第3章第3節「貨幣」(全集版)

【P169】
第3節 貨幣

価値尺度として機能し、したがってまた自分の肉体でかまたは代理物によって流通手段として機能する商品は、【P170】貨幣である。それゆえ、金(または銀)は貨幣である。金が貨幣として機能するのは、一方では、その金の(または銀の)肉体のままで、したがって貨幣商品として、現われなければならない場合、すなわち価値尺度の場合のように単に観念的にでもなく流通手段の場合のように代理可能にでもなく現われなければならない場合であり、他方では、その機能が金自身によって行なわれるか代理物によって行なわれるかにかかわりなく、その機能が金を唯一の価値姿態または交換価値の唯一の適当な定在として、単なる使用価値としての他のすべての商品に対立させて固定する場合である。

a 貨幣蓄蔵

二つの反対の商品変態の連続的な循環、または売りと買いとの流動的な転換は、貨幣の無休の流通、または流通の永久自動機関としての貨幣の機能に現われる。変態列が中断され、売りが、それに続く買いによって補われなければ、貨幣は不動化され、または、ボアギュベールの言うところでは、可動物から不動物に、鋳貨から貨幣に、転化する。
商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の産物、商品の転化した姿態または商品の金蛹を固持する必要と情熱とが発展する(*86)。商品は、商品を買うためにではなく、商品形態を貨幣形態と取り替えるために、売られるようになる。この形態転換は、物質代謝の単なる媒介から自己目的になる。商品の離脱した姿は、商品の絶対的に譲渡可能な姿またはただ瞬間的な貨幣形態として機能することを妨げられる。こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に化石し、商品の売り手は貨幣蓄蔵者になるのである。
(*86)「貨幣での富は……貨幣に変えられた生産物での富にほかならない。」(メルシエ・ド・ラ・リヴィエール『政治社会の【P171】自然的および本質的秩序』、……。)「生産物という形での価値は、ただ形態を取り替えただけである。」(同前、……。)

商品流通が始まったばかりのときには、ただ使用価値の余剰分だけが貨幣に転化する。こうして、金銀は、おのずから、有り余るものまたは富の社会的な表現になる。このような貨幣蓄蔵の素朴な形態が永久化されるのは、かたく閉ざされた欲望範囲が伝統的な自給自足的な生産様式に対応している諸民族の場合である。たとえば、アジア人、ことにインド人の場合がそうである。ヴァンダリントは、商品価格は一国に存在する金銀の量によって規定されると妄信しているのであるが、彼は、なぜインドの商品はあんなに安いのか? と自問する。答えは、インド人は貨幣を埋蔵するからだ、というのである。彼の言うところでは、1602-1734年に、インド人は1億5000万ポンド・スターリングの銀を埋めたが、それは元来はアメリカからヨーロッパに来たものだった(*87)。1856-1866年に、つまり10年間に、イギリスはインドとシナに(シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる)1億2000万ポンド・スターリングの銀を輸出したが、この銀は以前にオーストラリアの金と交換してえられたものだった。
(*87) 「このような手段によって、彼らはすべての彼らの財貨と製品とをあんなに低い価格水準に保っているのである。」(ヴァンダリント『貨幣万能論』、……。)

