「資本論」初版とにはあったのが、再版以後には見出されないので、なぜそれが削除されたかが問題になる。そしてこれについてはわたくしは、たしかにこうだといって答える自信をもっていない。純理論的に考えて答えうる問題でない上に、これについてはマルクス自身、どこでも何ともいっていないからである。だから想像するほかはないのであるが、さしあたり考えられるのは、価値形態論に加えられた変更である。「経済学批判」における価値形態論のありかたについては上に述べたが、「資本論」でも初版の本文では、価値形態の発展は一種独特の「形態Ⅳ」なるもので終わっていて、貨幣形態までは行っていない。「形態Ⅳ」というのは、リンネルについていわれることはどの商品についてもいわれるはずだとして、リンネルのほかに上衣、コーヒー、茶、等々の展開した形態をあらわす多くの等式を並記したものであって、これからマルクスは、「しかしこれらの等式の各々が顛倒すると、一般的等価物としての上衣、コーヒー、茶、等々が生じ、したがって、すべての他の商品の一般的相対的価値形態としての、上衣、コーヒー、茶、等々による価値表現が生じることになる、」と推論し、それからさらに次のように論じているのである。
「一般的等価形態は、つねにただ、すべての他の商品への対立において一商品に帰属するのであるが、しかし【P30】それは、すべての他の商品に対立する商品ならどれにでも帰属する。だがもし、どの商品もがそれ自身の自然形態を、すべての他の商品に対して、一般的等価形態として対立させるならば、すべての商品がすべての商品を一般的等価形態から排除することになり、したがってまた自分自身を、すべての商品の価値の大きさの社会的に妥当な表示から排除することになる。」(「資本論」初版、岩波文庫版86-87頁)
これが、「資本論」の初版の本文における「形態Ⅳ」と直接それに付随する議論であるが、これは一見すると、あたかも、一般的等価物の成立の不可能を論じているもののように解されるので、「形態Ⅲ」ですでに一般的等価物の成立を説きながら、なぜそういう議論を新たに展開するのか、わけがわからないことになる。そこで従来しばしば問題にされ、時にはマルクス批判の材料にもされたのであるが、これはわたくしの見るところでは、明らかに誤解にもとづくのである。ここのところでマルクスは、けっして、一般的等価物の成立の不可能を論じているのではない。そうではなくて、それまでに展開してきた価値形態論の結果を反省しているのであり、それによってその観点の抽象性にもとづく認識の限界を明らかにしより具体的な観点に立つ交換過程論との間の境界を暗示しているのである。価値形態論はリンネルを例にとって、それがどのような形態発展の過程を経て一般的等価物になるかを明らかにした。もしリンネルが一般的等価物になるとすれば、そういう過程を経てなったものと考えざるをえないのである。だがそのさいに用いた論証方法によるかぎり、リンネルに限らずどの商品でも同じ過程を経過しうることになり、そして同じ過程を経過するかぎり、どの商品でも一般的等価物になりうることになる。だが他面において、どの商品もが同時に一般的等価物になるわけにはいかない。もしすべての商品が同時に一般的等価物になり、【P31】一般的等価物としての特殊的相対的価値形態を展開するとすれば、「すべての商品がすべての商品を一般的等価形態から排除することになる」からである。だから、一般的等価物は特定の商品にかぎられなければならぬ。だが、一般的等価物が特定の商品にかぎられるためには、一般的等価形態をある特定の商品にのみ帰属させる──今までの考察のうちにははいってこなかった──ある別の要因の作用がなければならぬ。では、それは何であるか。これを論ずることは、「商品の分析」の一局面としての価値形態論の範囲には属しない。──大体こういう主旨のことを、上の箇所で、上のような形でいっているものと解されるのである(*1)。そして、さきに価値形態論と交換過程論の差異と関連とを論じるさいに援用した、交換過程論中の次の一節は、まさにこれに照応するものと見られるのである。「彼らは、彼らの商品を一般的等価物としての何らかの他の商品に対立的に連関させることによってのみ、それらを諸価値として、したがってまた諸商品として、相互に連関させることができる。このことは商品の分析によって明らかにされた。だが、ある一定の商品を一般的等価物たらしめるものは、社会的行為のみである。だから、他のすべての諸商品の社会的行動が、それらの諸商品が自分たちの諸価値を全面的に表示するための、ある一定の商品を排除するのである。かようにして、この商品の自然形態が、社会的に妥当な等価形態になる。一般的等価物たることが、社会的な過程によって、その排除された商品の独自的・社会的な機能になる。かくしてその商品は──貨幣になる。」

(*1) マルクスが上の箇所につづいて次のようにいっているのも、もちろん同じ主旨のものと解しなければならない。
「以上によって知られるごとく、商品の分析は価値形態のあらゆる本質的な諸規定と、その対立的諸契機における価値【P32】形態そのものを、一般的相対的価値形態、一般的等価形態を、最後に、簡単な相対的価値表現のけっして終結しない系列──それは最初は価値形態の発展における一通過段階を形成するが、結局、一般的等価物の特殊相対的価値形態に転変する──を明らかにする。だが商品の分析は、これらの諸形態を商品形態一般として明らかにしたのであって、したがってそれらはどの商品にでも帰属することになる。ただ、商品Aが一方の形態規定にあるときは、商品B、C等はそれに対して他の形態規定をとるというふうに、対立的にであるが。」(「資本論」初版、岩波文庫87頁。)
「形態Ⅳ」およびそれに付随するさきの考察が、「形態Ⅲ」についての反省であり、そこで与えられた一般的等価物の規定に関連して、価値形態論の抽象的性格を明らかににし、その認識の限界を暗示しているものとすれば、それにつづく上の一節は、さらに一般的に、それまでに展開してきた価値形態論の全体をかえりみながら、その抽象的性格を明らかにし、その認識の限界を暗示しているものといいうるであろう。

ところがさきにも述べたように、第4の形態はその後内容がすっかりかわって、前述の形態は姿を消し、そのかわりに「貨幣形態」が新たにとり入れられることになった。そしてそれと同時に、価値形態論の抽象性を指摘していると見られる、「形態Ⅳ」に付随する前掲の叙述もまた、姿を消したのである。そこで、なぜこのような変更がおこなわれたかが問題になるが、貨幣形態が新たにとり入れられることになったのは、おそらく、価値形態は貨幣形態においてはじめて完成されるのであり、現にわれわれの眼前に与えられているのも貨幣形態なのだから、価値形態論も貨幣形態まで行かないと具合がわるいというふうに、考え直されたためと思われる(*1)。そして、この貨幣形態の導入と同時に、従来の「形態Ⅳ」とそれに付随する叙述がとり除かれたのは、貨幣形態の一般的価値形態からの進歩は、もっぱら、「直接的な一般的交換可能性の形態または一般的等価形態が、いまや社会的慣習によって、商品金の独自な自然的形態と究極的に癒着したと、いう点」(75頁)にあるのであるから、──価値形態論の【P33】うちにそれを導入すると、以前に考えられていた価値形態論の限界が越えられることになり、価値形態論の抽象性に関する以前の反省も妥当しないことになる、と考えられたためと思われるのである。

(*1) 現行版の「資本論」では、価値形態論の序論的部分のうちに次のように論じられている。
「たれでも、他のことはなにも知らなくても、諸商品が、それらの諸使用価値の種々雑多な自然的諸形態ときわめて著しい対照をなすところの、一の共通な価値形態──貨幣形態──をもつということは、知っている。だが、ここで肝要なことは、ブルジョア経済学によっていまだかつて試みられなかった一事をなしとげることである。それはすなわち、この貨幣形態の発生を証明すること、すなわち、諸商品の価値関係のうちに含まれている価値表現の──最も簡単な最も目立たない姿態から燦爛たる貨幣形態にいたる──発展を追跡することにほかならない。それによって、同時に貨幣の謎も消滅する。」(「資本論」52-53頁。)
この種の叙述は、もちろん、初版には全然見出されない。

このように考えてくると、いわゆる移行規定が初版の本文にあってその後姿を消したのも、同じ事情によるものと思われてくる。一般的価値形態からの貨幣形態の進歩が、単に、「直接的な一般的交換可能性の形態または一般的な等価形態が、いまや社会的な慣習によって、商品金の独自な自然的形態と究極的に癒着した、という点」にのみあるものとすれば、あるいは、その直前のところに述べられているように、「形態Ⅳ〔貨幣形態〕は、いまやリンネルの代わりに金が一般的な等価形態をとっている、ということ以外には、形態Ⅲ〔一般的価値形態〕と何の区別もない」ものとすれば、両者の区別は形態そのものに関するものではなくて、一般的等価形態の事実上の帰属に関するものであり、したがって、単なる形態の分析によって立てられるものではなくて、一般的等価形態を【P34】特定の商品に帰属させる現実的な過程を前提して、はじめて立てられるのだということになる。