商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる(*88)。彼の欲望は絶えず更新され、絶えず他人の商品を買うことを命ずるが、彼自身の商品の生産と販売は、時間がかかり、また偶然に左右される。彼は、売ることなしに買うためには、まえもって、買うことなしに売っていなければならない。このような操作は、もし一般的な規模で行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える。しかし、貴金属はその生産源では直接に他の諸商品と交換される。ここで【P172】は、売り(商品所持者の側での)が、買い(金銀所持者の側での)なしに行なわれる(*89)。そして、それ以後の、あとに買いの続かない売りは、ただすべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するだけである。こうして、交易のすべての点に、大小さまざまな金銀蓄蔵が生ずる。商品を交換価値として、または交換価値を商品として固持する可能性とともに、黄金欲が目ざめてくる。商品流通の拡大につれて、貨幣の力が、すなわち富のいつでも出動できる絶対的に社会的な形態の力が、増大する。
「金はすばらしいものだ! それをもっている人は、自分が望むすべてのものの主人である。そのうえ、金によって魂を天国に行かせることさえできる。」(コロンブス『ジャマイカからの手紙』1503年)
貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。流通は、大きな社会的な坩堝となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶になって出てくる。この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物にいたっては、、なおさらである(*90)。貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである(*91)。しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有物にでもなれる外的な物である。こうして、社会的な力が個人の個人的な力になるのである。それだからこそ、古代社会は貨幣をその道徳的秩序の破壊者として非難するのである(*92)。すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は(*93)、黄金の聖杯をその固有の生活原理の光り輝く化身としてたたえるのである。
(*88) 「貨幣は一つの質物である。」(ジョン・ベラーズ『貧民、製造工業、商業、植民および飛行に関する論考』、……【P173】1699年、……。)
(*89) すなわち、範疇的な意味での買いは、すでに金銀を、商品の転化した姿として、または売りの産物として、前提するからである。
(*90) もっともキリスト教的なフランス王アンリ3世は、修道院などから聖遺物を盗んできてそれを貨幣に変えている。フォーキス人〔ギリシャ中部の住人〕によるデルフォイ神殿の財産の略奪がギリシャの歴史のなかでどんな役割を演じているかは、人の知るところである。周知のように、古代人のあいだでは、商品の神には神殿が住居として役だった。神殿は「神聖な両替台」だった。特にきわだって商業民族であったフェニキア人には、貨幣は、あらゆる物の離脱した姿として認められた。だから、愛の女神の祭りの日に他国民に身をまかせた乙女たちが、報酬として受けた貨幣を女神にささげたのは、当然のことだったのである。
(*91) 「黄金、黄色い、ギラギラする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。…神たち! なんとどうです? これがこれっくらいありゃ、神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っぱってゆかれてしまいますぞ。まだ大丈夫という病人の頭の下から枕をひっこぬいてゆきますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編みあげもすりゃ、ひきちぎりもする。いまわしい奴をありがたい男にもする。白癩病みも拝ませる、盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰あたりの土くれめ、……淫売め。(シェークスピア『アゼンスのタイモン』……。)
(*92) 「まったく、世のきまりとなったものにも、黄金ほど人間にとって禍なしろものはない。国は攻め取られ、男どもは家から追い立てられる。また往々にしてまともな心を迷わせ、恥ずべき所業へと向かわせる。それは人々に奸智にたけた厚かましさを、いかな悪行にも恥じない不敬な業を教えこむのだ。」(ソフォクレス『アンティゴネ』。……。)
(*93) 「貪欲はプルトンそのものを地の中から引きだそうとする。」(アテナイオス『学者の饗宴』。……)

【P174】使用価値としての商品は、ある特殊な欲望を満足させ、素材的な富の一つの特殊な要素をなしている。ところが、商品の価値は、素材的な富のすべての要素にたいするその商品の引力の程度を表わし、したがってその商品の所有者の社会的な富の大きさを表わしている。未開の単純な商品所有者にとっては、また西ヨーロッパの農民にとってさえも、価値は価値形態から不可分なものであり、したがって金銀蓄蔵の増加は価値の増加である。もちろん、貨幣の価値は変動する。それ自身の価値変動の結果であるにせよ、諸商品の価値変動の結果であるにせよ。しかし、このことは、一方では、相変わらず200オンスの金は100オンスの金よりも、300オンスの金は200オンスの金よりも大きな価値を含んでいるということを妨げるものではなく、他方では、この物の金属的現物形態がすべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身であるということを妨げるものではない。貨幣蓄蔵の衝動はその本性上無際限である。質的には、またその形態から見れば、貨幣は無制限である。すなわち、素材的な富の一般的な代表者である。貨幣はどんな商品にも直接に転換されうるからである。しかし、同時に、どの現実の貨幣額も、量的に制限されており、したがってまた、ただ効力を制限された購買手段でしかない。このような、貨幣の量的な制限と質的な無制限との矛盾は、貨幣蓄蔵者を絶えず蓄積のシシュフォス労働へと追い返す。彼は、いくら新たな征服によって国土を広げても国境をなくすことのできない世界征服者のようなものである。
金を、貨幣として、したがって貨幣蓄蔵の要素として、固持するためには、流通することを、または購買手段として享楽手段になってしまうことを、妨げなければならない。それだから、貨幣蓄蔵者は黄金呪物のために自分の肉体の欲望を犠牲にするのである。彼は禁欲の福音を真剣に考える。他方では、彼が貨幣として流通から引きあげることのできるものは、ただ、彼が商品として流通に投ずるものだけである。彼は、より多く生産すればするほど、より多く売ることができる。それだから、勤勉と節約と貪欲とが彼の主徳をなすのであり、たくさん売って少なく買うことが彼の経済学の全体をなすのである(*94)。
【P175】(*94) 「それぞれの商品の売り手の数をできるだけ増やし、買い手の数をできるだけ減らすことは、経済学のあらゆる方策の回転軸である。(ヴェリ『経済学に関する考察』、……。)