そしてそういうことになると、第1章の観点の抽象的性格の規定をふくむ移行規定は、もはや妥当しないということになる。大体こういうふうな考慮から移行規定の削除は行なわれたのではないかと想像されるのである。少なくともわたくしには、それ以外の理由はちょっと想像できないのであるが、しかしそれにしても、貨幣形態の導入にともなう移行規定の削除は必然であったかというと、必ずしもそうであったとは思われない。もちろん、一般的等価形態がどの商品に帰属するかという問題は、一般的等価物そのものが如何にして成立するかという問題とは明らかにちがっている。後者は抽象的に論じられうる問題であるが、前者はそうではない。だがわれわれは、一般的等価形態がどのような事情のもとで、どのような理由から、究極的に金に癒着するに至ったかはしばらく問題外において(*1)、この癒着の事実を事実として認め、そのばあいにおける価値形態のあり方を、もっぱら形態の面から問題にすることもできるはずである。現にマルクスは、価値形態論における貨幣形態の考察のさいには、ただそれだけのことをしているにすぎない(*2)。そしてそうである以上、貨幣形態をとり入れたからといって、必ずしも移行規定の削除の必要があるとは思えないのである。最初にわたくしが、この問題については確かにこうだといって答える自信をもっていないといったのは、こういう事情があるからである。

(*1) この問題は交換過程論のうちで次のように論じられている。
「直接的な生産物交換においては、どの商品も、その所有者にとっては直接的に交換手段であり、その非所有者にとっては等価物であるが、しかしそうであるのは、その商品がその非所有者にとって使用価値である限りにおいてである。だから、交換財貨はそれ自身の使用価値または交換者の個人的欲望から独立する価値形態は、まだ受けとらない。かかる形【P35】態の必然性は、交換過程に入りこむ商品の数と多様性との増大するにつれて発展する。課題は、それの解決の手段と同時に発生する。商品所有者たちが彼ら自身の財貨を他の種々の財貨と交換したり比較したりする交易は、種々の商品所有者たちの種々の商品が、それらの交易の内部で一個同一の第三の商品種類と交換されかつ諸価値として比較されることなしには、けっして生じない。かかる第三の商品は、種々の他の商品の等価物となることによって、直接に──たとえ狭い限界内においてにせよ──一般的または社会的な等価形態を受けとる。この一般的な等価形態は、それを生ぜしめた一時的な社会的接触と、その発生および消滅をともにする。それはかわるがわる、かつ暫時的に、あれやこれやの商品に帰属する。だがそれは、商品交換の発展につれて、もっぱら、特殊的な商品種類にこびりつく、──または貨幣形態に結晶する。どんな商品種類にそれが膠着するかは、さしあたり偶然的である。しかし大体において二つの事情が決定的である。貨幣形態は、内部的諸生産物の交換価値の事実上自然発生的な現象形態たる最も重要な外部からの輸入諸財貨に付着するか、さもなければ、内部的な譲渡されうる財産の主要要素たる、たとえば家畜のごとき使用対象に付着する。……」
「商品交換がその全く地方的な繋縛を打破し、かくして商品価値が人間労働一般の物質化にまで拡がってゆくのと同じ割合で、貨幣形態は、生まれながらに一般的等価物の社会的機能に適する商品のうえに、貴金属の上に、移ってゆく。」
「さて、『金属は生まれながらに貨幣ではないが、貨幣は生まれながらに金銀である』ということは、金銀の自然的諸属性が貨幣の諸機能に適合していることを示す。……価値の、適当な現象形態たりうるもの、あるいは、抽象的な・したがって同等な・人間的労働の適当な物質化たりうるものは、その全見本が同じ均等な質を有する物質のみである。他面、価値の大いさの区別は純粋に量的なものであるから、貨幣商品は純粋に量的な区別のできるもの、つまり任意に分割できてその諸部分が再び合成できるものでなければならない。ところが、金銀は、生まれながらにこうした諸属性を具えている。」(「資本論」94-95頁。)
(*2) なおそのさいマルクスは
【P36】「さて、それの自然形態に等価形態が社会的に癒着している独自な商品種類は貨幣商品となる。すなわち貨幣として機能する。商品世界の内部で一般的等価物の役割を演じることが、この商品種類の独自的・社会的機能となり、したがって、その社会的独占となる。この選ばれた地位を歴史上でかち得たものは、形態Ⅱではリンネルの特殊的な諸等価として現われ形態Ⅲではそれらの相対的価値を共同的にリンネルで表現するところの、諸商品のうちの一定の商品、すなわち金である。かくして、形態Ⅲにおいて商品リンネルの代わりに商品金を置くならば、吾々はつぎの形態を受けとる。」(「資本論」75頁。)
といい、「D、貨幣形態」として、左辺に無数の商品がたち、右辺に金が置かれている式をかかげ、それにつづいて、さきに一部を引用したように、
「形態Ⅰから形態Ⅱへの、形態Ⅱから形態Ⅲへの、移行にさいしては、本質的な諸変化が生じる。これに反し形態Ⅳは、いまやリンネルの代わりに金が一般的な等価形態をとっているということ以外には、形態Ⅲと何の区別もない。金は形態Ⅳにおいては、依然として、リンネルが形態Ⅲにおいてそうだったもの──一般的な等価物である。進歩はただ、直接的な一般的交換可能性の形態または一般的な等価形態が、いまや社会的慣習により、商品金の独自な自然的形態と究極的に癒着した、という点だけである。」(75頁。)
といっているのである。だが貨幣形態はけっしてこのままにとどまるのではない。すなわちマルクスは、すぐあとから次のようにつけ加えているのである。
「一商品たとえばリンネルの、すでに貨幣商品として機能しつつある商品たとえば金での簡単な相対的価値表現は、価格形態である。だからリンネルの『価格形態』は、──
20エレのリンネル=2オンスの金
である。あるいは、2ポンドが2オンスの金の鋳貨名であるならば、──
20エレのリンネル=2ポンド
【P37】である。」(76頁。)
第3章第1節の「価値の尺度」のところでは、一層くわしく次のように論じている。
「金によっての一商品の価値表現──x商品A=y貨幣商品──は、その商品の貨幣形態、またはその商品の価格である。鉄価値を社会的に妥当に表示するためには、いまや、1トンの鉄=2オンスの金 というが如き、単独な一方程式で充分である。この方程式はもはや、他の諸商品の価値諸方程式と隊伍をくむ必要はない、──けだし、等価商品たる金は貨幣の性格を帯びているのだから。」したがって、諸商品の一般的な相対的価値形態は、いまや再び、その最初の、簡単なまたは単独な、相対的価値形態の姿態をもつ。」(100頁。)
すなわち貨幣形態は、本来的には一般的等価形態と同じ姿態をもつとはいえ、けっしてそれにとどまるものではなく、一般的等価形態への金への癒着がひとたび完成して、「商品世界の内部で一般的等価物の役割を演じることが」金の「独自的・社会的な機能となり、したがってその社会的な独占となる」と一般的な相対的価値形態を左辺の諸商品の隊伍は分解して、最初の簡単な価値形態と同じ姿の価格形態になるのである。そしてこれこそは、現にわれわれの前にあたえられている商品価値の現実の形態であり、価値形態の完成した姿なのである。だからこれを論じることは、価値形態論の当然の任務でなければならない。すなわち貨幣形態は、純然たる形態の見地からしても、一般的価値形態から区別して論じられうるばかりでなく、区別して論じられる必要があるのである。なおこの問題については第3章(本書後篇の3)をも参照されたい。

以上で表題にかかげた問題についての予定の話は終わったのであるが、最初に一言したように、第3章の貨幣論に先立って貨幣に論及している箇所は、、価値形態論と交換過程論のほかになお一箇所──物神性論がある。そこでついでに、これについての私の考えをつけ加えておきたいと思うのであるが、物神性論もまた価値形態論と同様に、第1章「商品」のうちに見出されるので、まず、それがどういうわけで第1章のうちに収められており、【P38】どういう点で第1章のうちの他の諸節──とりわけ第3節の価値形態論──とちがうかを考えてみることにしよう。
すでに述べたごとく、第1章「商品」は、商品の分析による研究の場であり、そして商品の分析は、当然、生産物が商品としてあらわれる形態の分析によって行われるのであるが、この分析に当たっては、まず第一に、商品は二重のものであるということ、すなわち使用価値でありかつ交換価値であるということが明らかにされる。だがこのうちの使用価値の方については、立ち入った考察は行われない。それは社会的生産関係の担い手にはなるが、それ自体としてはなんらの社会的生産関係をあらわさないからである。したがって、より以上の分析はもっぱら交換価値について進められることになる。ところで、交換価値の最も簡単な姿は、x量の商品A=y量の商品B である。