蓄蔵貨幣の直接的な形態と並んで、その美的な形態、金銀商品の所有がある。それは、ブルジョア社会の富とともに増大する。「金持ちになろう。さもなければ、金持ちらしく見せかけよう。」(ディドロ)こうして、一方では、金銀の絶えず拡大される市場が、金銀の貨幣機能にはかかわりなく形成され、他方では、貨幣の潜在的な供給源が形成されて、それが、ことに社会的な荒天気には、流出するのである。
貨幣蓄蔵は金属流通の経済ではいろいろな機能を果たす。まず第一の機能は、金銀鋳貨の流通条件から生ずる。すでに見たように、商品流通が規模や価格や速度において絶えず変動するのにつれて、貨幣の流通量も休みなく満ち干きする。だから、貨幣流通量は、収縮し膨張することができなければならない。あるときは貨幣が鋳貨として引き寄せられ、あるときは鋳貨が貨幣としてはじき出されなければならない。現実に流通する貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に適合しているようにするためには、一国にある金銀量は、現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくならねばならない。この条件は、貨幣の蓄蔵貨幣形態によって満たされる。蓄蔵貨幣貯水池は流通する貨幣の流出流入の水路として同時に役だつのであり、したがって、流通する貨幣がその流通水路からあふれることはないのである(*95)。
(*95) 「一国の商業をやっていくためには一定額の金属貨幣が必要であるが、この額は変動し、事情の必要に応じてあるときはより多く、あるときはより少なくなる。……このような貨幣の干満運動は、政治家の助力なしに、ひとりでに調節される。……つるべはかわるがわる働く。貨幣が欠乏すれば地金が鋳造される。地金が欠乏すれば貨幣が鋳潰される。」(サー・D・ノース『交易論』、……。)長く東インド会社の職員をやっていたジョン・スチュアート・ミルは、インドでは相変わらず銀の装飾品が直接に蓄蔵貨幣として機能していることを確【P176】認している。「銀の装飾品は、利子率が高ければ持ちだされて鋳造され、利子率が低くなればまた帰って行く。」(J・S・ミルの証言、……。)インドにおける金銀の輸出入に関する1864年の議会文書によれば、1863年には金銀の輸入は輸出を1936万7764ポンド・スターリング超過した。1864年までの最近の8年間には、貴金属の輸出にたいする輸入の超過は、1億0965万2917ポンド・スターリングだった。今世紀中には2億ポンド・スターリングよりもずっと多くがインドで鋳造された。

b 支払手段

これまでに考察した商品流通の直接的形態では、同じ大きさの価値量がいつでも二重に存在していた。すなわち一方の極に商品があり、反対の極に貨幣があった。したがって、商品所持者たちは、ただ、現に双方の側にある等価物の代表者として接触しただけだった。ところが、商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展する。ここでは、これらの事情の最も単純なものを示唆するだけで十分である。一方の商品種類はその生産により長い時間を、他方の商品種類はより短い時間を必要とする。商品が違えば、それらの生産は違った季節に結びつけられている。一方の商品は、それの市場がある場所で生まれ、他方の商品は遠隔の市場に旅しなければならない。したがって、一方の商品所持者は、他方が買い手として現われる前に、売り手として現われることができる。同じ取引が同じ人々のあいだで絶えず繰り返される場合には、商品の販売条件は商品の生産条件にしたがって調整される。他方では、ある種の商品の利用、たとえば家屋の利用は、一定の期間を定めて売られる。その期限が過ぎてからはじめて買い手はその商品の使用価値を現実に受け取ったことになる。それゆえ、買い手は、その代価を支払う前に、それを買うわけである。一方の商品所持者は、現にある商品を売り、他方は、【P177】貨幣の単なる代表者として、または将来の代表者として、買うわけである。売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。ここでは、商品の変態または商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取るのである。貨幣は支払手段になる(*96)
(*96) ルターは、購買手段としての貨幣と支払い手段としての貨幣とを区別している。「汝は私に、私がここで支払うこともあそこで買うこともできないという、二重の損害を与える。」(マルティン・ルター『牧師諸君へ、高利に反対して、戒め』、……1540年。)

債権者または債務者という役割は、ここでは単純な商品流通から生ずる。この商品流通の形態の変化が売り手と買い手とにこの新しい極印をおすのである。だから、さしあたりは、それは、売り手や買い手という役割と同じように、一時的な、そして同じ流通当事者たちによってかわるがわる演ぜられる役割である。とはいえ、対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう結晶しやすいものである(*97)。しかしまた、同じこれらの役割は商品流通にかかわりなく現われることもありうる。たとえば、古代ローマの階級闘争は、主として債権者と債務者との闘争という形で行なわれ、そしてローマでは平民債務者の没落で終わり、この債務者は奴隷によって代わられるのである。中世には闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は彼の政治権力をその経済的基盤とともに失うのである。ともあれ、貨幣形態──債権者と債務者の関係は一つの貨幣関係の形態をもっている──は、ここでは、ただ、もっと深く根ざしている経済的生活条件の敵対的関係を反映しているだけである。
(*97) 18世紀のはじめのイギリス商人のあいだの債務者と債権者との関係について次のように言われている。「このイギリスで商人のあいだで支配している残酷な精神というものは、ほかのどんな人類社会でも、世界じゅうのほかのどんな国でも、見られないほどのものである。」(『信用および破産法に関する一論』、……1707年。)