そこでマルクスは、これを分析していくのであるが、彼は最初にまず、この式の両辺に置かれている商品は使用価値としては異なっているのにここでは等しいとされているという点に注目して分析を進め、両者に共通なものは何であり、その大きさは何できまるかを究明する。これが第1節「商品の二要因──使用価値と価値(価値の実体、価値の大いさ)の研究である。次の第2節「商品で表示される労働の二重性格」は、第1節の分析で、商品の二要因としての使用価値と価値との区別と、価値を形成する労働の抽象的性格が明らかになったので、さらに一歩を進めて、使用価値を形成する労働と価値を形成する労働との──同じ商品を生産する労働の二重性格としての──対立的関係を明らかにしたものであり、第1節の分析をさらに徹底させたものと見ることができる。ところが、第3節──「価値形態」──では、やはり同じ等式が分析されるのであるが、その視角がちがっている。すなわちさきには、両辺の商品には同じ大いさのある共通なものがなければならないという見地から分析がおこなわれ、【P39】それが何であるかが究明されたのに反して、ここでは、両辺にある商品が等式内で演じているちがった役割に、すなわち左辺にある商品の価値が右辺にある商品の使用価値で表示されているのだという点に注目して、分析がおこなわれ、商品の価値がいかにして他商品の使用価値で──進んでは貨幣商品の一定量という形で一般的に──表示されうるかが究明されているのである。ではその次の第4節──これが問題の物神性論、正確には「商品の物神的性格とその秘密」であるが──はどうかというと、これもまた同じ等式の分析であるが、その観点がもひとつちがっている。すなわち、「価値の実体」のところでは、この等式で表現されているものが何であるかが問題にされ、「価値形態」のところでは、その表現の如何にしてが問題にされているものとすれば、ここではその何故が問題にされているのだということができるであろう。マルクスがそこでいっているように、「なるほど経済学は、不完全にではあるが価値および価値の大いさを分析して、これらの形式のうちにかくされている内容を発見した。だが経済学は、何故この内容がかの形式をとるか、すなわち、何故労働が価値において、またその時間的継続による労働の度量が労働生産物の価値の大いさにおいて、自らを表示するか? という問題を、かつて提起したことさえもない。」(85-87頁。)この、かつて提起されたことのない問題を、マルクスはここで問題にしているのである。そしてこれを論じることは同時にまた、何故商品の価値は──この商品の価値は何労働時間であるというふうに──直接労働時間では表示されないで、その商品に等置される他商品の物量という形で、そして結局においては、現にわれわれが見る如く貨幣商品──金──の分量、すなわち金何円という形で表示されざるをえないのか、という問題を論じることにもなるわけであるから、特に貨幣への関連についていえば、価値形態論では貨幣の「如何に【P40】して」が論じられているのに対して、物神性論ではその「何故」が論じられているのだということもできるであろう。
なお、これらに対する交換過程論の特徴は、さきに価値形態論と交換過程論との差異を論じるさいに述べたところを想起されればおのずから明らかであると思うのであるが、念のためにいま一度くりかえすと、そのさいわたくしは次のように述べたのである。「資本論」の第1章は商品の分析による研究の場であり、そして商品の分析は、当然、生産物が商品としてあらわれる形態の分析によって行われるが、そうした形態そのものが問題であるかぎりでは、商品はまだ運動の過程にはない。使用価値として、それを必要とする他の商品所有者の手に移っていく過程にもなければ、価値として、所有者の必要とする他の商品に現実に転化する過程にもない。言葉をかえていえば、使用価値としても価値としても、実現はまだ問題にならず、したがって、そういう二重のものとしての実現のあいだの矛盾の関係もまた、問題にはなりえない。すべてこれらのことは、交換の過程においてはじめて問題になるのである。価値形態論でも貨幣の形成が論じられるが、そこでの問題は貨幣形成の「如何にして」であって、「何によって」ではない。言葉をかえていえば、特殊の一商品である金が如何にして一般的等価物に──すなわち、その自然形態がそのまま価値として通用するものに──なるかであって、そういうものが何によって必要とされ、形成されるかではない。──大体以上のように前には述べたのであるが、今やわれわれは次のようにいうことができる。