商品流通の部面に帰ろう。商品と貨幣という二つの等価物が売りの過程の両極に現われることはなくなっ【P178】た。いまや貨幣は、第一には、売られる商品の価格決定において価値尺度として機能する。契約によって確定されたその商品の価格は、買い手の債務、すなわち定められた期限に彼が支払わなければならない貨幣額の大きさを示す。貨幣は、第二には、観念的な購買手段として機能する。それはただ買い手の貨幣約束のうちに存在するだけだとはいえ、商品の持ち手変換をひき起こす。支払期限がきたときはじめて支払手段が現実に流通にはいってくる。すなわち買い手から売り手に移る。流通手段は蓄蔵貨幣に転化した。というのは流通過程が第一段階で中断したからであり、言いかえれば、商品の転化した姿が流通から引きあげられたからである。支払手段は流通にはいってくるが、しかし、それは商品がすでに流通から出て行ってからのことである。貨幣はもはや過程を媒介しない。貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、過程を独立に閉じる。売り手が商品を貨幣に転化させたのは、貨幣によって或る欲望を満足させるためであり、貨幣蓄蔵者がそうしたのは、商品を貨幣形態で保存するためであり、債務を負った買い手がそうしたのは、支払いができるようになるためだった。もし彼が支払わなければ、彼の持ち物の強制売却が行なわれる。つまり、商品の価値姿態、貨幣は、いまでは、流通過程そのものの諸関係から発生する社会的必然によって、売りの自己目的になるのである。
買い手は自分が商品を貨幣に転化させる前に貨幣を商品に再転化させる。すなわち、第一の商品変態よりも先に第二の商品変態を行なう。売り手の商品は流通するが、その価格をただ私法上の貨幣請求権に実現するだけである。その商品は貨幣に転化する前に使用価値に転化する。その商品の第一の変態はあとからはじめて実行されるのである(*98)。
(*98) 第2版への注。私が本文でこれと反対の形態を考慮にいれなかった理由は、1859年に刊行された私の著書からとった次の引用文によって明らかになるであろう。「逆に、過程G─Wでは、貨幣が現実の購買手段として手放されて、商品の価格が、貨幣の使用価値が実現される前に、または商品が引き渡される前に、実現されることがありうる。これは、たとえ【P179】ば日常見られる前払いという形で行なわれる。またはイギリス政府がインドで農民の阿片を買う場合の形で……。だが、この場合には、貨幣は、ただ、購買手段というすでに知られている形態で働くだけである。……資本は、もちろん、貨幣の形態でも前貸しされる。……しかし、この観点は単純な流通の視野にははいってこないのである。」(カール・マルクス『経済学批判』、……〔第13巻、117原P〕。)