価値形態論では貨幣の「如何にして」が論じられ、物神性論ではその「何故」が論じられるのに対して、交換過程論ではその「何によって」が論じられるのであると。マルクス自身も、資本論の第2章「交換過程」の終わりに近いところ(それ【P41】は第3章の貨幣論の直前のところであり、したがってまた、第3章以前の貨幣に関する考察の最後のところにあたる)にこう書いている。「困難は、貨幣が商品であることを把握する点にあるのではなく、如何にして、何故に、何によって wie, warum, wodurch 商品が貨幣であるかを把握する点にある。」(98頁)ここでのこれらの三つの困難の指摘が、同時に、彼自身が見事にそれらを克服したことを暗示していることは明らかであるが、どこでそれをなしとげたかについてはなんらの暗示をあたえていない。わたくしは、この「如何にして」と「何故に」と「何によって」とが、それぞれ、第1章の第3節と第4節と第2章とで答えられているものと解するわけであるが、これによるとマルクスは、ここで三つの困難を指摘したさいに、彼がそれらを「資本論」で克服した順序にしたがってあげたのだ、ということになるであろう。
なお、ここでついでに一言しておきたいと思うことは、これら三つの問題は、マルクスが論理のシェーマといったふうなものによって、いたずらにでっちあげたものではなくて、そのいずれを解決しないでも貨幣に関する認識は十分でありえないところの、そして現に、それらを解決しえなかったために従来の経済学がさまざまな誤謬におちいったところの、現実的な問題だということである。解決すべき現実的な問題がまずあって、それからはじめて、いかにしてそれを解決し、どこでどのように論述するかが問題になるので、その逆ではないのである。だから、問題そのものの意義を理解しない者には、せっかくの解決も猫に小判ということになる。いたずらにスコラ的な議論をしているもののように思われるか、そうでなければ、ヘーゲル的な「論理のあゆみ」がつらぬかれているかどうかといったようなことを興味の中心にしてかれこれいうことになる。マルクスはかつてラッサールのヘラクライ【P42】トス論を読んでその感想をエンゲルスに次のように伝えているが、これは十分玩味されて然るべきものと思う。
*〔このラッサールの著書のなかには、〕万物の反対物への転化を明らかにするために「ヘラクライトス・デル・ドゥンクレ」がいった次の言葉が出てくる。「かくして金は万物に転化し、万物は金に転化する。」ラッサールはいう、金はここでは貨幣であり(これは正しい)、貨幣は価値である、と。だからそれは理念的なもの、一般的なもの、一なるものであり、諸物は実在的なもの、特殊性、多なるものである。この驚くべき洞見を、彼はひどく長い注で、経済学における彼の発見の予告のために利用している。言々<げんげん>みなまちがいだが、自信たっぷりに書いている。僕はこの一つの注から、彼が次の大著で経済学をヘーゲル的に講ずるつもりでいることがわかる。だが彼は身にしみてわかるだろう、批判によってはじめて一の科学を、弁証法的に叙述しうる点にまでもちきたすことは、ある抽象的な、出来合いの論理の体系を、そうした体系の漠然とした予想に適用することとはまるで別のことだということを。(1852年2月1日付エンゲルス宛の手紙。)

最後に、以上に考察した三論と、第3章「貨幣または商品流通」との関係が問題になる。第3章は本格的な貨幣論でそれ以前のものは序論的なものと考えるのが当然であるにしても、このばあい序論と本論とのあいだにはどのような本質的な区別があるのか。これも、表題に掲げたテーマの範囲外のことであるが、最初にあげた問題点のひとつなので、簡単にわたくしの考えをつけ加えておくことにしよう。わたくしの見るところでは、貨幣は第3章になってはじめて、一定の機能をおこなうサブゼクト<主体>としてあらわれることになる。第1章および第2章では、サブゼクトとしてあらわれるものは商品であって貨幣ではない。貨幣はたんに、商品がその矛盾を媒介するために必然【P43】的につくりだすものとして出てくるにすぎない。ところが第3章では、このようにして作り出された貨幣が、今度は一定の機能をおこなう主体としてあらわれることになる。両者のあいだの本質的なちがいは、一言にしていえば、こういう点にあるものということができると思うのである。

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2015年1月12日