流通過程のどの一定期間にも、満期になった所債務は、その売りによってこれらの債務が生まれた諸商品の価格総額を表わしている。この価格総額の実現に必要な貨幣量は、まず第一に支払手段の流通速度によって定まる。この流通速度は二つの事情に制約されている。第一には、Aが自分の債務者Bから貨幣を受け取って次にこの貨幣を自分の債権者Cに支払うというような、債権者と債務者との関係の連鎖であり、第二には支払期限と支払期限とのあいだの時間の長さである。いろいろな支払いの連鎖、すなわちあとから行なわれる第一の変態の連鎖は、さきに考察した諸変態列のからみ合いとは本質的に違っている。流通手段の流通では、売り手と買い手との関連がただ表現されているだけではない。この関連そのものが、貨幣流通において、また貨幣流通ともに、はじめて成立するのである。これに反して、支払手段の運動は、すでにそれ以前にできあがっている社会的な関連を表わしているのである。
多くの売りが同時に並んで行なわれることは、流通速度が鋳貨量の代わりをすることを制限する。反対に、このことは支払手段の節約の一つの新しい梃子になる。同じ場所に諸支払が集中されるにつれて、自然発生的に諸支払の決済のための固有な施設と方法とが発達してくる。たとえば、中世のリヨンの振替がそれである。AのBにたいする、BのCにたいする、CのAにたいする、等々の債権は、ただ対照されるだけで或る金額までは正量と負量として相殺されることができる。こうして、あとに残った債務差額だけが清算されればよいことになる。諸支払の集中が大量になればなるほど、相対的に差額は小さくなり、したがって流通する支払手段の量も小さくな【P180】るのである。
支払手段としての貨幣の機能は、媒介されない矛盾をふくんでいる。諸支払が相殺されるかぎり、貨幣は、ただ観念的に計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。現実の支払いがなされなければならないかぎりでは、貨幣は、流通手段として、すなわち物質代謝のただ瞬間的な媒介的な形態として現われるのではなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の独立な定在、絶対的商品として現われるのである。この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する(*99)。貨幣恐慌が起きるのは、ただ、諸支払の連鎖と諸支払の決済の人工的な組織とが十分に発達している場合だけのことである。この機構の比較的一般的な攪乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然、媒介なしに、計算貨幣というただ観念的な姿から堅い貨幣に一変する。それは、卑俗な商品では代わることのできないものになる。商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態の前に影を失う。たったいままで、ブルジョアは、繁栄に酔い開化を自負して、貨幣などは空虚な妄想だと断言していた。商品こそは貨幣だ、と。いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ! という声が響きわたる。鹿が清水を求めて鳴くように、彼の魂は、この唯一の富を求めて叫ぶ(*100)。恐慌の時には、商品とその価値姿態すなわち貨幣との矛盾は、絶対的な矛盾にまで高められる。したがってまた、そこでは貨幣の現象形態がなんであろうとかまわない。支払いに用いられるのがなんであろうと、金であろうと、銀行券などの信用貨幣であろうと、貨幣飢饉に変わりはないのである(*101)。
(*99) 本文ですべての一般的な生産・商業恐慌の特別な段階として規定されている貨幣恐慌は、やはり貨幣恐慌と呼ばれてはいても独立な現われることのある、したがって産業や商業にはただはね返り的に作用するだけの特殊な種類の恐慌とは、十分に区別されなければならない。このあとのほうの恐慌は、貨幣資本がその運動の中心となり、したがって銀行や取引所や金融界がその直接の部面となるものである。(第3版へのマルクスの注。)
【P181】(*100) 「このような、信用主義から重金主義への突然の変化は、実際のパニックのうえに理論的な恐慌をつけ加える。」(カール・マルクス『経済学批判』……〔第13巻、123原P。〕)「貧乏人がなにもしないのは、金持ちが彼らを雇う貨幣をもっていないからである。といっても、金持ちは、食物や衣服を供給するための土地や人手は以前と同じにもってはいるのだが。これらのものこそ一国の真の富なのであって、貨幣がそうなのではない。」(ジョン・ベラーズ『産業専門学校設立提案』、……1696年。)
(*101) このような瞬間が「商業の友」によって、どのように利用されるか。「あるおりに」(1839年)「ある握り屋の老銀行家(ロンドン・シティの)が、その私室で、自分が向かっていた机のふたをあけて、一人の友人に幾束かの銀行券を示しながら、非常にうれしそうに言った。ここに60万ポンドあるが、これは金詰りにするためにしまっておいたもので、今日の3時以後にはみな出してしまうのだ、と。」(H・ロイ著『取引所の理論。1844年の銀行特許法』、ロンドン、1864年、81頁。半ば政府機関紙である『ジ・オブザーバー』紙の1864年4月24日号は、次のように述べている、「銀行券の欠乏を生じさせるためにとられた手段について、ひどく奇妙なうわさがいくつか流れている。……なにかこの種のトリックが用いられるなどと想像することはどうかと思われるとはいえ、うわさは相当に広まっており、たしかに言及に値するものである。」

次に、与えられた一期間に流通する貨幣の総額を見れば、それは、流通手段および支払手段の流通速度が与えられていれば、実現されるべき商品価格の総額に、満期になった諸支払の総額を加え、そこから相殺される諸支払を引き、最後に、同じ貨幣片が流通手段の機能と支払手段の機能とを交互に果たす回数だけの流通額を引いたものに等しい。たとえば、農民が彼の穀物を2ポンド・スターリングで売るとすれば、その2ポンド・スターリングは流通手段として役だっている。彼はこの2ポンドで、以前に織職が彼に供給したリンネルの代価をその支払期日に支払う。同じ2ポンドがこんどは支払手段として機能する。そこで、織職は一冊の聖書を現金で買う──2ポンドは再【P182】び流通手段として機能する──等々。それだから、価格と貨幣流通の速度と諸支払の節約とが与えられていても、ある期間たとえば一日に流通する貨幣量と流通する商品量とは、もはや一致しないのである。もうとっくに流通から引きあげられてしまった商品を代表する貨幣が流通する。その貨幣等価物が将来はじめて姿を現わすような諸商品が流通する。また他方では、その日その日に契約される支払と、同じその日に期限がくる支払とは、まったく比較できない大きさのものである(*102)。
(*102) 「ある一日のあいだに行われる購買または契約の額は、この特定の一日に流通する貨幣の量には影響しないで、大多数の場合に、おそかれ早かれ後の日に流通するであろう貨幣の量をひきあてにする種々雑多な手形になってしまうであろう。……今日受け取られた手形または開始された信用は、口数でも、金銀でも、期間でも、明日または明後日受け取られたり開始されたりするものと類似している必要は少しもない。むしろ、今日の手形や信用の多くは、期限が来れば、過去のまったく一定していないいろいろな日付の債務の一団と一致するのであって、12ヵ月とか6ヵ月とか3ヵ月とかあるいはまた1ヵ月などの手形が、しばしばいっしょになって、特定のある一日に期限のくる債務を膨張させるのである」(『通貨理論論評、スコットランド人民への手紙。イングランドの一銀行家著』、……1845年。)

信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能から直接に発生するものであって、それは、売られた商品にたいする債務証書そのものが、さらに債権の移転のために流通することによって、発生するのである。他方、信用制度が拡大されれば、支払手段としての貨幣の機能も拡大される。このような支払手段として、貨幣はいろいろな特有な存在形態を受け取るのであって、この形態にある貨幣は大口商取引の部面を住みかとし、他方、金銀鋳貨は主として小口取引の部面に追い帰されるのである(*103)。
(*103) どんなにわずかしか現金が本来の商取引に入ってこないかを示す一例として、ロンドン最大の商社の一つ(モリソン・ディロン紹介)の、1年間の貨幣収入と諸支払いの一覧表をここに示しておこう。この商会の取引高は1856年には数百万ポンドにのぼるのであるが、ここでは百万ポンド基準に縮約されている【P183】
収入 ポンド
銀行手形、日付後払商業手形 533,596
一覧払銀行小切手その他 357,715
地方銀行券   9,627
イングランド銀行券  68,544
金貨  28,089
銀貨、銅貨   1,486
郵便為替     933
合計   1,000,000

支出 ポンド
日付後払手形 302,674
ロンドン諸銀行あて小切手 663,672
イングランド銀行券  22,743
金貨   9,427
銀貨、銅貨   1,484
合計   1,000,000
(『銀行法特別委員会報告書』、1858年7月、……。)

商品生産がある程度の高さと広さに達すれば、支払手段としての貨幣の機能は商品流通の部面を越える。貨幣は契約の一般的商品となる(*104)。地代や租税などは現物納付から貨幣支払に変わる。この変化がどんなに生産過程の総姿態によって制約されているかを示すものは、たとえばあ、すべての貢租を貨幣で取り立てようとするローマ帝国の試みが二度も失敗したことである。ボアギュベールやヴォバン将軍たちがあのように雄弁に非難しているルイ14世治下のフランス農民のひどい窮乏は、ただ租税の高さのせいだっただけでなく、現物租税から貨幣租税への転化のせいでもあった(*105)。他方、アジアでは同時に国家租税の重要な要素でもある地代の現物形態が、自然関係と同じ不変性をもって再生産される生産関係にもとづいているのであるが、この支払形態はまた反作用的に古い生産関係を維持するのである。それは、トルコ帝国の自己保存の秘密の一つをなしている。ヨーロッパによって強制された外国貿易が日本で現物地代から貨幣地代への転化を伴うならば、日本の模範的な農業もそれでおしまいである。この農業の窮屈な経済的存立条件は解消するであろう。
【P184】(*104) 「取引の過程は、財貨と財貨との交換、または引渡しと受取りから、販売と支払に変わって、すべての売買契約が……いまでは貨幣での価格にもとづいて定められる。」(D・デフォー『公信用に関する一論』、……1710年。)
(*105) 「貨幣は万物の死刑執行者となった。」財政技術は「この禍いに満ちたエキスを得るためにおそろしく多量の財貨や商品を蒸発させた蒸留器である。」「貨幣は全人類に戦いを宣する。」(ボアギュベール『富、貨幣、租税の本質に関する論及』、……1843年。)

どの国でも、いくつかの一般的な支払時期が固定してくる。それらの時期は、再生産の別の循環運行を別とすれば、ある程度まで、季節の移り変わりに結びついた自然的生産条件にもとづいている。それらはまた、直接に商品流通から生ずるのではない支払、たとえば租税や地代などをも規制する。社会の全表面に分散したこれらの支払のために一年のうちの何日間かに必要な貨幣量は、支払手段の節約に周期的な、しかしまったく表面的な攪乱を引き起こす(*106)。支払手段の流通速度に関する法則からは次のことが出てくる。すなわち、その原因がなんであろうと、すべての周期的な支払について、支払手段の必要量は支払周期の長さに正比例する、ということである(*107)。
(*106) 1826年の議会の調査委員会でクレーグ氏は次のように述べている。「1824年の聖霊降臨節には、エディンバラの諸銀行にたいする銀行券の需要が莫大な額にのぼり、11時には銀行の手もとには1枚の銀行券も残ってはいなかった。そこであちこちのどの銀行に借りにやっても手に入れることはできなかった。ついに取引の多くはただ紙券だけですまされた。ところが、3時にはすべての銀行券が、それを出した銀行に返されていた。それはただ手から手へ渡されただけだった。」スコットランドでは銀行券の実際の平均流通高は300万ポンド・スターリングよりも少ないにもかかわらず、1年間のいくつかの支払日には、銀行業者の手もとにある銀行券が全部ひっくるめて約700万ポンドも動員される。このような時期には、【P185】銀行券は一つの独特な機能を果たさなければならない。そして、それを果たせば、銀行券を出したそれぞれの銀行に流れて帰るのである。(ジョン・フラートン『通貨調節論』、……1845年。)理解を助けるためにつけ加えれば、スコットランドでは、フラートンの著書が出た当時は、預金にたいして小切手ではなく銀行券だけが発行されたのである。
(*107) 「もし1年当たり4000万を調達する必要があるとすれば、産業が必要とする回転と流通とのために、同じ600万」(の金)「でこと足りるだろうか?」という問いにたいして、ペティは、いつものような巧妙さで次のように答えている。「私は、足りる、と答える。というのは支払は4000万だから、もし回転が、たとえば土曜ごとに受け払いをしている貧しい職人や労働者のあいだで見られるように、毎週というような短い周期であるならば、100万の貨幣の40/52でもこれらの目的が達せられるだろうからである。しかし、もし周期が、わが国の地代支払や租税徴収の慣例どおりに、四半期であるならば、その場合には1000万が必要であろう。それゆえ、一般に諸支払が1週から13週までのまちまちの周期でなされるものと想定すれば、40/52・百万に1000万を加えたものの半分は550万だから、550万あれば十分である。」(ウィリアム・ペティ『アイルランドの政治的解剖、1672年』、……1691年。)

支払手段としての貨幣の発展は、債務額の支払期限のための貨幣蓄積を必要にする。独立な致富形態としての貨幣蓄蔵はブルジョア社会の進歩につれてなくなるが、反対に、支払手段の準備金という形では貨幣蓄蔵はこの進歩につれて増大するのである。

c 世界貨幣

国内流通部面から外に出るときには、貨幣は価格の度量標準や鋳貨や補助貨や価値章標という国内流通部面でで【P186】きあがる局地的な形態を再び脱ぎすてて、貴金属の元来の地金形態に逆もどりする。世界貿易では、諸商品はそれらの価値を普遍的に展開する。したがってまた、ここでは諸商品にたいしてそれらの独立の価値姿態も世界貨幣として相対する。世界市場ではじめて貨幣は、十分な範囲にわたって、その現物形態が同時に抽象的人間労働の直接に社会的な実現形態である商品として、機能する。貨幣の定在様式はその概念に適合したものになる。
国内流通部面ではただ一つの商品だけが価値尺度として、したがってまた貨幣として、役だつことができる。世界市場では二通りの価値尺度が、金と銀とが、支配する(*108)
(*108) それだから、国内で貨幣として機能している貴金属だけを蓄蔵することを国の中央銀行に命ずるような立法は、すべて愚かなのである。たとえば、イングランド銀行の、こうして自分で作り出した「親切な障害」は、人々の知るところである。金銀の相対的価値変動のひどかった歴史上の諸時代については、カール・マルクス「経済学批判」、136頁以下を見よ。〔第13巻、131原P〕──エンゲルスによる第2版への追補……省略……【P187】……。

世界貨幣は、一般的支払手段、一般的購買手段、富一般の絶対的社会的物質化として機能する。支払手段としての機能は、国際貸借の決済のために、他の機能に優越する。それだからこそ、重商主義の標語──貿易差額(*109)! 金銀が国際的な購買手段として役だつのは、おもに、諸国間の物質代謝の従来の均衡が突然攪乱されるときである。最後に、富の絶対的社会的物質化として役だつのは、購買でも支払でもなく、一国から他国への富の移転が行なわれる場合であり、しかも商品形態でのこの移転が、商品市場の景気変動や所期の目的そのものによってはいじょされているばあいである(*110)
【P188】(*109) 重商主義は、金銀による貿易差額の決済を世界貿易の目的として取り扱うのであるが、その反対者たちもまた世界貨幣の機能をまったく誤解していた。流通手段の量を規制する諸法則の誤解が貴金属の国際的運動の誤解に反映しているだけだということを、私はリカードについて詳しく指摘しておいた。(『経済学批判』、150頁以下〔第13巻、143原P〕。)それだから、リカードのまちがった説、すなわち、「貿易の逆調は、通貨の過剰からしか生じない。……鋳貨が輸出されるのは、それが安いからであって、貿易の逆調の結果ではなく、むしろその原因である〕という説は、すでにバーボンの次のような言葉のうちに見いだされるのである。「貿易の差額は、もしそういうものがあるとすれば、一国から貨幣が輸出されることの原因ではなく、この輸出は、むしろ、地金の価値が国によって違うことから起きるのである。」(N・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論及』、……。)マカロックは、『経済学文献、分類目録』、ロンドン、1845年、のなかで、バーボンのこの先見をほめてはいるが、しかし、バーボンではまだ「通貨主義」の不合理な諸前提がとっている素朴な形態には、言及することさえも用心深く避けている。この目録の無批判性、じつにその不誠実ささえもが、貨幣理論の歴史に関する篇では頂点に達している。というのは、マカロックが、ここでは、彼が「随一の銀行家」と呼ぶオーヴァストン卿(元銀行家ロイド)の追従者として、しっぽを振っているからである。
(*110) たとえば、援助金とか、戦争遂行のための銀行の正貨兌換再開などのための借入金などの場合には、価値は貨幣形態そのもので要求されることがありうる。

各国は、その国内流通のために準備金を必要とするように、世界市場流通のためにもそれを必要とする。だから、蓄蔵貨幣の諸機能は、一部は国内の流通・支払手段としての貨幣の機能から生じ、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生ずる(*110a)。このあとのほうの役割のためには、つねに現実の貨幣商品、生身の金銀が要求される。それだからこそ、ジェームズ・スチュアートは、金銀を、それらの単なる局地的代理物から区別して、はっきりと世界貨幣と呼んで特徴づけているのである。
(*110a) 第2版への注。「正貨兌換諸国での貨幣蓄蔵の仕組みが、一般流通からこれといった援助も受けずに、国際的調整に必要なあらゆる役目を果たしうることについては、じっさい、次のこと以上に確実な証明は望みえないであろう。すなわち、【P189】フランスが、破壊的な外敵の侵入の打撃からやっと立ち直ったばかりのときに、自分に課された連合国に対する約2000万の賠償金の支払を、しかも金額のかなりの部分を正貨で、27ヵ月のあいだに容易に完了しながら、しかも国内通貨にはこれというほどの収縮や撹乱もなく、また為替相場のたいした動揺さえもなかったということがそれである。」(フラトーン『通貨調節論』、……。)〔エンゲルスによる第4版への追補……省略……〕

金銀の流れの運動は二重のものである。一方では、金銀の流れはその源から世界市場の全面に行き渡り、そこでこの流れはそれぞれの国の流通部面によっていろいろな大きさでとらえられて、その国内流通水路にはいって行ったり、摩滅した金銀鋳貨を補填したり、奢侈品の材料を供給したり、蓄蔵貨幣に凝固したりする(*111)。この第一の運動は、諸商品に実現されている各国の労働と金銀生産国の貴金属に実現されている労働との直接的交換によって媒介されている。他方では、金銀は各国の流通部面のあいだを絶えず行ったり来たりしている。それは、為替相場の絶え間ない振動に伴う運動である(*112)。
(*111) 「貨幣は、つねに生産物によって引き寄せられて、国々の必要に応じて国々のあいだに配分される。」(ル・トローヌ『社会的利益について』、……。)「絶えず金銀を産出している諸鉱山は、それぞれの国にこのような必要量を供給するに足りるものを産出する。」(J・ヴァンダリント『貨幣万能論』……。)
(*112) 「為替相場は毎週上がり下がりし、1年のある特定の時期には一国にとって逆に高くなり、また他の時期には反対の方向に同じほど高くなる。」(N・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論及』、……。)

ブルジョア的生産の発展している諸国は、銀行貯水池に大量に集積される蓄蔵貨幣を、その独自な諸機能に必要な最小限に制限する(*113)。いくらかの例外はあるが、蓄蔵貨幣貯水池が平均水準を越えて目につくほどあふれるということは、商品流通の停滞または商品変態の流れの中断を暗示するものである(*114)。
【P190】(*113) これらのいろいろな機能は、銀行券の兌換準備金という機能が加わってくれば、危険な衝突を起こすことがありうる。
(*114) 「国内取引のために絶対に必要であるよりもたくさんある貨幣は、死んだ資本であって、外国貿易で輸入されたり輸出されたりする場合のほかには、それを保蔵している国になんの利益も与えない。」(ジョン・ベラーズ『論考』、……。)「もしわれわれのもっている鋳貨が多すぎる場合はどうであろうか? われわれは最も重いものを融解して、それを金銀のりっぱな皿にしたり、容器や什器にしてもよいし、あるいはそれを要望しているところへ物品として送り出してもよいし、あるいはまた利子の高いところがあれば利子をとって貸し付けてもよい。」(ウィリアム・ペティ『貨幣小論』、……。)「貨幣は、政治体の脂肪にほかならない。それが多すぎれば政治体の敏活さを妨げることが多く、少なすぎれば政治体を病気にする。……脂肪は筋肉の運動をなめらかにし、栄養の不足を補い、身体のくぼみをみたし、こうして身体を美しくする。それと同じに、国家の場合には貨幣がその行動を敏活にし、国内が飢饉のときは海外から食料をとりいれ、貸借勘定を決済し……しかも全体を美化する。もっとも」、と皮肉に結んで、「それをたっぷり持っている特別な人々を普通以上に、ではあるが。」(W・ペティ『アイルランドの政治的解剖』、……。)

2019年2月10日